あなたのどんな姿でも 研究室の扉を開けると、そこは撮影スタジオでした――。
「いいですね。ちょっと首を傾げて……」
「格好いいです!もっと挑発するように……」
「今度は可愛いポーズお願いします。マシュマロを持ってもらって……そう、可愛いですね!」
カメラを構える人物が目を輝かせながら声をかける様子を、尚哉はただ茫然と見ていた。今日はちょっと早めに授業が終わったから、本を返却しがてらに高槻の研究室へと向かったのだった。いつもは静かなこの部屋が、少しざわついてるなと思った時躊躇すべきだった。まさか、高槻がモデル立ちをしてポーズを決めていて、その瞬間瞬間を逃すまいと、カメラのフラッシュがたかれているなんて。
「あ、ワンコくんだ。やほー。本借りにきたの?」
「瑠依子先輩。……あ、はい」
「先生モデルやったことあるのかな?何だか撮られ慣れてるよね〜」
「ですよね……――っじゃなくて!」
「あ、ノリツッコミだ」
きゃらきゃらと笑う瑠衣子に、いつも揶揄われながらもうまくあしらえないことに眉尻を下げる尚哉。普段と違う雰囲気に、尚哉は落ち着かない。それもそのはず、いつもの研究室が撮影スタジオ風に造り替えられているのである。レフ板と、照明と、カメラの機材やあれやこれや。良く分からないが、明らかにいつもの研究室からかけ離れている。
「ワンコくん、今日の先生のスーツとネクタイどう?私が選んだんだけど」
「……かっこいいんじゃないですか」
「何その棒読み!」
まぁ先生は何着ても似合うけどね、なんて声は尚哉には聞こえていない。そもそも、なぜ研究室が撮影スタジオに?とか、なんで先生そんなノリノリなんですか?とか、先生そんなキラキラして、どこのアイドルの撮影会ですか?なんて疑問は一気に吹き飛んでいる。
それよりも、気になることがある。高槻を撮影するカメラマンだ。
「あの……寺内さん、なんで居るんですか?」
――え?と何でもないように瑠衣子が尚哉の方を向いたが、これこそが最大の謎だ。神隠し騒動で因縁の相手だった寺内一は最近罪を償って出所したと聞いたが、そんなホイホイと顔を出せるものなのだろうか大学の研究室とは。
「だってカメラマンだからね」
即解答してくれた瑠衣子の答えが、残念ながら全く的を得ていなくて、尚哉は地団駄を踏みそうになる。
「いや、そうじゃなくて」
「――僕が頼んだんだ」
喧騒の中でも透き通る声に、尚哉は辿る様に声の主を見た。研究室の主でもある高槻彰良はその場に降臨するように佇んでいて、照明もレフ板も必要無いのではないかと思えるほど輝いて見えている。
「大学が年に一回、広報で使用するために教員のプロフィールを更新していてね。最近の写真が必要だと言われたのを思い出して、それで彼に依頼したんだ」
彼は僕の大ファンだから、うまく撮ってくれると思って。そう言ってにこりと笑う高槻に、尚哉は眉を寄せる。
大ファンは大ファンかもしれないが、あまりにも熱狂的ではないだろうか。ある意味宗教に近い。しかもそんな理由だけで、過去に因縁があった人物を気軽に呼んでいいのだろうか?
