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    我が主と秘密遊戯を if…(後編)第七章:わかりあえない存在第八章:第二回秘密遊戯へ最終章:もう一つの結末第七章:わかりあえない存在 逃げてばかりでは勝てない。鶴丸から言われた言葉は、後からじわじわと怒りに変わっていった。
     何も知らないくせにと徳島は思った。確かに徳島はずっと逃げていた。審神者の勝利を聞くまで四階の収納庫に隠れて怯えていたし、収納庫から出た後も物音がすれば即座に隠れ、一階で鶴丸と鉢合わせた時も全力で逃げた。
     けれど、彼女の勝利条件は『自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる』だ。逃げて逃げて逃げ続けて、最後の一組になれば勝てる。
     本当に鶴丸は何も知らないし、わかってもいない。彼女のように際立った才のない者は、逃げるしか術がないのだ。

     怒りが彼女を水泳プールに執着させ、鶴丸が去った後も、彼女は屋上に残り道具を探し続けた。だがそのうち日が陰り始め、冷静さを取り戻した彼女は、道具探しを切り上げ校舎に戻った。
     構造上、吹き抜けのガラスから光が差しこむので、校舎の中は思いの外明るかったが、それでも夕暮れ時の学校というのは不気味だ。異常なまでに音がしない空間。赤く染まった廊下の先は薄暗く、何か良からぬものが出てくるのではと想像させる。
     徳島は足音を立てないよう細心の注意を払いつつ、ゆっくりと歩き始めた。右足を出し、次は左足を出して。そんな単純な動作をするだけでも、緊張で吐き気がした。早くどこかに隠れたかった。けれど廊下の曲がり角で足が止まり、ますますうるさくなった自分の心臓のせいで、彼女は廊下向こうの音に集中できず、近くの階段から足音が聞こえるような気もしてきた。

     意を決して曲がり角から出た徳島は、誰もいなかったことにほっとしたのだが、扉の開く音がし廊下に長い影が伸びる。
     白い軍服に、色素の薄い髪と肌をした男だった。名前はわからない、だが刀剣男士に間違いない。格好や刀を持っているからだけではなく、彼のすべてが人とは異なる存在なのだと告げていた。
    「こんにちは。ああ、もうこんばんはになるのかな」
     敵意は感じられなかったが、徳島は階段を下り逃げようとしたが、背を向けた彼女に見知らぬ刀剣男士が言う。
    「僕は蜂須賀の敗北条件を知ってるよ」
     階段に向かって走る足が止まった。逃げられなくなった徳島を見て、刀剣男士の口角が上がり、刀剣男士が吹き抜けの側まで歩いてくる。

    「やっぱり生まれた時代かな、彼はずいぶんと人間らしいね。審神者に刀を向けた者とは協力できないって断られちゃった。僕はそういう人間くさいの好きだから、できれば彼を裏切りたくない」
     少し間を空け、でもと付け加える。
    「君が妹ちゃんの居場所か、敗北条件を教えてくれるなら別かな」
     遊戯が始まってから審神者とは会っておらず、敗北条件も茶坊主という長谷部の主と思われる審神者のものしかない。彼が望む情報は何も持っていないのに、何か手はないかと考えている自分に彼女は戸惑った。仕方がないとささやく声が聞こえる。

     刀剣男士はにこにこして待っていたが、急に顔つきが鋭くなった。徳島は咄嗟に身を丸め目をぎゅっとつぶったが、やって来たのは痛みではなくガラスの割れる音だった。
     しばらくして目を開ければ、刀剣男士の姿は消えていた。彼がいた場所の吹き抜けのガラスは壊れ、廊下に破片が飛び散っている。何が起きたのかわからず、彼女はその場から逃げ出したが、階段を下りる途中で刀剣男士が吹き抜けのガラスを破り一階に飛び降りたのだとわかり、方向を変え三階の音楽室に逃げこんだ。
    「(あんなことするなんて化け物じゃない……)」
     離脱者の放送が流れるまで、徳島は音楽室の隅でうずくまっていた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士9の鶴丸国永、敗北。審神者9の竜胆の勝利です」
    「離脱者の発表を行います。刀剣男士7の髭切、敗北。審神者7の友切の勝利です」
    「離脱者の発表を行います。審神者3の長船、敗北。刀剣男士3の燭台切光忠の勝利です」

     立て続けに三組の離脱者が発表され、徳島は聞き間違えたかと思った。しかしタブレットには三組の勝敗が書かれ、離脱条件の譲渡も行われていた。彼女が新しく手にしたのは、燭台切と山姥切の勝利条件、太閤桐と竜胆の敗北条件だった。
     この離脱条件の譲渡は、彼女にある気づきをもたらした。ここまでに離脱した五人の刀剣男士、彼女が勝利条件を持っている青江と山姥切。それから茶坊主という遊戯名の審神者から導き出される長谷部。
     彼女が出会った見知らぬ刀剣男士は、四組目に離脱した髭切である可能性が高かった。一階にいると思われた髭切がいなくなった今こそ、まだ見ていない体育館に行くチャンスだと彼女は思った。

     それまでの徳島なら、逃げ道の限られた体育館に行こうとは考えなかった。だが五組中四組、審神者が勝った。このまま順調にいけば自分も勝てるかもしれないという思いが、少しばかり彼女を大胆にさせた。
     彼女は音楽室を出ると、最寄りの階段から一階へ下りた。体育館へ続く廊下にあるステンドグラスを目指して歩くが、途中で足を止め振り返る。背後には誰もいない。けれど、主と呼ばれた気がしたのだ。
     単なる空耳、そうでなければここで彼女を主と呼ぶのは蜂須賀くらいである。むしろ急いで体育館に逃げるべきなのに、彼女自身もよくわからない衝動に突き動かされ、体育館とは逆の方向にある部屋に向かった。

     その部屋は特別教室だった。大きな机には流し台があり、ビーカーやフラスコ等が保管されているキャビネットもある。
    「(理科室だ!)」
     彼女の顔が一気に明るくなる。遊戯開始から十時間以上経っていて既に道具はないかもしれないが、それでも思いがけず道具が隠された部屋に来ることができた。自分にもツキが回ってきたと徳島は喜んだ。
     徳島はまずはビーカーやフラスコのあるキャビネットから探し始めた。顕微鏡が置かれた棚は顕微鏡を一つずつどかし、九つある実験台も顔を床につけ台の下まで見て回る。思い当たる場所はすべて探し終え、彼女は続いて準備室を見ようと、黒板の横にある人体模型の前を通り過ぎるが、何かが引っかかった。
     無視するには違和感が強く、人体模型が収められたケースの透明な扉を開け、模型をじっと見つめる。不気味ではあったが、少しして首に肌と同色の縄が巻かれているのに気がついた。

     特に深く考えることもなく縄をほどくと、何かが落ちる音がし、反射的に身をすくんだ。音の大きさに驚きつつ模型の足元を見てみれば、ケースの中で刀が斜めになって落ちている。手にするのは勇気がいったが、徳島は模型をどかしケースから刀を引っ張り出した。
     取り出した刀は赤みのある暗い茶色の鞘で、長さは目測で七十から八十センチある。彼女の本丸に太刀はほとんどいなかったけれど、この刀は知っている。彼女が折ってしまった堀川国広の相棒、和泉守兼定だった。


     徳島は実の弟のように堀川を可愛がっていた。彼女の堀川も堀川国広にしては珍しく、和泉守より主の世話を焼きたがり、主思いの刀だった。だからこそ彼は戦績の悪さを気に病んでいる徳島のため、主の帰城命令を拒否し、重傷の身で敵の本陣に攻め入ろうとした。
     弟同然の彼のことを思えば、なんとしても帰城させるべきだった。けれど、彼女の心は揺れた。政府には再三に渡り結果を出すよう警告されている。自分よりしっかりしている堀川が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫なのではないか。
     迷いに迷った末、彼女は堀川の提言を受け入れた。そして徳島は敵の大将首と引き換えに、堀川を永遠に失った。

     堀川を失ってからの彼女は、泣くしかできない存在になった。あれほど政府からの苦言を気にしていたのに、審神者としての任をすべて放棄し、一日中泣いて過ごした。彼女が部屋にこもっている間は、蜂須賀が主の代わりに本丸の運営を担ったが、徳島にはその姿が冷淡に映った。
     蜂須賀から堀川の死を悼む時間を奪ったのは徳島なのだが、彼女は感情のまま蜂須賀に暴言を浴びせた。彼は黙って彼女の怒りを受け止めていたが、それが却って彼女の感情を逆なでし、決して言ってはいけない言葉を口にする。

     ──堀川が贋作かもしれないから、死んだっていいと思ってるんでしょ!?

     蜂須賀がどんな顔をしていたかは覚えていない。ただ近づいてきた和泉守に彼女は肩を掴まれ、その後頬を叩かれた。突然のことに茫然とする徳島に対し、蜂須賀が和泉守の胸倉を掴み声を荒らげ、周りにいた短刀たちが慌てて止めに入る。
     遅れてやって来た痛みと和泉守の失望の眼差しが、彼女に最低なことを口走ったと気づかせた。

     心が強い審神者ならば、それが立ち直るきっかけになったかもしれない。しかし彼女はすべてを許してくれる蜂須賀に甘え、彼以外は最低な自分を責めるはずだと怖くなり、遠ざけた。
    「私は……」
     徳島は鶴丸の言葉を思い出していた。逃げてばかりでは勝てない。遊戯中、彼女は逃げることに徹していたが、逃げていたのは遊戯の前からだった。和泉守から逃げ、審神者としての責務から逃げ、堀川の死と向き合うことから逃げた。
    「だって……私、あの子を、殺して……」
     逃げ続ける自分に対する戒めのため和泉守が現れたのだとわかると、彼を持つ手が震えた。知らず知らずのうちに、目から涙が零れ落ちる。
    「ごめんね」
     本霊に還った堀川には届かないとわかっていても、彼女には謝るしかできなかった。
    「ごめん、ごめんね。私みたいなのが……」
     私みたいなのが主でごめんねと言いかけたところで、ガラリと戸の開く音がした。彼女は反射的に顔を上げ、絶句する。

    「×××、やっと会えたね」

     普段は主と呼ぶ蜂須賀が、あえて真名で彼女を呼んだ。徳島の体は氷のように固まってしまい、動けなくなる。蜂須賀は彼女に近寄ると、彼女の目元に溜まった涙を指で拭った。本丸にいた頃なら胸がときめいただろうが、今の彼女には恐怖でしかない。
    「彼を見て、堀川のことを思い出したのかな」
     彼とは徳島の手にある和泉守のことだ。蜂須賀は彼女の指を一本ずつ丁寧に開かせた後、和泉守を近くの実験台の上に置く。それから再び彼女の真名を呼び、魂に命令した。
    「×××、君のタブレットを見せてくれ」
     優しい声音であるが、徳島にとっては死刑宣告に等しかった。勝利条件はまだいい。敗北条件の『参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く』だけは、決して蜂須賀に知られてはいけなかった。

