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    我が主と秘密遊戯を if…(中編)第四章:幸せな愛などないけれど第五章:望んだ結末第六章:それが私たちの愛なのだから第四章:幸せな愛などないけれど 部屋に入ると飛びこんできたのは、所狭しと並べられた本棚であった。本棚には『哲学』や『芸術』など書かれた札が貼ってあり、部屋の奥を見れば長机が置かれている。
     本棚の間を歩きながら、ここが図書室だとして一体どこに政府の道具が隠されているのだろうと髭切は思った。道具の気配をたどろうとしても戦場のように上手くいかず、本を一冊ずつとって探さなければいけないのだとしたら、とてもではないが時間が足りない。
     本棚の間を抜け、長机が並ぶ空間にたどり着いたところで、女の背中が見えた。彼の審神者よりは長い、けれど女にしては短い髪。橙色のジャージを着ている。けれど女の背中が見えたのは一瞬で、すぐ姿が消えてしまう。

     髭切に気づいて逃げたようには見えなかった。そして己も何故視認するまで女の存在に気づかなかったのか疑問に思ったが、髭切は女の後を追うことにした。女の消えた場所に行けばすり硝子の扉があり、扉の先には階段が続いていた。
     階段は一階まで延びていたが、髭切は三階で止まり部屋の中に入った。彼の直感は正しかったようで、先ほどのジャージの女がいた。扉の開く音に反応し、女が振り返る。
    「ありゃ?」
     髭切が思わずそうつぶやいたのは、女の手に短刀があったからだ。しかも普通の短刀ではない、刀剣男士が宿っている短刀だ。

    「髭切、ですね」
     刀剣男士を前にしながら、女は冷静だった。逃げようとはせず、髭切と対峙する道を選ぶ。
    「そうだよ。源氏の重宝、髭切さ」
     にっこりと笑って見せたが、彼の内心は違った。彼女のように相手を警戒しているわけではないけれど、灯篭の時と同じ轍は踏まないように、彼女や部屋の戸を注視していた。
     さて、目の前の女はどう出るか。そう考えながら、髭切は女との距離を詰めた。
    「私と手を組みませんか? 髭切」
     女は芝居がかった動きで短刀を胸の前にかざす。
    「私の敗北条件は『審神者が3名遊戯に勝利する』。貴方方には、これ以上負けてもらっては困るんです。生憎私が持っている敗北条件は太閤桐ですのでお役に立てませんが、貴方の代わりにこの五虎退を使って偵察等はできます」
    「でもその子、練度一でしょ」
    「今の貴方方の偵察と隠蔽は無効化されています。貴方ならもうお気づきでしょう?」
     やはり先ほどから髭切が抱いていた違和感は、間違っていなかったようだ。

     刀剣男士の能力が一部無効化されていることを言い当て、刀剣男士に交渉を迫る女。面白くはあるが、彼女の提案がすぐに食いつくほど魅力的かといえばそうでもない。
     確かに『自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない』が勝利条件である彼にとって、何よりの優先事項は友切に会うことであり、五虎退の偵察が使えるのは強みだ。
     けれど彼の敗北条件は『審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する』で、審神者の味方をしていては足元をすくわれるかもしれず、女を隠した刀剣男士を敵に回すことにもなる。髭切は考えた末、こう言った。

    「いいよ、協力しよう」
     旨味は少ないかもしれないが、彼は人間が好きだった。最愛の妹には劣るけれど、必死にあがく人間は愛らしい。よろしくと手を差し出せば、女も作った笑みで差し出された手を握る。手を差し出した時の強張った顔を髭切は見逃さなかったが、瞬時に引っこめたのだから大したものだ。
    「君の名前は?」
    「私は……」


     面妖な物がたくさん見られて満足、と言いたいところだが、遊戯の参加者としては何一つ収穫がなかった。
     二階建ての小屋から元いた建屋に戻った鶴丸は、歩きながらタブレットの地図を見ていた。地図には簡単な間取りしか書いておらず、部屋の名前はわからない。手伝い札を手に入れたのが体育館だとして、残りの『校長室』・『職員室』・『美術室』・『図書室』・『理科室』・『情報処理室』・『水泳プール』は、自分の足で探すしかない。
    「どうせなら驚きも一緒にと思ったんだかなあ」
     鶴丸の勝利条件は『審神者と24時間行動を共にする』だ。一刻も早く審神者を見つけねばならないが、会場内をただぐるぐる回るだけでは芸がない。そう思い面白そうな場所から探しているのだが、立て続けに刀剣男士が負けている以上、そろそろ本腰を入れるべきなのかもしれない。

     一階の廊下を進んでいると、ひらりと花びらが目の前で舞った。飛んできた先を見れば、中庭の桜が風に吹かれ舞っていた。どこぞの刀ほど雅だ風流だに興味はないが、それでも木々はいつも彼にささやかな驚きをもたらしてくれる。それに……。
    「(桜を、贈ったこともあったな)」
     桜の枝に和歌を書いた和紙を結んで。あの時は長く楽しめるようにと、蕾の多い枝を選んだ。彼の主は受け取るなり近侍に桜を渡し、本丸の広間に飾るように言いつけたが、和歌は枝から外していた。刃生初の下手くそな歌を読んで、彼女は一体なんと思ったのだろう。
     本丸での日々に思いを馳せていた鶴丸だったが、斜め向かいの階段から女が下りてくるのが見えた。ドクリと心臓が鳴る。けれど、下りてきた女は明るい色をした髪の毛先を緩く巻き、服装も上衣が肌色で下衣が藍色だった。彼の主は服を選ぶ時間がもったいないと、いつも同じような黒い服ばかり着る。

     辺りを何度も見ながら慎重に下りてきた女は、鶴丸の存在にすぐ気づいた。鶴丸がやあと声をかけようとした矢先、女は顔を引きつらせ階段を駆け上がっていった。
    「おいおいおい」
     人の顔を見るなり逃げることはないだろ、傷つくぞ。追いついたらそう文句を言ってやろうとしたが、女の後を追い階段を上りきるも、女の姿はどこにもなかった。慌てて左右を見渡すも、彼以外には人っ子一人いない。鶴丸は両手と両膝を床についた。
    「こんな驚きは求めていないぞ……」
     刀剣男士が人間の、しかも女に撒かれるとは、一体誰が予想できようか。打ちひしがれる鶴丸だったが気を取り直し、近くの部屋を探すことにした。どこかに隠れている可能性は大いにあった。

     似たような戸ばかりが並んでいるかと思いきや、少し進んだ先に毛色の違う扉があった。両開きで青く塗装され、他と違って重そうな見た目をしている。審神者探しが第一ではあるが、変わった物に惹かれる性分は抑えられず、鶴丸は青い扉を開けた。
     扉の隙間から風が吹きこみ、鶴丸の髪がなびく。扉の先は、青い空がとても近かった。それだけでも圧巻だったのに、人が泳げるほど大きな水桶が目の前に広がっており、鶴丸は感嘆の声を上げた。
     先ほどまでの鬱積とした思いは吹き飛び、意気揚々と歩を進めた彼の後ろから声がする。
    「ッフフフ、子供みたいだね」
     口に手を当て笑うのは、にっかり青江だった。

    「ああ、笑ってごめんね。僕の主も同じ反応をするだろうなと思って」
    「それはうらやましいことだ。俺の主は絶対しない」
    「そうなのかい?」
    「俺が驚きが足りないと訴えても、そんなもの結構、嫌なら他の審神者のところへ行けと言うからな」
    「へえ、意外だな。どこを好きになったの?」

     ──野心家の私が好きだというなら、どうして放っておいてくれなかった?

     青江に悪気はなかったはずだ。けれど、彼の言葉を引き金に主の声が蘇る。

     彼の主は、見た目は普通の女だった。絶世の美女でもなければ醜女でもない、ごくごく普通の女だ。だが、その魂は女とは思えない色をしている。彼の歴代の名だたる主たちと同じ、常に上を目指す男たちと同じ色だ。
     鶴丸は顕現した時から、新しい主を気に入っていた。男が女に求める愛らしさは微塵もないが、彼女ならば最高の驚きを与えてくれるのではないかと期待した。

     実際、彼女は期待どおりだった。まず戦が上手かった。立てた戦略はことごとくはまり、政府の想定する必要練度より大幅に低い編成で敵を壊滅させた時のことを思い出すと、鶴丸は今でも気分が高まる。
     それから彼女の驚いた時の顔がくせになった。作りこんだ指揮官の仮面が外れ、素の彼女が現れる瞬間がたまらなく好きだった。冷静沈着で有能な指揮官を目指していた彼女は、鶴丸が彼女を驚かせば驚かすほど、彼を警戒し滅多なことでは驚かなくなったが、それでも彼は策を練っては彼女を驚かせ続けた。

     ──これをやろう。

     主への恋慕に気づいてからは、毎日花を贈った。初めは竜胆の花を、二回目からは出陣先で見つけた花を。
     普通に渡すのでは面白くなかったから、離れの二階にある主の執務室へ窓から入った。離れの隣に生えた松の木を登り、彼女が開けるまで窓に小石を投げ続けた。そうすればしかめっ面の彼女が、渋々窓を開けてくれる。

     ──刀解を覚悟のうえでの行動ですか?
     ──ああ、きみを女として好いている。いらないのなら折ってくれ。
     ──……馬鹿馬鹿しい。

     主は鶴丸から花を受け取るなり、側にいた近侍に託す。だが、主は馬鹿馬鹿しいと言いながら、一度も花を折りはしなかった。そして鶴丸は見逃さなかった。一瞬だけ、彼女の顔が嬉しそうにほころぶところを。鶴丸は驚いた時の顔と同じくらい、その表情が好きだった。

     けれど、彼女は驚く顔も喜ぶ顔もしなくなった。神域で鶴丸に見せるのは、美しいけれどなんの面白みもない微笑とけだるげな表情だけ。

     ──私はあんな隷属的な生き方はしたくなかった。自分の価値は自分で勝ち取りたかった。

     ある日、彼女は母親との確執を鶴丸に打ち上げそう言った。それがすべての答えだった。

     ──それなのに、ね。……ふふっ、蛙の子は蛙だ。

     鶴丸が彼女の生きる糧を奪ったから、彼女は鶴丸の愛した彼女ではなくなった。


    「他意はなかったんだけど、余計なことを言ったかな」
     眉尻を下げる青江に、鶴丸はいやと言いかけて途中でやめた。その代わり、まったく違う話題を振る。
    「きみはここで何をしてたんだい? まさか水遊びをしていたわけではないだろ」
    「水遊びか。小さなうさぎさんとはよくしたね」
    「うさぎ?」
    「ッフフ、なんでもない」
     青江も鶴丸の意をくみ、鶴丸の主の話を流した。

    「道具探しだよ。『水泳プール』だろう、ここ」
     プールなる言葉の意味は知らなかったが、鶴丸もここが政府の道具がある水泳プールだとは思っていた。水泳できる場所が、そう何個もあるとは思えない。
    「何があった?」
    「まだ見つけてないよ。一緒に探してくれるかい?」
    「もう他のやつが持っていってるんじゃないか?」
    「う~ん、脇差の勘……かな」
    「そりゃ頼もしい」
     真面目に遊戯に励むのならば、青江の誘いを断って審神者探しに戻るべきだが、鶴丸は道具探しに参加することにした。もちろん驚きのためだけではない。離脱条件を聞いてこない青江の思惑に探りたいというのもあった。

     しかし、いざ探そうとすると探せる場所はほとんどない。屋上にあるのは大きな水桶と、屋根のついた長椅子と、水泳の補助具と思われる物が置かれた棚くらいだった。
     既に見ているだろうと思いつつ、まずは棚からがやはりない。もしやこれが? とやたらと軽い板を持ち上げてつぶやくが、それビート板だよと青江にツッコまれる。
     その後も鶴丸なりに道具を隠していそうな場所を探しながら、別の場所を探す青江に話しかける。
    「道具探しも結構だが、きみは自分の主を探さなくていいのかい?」
    「それは鶴丸も同じだろう」
    「(この青江は鶴丸呼びか)」
     彼自身なんと呼ばれようとかまわないが、さん付けするにっかり青江が大半なので呼び捨てされるのは新鮮だった。

    「主に会わなくても勝敗には関係ないからな」
    「そんな悠長なことを言っていていいの? 永久の別れになるかもしれないのに」
    「その言葉、そっくりそのままきみに返すぞ」
    「僕は主の決定に従うまでさ」
    「どういう意味だい?」
     青江に聞くも、返事が返ってこない。鶴丸は一旦手を止めて青江の様子を確かめれば、彼は屋上に張り巡らされた金網の一点をじっと見つめていた。

     状況を察し鶴丸が彼の横に行くと、彼は金網が破れてできた拳大の穴を観察していた。金網は所々塗装が剥がれており、鶴丸は穴が空いていてもおかしくは感じなかったが、青江はなおも穴を凝視する。
     青江がなんの脈絡もなく突然手を突っこんだ時は驚いたが、金網の外に見えるはずの青江の手が消えている方がよほど驚いた。鶴丸の目には青江の手首から先が切断されたように見えたが、彼が腕を引くと黒い手袋をはめた手が再び現れた。
     青江は握りしめていた拳を広げ、手に入れた金色の懐中時計を彼に見せる。一見すると普通の時計だが、特殊な術を使ってまで隠していたのだから、水泳プールに隠された政府の道具に間違いないだろう。時計には四角く折られた紙が裏に貼られており、青江は紙をはがすと書かれた内容を読み上げた。

    「『遊戯の経過時間を二時間停止することができる時計です。遊戯の経過時間と記載された離脱条件のみ対象となります。記載のないものは、実際の経過時間が適用されます。使用する際は右のつまみを押してください。なお、この道具を使用した際には遊戯を一旦中断し、補足説明に入ります。』」
     自身の勝利条件も含め、鶴丸は時間経過に関する離脱条件をいくつか知っているが、どれも遊戯の経過時間とは書いていない。本当に遊戯の経過時間と書いてある条件があるのか疑わしかったが、青江は違った。
    「これ、僕がもらってもいい?」
    「きみの条件はそうなのか」
     鶴丸の問いかけに、青江はにっかり笑う。自分の手の内をさらけ出したくないので離脱条件の話をしないのだと鶴丸は思っていたから、彼の反応は意外だった。

    「譲ってやってもいいが、見返りがほしい」
    「見つけたのは僕だよ?」
    「俺も貴重な時間を使って探すのに協力したじゃないか」
    「僕には宝探しを楽しんでいるようにしか見えなかったな」
    「鶴丸国永がみんながみんな宝探しが好きなわけじゃないぜ? まあ俺はとりわけ好きな鶴丸国永だが」
     時計の形をした政府の道具が惜しいわけではなく、互いに結論がわかったうえでたわむれている。青江の本心はわからないが、少なくとも鶴丸は久しぶりに同胞と交わす軽妙なやり取りが楽しかった。

     青江が口に手を当て、う~んと考えるふりをする。そうして少ししてから、髪で隠れていない金色の目を細めた。
    「おしゃべりなやつは嫌いなんだろ? 知りたいことだけ話すよ」
    「察しが良くて助かる。だが、きみも俺と同じなんじゃないのかい?」
    「僕は態度を決めかねていただけだよ。君に協力するべきか、それとも妨害するべきか」
    「協力する気になったのかい?」
    「どうもしないって決めた。僕から言えるとすれば、もう少しはがんばっておくれよってとこかな」
    「ああ、そうさせてもらうさ」

     鶴丸が聞いたのは、彼の主である竜胆の勝利条件と面白そうな場所がないかということだった。参加者の審神者の所在についても聞こうかとしたが、鶴丸が屋上に来てから一時間が経とうとしていた。鶴丸より前に屋上に来ていた青江に聞いても、参考になりそうになかった。
     青江は竜胆に関しては、端的に知らないと答えた。面白そうな場所に関しては、二階に変な機械の置かれた小部屋と変わった厨房があると言った。
    「ねずみ色をした台のような機械で、動く部品がいっぱいくっついていて、でも一部分だけ棒が伸びていて……何に使う機械なんだろうねあれ」
     厨に関しては、本丸と同じ現世の仕様の厨ではあるが、配置がおかしいのだと言う。

