イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    我が主と秘密遊戯を(中編)第四章:幸せな愛などない第五章:参加の代償第六章:おいで第四章:幸せな愛などない 主を神隠しした時、鶴丸は激しく責められることを覚悟した。彼女は常に理知的でありたいと思っているようだが、実際は激情家だった。しかし、彼の予想は外れる。始めこそ現世に返せと声を荒げたが、二、三日もしないうちに大人しくなった。
     神域での生活は穏やかで、悪くいえば単調だったが、鶴丸は満足していた。本丸では仕事ばかりしていた主を独占できた。主の隣に座り共に庭の景色を眺めることができたし、彼女が言葉を交わすのは鶴丸だけになった。

     その日、特別な何かがあったわけではない。いつものように庭に咲いていた竜胆を主に渡し、主も礼を言って受け取った。ただその後に遠い目をして庭の池を見つめ、こうつぶやいた。
    「母が嫌いだった」
     神域に連れてきてから、鶴丸は彼女が審神者になった理由を知った。彼女の母は遡行軍に堕ち、犯罪者の娘になった彼女は職を追われ、審神者にならざるをえなかった。鶴丸は黙って主の言葉を受け止めたが、彼女は池を見つめたまま裏切られる前から嫌いだったと言う。

    「『他に依って生き、他の光によって輝く。病人のような蒼白い顔の月である』……昔の女性解放運動家の言葉だけど、母はそんな人だった。自分が輝くのではなく、父や私や弟が輝くことで満足していた」
    「それの何がいけないんだい? 別にきみの母君は、胡坐をかいて楽をしていたわけではないだろう」
     主が生まれ育った時代では、女が外に出て働くのは普通のこととなり、多様な生き方を選べるようになったと聞く。だが自分は影に徹し、家を支える女が無価値だとは彼は思わない。
    「私はあんな隷属的な生き方はしたくなかった」
     けれど、彼の主は真っ向から自分の母親を否定する。

    「自分の価値は自分で勝ち取りたかった。自ら光る太陽でありたかった」
     彼女は池を見るのをやめ、鶴丸へ向き直った。本丸にいた頃の彼女と今の彼女。どちらが美しいかといえば、断然後者だろう。鶴丸の神気を浴びて見目麗しくなったのに加え、上に立つ者として振る舞う必要がなくなったおかげで、女性らしい柔らかさをまとうようになった。
     彼女は美しくなった。けれど……。
    「それなのに、ね。……ふふっ、蛙の子は蛙だ」
     自嘲気味に笑う彼女は、鶴丸の愛した彼女ではなくなっていた。


     灯篭と名乗る娘は、本当に隠される前の記憶がないらしい。初期刀の五人の名を挙げても首を傾げ、それならば短刀をと試してみたがそれも駄目だった。極めつけは一階を探索するうちに流れ着いた建屋で、手伝い札を見つけても手伝い札だとわからなかった。
    「鶴丸さん、あれはなんでしょう?」
     手伝い札のあった場所は彼らがいたのとは別の建屋で、なんの間仕切りもない広い空間に、光沢のある板が敷かれている。手伝い札は壁に設置された底の抜けた網(鶴丸が跳べばぎりぎり届く高さに吊るされている)に留め具で留めてあり、鶴丸は遠目でも手伝い札だとわかったが、灯篭はわからなかった。

     跳んで手伝い札を取り、同時に取れた『手伝い札です。これを使える場所が存在します。』という説明書きを見せても、灯篭の反応は変わらなかった。
    「お札、ですか?」
    「鍛刀はわかるかい?」
    「鍛刀?」
    「……俺たちが戦いで傷ついた時、この札があれば一瞬で直る」
     鍛刀の概念を教えるのに時間がかかると考え、鶴丸は手入れに使う時のことだけ話した。灯篭は感嘆の声を上げ、興味深そうに札を眺めている。

     年はいくつなのだろうか。彼が知る審神者たちと比べれば、ずいぶんと幼く見える。言動が子供っぽいせいもあるだろうが、それでも成人はしていないはずだ。まだ若いのに気の毒に。そう考えたところで、鶴丸は自分の考えが間違っているのに気づく。老いも若きも、神隠しに遭った審神者は皆気の毒だ。
    「これが魂之助が言っていた政府の道具なんでしょうか?」
     札を見ていた灯篭が急に顔を上げ、考えを見抜かれたかと一瞬ひやっとしたが、杞憂だったようだ。
    「かもしれんな」
    「だったら、ここは校長室?」
    「道具があるからといって、校長室とは限らんだろう」
     道具がある部屋は、校長室以外にも七つある。演練で会った他本丸の刀剣男士づてにしか現世の知識を持たない彼には、この場所がどんな名の部屋なのかわからなかった。
     手伝い札を懐に入れ、代わりにタブレットを取り出し地図を開けば、今いる場所の隣に同程度の大きさの建物がある。鶴丸は灯篭を連れ、その場所に行ってみることにした。
     
     地図上では同じ大きさだったが、渡り廊下から見えた建物は、二階建ての小ぶりなものだった。一つの階に六つの扉が付いてあり、台風が来れば吹き飛びそうな簡単な造りである。鶴丸はまた灯篭の様子をうかがったが、鶴丸の──現世を知らない刀剣男士の──反応と大差なかった。
     一番近くの扉を開けてみれば、十二畳ほどの広さに金属でできた長細い箱と、黄色い球が大量に入った籠があった。部屋の奥に進み金属の箱の上段を開けてみたが、洋服や手ぬぐいが押し込められ、悪臭が漂ってくる。すぐに戸を閉め下段を開けたが、こちらは洋服がきちんと折り畳まれて入っていた。悪臭もしない。

    「これはなんでしょうか?」
     灯篭は黄色い球が入ったのとは別の籠から、丸い網に棒がくっ付いた物を引っ張り出し、網の部分を指で弾いた。
    「それはもしかしてあれじゃないか? それでハエを叩くとハエが雷に打たれて死ぬという」
    「言われてみれば、指がしびれる感覚がしました。すごい」
     鶴丸は金属の箱の中身を順番に確認していくが、遊戯に役立ちそうな物は見当たらない。本当は箱の中に手を突っこみ、中を探るぐらいするべきなのだろうが、彼はそこまでするほど政府の道具に興味はなかった。

    「鶴丸さん」
     呼ばれて振り返れば、いつの間にか廊下に出ていた灯篭が手招きをしている。鶴丸は手を止め彼女の元に行くが、灯篭は廊下の奥を指さした。指の先にいたのは、豊臣秀吉の愛刀である一期一振。彼は鶴丸と目が合うと頭を下げ、二人の方へ近寄ってきた。
    「きみも参加していたのか」
    「はい。そちらの女性は鶴丸殿の奥方ですか?」
    「違う。彼女は青江が隠した審神者だ」
    「それは失礼いたしました。お似合いでしたので、てっきりそうかと」

     伴侶を間違えられても、鶴丸は怒る気がしなかった。一期が間違えるのも無理はない。瞳の色を除けば、髪の色から服の色まで、彼らはよく似ていた。
    「この人も刀剣男士なんですか?」
     一期の手にある刀を確かめてから、灯篭が聞いてくる。一期が不審がっているのが雰囲気で伝わってきたので、鶴丸は灯篭に答えるより先に一期に説明をした。
    「彼女は神隠しされる前の記憶がないんだ」
    「なるほど」
     鶴丸同様、一期も彼女の記憶が消されたことに驚きはしない。彼は胸に手を当て、灯篭へお辞儀をした。

    「私は、一期一振。 粟田口吉光の手による唯一の太刀でございます」
    「灯篭です。初めまして」
    「初めまして、ではないでしょうな」
    「え?」
    「いえ、貴方は霊力の高い方のようですから。きっと貴方の本丸にも私はいたでしょう」
     困ったように眉を下げる灯篭を見て、くすりと一期が笑う。そして、ところでと言い話を変え、灯篭に自分の審神者について聞いた。
    「貴方は私の妻の離脱条件をご存じありませんか?」
    「お名前は?」
    「私の元の主である豊臣秀吉の紋を取って、ここでは太閤桐と名乗っているようです」
    「あの……」
     灯篭が目で助けを求めてくるので、鶴丸は蜂須賀と会った時のことを思い出し、思わず苦笑した。

     彼らが行動を共にすることになってすぐ、中庭の近くで蜂須賀と出会った。彼は一期と同じように灯篭を鶴丸の審神者と勘違いし、そして自分が隠した徳島という審神者の離脱条件について尋ねた。
     鶴丸も灯篭も持っているのは別の審神者だと言ったが、蜂須賀はその審神者でいいから教えてほしいと粘った。彼は蜂須賀の行動に違和感を覚えたが、灯篭は自分のタブレットを蜂須賀に差し出した。
    「よろしければどうぞ」
    「タブレットを簡単に見せるなと言っただろうが!!」
     鶴丸があまりに怒るので蜂須賀が仲裁に入るという、よくわからない事態になってしまった。鶴丸が叱った理由を真に理解しているかは疑わしいが、蜂須賀の時のことを思えば褒めてやるべきだろう。鶴丸はぽんぽんと灯篭の頭を軽く叩くと、一期との間に割って入った。

    「生憎、きみの審神者の条件は知らないぜ。俺と彼女が知っているのは、髭切と長船だ」
     偶然にも、彼らが離脱条件を知る参加者は共通していた。鶴丸は長船の勝利条件と髭切の敗北条件、灯篭は髭切の勝利条件と長船の敗北条件を与えられた。ただ離脱条件の中身については、互いに教えてはいない。
    「その言葉、信じでもよろしいのですかな」
    「信じる以外、きみに手はないぜ。それともやるかい?」
     柄に手をかけ挑発するが、一期は乗らなかった。女性の前で刀を振るうべきではないですぞと諭される。さすが太閤殿の刀だなと嫌味を言ったが、一期は否定せず、軽く会釈をして鶴丸たちの横をすり抜けようとしたが、鶴丸は一期の肩を掴んで止める。
    「俺たちにだけ言わせておいて、自分は何もなしかい?」
    「勘違いしないでください。私が持っているのは、長谷部殿と友切という名の審神者のみ。貴方方のお役には立てません」

     鶴丸の手をやんわりとどけ、一期は鶴丸でなく灯篭に向け、にっこりと微笑む。
    「お詫びではありませんが、一ついいことを教えてさしあげましょう。この建屋を探しても何も出てきませんぞ。面妖な物ばかりで、政府の用意した道具らしき物はありませんでした」
    「ありがとうございます」
    「いえいえ。では」
     一期はまた灯篭にだけ笑顔を向け、渡り廊下へと歩いていく。その背を見送った後、なあと鶴丸が灯篭に呼びかけた。
    「一期は面妖と言ったな」
    「はい、言いました」
    「気にならないか?」
    「鶴丸さんもでしたか」
     二人は顔を見合わすと、新しい部屋の扉を開けた。常に驚きを求める鶴丸と、遊戯を社会勉強と思っている灯篭は相性が良かった。


     一期が勝利したと放送で流れてきたのは、二人が二階の部屋を探している時だった。灯篭に木刀を持たせ鶴丸が指導しているところに、魂之助が現れて参加者一覧の自動反映について説明した。
    「おい、なんで長谷部と友切の情報が増えているんだ?」
    「貴方が離脱した刀剣男士の最も近くにいた刀剣男士だったからです」
    「私は一期さんと太閤桐さんしか反映されてないよ?」
    「貴方は一期一振の近くにはおりましたが、太閤桐の近くにはいませんでした。太閤桐の持っていた離脱条件は、他の審神者に譲渡されたのですよ」
     離脱者からの離脱条件の譲渡についても魂之助は説明したが、鶴丸は難しい顔をしてタブレットをにらんでいる。灯篭が黙りこんだ鶴丸を見てどうしたんですか? と尋ねると、鶴丸はいやと言いかけた後、そうだと言い直した。

    「ただ待っているのではつまらない。きみ、彼女に神隠しについて教えてやったらどうだい?」
     彼らへの遊戯の説明は終わっていたが、他の参加者の説明に手間取っているらしく、遊戯はまだ再開されない。
    「遊戯開始前に、最低限のことは教えたと聞いておりますが」
    「そうか?」
    「……」
     鶴丸と魂之助がそろって灯篭を見る。しかし、その視線の意味を灯篭は理解していないようだ。魂之助はわかりましたと特別講義を行うことを了承した。

     魂之助は灯篭を近くにあった折り畳み式の椅子に座らせると、まずは基礎的なことから教えていく。審神者とは、刀剣男士とは、時間遡行軍とは、戦争の意義とは。堅苦しい語り口ではあるが、簡潔明瞭な説明だ。灯篭もうんうんと頷き、今のところ理解できているようだ。
    「さて、神隠しについてですが、『刀剣男士が審神者を自分の神域に引き入れること』と定義されています。神域、貴方がにっかり青江と暮らしていた場所ですね。先ほども申し上げましたが、刀剣男士は自身の所有者である審神者を尊重しますので、このような蛮行は通常ありえません」
    「きみは怖いものなしだな」
     鶴丸が茶々を入れるが、魂之助は無視を決めこむ。

    「しかし、残念ですが何事も例外があるのです。神格でいえば刀剣男士の方が審神者より上ですから、審神者を自身の神域に引き入れることは、実は容易いことなのです。しかし、政府は審神者のために万全の対策を取っています」
    「万全の対策なら、なんで彼女はここにいるんだ」
    「マニュアル整備に、定期的な教育の実施。本丸にはこんのすけを配備し、審神者に適切な指示を与えます。また、本丸の整備にも力を入れ、緊急時には審神者のみ利用できる緊急避難ゲートを展開いたします」
    「きみは政府の広報か」
    「えっと、なんとなくはわかったんだけど。質問してもいいかな?」
    「はい、なんでしょうか?」
    「刀剣男士と審神者が……」
     しかし、魂之助は灯篭の話を途中で止めてしまう。
    「全参加者の説明が終わったようです。私はこれで失礼いたします」

     ご健闘をお祈り申し上げますと言い残し、魂之助は消えた。ようやく自由に動ける段階になったところで、鶴丸はこれからどうするかを決めていないことに気づく。建屋の残り一部屋は見るとして、その次をどうするかだ。
     二人は鶴丸のタブレットで地図を見ながら、次に行く場所を相談した。地図に部屋名は表示されないので、道具のある部屋を探すなら手当たり次第見てまわらないといけないが、灯篭は四階のある場所を指さす。
    「ここ気になりません?」
     彼女が指さしているのは、四階の北側にある部屋だ。二階から四階の作りはほぼ同じなのだが、四階だけ北側の部屋が異なっている。二階と三階は廊下を挟んで向かい合うように二部屋存在しているが、四階はその部分がまとまって一つの部屋になっている。他と違うということは、それだけ驚きが待っている可能性がある。鶴丸は彼女に同意し、残り一部屋(空き部屋だった)を早々に切り上げると、四階に行くため元いた建屋に戻った。

    「あの男! 次こそは首をはねてやる!!」
     階段を上がろうとしたところで、物騒な叫びが聞こえた。鶴丸は灯篭を階段前の厠に隠れさせてから、声の主であろう歌仙が見える場所まで近づいていった。彼は鶴丸と灯篭が最初に会った場所に立っており、その傍らには蜂須賀もいた。
     殺気立って冷静さを失っているように見えるのに、何故か刀を構えた格好のまま微動だにしない歌仙と、それをなだめる蜂須賀。理解できない光景に、驚きだぜと鶴丸はつぶやいた。
    「そんな短気を起こしては元も子もないだろう」
    「間男を前にして、首をはねない方がどうかしている! 主も主だ! 僕というものがありながら、男を見る度に……ああっ!!」
    「落ち着くんだ。きみの気持ちはわかるが、きみの条……」
     鶴丸はそっとその場を離れ、見つからないうちに上の階に逃げることにした。隠れていた灯篭に声をかけると、行かなくていいのかと目で問われたので、あれは俺の求める驚きではないと答えた。

     まずは鶴丸が先に進み、灯篭はその後ろに続く。しかし二階の踊り場に差しかかったところで、鶴丸は手を横に広げ歩を止めた。そして彼女が声を発する前に、口の前に人差し指を立て黙らせる。
     男の声と足音が聞こえた気がしたのだが、耳を澄ましても何も聞こえてこない。聞き間違いだったのだろうか? 遊戯に参加してから、何故か思うように偵察ができないでいる。だが少しすると、階段を下りる音が聞こえ、上から男の声が降ってきた。
    「な~んだ、鶴丸じゃん」
     見上げれば、優男が手すりを乗り出しこちらを見ている。年は灯篭より上に見えたが、鶴丸の主よりは十近く下だ。二十代前半だろう。明るい色の髪を後ろで一つにくくり、人好きのする笑みを浮かべている。
    「ちょっと主!」
    「そんなに警戒すんなって。鶴丸だよ?」
    「僕たちが知ってる鶴さんとは別人なんだよ!?」
     姿は見えないが、聞こえてくるのは燭台切の声で間違いない。鶴丸は無意識のうちに柄に触れていた右手を、下に垂らした。

     その間に上階にいた男が下りてきて、やや遅れて燭台切もやって来る。燭台切は男を追いかけて、といったところか。男は鶴丸と灯篭を見比べ、ほらと燭台切を肘で突いた。
    「鶴丸もオレたちと同じクチだよ」
     燭台切に笑みを見せると、男は鶴丸たちに向き直り自分の遊戯者名を名乗った。
    「オレは長船。で、見ればわかるだろうけど、こっちは燭台切光忠。オレたち、友切って審神者を探してるんだけど、二人とも会わなかった?」
     長船という名を聞き、鶴丸の背に緊張が走る。彼は長船の勝利条件を知っており、灯篭にいたっては敗北条件を知っている。また右手が柄に伸びたが、灯篭は自分の身を心配するより先に、友切のことを気にした。

    「友切さんをどうするつもりですか?」
    「あっ、危害加えようとかは全然ないから! むしろ逆。オレは光忠に負けたいから、友切には勝ってほしいんだよね」
    「負けたい?」
     長船はあっさりと言ったが、鶴丸からすれば聞き捨てならない台詞だった。長船の後ろで会話を聞いていた燭台切が、困ったような顔をして頬をかいた。
    「信じられないかもしれないけど、僕は合意のうえで主を隠したんだ。この遊戯に参加したのは、永遠に共に生きるため。それで主が負けるためには……」
    「おいおい待て待て。俺に理解する時間をくれ」
     燭台切の話を途中で遮り、わかりやすいように額に手を当て首を横に振る。燭台切にはそれだけで十分だった。燭台切が黙っていてくれる間に、鶴丸は考えを整理し、つまりはと切り出した。

    「信じがたいことだがきみたちの目的は同じで、きみたち二人の幸せな未来のためには、友切に関する情報がほしい。……これでいいか?」
    「そのとおり! いや~さすが鶴丸、 頭が柔軟な伊達男!」
    「主、もっと危機感持って……」
     どうやら燭台切の主は、調子に乗りやすい性格のようだ。何をしでかすかわからない危うさがある。灯篭の様子をうかがうが、彼女は何故か浮かない顔をしている。審神者だった時も、こんなに考えていることが表情に出ていたのだろうかと鶴丸は思う。
    「友切さんに勝ってほしいって言われましたよね?」
    「そうそう、俺たちは審神者の味方だから!」
    「もし友切さんが神域に帰ることを望んでいたら、どうするんですか?」
    「そんな審神者いないさ」
     灯篭の疑問を即座に切り捨てた鶴丸を、彼女は驚きと悲しみが混ざった顔で見てきた。鶴丸は彼女の視線に耐えられず、顔を逸らした。

    「友切の勝利条件は『自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く』。髭切の敗北条件は『審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する』。まったく、きみたちは運がいいな。髭切の勝利条件は彼女が持ってるぞ」
    「……」
    「審神者に協力するんだ。言っていいぞ」
     安易に離脱条件を口にするなと言った鶴丸が、今度は教えてやれと言う。灯篭は戸惑いを隠せずにいたが、長船にお願いと両手を合わされ、髭切の勝利条件を告げた。
     『自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない』。側で聞いていて、鶴丸は髭切の勝利条件が自身のではなくて良かったとつくづく思う。髭切の条件の場合、真に合意しなくても言葉巧みに罠にはめればいいのだろうが、彼の抜け目ない主に通用するとは思えなかった。

    「その条件、本当なの?」
    「信じるか信じないかは、きみたち次第さ」
    「疑り深いな光忠は」
     たまたま遭遇した参加者が友切に係わる離脱条件を三つも持っていれば、燭台切のようにいぶかしむ方が普通だ。しかし彼の主はケラケラと笑い、燭台切の肩を叩く。
    「二人はオレたちと違って、条件緩いんだからさ。嘘吐く必要ないだろ」
    「そうだけど」
    「もういいかい? 俺たちは先を急ぐんでな」
     行くぞと鶴丸が灯篭の手首を掴み、階段を上っていく。灯篭は長船たちの横を通りすぎる際軽く頭を下げ、長船はそれに手を振って返す。君もがんばってねと声をかけたのは、燭台切だった。

     四階に着いて長船たちの気配がしないのを確認し、鶴丸はようやく灯篭の手を離した。平静を装っていたが、長船たちと話していた時は内心生きた心地がしなかった。緊張から解放され、彼はどっと疲れが押し寄せるのを感じた。
    「あの……」
    「おっと、すまん」
     灯篭は掴まれていた手首を擦っている。軽く握っただけのつもりだったが、思ったより力が入っていたのかもしれない。そもそも、安易に女性の体に触れるべきではなかった。

    「合意のうえで隠された審神者というのは、そんなに珍しいんですか?」
     灯篭の赤い瞳が、じっと鶴丸を見つめている。違うと言ってほしいのだと、すぐにわかった。きっと魂之助にも同じことを聞こうとしたのだろう。だが、鶴丸は酷だとわかっていても嘘は吐かなかった。
    「ああ。さっきの光坊の審神者くらいのもんだ」
    「蜂須賀さんと、一期さんの審神者も?」
    「ああ。一期の審神者はさぞや無念だったろうな」
    「貴方の、審神者も?」
     
     ──野心家の私が好きだというなら、どうして放っておいてくれなかった?