「そんなに警戒しなくても、今後先生に危害を加えることはないよ。身体的にも、勿論精神的にもね」
画像が写し出されているモニターから視線を外して、そう爽やかに笑った寺内の瞳は、以前より闇が薄れているように見えた。恐らく彼の中で一つ区切りがついたのだろう。
「そうなのよね。それに私見ちゃったんだから。彼は先生のベストな角度とか、魅力を良く知ってるの!その見せ方も!」
「はぁ」
「だから、折角だから、ただの写真じゃなくて、先生の色んな魅力が詰まった写真を撮ってもらいたいじゃない?」
そう力説する瑠衣子の瞳は燃えている。拳を握っているがどこまで突き上げるつもりだろうか。熱気に圧されるように後ずさりすると、背中が何かに当たった、笑みをたたえた高槻だ。
「大丈夫だよ深町くん。今回彼は純粋に僕の写真を撮ってくれてるだけだ。一パターンだと面白みがないから、色んな表情やポーズもお願いしてるんだよ」
「でも……広報として、載せるだけですよね」
「そうだよ」
「何枚も?」
「一枚だけだねぇ」
「じゃあ……あの写真とか、載せられないんじゃ……」
ちらりと今まで撮った写真が映し出されるモニターに目をやり、ある写真を指さす。そこにはいつもきっちり締めているシャツのボタンを無造作に外し、ネクタイを緩める、上目遣いでどこか誘うような目つきをした高槻の表情があった。
「やっぱり本職だよね、彼の好みの顔ばかり撮られちゃった」
「いつもの先生の笑顔も素敵だけど、男っぽい顔つきも好きなんです」
「そんな褒められるなんて、照れちゃうなぁ」
「どんな先生も、素敵ですよ」
あれ?寺内さん顔赤らめてはにかんでますけど、そんなキャラでしたっけ?それもう普通に先生のファンじゃないですか?いや、前会ったときとは違う意味で!
「ワンコくんどしたの?こんなセクシーだったりあざとい先生の写真はね、この研究室で限られた人しか観ることの出来ない、門外不出の秘蔵書庫になる予定だから大丈夫!」
いや、何が大丈夫?と思ったが、段々突っ込むのが面倒くさくなったので、開けようとしていた口を閉じ、借りていた本を本棚に戻し、静かに研究室を出ることにした尚哉である。
「ワンコくん、研究室入り浸り特典で好きな写真一枚だけ購入できるからね〜。また一覧見せるからまた何番が欲しいか言ってね〜」
扉の向こうから聞こえてきた瑠衣子の声に「門外不出じゃないんですか?学校行事の写真じゃないんですから!」と悲しくも誰にも届かないツッコミをしてしまった尚哉だが。
「写真……」
先程の、写真を撮られていた、見たこともない高槻に。……少し、ほんの少しだけ胸がときめいたので、高槻の研究費のたしに、買ってあげてもいいかなと一人言い訳をした。
Fin
おまけ
「先生、こんにち――」
「深町くん!聞いたよ〜写真買ってくれて、ありがとね」
「えっ、ちょ、ま」
扉をあけて開口一番に写真の話を振ってくる高槻に、尚哉は今きたばかりの部屋から早くも退出したくなる。回れ右しようとするも、肩を掴まれ逃すまいとする高槻の表情は嬉しさで満ち満ちていて、どうやっても逃げることが出来ない。
「でもね、瑠衣子くんが、深町くんがどれを選んだのか教えてくれなくて」
写真を管理しているのは瑠衣子で、だから高槻には教えないという約束で写真を選んだのだが。
それをどうしても知りたいと、高槻は完全記憶能力を使って記憶を呼び起こす動作をする。
「深町くんが選んでくれたのは、爽やか系?可愛い系?あざと可愛い系?オレ様系?セクシー系?厨二系?地雷系?あと……」
オタク系?量産型?メガネ男子?ととめどなく続くのが堪らなくなって、尚哉はよく動くその口を塞ぐ。
瑠衣子が送ってくれた、あの時撮られた高槻達は皆どれも魅力的だった。初めて見るそんな高槻の姿達に、なぜかくらくらして、次のページへ進むことも躊躇われるほど。けれど尚哉が一番心を揺さぶられたのは、いつもの高槻が垣間見えたある一枚。
怪異の気配がすると、顔が高揚して、更に饒舌になり、ぶんぶんと大きく振る尻尾が見えるほどのーー
「わ……わんこ系……です」
尚哉の両手に顔半分を埋められながらも、そう素直に教えてくれた尚哉に大きく微笑んだ高槻は、礼とばかりにその掌をべろりと舐める。
「うわっ!あんた何して!」
「深町くんが望むなら、君だけのわんこになるよ?」
そう言って、高槻はわん!と小さく吠えた。
Fin