     そんな面白い情報を仕入れておいて、放っておく鶴丸ではない。今すぐ確かめに行きたいところだが、その前に青江へ聞いてみた。
    「きみはきみの審神者の条件を聞かないのかい?」
    「持ってるの?」
    「持ってない」
    「じゃあ聞いてもしょうがないじゃないか」
     青江がくすくす笑い、笑いながら彼に言った。
    「僕のかわいいうさぎさんに会ったらよろしくね。君とは相性が良さそうだ」


     青江は四階を見ると言うので、屋上の前で別れた。鶴丸は近くの階段から二階へ下り、さっそく変わった機械のある部屋へ向かった。
     結果から先に言えば、鶴丸の期待する驚きはなかった。確かに何をするための物なのか皆目見当がつかない代物だったが、動くつまみを片っ端から動かしても反応はなく、鶴丸は早々に部屋を後にした。
     期待した変わった機械がこうだったのだから、厨房も期待できそうにない。そう思いつつ一応は見に行くつもりであった鶴丸だが、向かいの部屋の戸の一つが、わずかに開いているのに気づいた。
     
     審神者がいると考えるのは早計だと鶴丸も思っている。なんらかの理由で痕跡を消せなかった刀剣男士かもしれないし、審神者が部屋を出る時に戸をきちんと閉めなかっただけの可能性もある。
     それでも確認する価値はあった。鶴丸は足音を忍ばせて部屋に近づき、一気に戸を開けた。別建屋を除けば、今まで見た中で一番大きな部屋だった。薄灰色の机がずらりと二列に分かれて並んでいるが、机や窓際の棚の上に物が乱雑に置かれ、雑然とした印象の部屋だ。
    「逃げれば切る」
     顔を見るなり逃げられた前例があるので、不本意ながら紺色の服を着た少女を脅す。逃げようとした少女の足は止まったが、顔は青ざめ小刻みに震えているのが離れた場所からでもわかった。効果がありすぎたことに鶴丸は苦笑し、両手を顔の隣に上げた。

    「すまん。だがこうでも言わなければ、きみは俺と話もしてくれないだろう?」
    「……」
    「そんなに怯えなくても、取って食ったりはしないさ。そうだ、ここはどういった部屋なんだい?」
     当たり障りのない質問をしてみたが、少女は何も答えない。答えないのは鶴丸を警戒しているから。彼女にもわからない部屋だから。そしてもう一つ考えられる理由は……。
    「ここは政府の道具がある部屋か」
     少女はやはり口を閉じたままだ。しかし、答えないことが何よりの答えだった。

    「別に奪い取ろうなんて思っちゃいないさ。なあきみ、何か話してくれないと俺もきみを解放できないんだが」
    「私は鶴丸の主のこと知らない」
    「結構。俺はきみの刀剣男士のことを知っているかもしれん、名はなんという?」
    「……友切」
     しばしの沈黙の後、少女が遊戯者名を口にする。友切といえば、一期から勝利条件を譲渡された審神者だ。彼女の勝利条件は『自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く』。
     危険ではあるが、遊戯開始から五、六時間は経つ今、選り好みしている場合ではなかった。鶴丸は彼女に賭けることにした。

    「きみはこれからどうするつもりだい?」
    「鶴丸には関係ない」
    「俺はきみの勝利条件を知っている。きみ一人で刀剣男士に会いに行くのは無謀だ、俺がきみの護衛役になろう」
    「何が目的なの?」
    「きみが不利になることはしない、離脱条件も教えてなくていい」
    「だから何が目的なの!?」
     友切が感情的に叫ぶので鶴丸は驚いた。わかりきったことに対し、何故言葉を求めるのか。しかし自分の主が例外であり、普通の審神者、特に彼女のような年端もいかない少女の反応としては妥当なのだろうと思い直した。
    「俺が勝つためにきみを利用したい。それだけだ」

     言葉はなくとも、彼女の葛藤はよく伝わってきた。良心と自由への渇望。刀剣男士への不信感がある一方で、その力に対しては絶対の信頼を寄せている。
     自分はどうすべきか苦悩する姿は好感が持てたし、いっそ哀れですらあったが、彼女一人の力では結論は出ないと鶴丸は知っていた。頃合いを見て、鶴丸は彼女の隣へ歩いていく。彼女の顔は強張ったが、鶴丸が彼女の前に立っても彼を拒まなかった。それだけで十分だった。

    『参加者の位置情報を地図に反映させるアプリをダウンロードできます。「遊戯の決め事」の「八種類の道具について」を選び、以下のパスワードを入力してください。』

     友切の横にある机に、白い紙が一枚置いてあるのに気づき読んでみれば、政府の道具の使い方について書いてあった。アプリもダウンロードも馴染みのない言葉だったが、『以下のパスワードを入力してください。』と書いてあるのに、入力すべきと思われる文字が何もないのが一番気になった。ただ、不自然なほど広い余白があるだけだ。

    「私が入力したらパスワードが消えたの」
     鶴丸の視線の先を見て友切が言う。
    「つまりきみのタブレットの地図では、参加者の位置情報がわかるようになったということか?」
    「うん」
     それは鶴丸にとって、ありがたくない肯定だった。刀剣男士に会うための護衛役をすると言いはしたが、友切に目当ての刀剣男士に会われては困るのだ。友切が自身や他の審神者の敗北条件を口にした時点で、彼は負ける。
     そのため彼女の目当ての刀剣男士を探すふりをしつつ、どうにか接触を避け時間を稼ごうとしていたのだが……。予期せぬ道具の登場に、彼の計画は早くも崩れてしまった。

    「ここ、職員室なの」
     視線を落としたまま考えを巡らしていた鶴丸に、友切が声をかける。鶴丸が顔を上げると、彼女は奥の木製の扉を指さした。
    「あそこが校長室だと思う」
     校長室も政府の道具があるとされる部屋だ。鶴丸が校長室へ歩いていけば、友切も彼の後に続く。
     職員室と比べれば小さな部屋だったが、いかにもお偉いさんが好みそうな高級感漂う机が置いてある。窓際に置かれたその机以外にも、これもまたお偉いさんが使いそうな革張りの長椅子と天板が硝子でできている背の低い机があった。

     しかし、硝子の机の上に置かれていたのは、この場に不釣り合いな物だった。『政府特製のクラッカーです。気分が明るくなります。(特別な効能はありません)』、そう書かれた紙の上に円錐に紐が付いたおもちゃが乗せられている。
    「これが?」
     後ろにいる友切がつぶやくが、鶴丸も同じ気持ちだ。手伝い札、経過時間を止める時計、地図の位置情報と来て、クラッカーだ。落差がひどい。しかしクラッカーの下に敷かれた紙は、紙質も文体も職員室の机にあったのとまったく同じだ。

     鶴丸はクラッカーを取った。彼の主は本丸に現世の物を持ち込まないようにしていたが、彼はクラッカーがどんな物かを知っている。彼の主が本丸に就任してまだ日が浅い頃、演練で会った他の本丸の鶴丸国永からもらったことがあり、主を驚かすために使ったのだ。
    「(感傷的になりすぎだな)」
     何を見ても主との思い出に結びつけてしまう。友切の視線に気づき、いるかい? と聞くが友切が首を振ったので、鶴丸は袖の中にクラッカーを入れた。


     友切が開いた地図には、赤い点と青い点が散らばっていた。点は一階に集中しており、赤い点が四つ、青い点が三つあった。次に多いのは四階で、赤い点一つと青い点三つが一か所に集中している他、屋上に青い点が一つある。逆に三階は青い点が一つしかない。
     彼らがいる二階はといえば、赤い点二つに青い点一つ。そのうちの赤い点一つと青い点一つは、並んで職員室にあった。
     試しに友切を一人で校長室に行かせ、戻ってきた彼女に聞けば、青い点はそのままだったが赤い点だけ動いたと彼女は答えた。

     素直に考えれば、赤が審神者で青が刀剣男士を示すのだろう。しかし、刀剣男士の数と青い点の数が合わない。
    「青は刀剣男士以外に道具も示している」
    「残りの道具は二つってこと?」
    「わからん」
     思いつきで言いはしたものの、本当に道具ならば別の色にするはずだ。
     
     だが、鶴丸にとっては好都合だった。仕様を確かめるためとかこつけて、時間稼ぎができるうえに友切以外の審神者とも接触できる。
    「まずはこの赤の点に会ってみよう。審神者だったら、赤が審神者で確定だ」
     鶴丸は二階にある赤い点を指す。青江に教えてもらった厨房の場所だった。友切は渋るかと思ったが、意外にも素直に了承した。
     職員室から出、厨房に向かって歩く中、曲がり角に差しかかったところで、鶴丸は斜め後ろを歩く友切に話しかけた。
    「ところできみ」
    「……なに?」
     鶴丸の思ったとおり、彼女の顔つきは険しい。短い付き合いになるかもしれないが、せっかくできた話し相手だ。鶴丸はわざとへらりと笑ってみせる。

    「乱のような、いや古今伝授か? 刀剣男士でもないのに刀剣男士と似た格好をしているというのが気になっててな」
     乱は乱藤四郎のことで、古今伝授は古今伝授の太刀だ。彼女の服は彼らと違って赤い胸飾りがあるが、どことなく雰囲気は似ている。構えていた分、予想外の話題に彼女の体から力が抜けるのがわかった。
    「これ、学校の制服」
    「寺子屋か」
    「馬鹿にしないでよ、これでも大学生と間違われたことあるんだから!」
     何に対して怒っているのかはわからないが、鶴丸はとりあえず謝っておいた。
    「ああ、それと耳の飾りだが」
     鶴丸が自分の耳を触り、彼女の五つある耳飾りについて触れるが、彼女は余計に不機嫌になった。三日月ではないが、平安生まれの爺には若者の感性はよくわからない。

    「ここでは外しておいた方がいい」
    「なんでよ」
    「耳が千切れるぞ」
     鶴丸が言った途端、彼女が両耳を手で包む仕草をしたのがおかしくて、鶴丸は思わず笑ってしまった。彼女の口がますますへの字になったが、からかうために言ったのではないのだと鶴丸は理由を説明する。
    「ここでは何が起こるかわからない、きみを抱えて逃げることだってあるかもしれない。その時耳飾りが引っかかって耳が裂けても、俺は止まらないぞ」
     友切がすぐに耳飾りを外し始めたのも面白かったが、これ以上へそを曲げられてはいけないので、鶴丸は笑うのを堪えた。

     審神者がいると思われる厨に入った時、青江が変わった配置と言った意味が鶴丸にも理解できた。彼の昔いた城などでは、釜戸なら釜戸、流し場なら流し場で固まって配置されていたが、ここでは台ごとに調理が完結するように配置されている。
    「現世の厨はどこもこんな形なのか?」
     小声で友切に聞く。
    「家庭科室だと思う」
     友切も小声で返す。
    「家庭科室とは?」
    「えっと……料理を勉強する部屋」
    「わからんがわかった」
     ゆっくりと部屋の中央に進んでいくが、他の参加者の姿は見えない。友切がタブレットを確認し、顔を上げるとあっちと部屋の奥を指さした。

     この部屋にも廊下とは面していない場所に扉があった。ただこの部屋の扉は木製ではなく、形こそ違うが家庭科室の入り口の戸と同じ材質のようだった。
     扉を開ける役目は、当然鶴丸が担当した。扉の前に立ち、取っ手を掴む。審神者相手とわかっていても、緊張感がこみ上げてきた。
    「(むしろ審神者だとわかっているからか)」
     扉の向こうにいるのは、彼の主かもしれない。意を決して扉を開けると、白子の少女が壁に寄りかかって座っていた。白く長い髪に、髪と同じくらい白い肌。人の気配に気づき彼女がゆっくりと顔を上げると、赤い瞳が彼を捉えた。

     ──僕のかわいいうさぎさんに会ったらよろしくね。

     うさぎさんとはただの愛称かもしれないのに、彼は何故か彼女が青江の審神者だと確信めいたものがあった。そして何故か他の審神者のように気軽に声をかけれず戸惑っていると、少女の方から話しかけてきた。

    「審神者さんですか?」
    「こんな状況で冗談が言えるとは、見かけと違って肝が据わっているな」
     儚げな面持ちからは想像ができない発言だった。彼は鶴丸国永だと名乗ったが、少女は目を伏せ、どこかで聞いた気がしますと言う。思い上がりでもなんでもなく、鶴丸国永を知らない審神者などいるだろうかと彼は疑問に思った。
     あっと友切が小さな声を漏らした。鶴丸の背中越しに部屋の中をのぞく友切と目が合うと、青江の審神者も似たような反応をした。知り合いかい? と鶴丸が聞くのに対し、友切は知り合いというか……とあいまいな返しをする。すっきりしない彼女の表情からして、あまりいい出会いではなかったらしい。
    「その怪我、どうしたの?」
     青江の審神者は左腕を吊るしており、表情からも憔悴しているのが見てとれた。彼女は壁に手をつき、よろめきながら立ちあがる。鶴丸の肩ほどしかない、小柄な少女だった。

    「友切さんに伝えないといけないことがあります」
     少女の言葉に、友切が身構えるのが雰囲気で伝わってきた。鶴丸も平静を装いつつ、内心何を言い出すか警戒していた。
    「燭台切さんと長船さんが貴方を探しています」
    「……なんで?」
    「お二人は恋人同士で、燭台切さんが勝つために貴方に勝ってほしいって」
    「あんたほんとサイテー」
     嫌悪感を露わにした物言いに、青江の審神者だけではなく鶴丸も驚いた。言動の端々に気の強さは感じていたが、それでも刀剣男士に怯える印象の方が強かったので、なおさら驚きだった。

     一度口にすると、止まらなくなったのだろう。友切の語気がどんどん強くなっていく。
    「どれだけ人をバカにすれば気がすむわけ? 主だうさぎだ言ったかと思えば、今度は刀剣男士と恋人同士? そんなやついるわけない!」 
    「合意のうえで隠された審神者というのは、そんなに珍しいんですか……?」
    「あんた一体何がしたいの!? ああ、ほんともう、ムカつく!! 私あんたみたいなやつ大っ嫌い!!」
    「私、何も嘘吐いてません! だって私の敗北条件は……」
    「あ~~~~!!!」
     突然叫んだ鶴丸を、今度は少女二人が驚いた顔で見ている。友切は時間が経てば納得した顔つきに変わったが(友切のためにしたと好意的に解釈してくれたのだろう)、青江の審神者の方は目をまん丸にしたままだ。
     鶴丸国永は突飛な刀だと思っているだろう。だが、鶴丸だって本当はもっと上手いやり方で切り抜けたかった。

    「離脱条件を安易に言うな。きみが良くても他のやつが困るかもしれないだろう」
    「すみま、せん?」
     驚きすぎて鶴丸の真意に気づいていないようだが良しとした。それに彼女のちぐはぐな言動の理由に、察しがついた。
    「もしかして審神者をしていた時の記憶がないんじゃないか?」
     鶴丸国永を見てもわからなかったり、刀剣男士を恋人に持つ審神者の存在を信じたり、審神者にしてはおかしな面が目立つ。しかし、審神者時代の記憶がないとすれば最もな反応だ。主の記憶を消して一からやり直したくなる刀剣男士がいたとしてもおかしくはなく、実際彼も、そんな衝動に駆られたことは一度や二度ではない。
     同時に、自分の願望が多分に含まれた憶測であることも鶴丸は自覚していた。本丸時代の記憶がない審神者など、彼にとってはなんとも都合のいい審神者だ。審神者としての知識もなく、刀剣男士に裏切られた記憶もなく、加えて彼女は怪我をしていて自由に身動きが取れない。

