僕と先生の未満な関係 美しいアナタは愛でるもの
先生は「イケメン」だとか「顔が強い」なんて良く言われるけれど、俺にとってはそのどちらでもなくて、ただ「美しい」人だと思っている。
もちろん顔の造形も美しいのだがその佇まい、所作、表情、声。どこを切り取っても絵になって、ずっと見ていたくなる。声を聞いていたくなる。つまりは、――愛でて、いたくなる。
瑠衣子先輩から「みんなの彰良先生」という常套句を聞いてから、余計に俺は先生をまるで美しい美術品のように、愛でることに夢中になったんだ。
*****
『隣のハナシ』に依頼が来て話を聞いたあと、瑠衣子先輩は今からアルバイトだと、いつものように慌てて研究室の扉を閉めた時だった。奇抜な大仏カップと、自分達のカップを洗いに行こうと先生が片付けを始めようとするのを軽く制する。
「俺がやります。先生の手が荒れちゃいますし」
「うん……ありがとう」
先程までは依頼者の話に興奮して、満面の笑顔を浮かべていた先生がどこか悲しそうな表情をする。何かあったのだろうか?先生にこんな切ない顔をさせるものがあれば、その種を潰さないといけない。
「……先生?さっき依頼された話、何か引っかかることがありましか?」
「え?いや、そんなことないよ、まずは調査しないと分からないことだから」
そう言った先生は、やはり元気が無いように見える。そんな憂いを秘めた先生も美しいけれど、俺はやっぱり先生の笑った顔が好きだから。コップを洗う手を止めて、タオルで手を拭き先生の元へ向かう。どうしてそんな表情をするんですか?綺麗な貴方に、悲しい顔は似合わない。
「……先生?」
「変なこと訊くけれど……深町くんは、僕のこと好ましく思ってくれているよね?」
「はい。俺は先生のことが好きです」
だから大事にしたい。先生を哀しませる全てのものから、貴方を守りたい。
けれど何故だろう。俺のそんな言葉を聞いた途端、先生の表情が曇る。それを見て、気がつかないほど鈍感では無かった。先生を守りたいと思っていた俺が、俺こそが、先生を悲しませていた――?
「先せ……」
「ありがとうね、言葉でちゃんと聞けただけでも良かった」
そう言って微笑んだ先生こそ、何て顔をしているのだろう。堪らなくて、拳を握りしめる。先生の言っていることは嘘じゃない。けれどきっとそれだけが真実じゃないことは、もう気づいてしまった。
「俺の好きは、迷惑でしたか?」
貴方のことを守りたいと思う気持ちは、先生にとって不用な想いだった?先生を憂いから遠ざけるなら、俺は先生から離れなければいけない。とても辛いけれど、先生のことは遠くから見守っていてもいいですかーーそう覚悟した時だった。
「違う!」
途端に言葉尻を強めた先生に、目を見開く。先生ははっとしたように唇をその美しい手で覆った。その瞳が、揺れている。いつもは雄弁に語るその宝石のような目で、俺はどのように映し出されているのだろう。
「急に大きな声を出してごめん。深町くんが悪いんじゃないんだ」
ゆるゆると手を下ろして俯く先生の表情が見えなくなる。今貴方は何を思っているのだろう、分からないんだ、美しい貴方の気持ちを悟ることが出来ない俺に、どうか教えて欲しい。
「――深町くん」
ついと顔を上げた先生のその瞳は潤んでいて、ああやっぱり綺麗だと思う。ゆっくりと右手が俺の頬に触れて、仄かに温もりを感じる。人の……先生の体温がこんなに温かいなんて、知らなかった。じっと見つめる先で先生が微笑み、白い頬に滴が流れる。
「見てるだけじゃ嫌だよ。僕の心も欲しがって……ねぇ、深町くん」
Fin
嫌いになれない
何度この気持ちを捨てようとしたか、もう覚えていない。それはどんな瞬間でも、自分と先生との関係がただの教官と生徒だと思い知らされたときだった。
先生に許嫁がいたと知ったとき、目の前から先生が別の若い教官と仲睦まじそうに歩いてきたとき、そして良くあるのは、――生徒から告白されている時。
決まって先生は「NO」と言うけれど、その返事がいつか変わるんじゃないかって怯えてるなんて、先生、知らないでしょう?
彼らと先生のその先を想像するだけで絶望するのに、自分が告白することでその関係が変わることが嫌だなんて、まるで駄々っ子だと思う。
いっそ先生のことを嫌いになれたらいいのに。好きである事を止めることが出来たら、女性の影を知るだけで酷く痛むこの胸も、彼らとの関係を想像して勝手に傷つくこともないのに。
――でも。
「いらっしゃい、深町くん」
研究室で俺を見つめて微笑むその表情が、空気が、声が、ココアの香りが、やっぱり好きで。
貴方を嫌いになんて、なれないんだ。
Fin
甘い、あなたの
先生の唇の端に、生クリームが付いている。
いつもならちゃんと気づいて取っているそれは、未だにまだ先生の柔らかそうな場所の隣にあった。
「深町くん?」
じっと一点を見ている俺に、怪訝そうな表情の先生が確認するかのように俺の名を呼ぶ。
なぜだろう。甘いものは苦手なはずなのに。
先生の甘そうな唇と一緒に舐め取りたいと思うなんて。
*****
「先生、口にクリーム付いてますよ」
一瞬と言うより長い時間。その逡巡のあと、自分の唇を指差しながらそう指摘する。先生は咀嚼していた口を止め、綺麗な指先で生クリームを掠め取った。
「ありがとう、教えてくれて」
にこりと笑う先生。けれどちりちりしていたあの欲が行き場を失い、留まる気配を見せた。もやもやとした気持ちを先生に気づかれなくて、徐にコーヒーをぐいと飲んで口の中の甘い感覚を追いやった。
先生を見れば、また美味しそうにクリームのデザートを頬張っていた。その唇にもうひっつくクリームは無い。
残念、なんて思ってはいない。先程脳裏に掠めた自分の不埒な想いこそ、危険な思想だった。この気持ちを知られるわけにはいかない。例えそれが想い人である先生だとしても。
「先生」
「なに?深町くん」
そう考えて窓の外から視線を戻すと、凝りもせずにまたクリームを付ける先生がいた。大人の様に見えて子どもっぽい彼を純粋に慕う学生として、呆れた顔を作りながら指摘しなければいけない。
またクリームが、そう言おうとする俺を焦茶色の瞳が真っ直ぐに見つめる。変わらず先生はにこりと笑っているけれど、まるで粗相を咎める大人の様に見えるのは何故だろう。先生の意図が分からなくて口を噤むと、もう一度名前を呼ばれた。
はい、と返事をすると笑みが増して、マシュマロみたいに柔らかそうな唇がゆっくりと動いた。
『とって』
何を、なんてことは聞き返してはいけないのかもしれない。今度は悩むことなく、先生の整った顔へ身体ごと近づいた。
Fin