     頭の中で、主の声が蘇る。彼女が泣いたのは、後にも先にもあの時だけだ。
    「……ああ。俺が無理に隠した」
     間違った方法だと知りながら、それでも彼女が欲しかった。


     四階の北側には屋上に続く階段があり、屋上には大きな水桶があった。ここが水泳プールか、その大きな水桶を見て鶴丸は思った。プールなる言葉の意味は知らないが、人が泳げるほどの大きさだったからだ。
     屋上に着くまで空気が重かったが、屋上に本丸の池より遥かに大きい桶があることに、二人の気分は高まった。桶の水を手ですくって遊んでみたり、水泳の補助道具を使ってみたりして堪能したが、政府の道具らしき物は見つからなかった。気づけば遊戯開始から六時間経っていたので、他の参加者が持っていった後だったのかもしれない。
     
     屋上を後にすると、彼らは四階の東にある部屋に向かった。二、三階と同じ造りではあるが、東には他の部屋を二つから三つほど合わせた広い部屋がある。
     部屋の戸を開けて飛びこんできたのは、所狭しと並べられた本棚であった。本棚には『哲学』や『芸術』などと書かれた札が貼ってあり、部屋の奥を見れば長机が置かれていた。図書室でしょうか。灯篭のつぶやきに返事はしなかったが、鶴丸も同じ考えだった。
    「こんなにいっぱい本があると、どれから見ればいいかわかりませんね」
    「一冊ずつ見ていたら日が暮れるな」
     本棚の間を歩いていくが、あまりの本の多さに手に取る気さえ起きない。『人をおちょくる328の方法』という題目を見つけた時は足が止まったが、それも一瞬で、すぐにまた視線のみで道具を探す作業に戻る。

    「(『人を驚かす328の方法』なら迷わず読むんだが)」
     彼は驚きを求めているのであって、決して人をおちょくりたいわけではない。本棚の間を歩くうちに、長机が置かれた空間に出てきた。本を読むための場所と思われるが、長机の奥には半円の形をした変わった机があった。机上に何もない他の机とは違い、筆立てと花が活けられた花瓶、『返却日 1月1日(月)』と書かれた案内板、そして厚さ七、八センチある三冊の本が、等間隔に並んでいる。
     本の表紙には、いずれも『参加者Aの日記帳です。限られた者だけが読むことができます』と書いてあり、図書室に用意された政府の道具だとわかった。鶴丸が右端の日記帳を手に取ると、手に金属の粉がついた。日記帳に錠が付いていたのかもしれないが、それらしきものは近くになかった。

     『誰か』が日記帳の錠を壊して残骸をどこかに隠し、『誰か』が他の参加者が見つけやすいように三冊の日記帳を机の上に並べた。ちぐはぐな行動に違和感を覚えつつも、彼は日記帳を開いた。

    『○月×日 こんのすけに日記を書いたら文字の練習になりますよと言われたので、日記を書く。でも青江には見せちゃいけないし、日記を書いてることも言ったらだめだって。でも日記に書くのは、青江に見られてもいいことだけにしなさいだって。変なの。』

     表紙をめくり一頁目に書かれていたのは、子供特有の均衡の取れていない文字だった。平仮名や片仮名だけでなく漢字も使われているが、漢字は特に歪な形をしている。鶴丸の手元をのぞきこんだ灯篭が、ある文字を見つけ、ぽつりとつぶやく。
    「青江……」
    「どうやら子供の審神者が書いた日記のようだな」
    「こんのすけって、あの魂之助ですか?」
    「本丸にいるのはあれの色違いだ」
     灯篭は鶴丸の言葉を聞き納得したようだが、答えた彼自身は納得していなかった。現行の審神者制度において、子供の審神者は存在しない。審神者になれるのは十五以上になってからだと、彼の主は話していた。しかし、『こんのすけ』と『青江』という言葉がある以上、文字の練習をしないといけない幼子が審神者になったとしか考えられない。

    「(彼女も字が下手だが、あれは大人の字の下手さなんだよな)」
     角張りすぎていて、書くうちに左に下がっていく主の字と頭の中で比較するが、日記に書かれた字の下手さは種類が違う。鶴丸は持っていた日記帳を灯篭に渡し、自分は左端にある真ん中から半分が引き千切られた日記帳を取った。

    『△月○日 鶴丸が折れた』

     表紙をめくって早々、衝撃的な言葉が飛び込んでくる。自分ではない別の鶴丸とわかっていても、やはり心中は複雑だ。表紙を見る限り、三冊とも参加者Aの日記のようだが、鶴丸が今手にしている日記は流麗な字で書かれている。

    『△月○日 鶴丸が折れた。鶴丸ならすぐに呼べるけど、次は気をつけよう。 白刃隊:青江、鶴丸、兼定、江雪、獅子王、石切丸』
    『□月×日 御手杵が折れた。御手杵が帰ってくるまでは、雪の景観にするのはやめる。帰ってきたら、また一緒に槍兵の雪だるまを作ろう。 白刃隊:青江、太郎、蛍丸、一期、御手杵、蜻蛉』
    『□月□日 蜻蛉が折れた。またいなくなるなんて寂しい。 白刃隊:石切丸、青江、岩融、宗三、一期、蜻蛉』
    『×月○日 鶯丸が帰ってきた。鶯丸は記憶が戻る前と戻った後での差があまりない。でも早く思い出してほしい。 白刃隊:太郎、燭台切、宗三、江雪、三日月、一期』
    『○月○日 安定が折れた。二人で加州を待とうって約束したのに。残念だ。 白刃隊:青江、安定、次郎、兼定、三日月、一期』

     日記には日常の他愛ない出来事も書かれているが、その中に混ざって刀剣破壊の事実が、同じ調子で書いてある。戦っている以上折れることは皆覚悟しているが、それにしても日記の持ち主の本丸は折れすぎだ。嫌悪感を抱きながら頁をめくるが、とある年の元日の日記を見て彼の手は止まる。

    『1月1日 せっかくのお正月なのに、青江のせいで台無しだ。今年こそは加州を呼ぼうと意気込んでいたら、青江に頬を引っ張られた。 「にっかりと笑う門には福来る、だよ。うさぎさん」 皆の前でうさぎって呼ぶのはやめてって言ってるのに。』

     『うさぎ』と書かれた部分に指をはわす。灯篭は最初なんと名乗った? 自分の名は『主』、もしくは……。
    「鶴丸さん、ひどいですよ」
     鶴丸は顔を上げるが、彼を非難した当人は日記に視線を落としたままだった。彼女は日記帳を読み上げる。
    「『×月×日 血で服が赤くなった鶴丸が、紅白になってめでたいだろうと言った。血は嫌い。すぐに手当した』」
     そこで灯篭も顔を上げるが、子供相手に何をしてるんですかと鶴丸の行動に苦笑する。とても刀剣を何本も折った審神者には見えなかった。鶴丸は灯篭が見ている頁を見てみるが、多少成長していてもやはり子供の字のままだった。
    「……すまないが、少し貸してくれないか?」
    「ええ、どうぞ」
     灯篭から日記を借りると、最初の頁から順にめくっていく。中身は読まず字の移り変わりだけ追っていき、最後の頁まで行ったところで、手をつけていない真ん中の日記帳を開ける。彼が今見ている頁と新しい日記の最初の頁の文字が同じであることを確認すると、彼は二冊目の日記の文字を見ていく。そして二冊目も最後まで見、彼が先ほどまで読んでいた日記の一頁目を開いた。

     鶴丸は日記の空白頁の一部を千切ると、筆立てから取った鉛筆と共に灯篭に渡した。
    「これに『鶴丸』と書いてみてくれ」
     他人の日記を破いた鶴丸に物申したいようだが、彼の真剣な面持ちにそれもできず、彼女は渡された切れ端に『鶴丸』と書く。鶴丸はその紙切れを取ると、日記帳の一頁目を再度開き、一頁目の上に紙切れを乗せた。灯篭の書いた『鶴丸』と、日記にある『鶴丸』の字は、とてもよく似ていた。


     これはきみの日記だと言っても、灯篭は信じなかった。しかし日記の字は彼女の字とそっくりなこと、青江にうさぎと呼ばれていること。うさぎと呼ばれるような白子の審神者はめったにおらず、参加者の日記帳とうたわれている以上、灯篭以外はありえないと言えば、ようやく自分の日記だと認めた。だが、その反応は鶴丸が予想していたのとは違った。
    「青江ってば、いつも私のこと子供扱いするんですけど……。青江の中で私は、子供のままなのかもしれませんね」
     灯篭はそう言ってはにかんだ。鶴丸の中でますます、刀剣を何本も折った審神者と彼女が結びつかなくなった。

    「私はここで日記を読んでいきます。時間がかかると思いますから、ここでお別れしましょう」
     別行動を提案されたが、彼はいいやと断った。
    「俺はかまわんさ。きみが日記を読んでいる間、俺も気になっていた本を読もう」
    「いいんですか?」
    「言っただろう。きみを一人にすると、俺の心の臓に悪い」
     気になっている本などなかったが、印象に残っていた『人をおちょくる328の方法』を取りに向かった。

     本を手に戻ってくると、灯篭は椅子に座り日記を読んでいた。彼女が頁をめくる速度は遅く、時に前の頁に戻って読み直しもする。鶴丸は彼女の隣の椅子に腰かけ、本を読むふりをしながら灯篭の観察を続けた。
     彼女は穏やかな顔をして日記を読んでいるが、時折眉根を寄せたり小さな笑い声を漏らしたりする。彼女がそんな反応を示す箇所に、誰のことが書いてあるかは察しがついた。青江だ。彼女は青江の話をする時、とても幸せそうな顔をする。眉根を寄せた時でさえ、彼女の横顔はその時の面影があった。
     うらやましくないといえば嘘になるだろう。彼の主は、決して灯篭のような顔を見せない。だが、今彼が気にすべきはそこではない。日記を流し読みする際、何度か『折れた』という文字を見たが、彼女の顔はやはり穏やかなままだ。
     審神者は刀剣を物でも神でもなく、人として接してしまう傾向があると聞く。だから油断をして神隠しされるし、刀が折れれば人が死んだように悲しむ。それが理想の姿だとは思わないが、彼女の反応はあまりに淡泊すぎた。記憶がないからといってしまえばそれまでだが、審神者ならば何かしら琴線に触れるものがあるのではないか。

     彼女は長い時間をかけ一冊目を読み終え、続けて二冊目、三冊目へと進んでいく。三冊目冒頭の鶴丸が折れたと書かれた頁を見ても彼女は平然としており、どんどん先へと読み進めた。
    「……」
     このままの調子で終わるのかと思ったが、三冊目の途中で彼女の手が動かなくなった。それまでも何度か手を止め読みふける時はあったが、今回は時間が長すぎる。それに表情もおかしかった。同じ驚いているのでも、良い驚きと悪い驚きとでは表情が異なるが、今の彼女は後者の顔だった。
    「どうした?」
     気になって声をかければ、大げさなほど灯篭の体が跳ねた。そしてそれをきっかけに、鬼気迫る様子で頁をめくっていく。頁が引き千切られる手前まで行くと、そこで日記は終わったのだろうか。頁の端を持ったまま、また動かなくなってしまった。

     いや、彼女は小刻みに動いていた。震えているのだ。青い顔をして、泣きそうなのに泣くこともできず。
     安易に女性に触れるべきではなかったと反省した鶴丸だったが、傷ついた子供を前にして放っておくことができず、心の中で青江に謝りながら灯篭を胸に抱き寄せた。
    「まずは深呼吸をしよう。吸って……吐いて……吸って……。大丈夫だ、大丈夫だから」
     灯篭は鶴丸の言葉に素直に従うが、次第にしゃくりあげる声に変り、鶴丸にしがみつく力も強くなった。鶴丸は灯篭の背中をさすり、彼女が落ち着くまで待った。
    「私が」
     か細い声が聞こえる。
    「私が青江を殺したって」
    「『殺した』?」
     何振りも刀が折れている彼女の本丸で、今更青江が折れていても驚きはしないが、彼女が『殺した』と表現したのが気になった。彼女は日記の中で、刀剣破壊を『死んだ』ではなく、『折れた』と書いている。

    「青江だけじゃない、いろんな人を殺してる。知らなかったって書いてあるけど、それにしたって……!」
    「なあきみ、俺も読んでいいかい? 何か助言ができるかもしれん」
     空いた右手で机の上にある日記帳を指せば、灯篭は頷いた。左手で灯篭を抱きしめ、右手で日記をめくっていく。最初の方は飛ばし、日記の持ち主がうさぎと呼ばれていることがわかった元旦の頁から読み始める。相変わらず日常の描写に混ざって刀剣破壊も記されているが、日記の調子が変わったのは一年後の一月からだった。

    『1月××日 どうしてあんなことをしたのだろう。何故こんのすけの言うとおりにしてしまったのか。青江が私を隠そうなんてするはずない。それなのに、どうして私は青江でなくこんのすけを信じてしまったのか。いくら後悔したって全部手遅れだ。青江はもういない、私が殺した』

    『1月×△日 石切丸に死にたいと零したら、鍛刀でまた青江を呼べばいいと言われた。石切丸の言うとおりだ。なんで今まで気づかなかったのだろう。他の皆と同じように、新しい体を、帰ってこられる体を作ればいい』

    『2月○日 出陣の指揮は石切丸に任せて、鍛刀を繰り返した。来たのは大太刀や太刀ばかりで、打刀すら来なかった。こんのすけはにっかり青江が来たとしても、来るのは別の分霊だと言うが何を言っているのだろう。青江も他の皆みたいに帰ってきてくれる。青江に会いたい。またうさぎさんと呼んでほしい。今となっては何故あんなにうさぎと呼ばれるのが嫌だったのかわからない』

     続きを読むうちに、鶴丸は何故彼女が折れたという表現を使っていたのかを知る。彼女は鍛刀でできる刀を単なる依代と思い、降りてくる分霊はすべて同じだと考えていたようだ。だから刀は折れても、死にはしない。新しい体(刀)さえあれば、魂は戻ってくると思っていたのだ。
     だが、刀は分霊を降ろすための依代であることは確かだが、依代により分霊の性質は異なってくる。いくら同じ刀の依代を作ろうと、違う依代である以上降りてくるのは別の分霊だ。
     ここでようやく、彼の中で日記の持ち主と灯篭が結びついた。彼女の中で手入れと鍛刀は同意語だったのだ。彼女は罪の意識がないまま、罪を犯し続けていた。


     九年近く審神者をやっていながら、その認識の間違いを正してくれる者はいなかったのか。その疑問もすぐに解消された。灯篭は一月半の間すべての任務を放棄し、鍛刀を繰り返した。その結果青江を呼ぶことに成功したが(彼女の霊力は強いが偏りがあり、脇差や短刀が呼びにくいようだ)、新しく来た青江の行動に違和感を覚える。
     疑念に駆られた彼女は蛍丸を問いつめ、同じ分霊は二度と現れないことを知る。刀剣を折ってしまった彼女を傷つけないよう、皆一振り目を演じていたのだ。彼女がその演技に気づかなかったのは、最古参の青江が演技の仕方を教えていたから。彼だけが灯篭が審神者になった直後から本丸に存在し、唯一折れていない刀だった。けれど青江が折れた今、彼の演じ方を教えられる者は誰もいない。
     最後の日記は日付も書かれておらず、識別が難しいほど乱れた文字が並んでいた。

    『みんな私をだましたんだ 私をだました みんなちがう みんなして私をだました いったい私は今までなんにん』

     頁が途中からなくなっているのは、灯篭が感情のまま引き千切ったのだろう。鶴丸は日記を閉じ、灯篭の頭をポンポンと軽く叩いた。
    「私、この後どうしたんでしょうか」
     日記を見つめたまま灯篭が言う。だが、鶴丸に答えてやることはできない。彼女が真実を知った後、何を考えどう行動し、そして何故神隠しされたかは知る術がない。
    「青江は私のことをどう思ってるんでしょう」
    「どうしてそんなこと聞くんだい?」
    「この遊戯に参加する時、好きにすればいいって言われました。小屋の外に出たくなったら出ればいいって。……みんなを殺した私のこと、本当は嫌いだったのかな」
     にっかり青江という刀は得てして考えが読めないが、彼にも一つだけ断言できることがあった。
    「好いていない女を隠すやつなんていないさ」
    「……」
    「嫌がらせで神隠しする馬鹿はいない。きみを隠した青江はきみのことを好いている、それだけは確かだ」
     鶴丸は言葉を続けようとしたが、それを遮るように二組目の離脱を告げる放送が流れた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士7の髭切の勝利。審神者7の友切、敗北です」
     
     鶴丸は灯篭の体を離し、懐からタブレットを取り出す。参加者一覧を開くが、今回は二人の勝敗の他に参加者の情報は増えていなかった。
    「(友切が隠されたとなると、光坊たちがどう動くか)」
     まだ時間があるとはいえ、長船の勝利条件は『遊戯開始から28時間が経過する』。時間切れになる前に、なんらかの手を打ってくるはずだ。自分の主に害が及ばないことを祈りながら、彼はタブレットをしまった。
    「貴方は」
     鶴丸がタブレットをしまうのを見届けてから、姿勢を正し灯篭が聞いてきた。
    「優しくて親切な人です。友切さんのことも助けようとしました。それなのに、どうして好きになった人を無理に隠したんですか?」
    「おいおい、あまり買いかぶるな。俺はそんな善人じゃ……」
     茶化して終わらせようとしたが、泣いた跡の残る顔を見て思い直す。このまっさらな少女が自分と主の話を聞けば、一体なんと言うだろう。自分を非難するだろうか、それとも同情するだろうか。そこまで考え、彼はいいやと心の声を打ち消した。単に吐いて楽になりたいのだ自分は。
    「少しばかり俺の話を聞いてくれるか?」
     悪い男に捕まった少女に申し訳なく思いながら、鶴丸は彼が顕現された日のことを話し始めた。先ほど見たタブレットでは、遊戯開始からまだ九時間しか経っていなかった。時間は十分残っている。


     俺みたいなのが来て驚いたか。どこの本丸の俺も、審神者に呼ばれた時はこう言うらしい。だが内心、俺は新しい主になる女を見て驚いていた。見た目は普通の女だ、絶世の美女でもなければ醜女でもない、ごくごく普通の女だ。
     けれど、その魂は女とは思えない色をしていた。俺が見てきた歴代の主に似ている……と言ってもきみにはわからんか。
    「ようこそ我が本丸へ。鶴丸国永、遡行軍との戦いのため私に力を貸してください」
     言葉と振る舞いこそ丁寧だったが、神に対する畏敬の念は微塵もない。気位が高いやつなら無礼だと憤るかもしれんが、俺は面白いと思った。
    「任せておけ。驚きの結果をきみに与えよう」
     この風変わりな女の下なら、驚きに満ちた日々が送れるとワクワクしたもんだ。

     彼女の元で戦うのは楽しかったよ。結果さえ伴えば、俺たちの好きにさせてくれた。だが、彼女は血を求める刀の本能は満たしてくれても、主を求める本能は満たしてくれなかった。いつも気を張って隙を見せず、仕事以外で俺たちと触れ合おうとはしない。
     後から聞いた話だが、彼女は審神者になる前、政府の役人だったらしい。他の本丸での神隠しを多く見てきたから、刀剣男士は信用してはいけないと思っていたようだ。……ま、その考えは間違っちゃいないがな。
     本丸の中には、諦めて彼女が強いる関係を受け入れたやつもいたが、俺は嫌だった。戦場での驚きも結構だが、俺は主から驚きを得たかった。自分と異なる存在であればあるほど、受ける衝撃も強くなるだろう? この主なら最高の驚きを与えてくれると思ったんだ。

     きみ、くらっかーは知っているかい? 円錐の形をしていて、頂点に紐が付いているんだ。その紐を引くと景気のいい音がし、紙吹雪が舞う。演練で会った他の本丸の俺にもらったことがあってな。物は試しと、主に使ってみたんだ。
    「主」
    「なんでしょう?」
    「人と話をする時は、顔を見て話すのが礼儀だぜ」
    「……失礼いたしました」
     俺はその時近侍で──側仕え、ならわかるか?──、仕事をする主の後ろに控えていたんだが、彼女が後ろを向いた瞬間、くらっかーを鳴らした。いやぁ、彼女いい顔してたぜ? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔して。俺が『どうだ、驚いたか?』と言うまで、呆気に取られていた。

     いつもの気張った顔と比べれば、間の抜けた顔だったんだが、俺にはよほどそちらの方が好感を持てた。化粧でごまかされていたが、よく見れば童顔なんだなと思いもした。
     彼女はすぐいつもの顔に戻って、仕事の邪魔をするなら部屋に帰れと怒った。その場は謝って事なきを得たが、どうしてもまたあの驚いた顔が見たくなってな。それからは廊下の曲がり角に隠れて驚かしたり、松の木に登って二階の執務室の窓が開くのを待ってみたり。いろいろな方法を考えては試してみた。
     やればやるほど彼女が驚くことは少なくなったが、それでも繰り返し続ければいつかは俺の好きな顔を見せる。それが嬉しくて、また策を練った。

     だがそのうちに、彼女が心配になってきた。いつ見ても彼女の顔色は悪かった。初期刀の蜂須賀に言えば、あれだけ働いて顔色がいい方がおかしいと返されたな。他にも『刀の俺たちより寝る時間が短いとか信じられない』とか、『虎徹の真作である俺をもっと頼るべきだ』とかも言っていたな。
     俺はそれまで彼女の寝室の灯りが一晩中点いていても、暗いと寝られないなんて可愛いところもあるんだなと、のんきに考えていた。一晩中明るいのは、寝室に書類を持ち込んで仕事をしていたからだと初めて知ったよ。

     機会を見つけては、俺も休むように注意したんだが、お気づかいなくでいつも流されてしまう。本人は気づいていないようだが、彼女は思っていることが顔に出やすいんだ。俺が注意する度に、顔にうっとうしいと書いてあって。こっちは親切心で言っているのに、そんな態度を取られては腹も立つだろう。
     俺の怒りはついに爆発した。その日は三日月のじいさん──三日月宗近だ。きみの日記にも出てきただろう──を見習って、朝の散歩をしていた。本丸の庭を歩いていると、離れの裏で煙草を吸う彼女を見つけた。
     俺には何故かその姿が沈んでいるように見えて。彼女に気づかれないようにそっと近づき、驚かすことに成功した!