     嫌だと何度も拒絶の言葉を口にしても、彼女の体は言うことを聞かず、蜂須賀にタブレットを差し出す。しかし辛うじて気を失わないですんだのは、現世で待つ人たちへの思いからだった。現世には両親や友人、それに高校時代から付き合っている恋人がいる。その思いがプレッシャーとなり、身動きが取れなくなったこともあったが、今は心の最後のよすがだった。
    「君がこんな条件だったとはね」
     タブレットを操作する手が止まり、彼女の離脱条件を見た蜂須賀がそうつぶやく。そして彼はタブレットから顔を上げると、彼女の頬に手を伸ばした。避けることはできず、せめてもの抵抗で目を強くつぶったが、蜂須賀が触れたのは彼女の頬ではなく耳のピアスだった。
     徳島は彼の意図が読めず困惑したが、フェイクダイヤのピアスをつけていることを思い出し、背筋が寒くなった。

     今つけているピアスは、付き合って初めての誕生日に彼氏からプレゼントされたものだ。蜂須賀の気を引きたくて彼の前でつけていたこともあるので、ごまかすことはできない。
    「君に紛い物なんて似合わない。紛い物を贈るような男もね」
     蜂須賀はキャッチを片手で外すと、ピアスを床に捨ててしまう。
    「君に相応しいのは本物だけだ」
     両耳からピアスがなくなった徳島を見て、蜂須賀は笑みを浮かべる。人とはかけ離れた美しい笑みに、彼女は自分の浅はかな行動の代償を思い知る。
    「ごめん、なさい。私、あなたの気持ち、考えないで……でも、私は……私が好きなのは」
    「×××、ついておいで」

     弁明の機会すら許されず、彼女は部屋の外へ出た蜂須賀の後を付いていく。理科室を出ると日は完全に沈んでおり、中庭から差し込み月の光だけが光源だった。けれど中庭から離れるほど暗くなっていき、蜂須賀が先に上る階段は死刑台に続く道に見えた。
     蜂須賀の目的地は二階だった。彼は二階に着くと、迷うことなく階段横の部屋へ入る。会場内のどこにも電灯はなかったのに、その部屋の奥からは人口の光が淡く発していた。
     他の参加者はいなかったことに徳島は胸を撫でおろしたが、蜂須賀はかまわず部屋の奥へ進んでいく。真名に命じられているので、徳島は蜂須賀の後を追った。

     彼女はまだわかっていなかった。現実逃避の面もあったけれど、彼女はまだ奇跡が起こることを祈っていた。最初は二組、次は三組が連続で離脱したように、彼女たちが他の参加者に会う前に、残りの二組の勝敗が一斉に決まる。可能性は低いけれど、ありえなくはない奇跡だ。
     だが蜂須賀がマイクらしき物の前に立ち、放送の仕方を教えるように命令したことで、この部屋が放送室であり、放送室に来た蜂須賀の目的をようやく理解した。
    「そこのスイッチを押して」
     どれだけ嫌がろうと、彼女に逆らう術はない。
    「横のマイクに向かってしゃべって」
     奇跡は起こらない。

     徳島に言われたとおり蜂須賀が赤いスイッチを押すと、電源が入る音がした。徳島はやめてとつぶやくが、蜂須賀は前かがみになりマイクに顔を近づける。
    「審神者6の徳島」
    「やめて、お願い……お願いだから……」
     懇願する声は震え、罪悪感ではなく恐怖と絶望で涙を流す。泣く彼女を見て、蜂須賀は一旦マイクから顔を離し物憂げな顔をしたけれど、再びマイクに向かって声を発した。
    「真名は×××」
     蜂須賀が彼女の真名を告げると、突然マイク横に魂之助が現れた。だが、蜂須賀は驚くことなく一歩後ろへ下がり、空いたマイク前のスペースを魂之助に譲る。

    「離脱者の発表を行います。審神者6の徳島、敗北。刀剣男士6の蜂須賀虎徹の勝利です」

     放送を通じて聞いていた魂之助の離脱者の発表。それが今、目の前で行われている。徳島は何かの間違いだと思った。自分が負けるはずがない、だって負ければもう両親や彼には会えなくなるのだから。そう思っているのに、小さな部屋に彼女の絶叫が響いた。


     徳島と思われる女性の叫びを、茶坊主は屋上で聞いていた。離脱条件の譲渡を確認するため袖に手を伸ばすが、途中でタブレットはないことを思い出す。彼のタブレットは今、長谷部の手にある。
    「あんたはどうだった?」
    「駄目だ、青江に行ったようだな。主も……譲渡はなしだ」
     茶坊主はベンチに横たわり、長谷部と山姥切の会話を聞いている。拘束はされていないが、起き上がってタブレットを奪い返すことはできなかった。右足の傷の痛みもだが、頭がぼんやりとして思考が上手くまとまらなかった。

     長船たちの姿が完全に消えた後、茶坊主は燭台切が落としたタブレットを拾った。床に落ちたタブレットを拾う、たったそれだけの動作なのに激痛が走り、息が切れた。
     怪我をしていなかった時の何倍も時間をかけタブレットを拾うと、参加者の離脱条件を確認する。新たに歌仙と写しの離脱条件が増えていたが、彼にとって重要なのは、燭台切が残したメッセージだった。にっかり青江の勝利条件の欄に、赤い字が残されていた。

    『灯篭と徳島の敗北を狙え』

     意外だった。燭台切は不愛想な男の自分より、灯篭の勝利を望むと彼は思っていたからだ。長船が茶坊主にじゃれつくたび殺気を飛ばしていたのに、思いの外気に入られていたらしい。
     他にも札の使いどころや青江と蜂須賀の考察も書かれていたが、彼は一通り目を通すと燭台切のメッセージを消し、続けて自分が入力した離脱情報もすべて消した。

     一階にいては戻ってきた長谷部と鉢合わせするかもしれないので、彼は外階段から二階を目指した。保健室を出るだけでも大変だったが、階段を上がるのはそれ以上だった。手すりを使い、這いずるようにして上がっていく。傷が開き、足に血が伝う感覚がしたが進むのをやめるわけにはいかなかった。

     ──理科室に戻って。

     ふと調理室を出た後聞こえた、小夜の声を思い出す。何故理科室に戻れと言うのかもわからないが、何故小夜だったのかもわからない。彼にとって小夜左文字は、大勢いる刀剣男士のうちの一人にすぎなかった。

    「(小夜といえば)」
     それでも印象に残っている出来事はある。乱藤四郎に頼まれ政府の図書館から絵本を借りたことがあったが、小夜は当刃以上にその本を熱心に読んでいた。絵本は人魚姫だった。女児の興味を引きやすいようアニメ調で描かれた絵本に、小夜が興味を示すのは意外だったが、彼は人魚姫の物語そのものに興味があったらしい。
     小夜はどうして彼女は復讐を選ばなかったのだろうと言った。小夜が開いていたのは、人魚姫が姉たちからもらったナイフで王子を刺そうとして、刺せずに涙するページだった。

     小夜の疑問に対し、彼は意思を持って行動する女性は不幸になるという教訓らしいと答えた。小夜が真に問いたかったことは茶坊主にもわからなかったから、昔読んだ本の内容を教えた。
     シンデレラや眠り姫のような受け身の女性こそ素晴らしく、反対に自分の意志を持ち行動する人魚姫のような女性は悪しき存在である。そんな差別的な思想がまかり通る時代があったなど信じがたかったが、小夜はなるほどねと納得していた。

     ──それとこれは俺の憶測だが……。

     もう一つの復讐しなかった理由を思い出す前に、彼は職員室に着いた。政府の道具が頭を過ったが、気力でカバーしていた体力が尽き、茶坊主はその場に倒れこんだ。
     動いている時は必死で気づかなかった、血の嫌な臭いが鼻につく。同時にこの耐えがたい痛みも、刀剣男士ならば軽傷にすぎないのだと彼は知っていた。血が出る、痛みも感じる、けれど決定的に違う存在。それが刀剣男士だ。

     その後それほど時間を置かず長谷部と山姥切が現れて、彼を屋上に連れていった。二人の会話を聞くに、参加者の位置がわかる道具を手に入れ、彼の居場所を突きとめたようだった。
    「敗北条件のことさえなければ、主に狼藉を働いたあの刀をへし切ってやりましたのに。俺をお許しください。けれど、神域に帰ればその傷も癒えましょう。仮に癒えなかったとしても、俺が主の手足となってお世話しますから、どうぞご安心ください」
     長谷部は屋上という身動きの取れやすい場所を選び、そのうえ茶坊主のタブレットも取り上げた。油断はしていないが、それでも勝利を確信し勝った後の話を茶坊主にする。
     だが茶坊主は諦めていなかった。長谷部の『刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く』は無理だとしても、彼の勝利条件である『審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する』がまだ残っている。

     徳島が敗北した今、あと一人審神者が負ければ彼は勝つ。写しが敗北条件の『遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている』を回避した以上、望みをかけるのは灯篭だ。
     彼女は青江に会えば、きっと敗北を選ぶ。三時間が経つ前に、青江が灯篭を見つけさえすれば……。

     ──人を切り捨てることを躊躇するな。

     恐ろしい女性だなと茶坊主は思う。あんな短い時間で、雅は茶坊主の性格を見抜いた。現世に帰れと説いた自分が灯篭の敗北を願うことに、彼は未だ抵抗を持っていた。


     写しは実験台の上に置かれた刀を見て、我が目を疑った。理科室には何度か足を運び、その都度隈なく部屋中を探したのだが、刀などどこにもなかった。
     罠を疑いつつ刀を取れば、和泉守兼定だとわかった。初期刀の山姥切の思惑により、彼の本丸には山姥切以外の刀は一振りもいなかったが、政府の役人だったので刀の知識はある。目の前にある刀は和泉守で間違いなかった。
     遊戯の参加者に和泉守がいないのは確定しているので、素直に考えれば理科室に置かれた政府の道具になるだろう。だが彼には、部屋中を隈なく探したという自負がある。他の場所、たとえば鍛刀部屋からなんらかの理由で運ばれたとしか考えられなかった。
    「あの野郎。なにが同胞を疑うな、だ」
     鍛刀部屋で会った蜂須賀を思い出し、彼は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