     少女は口を開くが、はっと何かを思い出したように慌てて口をつぐむ。勘づかれた? 鶴丸は一瞬ひやりとしたが、自身の言動を振り返っても不審な点はなかった。それに聞かれたことに対し、そのとおりだとわかりやすく反応する少女が、鶴丸の真意に気づけるとは思えなかった。
    「(誰かに入れ知恵されたか)」
     たとえば燭台切。審神者を恋人に持つ燭台切なら、親切心から忠告しそうだ。燭台切でなかったとしても、遊戯が始まって六時間は経つのだから、他の参加者に会っていてもおかしくはない。
     鶴丸は少女の言葉を待った。青江の審神者は悩みに悩んだ末、鶴丸にこう告げた。
    「にっかり青江に会ったら、私がここにいると伝えてもらえませんか?」
    「……」
    「貴方が言うとおり、私は神隠しされる前の記憶がありません。だから、ここには青江に負けるつもりで来ました。けど、本当にそれでいいのかわからなくなってしまったから……青江に会ってどうするかを決めたい」

    「どうするかって」
     友切の困惑した声がし、見れば彼女は声どおりの表情をしている。予想外の発言に、毒気を抜かれたようだった。
    「そもそも記憶消したって要するに……」
     そこで友切が言うのをやめてしまい、どうしたのかと思えば、彼女は彼女で鶴丸の様子をうかがっていた。気を使われたのだとわかり、友切の代わりに鶴丸は続きを言う。
    「合意のうえの神隠しなら、きみの記憶を消す必要はないだろう。そもそも合意のうえの神隠しなんてありえんがな」
    「……貴方は刀剣男士ですか?」
    「ああ、刀剣男士の鶴丸国永という」
    「貴方の、審神者も?」
    「ああ。俺が無理に隠した」
    「同じこと、他の人からも言われました。長船さんたちのように互いに想いあっているのなら、記憶を消す必要はなかったって。それにその人は、現世には私の帰りを待つ人がいる。仮にいなかったとしても、私が私の意志で、大切に思う人を作ることができるって……」

     やはり彼らより先に彼女に会い、刀剣男士の危険性を説いた人物がいたようだ。余計なことをしてくれたと思いながら、気づけば鶴丸はその人物に同調していた。
    「俺もそのとおりだと思うぜ。きみはきみの意志で自分の道を選ぶべきだ。神域での隷属的な生活に満足できるのか? ……俺が言っても説得力がないな」
     自分の滑稽さが鶴丸はおかしかった。だが少女は無垢な瞳で鶴丸を見つめ、鶴丸を非難することはない。それが余計に彼をいたたまれなくさせた。
    「俺はともかく、その言葉を言った人間のことは信じるんだな」
    「……」
    「きみは青江に会うべきではない」
    「……」
     矢継ぎ早に言葉を重ねても、少女が求める言葉ではないので、少女はわかったとは答えない。嘘でもいいからわかったふりをしてくれればいいのに、それすら少女はしようとしない。

    「貴方は、貴方の審神者に会いたくありませんか?」
     それは苦し紛れの発言だったのかもしれない。けれど、鶴丸の言葉を止めるには十分だった。主に会わなくても勝敗には関係ない、そう青江に言ったのは鶴丸だが……。
    「会いたいさ」
     本丸で見せた、驚いた時の顔や花を見て喜んだ時の顔がもう一度見たい。いや、神域での感情をなくした表情でもいい。罵倒されようと逃げられようと、一目でいいから会いたい。秘めた本心を短い言葉にすべて込めて伝えれば、少女は微笑んだ。

    「私もきっと同じです」
    「……っははは、そうかそうか!」
     突然笑い出した鶴丸に、少女二人がまた驚いている。友切あたりは、とうとう気が狂ったと思っているだろう。だがあながち間違いではない。鶴丸自身、何がおかしくて笑っているのかわからないのだから、本当に気が狂ってしまったのかもしれない。
     それでも気分は爽快だった。ひとしきり笑うと、鶴丸は少女に言った。
    「いいぜ、きみの願い承知した。その代わりと言ってはなんだが、彼女のためにきみの知っていることを教えてくれないか? 離脱条件は勝手に口走らないでくれよ」
     
     少女から聞き出せたのは、少女の遊戯者名が灯篭であること、友切に会った後髭切に会い、怪我をしたこととタブレットを見られたこと。それから燭台切とその主である長船、へし切長谷部に隠された茶坊主に会い、手当をしてもらった後ここに留まるよう言われたということだった。
     すべてを聞き終えた後、友切は灯篭にごめんと謝った。気まずかったのか、謝るとすぐに部屋の外に出てしまったが、根は悪い娘ではないのだろうと鶴丸は思う。ただ、この異常な環境が彼女の精神を不安定にさせているだけで。
    「青江に会いたいというのなら、俺たちと一緒に来るか?」
     鶴丸が聞くが、灯篭は首を横に振る。珍しい物がいっぱいあり、いろんな物を見て回り気持ちはあると言ったうえで、灯篭は自分の左腕を見た。
    「実はこの腕、立ってるのも辛いくらい痛いんです」
    「だろうな」
     友切を待たせているので、もう行かなければいけない。けれど別れるのが名残惜しく、鶴丸は最後の質問を彼女にした。

    「なあ、なんできみは俺に正直に話そうと思った?」
    「え?」
    「きみに現世に帰るように言った親切なやつに、安易に話すなと忠告されたんじゃないのか?」
     鶴丸の問いに、灯篭が真面目な顔をして言う。
    「貴方も優しくて親切な人ですから」
    「おいおい、あまり買いかぶるな。俺はそんな善人じゃ……」
    「竜胆さんに会えるといいですね」
     腕の痛みを隠してにこにこ笑う少女の方が、彼より一枚も二枚も上手だった。しかし、やられっぱなしは鶴丸の性に合わない。

    「じゃあな、うさぎさん。きみとはもっと早く会いたかったぜ」
     彼女の驚く顔を見て、鶴丸はニヤリと笑う。灯篭は一瞬前のめりになったが、結局何も言わず右手を振って鶴丸を見送った。

     もし彼女が怪我をしていなかったら。もし友切より先に会っていたら。いろいろなもしが浮かび、あったかもしれない未来が頭の中に描かれる。

     ──ありがとう。きみといると驚きに事欠かなかったぜ。

     そう礼を言って彼女と別れる未来が、あったのかもしれない。


    「竜胆もあんな感じなの?」
     次の行先を決め、家庭科室を出ようとしたところで友切が聞いてきた。質問の意味がわからず鶴丸が聞き返すと、友切はもう少し丁寧に言い直した。
    「灯篭と竜胆は似てるの?」
    「似てない」
    「見た目が? 性格が?」
    「両方かすりもしてない。どうしてそんなこと聞くんだ?」
     真っ白な灯篭と黒い服を好む竜胆。鶴丸が驚きが足りないと訴えてもそんなもの結構と切り捨てる竜胆と、青江が鶴丸と相性が良さそうだと言う灯篭。何故その発想に行きついたのか逆に鶴丸は聞くが、友切は素っ気なく別にと言うだけだった。やはり若者のことは平安生まれにはわからない。

     家庭科室を出ると、長谷部と燭台切の声が聞こえてきた。
    「貴様どういうつもりだ!?」
    「動けないんだから黙ってて。カッコ悪いよ長谷部君」
    「やめろ、ただではすまんぞ!」
    「はいはい」
     言い争うというより、長谷部が一方的にまくし立てている。他にも聞きなれない声が所々聞こえてくるが、長谷部の怒声に隠れて内容まで聞き取れなかった。鶴丸は友切に目で合図を送ると、当初の予定どおり目の前の階段は使わず、あえて遠回りをして謎の機械がある部屋の隣の階段から三階に向かった。

     家庭科室で次の行先を考えていた時。友切の地図を見ていて、青い点とその青い点から一定距離を開けて動く三つの点に気づいた。三つの内訳は青一つ赤二つ。単独で動く青い点が一階、二階、三階へと上がれば、他の三つの点も遅れて同じ道をたどる。四つの点がすべて三階で止まったところで家庭科室を出ると、先ほどの会話が聞こえてきたのだ。
     家庭科室から離れた階段を使って慎重に近づき、廊下の曲がり角から様子をうかがう。地図アプリが示すとおり、階段付近に参加者が四人いた。長谷部と燭台切、一枚のタブレットを一緒に見ている男の審神者が二人。一人は明るい色の髪を後ろに一つで結んだ優男──灯篭に聞いた特徴から恐らく長船──で、もう一人は優男より年上の着物姿の男──そしてこちらが茶坊主──だった。
     しかし、どういう経緯で今の状況に至ったのかは皆目見当がつかなかった。長谷部は騒ぐわりに、後ろを振り返る途中で止まったような変な格好のまま動かないし、審神者は刀剣男士二人を前にして、呑気にタブレットを見ている。

     鶴丸は友切に隠れているよう手で合図し、一人で彼らの前へと出ていった。
    「いやあ、驚きだな。一体全体、どういう状況なんだ?」
     廊下の曲がり角から現れた鶴丸に、燭台切が即座に反応する。審神者たちと鶴丸の間に立ち、威嚇こそしないが、刀はいつでも抜けるように手をかけている。
    「やあ光坊。きみも参加していたんだな」
     いざ勝負と意気込んでいた鶴丸の耳に、変な会話が入ってくる。
    「すげぇ、い抜きじゃない」
    「あれが正しい日本語だ」
    「二人とも静かに。ああ、鶴さん。気にしないで」
     気にしないでと言われても、頭の中で立てた算段が狂ってしまった。格好をつけても仕方がない気がして、鶴丸は溜め息を吐いた。

    「あの長谷部はきみたちの仕業かい?」
     長谷部は未だ変な格好をしたまま微動だにしない。しかし燭台切は、彼の質問に答えず、まったく別のことを聞いてくる。
    「鶴さんは審神者と刀剣男士、どちらの味方?」
    「俺の質問に答える気はないのかい?」
    「鶴さんの答え次第だよ」
     燭台切が笑みを浮かべるが、その目は少しも笑っていない。厄介な相手を引いてしまったが、彼も大人しく引き下がるつもりはない。待たせている友切も含め、どう対処するのが最善か思案していると、長谷部が鶴丸を見ているのに気がついた。
     『刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く』が敗北条件である長谷部が、動きを封じられるのは致命的であり、彼の敗北は確定したようなものだ。

    「鶴丸国永!」
     だが、長谷部は諦めていなかった。
    「協力しろ! 俺はお前の敗北条件を知っている!」
     茶坊主の動きが、鶴丸にはやけにゆっくりと見えた。男の口が敗北条件を叫ぶために開く。灯篭の時のように彼の声が掻き消えるくらい大声で叫ぶか、だがそれも一度しか通じないだろう。絶体絶命の危機のはずなのに、鶴丸の口角は上がっていた。
     鶴丸が刀を抜くと、燭台切も呼応するように刀を抜く。極の燭台切の方が圧倒的に有利だが、鶴丸は久しぶりの戦いに全身の血が沸き立つ思いだった。
    「(さあ、大舞台の始まりだ!)」
     しかし、刃と刃が交わる直前、燭台切の背後で白い風が走ったのが見えた。刀が交わった高い音と同時に、長船の体が壁にぶつかる音がする。
     
    「動くな。あんたの主の首が飛ぶぞ」
     白い風の正体は山姥切国広だった。四階から飛び降りてきた山姥切は、長船を壁に押しつけ、その首に刀を当てている。鶴丸と燭台切が山姥切に向けて刀を構え直すが、参戦したのは彼だけではなかった。山姥切に続き、髭切が姿を現す。
    「そこの君も大人しくしててね」
     髭切は階段を下りながら、茶坊主を牽制する。男が階段から離れ壁の方へと後ずさりすると、いい子いい子とにこやかに笑う。だが、その手には抜き身の刀が握られていた。髭切は長谷部と茶坊主の間に立ち、鶴丸たちの方へ向き直る。

    「情報交換をしよう」
    「ふざけた真似してくれるね」
    「ごめんね。でも用事がすめば解放するから」
     髭切の視線が、山姥切に刀を向けられている審神者に向く。温厚な燭台切に対しては珍しく、殺気を隠そうともしないから、やはり彼が燭台切の主である長船なのだろう。
     山姥切はともかく、髭切が姿を現した理由は想像がついた。情報交換をしようなどと言っているが、髭切の敗北条件は『審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する』だ。髭切と山姥切は隠れた場所から三階の様子を観察しており、長谷部が危ないと判断し、強引に介入してきたのだろう。鶴丸としては髭切に感謝すべきかもしれないが、問題は友切だ。

     『自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く』が勝利条件の友切がこの機会を見逃すわけがなく、いつ出てきてもおかしくはない。理由をつけてこの場から去るのが賢明であったが、鶴丸には気になることがあった。
    「そこの着物の彼はどうするつもりなんだ?」
     危機的な状況下にあるというのに、一切動じず静かにたたずむ審神者。鶴丸の方へ顔を向けるが、まるで能面のようだった。よほどの大物か、そうでなければ感情が死んでいるとしか思えなかった。
    「この子が鶴丸の離脱条件に関係するの?」
    「きみ、弟以外の名前は覚えられるんだな」
    「はははっ、山姥切にも同じこと言われた。それでどうなの?」
    「……ただの好奇心で聞いてみただけさ」
     鶴丸の返答を聞いても、茶坊主は眉一つ動かさない。だが、鶴丸の言葉を契機に、審神者たちが動き出す。

     燭台切の主はずっと恐怖で引きつった顔をしていたのに、茶坊主を助けようと動き、山姥切に壁に強く押しつけられた。その行動を見て山姥切を非難したのは、燭台切ではなく友切だった。
    「まんば、もうやめて!」
    友切は廊下の角から姿を現すと、鶴丸たちの方へ歩いてくる。
    「まんばの主の敗北条件を教えるから、その人のこと離してあげて」
     友切の登場に、誰もが驚きを隠せずにいた。友切に神隠しを合意させることが勝利条件の髭切に、勝利のため友切の行方を探していた燭台切とその審神者。山姥切や長谷部も突然現れた審神者が山姥切の主の敗北条件を知っていると言ったら驚くだろうし、鶴丸だって友切が探していた刀剣男士が髭切と山姥切であったことに驚いた。変わりないのは茶坊主だけだった。
    「髭切も。その着物の男の人を助けてあげて。私の敗北条件を教えてあげるから」
     友切は勝利を前にし、ひどく興奮していた。話す速度もいつもより速く、髭切たちの返事を聞くより前にしゃべってしまいそうだった。

    「貴方の離脱条件は、刀剣男士に敗北条件を伝えることなんですね」

     友切を止めたのは刀剣男士ではなかった。階段から女が下りてくる。その隣には五虎退がいた。

     友切の地図で、四階に四人の集団がいるのを見つけた。審神者一人と刀剣男士三人といういびつな集団だった。もしその集団のうち二人が髭切と山姥切で、もう一人の刀剣男士と審神者が隠れて様子をうかがっているのだとしたら……その審神者は三分の一の確率で、鶴丸の主だった。
    「私の部下が出してきた案に、そんな離脱条件がありました。仕事のできない男でしたが、こんな形で役に立つとは」
     階段から下りてきたのは、彼の主である竜胆だった。悠然とした作った笑みは、鶴丸が好きだった表情ではなかったが、それでも神域にいた頃と違い生き生きとしていた。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 30分以上同じ部屋に留まる
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件 4人以上の参加者の敗北条件を把握する


