こいのはじまり 恋に落ちるとは良く言ったもので。
その瞬間恋は人をダメにする。
恋は、かく恐ろしき病である。
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「先生、佐々倉さんさようなら〜」と元気で行儀正しい挨拶達ににこやかに手を振り、パタンと閉じられた扉が閉まったことを確認すると、高槻は大きなため息をついてずるずるとその場に崩れ落ちた。
「おい、どうした?」
「どうしよう……え、ちょっと待って……」
「……彰良?」
「え、どうしようヤバいよ健ちゃん」
「何がだよ」
「これ、どうしたらいい?僕、これからどうしたら」
「だから、何がだ。主語を言え主語を」
「僕……めちゃくちゃ深町くんのこと……すき…かもしれない」
「はぁ?」
心なしか頬を紅潮させて、目を潤ませながら幼なじみを見つめる高槻に、佐々倉は面倒なことになりそうだ、と天を仰いだ。
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その日は高槻の研究室で新年会を開催していた。
院生メンバーや難波を始め、佐々倉や尚哉も集めて今年もどうぞ宜しくという趣旨の催しだったのだ。
宴もたけなわになり、そろそろ解散となった頃から高槻の様子がおかしくなりだしたのを、佐々倉は気づいていた。
暫く様子を見ていたが、特に大事になることは無さそうだと判断した佐々倉はそのまま放置していたが、まさかこんなことになるとは。
恐らく会の最中で、高槻が尚哉の想いへの自覚症状を発症したのだろう。きっと内心では今の様に軽いパニックを起こしていたに違いないが、恋を自覚したからといってもいい大人だ。会が終わるまでは「生徒達の良い理解者である良い大人」を演じていたのだが、生徒達が居なくなるともうその場には佐々倉しかいない。
今までの爽やかな笑顔をかなぐり捨てて、高槻は佐々倉に抱きつき泣きついた。
「健ちゃんどうしよう〜〜」
「腕に縋り付くな重い」
たちまちに情緒不安定を隠そうとしない幼なじみにため息をつくが、そんな間にも「ねぇ!さっき僕深町くんと同じ空気吸ってたよね!」やら「え、無理、カッコいいし可愛すぎなんだけどしんどい」とのたまってくる。
お前は恋する乙女か、いや、それともアイドルのファンかとツッコミたくなるほどの乱れっぷりを炸裂している。
しかも高槻は、
「健ちゃん……僕今まで深町くんとどうやって喋ってた?」
ときたものだから、呆れてくる。あれだけ人のパーソナルスペースをぶっ壊し、あまつさえその中に中に入り込もうとしていた人間が何を言うか。
こうなる前から深町くんが、深町くんがと深町の話題豊富な高槻だ。高槻の気持ちは分かっていたが、まさか本人に自覚が無かったとは。
しかしこうしている間にも、どんどん時間は過ぎていく。こうなった高槻はもう何があっても変わらないし、明日も二人とも仕事だ。
佐々倉はどうしよどうしよと壊れたオルゴールのように続ける高槻をべりっと剥がして、帰り支度をし始める。
「彰良ぁ、明日楽しみだな?」
「明日?」
ニヤリと笑いかけるが高槻は分からない様子だ。ここまで頭の回転が悪い高槻に驚くが、とりあえず今は早く帰りたい。
「明日講義だろ?良かったな、明日も深町に会えるぞ」
「ひぇ……っ」
更なるどうしよう攻撃から逃げるために、佐々倉は名誉ある撤退を強行した。
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次の日の講義は高槻にとって散々だった。
尚哉は二年生になり、先頭の席で講義を受けることが多くなった。高槻の説明を真剣な表情で聞くその顔や、冗談を言ったときの笑顔をまともに見ることが出来ない。
(う……眩しすぎる……僕は一体どうやって、深町くんのこの笑顔を正面から見ることが出来てたいたのか……!)
視線が合っても見つめられるその目線が熱くて、反射的に目を逸らせてしまう。
(うう……深町くんごめん……僕は先生なのに、生徒一人と目線も合わせられないなんて……)
そうして息も絶え絶えのまま、新年始めの講義は終了したのだった。
高槻の研究室に、控えめなノックがされたのはその後のことだった。
講義中にも関わらず、深町を意識しすぎて講義に身が入らないなんて、社会人失格だ……。尚哉にも、高槻の講義を受けた全員の学生に心から詫びていた時、何だか嫌な予感はした。
「どうぞ」
「あ、先生……」
「ふ……かまちくん」
昨日の今日で、息も絶え絶えな高槻のHPはゼロに等しいのに、そんな高槻の前に尚哉が恐る恐るといった体で現れた。
「さっきの授業、先生何か変だったから、体調でも悪いのかと思って」
それで、用事も無いのに研究室に来てくれたらしい。優しい。前から思っているがこの子は本当に優しい。でもその優しさが眩しすぎてそろそろ過呼吸になりそうだ。
「ありがとうね、でもダイジョウブだから」
自分の表面を取り繕うのに必死で、だからいつもはつかないよう意識していた嘘をついてしまった。
「あ、ごめん!」
「……っ先生、やっぱり体調悪いんじゃないですか!佐々倉さん呼んで帰りましょう!病人は横になって!」
つかつかと高槻に近づいた尚哉は、ぐいと高槻の腕を取り、ソファに座らせ、横になるように肩を押す。
尚哉が高槻の両肩を押したことで、自然に二人の顔が近づき、あわや間違えて口付けをしてしまいそうな距離に高槻は目を開いた。
「近……っいよ、深町くん」
「何言ってるんですか、いつも距離が近いのは先生の方でしょう?」
そして、ふんわりと微笑むその表情に高槻の心臓は壊れそうだ。
「じゃあ、佐々倉さんに電話してきますから」
「あ、いや僕は」
「先生。無理しちゃ、めっ、ですよ?」
まるで子どもをあやすかのような物言いに、ズギューンとどこからか飛んできた矢に心臓を撃ち抜かれて、高槻はそのままソファに倒れ混んだ。
可愛い。可愛すぎる。僕の教え子が可愛すぎて恐い……。
その後、佐々倉と繋がった尚哉が『自分は行けないからお前が介抱してやれ』と伝言を残したことを聞いて、高槻はそろそろ三途の川が見えそうだと頬を濡らしたのだった。
Fin