あんなことや、こんなこと瑠衣子司令官からの可愛い命令
「ワンコくん、あなたにしてもらいたいことがあるの」
研究室に入ってきて早々挨拶を済ませた後、某司令官のように両手を顔の前で組み、チャームポイントの赤い眼鏡を光らせて瑠衣子はそう宣った。
「……え、嫌です」
「ワンコくんに拒否権はない!」
「無茶苦茶ですよ……」
はいこれと渡されたのは、クリップで留めるタイプの黒い猫耳。あのこれ……という尚哉の言葉を遮ったのは興奮した瑠衣子の声だった。
「きゃー!やっぱり彰良先生似合います!」
その声の音量具合から、先生にも魔の手が忍び寄っていたのかと思う間もなく振り返ると、そこには可愛らしい犬耳を付けた高槻がいた。
「レオみたいだ……」
途端に猫耳は尚哉の頭からすっぽり抜け落ちて、高槻と友達のゴールデンレトリバーが重なり、まるで尚哉の目の前にいるかのように見える。
「深町くん!似合う?……あ、僕、似合うかワン?」
准教授らしくない語尾を付けた高槻に、尚哉の隣でくっと眉を寄せて瑠衣子が「やっちまったなぁ」と呟いている。いや、やっちまったのは瑠衣子であり高槻ではない。研究室で、なんてことをしているんだ二人とも。
「じゃあワンコくんも!」
「ええ……」
これはどうも圧力から逃げられそうにない。ちらりと高槻を見るとごめんね、と申し訳なさそうな顔でいる。瑠衣子の行動に意味があることを知っているのだろうか。逃げられないと悟った尚哉は、一つため息をついて手にした猫耳の準備に取り掛かった。
ぱちん、と強めの音を立てて髪の毛を挟む様に猫耳を付ける。鏡で見ていないから分からないが、さて、きちんとうまく付けられたのだろうか。
「「わぁ〜!!」」
なんだこの師弟コンビは。目をキラキラ輝かせないで欲しい。
「ワンコくんめっちゃ似合う〜!」
「深町くん!可愛い猫さんだよ!」
嬉しくない。全然嬉しくない。しかも何故だか、高槻の言葉がいやらしく聞こえるのは、彼の持つ色気が原因だろうか。
「じゃあ、付けましたからね。俺はこれで……」
取り外して帰ろうとすると「待って!」と強い制止の声が入る。瑠衣子が必死の形相で尚哉の目の前に滑り出た。
「お姉さんに、お写真撮らせて欲しい……な?」
「嫌です」
「そこを何とか!」
「……嫌です」
「先生とセットで撮ってあげるから!」
「余計嫌です!」
そんな押せや引けやの問答に、尚哉の後ろの方で酷くショックを受けたのは高槻だった。
「深町くん……そんなに僕と写真撮るの、嫌……?」
声色と共に、しゅんとした高槻の顔と、垂れ下がった犬耳。心なしか、力無く落ちた尻尾まで見えてしまって尚哉はぐうと言葉に詰まる。
「いや、あの、先生が俺と一緒に写真撮っても、似合わないかなーなんて……」
隣に居るだけであれば気にならないが、見目麗しい高槻と一枚の画角に入り写真を撮られるなんて。尚哉の平凡さが浮いてしまうに決まってる。
「そんなことないよ、ね、瑠衣子くん」
「はい。ワンコくんは可愛い系代表、先生はキレイ系代表になれますよ!」
青和大学の!と言われても嬉しくない。そんな今時流行らないミスコンじゃあるまいし……と反論しかけようとしている間にも、高槻は尚哉の隣に陣取り瑠衣子に向かって微笑んでいる。いつもこの人はいい匂いがするなぁなんて呑気に思っている間にまずは一枚と、早速写真を撮られた。
「もっとくっついてくださーい」
「はーい」
既に尚哉と高槻の距離はゼロ距離だったはずだが、高槻に腰に手を回されて体温を感じるほど距離を詰められる。顔がとりあえず近い。吐く息まで感じられそうだ。
「ワンコくん顔固いよ〜笑って〜」
「はは……」
口角をひくりと無理やり引き上げると、やっと瑠衣子からオーケーが出た。
「先生、ワンコくん、ありがとうございます!論文も提出したし、気分爽快です!」
「無事に提出出来て良かったね」
「じゃ!!私はバイトに行ってきます!」
「気をつけてね」
はーい、また明日〜と小さくなっていく瑠衣子の声を聞きながら尚哉はぐったりとソファに沈み込んだ。瑠衣子のあのテンションの高さは論文提出したことでのハイだったのか。高槻も、そんな瑠衣子を労って犬耳を付けたのだろう。いや、単純にコスプレというイベントごとが好きだからか。
「深町くんお疲れさま。コーヒー淹れるね」
「あ、ありがとうございます……」
何だかどっと疲れて、くたりとソファに座り力無く部屋の主を見れば、なぜか上機嫌で、まだ可愛らしい犬耳を付けたままの高槻と目があう。
「にゃんこな深町くんも、可愛いね」
そんなわんこな高槻先生もかわ……いや、あえて言いません。それよりも。
「『も』ってなんですか。普段から俺が可愛いみたいに」
「深町くんは猫耳無くても可愛いってことだけど」
そんな、当然のことみたいにきょとんとした顔で言わないで欲しい。思わず恥ずかしくなってコーヒーを一気に飲んだ尚哉は、熱いと言うより早く、舌と上あごを火傷した。
Fin
可愛い先生
嘘だ、絶対嘘だ。
あんなに可愛い先生が、こんなに――だなんて、嘘に決まってる。
*****
青和大学名物教授の、高槻彰良は可愛い。
これは、全世界の常識だ。いくら他の学生が「高槻先生かっこよすぎ……結婚して欲しい……」とか、「先生かっこよすぎて顔を拝みながらご飯何杯もいけちゃう」とか言われていたとしても、俺は断じて自分の意見を曲げるつもりはない。
どこが可愛いって?よくぞ聞いてくれた。全部だ。
あの愛くるしいお顔にツンツン触りたくなるもちもちほっぺ、授業中はキリっとしてるのに、怪異への愛が溢れると同時に溢れ出すおこちゃま感。あまりにも可愛すぎて、「お兄さんが一緒に藁人形で遊んであげるよ」と色々アウトな声を掛けたくなるほどだ。
高槻先生は可愛い。異論は認めない。
だけど、今目の前にいる先生はすごく――。
「っ深町くん大丈夫?ごめんね、ワックス塗りたてってちゃんと言えば良かったね。どこも怪我してない?」
そう言って俺の腰を支え、髪の毛を少し乱れさせながら至近距離で焦ったように声をかけてくれる先生は。
「抱いて……あ、違ったカッコいい……」
「深町くん?頭打った?深町くーん!」
全世界の皆、申し訳ない。前言撤回だ。青和大学名物教授の高槻彰良先生は、すごく、ものすごく、はちゃめちゃに、カッコいい。
Fin