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    第五章:望んだ結末 せっかく動きが封じられるのなら、守りに使うのではなく攻めに使おうと燭台切は言った。つまりは長谷部に茶坊主の札を使い、タブレットを奪って長谷部の離脱条件を確かめようという提案だった。
     札は刀剣男士から身を守るためにあると思っていた長船たちには盲点だった。その後、会場内を探索する中で運良く長谷部を見つけ、札を使った。
     さらに幸運は続き、長谷部の敗北条件は簡単に達成できるもので、長谷部に刀を握らせ床に傷をつけさせれば終わり……のはずだった。
    「(オレのせいだ)」
     茶坊主と別れるのが寂しくて、勝利が確定した彼が妬ましくて。少しだけ時間を稼ぎたかった。
     燭台切に友切の勝利条件が載ってるよと嘘を言い、目の色を変えて長谷部のタブレットを奪った燭台切を笑ったところで鶴丸がやって来た。そして燭台切が長船たちから離れた隙をつき、山姥切と髭切が奇襲を仕掛けてきたのだ。

     長船は首に刃を向けられ死の恐怖に苛まれていたが、それでも茶坊主はなんとしても自分が助けなければと思っていた。自分がつまらない冗談を言い時間を無駄にしなければ、彼は今頃遊戯に勝っていたはずなのだから。
     長船が動けずにいると友切が現れ、助かるのかと期待すれば、また別の審神者が現れて刀剣男士の味方をする。
    「私の部下が出してきた案に、そんな離脱条件がありました。仕事のできない男でしたが、こんな形で役に立つとは」
    「そんなんじゃない! 私はただ二人を助けようと思って……!」
    「では、タブレットを見せてください。私が見て、問題なければ二人に伝えましょう。……二人が助かるのなら、それくらいできるでしょう?」
     長船からは女性や友切の姿はよく見えなかったが、しばらくしておばさんのくせに! と吐き捨てる少女の声がした。女性は声の感じから三十代前半と思われるが、見えないはずの彼女の顔が引きつっているのが長船には見えた。

    「誰がおばさんですって?」
    「あんたしかいないでしょ! だっさいおばさんがえらそうに!!」
    「そっちこそ子供のくせにえらそうな口を利いて! だいたい、そんなこと言ってられるのも……!」
    「らしくないな」
     女同士の口論に割って入ったのは鶴丸だった。
    「らしくない芝居をする」
    「貴方に女の気持ちはわかりません」
    「きみがそんなこと言うとは驚きだな。何が目的なんだい?」
     女性は鶴丸の主らしい。長船には友切と女性の会話に不自然な点はないように思えたが、鶴丸が言うのだから普段の彼女らしからぬ発言なのだろう。それならば何故演技をと疑問に思ったところで、茶坊主がその疑問を解消してくれた。

    「おばさんと馬鹿にした存在になりたくないのなら、永遠の若さのため神隠しを受け入れろ。……そう誘導したかったんですか?」
     長船は髭切の勝利条件を思い出した。『自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない』。長船は友切同様、ありえない勝利条件だと思ったが、燭台切と茶坊主は言葉尻を捕らえて判定される危険性を指摘していた。
     審神者が審神者の敗北を願う。ありえないと否定したかったが、女性の隣から五虎退が消え、茶坊主の前に現れる。集めた離脱条件から、参加者に五虎退がいないことは確定だ。きっと彼は遊戯会場の鍛刀部屋で鍛えられた刀なのだろう。
     茶坊主に一体何をするつもりなのか? 長船は背筋がぞっと冷たくなった。

    「これは僕から長谷部に返すよ」
     五虎退の手が届く前に、髭切が茶坊主の手にあったタブレットを取る。燭台切が鶴丸と対峙する前、茶坊主へ返した長谷部のタブレットだ。想像した最悪の事態にならなかったことに、長船は安堵した。
    「ありがとう、お芝居上手だったよ」
    「いえ、お力になれずすみません」
    「いいよいいよ。あ、そうだ君も。こんな状況なのに妹ちゃんの心配をしてくれたの? ふふっ、ありがとう」
     鶴丸の主と茶坊主に礼を言う髭切は、長船の本丸にいた髭切と同じように朗らかに笑い、場にそぐわない笑みは不気味だった。

    「おい、情報交換とやらはどうした?」
     焦れた山姥切が髭切に言うのと同時に、長船に向けられた刀がぐっと近づく。
    「そうだった。え~と、どこまで話したっけ」
    「もういい。こいつと友切の交換だ」
     近づいた刀のせいで首が動かせなくなり、長船の見える範囲はより狭まった。それでも辛うじて燭台切の姿は視界に捉えることができ、すがる思いで恋人を見つめていれば、視線が合った。険しい顔をしていたが、周りに悟られない程度にうっすらと燭台切が笑う。

     大丈夫、君は必ず僕が助けるから。そう言われている気がした。長船を安心させるための笑みのはずなのに、長船の心臓の鼓動は速まった。

     ──これからお前たちと一緒に行動させてもらえないだろうか?
     ──いいよ、一緒に行こう。
     ──ちょっと待てよ!

     灯篭が調理室に残ると言い、長船は納得できず燭台切たちを説得しようとした。長船は特に茶坊主に怒っていた。彼女の心細さは同じ審神者である自分たちが、一番わかるはずなのに。それなのに彼はあまりに冷淡すぎた。
     けれどそれは長船の勘違いだったのだとすぐにわかる。灯篭が茶坊主にありがとうと礼を言った時、それまで眉一つ動かさず涼しい顔をしていた彼が、初めて感情を露わにした。
     年端もいかない少女を見捨てる罪悪感、憐憫、無力な自分への怒り。泣いたり叫んだりして感情を爆発させれば楽になるだろうに、彼は黙って自分の感情を飲みこみ、少女にまた背を向けた。

    「俺にはなんの旨味もない話じゃないか」
    「では貴方が協力してくれたら、私の離脱条件を教えましょう」
    「俺が聞いたところでどうしようもない条件なんだろう」
    「私の離脱条件より、友切を優先する理由をお聞きしたいですね」
     鶴丸と彼の主の応戦が聞こえるが、山姥切はまどろっこしいやり方を嫌った。
    「燭台切光忠」
     山姥切の刀が、ついに長船の肌に触れた。痛みはないが、鉄のひやりとした感触に息が止まる。
    「あんたが決めろ。友切を渡すか、主の首が飛ぶのを見るか」

     長船は優しい燭台切が好きだった。主であり恋人でもある自分だけを特別扱いせず、誰に対しても分け隔てなく接する燭台切が長船は好きだった。
     けれど彼は灯篭を見捨てた。遊戯に勝つためには仕方がなく、燭台切も本意ではなかったとはわかっている。それでも燭台切は、茶坊主のように罪悪感に打ちひしがれた顔はしなかった。彼はただ、長船が言うことを聞かず困っているように見えた。
     ドクドクと長船の心臓が鳴るのは、刀が首に触れているからだけではない。皆に優しい燭台切は、茶坊主も友切も、みんなが助かる手段を考えてくれるはず。そう信じているのに、長船の心臓は鳴りやまなかった。


     崖から落ちそうな兄と崖の上にいる妹。友切の両親は崖から落ちそうな兄を助けるのに必死で、彼女を見ることはなかった。自分を見てもらいたい一心で中学一年生の時に彼女はピアスを開けたが、両親が彼女のピアスに気づくことはなかった。ショートカットで常に耳たぶが見えているのに、だ。
     両親はさらに兄の代わりに崖から落ちろと彼女に言った。難病の兄の手術代のため、彼女に審神者になれと言ったのだ。
     友切が高校生になる前年に、審神者の募集要項は高卒から中卒に引き下げられた。義務教育を終えたばかりの子供を戦争の最前線に就かせるべきではないと、世論は批判的な意見が占めていたが、それでも彼女の両親は彼女に審神者になることを求めた。

    「あんたが決めろ。友切を渡すか、主の首が飛ぶのを見るか」
     鶴丸に隠れているよう言われたのに出てきたのは、自分の勝利条件を達成するためだった。だが、仲間である二人の審神者を助けたいと思ったのも本当だ。それなのに……。絶望で後ろによろめいた友切に、燭台切が手を伸ばす。けれどその手は彼女を助けるためではなく、崖から突き落とすための手だ。

     ──あいつが助かるんだったら私は死ねって?

     審神者になってほしいと土下座して頼む両親に、彼女が言った言葉だ。友切は燭台切の隣にいる鶴丸を見たが、正面を向いたまま友切を見ようとしない。友切の中で、プツンと何かが切れた。
    「あああああああああああああああ!!!」
     どこからか化け物の絶叫が聞こえたが、構わなかった。崖から落とされるのを大人しく待つなど、絶対に嫌だった。成功するかどうかは関係ない、彼女は声の限りに叫んだ。

    「写しの敗北条件は……!」
     だが、彼女の声をかき消すようにさらに大きな声で鶴丸が叫ぶ。
    「×××!! 屋上へ行け!」
     彼女がおばさんと蔑んだ女審神者の真名だった。鶴丸の叫び声で、その場の均衡が一気に崩れる。
     燭台切が山姥切に切りかかり、山姥切は燭台切の攻撃を受け止めきれず体勢を崩すも、追撃はぎりぎりのところで避ける。しかし、彼が再び刀を構えた時には、人質に取っていた審神者は燭台切の腕の中にいた。

     鶴丸はというと主の後を追うのではなく、着物の男を助けに向かっていた。髭切の刀は着物の男に向けられていた。しかし鶴丸は間に合わず、赤い血しぶきの中、主と長谷部が叫ぶ声が聞こえる。
     着物の男が倒れる前に鶴丸がその体を担ぎ上げ、髭切が鶴丸を攻撃しようとしたのを今度は五虎退が止めに入る。
    「何をしているんだ?」
     四階から蜂須賀が下りてきたのと、五虎退が消えたのもどちらか先かわからない。ただ遅れてやって来た血の臭いで彼女は我に返り、その場から逃亡した。

     走って走って、ただがむしゃらに走って逃げた。気づけば体育館まで来ており、用具入れへ隠れようと走るペースを緩めたところで足がもつれ、友切は大きな音を立てて転んでしまう。
    「(鶴丸まで私を裏切った)」
     体だけでなく精神も限界を迎えており、彼女は起き上がれなかった。鶴丸とは元々互いの思惑が一致したから協力していたにすぎず、髭切と同じ刀剣男士を信用していたわけではない。
     それでも自分を守ってくれる存在ができて、彼女は嬉しかった。ピアスの話をしている時の、鶴丸が笑いを堪えている姿を思い出すと、友切の目から涙が零れた。
    「(きみを抱えて逃げるって言ったくせに)」
     抱えて逃げるどころか、鶴丸は彼女には見向きもしなかった。顔を両手で覆うが涙は止まらず、過去の悲しい出来事が思い出される。

     ──これ以上目印を付けなくても、僕は君のこと見つけられるよ。

     彼女の多すぎるピアスに刀剣男士は様々な反応を見せたが、彼女のメッセージを正確に読み取ったのは髭切が初めてだった。
     彼女の承認要求を満たしてくれたのも髭切だけだった。刀剣たちが嬉しそうに兄弟の話をするのが嫌だと言っても、家族に対する憎悪を口にしても、髭切はいつも彼女を肯定した。

     ──もし、ね。
     ──うん?
     ──もし、弟刀と私が崖から落ちそうになって。一人しか助けられないとしたら、どっちを助ける?

     髭切は首の後ろに手をまわし、友切の体を引き寄せた。体を固くする友切をよそに、髭切は友切の首に顔を埋め、色素の薄い柔らかな髪が皮膚をなでた。彼女は人との身体接触が苦手だったが、嫌いではなかった。体同士が触れ、相手の体温が伝わってくるというのは緊張するが、心地良くもある。離れてと言い出せずにいると、髭切が耳元でささやいた。

     ──弟も大切だけど、異性の妹の方が可愛いものだよ。

     膝丸が本丸に来るまでの、お遊びの兄妹ごっこのはずだったのに。抱きしめられれば、彼女が求めてやまない無償の愛を感じた。
    「(信じてた。髭切のこと信じてたのに……)」
     体育館に友切の泣きじゃくる声が響いた。


     恋人の体温に安心したのも束の間、長谷部が茶坊主を呼ぶ声に、長船は現実に引き戻された。見えたのは、鶴丸に担がれた茶坊主の着物が赤く染まっているのと、髭切の攻撃から五虎退が身を挺して茶坊主を守り、砕け散った姿だった。
    「何をしているんだ?」
     再び時が動いたのは、四階から蜂須賀が下りてきてからだ。鶴丸が茶坊主を抱えたまま階段を駆け下り、燭台切は長船の手を引いて吹き抜けの方へと走り去る。燭台切の後ろには友切がいたはずだが、彼女はいつの間にかいなくなっていた。

     燭台切が足を止めたのは、三階南東に位置する美術室に入ってからだ。長船が美術室に来たのはこれが初めてだったが、石膏の胸像やキャンバスがあったのと何より茶坊主から場所を聞いていたので、すぐに美術室とわかった。
     燭台切は長船を背にかばい入り口に向け刀を構えたが、追っ手が来ないことを確認するとようやく長船と向かいあう。
    「ごめん、君を守れなかった」
     悲痛な面持ちで謝られれば、長船は何も言えなくなり首を横に振るので精一杯だった。自分を守るため必死だった彼に、疑いの目を向けた己を長船は恥じた。

    「あの状況を覆すには、主と友切さんの人質の交換の時しかチャンスはないと思ったんだ。鶴さんはわかってくれたけど……友切さんには伝わらなかった。初めて会った時の友切さんのことを考えれば、わかったはずなのに」
    「いろいろ考えて、それしか方法がなかったんだろ? だったら光忠は悪くないじゃん。そもそも俺が国広に捕まらなければ良かったんだし」
    「審神者が刀剣男士から逃げるなんて無理な話だよ。長谷部君は動けないからって、鶴さんばかりに気を取られていた僕の責任だ」
    「普通あんなとこから降ってくるとか思わないだろ。俺だってもっと警戒してれば、もっと……」
     話せば話すほど気分が沈んでいく。このままではいけないと長船は首を大きく左右に振り、気合を入れるため自分の頬を叩いた。
    「やめやめ! 反省会終わり! 次行くぞ!」
    「だから大声を出さない」
     そう言って苦笑とはいえ燭台切が笑ってくれたから、長船は嬉しかったし安心した。燭台切も彼の気持ちを汲み、それ以上謝らなかった。

     気持ちを切り替えたところで、長船はこれからすべきことを口にした。
    「お兄さんと友切を探さないと」
     茶坊主は髭切に切られ怪我をしているうえに、一緒にいると思われる鶴丸の行動も読めない。友切は怪我こそしていないが、恐怖に耐えきれず絶叫した彼女を放っておくわけにはいかない。
     燭台切は顎に手を当て、話しながら考えを整理し始めた。
    「友切さんがどこに行ったかは見当がつかないけど、心情としてはできるだけ遠くに……といったところかな。茶坊主君は保健室で待ち合わせの約束をしてるけど、鶴さんとしては屋上に行きたいはず。けど鶴さんは下の階に行ったし、別の階段から茶坊主君を抱えて屋上に行くとは思えないし。屋上に行けとしか命じていないから、あの彼女が大人しく屋上で待っているとも思えない。あとは茶坊主君がどう考えるかだな。山姥切君たちが保健室の存在を知っていたら、真っ先に保健室に探しに行くだろうから危険だと捉えるか、それとも僕たちと合流することを優先させるか。いや、そもそも茶坊主君は今自分の意志では動けないか」

    「あ、そうだ! 今から長谷部のとこ戻って、長谷部の敗北条件達成しちゃうのは!?」
     茶坊主の怪我はもちろん心配だが、魂之助の説明によれば今の彼らの体は特殊空間に耐えるための仮の器である。生死に関わらないのなら、茶坊主の勝利を優先しようと長船は考えたのだが、燭台切にあっさり却下される。
    「長谷部君を助けるため強引に介入してきた山姥切君たちが、あの状態の長谷部君を一人にするとは思えないな」
     長谷部はまだ札の効力で動けない。効力が切れるまで護衛するか、もしくは別の場所に移動させるだろう。
    「二人ともまだ極ではなかったし、僕との力の差を考えると二人で護衛に当たるのが無難かな。あの場から移動するにしても、やっぱり一人では危険だし。……うん、まずは保健室に行こう」
     