     刀解するにも合意を得るため、一度顕現する必要がある。刀に意識を集中させると、どこからともなく桜の花びらが舞い、一人の美丈夫が目の前に現れた。
    「オレは和泉守兼定。かっこ良くて強い! 最近流行りの刀だぜ」
     お決まりの顕現時の口上だが、山姥切以外の口上を初めて聞き、写しは柄にもなく感動していた。一方の和泉守はというと、写しを見て驚きで後ずさりをする。
    「は? ……はあ!? なんでお前なんだよ、審神者どこ行った!?」
     山姥切そっくりな見た目に変えられたので仕方がないのだが、気が立っていた写しは怒鳴りあげた。
    「よく見ろド低脳! 俺は審神者だ!」
     和泉守は罵倒されたのに黙っているような男ではないが、写しの勢いに圧され、頭のてっぺんから足の爪先まで何度も見直していた。それはそれで気に障ったが譲歩し、写しは自分が今の姿になった理由を説明する。

    「俺は山姥切に神気漬けされて神隠しされた。それだけならよくある話だが、あのホモ野郎は俺の見た目まで変えやがった。自分そっくりにな! ……くそっ、あんな脳みそ腐った野郎だとわかってたら初期刀になんかしなかったのに」
    「あんた口わりーな」
    「どこぞの箱入りみたいなこと言うな。で、お前は一体何者なんだ?」
     今度は写しが聞く番だ。遊戯会場の鍛刀部屋でできた刀かと思っていたが、和泉守は高練度である。彼が見落としていた理科室の道具と認めざるを得なかった。和泉守は顔を引き締めると、道具としてこの遊戯に参加した理由を語る。
    「オレは蜂須賀虎徹に隠された主を助けるためにここに来た」
     性格の悪さを自認している写しであったが、まっすぐな目で見つめられると言葉に詰まった。問題の先送りとわかりつつ、和泉守にまずは探りを入れる。

    「お前はどこまで秘密遊戯のことを知ってる?」
    「神隠しされた審神者とその刀剣男士が戦う。審神者は勝てば現世に帰れて、負ければ永久に神域に閉じこめられる。あとは、俺自身が遊戯用の道具として用意されるってことぐらいだ」
    「今までの遊戯の展開は?」
    「刀の間は近くにいるやつの気配をなんとなく感じる程度で、詳しいことはなんもわかんねー」
    「……」
     写しが考えていた以上に、和泉守は何も知らなかった。どう切り出すか決めかねていると、和泉守は彼の言いよどむ姿を見て察したようだ。おい、あんたと写しに問いかける。
    「主は負けたのか?」
    「……ああ、ついさっき負けた」

     和泉守はそうかとだけ言い、泣きも怒りもしなかった。人の形を真似ていても所詮物は物だ、高度な感情を期待する方が無理というものだろう。そう結論づけても残るもやもやした思いは気持ち悪かったが、遊戯の参加者として頭を切り替える。
    「(これは殉死しないな)」
     和泉守を顕現させたのは、刀解の合意を得るためだ。主の後を追って自分も……という流れに持っていければ良かったが、この淡白な反応では期待できなかった。だが話さなければ進展はないのも確かで、写しは離脱条件から話すことにした。
    「参加者には二つの離脱条件が与えられている。一つは勝利条件、もう一つは敗北条件。俺は山姥切が勝利条件を達成する前に、俺の勝利条件を達成しなければならない」
    「そのあんたの勝利条件っていうのは?」
    「『刀剣男士を2口刀解する』」
    「それでオレを顕現したってわけか」
     話に聞いて想像していたのより頭の回転が速い、審神者に対して淡白なのも却って好都合かもしれない。期待が高まっていくが、和泉守が意外なことを口にする。

    「オレはこの遊戯に参加した以上、機密の漏えいを防ぐため刀解されることが決まってる。今の主とそういう契約して来てるからな」
     機密の漏洩防止のための刀解に驚きはなかった。彼の知る政府ならそうするだろう。和泉守が譲渡刀であったことが意外だった。彼が思っていたような主に対し淡白な刀なら、元の主のために刀解覚悟で遊戯に参加するとは思えなかったからだ。
    「……まあいい」
     刀剣男士の考えなどわからないし、わかりたいとも思わない。写しは和泉守に刀解の合意を求めた。
    「徳島が敗北した今、お前が遊戯に残る理由はないはずだ。頼む、刀解させてくれ」
    「別にそりゃいいけどよぉ」
     合意を得られたが、なんとも歯切れが悪い。
    「あんた、オレを刀解した後のことちゃんと考えてんのか?」
    「なめた口利いてんじゃねーぞクソ野郎」
    「なに怒ってんだよ、ほんと口わりーな!?」
    「俺が世界一嫌いな女が言いそうなことをお前が言うからだろうが!」
     彼が言う世界一嫌いな女とは、審神者局の後輩で同世代では一番の出世頭になると言われていた女のことだ。優秀だが一緒に仕事をしていると滲み出る性格の悪さが伝わって来て、写しはその女が大嫌いだった。

    「で、実際どうなんだ? 本当にオレを刀解して終わり、なんだろうな?」
     謝罪はなく念押しされたことにムカついたが、一時的な怒りが去り冷静になれば、写しは自分の思い違いに気づけた。目の前の刀剣男士はムカつくことこのうえないが、山姥切よりも遥かに高練度の刀である。彼は刀解するためだけに用意された道具ではない。
     しかし頭ではわかっているが、心が追いつかなかった。自分からありとあらゆるものを奪った刀剣男士を、本当に頼っていいのか。
    「俺に、手を貸してくれるのか?」
     彼らしからぬ弱弱しい声音だったが、その不安を払拭するように和泉守は得意げに口角を上げ、胸を叩いた。
    「もちろんだ。刀解されるだけで何もしませんでしたじゃあ、和泉守兼定の名が廃るからな!」


     運がいいとは、開始早々に勝利した雅や太閤桐のことを言うのかもしれないが、傍から見れば山姥切も十分運に恵まれていると言えた。
     敗北条件に直結する長谷部の敗北を回避でき(もう少しすれば長谷部は勝利し、彼の敗北条件は完全に回避される)、参加者の位置情報がわかるタブレットも手に入れた。このタブレットは髭切離脱後、髭切が道具を隠し持っていた可能性を考慮し、髭切が逃げた方面を探している途中で見つけたものだ。屋上に近づく参加者を排除するという条件付きで、今は山姥切が持っている。
     蜂須賀が協力を拒んだのは、今となっては逆に良かったと彼は思う。山姥切たちは蜂須賀のために時間をかけずにすみ、蜂須賀は蜂須賀で、自分のことだけに時間を使えた結果、遊戯に勝利した。
    「(長谷部の主のタブレットを見た時は馬鹿かとは思ったが)」
     蜂須賀の勝利条件は『全参加者の離脱条件を把握する』なのに、彼は審神者に狼藉を働いた者と話すことはないと、離脱条件の交換は一切せずその場を去った。

     山姥切は屋上で長谷部と別れた後主探しを開始し、今、審神者がいると思われる二階の部屋の前に来ている。会場内の部屋はすべて見たと思っていたが見落としていたようで、この部屋に来るのは初めてだった。
     戸を開けると部屋の様子を確認することなく、彼は一直線に審神者のいる場所に歩いていった。タブレットでは、審神者がいるのはさらに奥の部屋になっている。
    「のんきなもんだな」
     奥の部屋に入った時の山姥切の第一声だ。部屋にいたのは、彼の主ではなく、青江の主である灯篭だった。彼女は遊戯中だというのに、床に寝そべって目を閉じている。

     山姥切は少女に近づくと、彼女の傍らに置いてあったタブレットを手に取り、画面を見たまま固まった。自分の勝利条件を彼女が持っていたのはこの際どうでも良かったが、灯篭は青江の勝利条件を持っていた。彼は少女を叩き起こし情報を吐かせようとしたが、吊るされた左手に気づき、髭切の話を思い出す。
     寝ているのではなく、気を失っているのかもしれない。そう思い直し、頬を叩くため振り上げた手を下した。下手に手を出して青江の怒りを買うのは避けたかったし、何より彼は混乱していた。
     山姥切は灯篭を起こすことを諦め、次の行先を決めるため参加者の位置がわかるタブレットを見た。赤い点は審神者、青い点は刀剣男士を示していると思われるが、赤は一階、二階、屋上に一つずつ。対して青い点は一階、二階、三階、屋上で計四つ。三階の青い点だけが、他から離れた場所にあった。山姥切はまず三階の刀剣男士に会いに行くことにした。

     傍から見れば十分運に恵まれていると言える状況にあっても、運に恵まれていると山姥切が思えないのには理由がある。主の行動がまったく読めないからだ。
     たとえば山姥切が気になった部屋に行っても、山姥切が気になったのだから主はそこにいるはずなのだが、主はいない。今もそうだ。山姥切はいつだって主と二人きりでいることを望むのに、主は彼以外の刀剣男士を側に置いている。
     そもそも彼が主を自分そっくりな見目に変えたのは、主のことを知りたかったからだ。彼は五振りの中から選ばれた刀であるのに、主は彼を見ようとしなかった。自分だけを見てほしくて鍛刀ができないよう鍛刀部屋に呪いをかけたし、戦場から刀を持ち帰ることもしなかった。それでも主は彼を見ず、新しい刀を鍛えることに躍起になっていた。

     主のすべてが知りたいのに、主のことが何もわからない。悩んだ末に彼の出した結論は、『主が俺になればいい』というものだった。自分のことは自分が一番よくわかる、だから主は自分が一番よくわかる自分になればいいと考えたのだ。
     その後の彼の行動は早かった。主を部屋に閉じこめ、自分の神気を注いだ。注げば注ぐほど、主は山姥切国広になっていった。色の濃い肌は白く、黒い髪と瞳は金と緑へ。高かった背は縮んでいき、薄かった体には筋肉がつく。
     けれど、主は山姥切にならなかった。山姥切の見目で、山姥切と同じ声で、国広の第一の傑作である彼を化け物と罵倒する。
    「(何が足りないのだろう)」
     山姥切は遊戯に参加すると決めた時から、ずっと同じことを考えている。何もかもが一緒になったはずなのに、彼の望む結果にはなっていない。


    「山姥切国広君、だっけ? 僕になんの用かな?」
     三階にいたのは青江だった。青江は五虎退が折れた場所に立っていた。自分より練度の低い山姥切に背後を取られたことに驚いていたが、すぐに驚きを引っこめにっかりと笑う。
     山姥切は彼が曲者だと知っている。会うのは初めてだが、彼は図書室で灯篭の物と思われる日記を読んでいた。竜胆は現世に帰った時に差し障りがあるので内容は教えないでほしいと言っていたが、その判断は妥当だと思わせる内容だった。
    「俺の主の勝利条件を知ってるんだろう。教えてくれ」
     彼は時間をかけず、単刀直入に言った。予想外だったのか青江は目を丸くしていたが、山姥切のことを面白いと思ったのだろう。品定めに入った。

