オトナでも、コドモでも いつもだ。
いつもいつも、俺は先生に一歩先を歩かれている。
散歩のことじゃない。むしろ新しく歩く土地は俺が先に歩かないと……ってそうじゃない。話が脱線した。先生はいつも、余裕で、大人で、俺が何かすれば「深町くんは可愛いね」と笑って、その手で俺の手を引くんだ。
最初は、そんな先生の大人な対応にドキドキして。年上の魅力に、余裕のある態度に、全てを任せてしまいたいと甘えていたけれど。
先生と付き合って3ヶ月。そろそろ、そろそろ先生の崩れた顔も見たくなってきた。だって、俺といる時は微笑みを崩さない。俺は、赤面したり、変な声が出たり、挙動不審になって1人ワタワタしているのに、先生ときたらいつもの「可愛いね」で終わりだ。何だこれ。何だか不公平だ。付き合ってるなら、一緒にワタワタしたい。というよりも、先生の、ワタワタが見たい。俺の一挙手一投足に、振り回される先生を見たい。今の俺がそうであるように。
と、いうことでいかに年上パートナーを俺の魅力でメロメロにさせるか、恋愛の大先輩に訊ねることにした。
「――と、いうことなんだが難波」
「いやいやいや、真面目くさって何を言われるかと思えば。何が『ということ』だよ。わけわかんねぇよ」
今日は飲みに行こうぜ、と巷の大学生らしく難波を誘ったのに、「深町、お前大丈夫か?悩みがあるんだな……今日は一晩飲み明かそうぜ!」と言ったのはどこのどいつだ。
「だから、年上の……」
「はいはいはい。年上のパートナーをキュンキュンさせたいのね」
「メロメロにして俺なしじゃ生きていけないようにしたい」
「深町くん……今日……何杯飲んだ?」
タッチメニューを見ながら、俺が何杯飲んだかを数える難波に首を傾げる。確かまだ一杯目じゃなかったっけ?
「深町ぃ、とりあえず酒は今飲んでるやつで落ち着こう、な?相談内容聞かずに寝落ちするから」
「俺はまだ、酔ってない!」
「ハイハイ分かったから。――で?先生がどしたって?」
「だから、先生が……あれ、俺難波に相手先生って言ったっけ?」
とろんとした目で難波を見ると、あっやべと口を塞ぐ難波。年上って人生の先生みたいなもんだろとわけわかんないこと言われたけどまぁいいか、先生は先生だし、言い直すのが面倒だから先生と言うことにする。
「だから、先生が、いつも余裕で、なんか最近癪に触るから、俺は先生の赤面する顔を見たい!」
「癪に触るかぁ。まぁ先生は俺らよりもいい大人だし、経験豊富だろうしなぁ」
「経験豊富……」
「あ!でももちろん今大好きなのは深町なんだから、過去のことはいいじゃん!な!」
自分から言ったくせに、急に焦り出す難波は変だ。確かに、俺は今まで恋愛経験ゼロの、おこちゃまだけど。そんなおこちゃま相手だから、いつも俺は先生の手の平の上で転がされてるんだ。ずるい。俺も経験が欲しい。
「俺も経験豊富になれば、先生を手の平で転がせるかなぁ?」
「えっ?!深町?!お前すでに先生を手の平で転がしてんじゃん?ってかやめとけよ浮気なんかするなよ!」
「浮気?」
そんなこと、考えたことも無かった。いつも先生から溢れんばかりの愛を与えてもらって、甘やかされて。甘い蜜の中に、トロトロに溶かされているだけだ。
だから俺は、先生のこともトロトロに、いやドロドロに溶かしてあげたいと思ってる。そのためには、経験値が必要なのかもしれない。
「どうしたら、先生をドロドロにできると思う?」
「えっ何?ホラー?」
「難波はどうやって彼女をトロトロにしてるんだよ?」
「俺ぇ?そんなん俺は、愛美のこと、好きだーって、大好きだーって、……あ、愛してるー!って思いながら隣にいてるからかなぁ。もぅ、言わせんなよ照れるじゃんよ」
彼女のことを思い出したのか、急に顔全体がデレデレとしだす難波を見て難波の彼女はいいなぁとどこか遠くで思う。俺はこんなデレデレの先生を見たことが無い。いつも紳士然として、大人で、俺ばっかりが振り回されて。
何だか改めてムカムカしてきた。何で俺ばっかりこんな悩まなきゃいけないんだ。これも先生が俺にデレデレしてくれないからだ。先生のバカ、怪異大好き人間!