    「わっ」
    「っ!」
    「はははっ、驚いたな!」
     素直に慰めろ? きみは俺の話を聞いていたのかい? そんなことしても彼女が聞くわけないだろう。いつもの憎まれ口が返ってくるのを待っていたが、その日はどうも覇気がなかった。そしてよくよく彼女の顔を見れば、土気色を通り越して死人のような顔色をしていた。
    「もう少し寝た方がいいんじゃないか?」
     見ていて可哀想になるくらいだった。それなのに彼女は、ああと気のない返事をして俺の横を通りすぎようとする。その態度が癪に触って、彼女の手を掴んで引き止めれば、あちらも俺をにらんでくる。
    「か弱い女人が心配だとでも言うんですか? 馬鹿馬鹿しい。私に意見するのは、仕事に関することだけにしてください」
     もう我慢の限界だった。
    「きみの心配をして何が悪い!」
     女相手に怒鳴りなどしたくなかったんだが。けど、気づかされたよ。彼女を驚かすことに執着するのも、休もうとしない彼女を心配に思うのも。……彼女を主としてではなく、女として見ていたからだった。


     それ以来、彼女は変わったよ。俺たちを頼るようになった。頼るといってもささいな雑務を任されるようになったくらいだが、俺たちからすれば大きな前進だ。俺はどうしたかって? その日のうちに彼女に想いを告げたさ。
     彼女からは正気かと疑われた。政府は審神者の神隠しを殊更恐れていて、主に恋慕する刀剣は理性があるうちに刀解するよう推奨している。だが、胸の内に秘めておくのは性に合わん。好きになった女に好きだと言って何が悪い。
     彼女の性格上、俺を刀解しようとしはしたんだろうが、結局彼女はしなかった。恐らく政府と何かしらのやり取りがあったんだろうが、俺にはわからん。彼女からは今後も主として接するよう釘を刺されたが、彼女も無駄なことをする。規則を盾に断られようと、俺は毎日花を贈って好意を伝えた。

    「何度も言っていますが、受け取れません」
    「ならば折ってくれと、俺も何度も言っているが? 心配しなくても、花を折られたくらいで呪ったりしないさ」
    「物騒なことを言わないでください」
     花を渡す度、彼女と押し問答になった。だが、俺の言い分はもっともだと思わないか? 彼女のために摘んできた花だ。彼女に受け取ってもらえないのなら意味がない。
     口では嫌がっていたが、彼女は一度も花を折らなかった。自分の部屋ではなく本丸の大広間に飾らせていたが、それでも折らなかったことに変わりはない。彼女もな、俺のことを好いていたんだよ。うぬぼれじゃないさ、神域に連れていった後に彼女も白状した。
     そもそも相手が自分のことを好いているかどうかなんて、目を見ればわかるもんだ。きみが青江を好いているのも、目を見ればわかる。

     あの日は、本当に珍しいことだったんだが、彼女が近侍と庭で遊んでいたんだよ。五虎退……子供の見た目をした刀剣男士が近侍で、彼女から野の花で作った指輪をもらい喜んでいた。それを遠目に見ていた俺は、その晩、彼女に花の指輪を作って渡した。
     先に言っておくが、本気じゃなかったんだぜ? 何を馬鹿なことをやっているんですかとあきれる彼女を期待していたんだ。実際、俺の作った指輪は彼女には大きすぎて、薬指どころか親指だって抜けてしまったろうよ。
     だが、彼女の反応は違った。俺の作った指輪をじっと見つめ、言葉はなかったけれど、その目を見れば彼女が何を思っているかはわかった。それでも、彼女は受け取ってくれなかった。
    「私が欲しいのは王冠だけです」
     そう言って俺の指輪を投げ捨てた。

     ……ああ、悪かったな。現世では妻になる女性に、薬指にはめる指輪を贈る風習があるらしいんだ。そして王冠というのは、西洋の君主が身につける物だ。男からの愛ではなく、地位と名誉が欲しいのだと彼女は言ったんだ。振られたのだから俺も諦めればいいのに、自分でも抑えが利かないくらい、彼女を好きになっていた。このまま何もしなければ、彼女はいつか現世に帰ってしまう。それが耐えられなくて、俺は彼女を隠した。

     隠した後、責められるのは覚悟していた。だが抵抗したのは二、三日だけで、彼女も俺のことが好きだと認め、神域で俺の番として暮らすことを受け入れた。神域での生活に驚きはなかったが、俺は満足していた。好いた女と番として暮らせるのなら、穏やかな生活も悪くはない。
     けれど、ある日彼女が言ったんだ。母親が嫌いだったと。彼女の母親は夫の死を受け入れられず、俺たちと敵対する遡行軍に堕ちたとは聞いていた。嫌うのも無理はないが、彼女は母親が遡行軍に堕ちる前から嫌いだったと言った。
    「『他に依って生き、他の光によって輝く。病人のような蒼白い顔の月である。』……昔の女性解放運動家の言葉だけど、母はそんな人だった。自分が輝くのではなく、父や私や弟が輝くことで満足していた」
     自分は母親のようになりたくなかったと言った。自分の価値は自分で勝ち取りたい、自ら光る太陽でありたかったと。
    「それなのに、ね。……ふふっ、蛙の子は蛙だ」
     そう言って自嘲気味に笑う彼女は、俺の知っている彼女ではなくなっていた。

     目の前に王冠があるから、王冠を求めてしまうのだと思っていた。王冠が見えない所に隠せば、俺だけを見てくれると思った。だが、それが間違いだったんだ。彼女は王冠を求め努力する自分に価値を見出していた。やはり男の気性を持った女だよ。男から愛されるだけでは満足できないんだ。
     彼女の驚いた時の顔が好きだった。花を受け取った時の、喜んだ顔が好きだった。けれど、彼女はもう俺にそんな顔を見せてくれない。心が死んでしまったから。彼女の心を殺したのは、俺だ。


    「貴方は負けるつもりなんですか?」
     灯篭の問いかけに、鶴丸は薄く笑った。
    「わからん。心が死んでも彼女は彼女だ。手放したくなどない」
    「本当に? 貴方には蜂須賀さんや一期さんのような必死さは見えません」
    「必死になる必要はないさ。なにせ俺の勝利条件は『審神者と24時間行動を共にする』だ」
     灯篭から神隠しされる前の記憶がないと聞いた時、彼は千歳一隅の好機だと思った。神隠しされた審神者とは、即ち刀剣男士から裏切られた審神者だ。利害が一致したとしても、拒絶される可能性は高い。しかし彼女には裏切られた時の記憶がない。利用しない手はないと思った。
     灯篭は驚きで言葉を失っていたが、しばらくして笑った。まるで駄目な子供を見守る母親のような顔つきだった。
    「本当に悪い人は、最後まで騙し通すものですよ」
    「……なんだ、意気地がないのがばれたか」
     罪悪感に負け白状したのを、見透かされてしまった。これだから女は油断できないと鶴丸は苦笑した。

     貴方の審神者さんのお名前は? と聞かれ、彼は竜胆だと教えた。すると灯篭は、竜胆に会いにいこうと言い出した。
    「私も青江を探します。会って、青江の本当の気持ちを教えてもらいます。素直に言うとは思えないけど、それならそれで気持ちの整理がつくかなって」
    「彼女に会って、俺にどうしろと」
    「会いたくないんですか?」
    「会いたいさ」
    「じゃあ会いにいきましょう。私も一緒に行ってあげますから」
    「俺と一緒に行動していると、彼女が負けてしまうぞ」
    「そうですね……。竜胆さんがどうしても未来に帰りたいって言うなら、私は二十四時間経つ前に負けますよ。そうすれば鶴丸さんは、また新しい審神者を探さないといけませんよね」
    「ずいぶんと気軽に言うな」
    「言いませんでしたか? 私、負けようと思えばいつでも負けられるんです」
     日記を見て涙を流していた娘とは思えないくらい、真っ直ぐな言葉を鶴丸にぶつけてくる。勝利条件を抜きにしても、やはり彼女と会えたのは好機だったと思い、鶴丸は立ち上がった。
    「行こうか」

     灯篭は下手に動くより図書室で待っている方がいいのではないかと言ったが、鶴丸は会場内を見てまわる道を選んだ。彼女が言うことも一理あるが、必ず図書室を訪れるという保証はなく、第一鶴丸の性に合わない。
    「せっかくの機会だ。きみだって現世の物に興味があるだろう」
     まだ自分が見ていない場所に驚きが待っているかもしれないのに、じっとしているのはもったいない。灯篭は目を丸くした後、はいと言って微笑んだ。立場が完全に逆転してしまい、鶴丸はなんとなくばつが悪かったが、悪い気はしなかった。

     四階の残りの部屋を探索したが、机の種類や配置に多少の差はあれ、どこも似たような部屋ばかりだった。一階の別建屋で見たほどの面妖な物はない。こんなものかとやや興醒めしつつ下の階へ下るが、鶴丸は目の前の荒れ果てた光景に目を疑った。
     廊下には現世の物らしき代物が散乱し、吹き抜けの硝子が割れているせいで冷たい風が吹き込んでくる。壁には物がめり込んだ跡が残っていたが、よく見れば刀傷らしきものも何箇所か見られた。……刀剣男士同士の衝突があったと見ていいだろう。
    「冷えてきましたね」
     振り返れば、灯篭が手をさすっている。空はいつの間にか茜色に変わっていた。このまま夜になれば、太刀の彼には不利な状況になる。

     鶴丸は羽織を脱ぐと、灯篭の肩にかけた。
    「これで少しはマシだろう」
     灯篭は西洋の女性の礼服に似た白い服を着ていたが、袖が短く生地も見るからに薄い。見ていて、とても寒々しかった。
    「でも鶴丸さんが寒くないですか?」
    「俺は鍛えているから平気だ」
    「……ありがとうございます」
     やはり寒かったのが、灯篭は羽織の前を手で手繰り寄せ、羽織に付いている帽子まで被った。帽子を被ったため頭は丸くなり、ぶかぶかの羽織のせいで一回り大きくなった体はまるで……。

    「雪だるまみたいだな」
    「……」
    「そうにらむな」
    「どうせ鶴丸さんみたいに細くないです!」
    「何を言っているんだ。きみはもっと肥えた方がいい」
     軽口を叩きながら、二人は三階の探索を始めた。入った一番近くの部屋は、絵や彫刻が並べられた部屋で、残された道具の説明書きから美術室と判断できたが、道具は既に他の参加者の手に渡っていた。

     美術室を出て同じ壁沿いにある部屋を見るが、廊下とは違い部屋の中は荒れていなかった。ただし四階の部屋と大差はなく、鶴丸に驚きをもたらしてくれる物は何もない。壁沿いの最後の部屋を出て、北と西に分かれる曲がり角にやって来たが、彼はそこで北の部屋から女が出てくるのを見た。
     一瞬彼の主かと期待したが、明るい髪色を見て別人だとわかる。肩より少し長めの髪は毛先が緩く巻かれ、服装も上衣が肌色で下衣が藍色だ。彼の主は服を選ぶ時間がもったいないと、いつも同じような黒い服ばかり着る。
    「やあ、そこのきみ」
     女は鶴丸の顔を見た途端逃げようとするが、彼女の後ろは行き止まりだ。箒が倒れ扉が開いた掃除用具入れのぎりぎりまで近づき、できるだけ鶴丸と距離を取ろうとしている。

    「そんなに怯えなくても、取って食ったりはしないさ。少しばかり聞きたいことがある」
    「何……?」
     女の警戒心は強く、鶴丸は当たり障りのない質問からすることにした。
    「きみが今出てきた部屋は、どんな部屋だい?」
    「音楽室」
    「舞をする場所か?」
    「違う。歌ったり楽器を演奏したりする所」
     次の質問をしようとするが、先に女が声を上げる。

    「その子」
     女の視線の先には、灯篭がいた。
    「その子、まだ子供じゃない。帰してあげて」
     蜂須賀、一期、燭台切に長船。皆同じ勘違いをした。またかと思う一方、彼女は今までの参加者と異なっていた。体は強張り、唇をぎゅっと噛みしめて恐怖に耐えている。刀剣男士に怯えながらも、哀れな子供を見捨てられなかったのだ。極限の状態で見せる人間らしさに、鶴丸は好感を覚えた。
    「きみは誰に隠された? 俺の知っているやつのことなら教えてやってもいいぜ」
    「……」
    「別に罠にはめようなんて思っていない。ま、知ってるといっても長谷部の敗北条件と歌仙、蜂須賀の様子くらいしか……」
    「蜂須賀に会ったの?」
    「なるほど、きみが徳島か」
     遊戯者名を呼べば、反射的に逃げようとしたのだろう。もう後ろに逃げ道はないのに、後ずさりした際に足元の箒に足を取られ、派手な音を立てて転んでしまう。鶴丸は安心してくれと言い、右手を上げた。

    「きみを蜂須賀に売り渡す気はないさ。そうだな……蜂須賀はきみ以外の参加者の離脱条件も知りたっていた。何か裏があるのかもしれん」
     鶴丸が敵意を見せないのと、転んで気がそがれたのとで、徳島の警戒心は多少解かれたようだった。それでも物言いたげに鶴丸を見上げてくるので、彼は先手を打った。
    「言っておくが、彼女は俺が隠した審神者じゃないぜ。彼女を隠したのは青江だ」
     灯篭は羽織の帽子を脱ぎ、遊戯者名を名乗る。しかし、真っ白な髪と髪と同じくらい白い肌を見て、徳島は眉根を寄せる。今の彼女が何を言いたいかも鶴丸にはよくわかったが、灯篭が自ら話し始めたので、彼女に会話を譲った。

    「私たち、竜胆っていう女性の審神者とにっかり青江を探しているんです。二人のことで何か知りませんか?」
    「二人に会ってどうするつもり?」
    「会って話がしたいんです。私は青江に会って、私のことどう思っているか聞こうと思います。青江は何も答えてくれないかもしれないけど、話さえできれば、納得して神域に帰れるかなって」
    「何言ってるの!?」
     徳島が悲鳴じみた声を上げる。突然のことに灯篭は驚いていたが、彼女はかまわずまくし立てる。
    「あなたも現世に帰りたくて遊戯に参加したんでしょう? 諦めちゃ駄目よ、私も怖くてずっと隠れてて、参加しなければ良かったって思いもしたけど、でもやっぱり帰りたい! ねぇ、そうでしょう?」
    「現世ってそんなにいい場所なんですか?」
    「いい場所とかそういう問題じゃなくて」
    「私は神隠しされる前の記憶がないから、よくわかりません。青江が嫌じゃなければ、青江の側に戻りたい」
    「そんなの相手の思う壺じゃない! 青江はあなたにそう思わせるために記憶を消したんでしょ! お願い、考え直して」

    「そんなに大声を出すと他のやつに見つかるぜ」
     興奮して冷静さを失っている徳島に指摘してやると、彼女ははっと我に返り口を閉じた。けれど納得できていないのが表情に表れており、灯篭はそんな徳島に戸惑っているように見えた。資格がないとわかりながら、鶴丸は灯篭が不憫に思えた。
    「ずっと隠れていたというのなら、きっと俺の主と青江には会ってないんだろうな」
    「ええ。他の参加者と会ったのも、あなたたちが初めて」
    「そうか、ならいい。では彼女を現世に帰すための協力だと思って、最後に教えてくれないかい?」
     鶴丸の予想外の言葉に灯篭が彼の顔を見るが、彼は徳島の顔を見つめたまま聞いた。
    「きみたちは刀剣男士を殺すことができるのか?」

     灯篭の日記を読んでから、ずっと気になっていたことがある。青江が折れた日の日記は、他とは異なり、青江を殺したと後悔している。依代さえあれば同じ分霊が降りてくると信じていた彼女が、殺したと自覚する手段はなんだったのか。そして、そんなことは果たして可能なのか。
    「俺たち刀剣男士は、きみたち審神者より神格は上だ。合意の下で本霊に還る刀解ならともかく、審神者に俺たちを殺すほどの力があるとは思えない」
    「待ってください。日記には確かに私が青江を……」
     灯篭が鶴丸の腕を掴み、その拍子に彼が貸した羽織の鎖がシャラリと鳴る。彼女の手はずいぶんと冷たくなっていたが、鶴丸は話を続けた。
    「それはきみの主観だ。真実かどうかはわからない」
    「けど」
    「それにこの遊戯に参加しているにっかり青江は、きみの本丸に来た二振り目の青江ではなく、実は生きていた一振り目の青江だという方がしっくりくる。きみは気づかなかったか?」
    「何をですか?」
    「刀剣破壊の真実を知らなかったとはいえ、きみの本丸の刀は折れすぎだ。そして刀が折れた日の出陣では、必ず白刃隊の中に青江の名があった」

     彼女は日記の最後に、その日出陣したと思われる刀剣男士の名を記していた。鶴丸が詳細まで目を通したのは一冊だけだが、刀が折れた日の部隊の中には、必ず青江と書いてあった。偶然で片づけるには、あまりにも数が多い。
    「一振り目の青江は、きみを独占したくて他の刀剣を折っていたんだろう」
     鶴丸は二人の会話についていけていない徳島に、図書室にある灯篭の日記の内容をかいつまんで教え、遊戯に参加している刀剣男士は神域に戻るか消滅するかのどちらかであり、機密の漏えいにはならないはずだとも言った。
     徳島は迷っているようだったが、灯篭を見て踏ん切りがついたらしい。ゆっくりと立ち上がった。

    「あくまで審神者の中でだけど、刀剣男士を殺すと表現する方法はあるわ」
    「それは?」
    「……重傷の刀剣男士を、進軍させる」
     あまりに痛々しい表情で、絞り出すように告げるものだから、鶴丸は蜂須賀に対してしたのかと聞くが、彼女は違うと否定した。
    「しかしそんな方法では、素直に本霊に還ってくれるとは思えないな」
    「ええ。だから政府は神隠しの危険があったとしても、この方法は推奨していないし、この方法で刀剣破壊に追い込んだ審神者が、神隠しに遭ったっていう話も聞くわ。あとはトップクラスの審神者なら、刀剣男士の合意を得ずとも刀解できるっていう噂もあるけど、噂だから。鶴丸が言うように、私もそんなことができるとは思えない」

     徳島はそこまで話し終えると、灯篭さんと黙って話を聞いていた彼女に呼びかけた。
    「記憶さえなければ、私も蜂須賀のこと大好きだったと思うの。彼は紳士的で優しいわ。私のこと、誰よりも愛しているし…………本当のことを言うと、私も彼に惹かれていた。けど、それでも私は神隠しなんてされたくなかった。両親に会いたいし、友達ともまた遊びたいし、高校の時から付き合っている恋人もいるの。あなたもきっと同じよ」
     鶴丸も徳島も灯篭の答えを待ったが、灯篭はうつむいてしまい、何も言わない。鶴丸は彼女が自分の意志を示すまで待つつもりでいたが、先に徳島が横目で鶴丸の様子をうかがってくる。大胆に主張することがあっても、本質的には臆病だ。灯篭といるせいで感覚が麻痺しがちだが、これが本来の参加者の審神者の姿なのだろう。

     鶴丸は礼を言うと、徳島に背を向け歩き出した。彼の疑問は解決しなかったが、勇気を振り絞り応えてくれた徳島のためその場を去ることにした。
    「(彼女、蜂須賀に負けるかもな)」
     助かりたいと思う気持ちと、助けたいと思う気持ちが混ざり合って自分の行動に制限をかけている。灯篭が鶴丸の後を追いかけてきて横に並んだが、こちらもなんとも心細そうな顔をしていた。


     日は完全に沈み、明かりは窓から差し込む月の光だけになっていた。二人が訪れた部屋は、三階の中で一番荒れている場所だった。地面に散らばった機械や硝子片に注意しながら進めば、本丸にいた刀鍛冶と出くわした。鍛刀ができるのか聞いてみたが、『完売』と書かれた看板を見せられる。
     それでも鍛刀部屋がどうなっているのかが気になり、刀鍛冶に案内してもらえば、戸を開けた先にはおもちゃのような鍛刀部屋が存在していた。本来の姿を知っていると本当に機能するか心配になるが、刀鍛冶がしつこく『完売』の看板を見せるので、ここで鍛刀が行われたのは確かなのだろう。現に、普段資源が積まれている場所には何も置かれていなかった。

    「何か思い出さないか?」
     徳島と別れてから一度もしゃべっていない灯篭に聞く。灯篭は黙って首を振った。
    「思い出したくないのかい?」
    「そんな、」
     反論しかけるも、途中で口をつぐむ。会って半日しか経っていない鶴丸が言うのもおかしいかもしれないが、らしくなかった。灯篭らしくない。彼女は再び口を開くが、どことなくぎこちなかった。
    「思い出したら私どうなるんでしょうか? 徳島さんみたいに青江のことが嫌いになって、現世に帰りたいって思うようになるんでしょうか? それって、本当に『私』なんでしょうか?」
    「考えるより行動」
     伏せられていた瞳が、前を向く。真っ赤な瞳に、鶴丸は笑いかけた。
    「きみが言ったんだぜ? さ、次の部屋に行こう」
     先に進んで手招きをする。慌てて追いつこうとしたせいで、足元への意識がおろそかになり、つまずいて前のめりになったのを鶴丸が支える。気をつけろと注意をすれば、灯篭は鶴丸の顔を見てごめんなさいと謝った。部屋の中は暗くて表情はよく見えなかったが、それでも彼女の明るさが戻ったことは鶴丸にも伝わった。

     二階に下りると、まずは音楽室の真下に当たる部屋に入ったが、窓の位置が悪く月明りがあまり入ってこないので、厨らしいということぐらいしかわからなかった。
     続いて厨と向かい合う部屋を確認したが、こちらは白い(と思われる)小ぶりな機械が並んでいた。薄暗くてよく見えなかったが、きっと明るくても何をする部屋かわからなかっただろう。その後も彼らは二階を見てまわり、すべて見終わると一階に行った。
    「こうなるときみが言ったように、下手に動かず待ってる方がいいかもしれんな」
     
     一階は既に見ているので、明かりを求め中庭に出る。鶴丸が何気なく空を見上げると、丸い月が浮かび、そこから桜の花びらがはらはらと落ちてくる。彼は目を細めた。
    「(桜を、贈ったこともあったな)」
     桜の枝に和歌を書いた和紙を結んで。あの時は長く楽しめるようにと、蕾の多い枝を選んだ。彼の主は受け取るなり近侍に桜を渡し、本丸の広間に飾るように言いつけたが、和歌は枝から外していた。刃生初の下手くそな歌を読んで、彼女は一体なんと思ったのだろう。
    「鶴丸さん?」
    「……なんでもない。ここで待とうか」
    「ここですが?」
    「ここなら明るいし、一階の様子もよく見える」
     鶴丸が桜の根元に腰を下ろせば、灯篭もその隣に座る。鶴丸の羽織を下に敷けばいいのに、彼女は白い服が土で汚れても平気な顔をしている。

     鶴丸は見かけと中身が合っていないと思ったが、よくよく考えれば、それは彼が常日頃言われる評価とまったく同じだった。
    「俺はなんできみじゃなくて、あんな可愛げのない女を好きになったのかなぁ」
    「どうしたんです突然」
    「いやあな、きみと俺はよく似ている。見かけだけじゃなく、驚きを求めるところもそっくりだと思わないか?」
     それに比べて彼の主はどうだろうか。本丸は好きな時に景観が変えられるというのに、時間の無駄だといつも同じ景色のままにしていた。鶴丸が驚きが足りないと訴えても、そんなもの結構と切り捨てる始末。あげくには、不満があるなら四季の移り変わりを大切にする審神者のところへ行けとまで言われた。

    「春には春の、夏には夏のいいところがある。季節の移り変わりの中で見つける小さな驚きも、オツなもんだ」
    「そうですよね。そういう驚きって、嬉しくなっちゃいますよね」
    「だろう? 予想し得る出来事だけでは、心が先に死んでいくというのに。どうしてわかってくれないんだろうなぁ」
     その後も愚痴めいた主との出来事を話していくが、思い浮かぶのは本丸での出来事ばかりだった。彼女と過ごした時間は神域での方が長く、神域でなら移りゆく四季を二人で楽しんだこともあるのに。
     話が一区切りつき、鶴丸はタブレットで時間を確認したが、遊戯を開始してから十五時間半、中庭に来てから二時間が経っていた。その間、一階には誰も現れなかった。夜の備えができておらず、部屋の中に隠れて日が昇るのを待っているのかもしれない。

    「寒くはないかい?」
    「寒くはないですけど、お尻が痛くなってきました」
    「動くか」
     腰を上げ背伸びをした時、視界の端に何かが掠める。一瞬の出来事で、視界に入ったのは何だったのかも認識できていないのに、彼は衝動のまま走り出していた。自分を呼ぶ灯篭の声も、彼の耳には届かない。

     中庭を出て臓器が見える人形が置いてある不気味な部屋の前を走り抜けると、走る女の後ろ姿が目に入った。野暮ったい格好をしていたが、彼がずっと探していた人に間違いはなかった。
    「×××!!」
     とっさに主の真名を呼べば、彼女の足がぴたりと止まる。一気に駆け寄って抱き締めたい衝動に駆られるも、彼は一呼吸置き新しい命令を出した。
    「×××、きみの好きに動いていい」
     体の縛りが解けた彼女は近くの部屋に逃げこむのではなく、鶴丸と対峙することを選んだ。彼女は見慣れた短刀を手に身構えている。
    「五虎退か。顕現させないのかい?」
     竜胆は何も喋らない。だが恐怖に駆られているわけでも怖気づいているのでもなく、じっと鶴丸を見て打開策を考えている。本当に可愛げのない女だと思う。追いつめられても、勝負に勝つことしか頭にない。