    「僕じゃなくて長谷部が持っているかもしれないよ」
    「長谷部のタブレットは見た。もったいぶらずに教えろ」
    「おやおや、せっかちだね。夜もそうなのかな」
    「なんで夜だけなんだ? 俺は一日中せっかちだ」
     山姥切は大真面目に言っているのだが、青江は顔をそらし口を押えて笑いをこらえている。何故青江が笑うのか彼にはわからなかったが、結果として交渉は上手くいった。
    「僕が君の主の勝利条件を教える代わりに、君は僕に何をしてくれるんだい?」
     彼は間髪入れず答えた。
    「勝利条件、敗北条件、居場所。どれでもいいぞ」
     対する青江の返答も早かった。
    「彼女の元に案内してほしい。君の主の勝利条件はその後で」
    「わかった」

     山姥切は青江を灯篭のいる部屋に案内した。もっとも、案内するといっても階段を下りればすぐ部屋に着いた。部屋の中に入り、奥の部屋の扉を開けようとしたが、山姥切は扉を開ける前に釘を刺しておいた。
    「言っておくが、俺が見つけた時にはあんたの主は既に怪我をしていた」
     そう言って山姥切が扉を開けると、青江は山姥切の横を通り抜け、横たわっている灯篭の元へ駆けよる。彼女の横に跪き、気を失っているだけだと確認できると、落ちていた灯篭のタブレットを手にした。

     動揺してタブレットの存在を忘れてくれた方が、山姥切としては良かったのだが。しかしすべて想定していたことだ。扉の前に留まり二人を見ていた彼は、交渉のため青江に近づく。
    「俺の主の勝利条件を」
    「どうぞ」
     青江は自分のタブレットを取り出し、山姥切に差し出す。予想外のことに面食らい、差し出されたタブレットをまじまじと見つめていたが、青江はタブレットを振って受け取るよう促す。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件 ???
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 ???
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 ???
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件【???】
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 ???
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 ???
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 ???
    刀剣男士5:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者7:友切/勝利
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 ???
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 ???
     敗北条件【審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する】

    審神者8:???
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 ???
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】


    「どうだ、驚いたか?」
     受け取ったタブレットを食い入るように見ていると、青江がそう言った。
    「鶴丸ならそう言っただろうね。君には悪いけど、君の主の敗北条件を探すといい」
     青江は灯篭のタブレットで山姥切の勝利条件を知り、山姥切が青江に勝利条件を満たして勝つことを望んでいると理解した。けれど、肝心の鶴丸は三組目に遊戯を離脱している。
     山姥切は青江に無言でタブレットを返す。やはり灯篭のタブレットに書かれていた青江の勝利条件は間違っていなかった。しかし時間が経ち衝撃がいくぶん和らいだことで、彼はまだ自分が遊戯会場にいる意味を考えることができた。
     山姥切の勝利は完全になくなった。遊戯の結果が勝利と敗北のどちらかしかないのなら、彼の勝利の芽がついえた時点で彼の敗北を宣言すればいいのに、魂之助はそれをしない。

    「君の主も大変だねえ。刀剣男士を二口刀解するなんて、どうやってすればいいんだろう」
     青江が独り言のようにつぶやく。やはり食えない男だと山姥切は思った。
    「そいつを起こさないのか?」
    「彼女が起きるまでにやりたいことがある」
    「やりたいこと?」
     青江は灯篭に嘘さえ吐かせればそれでさえすればそれでいいはずなのだが。怪訝そうに顔を歪めた彼に対し、青江はごめんねと口ばかりの謝罪をする。
    「君の希望どおりにはしてあげられない。僕は主の決定に従う」
     山姥切は柄に手を触れたが、やめた。せめてもの報いで青江をにらむと、二人の前から去った。


     人は死に瀕すると昔の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡ると言うが、本当のことだったのだと茶坊主は身をもって知った。熱に浮かされ機能しなくなった頭は、本丸での出来事を流し続ける。
     生来の表情の乏しさのせいで初期刀が愛されていないと悩んでいたことや、刀剣の収集が順調故に演練で他の審神者からケンカを売られたこと。出陣先に池田屋が増え、慌てて短刀たちの練度上げをし、怪我をして帰ってくる彼らを複雑な思いで見守っていたこともあった。
     改めて映像として見て、ろくでもない仕事だと彼は思った。けれど、充実して楽しい日々だったのも確かだ。長谷部に神隠しされてからは、本丸ではなく現世のことを考えるように意識していたので、久しぶりに見る本丸の風景はひどく懐かしく感じられた。

    「何故彼女は復讐を選ばなかったのだろう」

     人魚姫の絵本を読む小夜左文字の姿が、眼前に映し出される。彼の本丸にいた小夜は、左文字の二人の兄より歌仙と仲が良く、休日は歌仙と共にいることが多かったが、主の部屋に遊びに来ることもあった。

     粟田口の短刀たちのように、素直に遊びに来たと言えない刀だった。あの日も歌仙に言われたからと、ガラスの器に剝いた柿を持ってやって来た。小夜はすぐに帰ろうとしたが、茶坊主は一緒に食べようと誘った。
    「うまいか?」
    「……うん」
    「もっと食べろ」
    「それはあなたの分だから」
     会話はそれくらいのもので、食べ終わったら今度こそ帰ってしまうなと茶坊主は思っていた。
     だが小夜は鞄の上に置かれた絵本に気づくと、読んでもいいかと彼に聞いた。小夜が見ているのは、乱のために図書館から借りてきた人魚姫の絵本だった。表紙がキラキラと輝くよう加工されたアニメ調の絵本に、乱はともかく小夜が興味を示すとは意外だった。

     小夜が絵本を読む傍ら、彼も図書館で借りた小説を読んだ。本を読む間、何も話はしない。けれど小夜の様子が気になって、茶坊主は区切りのいい所まで読んだ都度、横目で小夜を見る。
     とうに読み終わっていてもいいのに、小夜は熱心に本を読んでいる。彼は茶坊主の視線に気づくと、少年らしくない感想をこぼした。
    「何故彼女は復讐を選ばなかったのだろう」
     茶坊主は本を閉じて小夜の側に行き、開いている絵本のページを見ると、人魚姫が姉たちからもらったナイフで王子を刺そうとしたが刺せずに涙するシーンだった。小夜が何故人魚姫を読もうとしたのか、茶坊主はやっと理解した。
    「意思を持って行動する女性は不幸になるという教訓らしい」
     小夜が真に問いたかったことは茶坊主にもわからなかったから、昔読んだ本の内容を教えた。シンデレラや眠り姫のような受け身の女性こそ素晴らしく、反対に自分の意志を持ち行動する人魚姫のような女性は悪しき存在である。そんな差別的な思想がまかり通る時代があったなど信じがたかったが、小夜はなるほどねと納得していた。

    「それとこれは俺の憶測だが、異類婚への戒めもあるんじゃないかと思う」
     不意に湧いてきた考えをそのまま口にしたが、彼は言った後で後悔した。彼の思った異類婚は人種や身分等の違いによるものだったが、付喪神を前にして言うと意味合いは変わる。
     まるで神隠しはするなと牽制しているようだ。もちろん彼に神隠しされたいなどという奇特な願望はなかったが、せっかく歌仙が小夜との仲を取り持ってくれたのに台無しにしてしまったのではないかと後悔した。
    「そうだね、あなたの言うとおりだ」
     小夜は絵本を閉じ、茶坊主に返した。茶坊主の危惧は現実となった。
    「今言ったことは忘れないで」
     そう言い残し、小夜は空になったガラスの器を持ち、彼の部屋から去った。

     一人になってからも小説を読み続けたが、頭には入って来ず何度も同じ個所を繰り返し読む。諦めて別のことをしようかと考え始めた時、廊下から声をかけられた。
    「主、緑茶を入れてきました。入ってもよろしいでしょうか?」
     長谷部だった。茶と言われ、彼は喉が渇いていることに気づく。入ってくれと言うと、長谷部が障子を開け、廊下に置かれた盆には湯飲みと茶請けの羊羹があった。
    「(歌仙と入れ違いになったか)」
     甘い物がさほど好きではない彼に、柿と羊羹は多すぎる。しかし長谷部の好意を無下にするのは申し訳なかったし、一緒に食べようと誘って長谷部が喜ぶとも思えなかった。
    「悪いな」
    「いいえ、臣下として当然のことをしたまでです」
     無敵のポーカーフェイスのおかげで気取られることはなく、長谷部は満足そうにしていた。

     喉が渇いていたのでまずは茶を飲み、それから羊羹を楊枝で一口大に切る。口に運べば、上品な甘さがした。あげれば喜びそうな刀の顔がいくつか浮かんだが、ふとあることが気づいた。
    「長谷部、お前が好きなものってなんだ?」
     ある程度の付き合いになれば、相手が好むものは自然とわかる。しかし長谷部は初期に来た刀であったが、これというものが思い当たらない。長谷部は予想外の質問に目を丸くしていたが、すぐに綺麗な笑みを作った。
    「主命でしょうか」
    「……ちゃんと休めよ」
    「ええ、主命とあらば」
     上手くはぐらかされてしまい、茶坊主はそれ以上追及するのはやめた。彼は茶と菓子受けの礼を言い、それを合図に長谷部は退席する……はずだった。

    「長谷部と呼んでください」
     そう言われ横を向くと、藤色の瞳と目が合った。
    「貴方が長谷部と、俺の名を呼んでくれる。それだけで俺はいいんです」


    「主」


     額に冷たい感触がした。走馬灯の映像に現実の映像が重なり、彼を見下ろす長谷部の姿が走馬灯の映像を上書きしていく。
    「あと少しの辛抱です。もう少しで、三時間が経ちます」
     額に置かれたのは濡れたハンカチで、熱を持った体にはその冷たさが気持ち良かった。けれど長谷部が彼に向ける表情は、彼が望むものではなかった。
     長谷部はきれいに整った美しい表情をしていた。茶坊主の身を案じていることも伝わってくる。だが完璧すぎて作り物のようだ。彼は付喪神なのだから当然なのかもしれないが、それでもと茶坊主は思う。
     長谷部と呼んでくださいと言われた時。藤色の瞳はきれいでありながら人間臭くもあった。


     タブレットに映る赤い点は三つ、青い点は四つ。屋上にある赤と青の点は、長谷部とその主。二階は青江、灯篭、そして山姥切。一階にある残りの赤と青の点は、別の建屋へと移動しているところだった。
     彼の主といる正体不明の刀剣男士は、五虎退と同じ遊戯会場で鍛えられた刀と考えていいだろう。竜胆は他の審神者が鍛刀できないように冷却水を使いきったと言っていたが、竜胆より前に鍛刀部屋を見つけた審神者がいてもおかしくない。
     山姥切は一階に下りると、色のついた硝子が嵌められた場所を左に曲がる。彼はタブレットを見ながら移動していたが、別建屋の入り口が見えるところまで近づくと、タブレットの二つの点は広い空間に留まり動かなくなった。