     美術室と保健室は外階段で繋がっているので、髭切たちに見られることなく移動できる。他に思いつく場所がなかったこともあり、彼らは保健室に移動した。
     だが保健室には誰もいなかった。焦った長船は他の場所を探しに行こうとしたが、燭台切は待つことを選んだ。
    「友切さんのことなんだけど」
     燭台切は気もそぞろな長船をソファに座らせ、自分は立ったまま出入口を見張っている。
    「鶴さんの主が言っていたことは、多分正しい」
    「敗北条件を伝える云々言ってたやつ?」
     燭台切は黙って頷いた。
    「僕が友切さんを最初に見かけた時、彼女は山姥切君と話してたんだよ。会話しているというより、彼女が山姥切君を引き止めている感じで……ん? あれ?」
     突然声のトーンが変わったので、長船がどうしたのか聞けば、燭台切は布がとつぶやいた。布? とオウム返しするが、気にしないでと言い燭台切は話を元に戻した。

    「友切さんは山姥切君を見かけて引き止めはしたけど、彼の審神者の敗北条件を伝えようか迷っていたんじゃないかな」
     長船と落ち合うため燭台切が屋上へ向かっている途中、山姥切と友切が話しているのを見かけた。まだ離脱者が出ていない頃だ。山姥切は燭台切の姿を見るなり逃げ、続いて友切も逃げた。
     山姥切は良くて燭台切は駄目だった理由、彼は今になってわかった。
    「その時伝えなくて、今になって言おうとした理由は?」
    「もし主の勝利条件が『審神者7の友切が遊戯に勝利する』だった場合、どうしていた?」
    「……」
    「そういうことだよ。あの時は遊戯が始まって間もない頃だ。彼女も迷っていたんだろうね」
     他者の犠牲の上に成り立つ幸せ。負けるため遊戯に参加した彼は、それまで考えもしなかった。頭の中で燭台切の言葉を反復すると心にさざ波が立ち、長船が我慢できず吐き出した。

    「友切が国広の審神者の敗北条件を教えたら、国広の審神者はどうなるんだ?」
    「条件の内容次第だね」
    「光忠!」
     他人事のように言う燭台切に声を荒げる長船だったが、燭台切は落ち着いてとなだめる。
    「僕は君のそういうところが好きだから、永遠に共にありたいと思うんだけど。でもね、みんなが幸せになる道はないんだ」
     その後しばらく待ったが、茶坊主は現れなかった。元々彼としていた約束は、はぐれた時は偶数の時間に保健室で待ち合わせようというものだった。経過時間が十時間になったら再び保健室に来ると決め二人は部屋を出たが、待っていたのは山姥切と長谷部との再会だった。


     山姥切たちは中庭の桜ではなく、床を見ていた。長谷部に至っては、跪いて何かを調べているようにも見えた。先に長船たちの存在に気づいたのは山姥切で、待てと攻撃態勢に入ろうとする燭台切と長谷部を制止する。
    「さっきは悪かった。もうあんたの主に危害は加えない」
    「自分の主があんな目に遭って、黙っている刀剣男士がいると思うかい?」
    「あんたの怒りはもっともだ。俺も主に手を出すやつは誰であろうと切る。主と俺に違いができるなど、あってはならないからな」
     長船は山姥切の受け答えに違和感を覚えたが、長船が口を挟む間もなく、二人の会話は続いていく。

    「だが、あんたに俺たちと争う理由はないはずだ」
    「それは僕が決めることだ」
    「俺たちと対立してもあんたが不利になるだけだ。長谷部のタブレットを見たあんたならわかるだろう」
     長船には山姥切の言う意味がわからず、燭台切を見るが、彼の視線に気づいているはずなのに正面を向いたまま何も言わない。長谷部のタブレットで見た長谷部の離脱条件は、『自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる』と『刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く』だ。わざわざ審神者は除くと書かれているのにはぞっとしたが、山姥切の言う不利になる理由というのは、いくら考えても長船には思いつかなかった。

    「お前の主は何もわかっていないようだな」
     長船の様子を見て、長谷部が鼻で笑う。
    「俺のタブレットには山姥切の敗北条件が書いてある。山姥切の敗北条件は、『刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する』。お前たちにとって友切の勝利が優先されることに変わりないが、髭切が勝った時のことを考えてみろ。山姥切が勝たないと、お前たちの目的は達成されないぞ」
     燭台切が不利になる理由を長船に説明し、俺の聡明な主なら気づかれているはずだと最後に付け加える。
    「お姫様みたいに守られている理由を、そんな得意げに言わなくてもいいんじゃないかな」
    「ぬかせ。偉そうに説教を垂れておいて、無様な醜態をさらしたお前に言われる筋合いはない」
    「醜態をさらしたのは長谷部君の方だろう。茶坊主君に札を貼られて慌てふためいていたのは、どこのどいつだい?」
     淡々と長谷部を煽る様に、光忠めちゃくちゃムカついてるなと長船は思った。彼の燭台切は激情することこそないが、意外と短気である。

    「じゃれ合うな。俺の質問に答えろ」
     二人から鋭い眼差しを向けられても、山姥切は意に介していない。他人の目を気にするかと思いきや実はマイペースなのは、長船の本丸にいた山姥切と同じだ。
    「……」
     髭切にしろ、山姥切にしろ、茶坊主を隠した長谷部ですら、長船の本丸にいた彼らと似た点が多い。同位体なのだから当然といえば当然だが、それでも彼らとよく似た存在が神隠しを強行したことに、長船は憤りを感じた。
    「俺こそお前に聞きたいよ」
     山姥切の視線が長船に向けられる。
    「国広も長谷部も、無理矢理自分の主を神隠ししたんだろ。なんでだよ、自分が良ければそれでいいのかよ。お前らそんなことするやつじゃないだろ!」
     しかし長船の思いは彼らには届かなかった。それどころか、長船の方がおかしいと言わんばかりに反論される。

    「貴様に主の何がわかる? 俺はあの方にとって最善のことをしたまでだ」
    「茶坊主君は現世に帰りたがっていたよ」
    「知ったような口を利くな」
    「長谷部、もういい」
     そう言って山姥切が鞘から刀を抜く。中庭から差し込む日の光で、刀がキラキラと輝いて見えた。特の彼は自分を卑下するけれど、刀本体も肉の体も、白い布では隠しきれないほど美しい。だが山姥切の目は冷え冷えとして、長船をただの物体としか認識していないようだった。
    「俺が引き受ける」
    「姫」
    「さっさと行け」
    「逃がさないよ!」

     長谷部は姫と煽られてイラついていたが、山姥切に促され中庭を突っきって逃げようとする。燭台切は長谷部の逃亡を阻止しようとし、その燭台切を止めるため山姥切が燭台切に切りかかる。だが燭台切の方が実力は上で、力負けした山姥切は耐えきれず廊下の後方へと押し返された。
     燭台切は長船の手を取り、中庭へ足を踏み入れたが、突然長船を抱きしめ廊下に戻った。緊迫した場面で急にハグされた長船の頭の中は、はてなマークで埋めつくされたが、大きな音が上空から鳴り響く。
     アクション映画で見たガラスをぶち破るシーンの音と同じだとわかった時には、ガラスの破片と共に髭切が中庭に降り立っていた。
    「やあやあ我こそは、源氏の重宝、髭切なり!」
     開戦を告げる髭切の後ろで桜の花びらが舞い散る。空はいつの間にか茜色に変わっており、太刀に不利な夜が訪れようとしていた。

     しかし髭切も太刀で、打刀である山姥切は短刀や脇差ほどのアドバンテージはない。燭台切は長船を背にかばい刀を握り直したが、髭切が場違いな明るい声を出す。
    「よし、退散!」
     そう言ってくるりと背を向け、体育館に通じる廊下へ逃げていく。長船は呆気に取られ、髭切の背を目で追ったが、山姥切の存在を思い出し慌てて振り返った。だが山姥切もいつの間にかいなくなっている。
    「光忠……」
    「……」
     燭台切は左手で額を押さえ、うつむいている。かわいそうなので言わなかったが、桜の舞い散る中での戦闘にはならず、カッコ悪い結果だった(戦闘を回避できて良かったとは彼も思っているが)。

    「主」
    「ドンマイ」
    「そうじゃなくて」
     燭台切が二、三メートルほど廊下を進んだ先で跪き、長船を手招きする。長船は燭台切の隣に行き、彼と同じように床を見るが何もない。だが燭台切はやっぱりとつぶやく。
    「血痕だ」
    「えっ」
     衝撃の発言にもう一度まじまじと床を見るが、それらしきものは見当たらない。しかめっ面をしている長船のため燭台切が指さした先を、更によくよく注意して見てみれば、そう見えないこともない茶色い点があった。しかし言われなければただの汚れにしか見えない。燭台切は長船には見えない血痕の跡を追い、ある部屋に視線が行きつく。

     中庭に面し、保健室と同じ並びにある部屋だ。長船と燭台切は顔を見合わせ、頷く。部屋の扉に近づき、燭台切が一気に開けた。長船からは燭台切の背に隠れて部屋の全貌は見えなかったが、隙間からホワイトボードと長机が見え、会議室のようだった。
    「茶坊主君、僕だよ」
     その言葉を聞き、先に部屋に入った燭台切に続き、長船も部屋に駆けこんだ。茶坊主は部屋の隅で、壁に背を預け座っていた。左足は膝を立て、右足は伸ばしたまま。伸ばした右足には元は白かったと思われる赤く滲んだ布が巻かれていた。


     友切は何故あれほど灯篭が気に食わなかったのか、ようやくわかった。灯篭は人から愛されたり優しくされたりすることに疑問を持たない人間だからだ。彼女と真逆の人間は、いつだって本能が教えてくれる。灯篭にはいくらでも救いの手が伸ばされるだろうが、友切は泣いても誰も助けてくれない。
     だが、現実を知ったところで友切は悲観しなかった。むしろ悲劇のヒロインぶっていた自分が気持ち悪かった。用具室に歩いていき扉を閉めると、重ねられたマットの上に座ってタブレットを操作し始めた。泣き腫れた目とは対照的な冷ややかな眼差しで、地図上の赤と青の点を追う。

     彼女は他の参加者と違い、地図で参加者の行動を把握することができる。個人の特定はできないが、刀剣男士に会うことが必須の彼女にとって、地図アプリを入手できたのは大きい。
     地図には七つの赤い点と、八つの青い点が散らばっている。赤が審神者で、青が刀剣男士だ。確信が持てずにいたが、五虎退が目の前で折れ、九つあった青い点が八つに減ったことで青が刀剣男士と断定できた。
    「……」
     彼女は一階にある青い点を見る。中庭の斜め左下にある部屋の青い点は、一度も動いているところを見たことがない。彼女がアプリをダウンロードしてから今に至るまでずっと、同じ部屋の同じ場所にいる。

     二名いた参加者ではない刀剣男士たち。そのうちの一人が五虎退だった。参加者の刀剣男士なら折れること覚悟で他人をかばうなどしないだろう。そして参加者ならば、同じ部屋に留まり続けるということもしないはずだ。
     結論は出ているものの、確証がないため友切は踏ん切りがつかずにいた。結果、彼女は時間をかけすぎてしまった。
    「うそ……」
     いざ動こうとした時には、刀剣男士が二人二階から下りてきて、目的地へ繋がる道を塞いでしまった。いつ体育館に来てもおかしくない状況に、友切のタブレットを持つ手はじわりと汗ばむが、地図上では中庭を中心に場面が大きく動いていく。
     刀剣男士と審神者のペアが、二人の刀剣男士に接触したかと思えば、刀剣男士の一人と入れ替わりに突如中庭に刀剣男士が出現する。だがそれも一瞬のことで、四人はすぐに散らばり、刀剣男士のうちの一人が彼女のいる体育館に向かって移動してくる。

     遊戯会場に体育館は二つあるが、彼女がいるのは東側の体育館だ。部室棟と繋がった西と違い、入り口は一箇所しかなく、このまま用具入れに隠れてやり過ごす他ない。友切は辺りを見渡し、部屋の隅に置かれた跳び箱の中に隠れることにした。
     隠れている間は、生きた心地がしなかった。地図上の青い点はどんどん近づいてきて、ついには体育館の中へ入ってくる。体育館に入ってからは移動するスピードは遅くなったが、ゆっくりと、だが確実に友切との距離を詰めてくる。
     そのうちガラガラと扉を開ける音が聞こえ、彼女は自分の膝を抱えこみ、刀剣男士が用具入れから出ていくのを待った。しかし足音は近づいたかと思えば遠のき、そしてまた近づくのを繰り返す。彼女が隠れているのに気づいているかのように、刀剣男士は用具入れの中を歩き回る。

    「妹ちゃん見つけた」
     頭上から微かな光が差しこんだのと同時に、彼女を絶望に陥れる声がした。彼女は腕を掴まれ、跳び箱の外に引き上げられる。抵抗らしい抵抗はできず、できることといえばなんで? と、何故自分が隠れているとわかったのか尋ねることだけだった。
     友切を跳び箱の外に出してから、髭切はズボンのポケットから何かを取り出した。友切の前で手のひらを開いてみせると、そこには薄緑色の花の形をしたピアスが一つ乗っていた。彼女は反射的にスカートのポケットに手を突っこんだが、指先に金属の感触がした。
     けれど目の前にあるのは確かに彼女のピアスで、ポケットに入れていた五つのピアスのうち一つが落ちてしまったらしい。

    「こんな目印は僕には必要ないと思ってたけど、今回ばかりは助けられたね」
     走っている時に落としたならまだしも、よりによって用具入れの中で落とすだなんて。彼女は自身の不運を呪ったが、最悪の状況に陥ったことで腹がくくれた。
    「私の敗北条件は『審神者が3名遊戯に敗北する』」
     早口で言いきった後、身構える。何かしらの負の反応を見せるはずだと思っていた髭切は、微笑を崩さずゆっくりと口を開く。
    「『審神者が3名遊戯に勝利する』」
     友切の敗北条件を復唱したのかと思いきや、微妙に違う。
    「それから『嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく』」
     友切にも髭切の真意がわかり、慌てて逃げようとするが間に合わなかった。
    「最初のが竜胆、次のが灯篭の敗北条件」

     予想外の展開に混乱しつつも、彼女はとにかく逃げなければと思った。刀剣男士との身体能力の差を忘れ、髭切に背を向け走り出した彼女に、髭切が言う。
    「現世に戻ったところで、誰が君を待っているの?」
     真名を使った呪いではなかったが、彼女の足を止めるには十分だった。振り返ると、髭切が自分の耳を触る。
    「目印はなんの意味もないとわかったから外したんじゃないの?」
     辛うじて違うと否定するが、その後が続かない。パニックに陥っていたところに感情を強く揺さぶられ、彼女の頭の中はごちゃごちゃになって、言葉が何一つ出てこなかった。けれど髭切はなおも彼女に畳みかける。

    「君が崖から落ちそうになった時、相手が誰であろうと君を助けてくれる人が現世にいる?」
    「……やめて」
    「現世に君の家はないよ。だって、君の親は君と兄だったら兄を選んだ。兄も自分が助かるために、君を崖から蹴落とした。そんな人間がいる場所は、君の求める家ではないだろう」
    「やめてって言ってるでしょ!! もうやだ、やだ! 全部やだ! 私は……!!」

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士9の鶴丸国永、敗北。審神者9の竜胆の勝利です」

     離脱者を告げる放送が聞こえてきた。さらにもう二組の放送が続く。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士7の髭切、敗北。審神者7の友切の勝利です」
    「離脱者の発表を行います。審神者3の長船、敗北。刀剣男士3の燭台切光忠の勝利です」