     鶴丸さんと呼ばれ後ろを振り返れば、灯篭がこちらへ走ってくる。しかし、その顔が急に青ざめた。彼女が危ないと叫ぶより前に、鶴丸は気配を感じ刀を抜いた。
    「えいっ!!」
     刀と刀がぶつかる高い音がする。声を発し鶴丸に攻撃してきたのは、人の姿になった五虎退だった。鶴丸が五虎退の刃を防ぐ間に、竜胆が彼らの横を駆け抜けていく。鶴丸の視線が竜胆を捉えたとわかると、五虎退はまた大声を上げ鶴丸の懐に潜りこみ、彼の体に刃を刺そうとした。
    「遅い遅い!」
     だが、五虎退の刃を跳ね返すのは鶴丸にとっては造作もないことだった。いくら夜は短刀が有利になるとはいえ、彼らの練度の差は歴然としている。しかし五虎退はなおも諦めず、跳ね返されても刀を構え直した。

    「えい!」
    「おっと! ……もう彼女の真名は呼ばないさ。安心しろ」
     五虎退が勝つには奇襲しかないのに、わざと声を上げてから鶴丸に挑むのは、主を逃がすため。そして竜胆の耳に、彼女の真名を呼ぶ鶴丸の声が聞こえないようにするため。決して敵わないと知りながら挑むとは、健気なものだ。鶴丸が力を込め太刀を振るえば、小さな体は宙に浮き、地面に叩きつけられた。
    「やめてください!」
     見かねた灯篭が止めに入る。
    「子供扱いするな。五虎退に失礼だ」
    「でも」
    「安心しろ。彼が戦う理由はなくなる」
     鶴丸は刀を鞘に戻すと、灯篭の顔を見た。あどけない顔をしている。わずかな時間しか共にはいなかったが、親心のようなものが湧いてしまった。けれど、やはり彼は灯篭より彼女の方が大切だった。
    「俺の敗北条件は『4人以上の参加者の敗北条件を把握する』だ」
     彼が今把握している敗北条件は、自身のと髭切、それから長谷部の三つ。彼が負けるには、あと一つ敗北条件を知る必要があった。

    「きみの敗北条件を教えてくれ」
    「……負けるつもりですか?」
    「俺の主の顔を見たかい?」
     彼は目を閉じ、先ほどの主の様子を思い浮かべる。彼が好きな驚いた時のような、素の表情ではない。どちらかというと、本丸の主として作っていた表情に近かった。それでも。
    「いい顔をしていた」
     神域にいた頃の心が死んだ彼女とは、雲泥の差だった。彼女がいるべき場所はどこなのか。その顔を見れば、わかってしまった。

    「こんな状況下にいるのに、とんでもない女だよな。でも、そんな女を好いているんだ俺は」
    「それで本当に、貴方はいいんですか?」
    「おいおい、きみが泣くことはないだろう」
     顔を隠しもせず、灯篭は赤い瞳からぽろぽろと涙を零している。そんなに泣いたら目が赤くなるぞと頭をなでるが、元々赤いですと返され思わず笑ってしまう。
    「本来の彼女に会えて満足した。未練はない。きみの敗北条件はなんだ?」
     灯篭は口元を押さえたままうつむくが、お願いだともう一度頼めば、涙混じりの声で言った。
    「『嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく』」

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士9の鶴丸国永、敗北。審神者9の竜胆の勝利です」

     灯篭の言葉からほどなくして、離脱者を告げる放送が聞こえてきた。灯篭が度々言っていた、負けようと思えばいつでも負けられるの意味がようやく彼にもわかった。灯篭といい長谷部といい、政府は奇妙な条件を作るのが好きなようだ。
    「ありがとう。きみといると驚きに事欠かなかったぜ」
     まだ泣いている灯篭を慰めようとするが、彼は自分の手が透けているのに気づく。それに神気が徐々に体から抜けていくのを感じだ。残された時間は少ないとわかり、鶴丸は灯篭の肩を掴んだ。

    「きみは遊戯に勝て」
     鶴丸が何も言わなければ、彼女は青江と共にいる道を選ぶだろう。それだけはなんとしても止めたかった。
    「俺は主を見て確信した。閉ざされた神域は、人の子がいるべき場所じゃない。きみは現世に帰って幸せになれ」
    「そんなこと……」
    「日記をもう一度よく読むんだ。きみを追い詰めたのは誰だ? 他の刀剣を殺した青江を、きみは許せるのか?」
      灯篭が力なく首を横に振るが、鶴丸はやめなかった。
    「きみが青江を殺したのは、青江を恐れたからじゃないのか!?」

     灯篭の顔が横を向き、それから動かなくなった。涙の溜まった赤い目は、ただ一点を凝視している。気になって彼も同じ方向を向けば、中庭の横に竜胆が立っていた。肩で息をしながら、竜胆は鶴丸のことを見ていた。彼女の体も鶴丸同様、半透明になり消えかかっていた。
     神隠しした時、彼女は泣いた。彼の腕の中で彼女は泣き、野心家の自分が好きならどうして放っておいてくれなかったのかと鶴丸を責めた。指輪を求める気持ちを、ようやく抑えることができたのにと。その姿を思い出す度胸が痛んだが、今はどうだ? こんなにも嬉しく思うのは、頭がおかしいのだろうか。
    「(幸せになれ? 格好をつけすぎだな。俺の番はきみだけだ? そんなの今更言うことじゃない)」

     ──俺が人であれば、きみは指輪を受け取ってくれたかい?

     一番今の心境を表した言葉だったが、彼はあえて言わなかった。言葉は告げずに歯を見せて笑い、親指を立てた。
    「鶴丸!!」
     竜胆が走ってくるが、彼の体の輪郭は朧になり、体の感覚はもうほとんどない。きっと彼女の手が届く前に、空気に溶けて消えてしまうだろう。けれど鶴丸は幸せだった。好きな女の声で目覚め、好きな女の声を聞いて死ぬ。なかなかいい刃生じゃないか。


     彼を呼んだのは子供の声だった。それは本来ありえないことだと知ったのは少ししてからだけれど。肉の器を得、その器に血が通っていく感覚は初めてのはずなのに、とても慣れ親しんだものに思える。それは彼と同じ『にっかり青江』が幾度となく顕現されているからか、にっかり青江という刀が血を覚えすぎているからか。どちらにしろ、悪くない感覚だった。
    「僕はにっかり青江。元大太刀の大脇差さ」
     降り立った地で見たのは、加州清光に手を引かれた白子の子供だった。乳白色の肌、白銀の髪。彼女を構成するものすべてが真っ白なのに、目だけが血の色。その目でじっと見つめられれば背筋がそくぞくしたが、彼女の視線はすぐに青江から加州へ移った。

     加州の外套を引っ張り屈ませて、こそこそと耳打ちする内容は、聞かなくとも彼には察しがついた。
    「うんうん、君も変な名前だと思うだろう?」
     内緒話を言い当てられて驚いたのか、子供は大きく目を見開く。
    「でもさ、にっかりと笑った女の幽霊を切ったのが由来、と聞いてまだ君は笑っていられるかな? うさぎさん」
     白兎のような子供を怖がらせようとしたが、彼女はうさぎという言葉の方に興味を示し、後日本丸で彼女そっくりな白兎を飼うことになった。

     彼は子供の本丸で七番目に顕現された刀だった。そして二番目に主に気に入られている刀でもあった。気に入られたのは、彼が何かしらの努力をしたからではない。母親代わりの加州が一番で、他の刀剣男士より小柄だから怖くない彼が二番、それだけのことだった。
     初期刀であり練度も高い加州が出陣するのは当然で、子守役が唯一加州以外で懐かれている青江に回ってくるのも当然だった。しかし、この判断が彼女の運命を狂わすことになる。
      
     彼と他の六振りの運命が分かれた日、彼女は出陣しようとする加州を引き止めた。加州がいないと寂しがりはしたが、引き止めたのは初めてだった。
    「加州、いかないで」
    「今日は近場だからすぐ帰ってくるよ」
    「いっちゃやだ」
    「主の好きなお菓子、お土産に買ってくるからさ。ね?」
    「いっちゃだめだよ!」
     いくら加州がなだめても、行っては駄目だと繰り返す。他の面々も加州の援護に入ったが効果はなく、それどころか彼らにも行っては駄目だとすがりついた。普段なら構われそうになる度逃げ出す岩融にも、足に抱きついて行かせまいとした。

    「岩融もダメ。いかないで、いっしょにあそぼう」
    「ハッハハハ、主からお誘いがあるとはな!」
     この時の彼は実に嬉しそうだった。子供好きの彼は、主が寄りつかないのを残念がっていたから。だが彼も刀としての性分は忘れておらず、主を抱きかかえると青江に託した。
    「帰ったら存分に共に遊ぼうぞ。青江と一緒に待っていてくれ」
    「じゃ、行ってくるね!」
    「岩融! 加州!!」

     出陣した六振りは、誰一人として帰ってこなかった。幼い子供に耐えられることではなかった。だから彼はこう教えた。
    「僕たちに死という概念はない。依代を失っても本霊に戻るだけ。だから本霊に戻った彼らを、もう一度呼んでやればいいんだ。新しい依代を作ってね」
     側で聞いていたこんのすけは何も言わず、目を逸らし、自分は何も知らないという体を崩さなかった。彼の知るこんのすけは全部で二匹いるけれど、二匹目に変わらず一匹目のこんのすけがずっと本丸にいたのなら、彼は主を隠さずに済んだのかもしれない。


    「おい」


     男の呼びかけに、青江は遠い日の記憶から現実に戻った。目の前の景色は在りし日の本丸から、本棚の並ぶ馴染みのない部屋へと変わる。
    「どうした?」
    「……なんでもない。鶴丸が負けちゃったなって思ってただけ」
     半円の形をした台に腰掛け、青江は白い布を被った男を見た。彼の主が顕現できた打刀は加州と大和守安定の二振りだけで、他の打刀については詳しく知らない。
    「山姥切国広君、だっけ? 僕になんの用かな?」


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 ???
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する
     敗北条件【30分以上同じ部屋に留まる】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 ???

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 ???

    審神者4:雅
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 ???
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 ???

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:???


    第五章:参加の代償 鶴丸の敗北に、長船は自分の耳を疑った。彼が与えられた他参加者の離脱条件は、雅という審神者の敗北条件と鶴丸の勝利条件であり、鶴丸の勝利条件は『審神者と24時間行動を共にする』。鶴丸の審神者に会った時には、真っ先に教えてあげるつもりだったが、いざ会ってみると彼女は彼の同類だった。
     刀剣男士を愛し、望んで神隠しされた審神者。鶴丸によく似たアルビノの少女は、既に鶴丸と行動を共にしていた。彼は二人が無事遊戯を離脱することを願ったし、自分たちと違い簡単に成し遂げられるだろう彼らを羨ましくも思った。
    「光忠、ちょっと見せて」
     未だ信じられず、彼は燭台切のタブレットをのぞきこんだ。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士1:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙君?
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者5:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者6:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士6:青江君?
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く(鶴さん)
     敗北条件 ???
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない(鶴さんの主)】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する(鶴さん)

    審神者8:茶坊主君?
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士8:長谷部君?
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【???】


     離脱条件の把握や管理は、大雑把な長船ではなく燭台切が行っている。彼は入手した離脱条件を書きこむだけでなく、どの参加者から聞き取ったかも併せてメモをしている。メモを推奨した魂之助も、きっと喜んでいることだろう。
    「は? は? なんであいつ負けてんの? え、どういうこと?」
    「回避が難しい敗北条件だったのかもしれないね。それより、主も離脱条件の譲渡がないか確認して」
    「は~い」
     燭台切に言われ、彼と会ってから数回しか触れていないタブレットを取り出す。しかし情報は何も増えておらず、彼は燭台切に首を振って答えた。譲渡が行われたのはこれで三回目だが、彼らはまだ一度も新しい情報を手に入れていない。
    「こればかりは仕方ないか。さあ、行こう」
     歩き出した燭台切の後を長船は慌ててついていくが、これからのことを思うとどうしても伏し目がちになってしまう。何故こんなことになってしまったのか。彼は二組目が離脱する前のことを思い出していた。

     燭台切のイメージを元に調理室で彼を待つことにした長船だったが、首尾良く調理室を見つけはしたものの、燭台切はなかなか姿を現さなかった。彼が来たのは一組目が離脱して少ししてから。感動の再会を期待した長船だったが、燭台切は燭台切は何故かこめかみに青筋を浮かべた。
    「……もしかして、ここでずっと待ってた?」
    「めちゃくちゃ待ってた」
    「一番高い所がいいって言ったのが、僕だって気づかなかったのかな?」
    「ああ、やっぱあれ光忠だったんだ」
     魂之助による遊戯説明の際、遊戯の開始場所を質問した参加者の後に、『それだったら僕は一番高い場所がいいな。その方がかっこいいよね』と言った参加者がいた。姿や声はわからなくても、光忠がなんか言ってんなと彼は思っていた。
    「わかってたなら、どうして屋上に来ないの!?」
    「は?」
    「一番高い場所で落ちあおうってメッセージだったんだよ!」
    「マジで? それだったらもっとわかりやすく言えよ」
    「わかりやすく言ったら、他の参加者にもわかっちゃうでしょ!」
     肩で息をする彼にどうどうと言って落ち着かせようとしたが、余計ににらまれてしまう。しかし一通り怒ったことで冷静さを取り戻した燭台切は、上着からタブレットを取り出した。

    「主、情報交換しよう。主の敗北条件は何?」
    「審神者7の友切の勝利。燭台切に隠されたオレが長船ってことは、友切の相手は髭切?」
    「髭切さんで合ってるよ」
     燭台切は参加者一覧を開いたタブレットを長船に見せた。一期の敗北条件、審神者4の雅の勝利条件、そして燭台切本人の二つの離脱条件が書いてあった。燭台切の勝利条件は『刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する』。
    「へぇ、一期と国広も参加してんだ。ああ、あと鶴丸も参加してるっぽいよ」
    「鶴さんと会ったの?」
    「いや、鶴丸の勝利条件持ってる。敗北条件は光忠と同じ雅って審神者。……雅って、あの雅さんの審神者じゃありませんよね?」
     雅といえば自称文系名刀を真っ先に想像するが、それを審神者の遊戯者名にするのは政府の悪意を感じる。

    「なんでいきなり敬語になるの。う~ん、僕もさすがにどうかなって思うけど、他の人が思い浮かばないからなぁ……」
     長船が他に誰がいるか知っているかと聞けば、燭台切は長谷部と青江がいると答えた。長谷部とはスタート地点の教室を出てすぐの廊下で、青江とは四階に向かう途中の階段で会ったのだという。
    「僕は相手が望まない神隠しなんてカッコ悪いだけだよって言ったんだけど、長谷部君は全然聞いてくれないし、青江君はいつもの調子で笑うだけだし。できれば二人に隠された審神者も助けてあげたいよね」
    「そう言うってことは、オレと光忠が考えてることは同じってことだよな」
    「当然だよ」
     燭台切の勝利条件である『刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する』と、長船の敗北条件の『審神者7の友切が遊戯に勝利する』では、どちらを優先すべきかなど明白だった。
    「友切を助けにいこう」
    「ああ、せっかくの晴れ舞台だ。かっこ良くいこうぜ」
    「もちろん」
     二人は拳を突き合せ、不敵に笑った。


     彼らは四階から探索を始めようとしたが、階段を上ってくる鶴丸とその審神者に会い、彼らが上の階へと向かったので、結局は調理室のある二階に戻って友切を探した。
    「僕も屋上に行くのが遅くなったから、主も来れない事情があるのかなと思ってたら……青江君から厨があること聞いておいて本当に良かった」
    「しつけーな」
    「まさかとは思ったんだよ。それでもまずは厨からにしようかと行けば、さ。なんで僕のイメージが厨だったのかな」
    「だからしつこい! 思っちまったモンは仕方ないだろ」
    「良くない! 僕のイメージが割烹着着て包丁握ってる姿なんて、全然格好良くないよ!」
    「顔が抜群にカッコいいんだから、それぐらいいいだろ」

     二階、二つの体育館、部室棟、一階を見て回った後、彼らは三階の情報処理室に行きついた。情報処理室にあるパソコンは、彼が生まれ育った時代より遥か昔に存在した古い型の物だが、二十世紀後半に発表された漫画のファンだった彼には、すぐにそこが情報処理室だとわかった。
    「よっしゃ、気合入れて探そうぜ」
     体育館の手伝い札は既に回収されていたが、情報処理室にある政府の道具はまだ残っているかもしれない。喜々として部屋の中に足を踏み入れるが、燭台切に肩を掴まれ後ろへと追いやられる。燭台切は彼の耳元でささやいた。
    「血の臭いがする」
     耳にかかる吐息にドキリとしたが、発言の内容に真顔になる。意識して臭いを嗅いでも長船にはわからなかったが、燭台切の表情は戦闘時のものに切り替わっていた。燭台切に続いて部屋の中に進み入るが、一見変わった所はない。しかし、燭台切はわずかな異変に気づいていた。
    「椅子が乱れてる。僕たちより先に誰か来ていたのは、確かみたいだね」
     耳打ちされ改めて目の前の机を見れば、きちんと机の中に入れられた他の列の椅子とは違い、椅子が頭一つ分ほど飛び出ていた。何かの拍子に動いただけではないかと思ったが、人がいなければ動くことはないと、思った矢先に気づく。

     僕から離れないでねと念を押した後、燭台切は更に部屋の奥へと進んでいくが、突然その足を止めた。そのせいで長船は、彼の背中に思いきり顔をぶつけてしまった。
    「痛っ!」
    「主、あの子」
     鼻を擦りながら文句を言おうとするも、燭台切が指さす方向を見て、彼もあっと声を上げた。教卓の影に隠れて見えていなかったが、刀鍛冶が看板を抱え立っている。刀鍛冶はくるりと看板を表にし、看板には『残り一本!』と書いてあった。
    「ここで鍛刀ができんの?」
     長船が聞くと、刀鍛冶はこくこくと頷く。
    「脇差でも作っとく? みっちゃんは偵察苦手だもんねー」
    「ここだと上手くいかないだけだよ!」
     ふくれっ面の燭台切を更にからかおうとするが、その時ガチャリとドアの開く音がした。

     隣接した準備室らしき部屋から、小夜左文字と着物姿の男が出てきた。小夜は刀を構えているが、その後ろにいる男は両手を上げ、降参のポーズを取っている。
    「無抵抗の相手を攻撃するのは、めちゃくちゃ格好悪い。……ほら、小夜も」
     男に言われ、不満そうではあったが小夜も刀を足元に置き、男と同じポーズを取った。
    「攻撃なんてしないよ」
     燭台切は肩を竦めたが男の表情は変わらず(といっても男の表情は能面のようで、怖がっているようには見えなかった)、安心させるため刀を長船に預ける。
    「見ればわかるだろうけど、僕は燭台切光忠。こっちの彼は僕の主。この遊戯では長船って名前だよ。君は?」
    「……茶坊主」
    「そんなに上手くはいかないか」
     友切ではないかと期待していたのだが、現実は長船が願うほど上手くはいかない。

    「お兄さん、長谷部に隠されたの?」
    「そうです」
    「ああ、敬語なんていいよ。お兄さんの方が年上でしょ? ついでにオレは二十歳」
     茶坊主は髪を短く刈り上げ、年齢は二十後半に見えた。彼は何も答えなかったが、長船に対し敬語を使うのをやめた。
    「君はどうして燭台切と一緒にいる?」
    「やっぱそこ聞くよね~」
     鶴丸でさえ怪訝な顔をしたのだ。普通の審神者なら必ず疑問に思うだろう。長船は自分と燭台切のことを話そうとしたが、先に燭台切がその役目を買って出た。

    「信じられないかもしれないけど、僕と主は愛しあってる。僕は合意のうえで主を隠したんだ」
     茶坊主の視線が長船に行くが、本当かと聞く目に頷くことで答える。
    「この遊戯に参加したのは、永遠に共にいるため。主の敗北条件は、『審神者7の友切が遊戯に勝利する』ことなんだ。君、友切について何か知らないかな?」
    「そう簡単には信じられない話だな。そこの彼の勝利条件が審神者を裏切ることで、そのためにお前と行動を共にしていると考えた方が、まだ納得できる」
    「用心深いんだね。主にも少しは見習ってほしいよ」
    「殺人も厭わない審神者がいるとわかったからな。用心深くもなる」
    「殺人!?」
     考えもしなかった言葉に、長船は悲鳴じみた声を上げる。しかし、燭台切は冷静だった。

    「茶坊主君は友切のこと、何か知っているね?」
    「どうしてそう思う?」
    「知らないのならば、知らないと言ってしまった方が早い。君は僕たちのことが信用できると判断できたら、友切の情報を教えてもいいと思ってる。どうすれば僕たちのこと信用してくれるかな?」
     燭台切はそう言って微笑むが、長船からすれば実に性質の悪い笑みである。茶坊主にもばれているようで、彼はなかなか返事をしなかった。長船がお願い、お兄さん! と手を合わせ協力を仰いでようやく、彼らを信用する条件を口にした。

    「長船君のタブレットを見せてくれ。彼以外の条件は隠してもらってかまわない」
    「オーケー」
    「オーケーじゃない!」
     長船がシャツのポケットからタブレットを取り出そうとするが、ポケットの上から燭台切に抑えつけられる。
    「僕が言うこと、なんにも聞いてないんだね!? どうしてそう考えなしなんだ!」
    「見せても困らないじゃん。だいたい、お兄さんに信用してもらって友切のこと教えてもらう方が大切だし。……お兄さん、ちょっとこっち来てくれる? あ、オレが行こうか?」
    「いや、そっちに小夜を行かせる。……折衷案で勘弁してくれ」
    「ううん、僕のこと気づかってくれてありがとう……」
     小夜は短刀を置いたまま、長船たちの方へ歩いてきた。長船は燭台切と茶坊主のやり取りが腑に落ちないでいたが、小夜にタブレットを見せるため前かがみになった。


    ≪参加者一覧≫
     敗北条件 ???

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???