     正体不明の刀剣男士が山姥切の気配に気づいたようだ。だが、たとえ大太刀であろうと練度一の刀など敵ではない。彼はタブレットをジャケットにしまうと、鞘から刀を抜き扉に手をかけた。
     扉を開けた瞬間、闇夜にきらりと光るものが見えた。奇襲は想定内であり、山姥切は刀で受け止めた。だが彼を圧倒する力に反撃は難しいと判断し、山姥切は攻撃を受け流すと後ろに飛びのき敵と距離を取った。
     担当ほど夜目は利かないが、対峙する相手の姿ははっきりと見えた。長い黒髪の和装の男士、浅葱色のだんだら羽織を羽織っているのは彼の兄弟刀と同じ新選組の刀だから。
    「和泉守! やりすぎるな、折れない程度にしろ」
    「へいへい、わかってますよ」
     和泉守が邪魔して姿は見えないが、聞こえてきたのは山姥切の声だった。

     まただと彼は思った。また主は彼に理解できない行動をする。思えば顕現されたその日から、彼は何故を繰り返していた。何故自分を見ないのか、何故自分を選んだのか、何故自分と同じに変えたのに自分が望まないことをするのか。
     けれど和泉守を見ているうちに、何故の裏に隠れていた気持ちが見えてきた。
    「寂しかったんだ」
     一度言葉にすれば、今まで気づいていなかった自分の感情が、言葉と言う形になって表れる。
    「主に俺を見てほしかった。俺になれば、俺を見てくれると思った。俺なら俺のことを見る、他の刀は見ない」
     淡々と言葉を紡ぐせいか、和泉守には彼の熱い想いは伝わらないようで、顔を引きつらせ白けた雰囲気だった。反対に、彼の主の反応は大きかった。

    「ふざけんな気持ち悪い!」
     山姥切の想いを強い怒りで否定する。
    「俺はお前が死ぬほど嫌いなんだよ! あのクソ上司がサンプル欲しいなんて言わなきゃ、お前なんか初期刀にしなかった! 俺はお前を選んでない!!」
    「おい」
    「こいつの肩持つ気か!? 俺は被害者なんだぞ!?」
    「馬鹿、下手に刺激すんな」
     和泉守は山姥切が逆上して攻撃してくると思ったのか、先手を打とうと足を踏み込んだ。だが彼の予想に反し、山姥切は冷静だった。

    「青江の敗北条件は『遊戯中に刀剣男士が参加者に怪我を負わす』だ」
     高練度の刀が出てきたのは誤算だったが、和泉守の存在が山姥切の読みが正しかったことを証明している。
     主は参加者の刀剣男士を刀解しなければ勝てない。だから合意なき刀解が行える灯篭の力を欲し、青江の離脱を恐れる。主が図書室の日記を読んでいて、なおかつ青江の本当の敗北条件を知らないと通じないはったりだったが、和泉守の動きは止まった。その一瞬の隙をつき、彼は最終手段の禁じ手を取る。
    「×××、刀解を禁じる」
     彼の心情的に禁じ手だったのであって、遊戯の決め事にはなんら違反していないが。真名への命令を下すと、山姥切は二人の前から走り去った。背後から山姥切が騒ぐ声が聞こえたが、少しすれば彼を追ってくる足音がし始めた。一人分の音しか聞こえないから、和泉守が主を抱きかかえているのかもしれない。

     主の状況を想像するとムカついたが、それでも彼の気分は爽快だった。長年の疑問が消え、山姥切は無意識のうちに笑っていた。
    「(わかった、ようやくわかった主)」
     どれだけ見目や声を変えようと、主は主なのだ。主が主である以上、彼が感じた寂しさは主にはわからない。
    「主を俺の一部にすればいいんだ」
     主が彼の一部になれば、主に見てもらえなくても寂しくない。今度こそ主は山姥切そのものになる。
     山姥切は唇を強く噛み、流れ出た血を舌でなめとった。自分の血なのに甘い気がする。主も同じ味がするのだろうかと思うと、背中がぞくぞくした。


    「あと五分です」
     十分前から始まり、一分ごとに告げられるカウントダウンは、嘘を吐いているのではないかと疑いたくなるほど間隔が短く感じられた。
     あと五分で長谷部が勝利する。茶坊主は目を閉じたが、諦めたからではなく考えに集中するためだった。制限時間の前に、一瞬でも長谷部との距離が3.28メートルより離れれば、カウントがリセットされ三時間の猶予ができる。怪我で動けないうえ、拘束札も奪われた今、その一瞬をどう作り出すか。彼は考え続けた。
    「まだ俺の名を呼んではくれませんか?」
     残り時間四分と告げる代わりに、思いがけない懇願が頭上から降ってくる。茶坊主が目を開ければ、横たわる彼の隣に座る長谷部が彼を見ていた。

     神隠しされて以来、茶坊主は長谷部の名を一度も呼んでいない。神域だけでなく遊戯中もそれは変わらず、彼は無言を貫き通した。
    「まあいいですよ。時間はいくらでもあります。俺はいつまでも待ちますから」
     長谷部の反応はあっさりとしたもので、楽しんでいるようにさえ見えた。しかし、静かな空間に似つかわしくない音が聞こえ、長谷部は眉根を寄せた。ベンチで寝転ぶ彼には夜空しか見えないが、先ほど聞こえたのは扉を乱暴に開けた音で、やって来たのは山姥切だということはわかった。
    「札をくれ」
    「何をしに来た」
    「ムカつくから和泉守に札を使いたい」
    「わかるように話をしろ」

     茶坊主の視界に山姥切の白い布が映る。そうかと思えば、先ほどよりもさらに乱暴な音で扉が開かれた。
     長谷部が立ち上がり、侵入者に対峙しようとしているのがその動きでわかった。相変わらず体は言うことを聞かなかったが、彼はベンチの背を掴み上半身を起こすと、息を大きく吸いこみ叫んだ。
    「長谷部!!!」
     力を使い果たし崩れ落ちるも、札を取り出そうとした手を止め、振り向いた長谷部の顔が一瞬見えた。驚いていた顔が泣きそうに歪む、人のように繊細な感情が表れていた。

     ──貴方が長谷部と、俺の名を呼んでくれる。それだけで俺はいいんです。

     過去と現在の長谷部の顔が頭の中で重なるも、次の瞬間には生温かい液体が頭に降りかかってきた。麻痺して感じなくなっていた血の臭いが、苦しくなるほど強くなる。

    「なんで……」
    「お前、俺の条件を知らないようだな」
     山姥切とは違う声だ、そして青江でもない。彼は再びベンチの背に手をかけ体を起こした。体を起こした途端貧血で世界が回って見えたが、最後の気力を振りしぼり叫ぶ。
    「長谷部から札を奪え!」
     彼は和泉守にすべてをかけた。和泉守は躊躇することなく茶坊主の指示に従い長谷部の上着に手を伸ばすが、長谷部は和泉守の腕を掴んで阻止すると足元に蹴りを入れようとする。しかし和泉守に切られ重傷となった長谷部の動きは本来の速さには劣り、和泉守が腕を取られていることを逆に利用し、右に力任せに引き長谷部の体勢を崩す。

     長谷部はプールサイドに倒れたが、山姥切が和泉守に飛びかかり、和泉守の攻撃を自分に向ける。茶坊主は札より前に長谷部の敗北条件を伝えるべきだったと気づき、急いで和泉守に伝えようとしたが、彼が口を開くより前に魂之助の放送が聞こえてきた。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士8のへし切長谷部の勝利。審神者8の茶坊主、敗北です」

     プールサイドに倒れていた長谷部が、放送を聞きゆっくりと起き上がる。髪から滴ってくる血で茶坊主の顔面はひどいことになっていたが、長谷部も胸から腹にかけて切られた時の血しぶきで、顔の下半分が汚れひどい様だった。
    「残念でしたね主」
     長谷部と呼べば動揺し、和泉守の攻撃を咄嗟に刀で受け止めるだろうと彼は踏んだが、長谷部の勝利への執念の方が強かったのだ。

     茶坊主はめまいがしなくなったのに気づいた。足の痛みも、いつの間にかなくなっている。暗闇のせいで体が透明になっているかはわかりにくかったが、感覚と共に体も遊戯会場から消えようとしているのだとわかった。
     けれど彼は泣かなかった。それは彼が常日頃から言っているように表情筋が死んでいるからではなく、彼は諦めていなかったからだった。政府は神隠しに遭えば助かる道はないと審神者に警告していたけれど、秘密遊戯という救済措置が存在していた。ならば、いつかまた巡ってくるかもしれないチャンスに望みをつなぐ。
    「取引をしよう」
     死に直面した時走馬灯を見るのは、脳が過去の記憶から助かる方法を引き出そうするからだという。茶坊主は本丸の記憶から、助かる手段を見つけ出した。

    「足と声の交換だ。好きなだけお前の名を呼んでやる。だから、お前の足を俺に差し出せ」
     人魚姫は足を得る代わりに声を失ったが、彼は名を呼ぶ声を与える代償として足を求めた。足が動かないというハンディキャップを長谷部に与えられるのなら、自分の気持ちなどどうでも良かった。
     長谷部なら必ずのむと彼は確信していたが、多少はごねるとも思っていた。主の世話ができないといったもっともらしい理由がある。
     けれど長谷部は立ち上がり、遊戯中一度も抜かれることがなかった刀身が茶坊主の眼前に披露される。まさかと思う暇もなく、長谷部は自分の足に向かって刃を振り下ろした。
    「……申し訳ありません」
     刀は長谷部の体をすり抜けていった。燭台切が離脱した時、持っていたタブレットが手のひらをすり抜け落ちたことを茶坊主は思い出す。
    「ですが、神域に戻れば必ず! 必ず、俺の足を差し上げます。ですから主、俺の名を呼んでください」
     必死に懇願する長谷部を見て、茶坊主の気持ちがすっと引いていく。

     きれいでありながら人間臭い藤色の瞳を見て、彼は長谷部に親しみを覚えた。人と神という異なる存在ではあるけれど、大切なものは共通して持っていて、時間をかければ理解しあえる存在なのだと思った。
     けれど、それは彼の願望に過ぎなかった。彼と長谷部はどうあがいてもわかりあえない存在なのだと、彼はわかってしまった。
     恐ろしい、気持ち悪い、怖い。そういった感情より茶坊主が強く感じたのは、むなしさだった。ただただ、むなしかった。
    「……約束だぞ長谷部」 
     そう言えば長谷部は子供のように笑って喜び、彼は見ていられなくなり目を閉じた。惹かれていたのだ、あの藤色の瞳に。ただ一人、霊が見えるという苦しみに寄り添ってくれた彼を、好きになりたかった。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件 嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく
    刀剣男士1:にっかり青江
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 30分以上同じ部屋に留まる
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件【審神者7の友切が遊戯に勝利する】
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件【参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く】
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹/勝利
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切/勝利
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない
     敗北条件【審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する】