「いいなぁ難波の彼女は……愛されてるな」
「えっ何言ってんだよ深町だって愛されてるだろ」
じゃなきゃ「難波くんは時々くっ付きすぎだよね」なんて笑顔で言われない。怖かったあのときの笑顔……。そんなことをブツブツ言う難波にハテナマークが飛び交う。
「何?深町は、先生を手の平で転がして、デレデレさせたいのか?」
「うん」
「うーーーん……」
してると思う。常に。先生は深町の一挙手一投足に全集中してるからなぁ。でも当の本人はそれをわかってない。そんなことあるか?先生が深町の前では大人っぽく振る舞おうとしている節があるのは見てわかる。余裕のある僕かっこいいでしょ、を見せたいのはわかる。深町がそれを好きなのもわかる。でも折角だからな、お互いの素顔にもうちょっと触れたいとは思うよな。
「よし、深町。こういうのは一撃必殺だ。深町が普段しないことを先生に仕掛けるんだ。ハグでもキスでも、なんでもいい」
「……お、おう!」
「それで、びっくりしてる先生ににっこり笑って、何も言わずに立ち去る。すると、先生は……」
「俺の意図が分からずに、ワタワタする!」
「ワタ……?ああ、そうだ」
難波、ありがとう!持つものは恋愛マスターもといラブラブバカップルの友だな!俺は店の前で難波と熱い抱擁を交わし、帰路に着いたのだった。
*****
好機は週末に訪れた。
週末、いつも先生の家に泊まりに行く俺は難波から助言をもらった技を決行すべくにやつきながら先生の家の前に居た。いけない、いつもの顔に戻さなければ、先生に変に思われる。
ガチャリと扉が開いたので、普段の俺を装っていると急に腕を引かれて、先生の腕の中に閉じ込められる。
「えっ―――せん、せ……?」
「深町くん。昨日、難波くんと飲みに行ったの?」
「はい。久しぶりだったので、ちょっと飲み過ぎちゃいました」
「じゃあ難波くんに、深町くんのちょっと酔った可愛い顔見せちゃった……?」
「……先生?」
何だか変だ。難波とは時々飲みに行っていることは先生は知っていて、誰かとそういう交流をしていることに喜んでくれていたはず。
先生の気持ちが分からなくて、その腕を解こうとするけれど、許さないというようにぎゅうと力が篭る。
「ごめん。僕昨日たまたまお店の前で難波くんと居るところ見ちゃって。深町くんの交友関係に口出すなんて子どもっぽいことしたくないんだけど、でも2人が別れる時に深町くん、難波くんに抱きついてたでしょ」
あまり、覚えてないがそんなことをした気もする。
「なんだか、それを見るとやだなぁって思っちゃって。でも、そんなこと思う僕も嫌で。もう、何言ってんだろね、深町くんの前では、カッコいい大人でいようと思ってるのに」
言いながらも、やっぱり先生の抱擁は止まらなくて。先生の初めての告白に、俺の胸がぎゅううとなる。もしかして、先生、ヤキモチ焼いてくれました?俺が難波とハグしてるの、嫌でしたか?
耳から入る先生の余裕の無い声が、抱きしめられる熱い温度が、忙しなく響く鼓動がいっしょくたになって俺に愛しさを伝えてくる。ああ、知らなかった。先生だってこんなこと思ってくれるんだ。俺だけじゃなかった。俺だけが先生にトロトロにされてるんじゃないことに、今度はフワフワして。嬉しくて。俺ももっとドキドキして。いつもは広いと感じる先生の背中に、そっと手を回して俺もぎゅうと抱きしめ返した。
そんな俺に先生からほぉっと息が漏れるのを聞いて、俺は気づいてしまった。高槻先生は俺よりも大人で、余裕があって、カッコいい。もちろんそうなのだけれど。
今日初めて見た、ヤキモチ焼きで、実は大人ぶってて、カッコつけてた全部全部。先生って、本当はすごく。
「……可愛い……」
丁度近くにあった耳元に息を吹き込むように囁くと、あんなにきつく交わされていた抱擁が簡単に解けた。薄暗い玄関先でも、紅く染まった耳はいくらそのキレイな手で覆っても隠れていなくて、いつも優しく俺を見つめるその瞳は潤んで溢れそうだ。白い首元は見る影が無いほど真っ赤になっていて、どこか扇状的な雰囲気にクラクラする。
「深町くんの、ばか……」
「ふふ、俺のせいですか?」
「全部、深町くんのせいだよ」
「それは、ごめんなさい」
でも、先生のせいでもあるんですよ?先生があまりにも、可愛すぎるから。先生をもう一度抱きしめるためにどうしたらいいか考えながら、昨日会っていた友人に少しだけ思いを馳せる。
ありがとう難波、作戦は決行しなかったけれど、期せずして可愛い先生を見ることが出来たよ。お礼に今度会ったとき、先生はすごく、すごく可愛い人だって自慢させてくれ。
Fin