    「見えた?」
     長船の質問には答えず、小夜は小走りで茶坊主の元に帰ると彼に耳打ちする。茶坊主は頷くと屈んでいた体を伸ばし、着物の袖に腕を通した。
    「友切の敗北条件を持っている人を知っている。悪いが、どんな条件かは聞いていない」
    「それでいいよ。誰が持ってるんだい?」
    「……待て。もう一つ条件がある」
    「今度は何?」
    「みっちゃん、余裕がないのはかっこ悪いですよ。……なあにお兄さん、なんでも言ってよ」
     いらだちを隠せない燭台切の背を叩き、交渉役を交代する。燭台切は口をへの字に曲げているが、どことなくばつが悪そうだ。長船はどんな無理難題をふっかけられても、驚かないようにしようと気構えたが、茶坊主は真顔のまま予想外の注文をした。
    「俺の前でい抜きでしゃべるな」
    「「い抜き?」」
     長船と燭台切がそろって首を傾げたところに、情報処理室の戸が引かれ、四人目の参加者が姿を現した。


    「ここにいらしたのですね、主」
     四人目の参加者であるへし切長谷部は、自分の主を見つけると顔をほころばせた。長船の本丸にも長谷部はいたが、こんな甘ったるい声は聞いたことがない。彼の長谷部は主に対して厳しく、燭台切の神域へ行くことも最後まで反対し続けた。
     茶坊主は何も言わず壁ぎりぎりまで後退するが、そんな彼を見ても長谷部の表情は変わらなかった。少し難しい言い方をすれば、今の彼の表情は恍惚と表現できるのかもしれない。しかし茶坊主をかばうように小夜が彼の前に立ちふさがれば、長谷部の目が据わった。

    「光忠」
    「オーケー、任せてくれ」
     彼らの様子を見れば、穏便に事がすむとは思えない。長船が燭台切の名を呼ぶと、彼は長船から刀を受け取り、長谷部に向かって構えた。
    「邪魔だ、引っこんでいろ」
    「長谷部君、僕は言ったはずだよ。相手の望まぬ神隠しなんて、格好悪いだけだってさ」
     にらみ合いが続いた後、長谷部が視線をそらさぬまま後ろに下がる。逃げるためでなく間合いを取るため後退したのだと、そのまとう雰囲気でわかった。

    「ここは光忠に任せて」
    「恩に着る」
     茶坊主の決断は早く、小夜を連れて長谷部が入ってきたのとは別の出入口に向かって走っていく。だが安心したのも束の間、長船の顔の前を何かが高速で過ぎ去り、ガシャンとガラスが割れる音がした。遅れて目で追った先で見たのは、小夜に腕を引かれ体のバランスを崩した茶坊主と、彼の目の前で窓ガラスが飛び散る光景だった。
     しかし事態はそれだけではすまず、小夜の頭のすぐ上を野球のボールが通過し、壁に当たって跳ね返ったボールはコピー機の手差しトレイを破壊する。砕け散ったプラスチックの破片を見て、あと少し場所がずれていたらと思い、長船は寒気がした。
    「貴様、邪魔をするな!」
     叫んだ側から長谷部は机に置かれたパソコンのディスプレイを掴み、燭台切目がけて投げつけた。

     燭台切は間一髪避けるが、彼の代わりに被害を受けたホワイトボードにヒビが入る。まさかホワイトボードが壊れるのを目にする日が来るとは、長船は思ってもいなかった。
     長谷部は次から次へとディスプレイを投げていき、燭台切は避けたり刀で切り落としたりして対処しているが、ホワイトボードやその周りの壁は目も当てられない様相になっている。ふと茶坊主の方を見れば、彼ほどではないにしろ茶坊主も二人の戦いを見て顔をひきつらせている。茶坊主にもちゃんと感情があったことにほっとする一方、早く逃げろよと心の中で念じれば、小夜が茶坊主を出口へ引っ張っていく。
     
     だが視界の端に長谷部がボールを持っているのが映り、彼はとっさに叫んだ。
    「避けろ!」
     彼が叫んだのとガラスが割れる音がしたのはほぼ同時だったが、幸い彼らには当たらず、茶坊主たちは後方の戸から廊下へと出ていった。
    「主! お待ちください!」
    「行かせないよ!」
     長谷部は自分の入ってきたドアから外へ出ようとするが、その背に燭台切が飛びかかる。長谷部は舌打ちすると持っていた野球のボールが入ったネットを捨て、近くの椅子を持ち上げ燭台切に振り落とした。
    「ひぃっ!」
     刀の方がどう見ても危険なのだが、見慣れた刀の戦いより危険に思え、長船は血の気が引いた。長谷部の攻撃が当たり燭台切がふらついた隙に、長谷部は床に転がったボールを拾いまた投げた。ただし、今度は長船に向けて。

     交通事故に遭った時、車が突進してくるのがスローモーションのように見えると聞いたことはあったが、今の彼も長谷部の放ったボールがとてもゆっくり飛んでくるように見えた。けれど体は固まり、身動き一つ取れない。呼吸の仕方さえ忘れてしまったようだった。ボールが目と鼻の先まで来て、もう駄目だと思い目をつぶったが、強い力で押し倒された。
    「……」
     もう聞き慣れてしまったガラスの音がするも、破片が降ってくる気配はない。それどころか彼は何か黒いものに守られていた。
    「主を狙うなんて……覚悟はできてるんだろうね」
    「ぬかせ。それは俺の台詞だ」
    「主」
     燭台切は長船を立たせると、彼が燭台切の身を心配するより前に、自分の後ろに下がらせた。
    「主もここから逃げて。僕は長谷部君にちょっとお灸を据えるから」
     長船から表情は見えないが、彼のスイッチが入ったことだけはわかった。燭台切は好戦的な部類ではないが、その分スイッチが入るとなかなか元に戻らない。燭台切が長谷部へ一気に駆けていくのを尻目に、彼は後ろのドアから情報処理室を抜け出した。

     廊下を直進し、吹き抜けのガラスの所まで逃げ延びる。距離はわずかしかないなのに、長船は息が切れその場に座りこんだ。
     情報処理室からは怒号やガラスの割れる音、物がぶつかる音が聞こえてくる。彼がいた時より、ヒートアップしているのが音だけで伝わってきた。長船は辺りを見渡したが、茶坊主と小夜の姿はなかった。
     自分も同じように逃げるべきか。しかし、長船は燭台切と再会するまでにかかった時間を思い出し、やめた。彼は燭台切と会うまでに四時間以上かかった。また会うのに四時間かかっては、大きなタイムロスになる。
    「お兄さん、気づいてるかな」
     長谷部は刀を一切使わなかった。彼の腰に刀は差さっていたし、燭台切を格下と侮ったわけでもないだろう。長船が見る限り、二人の実力は互角だ。燭台切は極で長谷部は特だが、燭台切は極になってから日が浅い。そう考えると、長谷部が刀を使わない理由は一つしかない。
    「変な条件」
     長谷部の離脱条件は、きっと刀に関することだ。刀を禁止されるのは審神者にとってありがたいはずなのに、先ほどの長谷部を見ているとそうは思えなくなってしまった。彼は投石のすごさを身に染みて感じた。

     長船が壁を背にして座っていると、長谷部が情報処理室から飛び出してきた。彼の手にはキーボードがあり、長船とばっちり目が合う。彼は狙いを定め、キーボードをやり投げのように放り投げた。
    「またオレ狙うの!?」
     距離があったのでぎりぎり避けられたが、長谷部は廊下の奥にあるロッカーからモップを取り出し、また構えた。
    「どうしてそんな所にいるの!?」
    「ごめんなさい!」
     前方の戸から出てきた燭台切がモップを切り落としたから助かったものの、彼は近くの教室に隠れていれば良かったと心底後悔した。しかし、今更隠れても遅い。
     長谷部は情報処理室から引っ張り出してきた物を次々と投げつけ、時には箒を棒術のように使いこなし燭台切と戦った。刀が使える分燭台切の方が有利に思えたが、屋内で太刀の彼は自由に動けず、何より長船をかばいながら戦わないといけない。

     長船の目にも燭台切が徐々に追い込まれていくのがわかった。劣勢になっているのは彼自身も把握しており、長谷部と距離ができた隙に、長船に駆けよった。
    「主、しっかりつかまっててね」
    「へ?」
     燭台切は長船の膝裏に手をやると、長船を抱き上げた。所謂お姫様抱っこである。そして燭台切は彼をお姫様抱っこしたまま、吹き抜けのガラスに向かって突進したのだった。
    「ぎゃーーーーーーーーー!!!!」
     長船の叫び声は、ガラスの割れる音でかき消えた。


     三階から一階の中庭に飛び降りた燭台切は、その足で体育館へ逃げた。途中で二人を呆然と見るジャージ姿の女性とすれ違ったが、燭台切は長船に弁解の時間をくれなかった。お姫様抱っこをするのが様になっている燭台切はいいかもしれないが、男に軽々とお姫様抱っこされている長船は、穴があったら入りたかった。
     彼がようやく下ろしてもらえたのは、長谷部の気配がしないと確認ができてからだった。体育館の床に下ろされた彼は、下りるやいないや、燭台切の胸を叩いた。

    「おま、お前、お前……!」
     言いたいことがありすぎて、言葉が上手くまとまらない。落ち着いてと燭台切になだめられ、少しずつ落ち着きを取り戻すが、燭台切を叩く手は止まらなかった。
    「体がふぁ~ってなっただろ、ふぁ~って! 三階から飛び降りるとか何考えてんの!? オレがエレベーターが階に着いた時の、ふぁ~って感じが嫌いなの知っての所業か!!」
    「えれべーたー?」
     こてりと首を傾げる燭台切に、長船は無言で彼の胸をバシバシ叩いた。可愛いと思ってしまった自分が憎かった。

     いくら叩いても燭台切は何も言わなかったが、鍛え上げられた体を叩き続けた彼の手が悲鳴を上げたので、彼は手を引っこめ咳払いをする。せめてものプライドで、手をさするのは堪えた。
    「すれ違ったお姉さんに変な目で見られてたの、お前気づいてる?」
    「すれ違ったのはわかったけど、主を逃がすのに必死だったからなぁ」
     さらりと言われた言葉に悶絶しそうになったが、長船はどうにか踏み止まった。
    「あのお姉さんと次会った時、どんな顔して会えばいいんだよ!? どうも、燭台切にお姫様抱っこされてた長船で~すって自己紹介しろって?」
    「まあまあ、次会うことなんてそうそうないから、気にしないでもいいんじゃないかな」
    「そうだけどさ……あー! お兄さんから友切の情報聞いてない! 結局友切の敗北条件持ってんの誰だよ!?」
    「落ち着いて。まずは友切に会うことを第一に……」
     燭台切が当初の目的を言いかけたところで、二組目離脱の放送が流れる。二組目の離脱者は、髭切と友切だった。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士7の髭切の勝利。審神者7の友切、敗北です」

     先ほどまで騒がしかったのが嘘のように、長船は何も言わなくなった。茫然と放送が流れてきたスピーカーを見ている。彼の敗北条件は『審神者7の友切が遊戯に勝利する』こと。友切が負けてしまったということは、彼が燭台切に負けるためには……。
    「主、タブレットを確認して」
    「……」
    「ごめんね」
     動かない長船のシャツのポケットに、燭台切が手を突っ込む。そして彼のタブレットを取り出すと、画面を指でスライドし、少ししてから残念とつぶやいた。
    「離脱条件の譲渡はないみたいだね。僕も……外れか。さ、行こう」
     長船と自分のタブレットを元の場所に戻し、燭台切は長船の手を掴んだ。しかし、その手を長船は振り払う。

    「行くって、どこにだよ! 友切はもう……」
    「山姥切君か、彼が隠した審神者を探すんだよ」
     燭台切は悪いけどと前置きし、新たな彼らの目標を言った。
    「山姥切君の審神者には、僕たちのために負けてもらう」
     長船が負けるためには、燭台切の勝利条件を達成するしか道はない。彼の勝利条件は『刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する』。


     彼らの探し人は、友切から山姥切もしくは山姥切の審神者になった。二組目離脱の放送後は、逃げてきたのとは反対方向にある体育館と部室棟をもう一度のぞき、それから校舎に戻ってくると、屋上から順に下へと校舎内を見て回ろうとした。
     しかし、屋上から出たところで、四階の教室に入っていく長谷部の姿を見かけ、無用な戦闘を避けるためまた一階へと下った。
    「この会場、特殊な術がかかっているのかもしれないね」
     長谷部が彼らにまったく気づかなかったことに対し、一階に着いてから燭台切がそう言った。

     一階の体育館へと続く廊下には、ステンドグラスが埋め込まれた壁がある。数時間前通りかかった時見たステンドグラスは、色鮮やかにきらきらと輝いていたのに、今はくすんだ色味に変わってしまっている。それは遊戯会場が夜を迎えようとしているからだったが、輝きを失ったステンドグラスから長船は目を離せず、無意識のうちに下唇を噛んでいた。
    「この部屋見たっけ?」
     燭台切から話しかけられ、はっと我に返る。燭台切の視線の先にあるのは、階段から体育館への廊下の間にある部屋だ。一階はすべての部屋を見たと思っていたが、見落としがあったらしい。

     部屋の戸を開けてみると、中は思いの外明るかった。他の部屋よりも大きな窓が校庭側に付いており、長船が技術室だと判断できるほどには、中の様子がしっかり見えた。
    「技術室?」
    「技術って教科があって、椅子とか作ったりすんの。この学校は、もっとしっかりした物作ってるっぽいけどね」
     部屋の隅にある旋盤やその横に立てかけられた鉄パイプを見ながら、長船は燭台切に説明する。中学校ってよくわからない場所だねと、燭台切が素朴な感想を漏らす。調理室の時も彼は同じ感想を言い、学び舎で料理や工作を学ぶという感覚が理解できないのだろう。

     入口から見た限り人はいなかったが、念のため部屋の中に入り、人が隠れることができそうな場所を確認する。しかし部屋の中を探している途中で、ガラリと戸の開く音がする。
    「でかした兼さん!」
     弾んだ女性の声がするが、彼をかばうように前に立った燭台切の背で、女性の姿は見えなかった。
    「すごい! さすが! すごい!」
    「当然だろ」
     横に半歩ずれ正面を見れば、はしゃぐ女性と得意げな和泉守兼定がいた。女性の方は、恋人がいる彼でも見惚れるほどの美女だった。新しく実装された刀剣女士ですと嘘を吐かれても信じてしまう。それくらい美しかった。

     だが、長船たちの様子を見て、ああごめんと女性が柔和に笑う。その笑みもやはり美しい……のだが、何故だろう。美しいと感じる前に、すごくうさんくさい。長船は心の中であれれ? とつぶやいた。
    「警戒しなくても、長船君に危害を加える気はないよみっちゃん」
     彼女の一言で、燭台切の周りの空気が一気に変わったのを長船は感じた。
    「どうして主の名前を知ってる?」
     あまりに自然だったので気づかなかったが、女性はまだ名乗っていない彼の遊戯者名を呼んだ。燭台切の右手は柄に伸びており、長船の体にも緊張が走った。
    「魂之助が言っていた特殊仕様のタブレットだから、と言っておこうか。……君たちは恋人同士?」
    「そうだよ。驚かないんだね」
    「私も刀剣男士を恋人に持つ身だから」
     同類だった鶴丸は驚いていたが、女性は不敵に笑う。側にいた和泉守はなんとも言えない顔をしているが。
    「禁じられた恋に身を投じた者同士、協力しようじゃないか。教えてほしいことがあるんだけど」
     彼女の言うように同士ならば協力すべきなのだろうが、女がしゃべると何故か当たりさわりのない発言でも警戒心を抱いてしまう。

    「え~と……お姉さん?」
     意を決して、彼は女性に話しかけた。
    「おやおや、私がお兄さんに見えるのかい?」
    「いや、年下かと思って」
    「君がよほどの童顔でない限り、私の方が年は上だよ」
    「じゃあ、お姉さん。お姉さんは何を知りたいの?」
    「歌仙の離脱条件と茶坊主っていう長谷部に隠された男の子の行方が知りたい」
     茶坊主の名に、長船と燭台切は顔を見合わせる。しかし彼女としては、優先順位は歌仙の方が上だったようだ。

    「歌仙の条件がわかるのかい!?」
    「ごめん、わかるのは茶坊主君のことだけだよ」
     女性が初めて見せた真剣な表情に、警戒していた燭台切も、申し訳なさそうに詫びる。女性は目に見えて落胆していたが、燭台切に続きを求めた。
     燭台切は話しても支障はないと判断したようだ。情報処理室での出来事を彼女らに説明する。話を聞き終わると、あれは君たちの仕業かと女性は苦笑した。
    「まあ彼が無事に鍛刀できたのなら良かったよ」
    「僕からもいいかい?」
    「なんだい?」
    「山姥切君もしくは山姥切君の審神者について、君は何か知ってる?」
    「い抜き」
    「い抜き?」
     人差し指で燭台切を指すが、女性が何を指摘しているのかがわからない。どこかで聞いた覚えのある言葉だが、燭台切のぽかんとした顔を見て、女はなんでもないと言い手を振る。こめかみを押さえ、移ってしまったと乾いた笑いを零しつつ、彼女が燭台切に尋ねた。

    「切国と写しがどうしたの?」
     当人としては何気ない発言だったのだろうが、今度は燭台切が食いついた。『写し』というのは、山姥切が隠した審神者の遊戯者名だろう。名前を知っているということは、何かしらの情報を持っていることの裏返しでもある。
    「君の知っていることを教えてほしい。僕が勝つためには必要なんだ」
    「みっちゃんの勝利条件って?」
    「僕の勝利条件は『刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する』だよ。あとは山姥切君が勝つだけでいいんだ」
    「……」
    「和泉守君も! 君も何か知ってるんだろう?」
    「オレは」
     和泉守が何かしゃべろうとしたが、女性が彼の胸を押さえ自分が前に出る。笑みを消した彼女が口を開くが、彼女が言葉を発するより前に長船が叫んだ。

    「駄目だ!」
     そう叫んで、燭台切の腕にしがみつく。これ以上黙って聞いているのは、彼の良心が耐えられなかった。
     彼は楽天家ではあるが、自分たちのように山姥切も合意の元で審神者を隠したと考えていなかった。この遊戯には刀剣男士と恋人である審神者が三人も参加しているが、本来はありえないことなのだ。それにもし恋仲になったとしても、すべてを捨て刀剣男士の神域へ行く覚悟を決めるのは、簡単なことではない。彼も親代わりの祖父母が亡くなって初めて、燭台切と添い遂げる決意ができた。
    「オレたちの幸せのために、他の人が不幸になるなんておかしい!」
    「主」
    「オレはそんなつもりはなかったんだ! 他の人を不幸にしてまで、自分が幸せになろうなんて思ってなかった! やめよう光忠、もうやめよう……」
     彼は今まで口にできなかった思いを、一気に吐き出した。彼は神域を訪ねてきた本霊に参加の意思を示した時、他人を蹴落とさなければならないなど少しも思っていなかった。
     遊戯の説明を受け、参加者の一人が裏切りを示唆しても、自分には関係ないことだと聞き流した。何故なら彼は負けるつもりでいたから。勝ちたいのならともかく、負けるのに自分以外の犠牲が必要だとは考えられなかった。

     燭台切は腕にしがみつく長船をじっと見ていたが、落ち着いた声で長船に問いかける。
    「主は僕が死んでもいいの?」
    「違っ……」
     顔を上げるが、燭台切と目が合って何も言えなくなった。燭台切が怒っていれば彼も感情のまま言い返すことができたかもしれないが、彼は悲しんでいた。
    「主が言っているのはそういうことだよ。山姥切君の審神者が負けない限り、僕は死ぬ。僕よりも見知らぬ審神者の方が大事?」
     彼は唇を噛み、手に握った燭台切のジャケットの皺が深くなる。
    「そんなこと、あるわけないじゃないか……」
     山姥切が隠した審神者より燭台切の方が大切で、彼の方が大切なら自分がどうしなければいけないのか。結局は問題を先送りしているだけにすぎないと、彼も自覚していた。うつむいた彼の頭を、燭台切がいたわるようになでた。

    「君たちには協力できない」
     二人の様子を静観していた女性が声を上げる。長船は顔を見られたら今の気持ちが燭台切にわかってしまいそうで、うつむいたまま彼女の言葉を聞いた。
    「君ならわかってくれると思ったんだけどな」
    「理解はするよ、共感はしないけどね。それに私も自分の身を優先して他の審神者を見殺しにしたんだ、今更聖人ぶる気はない。けど審神者である以上、人と刀剣男士なら刀剣男士より人を優先する」
    「自分の恋人の前で、そんなこと言っていいの?」
    「私の恋人は長谷部だ」
     燭台切が驚いているのが、長船にも伝わってきた。女性の恋人が長谷部ならば、前提がいろいろと崩れる。遊戯に参加している長谷部が隠したのは茶坊主だとわかっているので、女は長谷部と恋仲でありながら他の刀剣男士に隠されたことになる。

    「君は和泉守君と協力しているのに、僕たちには協力できないと?」
    「彼は参加者ではないよ。政府の道具。刀をしまいなよ、これは善意で言っているんだみっちゃん。兼さんと戦って、無傷ですむなんて思ってないだろ」
     燭台切が刀を手にしたのを見て、和泉守も刀を抜いた。特ではあるが和泉守の練度は上限に達し、屋内戦では打刀の彼の方に分がある。それに女性が言うように政府の道具として参加しているのならば、他の刀剣男士にはないアドバンテージを持っている可能性もある。しかし燭台切はひるまなかった。
    「君が山姥切君の審神者の敗北条件を知っていたら、僕たちの勝利は近づく」
    「私が把握している敗北条件は友切だけだ。画面見せようか?」
    「……今更見ても仕方がないよ」
     女性の言葉を信じたのか、それとも友切の名を聞き気が削がれたのか。燭台切は刀を収めた。その後しばらくにらみ合いが続いたが、女性が背を見せずに扉の前まで下がり、長船を一瞥して部屋から出ていった。和泉守も彼女に続き、技術室には長船と燭台切の二人きりになった。

     その後長船たちは会場内を一通り見て回り、三組目が離脱したのは、再度二階で山姥切たちを探している時だった。
    「こればかりは仕方ないか。さあ、行こう」
     離脱条件の譲渡がなかったことを確認すると、燭台切は再び歩き出し一階へと下っていく。長船は彼の後を慌てて追ったが、これからのことを思うとどうしても伏し目がちになってしまう。何故こんなことになってしまったのか。彼は二組目が離脱する前のことを思い出し、出口の見えない迷路に迷いこんでいた。


     顕現され彼が初めて見たものは、色が黒くて人相の悪い男だった。彼は自分が山姥切の主であることと、遡行軍を倒すため協力するよう言ったが、彼の意識は既に新しい刀の鍛刀に移っていた。
     つり上がった細い目は、山姥切をろくに見ようとしない。所詮は写しの身。仕方がないと思いつつ、彼は納得できずにいた。彼は国広の第一の傑作であると同時に、政府が用意した五振りの中から選ばれた刀なのだから。

     彼は自分の主のことが何もわからなかった。彼は主と二人だけでいることを望んだので、鍛刀ができないように鍛刀部屋に呪いをかけたし、戦場から刀を持ち帰ることもしなかった。それなのに主はいらだち、彼やこんのすけに罵詈雑言を浴びせる。
     政府が連隊戦という催しを実施することになり、戦績に応じ報酬として刀がもらえるとわかると、主は彼に催しに参加するよう命じた。

     ──何故俺以外の刀を欲する?
     ──俺が山姥切の写しだからか? 本歌なら本歌だけで満足したのか?
     ──それならば何故他の四振りでなく俺を選んだ?
     ──どうすれば俺を見てくれる? どうすれば俺だけでいいと思ってくれる?
     ──主のすべてが知りたいのに、写しの俺にはわからない。所詮写しの俺には、俺のことしかわからない。

     そのうち、彼はある考えに行きつく。

     ──俺には俺のことしかわからないのならば、主が俺になればいい。

     それからの彼の行動は早かった。主を部屋に閉じこめ、自分の神気を注いだ。注げば注ぐほど、主は山姥切国広になっていった。色の濃い肌は白く、黒い髪と瞳は金と緑へ。高かった背は縮んでいき、薄かった体には筋肉がつく。
     これでようやく主のことがわかると喜んだ彼だったが、現実は違っていた。彼と同じになった声で、主は彼を口汚くののしる。そうかと思えば、鏡に映った自分を見て、気が狂ったように彼の声で笑い続けもする。彼は最後の望みをかけ、自分の神域に主を連れ去ったが、本丸にいた時より主は狂っていった。