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる】
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    第八章:第二回秘密遊戯へ 彼女の一番古い記憶は、赤い鳥居から始まる。彼女は男に手を引かれ、参道の真ん中を歩いていた。ここはどこなのか、男は誰なのか。知らないまま鳥居をくぐってはいけない気がして、彼女は立ち止まった。
     すると前を歩いていた男が振り返り、首を傾げた。長い髪を頭の上の方で一つに括り、右目は前髪で隠されている。美しく、妖しい男だった。男はにっかりと笑い、どうしたの? と彼女に聞く。
    「貴方は誰?」
     彼女自身、変なことを言っている自覚はあった。けれど男はもっと変なことを言った。
    「僕はにっかり青江。元大太刀の大脇差さ」
    「にっかり青江さん?」
     大太刀も大脇差も意味がわからず、名前らしきものを復唱する。だが男はクスクスとおかしそうに笑う。笑った拍子に、前髪の隙間から隠された男の右目がのぞく。金に輝く左目とは違い、血のように赤かった。

     そこで彼女は自分の姿を思い出す。彼女の両の目は彼の右目と同じ赤い色をしているが、他はすべて色がない真っ白な体だ。けれど、思い出せるのはそこまでだった。今までの人生どころか、名前さえ憶えていなかった。
    「青江と、そう呼んでほしいな。うさぎさん」
    「それが私の名前なの?」
    「……行こう」
     再び手を引かれる。すべてを忘れた少女も、見知らぬ人間と手をつなぐのはおかしいと思うくらいの常識は残されていたが、自分から手を離そうとは思えず、青江と一緒に鳥居をくぐった。

     鳥居の先にあったのは、神社の本殿ではなく立派な日本家屋だった。貴方の家? と聞くと、そうだよと青江が答える。
    「他に誰がいるの?」
    「誰もいないよ」
    「こんな大きなお家に一人で住んでいるの?」
    「僕もここに住むのは今日から。ここは僕の家でもあるけど、君の家でもある」
     青江がどうぞと言って玄関の戸を開けた。彼の手が離れ、さびしさを感じた自分に戸惑いながら、彼女は家の中に足を踏み入れる。
     外観に負けず劣らず家の中も見事な造りであったが、不意に外の様子が気になって振り返れば、赤い鳥居と参道が消えていた。脳が事態を処理できずにいると、青江が戸を閉めてしまう。絶句する彼女に、青江はようこそ僕の神域へとささやいた。


    「…………、敗北です」


     遠くから声が聞こえ、灯篭は目を覚ました。腕の痛みがひどくなり横になったのだが、いつの間にか寝ていたらしい。鶴丸、友切、それから長船と燭台切が離脱したところまでは覚えていたが、彼女が寝ている間に辺りは夕暮れ時から夜に変わっていた。
     灯篭は片手で体を起こそうとしバランスを崩したが、伸びてきた手に支えられる。
    「青江……」
     一目会いたいとは思っていたが、突然のことに名を呼ぶ以外できなかった。青江は彼女の体を起こし座らせると、彼女に本を手渡した。『参加者Aの日記帳です。限られた者だけが読むことができます』と書かれた紙が、表紙に貼ってある。
     これは何? と聞く代わりに青江の顔を見れば、君の日記だよと返された。しかし彼女に日記をつける習慣はなく、人違いだと青江に返そうとし、手が止まる。記憶を失う前の日記だと気づいたのだ。

    「なんで私の日記がここに?」
    「図書室に隠された政府の道具、らしい」
    「何が書いてあるの?」
    「読んでないよ、本丸にいた時もここに来てからも」
     僕に見せてはいけないものなんだろうと青江が言うが、その口で真実が知りたければ読むといいとも言った。
    「僕は何度もこの部屋の前を通ったのに、案内されるまでこの部屋に入ろうと思わなかった。不思議だよね、加州が君を守ろうとしたのかな」
    「加州?」
    「読めばわかるよ」
     青江は灯篭の質問に答えるつもりはないらしく、彼女は仕方なく日記を膝に乗せた。見ても何も感じないし、何も思い出さない。だがこの日記を読めば、鍛刀部屋で聞こえた彼女の絶望した声の理由も、彼女が神隠しを望んだかどうかも、すべてわかるのかもしれない。

     表紙を見つめたまま動かずにいると、どうしたの? と青江が聞いてくる。顔を上げれば、
    青江は妖しげな雰囲気をまとい微笑していた。
     参加者の審神者たちが現世に帰りたいと願う理由が、彼女にもわかった気がした。彼らは現世のことばかり言うけれど、本能が異形の者から離れるよう警告しているのだ。人間である審神者たちに会った今なら、彼女にも青江は自分とは異なる存在だとはっきりわかった。
     友切の泣く姿を見、茶坊主から現世に帰るよう説かれ、そのたびに灯篭の心が揺れたのは、きっと本能が訴えかけていたからだろう。
    「(それでも)」
     顔を見て言葉を交わせば、離れるよう警告されている以上に、離れたくないと思ってしまう。赤い鳥居を前にして彼の手を離したくないと思ったあの日、彼女は彼女の意思で、青江を選んだのだ。
    「青江なんて嫌い、大っ嫌い」

    「離脱者の発表を行います。審神者1の灯篭、敗北。刀剣男士1のにっかり青江の勝利です」

     少し不安だったけれど、魂之助の声は聞こえてきた。青江は取り乱すことなく、むしろ嬉しそうに見えた。
    「どうしてそんなひどいことを言うの?」
    「私の敗北条件見たのね」
    「決めつけは良くないな」
    「素直に謝ったらどうなの?」
    「ッフフ、ごめんごめん」
     誠意のかけらもない謝罪の後、青江が両手を広げる。いいようにごまかされているとわかっていても抗えず、彼女は青江の胸に飛びこんだ。
     
     背中に手を添えられ、痛いかどうか聞かれる。不思議なことに、魂之助の離脱者発表を聞いてから、腕の痛みはしなくなった。素直にそのことを言えば、青江は彼女を強く抱きしめた。
    「君はいつも逃げるチャンスを棒に振る」
     つぶやかれた言葉に、神域に来た青江の本霊の言葉を思い出す。本霊が言うように、自分勝手なひどい男だ。自分が好きにすればいいと言ったくせに。
    「貴方は私のこと、どう思ってるの?」
     口付けでごまかされた質問をすれば、青江の力が弱まり、彼女の顔をのぞきこんでくる。青江の顔が近づいてき、片手が頬に添えられる。これが彼なりの答えなのだと思い、灯篭は目をつぶったが、唇の代わりに青江のささやく声が聞こえた。
    「好きだよ」
     聞き間違いかと思い目を開くと、金と赤の目が彼女を見つめていた。
    「好きだよ、僕のうさぎさん」


     灯篭と青江の離脱を告げると、魂之助は放送の電源を切った。彼は体内に組みこまれた通信装置から運営本部の指示を受けているのだが、聞こえてくるのは役人たちの言い争う声ばかりで、一向に指示が来ない。
     魂之助はこっそり溜め息を吐いた。神隠しされた審神者の救済という名目で行われている秘密遊戯だが、実際は神無月に出雲に集まる神々のための余興として企画された。そのため審神者局の威信をかけ、優秀な職員が投入されているのだが……。
    「あの人、こうなることがわかっていたんでしょうね」
     魂之助が言うあの人とは、元プロジェクトリーダーの女性──遊戯中は竜胆と名乗っていた──のことだ。彼女は身内から遡行軍が出たためプロジェクトを外されたのだが、自分の後任として、出世競争を繰り広げていた同期の男性を推薦した。

     周りは麗しき同期愛ともてはやしたが、魂之助は彼女の判断をいぶかしんでいた。というのも男性は確かに優秀ではあるが、リーダーよりは補助役として活きるタイプで、我の強い職員たちをまとめられるのか不安があった。
     魂之助の予感は的中し、彼がリーダーになってからはスケジュールが遅れに遅れ、審神者と刀剣男士の四つの離脱条件がすべて達成できない状況になった時の対応が決まらないまま、本番に突入してしまった。だから今、揉めに揉めている。
     正確に言えば、遊戯会場には刀が二口残っており、審神者5の写しの勝利条件は達成可能だ。しかしそのためには真名による呪いを山姥切に解除させたうえ、刀解の合意を得なければならないのだから、実質不可能だ。このまま続けても神々の不興を買うだけだというのが『引き分け派』の言い分である。
     一方『遊戯継続派』は、ルールは順守されるべきであり、後付けのルールは秘密遊戯は失敗だったと認めるようなものだと主張しており、責任問題になることを恐れている。
     その二派に加え、政府の道具を新たに投入しようだとか、一度離脱した組を再投入すればいいだとか無茶を言う者まで現れ、議論は平行線をたどっている。
    「……これも次に繋がるでしょう」
     魂之助は指示を待つのをやめ、放送室から屋上に移動した。

     魂之助はGMであると同時にカメラマンでもあり、彼はすべての参加者・道具の動向を把握し、映像として映し出すことができる。そのため屋上で山姥切と和泉守が戦っていることも、写しがプールに潜ってずぶ濡れになっていることも知っていた。
    「これより遊戯を一時中断します」
     三人の視線が一斉に魂之助に集まる。通信装置から運営本部の動揺が伝わってくるが、彼はかまわず参加者たちに指示を出す。
    「運営本部から指示があるまで、参加者同士の接触ならびに道具の使用を禁止いたします」
     三人とも素直に言うことを聞くタイプではないが、GMの指示は絶対だ。彼が動くなと言えば誰も動くことはできない。実際、刀が振るえなくなった和泉守が忌々しそうに舌打ちをした。

    「魂之助、どういうことだ!? これはどういうことなんだ!」
     和泉守の攻撃で中傷になった山姥切を見るが、答えろ魂之助! と別の方角から怒声が聞こえる。魂之助は写しを見た。
     写しが聞きたいのは、もちろん遊戯を一時中断した理由ではない。彼がずぶ濡れになって手に入れたのは、山姥切のタブレットだ。和泉守に奪われるのを危惧し(それか単なる時間稼ぎだったのかもしれない)、山姥切は二つのタブレットをプールに投げ捨てた。だが写しはプールに飛びこみタブレットを拾い、山姥切の敗北条件達成には長谷部が必要だったと知る。そこへ灯篭離脱の放送が流れた。
     勝利条件の達成は実質不可能と理解しつつ、いつまでもアナウンスがないことに疑問と期待を抱いているというのが、今の写しの心情だろうか。アナウンスがないのは、運営本部の調整不足のせいですと言えるわけがなく、魂之助は白を切った。