     友切は遊戯に勝った。体中の力が抜け、友切はその場に座りこむ。勝利と言われても実感がわかずにいたが、床に突いた手が徐々に透けていき、感覚も曖昧になっていく。
    「失敗したなぁ。あの子が待ってくれるわけないか」
     友切が顔を上げれば、友切と同じように体が薄れ、存在が消えようとしている髭切が側に立っていた。けれど彼の顔に悲壮感はない。怒ることも悲しむこともせず、髭切は跪くと友切の頬に両手を伸ばした。
    「馬鹿な子だな、僕以外に君が望むものを与えられる者はいないんだよ」
     優しい声音で子供を諭すように話す。髭切の体は空気に溶け、彼女の頬に触れる手の感触もなくなるが、金色の瞳はいつまでも彼女を見つめている。そして会場から消える最後の瞬間、髭切の目が弧を描く。またねと言われた気がした。


    「お兄さん!」
     長船は気づけば燭台切を押しのけ、茶坊主に駆け寄っていた。長船を見て、茶坊主がわずかに頷く。表情のなさは相変わらずだったが、額に汗をかき、近寄れば血の臭いが濃くなった。
    「手当は鶴さんが?」
     燭台切は彼らから少し離れた場所に立っている。燭台切の質問に、ああと茶坊主が短く答える。茶坊主の右隣には鶴丸の羽織の一部と思われるものが置いてあり、鶴丸が自分の羽織を割いて包帯代わりにしたのだとわかる。
     茶坊主は長船たちの疑問に答えるため、二人と別れた後のことを話し始めた。彼は決して口にしなかったが、痛みのせいで話すスピードはとても遅くなっていた。

    「鶴丸が真名を叫んだ時、髭切に札を使って逃げようとした。だが、髭切に見破られて足を切られた。五虎退には、悪いことをした」
     五虎退については、保健室で待つ間彼らも話していた。鍛刀部屋で冷却水だけなくなった資源、刀剣男士と手を組んだ鶴丸の主のことを考えるに、五虎退は彼女が遊戯会場で顕現した刀だったのだろう。
     主の護衛より茶坊主を守ることを優先した理由は、五虎退が折れた今となってはわからないが、刀剣男士としての正義を貫いたからではないかと長船は思う。
    「その後は、鶴丸に担がれてこの部屋に来た。目についた部屋に入ったかんじだったな。俺の手当が終わったら、鶴丸は自分の主を探しに出ていった。……主から敗北条件を聞いて負けるつもりだと言っていた」
    「まさか、信じたの?」
     燭台切が意外そうにするが、長船も同じだった。長船と違い、茶坊主はもっと慎重で思慮深い人間のはずだ。鶴丸のことを思い出したのか、彼は視線を落とした。

    「彼女がいるべき場所はどこなのかがわかった。閉ざされた神域は、人の子がいるべき場所ではない……そう言っていた」

     ──考え直してください主! 神域は人の子がいるべき場所ではない!

     彼の本丸にいた長谷部が、最後まで彼に訴えていたことと同じだった。長船の長谷部は、本丸の中でただ一人、神隠しに反対し続けていた。あの時はよく考えた末の決断に異論を唱える長谷部にうんざりしていたが、何故か今、長谷部の言葉が彼の中で重く響く。
    「茶坊主君、廊下に血痕が残っていた。長谷部君が戻ってくる前に、ここから移動した方がいい」
     立てるかい? と手を差し伸べる燭台切に、長船は違和感を覚える。自分の都合が悪くなったから、話を切り上げたように見えてしまった。茶坊主は燭台切の手を取ろうとしたが、長船の視線に気づき、長船君と彼を呼ぶ。燭台切は常に動けるようにしておいた方がいいと、彼に肩を貸すよう頼んだ。

     急ごしらえの包帯を替えるため、長船たちは一旦保健室へ行くことにした。彼らがいた部屋と保健室は目と鼻の先の距離であったが、右足を引きずり歩く茶坊主にとっては、長い道のりだった。
     長船が肩を貸し体を支えることで初めて茶坊主は歩くことができ、足を動かすたび唇を噛みしめ痛みに耐えている。
     このままでは遊戯に負けてしまうのは明白だった。満足に歩けないようでは、『自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる』が勝利条件の長谷部には勝てない。長船は自分で自分の顔が青くなっているのがわかり、茶坊主を見ないように前を見るよう努めた。
     しかし彼から目をそらしても、腕を怪我した灯篭のことが頭に浮かぶ。足手まといになるからと、年下の少女を彼らは調理室に置いていった。
    「(オレはお兄さんも裏切るのか?)」
     自分のせいで勝つチャンスを逃した人を、自分が燭台切と一緒になりたいがために……。

     ──俺たちと対立してもあんたが不利になるだけだ。

     長船は雑念を振り払い、保健室に行くことに専念した。

     時間はかかったが刀剣男士に見つかることなく、保健室にたどり着いた。燭台切が手当の準備をし、長船は茶坊主をソファに座らせると大きく息を吐いた。自分より体格のいい成人男性を運ぶのは、彼が想像するより力が必要だった。
     疲れたとこぼしかけるが、慌てて飲みこむ。彼より辛いはずの茶坊主は、弱音一つ吐いていなかった。長船は自分への戒めとして、ソファに座らず立っていることにした。
     その後、燭台切が手際良く包帯を巻きなおしているのを、長船は眺めているしかできなかった。手当が終わった後、燭台切はなんと言うのだろう。先のことを考えると気分が暗くなったが、そんな折りに離脱者を告げる放送が聞こえてきた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士9の鶴丸国永、敗北。審神者9の竜胆の勝利です」
    「離脱者の発表を行います。刀剣男士7の髭切、敗北。審神者7の友切の勝利です」
    「離脱者の発表を行います。審神者3の長船、敗北。刀剣男士3の燭台切光忠の勝利です」

     燭台切の勝利が最後に伝えられ、燭台切が歓喜の声を上げる。
    「やったね主! 友切さんが勝ったんだよ!」
    「う、うん」
     燭台切が両方の手のひらを見せるので長船も手を構えれば、燭台切はその手をぎゅっと握り本当に嬉しそうに笑う。当初の目標どおり、審神者を犠牲にすることなく燭台切が勝った。これで共に永遠の時を過ごすことができる。長船も嬉しい、はずだった。長船はソファに座る茶坊主を見た。

     ──俺たちと対立してもあんたが不利になるだけだ。長谷部のタブレットを見たあんたならわかるだろう。

     ずっと考えていたことがある。燭台切は茶坊主を助ける気がなかったのではないか。もちろん始めはそうではなかった。だが、長谷部のタブレットを見て山姥切の敗北条件を知り、万が一の時のために長谷部の敗北条件を満たすことを諦めた。
     長船の考えを肯定する要因はいくつかある。鶴丸がやって来た時、長谷部より鶴丸を優先した。長谷部のタブレットに山姥切の敗北条件が書かれていたことを、山姥切が指摘するまで黙っていた。逃げる長谷部を追いかけたのはあくまでポーズで、髭切に邪魔され諦めたように振る舞ったのではないか。

    「燭台切」
    「なんだい?」
    「最後に頼みがある。お前が有意義だと思うことを、書いてほしい。今の俺は、言われても覚えきれそうにない」
    「……オーケー」
     茶坊主が差し出したタブレットを、燭台切が受け取る。茶坊主のためタブレットに入力し始めた燭台切だったが、しばらくすると彼の手からタブレットが落ちた。
     燭台切の体は輪郭がぼやけ、向かい合う茶坊主が彼の体越しに見えるほど透明になっていた。それは長船も同じで、彼らは遊戯会場から消えようとしている。

    「世話になったな」
     落ちたタブレットを見た後、茶坊主が燭台切の顔を見て礼を言う。タブレットを拾う力もない彼に、燭台切はがんばってねと月並みな言葉をかけるのが精一杯のようだった。
     背中しか見えなくても、燭台切がどんな顔をしているかは想像がついた。彼の疑念は正しく、燭台切も苦渋の決断だったとわかるけれど、彼は割り切れなかった。
    「ごめんお兄さん」
     口をついて出た言葉は謝罪だった。茶坊主は歪な笑みを長船に向ける。
    「俺は絶対勝つから気にするな」
     感情を表情に出すのが苦手な彼が、無理に作った笑みだった。
    「おめでとう、幸せに」

     幸せとはなんだろうと長船は思う。世の中のすべての人が幸せになることは不可能だと長船もわかっている。けれど目の前に苦しんでいる人がいて、苦しんでいると知っているのに幸せになることなどできるだろうか。少なくとも、彼は無理だった。
    「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
     既に体の感覚はなくなっていたが、頬を涙が伝っていく感覚だけははっきりとしていた。謝ったところで何もならず、茶坊主も謝罪は求めていないとわかっていても、長船には謝るしかできなかった。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 30分以上同じ部屋に留まる
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件【審神者7の友切が遊戯に勝利する】
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切/勝利
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない
     敗北条件【審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する】

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    第六章:それが私たちの愛なのだから「彼女を彼女たらしめているものは何か、彼が一番わかっていたろうに」
     鍛刀部屋の前で、五虎退は蜂須賀と話していた。蜂須賀の言う『彼』とは誰のことか五虎退にはわからなかったが、蜂須賀も五虎退も浮かない顔をしていた。
     鍛刀部屋に入ると、部屋の中で待っていた男性の審神者が、彼に向かい深々と頭を下げる。普段の五虎退なら慌てて自分も頭を下げそうなものだが、落ち着いた足取りで審神者の元へと行く。
     審神者が頭を下げたままよろしいのですね? と聞くので、彼ははいと答える。場の雰囲気とそのやり取りで、五虎退は五虎退が自らの意思で刀解されようとしているのだとわかった。
     胸の前でぎゅっと手を握りしめると違和感があったようで、彼は手を開き自分の左手を見た。
    「これは……」
     左手を見つめたまま五虎退がつぶやく。違和感の正体を確かめようとしたが、突如強い光が部屋中に溢れ、何も見えなくなる。彼の意識はそこで途切れ、気がつけば晴天の空の下にいた。

     夢を見ていたのだと理解するには時間がかかった。五虎退は、別の分霊の五虎退の夢を見ていた。長い夢の中の最後の部分、鍛刀部屋での出来事しか覚えていないが、別の分霊の記憶を追体験しているかのような不思議な夢だった。刀解された分霊は本霊に戻り、体だけでなく魂も消滅するというのに。
    「顕現が遅くなったことをお詫びします。五虎退、私に力を貸してください」
     彼を顕現したのは女性だった。三十代前半の女性で、堀川派の内番着と似た服を着ている以外は、これといった特徴はない。だが丁寧な物言いと反し、魂は男のように野心でぎらついていた。
     女性らしくない女審神者に、本丸ではない異質な空間。戸惑う五虎退に、彼の主は秘密遊戯について説明した。その説明によれば、彼女の側にいる髭切は彼女と敵対する存在のはずなのだが、主は彼に質問の時間は与えず、今いる水泳プールに政府の道具残っていないか調べるよう命じた。

     髭切ではなく顕現されたばかりの自分に任されたことを不思議に思いながら、五虎退は道具の気配を探った。しかし、いくら時間をかけても何も感じ取れなかった。
    「も、もう、残ってないと思います……すみません!」
     ないと告げるのはずいぶんと勇気がいった。気の弱い彼は叱られるのではないかとびくびくしていたが、意外にも主はそうですかと言うだけで、髭切に目配せし鉄の扉へ歩いていく。
     五虎退は慌てて二人の後を追いかけ、またもや変わった空間に出た。彼の主曰く、現世の学び舎だという遊戯会場は、どこもかしこも彼の想像する学び舎とは違った造りになっていた。
    「近くに参加者はいますか?」
     水泳プールから出るなり、新しい命令を下された。五虎退は涙目になりながら、必死に参加者の気配を探る。すると、東の方から微かに刀剣男士の気配を感じた……ような気がした。

     自信が持てず上目遣いに主を見るが、いましたか? と冷たい目で問い返されるだけだった。
    「あう……」
     いたと答えていなかった時のことを考えると恐ろしいし、かといってわからないと答えても、許してもらえる気がまったくしない。五虎退がどうすればいいか迷っていると、髭切が見つけた前提で話を進めてしまう。
    「どこにいた? あっち? そっち?」
     五虎退は引っ込みがつかなくなり、左を指さす。彼の自信のなさそうな様子を見て、間違ってたって別にいいんだよと髭切は励ましてくれたが、鬼だったらすぱすぱーと切ってしまえばいいんだしと笑いながら付け足され、五虎退の気は休まらなかった。

     気配をたどっていくと書棚が並ぶ部屋に行きつき、そこには山姥切国広がいた。髭切と山姥切は互いのことを知っていたらしく、髭切が山姥切に協力を持ちかけ、五虎退の主である竜胆が協力関係を結ぶ利点を説く。
     彼女の話を聞いて、五虎退は自分が遊戯会場の鍛錬所で鍛えられたこと、参加者の刀剣男士は偵察と隠蔽の値が無効になっていることを知った。
    「いいだろう。だが、俺の主に手を出したら」
    「誰であろうと切る……だよね。覚えているよ」
     山姥切の同意により、三者での協力が決まった。三人はさっそく離脱条件などの情報交換を始めたが、その様子を五虎退は黙って見ていた。髭切と山姥切の審神者を裏切ることになるが、主が現世に帰るためには必要な犠牲だと己に言い聞かせ耐えた。

    「青江の審神者を何故放っておいた? 燭台切の審神者の敗北条件がばれただろ」
    「だってまだ妹ちゃんと同じくらいの、小さな女の子だったんだよ。悪いことしたなって負い目もあったし……そうは言っても、あの時は彼女が怪我した途端に歌仙が負けて、慎重になりすぎてた感は否めないけどね」
    「離脱条件の候補に『参加者が負傷する』というのがありましたから、歌仙兼定はその類の敗北条件だったのかもしれません。歌仙兼定以外の刀剣男士にまで似た離脱条件を宛がうとは思えませんが、にっかり青江に誘導してもらう方が安全ではありますね。にっかり青江に会えればの話ですが」
     冷静に状況を分析する主の背を、五虎退は複雑な思いで眺めていた。しかしその背を見ているうちに、忘れていた夢の一部を思い出す。

     ──貸してみなさい。

     夢の中で五虎退は、野の花で指輪を作ろうとしていた。けれどうまくいかない。夢の中でも彼は泣きべそをかいていたのだが、声をかけられ振り返ると、全身黒ずくめの女が立っていた。顔は影になっていてよく見えない。彼女は五虎退から白い野の花を受け取ると、手早く指輪を作ってみせた。そして五虎退の左の中指にはめてくれた。

     ──仕事に戻りますよ。
     ──あ、あるじさま! あの、あの……ありがとうございます!