     どうすればいいか途方に暮れていたところに、本霊が彼の神域を訪れた。永遠の命に興味はなかったが、秘密遊戯に参加したいと主に乞われ、彼は参加を決めた。それが彼を神域に連れてきてから、初めてした会話らしい会話だった。

     遊戯の開始から二十三時間が経った。しかし山姥切は、未だ主に会えずにいた。主を探し歩く間、彼はずっと考えていた。
    「(何が足りないのだろう)」
     山姥切は遊戯に参加すると決めた時から、ずっと同じことを考えている。何もかもが一緒になったはずなのに、彼の望む結果にはならない。主のすべてを知るためには、あとは何が足りないのだろうかと考えても、答えは一向に出なかった。

     一階の外階段から二階へ上がった山姥切は、細長い部屋を抜け二階の廊下に出た。そこで彼は白い布を頭から被った男と、その男の首の横に刃を突きつけている燭台切を見つけた。燭台切が少し手を動かせば、男の首はすぐ飛んでしまう位置に刀はある。
     布で姿が隠れていても、山姥切には男が誰であるかはわかった。彼は刀を抜き、前方へ駆け出した。主に手を出す者は、誰であろうと切る。そう彼は心に決めている。主と自分に違いができるなど、あってはならないのだ。


     遊戯から二十三時間が経ち、長船の勝利条件である『遊戯開始から28時間が経過する』が達成されるまで、あと五時間を切った。窓の外を見れば、ほんのりと空が明るくなっている。夜が明けようとしていた。
     長船は髪を結んでいたゴムを取ると、乱暴に頭を掻きむしり、また髪を後ろで一括りにした。それを見て燭台切が、あっと小さな声を漏らす。
    「こらっ、そんな雑に結んだらいけないだろ」
    「誰か見てるわけじゃないし、別にいいじゃん」
    「格好は常に整えておくべきだよ。というより、僕が見てる」
     燭台切は長船の髪を解くと、手で髪を梳いた後、ゴムで結び直した。長船には見えないが、よしバッチリと燭台切の満足そうな声がする。彼は首だけ後ろに向かせ、燭台切の顔をのぞきこんだ。
    「光忠だよな」
    「そうだよ。どうしたの急に」
    「……ううん、なんでもない」
     彼が見た燭台切は、彼の知る燭台切そのものだった。

     お調子者の彼ではあるが、実は人に頼み事をするのが苦手で、審神者になってからも一人で抱えこみすぎてはよくキャパオーバーを起こしていた。それを見かね、彼を手伝うようになったのが燭台切だ。近侍の長谷部と違い、燭台切のやり方は上手かった。雑務は男士にやらせればいいと切り捨てては、長船が反発するだけだと理解し、長船が心を許すまで彼のやり方に付き合った。
     『せっかくならみんなが喜んでくれるものを作りたいよね』。一緒に献立を考えている時、燭台切がそう言い、長船はその言葉で自分に欠けているものに気づいた。
     他者に迷惑をかけないことばかり考えて、喜んでもらうという発想が欠けていた。燭台切は優しいんだな、そう思ったのが恋の始まりだった。恋のきっかけになったあの時の表情と、彼が今見た燭台切の表情は同じだ。愛した燭台切は何も変わっていないと、危険な状況にありながら彼はほっとした。

     ミシンの並んだ被服室を出て、向かいの調理室に入ろうとしたところで、西端の廊下から白い布を被った男が出てくるのが見えた。長船は男を呼びとめようとしたが、喉が張りついて声が出ない。
    「山姥切君」
     代わりに燭台切が男の名を呼び、山姥切の方へ駆けていく。彼は燭台切の後を、遅れて追いかけた。ただし、二人から少し離れた場所に留まり、彼らの側には近づかなかった。
    「俺になんの用だ?」
     布に隠れて表情はあまり見えないが、燭台切と距離を取ろうと後ずさりする。元々パーソナルスペースが広い刀ではあるが、警戒しているのだろう。燭台切は誤解しないでと言い、顔の前で両手を振った。

    「君が勝つために僕たちも協力したいんだ」
    「なんだと?」
    「僕の勝利条件は、君と髭切さんが勝つことなんだ。あ、そこの彼は僕の主だよ。細かい説明は省くけど、彼も君に協力する」
    「そうなのか?」
     山姥切が真っ直ぐに長船の顔を見てくる。彼には蔑まれているように思え、視線をそらした。そして答えはわかっていながら、馬鹿な質問をする。
    「国広はさ、オレたちみたいに合意のうえで主を神隠ししたんじゃないのか?」
    「主」
    「なあ、どうなんだ?」
     長船は自分でも、ひきつった顔をしているのがわかった。燭台切を優先すべきだと考えながら、彼はまだ覚悟ができていなかった。

     すがるような思いで山姥切を見るが、怒気を含んだ顔つきに息を飲む。だがそれも一瞬のことで、山姥切は布を引っ張って顔を隠した。
    「お前の主は違うようだが?」
    「……君、いつから僕のこと『お前』って呼ぶようになったの?」
     そこ!? と長船は心の中でツッコミを入れたが、今の彼にはささいなことでも爆発しそうな危うさがある。長船は落ち着かせなければと慌てたが、燭台切の様子がおかしいことに気づく。彼は怒っているのではない、その証拠に目が輝いている。
    「山姥切君は僕のこと、『あんた』って言うんだよ」
    「それが」
    「それがどうした! 呼び方くらい、いちいち気にするな」

     長船が言い終わる前に、山姥切が早口でまくし立てる。しかしその態度が、燭台切の疑惑を確信へと変えた。
    「君が本当に山姥切君なら、刀はどうしたの?」
     燭台切が言うとおり、山姥切の刀はどこにも見当たらない。刀剣男士なら考えられないことだ。
    「俺の敗北条件は『右手で刀に触れる』ことだ。もしものことを考え置いてきた」
    「へぇ。それは大変だね。僕が預かってあげるよ、どこに置いてきたの?」
    「誰がお前のことなんか信じるか!」
    「お前じゃなくてあんた、だろ?」
     燭台切は刀を抜くと、『山姥切だと思っていた参加者』の首へ刀を構えた。

    「君は審神者5の写しだね。山姥切君も面白いことするな」
     山姥切の見た目をした審神者の首に刃を突きつけ、燭台切は笑う。写しは負けじと燭台切をにらんでいるが、脅しではないとわかっているため動けずにいる。
    「さあ、君の敗北条件を言って。痛い思いはしたくないだろ?」
    「……」
     燭台切は無抵抗の者に手を上げるような男ではないが、今だけは別だ。彼は勝利のためなら、必要最低限の犠牲は仕方ないと思っている。
     相手の男にも冗談ではないことは伝わっているはずだが、彼は口を閉ざしたままだった。脅しに屈しない強靭な精神を持っているのか、知られてはまずい敗北条件なのか。長船にできることは、二人の様子を離れた場所から見守ることだけだった。

     長船は声を発しそうになり、両手で喉を押さえた。手は汗で湿っており、気持ちが悪い。止めてはいけないと心の中で何度も繰り返すが、視界の端で燭台切の右手が動くのが見え、彼は叫んだ。
    「やめろ!!」
    「はぁっ!!」
     彼の声と重なって山姥切の声がし、刀と刀がぶつかる音がする。燭台切は写しを突き飛ばし、飛びかかってきた山姥切の刀を受けていた。夜明けが近いとはいえ、校舎の中はまだ薄暗い。山姥切の接近に気づくのが遅れた燭台切は、体勢を立て直すため後ろへ飛び退けたが、山姥切は逃げることを許さず切りかかる。
    「待って! 僕は君の味方だよ」
    「黙れ、主に傷をつけるやつは切る!」
     二人の練度の差は大きく、夜間であっても燭台切に分がある。しかし山姥切を攻撃する意思のない彼は防戦一辺倒になり、いくら休戦を申し出てもよほど頭に血が上っているのか、山姥切は攻撃の手を緩めない。

     長船は迷った末、腰を抜かしている写しの元へ行った。長船は男の隣に膝をつき、大丈夫かと声をかけたが、男は彼の腕にしがみついた。
    「灯篭はどこにいる!?」
    「え?」
    「灯篭だ、灯篭はどこにいる!?」
     必死な形相が怖くなり跳ねのけようとしたが、彼はそれ以上の力で長船に詰め寄った。
    「あと一組離脱するだけでいいんだ! 長谷部は駄目だ、灯篭さえ離脱すれば俺は助かる! 灯篭はどこにいる!?」
    「そんなの、知らな……」
     長船が力なく首を横に振るが、男はなおも灯篭の場所を問いつめる。
    「灯篭はどこだ!?」
     その時、スピーカーからマイクのスイッチが入る音が聞こえてきた。写しは長船の服を掴んだままだったが、スピーカーを見上げる顔は緩み、安堵しているように見えた。しかし、スピーカーから流れてきた声を聞き、その表情は一変した。

    「これでいいのかな? そう、ありがとう。……僕はにっかり青江。元は大太刀の大脇差さ」


     青江はみんな知ってるだろうけどねと笑う。燭台切と山姥切が刃を交える音が聞こえる中、放送は続いた。
    「主……いや、ここでは灯篭と呼んだ方がいいかな。灯篭、君にいいことを教えてあげる。僕の離脱条件についてだよ」
     遊戯を進めるうえで、離脱条件を知られるのは何よりの痛手だ。それを自分から全参加者へ教えようとするなど、にわかには信じがたい。長船は聞き間違いかと思ったが、青江は自分の勝利条件は『刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する』だと言った。
    「彼ももう少し粘ってくれたらいいのに、堪え性がないのかな? ッフフ、でも君にとってはいいことだよね。これで君は自分の敗北条件さえ満たさなければ、負けることはなくなった。ああ、もっといいことを教えてあげよう。僕の敗北条件は『遊戯の経過時間が28時間に達する』」
     長船の体は無意識に跳ねていた。彼と同じ内容の敗北条件に、自分が勝利する傍らで負ける者がいることをまざまざと実感する。忘れようとしていた罪の意識が、頭をもたげた。
    「君は何もしなくても、あと四時間過ぎるのを待てばいい。嬉しいかい? 君色に染められた僕としては寂しいかな。……屋上においで。僕は遊戯を離脱するまで、そこにいる。待ってるよ」
     ブツリとマイクが切れる音がし、スピーカーからは何も聞こえなくなった。

     青江は考えの読めない刀剣男士ではあるが、彼の行動を長船は何一つ理解できずにいた。しかし目の前の男がふらふらと立ち上がり、彼の思考は中断された。
    「どこ行くの?」
     長船はつい白い布を引っ張って引き止めてしまい、写しはよろめきはしたが振り返らず、そのまま前に進もうとする。
    「屋上に灯篭がいる」
    「あんなの絶対罠だって。行くわけないじゃん」
    「うるさい! 俺にはもう時間がないんだ」
     確固たる根拠があるというよりは、自分に都合良く考えたがっているように長船には見えた。

     写しは職員室に向かって走り出し、長船は彼の体に飛びついて止めた。突然のことに写しは倒れて、彼の体を離さなかった長船もまた倒れ、写しの上に乗り上げる。
     写しを屋上に行かせても問題ないと頭ではわかっていても、得も言われぬ不安に襲われ写しを止めた。同年代の男性より細身な彼は、すぐに写しに弾き飛ばされてしまったがまた写しに飛びつき、蹴られても彼から離れようとしなかった。
     結果、長船のしぶとさが勝利に繋がった。彼を跳ねのけた写しが、職員室の戸に手をかけたところで放送が流れた。

    「離脱者の発表を行います。審神者5の写し、敗北。刀剣男士5の山姥切国広の勝利です」

     写しはタブレットを取り出したが、画面を見るなり奇声を上げタブレットを床に投げつけた。
    「ふざけんな! 俺は現世に帰る、帰るんだ!!!」
     フロア中に響き渡る声に、長船は耳を塞いだ。けれど彼の叫び声は耳を塞いでも聞こえ、続く放送も彼の耳に届いた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士3の燭台切光忠の勝利。審神者3の長船、敗北です」

     写しに飛ばされ座り込んでいた長船の横を、山姥切が通りすぎる。写しは来るなと威嚇したが、山姥切は足を止めなかった。
    「主」
    「来るなって言ってんだろ!」
    「何故怒鳴る?  何故泣く? 俺は怒鳴りも泣きもしないのに、何故あんたは俺と違う行動をするんだ?」
     写しを壁際に追い込むと、山姥切は写しの両肩を押し顔を近づける。長船はキスするつもりなのだとぼんやり眺めていたが、山姥切は大きく口を開け、写しの喉仏に噛みついた。写しが喉をのけ反らした拍子に布が落ち、目を見開き小刻みに震える彼の表情がはっきりとわかった。

     山姥切は唇を舐めると、口が小さく動く。甘い、そう言っているように長船には見えた。
    「あんたを俺にするんじゃなくて、あんたを俺の一部にすればいいのかもな」
     そう言って山姥切は、今度は写しの肩にかぶりつく。露わになった写しの喉は、遠目でも歯型から血が流れているのがわかった。茫然と山姥切の奇行を眺めていた長船だったが、写しと目が合った。彼は恐怖の涙を流していた。助けてくれと目で訴えられたが、長船には何もできない。彼は目を閉じ、助けを求める視線から逃げた。

    「主!」
     座りこんだままの長船の肩を、誰かが叩く。燭台切だ。半透明になった彼の体を、朝日が通り抜けていく。山姥切と写しのいた場所を見たが、そこにはもう誰もいなかった。
    「やったね、これで僕たちは永遠に一緒だよ!」
     燭台切は笑っていた。彼が燭台切の神域へ行くと約束した時と同じくらい、それはそれは嬉しそうに。長船にはとてもではないが、そんな顔できなかった。一人の人間を犠牲にしたことを思えば当然だが、燭台切は当然とは思っていない。長船の顔を見て、どうしたの? と首を傾げる。

     ──主だよ。決まってるじゃないか。

     恋人になりたての頃の、燭台切の声が蘇る。あれは、酔った勢いで自分と太鼓鐘貞宗ではどちらが大切かと燭台切に聞いた時のことだ。『オレと貞ちゃんが崖から落ちそうになってて、一人しか助けられないとしたら。光忠はどっちを助ける?』、彼はそう聞いたのだ。
     長船はそんなの選べないと答えると思っていた。悩む燭台切を見て楽しもうという算段だったのだが、燭台切は即答した。主に決まっていると。

     彼は自分の愚かな行いの結果に酔いがさめ、燭台切に謝った。恋人と親友を比べさせるなんて、優しい燭台切にするべきではなかった。しかし燭台切はきょとんとした顔をして、なんで謝るの? と不思議そうにしていた。
     長船は今になって、あの時の燭台切の言葉はなんら偽りのない彼の気持ちだったのだと知る。彼は太鼓鐘も助けようとするだろう。しかし、無理だとわかれば主の手を取り、太鼓鐘を突き落とす。
    「永遠」
     たった二文字の言葉だが、つぶやくととても重かった。彼はもう一度燭台切の顔を見た。寒気がするほど綺麗な顔で笑っている。

     彼が愛した燭台切は、皆に優しい燭台切だった。他の人を突き落としてでも、自分を優先してほしいなんて一度も思ったことはない。
    「嫌だ……」
     こんなひどい男と永久に共にいないといけないと考えたら、目の前が真っ暗になった。自然と口を出た言葉は、幸か不幸か燭台切には届かず、彼らの姿もまた遊技場から消えていった。


     日が完全に落ち校舎が暗闇に覆われた時、徳島は探索を中断して日が明けるまで隠れていようかと考えた。だが他の参加者より時間をロスしてしまった彼女は、探索を続けることにした。慎重に行動したおかげか危険な目に遭うことはなく、空が明るみ始めた頃、彼女は二階を訪れた。
     そこで燭台切と山姥切が戦っているのが見え、彼女は近くの部屋に逃げこんだが、そこにも先客がいた。先客の青江は機材をいじっており、暗い部屋の中でその機材だけが光を放つ。
    「大丈夫だよ、襲ったりしないからさ。今外に出るのは危険だよ」
     慌てて部屋から出ようとした徳島を、青江が止めた。刀剣男士の言うことを信じるわけではないが、燭台切たちの戦いに巻きこまれるより、青江の言うとおりこの場に留まった方が安全に思えた。

    「君も大変だねぇ。誰に隠されたの?」
    「……蜂須賀」
    「へぇ。僕は彼のことあまり知らないから、助言はできないな」
    「蜂須賀の離脱条件を知らない?」
    「僕が知っているのは歌仙だよ。あとは山姥切の審神者だけ」
     期待はしていなかったが、知らないと言われるとやはり気分は沈む。話の流れで君は誰のを持っているの? と聞かれ、彼女はしばし悩んだ後、自分が知る勝利条件の持ち主を告げた。

    「あなたよ、にっかり青江」
     彼女に与えられた他者の離脱条件は、青江と審神者8の茶坊主だった。アルビノの少女が青江の隠した審神者だとわかった時、彼女は青江の勝利条件を伝えなければと思ったが、運の悪いことに側には鶴丸がいた。鶴丸が青江の勝利条件に絡んでいる以上、教えることはできなかった。
     青江は目を丸くしていたが、小刻みに震える彼女を見て、目を三日月に細めた。
    「そんなに怖がらなくても、何もしないよ。僕は嘘は吐かないんだ、ごまかしはするけどね」
    「あなたがごまかすというのは、記憶を消すこと?」
    「……彼女に会った?」
    「ええ。あの子はまだ子供じゃない、現世に帰してあげて」
    「君には彼女が子供に見えるんだ」
    「まだ成人もしてない子供でしょう」
     徳島の言葉を受け、青江は自分の腰より低い位置に手をやった。

    「子供っていうのは、これよりも低い子のことをいうんだよ。彼女はもう温石の代わりにはならないし、彼女が駆けてきても僕の刀としての衝動はうずかない。十分大人さ」
    「でも」
    「君はこれの使い方知ってる?」
     徳島の言葉を遮り、青江が自分の背後にある機材を指す。暗さのせいではっきりとはわからなかったが、マイクらしき物が見えて、彼女はここが放送室だと知る。何故放送の仕方を知りたがるのか不審に思ったが、刀剣男士に逆らうのは得策でないと考え、素直にスイッチの入れ方を教えた。

     放送機材を使い何をしゃべるのかと思えば、青江は自身の離脱条件を話し始めた。そして灯篭に屋上へ来るよう言うと、スイッチを切った。
    「あなた、一体何を考えてるの?」
    「僕にあの子のことを諦めろと言ったのは君だよ」
    「……」
     青江は振り返ると機材に手を突き、にっかり笑った。いぶかしむ彼女に何を思ったのか、青江はタブレットを取り出し、彼女に向かって投げた。
     反射的に受け取り青江の顔を見るが、彼は見てもいいよと言う。本当に見てもいいのか迷ったが、わざと大きく手を動かして操作したが、青江は何も言わなかった。

     参加者一覧を開くが、彼が言ったとおり他の参加者の条件は歌仙と写ししかなく、彼自身の条件も放送したのと一言一句違わなかった。
     青江が放送してから十分ほどして、突如機材の上に魂之助が現れた。一組目離脱直後の補足説明もだが、魂之助は何もない場所から突然姿を現す。彼は短い足で器用にスイッチを入れると、写しの敗北を告げた。竜胆の勝利に希望を見出していた彼女を、再び恐怖と不安に陥れるのには十分だったが、更に追い打ちをかけるように、長船の敗北も告げられた。
     彼女は二つ目の放送が終わると同時に、タブレットを確認することなく部屋を飛び出した。もう燭台切たちの戦いに巻きこまれる心配がなくなったのもあるが、刀剣男士の青江と同じ部屋にいるのが、怖くてたまらなくなった。

    「おやおや、せっかちだね。夜もそうなのかな」
    「下品ですよ」
    「僕は夜としか言っていないよ?」
     魂之助のツッコミに、青江は意味深に笑って返す。魂之助は呆れたように溜息を吐くと、機材に傷はつけないでくださいねと忠告し姿を消す。青江は手を振って狐を見送った。
     それから彼は徳島が棚の上に置いていったタブレットを取り、参加者一覧を開いた。山姥切や燭台切の勝敗以外に、長船・雅・友切・竜胆の勝利条件と、一期・蜂須賀・髭切・長谷部の敗北条件が増えている。
    「せっかちは損だよね。いろいろと、さ」
     放送の仕方を教えてくれたお礼に、蜂須賀の敗北条件を教えてやっても良かったのに。青江は蜂須賀の敗北条件──『勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる』──を見て口の端を上げた。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 ???
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する
     敗北条件【30分以上同じ部屋に留まる】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する】
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件【遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 ???
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:???


    第六章:おいで 遊戯開始から二十四時間が経過した。茶坊主は一階におり、中庭から差し込む日の光に目を細めた。彼は右の手を握り、そして開いた。透明にはなっていない。遊戯開始から二十四時間が経過しても、こうして遊戯会場に残っているのは敗北条件が未達で済んだからだと、頭ではわかっているが彼は今一つ実感が持てずにいた。
     頭に浮かぶのは、白い軍服の男に抱き締められた少女の姿だ。セーラー服を着た少女は、彼が見た時には既に体が消えかかっていたが、最後まで家族に助けを求めていた。自分とあの少女の違いは何なのだろう。時折襲ってくる罪の意識とやるせなさに、彼は目を閉じた。

    「主」
     部屋の中から小夜が顔だけ出し、入ってくるよう促す。小夜は必ず部屋に誰もいないことを確認してから、主を部屋の中に招き入れる。情報処理室で長谷部の接近に気づけなかったことを気にしているのだろうが、仮にそうでなかったとしても、小夜左文字という刀は用心深い。彼の本丸にいた小夜でも、同じように振る舞ったに違いない。彼は少女の幻影を頭の中から消すと、部屋の中に入った。
     中庭に面した部屋は会議室のようで、ロの字型に配置された長机の他にホワイトボードが置かれている。彼は小夜に座るよう指示すると、自分もその隣に座った。パイプ椅子を引かれ距離を取られたのはショックだったが、持ち前のポーカーフェイスのおかげで悟られずにすんだ。

    「参加者も半分以下になって、遊戯も折り返し地点に入った。ここで一度頭の整理をしておきたい。それから小夜の意見も聞かせてほしい」
    「わかった」
     小夜は良くも悪くも疑り深い性格だ。実は根は楽観的な彼に欠けている視点を、小夜に補ってもらうのも目的の一つだ。
     茶坊主は小夜の前にタブレットを置き、『遊戯の決め事』を選択する。鍛刀直後に基本的なルールは教えたが、詳細までは伝えられていなかった。
    「(……なごむ)」
     画面がスクロールするのに合わせて動く頭を見て、不覚にもなごんでしまった。茶坊主も小夜がルール読む傍ら再度ルールを確認したが、新たな気づきはなかった。彼はタブレットをホーム画面に戻し、今度は参加者一覧を開いた。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 ???

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【???】
     敗北条件 ???

    審神者4:雅
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 ???
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 ???

    審神者5:写し
     勝利条件 ???
     敗北条件【遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 ???
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 ???

    審神者7:友切
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【???】
     敗北条件 ???