    「お答えすることはできません」
    「このド畜生がえらそうな口利いてんじゃねーよ!!」
    「品位のない発言は控えてください。あまりに度が過ぎると、重大な違反行為と見なし敗北にしますよ」
     運営的にはその方が助かりますしと心の中で付け加える。写しは怒りをタブレットにぶつけようとしたが手を振り上げることすらできず、奇声を上げた。
     魂之助は運営本部からの指示を待つが、相変わらず話し合い(というより言い合い)は混乱を極めていた。しかし遊戯の長時間の停止は、なんとしても避けなければならないと彼らもわかっている。議論の中イニシアチブを取ったベテラン職員が多数決に持ちこみ、運営本部は結論を出した。その内容は彼にとってやや意外ではあったが。
    「(あの人が狙ったとおりになりましたね)」
     大多数がベテラン職員に賛同し、プロジェクトリーダーの主張は通らなかった。魂之助が思っていた以上に、運営メンバーは彼のリーダーシップのなさに不満を抱いていたのかもしれない。

    「審神者5の写しおよび刀剣男士5の山姥切国広。共に離脱条件の達成は不可能と判断し、引き分けとします」

     場の空気が揺れるのがわかったが、彼に与えられた指示はまだあったので、質問が飛ぶ前に指示内容を言いきった。
    「二名には第二回秘密遊戯への参加資格を与えます。もちろん両者合意すれば……ですが。いかがされますか?」
     魂之助は両者の顔を交互に見たが、とても対照的だった。山姥切に迷いはなく、突然の提案にも関わらず即答した。
    「参加する」
     一方の写しはというと、先ほどまでの威勢は消え、小刻みに震えていた。勝ち筋が見えていたのに勝てなかったのが、相当堪えているらしい。

     参加したところで、勝てる保証はどこにもない。しかし、人の子にとっての九十九年は想像もできないほど長く、九十九年を耐えたところで現代の死生観では来世への希望などないに等しい。
     苦悩する様は見世物として上々ではあるが、あまり長い時間見せられても興醒めする。もう少ししたら発破をかけるかと魂之助が算段を立てていると、和泉守が魂之助の名を呼ぶ。
    「なにか?」
    「オレの刀解、待っちゃくれないか」
    「なりません」
     自然と魂之助の声は険しくなったが、和泉守はちげーよと呆れた顔をして言い返す。
    「刀解しないでくれって言ってるんじゃねえ、待ってくれって言ってんだ。こいつ勝たすまでの間待ってくれ」
     こいつと言って親指で指したのは写しだ。下を向いていた写しが顔を上げ、信じられないものを見るような目で和泉守を凝視する。

    「性格も口も悪いやつだけどよ、手を貸すって約束したんだ」
    「和泉守……」
    「田舎に年老いた両親残してきたんだろ? 離婚秒読みだけど嫁さんだっているんだろ? それとも何か? お涙ちょうだいのための作り話か?」
     和泉守の視線が魂之助から写しに移り、写しは首を左右に大きく振った。その様子を見て、和泉守がにやりと笑う。
    「『次はけちょんけちょんにやっつけて吠え面かかせてやるこのクソ野郎』、くらい言えよ。な~に弱気になってんだ、あんたにはこの和泉守兼定がついてんだろ」
     写しの見開いていた目が細くなり、嗚咽が漏れ聞こえてきた。和泉守が慌てて憎まれ口を叩いたが、嗚咽は大きくなるばかりだ。和泉守が魂之助をじっと見てくるので、彼は和泉守の行動の制限を解除する。
     和泉守は写しの元まで行くと、うずくまって泣く彼の背中をバンバンと叩く。
    「参加するだろ? な?」
     写しは今度は首を縦に大きく振る。上等! と言って和泉守はもう一度写しの背中を叩く。

    「(誰も刀解を待つなんて言ってないんですけどね……。そもそも第二回を開催するかも決まってませんし)」
     指示どおりにしゃべりはしたが、第二回も二人の参加資格も、上層部の承諾を取っていない未決定事項だ。だが、盛り上がっている場面に水を差しては、遊戯の終わりにケチをつけてしまう。それに魂之助としては、微笑を浮かべて写しを見つめている山姥切が不気味なので、早くこの場から去りたかった。
    「(細かいことは次のプロジェクトリーダーに任せましょう)」
     優秀な人材が来ることを祈りつつ、彼は閉幕の宣言をした。

    「両名の意思を確認できましたので、これにて第一回秘密遊戯を終了いたします。次回遊戯でのご健闘を、運営本部一同ご期待しております」


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件【嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく】
    刀剣男士1:にっかり青江/勝利
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐/勝利
     勝利条件【遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する】
     敗北条件 30分以上同じ部屋に留まる
    刀剣男士2:一期一振
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件【審神者7の友切が遊戯に勝利する】
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件 刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し/引き分け
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている
    刀剣男士5:山姥切国広/引き分け
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件【参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く】
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹/勝利
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切/勝利
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切
     勝利条件 自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない
     敗北条件【審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する】

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる】
     敗北条件 刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    最終章:もう一つの結末 審神者という単語が聞こえ、彼女は若い女性たちの会話に聞き耳を立てた。休日の高校生に見えたが、会話の内容からして大学生のようだった。
    「この間の健康診断で、審神者の適性有りって言われて。それから勧誘がすごいしつこい」
    「でも審神者ってすごい給料いいらしいじゃん。うちの大学じゃ就職絶望的だし、審神者もありなんじゃない?」
     彼女は女性たちの会話に出てきた大学名を聞いて、就職が絶望的という言葉に心の中で同意した。
    「審神者とか絶対無理! 私の高校の同級生に、高校休学して審神者になった子いたけどさ。つい最近まで行方不明になってて」
    「審神者って安全な場所から命令出してるだけって話じゃないの?」
    「なんで行方不明になったのかは知らないけど、ヤバイのがね、高一の時から成長してない姿で見つかったんだって」
    「えぇ? それほんと~?」
    「高校の友達の間ではすごい噂になってる。元々その子の周り、いろいろあってさ。その子ね、お兄さんの手術代稼ぐために審神者になったんだけど、その子が行方不明になってすぐにお兄さんが死んで。それから親も事故だか自殺だかよくわかんない形で死んで。神様を相手にする仕事らしいし、呪われたんだろって話になってる」
    「それが本当だったら、昔住んでた近所のお兄さんが審神者になったらしくて、ちょっと心配。けっこうイケメンだったのにな」
    「何系のイケメン?」
    「えっとね」
     会話の途中だったが、目的の上野駅に着いたので彼女は電車を降りた。大学生の二人組は、彼女が降りてもまだ楽しそうに会話を続けていた。

     秘密遊戯中『竜胆』と名乗った女は、未来に帰った後新しい戸籍を手に入れ、別人としての人生を歩み始めていた。彼女が審神者になったのは、職を追われたのもあったが、彼女と彼女の弟に新しい戸籍を用意すると政府が約束したからでもあった。
     遡行軍の身内は、保護という名の元にあらゆる権利が制限される。歴史修正主義者の娘である以上、出世どころか社会で生きていくことすらままならない。彼女は危険を承知のうえで、審神者になったのだった。
     任期途中で神隠しされてしまったが、在任中に残した成果と秘密遊戯を盛り上げたことが評価され、彼女は新しい戸籍を取得できた。今までの人生を清算しまったく別の生き方を選ぶこともできたが、彼女は再び審神者局に入局する道を選んだ。今は秘密遊戯の運営に係わる仕事をしている。
     いくら紙の上では別人になったとしても、母親が遡行軍に入る限り出世の道はない。しかし、彼女は諦めていなかった。審神者局に居さえすれば、いつかはチャンスが巡ってくる。そしてそのチャンスをものにする自信が彼女にはあった。

     母親の居所を探しつつ、休日返上で仕事に取り組んでいた彼女だが、その日は久しぶりに取れた休みを利用し、博物館に来ていた。特別展の初日とはいえ、刀の展示など物好きしか来ないだろうと踏んでいたが、入口の前には行列ができていた。
     二十分ほど並んだ後順路に沿って展示品を見ていくが、三部屋目に入ったところで列の進むスピードが急速に落ちる。見えずとも、目玉の二振りが展示されている部屋なのだとわかった。
    「再刃されてもこんなに綺麗なんだね~」
    「ホントだ、ハバキに竜胆がある!」
     観覧者それぞれの感想が聞こえてくる。内容から察するに、審神者や元審神者、政府関係者が多いのかもしれない。確かに長年皇室所有だった一期一振と鶴丸国永が、博物館に移管されて初めて展示されると知れば、彼らを知る者なら是が非でも見たいだろう。神隠しの危機に晒された者以外であれば、だが。

     少しずつ列が進み始め、手前にあった一期一振から見学する。彼女は周りに気づかれないようにしながら、シャツの袖口で右の手のひらを拭う。現世に帰ってきてから刃物を見たり触ったりすると、何故か右の手のひらに不快な感覚がするようになった。
     手のひらを拭うことに気を取られていたが、いつの間にか鶴丸国永のケースの前に来ていた。皆が足を止め美しいと誉めそやす刀を、彼女も同じように立ち止まって眺めたが、その目は冷ややかだった。
    「(これは偽物だ)」
     審神者局の一部の者しか知らない話だが、刀剣男士の本霊の本体は審神者局の地下で管理され、博物館等で展示されている物はすべて精巧なレプリカだ。御物とて例外ではない。国の命運をかけた代物なのだ、それ相応の管理方法というものがある。

    「(もっとも、本物だったとしても)」
     彼女にとっては偽物だ。彼女にとっての鶴丸国永は、断られても花を贈り続け、最後は自ら負けを選んだあの鶴丸国永だけだった。
     彼女は審神者局に復帰してから、自分が参加した秘密遊戯の記録を見てみた。そこで鶴丸の思いを知り、彼が泣く竜胆の頭に手を置き別れを告げていたことを知った。あの時、彼は一体何を思っていたのだろう。少なくとも、後味の悪い別れに満足しているようには見えなかった。
    「(……忘れよう)」
     彼女は考えるのをやめた。そして博物館に鶴丸国永を見に来るのも、これで最後だと決めた。誰よりも鶴丸が、彼女が彼女らしくあることを望んでいたのだから。

     後ろがつかえてきたので列から外れ、彼女は展示品に見入る人々の間を、早足で歩き出口へ向かった。その途中肩にかけた鞄から振動が伝わり、電話を取り出せば『上野着いたよ』という弟からのメッセージが入っている。
     この後弟がアルバイトの初月給で、食事を奢ってくれることになっている。彼女も見終わったので今から行く旨のメッセージを返し、博物館を後にした。