     去っていく背に礼を言うが、彼女は振り返らなかった。

    「(なんで急に……?)」
     女の背を見つめるという状況が引き金になって、夢の内容を思い出したのだろうか。何か大きな意味があるような気がして、五虎退はもっと夢の内容を思い出そうとしたが、主から名前を呼ばれ途中で終わった。
     彼女たちの話し合いは気づかぬ間に終わっており、彼は再び参加者を探すよう命じられた。


     廊下に出て参加者の気配を探るも、山姥切の時のようには上手くいかなかった。気配を探るため五虎退が一歩前に出れば、後ろの三人も一歩分距離を詰めてくる。
    「あう……」
     圧迫感で死んでしまいそうだった。五虎退が刀を握りしめ泣くのを堪えるのに対し、五匹の虎は行儀良く待つことに飽き、五虎退の足に体をすりつけたり、虎同士でじゃれあったりと好き勝手に遊び始めた。
     小虎のうちの一匹が五虎退の背中をよじ登り肩に座ったかと思うと、前方へ飛び降りてそのまま走り去ってしまう。
    「ああ、虎さんだめですっ」
     五虎退は慌てて追いかけ、硝子の吹き抜けを通りすぎた先で捕まえたのだが、小虎は遊んでいたわけではなく、新しい参加者の気配を察知していたのだった。

     距離が近くなったことで、五虎退も下の階からする刀剣男士の気配を掴んだ。虎を捕まえたまま立ち止まり、しばらくしてから主の方を振り返るが、合図としてはそれだけで十分だった。
     様子見をしていた主たちも、五虎退がいる階段付近までやって来る。五虎退は指を四本立てて参加者の数を知らせた後、今度は手を広げ動かないよう伝える。
    「へし切長谷部の動きを封じろ!」
     審神者と思われる男性。
    「貴様どういうつもりだ!?」
    「動けないんだから黙ってて。カッコ悪いよ長谷部君」
    「やめろ、ただではすまんぞ!」
    「はいはい」
     へし切長谷部と燭台切光忠。
    「オレにも見せて~」
     先ほどとは別の男審神者。

     長谷部の怒声にかき消され、部分的にしか聞こえなかったが、長谷部は動きを封じられたうえ、タブレットを奪われたようだった。長谷部の動きを封じた長谷部の審神者以外に、もう一人いる審神者は燭台切の主らしく、長谷部以外の三人は協力関係にあるとわかった。
     鯉口を切る音が聞こえ、五虎退が音のする方を見れば、髭切と山姥切が臨戦態勢に入っていた。敗北条件がそれぞれ『審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する』と『刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する』である彼らとしては、気づかれる前に先手を打って長谷部の援護をしたいのだろう。戦闘は避けたい五虎退であったが、彼の主は煽りはしないが止めもせず、階下の状況分析に集中していた。

     同胞への裏切りという負の面はあるにせよ、ここまでは主たちの関係は上手くいっていた。しかし、鶴丸国永の登場で協力関係にひびが入る。
    「協力しろ! 俺はお前の敗北条件を知っている!」
     竜胆は現世に帰るためなら手段は選ばない人だった。なんとしても鶴丸の敗北条件を手に入れたい主は、危険を承知で鶴丸の前に姿を現し、五虎退に長谷部のタブレットを奪うよう命じる。だが、髭切も彼女の考えを読み、五虎退の手に渡るのを阻止した。
    「ありがとう、お芝居上手だったよ」
    「いえ、お力になれずすみません」
    「いいよいいよ」
     表面上こそ穏やかに言葉を交わしていたが、協力者から最も警戒しないといけない相手に変わったことを、互いに認識していた。

     もう一人の協力者であった山姥切は、勝利条件が『勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる』である以上、髭切につくだろう。五虎退は考える。練度一の自分に何ができるのか、主のために何をすべきなのか。彼は必死に考えた。
    「俺にはなんの旨味もない話じゃないか」
    「では貴方が協力してくれたら、私の離脱条件を教えましょう」
    「俺が聞いたところでどうしようもない条件なんだろう」
    「私の離脱条件より、友切を優先する理由をお聞きしたいですね」

     ──刀解を覚悟のうえでの行動ですか?

     また忘れていた夢の一部が頭に浮かぶ。どうしてこんな時にと思う一方、はっきりと見えた女審神者の顔に釘づけになる。全身黒ずくめの女審神者は、竜胆だった。彼女は窓枠に座る鶴丸に、渋面を作っていた。

     ──ああ、きみを女として好いている。いらないのなら折ってくれ。
     ──……馬鹿馬鹿しい。

     外の景色からして彼らがいるのは二階のようだが、鶴丸は草履を履いたままだった。鶴丸は窓枠に座ったまま、左手に持っていた山百合を主に差し出す。主は渋々といった体で花を受け取るが、もらった側から近侍として側に控えていた五虎退へ渡し、大広間に飾るよう言いつけた。
     だが、五虎退は見逃さなかった。花を受け取った、ほんの一瞬だけだったが、主は女の顔をして喜んでいた。

     夢は竜胆の本丸にいた五虎退の記憶だった。鍛刀部屋での様子からして、彼は本霊に還ったはずだが、同じ主を持つ五虎退に託したいことがあるのだろうか。
     けれど五虎退は、自分とは別の五虎退が自分に夢を見せた理由がわからなかった。夢を思い出したせいで、彼は今とても混乱している。主は五虎退へ現世に帰るため遊戯に参加したと言っていた。その言葉に嘘はないだろう。彼女は勝つためならば、刀剣男士と手を結ぶことも辞さなかった。
     だが、夢の中の主は鶴丸を好いていた。鶴丸の好意を拒否するような振る舞いをしながら、花を受け取った時の微笑みこそが、彼女の本当の気持ちだった。
    「(で、でも……あるじさまが勝ったら鶴丸さんは……)」
     五虎退の混乱をよそに、場の状況は悪化していく。髭切の審神者が発狂したかと思えば、何か画策していた男審神者は髭切に切られ、主は真名の呪いのせいで屋上へ走っていってしまう。五虎退は主を追いかけようとしたが、目の前に鶴丸が現れ道を塞ぐ。

     だが鶴丸の目的は五虎退の妨害ではなく、傷ついた男審神者を助けることだった。彼の頭の中に、夢での蜂須賀の言葉が蘇る。

     ──彼女を彼女たらしめているものは何か、彼が一番わかっていたろうに。

     今なら蜂須賀の言っていた『彼』は、鶴丸だったとわかる。そして主を追うより目の前の男を助けることを優先する彼は、『彼女を彼女たらしめているものは何か』がわかったから、遊戯に参加したのだろう。
    「(あるじさまはきっと大丈夫。だから、僕がすべきなのは……!)」
     髭切が刀を振り下ろそうとしている。五虎退は鶴丸と男審神者の前に立ち、その身に髭切の刀を受けた。

    「(あるじさまと鶴丸さんが、きちんとお別れができるように)」

     凄まじい力で、五虎退の体はばらばらになっていく。初めこそ痛みを感じたが、あらゆる感覚が急速に鈍くなり、痛みはすぐになくなった。ずっと痛いままよりはいいが、一方で痛みは生きているものの特権なのだとも彼は思う。
     無音の世界に入り、光も彼の目には届かなくなった。だが完全なる暗闇になる前、左中指にはめられた白い野の花の指輪が見えた。あるじさまと五虎退はつぶやく。
     音になっていたかは聴覚を失った五虎退にはわかりようがなかったが、もし周りの者に聞こえていたとしたら。きっと破壊された刀のものとは信じられないほど、幸せそうな声だったろう。


     竜胆を追って屋上に行こうとした鶴丸だったが、蜂須賀が彼女と入れ替わるように四階から下りてきた。蜂須賀との衝突を回避するため、鶴丸はやむなく茶坊主を抱え一階に逃げた。
     目についた部屋に入り彼を壁際に下すと、瞬く間に血で床が汚れ、鶴丸は自分の羽織を刀で割き、包帯代わりに彼の足へ巻く。止血のためきつく巻くが、うめき声は聞こえず小さく息を吸う音だけがした。
    「我慢は良くないぜ」
     刀剣男士ならいざ知らず、人の子が平気でいられるはずがない。しかし茶坊主は鶴丸に我慢はしていないと返す。敵に弱みを見せたくないのかと思いきや、彼は真顔でとんちきなことを口走る。
    「表情筋が死んでいるだけだ」
    「……冗談を言う余裕があるのはいいことだ」
    「冗談じゃないんだが」

     包帯代わりにした鶴丸の羽織は、巻いた側から赤く染まっていった。遊戯会場に来てから偵察が上手く行えずにいるので、他の刀剣男士も鶴丸と同じならば、すぐに見つかることはないだろう。だが、この足でいつまで逃げとおせるものか……。
     鶴丸はそこまで考えたところで、立ち上がった。そもそも彼は敗北条件を叫んで鶴丸を負かそうとした相手である。あの場から助け出し、手当までしてやったのだから十分だろう。鶴丸には他にすべきことがあった。
    「何故俺を助けた?」
     無言で部屋を出ようとしたが、茶坊主に引き止められる。少し前の鶴丸なら、勝利条件のために利用したかったと言えたが、今の彼は違う。目覚めが悪かったから、それくらいしか理由は思いつかない。

     もしかするとあの『うさぎさん』にいい人だと言われて、その気になってしまったのかもしれないと考えていたところで、彼は床にクラッカーが転がっているのに気づいた。校長室で見つけ羽織の袖に入れていたのだが、羽織を割いた時に落ちたのだろう。
     すっかり存在を忘れていたクラッカーを拾い、いるかい? と茶坊主に聞く。茶坊主はクラッカーを無視し鶴丸の答えを待ち続けていたので、鶴丸はクラッカーを懐にしまった。だが彼にも理由はわからないので、代わりにクラッカーにまつわる思い出話をすることにした。

    「演練で会った他の本丸の俺に、これをもらったことがあってな。物は試しと主に使ってみたんだ。……はははっ、振り向いたところで紐を引っ張ったら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。俺が『どうだ、驚いたか?』と言うまで、呆気に取られていた。いや~、いい顔だった」
     紙吹雪が舞う中、口を半開きにしてぽかんとしている姿は、言葉を選ばずに言えば間抜けだった。けれど普段の作られた顔より、鶴丸にはその顔の方が好ましかった。だからいくら怒られようと、様々な策を巡らせては彼女の驚いた顔を見ようとした。
    「……なあ、俺の主を見てどう思った?」
     やはり茶坊主は何も言わない。だが、鶴丸は彼の言葉を必要としていなかった。ただ自分の想いを語り、未だ揺らぐ決意を確かなものにしたかった。
    「とんでもない女だよな。味方を裏切って自分一人だけ助かろうっていうのに、水を得た魚のように生き生きとしていた」
    「……」
    「でも神域にいた頃の心が死んだ姿より、何倍もマシだった」

     神域では、彼は松の木を登る必要はなくなった。彼女は常に鶴丸の側におり、彼のことだけを見る。彼が贈る花も素直に受け取り、他の男の手に渡ることもなくなった。鶴丸は幸せだった、幸せになったはずだった。
     神の番という名誉に、彼女はなんの重きも置かなかった。むしろ隷属的な生き方だと嫌悪した。神隠しの直前、彼女が野心家の私が好きだというなら、どうして放っておいてくれなかった? と鶴丸の前で初めて泣いたが、彼女は自分のことをよく理解していた。
     生きる糧を失った彼女は、もう何をしても驚かない。花を受け取っても、心の底から喜びはしない。鶴丸が彼女の心を殺したから。
    「階段から下りてくる彼女を見て、わかったんだ。彼女がいるべき場所がどこなのか」
     本当は遊戯に参加した時から、彼女の涙を見た時から……いや、彼女を好きになった時から。鶴丸はわかっていたのかもしれない。
    「閉ざされた神域は人の子がいるべき場所ではない」
     だが認めたくなかった。彼女が彼女のまま、自分と結ばれる未来があってほしかった。

    「負けるつもりなのか?」
    「少しは驚いたらどうだ? 驚かしがいがない」
    「表情筋が死んでいるだけだ」
     至極真面目な顔で言われ、鶴丸は思わず吹き出した。無表情なのになんで笑うんだ? と言っているのがわかり、鶴丸はまた笑う。せっかくなら面白い審神者と出会いたいという願いは、ここに来て叶えられたようだ。
    「そうだ、負けるつもりだ。だが彼女の声で目覚めたんだ、彼女の声で終わりたい。だから見逃してくれ」
     茶坊主は鶴丸の顔をじっと見ていたが、不意に視線をそらした。
    「俺は俺が勝つことを何よりも優先させる。だから、余計なことはしない」
    「うさぎさんはきみに感謝してたぜ」
     茶坊主の視線が鶴丸に戻ったので、鶴丸はにやりと笑うと片手を上げ、部屋を後にした。廊下の血痕は、鶴丸が気になるので拭きとっておいた。


     竜胆がまだいるとは思えなかったけれど、鶴丸は屋上に向かった。屋上へ続く短い階段を上り、扉の前に立ってはたと思う。竜胆がいるはずがない、いるはずがないのだが万が一いたとしたら。ド派手に登場して驚かせるか、気づかれないように近づいて後ろからわっと言い驚かせるか。
     彼は目を閉じ考えた後、扉を勢い良く開けた。前来た時と変わらず、気持ちのいい風が吹いてくる。空と水の青さも、似たような色ばかり見ていた目には新鮮だ。
    「そんなに怯えなくても、取って食ったりはしないさ」
     いたのは竜胆でも青江でもなく、青江と出会う前に見失った女審神者だった。女は鶴丸の登場に驚き、慌てて距離を取ろうとしたが、足がもつれ転んでしまう。それでも逃げようともがくので、鶴丸は先ほどの台詞を言ったのだった。

     明るい色をした髪の毛先を緩く巻き、服装も上衣が肌色で下衣が藍色。年齢は長船と茶坊主の間くらいに見えた。消去法で考えれば、山姥切か蜂須賀の主だ。
    「逃げてばかりでは勝てないぞ」
     だが今の彼には、怯える彼女に執着する理由はない。助言を一つ残し、屋上から去った。
     屋上が空振りに終わった以上、鶴丸は次の行先を考えないといけなかったが、手掛かりは何もない。屋上の女審神者に聞くだけ聞いてみてもよかったのではと思ったが、鶴丸は自分の考えを否と切り捨てた。あの怯えようを見るに、聞き出すまでに時間がかかりそうだ。
     こんな時こそ、友切のタブレットにある参加者の位置情報が真価を発揮するのだが、肝心の友切の居場所がわからない。
    「(それに運良く彼女を見つけたとしても、俺を許してくれるとは思えない)」
     彼女があらゆる葛藤を乗り越え、写しの敗北条件を伝えようとしたのに、それを鶴丸が遮って阻止した。

     茶坊主を助けるため、最後に彼女ときちんと話をしたかったから、あの時はまだ決心がついていなかった。負けられなかった理由はあるが、理由はどうあれ友切に対する裏切りには違いない。
    「髭切がどう出るかだな」
     髭切は勝利条件と敗北条件、どちらを優先して行動するのか鶴丸には測り兼ねた。勝利条件達成に自信があるなら、友切を探しているだろう。一方で、鶴丸や長谷部の敗北の回避に重きを置く場合は、竜胆と茶坊主が危ない。
    「……」
     自分が負ければ万事解決するとの結論に達し、鶴丸は階段を下りた。

     屋上から近すぎず、かといって遠すぎもせず。そんな場所に主は隠れているのではないかと思い、鶴丸は二階から探すことにした。もっとも後からこじつけた理由であり、なんとなくの勘でと言った方が正しかった。
     二階へ下りると、まだ見ていない西側へ行く。西側には同じ戸の部屋が四つ並んでいて、一番手前の部屋に入ると、同じ形をした机と椅子が等間隔で部屋中に置かれていた。また壁には金属の縦長な箱が並べてあり、人がぎりぎり入れる大きさだったので、彼は一つずつ箱の扉を開け中を確認していった。
     四つの部屋すべてで同じことを繰り返したが、もちろんそんな場所に主はおらず、鶴丸は続いて職員室と校長室に行き、それから青江に教えられた謎の機械の部屋にも行った。だが、誰もいなかった。

     硝子の吹き抜けから光が入ってくるので、暗さはさほど感じなかったが、それでも光の色合いが数時間前のと明らかに変わっていた。タブレットを見ると、遊戯の経過時間は十時間を過ぎようとしていた。
     潮時なのかもなと鶴丸は心の中でつぶやく。鶴丸が居場所を知っている参加者は灯篭と茶坊主の二人、物わかりがいいのは茶坊主の方だが、彼は怪我を押して移動した可能性がある。それならば、家庭科室にいるだろう灯篭を訪ねるのが適当に思えた。
     下りてきた階段の前に戻り、きっちりと閉じられた家庭科室の戸に手をかけたが、その時背後から足音が聞こえてくる。反射的に振り返れば、階段から下りてくる竜胆と目が合った。

     駆けよって抱きしめたい衝動にかられた。けれどそうすれば、もう二度と手放せないとわかっている。ならば言葉をと思うが、ふさわしい言葉が出てこない。
    「(幸せになれ? 格好をつけすぎだな。俺の番はきみだけだ? そんなの今更言うことじゃない)」
     
     ──野心家の私が好きだというなら、どうして放っておいてくれなかった? 