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】


    「遊戯開始から振り返っていく。気になることがあったら、その都度聞いてくれ」
     小夜が頷いたのを確認し、彼は今まで起きた出来事を語り始める。
    「俺は遊戯開始時、三階の美術室にいた。政府が用意した道具のある部屋だったので、さっそく道具探しを始めたが、外階段にいた雅さんが部屋に入ってきた。俺は彼女と行動を共にすることを決め、彼女の勝利条件を教えてもらった」
    「それがこれ?」
     小夜がタブレットの該当の箇所を指すので、そうだと返事をする。彼が何を言わんとするかわかったので、茶坊主は先手を打った。
    「長船君の時と同じように、画面を見せてもらって得た情報だ。字が黒く下に歌仙の名前もあったから、信じていいだろう」
     茶坊主は先を進めた。

    「美術室で刀剣男士の動きを二時間封じる札を手に入れた俺たちは、一階に移動。一階を探索している途中で、審神者2の太閤桐が敗北した。遊戯開始から三時間から四時間くらいの時だったと思う。離脱者の放送直後、遊戯の進行役である魂之助が現れ、離脱条件の譲渡について説明を受けた。そして更にその直後歌仙が現れ、雅さんの間男と勘違いされた俺は、三十七人目にされかけた」
     彼は話しながら、歌仙に会った時のことを思い出す。ただし、思い出しているのは雅と一緒にいた一回目ではなく、小夜と共に部室棟を探していた二回目のこと。会いたい人には会えず、顔も見たくないと思う者ほど会うのは不思議であるが、歌仙とは剣道部の部室で再会した。

     小夜はいち早く気配を察知したが、出口が体育館と繋がった渡り廊下しかない部室棟では、逃げるより隠れた方が賢明だと判断し、彼は茶坊主を防具が収納されているロッカーの影に隠した。彼は役には立たないとわかりつつも、竹刀を握りしめ息を潜めた。
    「なんだ、この臭いは……」
     声で歌仙だとわかった彼は、そのまま隣の部屋に行くことを願った。しかし歌仙は雅じゃないとぶつぶつ言いながら(危機的な状況にあるのに、彼は口に手を当て笑うのを堪えた)、部屋の中心にまで進んでくる。
     隣にいた小夜の気配がなくなり、茶坊主が目で小夜を探すと、彼はロッカーの影から出て歌仙の前に立っていた。茶坊主からは小夜の姿しか見えないが、きっと二人は向かい合っている。

    「お小夜」
    「お久しぶりです」
     歌仙の声が明るくなった。茶坊主は自分の本丸での、歌仙と小夜の関係を思い出す。小夜は江雪や宗三より、歌仙と仲が良かった。
    「お小夜も遊戯に参加しているのかい?」
    「いえ、僕は違います。歌仙は鍛刀部屋を見ましたか?」
     鍛刀部屋の存在と小夜の練度を見て、歌仙は合点がいったようだ。お小夜の主はどこだい? 力を貸してあげてもいいと上機嫌に言っているが、茶坊主は冷や汗が止まらなかった。もっとも、傍から見れば彼の顔の筋肉は微動だにしていなかったが。

    「ここから離れてください」
    「何故だい?」
    「お願いします」
    「……頼みが聞けるかは人によるよ」
     茶坊主は竹刀を握りしめ、どう対応するか考えるが、頭の中はぐるぐると渦を巻き何も結論は出ない。とんとんと肩を叩かれ振り向けば、いつの間にか小夜が隣に立っていた。彼は座って待っていたので、小さな小夜を見上げる格好になっていた。
     動かないで。小夜がそう言い終わるやいなや、彼は頭皮に強烈な痛みを感じ、痛む個所を抑えうずくまった。しかし、小夜は彼にかまわず、また歌仙の元へ向かった。

    「僕の主は男です。あなたの主ではない」
    「そうまでして僕に姿を見せたくない審神者の心当たりは、一人しかいないね」
    「僕はあなたの邪魔はしない。僕の主にもさせない。だから見逃してください」
     小夜が直球勝負を挑んだのは意外だったが、小夜は茶坊主と違い、どこまでも冷静だった。小夜は一番勝算が高い方法を選んだのだ。いくら気に食わない男でも、歌仙兼定は小夜左文字の頼むならば聞き入れるとわかっていた。
    「……怪我には気をつけるんだよ」
     茶坊主の耳には刀を抜く音は聞こえず、小夜も歌仙は刀に触れなかったと後に語っている。ドアが閉まる音がした後、小夜がもういいよと言って顔をのぞかせた。

     部室棟で歌仙と会ったのは、日が沈んでからさほど時間が経ってない頃。三組目が離脱するより前だった。歌仙の離脱条件を読み、次はもうないだろうと思うと頭が痛かったが、茶坊主は小夜への説明を続けた。
    「雅さんが札を使ってくれたおかげで歌仙の動きは封じられ、俺たちは四階に逃げた。逃げた先にあったのは図書室だった。俺たちは政府の道具の日記帳を見つけたが、鍵があるせいで中は見られず、諦めて図書室から出たところで竜胆と会った。竜胆は三日月に隠された眉月と偽名を使っていたが、後で雅さんから鶴丸の審神者である竜胆と聞かされた。こっちは雅さんの画面を見ていないから100%の確証はなかったが……雅さんの言っていたことは本当だった」
     反対に竜胆の発言は、どこまで正しかったのかわからない。彼女が口にした離脱条件もそうだが、五虎退の入手方法もだ。竜胆は水泳プールで見つけたと言ったが、鍛刀部屋で作ったと考える方が自然だろう。しかし、小夜と一緒に水泳プールを探しても何も出てこなかったので、政府の道具だった可能性も否定できない。

    「竜胆の持っていた五虎退で日記帳の鍵を壊すことになったが、彼女が鞘から五虎退を抜いた瞬間、彼女が五虎退を使い巫女装束の女性を刺す映像が見えた。そこで俺は雅さんを連れ、美術室に逃げた」
    「その映像はどこまで信用できるの?」
    「雅さんと同じことを言うな」
     きっと心で感じたと言っても、小夜は信じないだろう。刀剣男士なのに、彼はとてもリアリストだ。彼は竜胆の凶行を確信した、もう一つの映像について話をした。
    「三階の探索をするうちに、俺たちは情報処理室にたどり着いた。ここも政府の道具がある部屋で、雅さんが先に鍛刀部屋を見つけた。俺も鍛刀部屋の前まで行ったが、そこに着くと竜胆が馬乗りになって女性をめった刺しにしているのが見えた」
     この時の映像は一瞬では消えなかった。竜胆は何度も女性を五虎退で刺し、女性の抵抗は徐々に弱まっていくが、それでも変わらず刺し続けた。その時の竜胆の鬼気迫る横顔を、彼は忘れられない。

     霊感に目覚めてから、全身血だらけだったり頭以外はミンチになったりした幽霊を何度となく見てきたが、いつになっても慣れることはない。今も刺される度に口からゴボゴボと血を吐く女性の顔がフラッシュバックし、吐き気が込み上げてきた。
    「大丈夫?」
     黙りこんだ茶坊主を小夜が気づかう。ポーカーフェイスには自信があるが、この様では資源を目で数えてごまかしていたのも、雅にばれていたかもしれない。殺人があった場所のすぐ上に立っていると聞いていい気はしないだろうと思い、彼は二回目の映像については黙っていた。

    「平気だ。小夜も顕現してすぐ、血の臭いがするって言っただろう? 恐らく竜胆はあの場所で他の参加者を殺した。あの時点で離脱したのは太閤桐だけだったから、あれは太閤桐だったのかもしれないな」
    「あなたはその後、僕を鍛刀したの?」
    「ああ。俺はその場で完成するのを待ったが、雅さんは近くを歩いてくると言い部屋を出た」
    「逃げられたんじゃない?」
    「いや、彼女も俺の後に鍛刀する予定だった。彼女の勝利条件を考えれば、護身用に刀は欲しいだろう」
     小夜を顕現し今後の話をしようと思った矢先に、燭台切と長船が現れた。小夜から人の気配がすると聞き、一旦は鍛刀部屋に身を隠したが、二人が鍛刀をすると言い出したので観念して部屋から出た。

     警戒心のない長船に燭台切は苦労しているようだったが、長船の人柄があってこそ、燭台切は彼らを長谷部から守ってくれたのだろう。そう思うと、感謝してもしきれなかった。
    「ここからは小夜も知っていることだが、長船君と燭台切は互いが認める恋人同士であり、長船君が負けるために友切を探していた。雅さんが友切の敗北条件を知っていることを言ってもいいか判断するため、長船君にタブレットを見せるようお願いした」
     そうして手に入れたのが、長船の勝利条件と敗北条件だ。彼としては長谷部の離脱条件を持っていないかまで確認したかったが、長船の性格を考えるに、知っていたら真っ先に教えるはずだ。彼はそう思うことで、無理矢理自分を納得させた。

    「あんまり思い出したくないが、長谷部の話をしよう。長谷部のことで何か気づきはないか?」
    「長谷部は一度も刀を使わなかった」
    「やっぱり小夜もそこが気になるか」
     燭台切との戦闘を見ていたが、長谷部は物を投げるだけで刀を抜きすらしなかった。練度一の小夜ならともかく、相手は極の燭台切だ。いくら彼が長船を守りながら戦っていたとはいえ、楽に勝てる相手ではない。
    「長谷部は何度か刀に手を伸ばしていたけど、触れる前に止めていた」
    「長船君の勝利条件みたいな条件だったら厄介だな」
    「二十八時間刀に触れなければ勝利……とか?」
    「ありえそうだから嫌だ」
    「でもそれなら長谷部は、あの時逃げれば良かった。そもそも、長谷部が逃げなかった理由はなんだろう」

     刀剣男士が自分の隠した審神者と接触したがるのは、当然だと思いこんでいた茶坊主にはない発想だった。主への執着から? 刀剣男士としてのプライド? 相手の離脱条件を知るため? どれもありそうだが、すべてではない気がする。
    「長谷部の離脱条件は、刀に係わること。おそらくは刀の使用。しかしそれだけではなく、俺を捕まえないといけない理由がある……」
     考えてみたがそれ以上は思いつかなかった。小夜も同じだったので、彼は長谷部から逃げた後の話(振り返ると逃げてばかりだなと茶坊主は思った)に戻った。

     四階の階段すぐのトイレで身を潜め、頃合いを見て様子を探りに三階へ下りた。長谷部と燭台切の戦いの結果確認と雅との合流が目当てだったが、家に帰りたいと叫ぶ少女の声が聞こえ、その直後に二組目離脱の放送が流れた。
     階段を下りた先で見たのは、見知らぬ刀剣男士とセーラー服を着た少女の姿だった。
    「あの白い後姿が髭切、セーラー服の女の子が友切だろう。あの様子からして、長船君たちのような関係ではないな。友切が離脱し、俺は彼女の持っていた条件を譲渡された。写しの敗北条件と歌仙の勝利条件だ」
    「歌仙の勝利条件の達成は難しいね」
    「その点では雅さんも安心だな」

     歌仙の勝利条件は『審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く』。残る審神者は灯篭、雅、徳島、茶坊主。雅の勝利条件が達成できなくなることはなく、茶坊主も審神者が二名敗北しないと該当にはならない。
     残り二人の勝利条件次第ではあるが、青江が言う敗北条件が本当なら、灯篭は四時間後には離脱する。歌仙の勝利条件の達成は、まず不可能だろう。
    「離脱した写しのことは置いておくとして、三階はめちゃくちゃに荒れていた」
    「長谷部と燭台切のせいだね」
    「そうだろうな」
     彼らが見たのは廊下だけだったが、物は散乱しガラスは割れ、悲惨な状態になっていた。雅が情報処理室に帰ってきていないか確認したかったが、山姥切の姿が見えたので彼らは四階に戻った。写しの敗北条件を持っている以上、接触を避けたかったのだ。

     その後、刀剣男士の気配がする場所を避けつつ会場内の探索を行ったが、歌仙と会った以外は目立った収穫はない。もう他の参加者の手に渡ったのか、新しい道具も見つからなかった。
    「そういえば、あの図書室の日記」
     新しい道具ではないが、彼は日記の存在を思い出した。刀剣男士の気配が消えた隙を縫って図書室に寄り、鍵の壊れた日記帳を読んだ。日記は炙り文字かと思うほど字が薄く、辛うじて鶴丸が折れたことだけはわかったが、次のページをめくる前に、小夜に日記を取り上げられる。
     小夜曰く、日記には霊力の強い者にしか見えないよう細工がされており、茶坊主の霊力では読めてしまうらしい。読めて『しまう』とは聞き捨てならないセリフだが、日記を流し見した後、小夜はさらにこう言った。

     ──宗三兄様みたいになりたいの?

     宗三といえば天下人の象徴であるが、本刃の自己評価は『籠の鳥』。無事遊戯に勝って現世に帰れたとしても、現世で自由を奪われては何も意味がない。彼は日記の存在をなかったことにし、足早に図書室を去った。

    「遊戯の道具として用意されているのだから、何かしらのヒントがあったんじゃないか?」
     しかし小夜は首を振る。
    「あれは青江に隠された審神者のために用意された物だと思う」
    「灯篭の?」
    「籠の鳥」
    「わかった。何もヒントはなかったんだな」
     触らぬ神に祟りなしということわざが頭に浮かび、彼は即座に話題を変えた。余計なことはしないに限ると、彼は経験上知っている。

    「遊戯開始から十五、六時間? した頃に、三組目の離脱者が出る。鶴丸と竜胆だ。ここでようやく審神者から勝者が出る」
    「あなたの勝利条件に一歩近づいたね」
    「ああ。それと竜胆が抜けたというのも大きい」
     彼の勝利条件は『審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する』だが、この時点での勝利者は刀剣男士二名、審神者一名。しかも人を殺めるのも辞さない竜胆が抜けたというのは、なお良かった。このまま順調に勝利へ近づくかと思われたが、そう上手くはいかなかった。

    「だが、四組目の山姥切と写し。そして五組目の燭台切と長船。どちらも刀剣男士が勝利してしまった。まあ長船君は負けを狙っていたから仕方ないとして、写しが負けたのは痛かったな」
     友切が負けた時にはどうなるかと思ったが、長船の望む結果になったのは良かった。永遠に生きることが果たして幸せなのかは疑問に残るが、人それぞれ考え方は違う。他人に口出しする権利などない。
    「残りの審神者は俺を除くと三人だが、このうち二人が勝つかというと、今までの勝率を考えればかなり怪しい」
    「歌仙の審神者は?」
    「雅さんの敗北条件がわからないからな……。積極的に参加者と会っていくとは言っていたが、刀剣男士にも会わないといけないのがきつい。それに徳島も危険だ」
     蜂須賀の勝利条件は『全参加者の離脱条件を把握する』だが、離脱者が増えれば離脱条件の譲渡が進み、全参加者の離脱条件を把握しやすくなる。
     それに徳島の敗北条件は一見達成しにくいように見えるが、蜂須賀に真名を掴まれているのなら話は別だ。蜂須賀が他の参加者に徳島の真名を伝えれば、徳島は負けてしまう。現時点で一番勝ちが濃厚なのは灯篭に思えるが、あの放送を素直に信じていいかは、はなはだ疑問だ。

     彼も放送室の存在は知っていたが、まさか参加者全員にアナウンスするとは思いもしなかった。更に実行したのが青江というのが、尚更問題を複雑にする。彼の本丸にいた青江は、彼が厳重に注意した結果意味深な物言いはなくなったが、考えが読みにくい男士であることには変わりなかった。
    「小夜は青江の放送を聞いてどう思った? あの離脱条件は本当だと思うか?」
    「離脱条件の真偽は重要じゃないよ」
     思ってもいない返しに、彼は言葉が出なかった。
    「青江はあの放送を流すことで勝負に勝てると思った。それだけだよ」
    「つまり勝ちは諦めていないと」
    「勝ちを諦める刀剣男士なんていない」
    「一人くらいはいてもいいんじゃないか?」
     言った側から小夜の冷ややかな視線を感じ、彼は本題へ戻った。
    「そうなると俺が勝利条件を満たし勝つ方法は、ますます難しくなる。残された道は、長谷部の敗北条件しかない」
     しかし、それも同じくらい達成が難しいと彼は知っている。刀剣男士の敗北条件は、刀剣男士しか知らない。長谷部本人から聞き出すのは論外として、残りは青江・歌仙・蜂須賀だが、居場所がわかるのは青江のみだ。

     けれど青江に会いにいけば、彼の考えを読んだ長谷部と遭遇する危険がある。彼は迷ったが、賭けに出ないことには前に進まないのは事実であった。
    「屋上にいくぞ」
    「青江が長谷部の敗北条件を持っているとは限らないよ」
    「青江が持っていないという情報を掴めるだけでも前進だ。また偵察を頼む」
    「わかった」


     図書室の窓から日が差しこみ、五虎退の体を通り抜けていく。灯篭は彼の手を握るもその手は透け、温もりはもう伝わってこない。
    「ありがとう五虎退君。一緒にいてくれて嬉しかったよ」
    「灯篭さん」
     名を呼ばれても、灯篭は顔を上げなかった。五虎退の真っ直ぐな視線に、耐えられる自信がなかった。
    「屋上に行ったら駄目です」
    「……」
    「行かないでください」
     五虎退を安心させるため行くつもりはないと言えれば良かったが、嘘を吐けば負けてしまう。灯篭は五虎退の手を両手で握り、目を閉じた。
     
     鶴丸と竜胆が消えても、竜胆の刀である五虎退は消えなかった。鶴丸の攻撃を受けボロボロになりながらも、彼の中には竜胆の霊力が残っており、その力が失われるまで遊戯の場に姿を留めることができるのだという。
     彼女は五虎退に消えるまで一緒にいてほしいと頼んだ。僕はもう戦えませんと五虎退は泣きべそをかいたが、彼女が欲しかったのは守り刀ではない。彼女の側にいてくれる人だった。
    「鶴丸さんがいなくなって、ちょっと寂しいんだ」
     そう言えば五虎退は、いいですよと言った。周りにいた五匹の虎も、呼応するようにミャーミャーと鳴いた。きっと優しい子なのだろうと灯篭は思う。徳島は刀剣男士を信用するなと言ったが、蜂須賀・一期・燭台切、それに鶴丸。皆優しかった。青江も優しかった、少なくとも彼女が知る限りでは。

     五虎退は鶴丸の話を聞いていたようで、彼から日記を読みにいこうと言い出した。そして日記の場所を聞いてきて、彼女が図書室にあると言えば、目を潤ませて鍵を壊してごめんなさいと謝った。灯篭には彼の言う鍵の意味がわからなかったが、泣いている彼を慰め、手を繋いで図書室まで歩いた。
    「五虎退君のお姉さんになったみたい」
     灯篭が笑えば、五虎退は恥ずかしそうに目を伏せたが、彼女の手は離さなかった。

    「灯篭さん言ってましたよね? 負けるのが怖いって。怖いなら勝ってください。勝って現世に帰ってください」
     灯篭と五虎退は、図書室で彼女の日記を読んだ。読みながら二人で考察する一方、灯篭は自分の素直な気持ちを五虎退に打ち明けていた。
     彼女にとって青江は彼女のすべてであり、神域以外の世界の存在を知っても、その想いは揺るがなかった。けれど遊戯に参加して鶴丸と会い、共に会場を回り自分の過去を知り、鶴丸の過去を知った。それから蜂須賀に隠された審神者から話を聞き、青江の隠された一面を知った。

     ──思い出したくないのかい?

     神隠しされる前の記憶に興味はなかった。神域にいる頃は記憶を消されたことすら知らなかったが、たとえ記憶が蘇ったとしてもなんともないと思っていた。それなのに、鶴丸から尋ねられた時、言おうとした言葉をとっさに引っこめた。普段は意識していなかった敗北条件が脳裏をかすめたから。
     そして鶴丸のあの最後の言葉だ。

     ──きみが青江を殺したのは、青江を恐れたからじゃないのか!?

     あの言葉を聞いてから、しゃべるのが怖いとはっきり自覚した。何かの拍子で嘘を吐いてしまい、負けてしまうのではないかと考えてしまう。
    「嘘吐くのが怖いなら、何もしゃべらないでください。あるじさまは、あるじさまは、人を殺してでも現世に帰りたいと思ってました。現世はきっといい所です! あるじさまが鶴丸さんを好きだったこと、僕、知ってます。それでもあるじさまは、現世に帰りたかったんです。あるじさまはずっと現世に帰りたがってました。灯篭さんもきっと同じはずなんです!」
     思いつくままに話す姿は、彼の必死さをよく物語っている。灯篭は目を開け、弱々しく微笑んだ。

    「一緒にいてくれてありがとう。私、貴方と鶴丸さんに会えて良かった」
     その時、袖を通していた白い羽織が細かい泡になり、空気へ溶けていった。鶴丸の貸してくれた羽織はずいぶん前に重さを感じなくなっていたが、ついに視界からも消えてしまう。羽織の消えていった先を目で追いかけ、改めて五虎退を見れば、彼の周りにいた五匹の虎は全部いなくなり、五虎退の姿も薄らとしか残っていなかった。
    「これ持っていてください」
     空いている手をズボンのポケットに突っこみ、灯篭に札を握らせる。五虎退が取り出したのは鶴丸が持っていた手伝い札で、彼の消えた場所に残されていた。五虎退に預けていたのだが、怪我をした彼が持っていたせいで所々に赤いシミができている。

    「迷いそうになったらこれを見て、僕と鶴丸さんを思い出してください」
     灯篭は五虎退の手を離し、手伝い札を受け取った。手伝い札を見ていると、泣きながら鶴丸に手を伸ばした竜胆と、彼女の手が届かなくても笑顔のまま消えていった鶴丸の姿が、頭に浮かぶ。
    「それから」
     まだ灯篭を引き止めるには弱いと思ったのだろう。五虎退はある願いを彼女に託した。
    「現世に帰ったら、あるじさまに伝えてください。五虎退は最後まで、あるじさまからもらった指輪を大切にしていましたって」
     指輪と言われ反射的に五虎退の手を見れば、彼の中指にシロツメクサでできた指輪がはめられていた。しかし、彼は先ほどまで指輪などしていなかったはずだ。驚く灯篭を見て五虎退ははにかみ、大事そうに指輪を手で包むと、お願いですよと言い残し姿を消した。

    「大切な道具は、肌身離さず持っておくべきだよ」
    「蜂須賀さん」
     彼女は五虎退のいた場所を呆然と眺めていたが、声がして振り返ると、日記を読んでいた机の隣に蜂須賀が立っていた。蜂須賀の手にはタブレットがあり、彼は灯篭の前でタブレットに書かれた文字を読み上げる。
    「審神者1の灯篭、勝利条件『審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する』」
     そこで彼女は、日記の隣に置いてあった自分のタブレットがないことに気づく。
    「返してください!」
     取り返そうと蜂須賀の持っているタブレットに手を伸ばすが、蜂須賀にタブレットごと腕を上げられてしまえば、百五十センチほどの彼女には届かない。
    「敗北条件『嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく』。審神者2:太閤桐の敗北条件『30分以上同じ部屋に留まる』。審神者3:長船の敗北条件『審神者7の友切が遊戯に勝利する』。刀剣男士3:燭台切光忠の勝利条件『刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する』。刀剣男士5:山姥切国広の勝利条件『勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる』。刀剣男士7:髭切の勝利条件『自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない』。審神者9:竜胆の敗北条件『審神者が3名遊戯に勝利する』」
     蜂須賀は読み終えると、タブレットを灯篭に返した。

    「悪いね。俺も余裕がないんだ」
     灯篭も初めこそ取り返そうとしたが、途中で手を伸ばすのをやめた。彼女自身の離脱条件以外は、すべて離脱者のものであり、他の参加者に迷惑をかけることはないと思ったからだ。
    「君は青江に会いにいかないのか?」
    「それは……」
     青江の話題を振られ灯篭は言いよどんだが、蜂須賀は青江が言った離脱条件は本物だと断言する。
    「彼が嘘を言っていないのは俺が保証しよう。このまま君が何もしなければ、二十八時間経った時点で君の知るにっかり青江の分霊は完全に消える」

     灯篭も青江が嘘を吐いているとは思っていない。それに勝敗は置いておいて、今すぐ会いにいきたい気持ちもある。だが、彼と会った時点で自分の敗北が確定する予感はしていた。負ける覚悟は、まだできていない。
    「記憶を失う前の私は、青江を恐れていました。神隠しされるのを望んでいなかった」
    「どうしてそう思うんだい?」
    「これ、記憶を失う前の私の日記なんです。私が青江を、殺したと、書いてありました」
     視線で日記を示し、蜂須賀の様子をうかがう。彼は眉をひそめはしたものの、灯篭を責める言葉は吐かなかった。

     日記を読んでわかったことがいくつかある。まず彼女は日記を書き始めるより前に、六振りの刀を失っている。失った六振りに対する彼女の思いは強いが、その中でも特に強いのが加州清光だった。日記には彼を顕現させようと躍起になる姿が、何度も出てくる。
     青江は彼らに続く七番目の刀であり、日記が始まった時点で、既に彼女へ依代を作り直せば同じ分霊が降りてくると信じこませている。そうしなければならない理由があったのだと思いたかったが、この嘘が間接的に大量の刀剣破壊につながっていく。
     鶴丸が指摘したとおり、刀剣破壊があった日は必ず青江が出陣していた。それに折れた刀にも偏りがある。どの刀剣男士も一度は折れているが、加州の回数が一番多く、青江と口論になったり彼女へ暗に刀剣破壊をやめるよう忠告したりした者も、その後間もなくして折れている。
     嘘を吐きとおすために異を唱える刀を葬ったとも考えられるが、鶴丸も五虎退も異なる見方をした。

     ──きみを独占したくて、青江は他の刀剣を折っていたんだろう。
     ──すみません、それだと二番目の加州さんは折れなかったと思います。……ああ、すみません!

    「今の君はどうなんだ? 今の君が彼を好いているのなら、記憶を失う前なんてどうでもいいじゃないか」
     蜂須賀の意見は、一度は灯篭も考えたことだ。けれど、今の彼女には好きという感情以外のものも芽生えてしまった。知らなかった青江の残忍な面を恐れ、彼の思うままに動かされていることへの反発もある。一度芽生えた暗い感情は消えず、むしろ時間が経つにつれ大きくなっていった。
    「青江が他の刀を折ったと言うけれど、日記に書いてあったのかい?」
    「刀剣男士が死んだ日は、必ず青江が出陣していました」
    「俺が聞いているのは、そんなことじゃないよ。『青江が他の刀剣男士を折った』と、その日記に明記されていたのかい?」
     思わぬ反論に灯篭は言葉に詰まったが、でもと彼女にしては珍しく大きな声で反論する。

    「私の本丸は刀が折れすぎているって鶴丸さんが! それに五虎退君だって、青江が関与してるだろうって!」
    「それは鶴丸と五虎退の意見だ。何故君は鶴丸と五虎退は信じて、青江は信じない?」
     神域で長年一緒に暮らしてきた青江より、遊戯会場で初めて会った鶴丸や五虎退を信じる理由を聞かれても、灯篭には答えることができなかった。二人が優しかったから、自分を守ってくれたから。思いついた理由は、すべて青江にも当てはまった。
     黙りこむ彼女を見て、蜂須賀は会いにいけばいいと言った。こんな所で迷っていても仕方がないと言われれば、そのとおりだと思いもしたが、蜂須賀は刀剣男士の視点で話している。審神者の立場に立って考える鶴丸たちとは違う。

    「俺はもう行くよ。主を探さないといけないからね」
     これ以上の助言は必要ないと判断したのだろう、蜂須賀は前方の扉から出ていこうとする。灯篭はとっさに彼の主の話を投げかけた。
    「徳島さんと会いました」
     蜂須賀の足が止まる。しかし、彼は振り返らなかった。
    「それは本当……だね。君が言っているのだから、嘘ではない」
     本当か? と言いかけたが、蜂須賀は彼女の離脱条件を思い出す。彼女が嘘を吐いていれば、今頃離脱者発表の放送が流れているはずだ。

    「あの人は、私に現世に帰るよう言いました。現世に帰りたくない審神者なんていないって。どうして徳島さんを現世に帰してあげないんですか?」
     タブレットを勝手に盗み見られはしたが、彼女は蜂須賀に好印象を抱いている。それ故に、あれほど切実に帰りたいと訴える徳島を、神域に閉じこめるような人物に思えなかった。
    「俺の主はね、弱い人なんだ」
     しばしの沈黙の後、蜂須賀はそう言った。
    「たった一振りの刀を失っただけで、悲しみに暮れて立ち直れなかった。審神者としては失格だよ。けれど、俺はそんな彼女を愛しいと思う」
    「徳島さんが遊戯に参加したのは、現世で好きな人が待ってるからだって」
    「紛い物を贈るような男は、彼女に相応しくない。彼女に相応しいのは本物だけだ」
     蜂須賀は振り返ることなく、図書室を出ていった。


     三階と四階を繋ぐ階段の踊り場で、茶坊主は小夜の言葉を待った。参加者の気配を避けつつ四階を目指したせいで、時刻は既に二十六時間と十分。青江の離脱まで二時間を切った。
    「姿は見えないけど気配がする」
    「審神者か? 刀剣男士か?」
    「多分、二つとも刀剣男士」
    「二つ?」
     小夜は壁から顔をのぞかせて四階の様子を見ながら、側の教室付近とは別に図書室からも気配がすると言った。小夜の言葉を受け、茶坊主は考えた。もし刀剣男士が二人同時に出てきたら、挟み撃ちに遭う。更に屋上の青江まで来れば、もう逃げ場はない。

    「(これだけじゃ対処できないな)」
     茶坊主は懐にある札を着物の上から押さえた。気配が消えるまで待つという結論に傾きかけた時、小夜が早口で新たな情報を告げた。
    「三階からも刀剣男士の気配がする」
    「こっちに来るのか?」
    「わからない。まだ距離はあるけど、どう……」
    「行くぞ」
     茶坊主は階段を駆け上がると、小夜の肩に手を置いた。先導頼むと言えば、小夜は黙って頷いた。

     四階から屋上に行くための階段を除けば、校舎には階段が三か所ある。一つは保健室から上がる外階段。もう一つは西側にある階段で、この階段を使えば屋上に続く階段は目と鼻の先にある。しかし彼らがいるのは二つの階段の間にある階段で、屋上に行くためには西へ二部屋進んだうえ右に曲がらないといけない。
     普段なら気にもならない距離だが、今の茶坊主にはとても長く感じた。小夜を先に走らせ、彼はその後に続く。西側の階段が見え、後は右に曲がるだけだと思ったところで、目の前を高速で何かが飛んできた。柱に当たり粉々に砕けた白い物体は、おそらくチョークだ。犯人が誰かは、見なくてもわかる。

    「お待ちしていました」
    「……」
    「聡明な主でしたら、あの脇差から情報を得ようとなさると思いまして。待っていた甲斐がありました」
    「あなたは下がってて!」
     小夜が刀を構え、茶坊主の前に立つ。茶坊主は自分たちが来た道を振り返ったが、誰もいない。彼は覚悟を決め、小夜を手で制し後ろに下げた。小夜が戸惑っているのが雰囲気で伝わってきたが、ここで小夜を失うわけにはいかなかった。

    「どうしてですか」
     彼が予想したとおり、長谷部の様子が一変した。甘く陶酔しきった声が、低く唸るようなものに変わる。
    「どうして審神者の貴方が刀を守るのです? 俺ならそんなことはさせないのに」
    「……」
    「自主的に行動しろと貴方が俺に命じたんじゃないですか。神剣も霊剣も、貴方の前から霊を完全に消すことはできなかった。だから俺が神域にお連れした!」
     長谷部の勝手な言い分など聞きたくなかったが、茶坊主はぐっと堪えた。相手にしないのが一番いいのだと長谷部と接するうちに学んだ。しかし、長谷部の思考は彼にとって都合の悪い方向へ狂っていく。

    「ええ、主。何も言われなくてもわかります。……自由に動く足があるのが悪い」
     長谷部の手が柄に伸び、美しい刀身が日の光を反射し輝く。さすがの茶坊主も目を見開き、目の前の光景に絶句した。
    「足さえ切ってしまえば、霊のいる場所に行かずにすみますよね? 大丈夫です、俺が代わりになんでもしてあげますから。主は息だけしていてくれればいい」
     長谷部は刀を使えないはずだ。単なる脅しだと茶坊主は自分に言い聞かせたが、手が小刻みに震えた。
     その時小夜が後ろから飛び出し、長谷部へ向かって走っていく。練度一の小夜が敵う相手ではないが、自分が折れてでも茶坊主を逃がそうと思っているのだ。彼は後方を振り返り、誰も来ていないことを確認すると、懐から札を取り出し叫んだ。
    「へし切長谷部の動きを封じろ!」

     札は歌仙の時と同様、意思があるかのように真っ直ぐ長谷部へと進んでいく。彼は小夜に向かって叫んだ。
    「来い!」
     彼は札の行方を確認しないまま、走り出した。屋上へ続く階段は目の前に見えている。彼は自分を呼ぶ長谷部の声を聞きながら、階段を駆け上がった。
     小夜はすぐに茶坊主に追いつき、彼が屋上の扉を開けようとするのを遮って自ら開けた。上から見下ろす横顔はどこか拗ねているように見え、身を挺して守ったことが彼のプライドを傷つけてしまったようだった。
     
     屋上には青江がいた。わかっていたこととはいえ、これから刀剣男士と対峙すると思うと、心臓の音がどんどんうるさくなる。
     青江は屋上を囲っている金網のフェンスにすがり座っていたが、彼の姿を認めると、フェンスを掴み立ち上がる。茶坊主が前に屋上へ来た時は夜で見逃していたが、立った彼の顔の隣に拳ほどの大きさの穴が開いていた。
     刀を構えた小夜を先頭に、徐々に青江に近づいていく。しかし青江は刀を抜かず、彼らを見てくすりと笑った。


    「そんな怖い顔しないでさ。笑いなよ、にっかりと」
    「表情筋が死んでいて笑えない」
    「はははっ、それは良くないな。笑う門には福来るっていうだろう?」
     食えないところがある刀ではあるが、目の前の青江からは切羽詰まった感じはしない。放送で流した離脱条件は嘘だったのかと疑いながらも、彼は単刀直入に用件を切り出した。
    「長谷部の離脱条件を知っていたら教えてほしい」
    「せっかちだな。せっかちは損をするよ、彼女みたいに」
    「お前の主は女性か?」
    「女の子なのは確かだけど、僕が言っているのは蜂須賀の審神者のこと」
    「(徳島は女性か)」
     神隠しは女子供が遭いやすいと言われるので、驚きはしないが。本当は徳島とどのようなやり取りをしたか聞きたかったが、彼はもう一度同じ質問をした。青江の離脱時刻が迫っているのもあったが、長谷部が近くにいると思うと、一刻も早く、もっと遠くへ逃げたかった。

    「それで、どうなんだ? 長谷部の条件を知っているのか知っていないのか」
    「知ってるよ」
    「長谷部の条件は……!」
    「君はどんな方法で僕を喜ばせてくれるんだい?」
     喜んだのも束の間、青江は金色の目を細め口角を上げた。
    「彼女の時は放送のやり方を教えてくれたから、言ってもいいかなって思ったけど。君は?」
     これくらいは予想していたことだと、茶坊主は自分に言い聞かせる。問答無用で攻撃される最悪のケースも想定していたのだから、上出来なくらいだ。彼は青江が見返りを求めてきた時に備え、タブレットに細工をしてきた。審神者1:灯篭の欄に、嘘の敗北条件を書いたのだ。字が朱色なのは、他の審神者から聞いたと言って押し通す。

    「お前の審神者の離脱条件を」
     タブレットは最終手段だ、できれば見せたくない。このまま話にのってくれと、得意のポーカーフェイスで勝負に挑む。
    「へぇ、それは興味深いね」
    「鶴丸が三組目で遊戯を離脱した以上、お前には灯篭の敗北条件が必要なはずだ。長谷部に義理立てする必要はないだろう」
    「そうだね、僕の本丸に彼はいなかったからどんな刀かもよく知らないし」
    「それなら」
    「でもかわいい子だったらかわいそうだし。悩むところだな」
     迷うふりをしながら場違いな笑みを浮かべる姿に、茶坊主は交渉が失敗に終わったことを知る。勝ちを諦める刀剣男士なんていないという小夜の言葉どおりなら、考えられる可能性は一つ。

    「お前、自分の主の離脱条件を知っているな」
    「さあ? 君の想像にお任せするよ」
     知っていると言えばいいものを、青江はのらりくらりとはぐらかすばかりで、攻め手に欠ける。何をすれば青江が動くのか、考えあぐねていると小夜が彼の服を引っ張った。
    「刀剣男士が近づいてくる」
     小夜は言い訳をしなかったが、近くに青江と長谷部がいるせいで三番目の気配が紛れ、近くに来るまで気づけなかったのだろう。茶坊主は辺りを見渡したが、水泳用具が置かれたラックがあるくらいで、隠れる場所はどこにもない。小夜は青江に向けていた刃を、新たに来る刀剣男士へ向けた。


     刀を抜いた不自然な格好でにらんでくる廊下の男性は怖かったが、灯篭はその横を走り抜け屋上へ行った。屋上の扉を開けるには勇気が必要だったが、強く目を閉じ両手で扉を押す。前に来た時と同じ水に混じった薬品の独特な臭いがしてきた。
     屋上には先客がいた。着物姿の男性と幼い少年の二人組だった。大きな笠を被った少年は五虎退より小さかったが刀を持っており、男性をかばうように立っている。後ろに立つ男性は刀を持っていないので、審神者だろう。
     きっと『あの人』が言っていた茶坊主と小夜左文字だ。灯篭はそう思った。小さい見目に見合わぬ殺気を飛ばす少年と、悠然とした態度でかまえている男性は、彼女から聞いた特徴と一致する。

    「ッフフ、待ってたよ」
     予想していなかった新たな参加者との出会いに気を取られていると、青江の声がした。彼らからやや離れた場所で、屋上を囲っている金網の前に立っていた。
    「遅かったね。来ないかと思った」
     青江の白装束が風になびく。灯篭は一歩足を踏み出したが、少年の強い殺気が向けられ、体がびくりと跳ねる。小夜と着物の男性が声をかけると少年は刀を下したが、それでも灯篭の動きを警戒してじっと彼女を見てくる。

     彼女はゆっくりと、ゆっくりと三人のいる場所へ進んでいく。しかし、少年の二メートルほど前に来たところで、足が動かなくなった。殺気立った少年が怖いと言い訳できる状況ではあるが、彼女は何を恐れ自分の足が動かなくなったか気づいていた。自分の体に起こった反応に灯篭は衝撃を受けるが、手に持っていた手伝い札を握り、屋上に来るまで何度も練習した質問を口にする。
    「青江、聞きたいことがあるの」
    「なんだい?」
    「貴方は一振り目? それとも二振り目?」
     彼女の問いかけに、会話するには離れた場所にいる青江は、へぇと感嘆の声を上げる。

    「そんなこと、どこで知ったの?」
    「私の日記があった」
    「ああ、あれか」
    「読んだの?」
    「僕には見せてはいけないものなんだろう。読んでないよ、本丸にいた時もここに来てからも」
    「それで貴方は……どちらなの?」
     緊張で口の中がからからに渇いたが、彼女の思いに反して、青江はあっさりと自分は一振り目だと言った。
    「僕はあの演技下手な二振り目じゃない。君に呼ばれた七振り目の刀、それが僕だ」
    「でも一振り目のにっかり青江は私が殺した!」

     これはきみの日記だと言われても、実感がわからなかった。もし自分がこの人物の立場なら、そう思いながら日記を読んだ。私によく似た人物が、私の好きな人と過ごす小説……そう、小説を読んでいるような感覚だったのだ。けれど、あの時は違った。

    『青江はもういない、私が殺した。』

     あの文章を読んだ瞬間、日記を書いた人物の感情が流れこんできた。恐怖と憤りが、絶望と罪悪感に変わっていく。一度も経験したことのない感情のはずなのに、彼女はその感情を確かに知っていた。鶴丸は彼女が殺したのではなく、殺されたふりをして生きていたのではないかと疑っていたが、彼女は日記を通して青江を殺した時の感情を知っていたから、彼の主張には同意できなかった。

    「分霊を本霊に戻す儀式を君はした。それだけのことだよ」
    「違う、そんなことない」
    「君は、というか君に入れ知恵したこんのすけの思惑どおりにはいかず、僕は本霊に戻らなかった。僕は幽霊切りの刀だけれど、今の僕は幽霊みたいなものなのかもしれないね」
     そう、それとね。そう言って、青江は微笑を浮かべる。
    「最初の六振りの破壊に、僕は関わっていないよ」
    「どうしてそんな風に言うの……?」
     それは他の刀の死には関わっていると、暗に言っているようなものだ。灯篭は泣きたくなったが、君と呼びかけられ、着物の男性の方を向く。顔は能面のようだったが、彼が近づいてきても怖いとは感じなかった。表情からは考えられないほど、彼の声は労わりに満ちていた。
    「君が灯篭か?」
    「はい」
    「何をしにここへ?」
    「……」
     灯篭が答えられずにいると、男性は大方の事情を察したようだ。

     男性はここを離れようと灯篭に言った。人それぞれ考え方は違う、他人に口出しをする権利はないと断ったうえで、こう言った。
    「少しでも青江に不信感を持っているなら、永遠に一緒にいるなど無理だ」
     男性の言うことはもっともだ。たとえ神域に帰ったとしても、青江はきっとこの先も真実を告げない。純粋に彼が好きだった頃には戻れない。行こうと控えめに腕を引かれるが、すがる思いで青江を見ても、彼は灯篭を見つめるだけで何も言わない。
    「貴方は私のこと、どう思ってるの?」
     遊戯の参加前にも同じことを聞いた。青江は質問には答えず口付けるだけだったが、その口付けが答えなのだと彼女は思っていた。けれど、今の彼女はそう思えなくなっている。
    「貴方にとって私はなんなの? 貴方を殺した私を憎んでるの? 神隠ししたのは復讐のためなの? ねえ、なんとか言ってよ!!」
     声の限り叫ぶが、青江はやはり何も言わない。行こうともう一度男性から腕を引かれ、その優しさに泣きそうになったがどうにか堪え、屋上を後にするため青江に背を向けた。

    「君は変わらないね」
     決して大きな声ではなかったが、青江の声はよく通った。彼女が振り返ると、青江は困ったように笑っていた。
    「君はいつも逃げるチャンスを棒に振る。僕はね、君に忠告したんだよ? 僕に近づいたら怖い思いをするって」
    「そんなの知らない」
    「じゃあ教えてあげる。それでも君は僕がいいと言った。加州が一番だという大前提があったけれど、君は他の刀剣より僕がいいと言った。……僕も君がいい」
     青江は両手を彼女に向かって伸ばした。

    「おいで」
     言葉の意味が飲みこめず、立ちつくしていると青江はもう一度彼女に言う。
    「おいで」
     突然強い力で、彼女は後ろに引き戻される。そこで自分が無意識のうちに、青江へ向かって走り出そうとしていたのに彼女は気づいた。先ほどの穏やかな声とは一転して、男性が険しい顔つきで叫ぶ。
    「惑わされるな! あれは妖だ!」
    「……」
    「君は現世に帰るんだ!」
     手の中の手伝い札が、熱くなった気がした。鶴丸と五虎退の顔が浮かび、彼女は強く手伝い札を握り直したが、その時風が吹いた。青江を見れば、風が吹いた拍子に露わになった赤い瞳と目が合う。彼は赤い瞳を細めた。

     灯篭の耳に、幼い女の子と青江の声が聞こえた。

     ──青江もはんぶんうさぎだね。
     ──面白いことを言うね君は。

     幻聴? 何故こんなにも懐かしい気持ちになるのだろう。

     ──私と貴方は半分も一緒じゃないわ。貴方は何も変わらない。私だけが、変わっていく。
     ──僕は変わったよ。君色に染められた。もう取り返しのつかないところまで来てしまった。

     今度は大人の女性と青江の声。

     ──青江は、わたしのこときらい?
     ──好きだよ。けど、僕に近づいたら怖い思いをするかもね。
     ──やだ。青江がいい。

     また子供の声に返る。だが、続いて聞こえてきたのは魂之助の声だ。

     ──何故お前がここに!? 刀解は成功したはず!

     こんな焦った魂之助を彼女は知らない。鶴丸が言っていた魂之助の色違いの声なのだろうか。

     ──私のこと、殺しに来たの? いいよ、殺しても。
     ──いけません主様! お下がりください!!
     ──お願い、殺して。もう殺して。
     ──……うさぎ小屋で独りは寂しいだろう? 

     青江の姿がぼやけて見え、灯篭は頬に涙が伝うのを感じた。どうして泣いているのか、彼女自身もわかっていない。それでも心が締めつけられ、涙が止まらなかった。

    「おいで、僕のうさぎさん」

     彼女を騙し続け、記憶を奪い、仲間を次々と殺めた。しかもそれを認めもしなければ否定もせず、曖昧な言葉ではぐらかす。
    「嫌い」
     神域を訪ねてきた本霊が言うように、本当に酷い男だ。
    「青江なんて嫌い! 大っ嫌い!!」
     どこからか放送が流れてくる。彼女は男性の手が緩んだ隙に、男性を押しのけると青江に向かって駆けていった。青江の胸に飛びこめば、いつもより力強く抱きしめられたが、やはり涙は止まらなかった。
     彼女の手を離れた手伝い札は風に舞い、プールに落ちる。しばらくはその姿を保ち水面に浮かんでいたが、いつしか水に溶け見えなくなってしまった。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件【嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく】
    刀剣男士1:にっかり青江/勝利
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する
     敗北条件【30分以上同じ部屋に留まる】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する】
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 ???

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件【遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 ???
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:???


    さいこ Link Message Mute
    2023/03/18 20:34:30

    我が主と秘密遊戯を(中編)

    pixivに掲載していたすごく長い刀さに小説。神隠しされた審神者と神隠しをした刀剣男士が勝負する話です。
    IF版を掲載するにあたり、まとめて上げ直します。

    【登場人物およびカップリング】
     ・にっかり青江×女審神者
     ・一期一振×女審神者
     ・燭台切光忠×男審神者
     ・歌仙兼定×女審神者
     ・山姥切国広×男審神者
     ・蜂須賀虎徹×女審神者
     ・髭切×女審神者
     ・へし切長谷部×男審神者
     ・鶴丸国永×女審神者

    #刀剣乱夢 #刀剣乱腐 #刀さに

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品