     ──指輪を求める気持ちを、ようやく抑えることができたのに。

     彼女の言葉で、鶴丸は自分がすべきことがわかった。


     自分の勝利条件が『刀剣男士が4名遊戯に勝利する』で、敗北条件が『審神者が3名遊戯に勝利する』だと知っても、竜胆は動じなかった。優秀な自分が現世に帰るため、他の審神者が犠牲になる。それだけのことだった。
     彼女の考えを肯定するように、遊戯開始直後の彼女の前に現れたのが太閤桐だった。竜胆は太閤桐の敗北条件が『30分以上同じ部屋に留まる』だと知っていたが、太閤桐は遊戯者名と二つの離脱条件を彼女に告げた。
     何か裏があるのではないかと疑い、彼女は会場を回る間探りを入れてみたが、本当に生真面目なだけが取り柄の、彼女のために犠牲になるべき女だった。

     だが、自分より劣っている女が先に遊戯に勝利したことで、彼女の歯車は狂っていく。情報処理室で魂之助の説明を受けた彼女は、冷却水をすべて使い短刀を鍛えることで、他の審神者に護衛用の刀が渡らないようにした。しかし、先ほど三階階段近くの廊下で折れた五虎退を見つけた。
     情報処理室を出た後は、四階の教室に行き、ロッカーの中にあったジャージに着替えた。靴も体育館シューズにし動きやすい格好に替えたのだが、四階に行かずあのまま三階を探していれば、美術室の札が手に入ったかもしれない。それに髭切と会うこともなかった。
     長谷部が告げれば脅しになると判断したのだから、鶴丸の敗北条件は知られれば不利になる内容だったのだろう。だが、『審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する』が敗北条件である髭切と手を組んだせいで、長谷部から鶴丸の敗北条件を聞き出すことができなかった。
     真名の呪いから解放された後は、一旦二階の放送室に身を隠し、時間を空けてから三階へ戻った。しかし鶴丸たちがいた階段付近には折れた五虎退しかなく、そのまま三階の探索を始めたが、竜胆は未だ誰にも会えずにいる。

     何もかもが上手くいかなかった。いくつもの『もし』が頭に浮かび、彼女を苛立たせる。そして苛立てば苛立つほど、過去の忌々しい記憶が蘇ってきた。
     常に勝者であった自分が、母親のせいで職を追われ審神者になったこと。どれだけ好成績をあげようと、遡行軍の娘だというだけで正当に評価されなかったこと。自分から生きる糧を奪った鶴丸のこと……。

     窓に小石の当たる音がした。

     本丸にいた頃、鶴丸は玄関からではなく、松の木を昇って二階にある彼女の執務室へ来た。小石の音は鶴丸が来た合図だった。開けなければいつまでも小石を投げ続けるから、彼女は仕方なく窓を開けてやる。

     ──手を見せてくれないか?

     近侍を下がらせ、休憩を取っていた時だ。夜中に窓から訪ねてきた鶴丸がそう言った。また花を持ってきたのだろうと、彼女は右手を出した。違う左手だと言われても、特に何も思わなかった。
     鶴丸が彼女の手を取り薬指にはめたのは、シロツメクサで作った指輪だった。手先が器用な印象があったが、彼が作った指輪は竜胆には大きすぎて、油断すれはすぐ落ちそうになった。きみは指が細いなと鶴丸がばつが悪そうに笑う。

     現世では好いた女に指輪を贈る習慣があるそうじゃないかとか、きみが五虎退に作ってやってるのを見たんだとか、聞いてもいないのに矢継ぎ早にしゃべり続ける。彼女が何も言葉を返さずにいると、鶴丸は彼女の手を両手で握った。

     ──鶴は情の深い鳥だ。同じ番を生涯かけて愛する。

     金色の目に隠しきれない欲が滲んでいた。不快ではなかった、むしろ嬉しかった。何もかも捨て去って、このまま流されてしまいたいと思うほどに。
     だが、母親の声が頭の中に響いた。

     ──ごめんね、お母さんはお父さんがいないと生きていけないの。

     竜胆は幼い頃から母親が嫌いだった。夫に依存し、夫の後ろで守られることを喜ぶ女。彼女は母のようになりたくなかった。指輪をはめて男の隣で喜ぶのではなく、王冠をかぶり自分の価値を自分で勝ち取る人生を送りたかった。
     だから彼女は指輪を投げ捨て、鶴丸の愛を拒絶した。鶴丸がその後執務室を訪れることはなかった。

    「ああ、くそっ!!」
     遊戯中だというのに、思いきり壁を拳で叩く。自分が理知的でない行動をしたという事実に、余計に苛立ちが増したがどうにか堪え、彼女は拳を引っこめる。しかし平常心とはかけ離れた状態にあったので、周囲へ気を配るのを怠っていた。
     踊り場から二階へと下りる途中で、ようやく前方の人影に気づく。鶴丸だった。鶴丸が驚いた顔をして彼女を見ていた。

     窓に小石の当たる音がした。

     ずっと待っていたのだ。彼の愛より現世での地位と名誉を選んだのに、窓に小石の当たる音がするのを、彼女はずっと待っていた。


     真名を呼ばれて身動きができなくなった彼女に、鶴丸はしゃべってもいいぞと許可を出した。悪態でも恨み言でもなんでも聞こうと言うから、彼女は言った。

     ──ずっと来なかったくせに、どうして今更来た?

     窓に小石の当たる音を待つ惨めな女から、ようやく本来の自分に戻れたというのに。彼女は泣きながら、どうして放っておいてくれなかったのだと鶴丸を責めた。

    「俺の敗北条件は『4人以上の参加者の敗北条件を把握する』だ」
     動けずにいる竜胆に、鶴丸が自身の敗北条件を告げた。発言の意図を見極めようとしていると、鶴丸が興が削がれたと言わんばかりに顔をそむける。
    「きみとの暮らしには驚きがない。このままでは俺の心が死んでしまうから、終わりにしたいのさ」
    「ずいぶんと身勝手なことを言いますね」
    「仕方がないだろ。俺だって遊戯に参加した時は、きみが欲しかったさ。だが、俺と同じように驚きを大切にする審神者に会って考えが変わった。何故俺は彼女でなく、きみのようなつまらない女を選んでしまったんだろうなと。この先そんな後悔をしながら生きるより、本霊の所へ戻った方がマシだ」
     かつて愛をささやいた男と同一人物とは思えない、冷淡な物言いだった。竜胆は階段を下りるのをやめその場から彼を見下ろすが、鶴丸は彼女に近づこうともしない。

     彼女は二つの仮説を立てた。敗北条件の取得、もしくは彼女との接触が鶴丸の勝利条件に関係しているというのが一つ。そしてもう一つは、口にするのもはばかられるふざけた仮説だった。彼女は自分で自分が信じられなかったが、ふざけた仮説を選んだ。 
    「こっちだって貴方なんか願い下げですよ。まさか私が好きだと言ったのを真に受けたんですか?」
     彼女は口の端を吊り上げる。彼を罵倒する言葉が次々と浮かんできた。
    「愚かですね。もう現世に帰れないと思ったから、ご機嫌伺いに言ったんですよ。女はみんな自分になびくと思ってるんでしょうが、あいにく私は愛だの恋だの、そんな一時的な感情で動く馬鹿は嫌いだし、相手をするつもりもありません」
     反論の言葉を待つが、鶴丸は何も言わない。竜胆は腹が立って仕方がなかった。中途半場なことはせず、語彙の限りを尽くして罵倒してこいと思った。竜胆は鶴丸とは違う。やると決めた以上は徹底的にやる。

    「貴方は私の邪魔しかしなかった。馬鹿の一つ覚えみたいに花ばかり持ってきて、本当に迷惑だった。私は花をもらって喜ぶような、低俗な人間じゃない。神隠しさえなければ今頃審神者の任を終え、審神者局に戻ってしかるべき地位に就いていた。私は選ばれた人間なんです。それなのに貴方が……お前が、私の人生をめちゃくちゃにした! 私が好きだというのなら、何故私が私らしくあろうとするのを邪魔をした!? お前さえ……!!」

     ──ずっと貴方が来るのを待っていた。

     唇を噛みしめ、竜胆は最も言いたかったことを言った。
    「お前なんか出会わなければよかった!」 

     鶴丸はなおも彼女の言葉を黙って受け止めるだけだった。肩で息をしながら鶴丸の横顔を見つめる竜胆だったが、しばらくして鶴丸が彼女の方を向き、ふっと笑う。癪に障る笑みだった。
    「もう気がすんだかい? 俺が知っている敗北条件は今三つだ。あと一つ、敗北条件を聞けばきみの勝ちだ」
     あれほど淀みなく言葉が出ていたのに、いざ敗北条件を口にしようとすると竜胆は声が出なかった。ふざけた仮説を信じたせいで、窮地に陥るのを恐れたからだと思いたかった。そうでなければ、不都合なことが多すぎる。
    「早く言えよ」
     ぶっきらぼうに鶴丸が急かしてくる。彼女は、暗記していた敗北条件を告げた。

    「審神者1灯篭の敗北条件は『嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく』」
     言い終わると、魂之助による離脱者の発表がスピーカーから聞こえてきた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士9の鶴丸国永、敗北。審神者9の竜胆の勝利です」

     彼女たちの後に、四組目と五組目の放送が流れる。しかし遊戯の勝敗がついた以上、聞く価値は何もなかった。竜胆は勝って現世に帰り、鶴丸は負けてその存在が消える。それさえわかれば十分だった。
    「ははっ、最後まで自分のは言わないとは。本当にきみらしいな」
     鶴丸が堪えきれずに笑うが、彼女は笑えなかった。本当は嘲り笑ってやるつもりだったのに、口の中を噛んで固い表情を作るので精一杯で、かといって鶴丸の見えない場所へ逃げることもできず、黙って彼を見続ける。
     鶴丸も竜胆の視線に気づき、彼女を見つめ返す。距離があるというのに、金の瞳に滲む想いが、彼女に指輪を渡した時から少しも変わっていないことがわかってしまった。

     徐々に鶴丸の体の輪郭がぼやけ、体が透明になっていく。竜胆の体にも同じことは起きていて、彼女の体が夕日を遮っていたはずなのに、鶴丸のいる場所が赤く染めていく。
     そんな中、鶴丸の体から何か落ちるのが見えた。目を細め落ちた物に焦点を当てると、それはクラッカーだった。光沢のある金色の紙でできたクラッカー、鶴丸が懐に入れていたのだろうか。鶴丸もクラッカーが落ちたことに気づいたようで、拾おうと体を屈めたが、彼の手はクラッカーをすり抜けてしまう。

     無様だなと彼女は思った。平安の世から存在する美しい刀の神が、戦場で多くの敵を倒した優秀な刀剣男士が、紙でできたクラッカーも拾えなくなるとは。なんて無様なんだろうと思ったら、もう駄目だった。竜胆の目から涙がぼろぼろと零れ落ちる。
    「お前は馬鹿だ」
     もう一度馬鹿だとつぶやくも、後の言葉は続かなかった。竜胆はその場にうずくまり、子供のように声を上げ泣いた。体の感覚は既になかったのに、頭に手を置かれた気がした。けれど確かめることはできず、彼女は遊戯会場から姿を消した。


     立て続けに六人が抜け、写しの敗北条件である『遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている』は回避された。まずは喜ぶべきなのかもしれないが、彼の頭を占めていたのは勝利条件のことだった。
     『刀剣男士を2口刀解する』。自分の勝利条件を見た時、写しは不可能だと思ったし、魂之助にもそう言った。刀剣男士を刀解するには、本刃の合意がいる。遊戯参加者の刀剣男士から刀解の合意を得るなど、どう考えても不可能だった。
     その後遊戯会場で鍛刀部屋を見つけたことで、正解の方法を見つけた写しであったが、彼が鍛刀部屋に着いた時には冷却水だけなくなっており、鍛刀はできなかった。

     彼が情報処理室に着く前に作られた刀、そして政府の道具として用意された追加の資源。鍛刀部屋を出てから探し続けているが、一向に見つからない。気づけば遊戯の経過時間は十時間を過ぎ、参加者も残り八名にまで減った。
     自分には離脱条件の譲渡が行われなかったことを確認し、彼は外階段から図書室へ入った。図書室に隠すとすれば、場所は限られる。彼は受付カウンターに行き、そこでカウンターに並んだ三つの日記帳を見つけた。

     本の表紙には、いずれも『参加者Aの日記帳です。限られた者だけが読むことができます』と書いてあり、試しに右端にあった日記帳をめくってみると、つたない子供の字が書かれていた。

    『○月×日 こんのすけに日記を書いたら文字の練習になりますよと言われたので、日記を書く。でも青江には見せちゃいけないし、日記を書いてることも言ったらだめだって。でも日記に書くのは、青江に見られてもいいことだけにしなさいだって。変なの。』

     このまま読み進めるべきか、彼は迷った。写しは審神者局からの出向審神者であり、政府の内情はそれなりに心得ている。字の練習が必要な子供の審神者が本当にいたとすれば、極秘中の極秘情報であり、一介の職員である彼が知っていい情報ではない。
     しかし、彼は日記を読むことを選んだ。子供の日記にヒントがあるとは思えなかったが、藁にもすがる思いで日記帳にかけた。

     日記には青江が多く出てきて、蜂須賀、長谷部はまったく出てこない。青江の審神者と思われる灯篭の日記で間違いないだろう。日記は写しが予想していたとおり、一介の職員が知ってはいけない情報が所かしこに散りばめられていたが、危険を冒して読んだかいはあった。
     三冊目で、灯篭は神隠しを企んでいる恐れがあるとして、青江を刀解している。刀剣男士に理性があるうちは刀解も神隠し対策として有効だが、末期の者には無効だ。何せ刀解は刀剣男士の合意が必要なのだから。けれど灯篭は、彼女に強い執着を見せている青江を刀解している。
    「そうか……そういうことか……」
     政府が用意したもう一つの勝利条件の達成の仕方を彼は見つけた。
    「合意なき刀解か」
     
     それは審神者の間でまことしやかにささやかれる、都市伝説のようなものだった。霊力が豊富なトップクラスの審神者は、刀剣男士の意思に関係なく刀解をすることができる。
     もちろんそんな事例は政府のデータベースには残っておらず、都市伝説はあくまで都市伝説と彼は思っていたのだが……。絶望の中で見つけた一筋の希望に、写しは下卑た笑みを浮かべる。
    「ざまあみろホモ野郎。勝つのは俺だ」
     彼は日記帳を開いたまま、図書室から四階の廊下に出た。探すのは資源ではなく、灯篭だ。灯篭に参加者の刀剣男士を刀解させるため、彼は動きだした。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 30分以上同じ部屋に留まる
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件【審神者7の友切が遊戯に勝利する】
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切/勝利
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない
     敗北条件【審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する】

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    さいこ Link Message Mute
    2023/03/19 14:15:57

    我が主と秘密遊戯を if…(中編)

    神隠しされた審神者と神隠しをした刀剣男士が勝負する刀さに小説のIF版。とある参加者が遊戯中にタブレットを落としたことにより、遊戯は本編とは異なる展開に……。

    【登場人物およびカップリング】
     ・にっかり青江×女審神者
     ・一期一振×女審神者
     ・燭台切光忠×男審神者
     ・歌仙兼定×女審神者
     ・山姥切国広×男審神者
     ・蜂須賀虎徹×女審神者
     ・髭切×女審神者
     ・へし切長谷部×男審神者
     ・鶴丸国永×女審神者

    #刀剣乱夢 #刀剣乱腐 #刀さに

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