    「(眉月さん!)」
     『眉月』によく似た女性が、『太閤桐』の前を横切る。突然のことに眉月だと認識するのが精一杯で、眉月に似た女性はスマートフォンを手に足早に去っていった。
    「(眉月さん……よね?)」
     眉月と似た格好の女性を見間違えたのかもしれない。彼女は眉月の顔を思い出そうとしたが、考えれば考えるほど想像の中の眉月の顔をあいまいになっていき、どんどん自信がなくなっていく。
    「(声をかければ良かったな)」
     政府は他の参加者の勝敗については教えてくれず、彼女は現世に帰ってきてからずっと、眉月がどうなったのか気になっていた。しかし声をかければ良かったと後悔してすぐ、彼女は自分の行動は正しかったと思い直した。

     遊戯者名『太閤桐』は、秘密遊戯で三日月宗近に隠された『眉月』という女性に出会った。黒のタートルネックに黒のパンツスーツと威圧感を与える格好だったが、話してみれば友好的な人物で、互いに協力して現世に帰ろうと彼女を励ましてくれた。
     共に過ごした時間はわずかだが、にこやかで親切で、そのうえ頭がいい眉月を、彼女は尊敬していたし信頼もしていた。同性間で吊り橋効果と言うのはおかしいかもしれないが、後から振り返ると不自然なほどに、彼女は眉月に好感を抱いていた。
     けれど一人目の審神者に続き、彼女の勝利が告げられた時。彼女は遅れてやって来た喜びを眉月と共有しようとしたが、眉月の顔を見てはっとする。

     ──なんでお前なんかが。

     真面目だが要領が悪い劣等生だった彼女は、人から見下されることが多く、他人の表情から自分をどう思っているか見抜けるようになっていた。状況が状況なのだから、眉月が素直に祝福できなかったのは仕方がないのかもしれない。けれど、眉月でさえ自分を見下すのかと思うと、彼女の心に未だしこりとして残り続けていた。

    「(仕方がない、仕方がないの)」
     彼女は持っていたファイルを抱え直し、心の中でおまじないを繰り返しつぶやく。優秀な眉月が自分を見下すのも、政府のコネで歴史ある博物館の学芸員になった自分が同僚から嫌われるのも、全部仕方がない。
    「文月さん?」
     審神者時代の名を呼ばれ反射的に振り返ったが、振り返った後で彼女はしまったと思った。遊戯での出来事は他言しないよう誓約書を書かされており、神隠しから戻ってこられた理由を上手くごまかす自信がないので、審神者時代の知り合いに会っても他人の空似で突き通すつもりだったのだ。

     しかし、自分の名を呼んだ相手を認識したら、後悔も焦りも全部吹き飛んだ。貴方ほどがんばっている人は他にはいない、きっと結果に結びつくはずだ。そう言っていつも彼女を励ましてくれた審神者局の担当職員だった。
     一期が彼に嫉妬したせいで彼女は神隠しされたのだが、彼を恨んだことは一度もない。それどころか、現世に帰ってから何よりも先にお礼が言いたいと思っていた相手だ。誓約書のせいでそれは叶わなかったけれど。
    「やっぱり文月さんだ。どうして……」
     困惑を隠せずにいる男性を見て、彼女は我に返る。彼女も審神者時代、神隠しされれば永遠に刀剣男士の神域に閉じこめられると教えられてきた。彼女が上野の博物館にいるのを疑問に思うのは当然だろう。

     臨機応変とは、最も彼女が苦手とする言葉だ。ただオロオロとする彼女に、彼の顔は泣きそうに歪んだ。
    「良かった、元気そうで。安心しました」
     『ヨカッタ、ゲンキソウデ』。予期していない言葉は音としてしか最初は聞こえず、時間をかけて『良かった、元気そうで』だと頭と心が理解した。耐えられないと感じ、彼女はファイルで顔を隠した。
    「すみません! 俺、変なこと言いました?」
     違うと言う代わりに、何度も首を振る。彼の顔を見れば彼の言葉は本心からのものだとわかり、涙が抑えられなかった。
     彼女は心の中に居座り続ける眉月に、初めて反論できた。私は『お前なんか』じゃない、私は見下されても仕方がない人間じゃない。私には親以外にも私の帰りを喜んでくれる人がいると。


     彼女は現世に帰ってきてから、変な夢を見るようになった。彼女は遊戯会場の美術室で、着物の男と話をしている。『茶坊主』と名乗っていた参加者の男性だ。サイレント映画のように会話の内容は聞こえない。彼女たちが初めて会ったのは美術室だったので、出会いの場面を夢で振り返っているのかと思われたが、現実と異なる点があった。
     茶坊主の隣に、小夜左文字がいるのだ。夢の中の彼女は、腹を抱えて笑ったかと思えば今度は床に手をつき、小夜が刀を構えても逃げようとしない。そして小夜の刀が彼女の手を貫こうとする瞬間、目が覚めるのだった。

    「その夢を見た日は、左手が動きにくくなるんです」
    「『雅』さん、担当者には話されましたか?」
    「ッフフ、久しぶりにその名前で呼ばれた」
     向かい合う男が前のめりになるのを見て、彼女は動きにくい左手を見せ待ったをかけた。
    「専門家の見立てでは、茶坊主君の小夜が夢を見せている可能性があるらしいです。悪い気は感じられないから安心しろとも言われましたが、気になりますよね」
    「……」
    「恩人の貴方にこれ以上無茶を言うつもりはありません。ただ、短い時間でしたがきっと縁が結ばれたんでしょうね。私は彼を探さないといけないという使命感にかられてる」

     秘密遊戯の第一の勝者『雅』は現世に帰還後、政府から審神者復帰の要請を受け、それを承諾した。要請しておきながら何度も念押ししてくる担当者に、彼女は一つだけ条件を付けた。
     私の本丸にいた刀剣男士を全員私の元へ返すこと、それが彼女の審神者復帰の条件だった。しかし、神隠しから生還した事実を伏せたうえで刀の返還を求めるのは難しく(心ある審神者なら尚更おいそれと返しはしないだろう)、彼女はまだ審神者に復帰できていない。
     だが、一人だけ事情をすべて話したうえで交渉ができる審神者がいた。政府上層部と繋がりがあり、秘密遊戯の運営に関与していた人物で、彼は彼女のへし切長谷部の新しい主になっていた。
     彼女は担当者を通じ長谷部の譲渡を打診し、快諾されたので今日彼の本丸に長谷部を迎えにきていたのだった。

    「長谷部のやつ遅いですね」
     茶坊主の話題から話を変えたいらしく、男審神者は立ち上がると障子を開け、廊下に出る。本丸は春の景種が設定されており、満開になった桜の木が見えた。桜を見て、長谷部ではなく自分を隠した初期刀の姿が浮かんだが、彼女は意識してその姿を頭から消すと、廊下にいる男審神者に向き直り頭を下げた。
    「長谷部がお世話になりました」
    「頭を上げてください」
    「貴方には感謝してもし足りません。一度譲渡した刀を返せなど、身勝手なことを言ってる自覚はあります。このご恩は一生忘れません」
    「……長谷部だから返そうと思えたんだと思います」
    「え? 私の長谷部はへしかわの最終形態と言っていい存在ですよ?」
     さすがにお前は正気か? とは言わなかったが、顔を上げ早口でまくし立てる。彼女が自分の刀であり恋人でもある長谷部について語ると、たいてい皆同じ反応をするので、彼の反応も気にはならなかった。

     男審神者は咳払いをし仕切り直すと、彼が今まで引き取った譲渡刀たちの話をした。口では悪く言いながら未だ前の主を慕い続ける者、折れた相棒との約束を守るため旅立った者……。
    「そいつは相棒との約束を結局果たせなかったけれど、自分が次に何をすべきか考えて、実行した。立派なやつですよ。私としては、立派でなくていいから私の元にいてほしかったんですけどね」
    「貴方にとって、私の長谷部は彼ほどの存在にはなれませんでしたか?」
    「いやいや長谷部はね」
     そこまで言いかけ、何を思い出したのか、男審神者は吹き出した。
    「あいつ初対面の俺に向かって『俺は主のために生まれ主のために生き続けます。主がお戻りになるその日まで、いつまでも待ちます。だからそのために貴方を利用させてもらいたい』って大真面目な顔して言いやがって。未だに俺のこと主とは呼びませんし、油断すれば貴方のすばらしさを語り始めるし、あそこまで徹底されると迎えに来てもらえて良かったなとしか思いませんね」
     そう言って男審神者は軽快に笑う。彼女は長谷部の待遇に不安と不満を感じた己を恥じ、改めて彼へ感謝の念を抱いた。

     にわかに外が騒がしくなり、遠征部隊が帰ってきたらしかった。男審神者が来た来たと言うのと、長谷部が庭に現れたのはほぼ同時だった。長谷部は彼女の姿を認めると、靴も脱がず部屋に上がりこんだ。
     長谷部には直前まで何も言わないでおいてくれと男審神者に頼んでいた。いたずら心がまったくなかったとは言わないが、誰を介することなく自分の口から、彼にすべてを伝えたかった。
     立ちつくす長谷部に、彼女は微笑みかける。普段うさんくさいと評される笑顔ではなく、愛しい者だけに向けると美しい笑みだった。
    「I love you, my darling」
     伝えたいことはたくさんあるが、初めに言う言葉は決めていた。そうして腕を広げて抱きしめるように伝えれば、長谷部に強く抱きしめられる。彼女も長谷部の背中に手を回し、帰ってきたのだと実感すると、彼女の目から涙が零れた。


     『友切』は秘密遊戯に勝ち現世に帰ってきたが、彼女が神隠しされている間に兄は病気で、両親は事故で亡くなっていた。彼女は遠縁の親戚に引き取られることになり、今は高校にも通わず引きこもりのような生活を送っている。
     現世に帰ってきた当初は友人に積極的に連絡をしていたが、高校一年生の姿で止まっている彼女に対し、友人たちは大学や専門学校に通っており、見た目だけでなく興味がある話題や考えも大きく変わり、次第に疎遠になっていった。
     唯一の救いは引き取られた先の夫婦が、とてもいい人だったことだ。家に引きこもる彼女を咎めはせず、心の傷が癒えるまではと温かく見守ってくれる。一人暮らしをしている彼らの娘も、彼女を気にかけ週に一度は顔を見せていた。

     今日も部屋から出ずベッドに寝っ転がってスマートフォンをいじっていると、SNSのおすすめに上野で一期一振と鶴丸が展示されていると表示された。そんな情報がおすすめとして上がってきたことに気分が悪くなり、スマートフォンを布団の上に投げると、今度はテレビを点けた。
     ちょうどお昼のニュースの時間だったらしく、函館で和泉守兼定が十数年ぶりに展示されるとアナウンサーが読み上げるのを聞き、彼女は乱暴にリモコンの電源ボタンを押し、枕に顔を突っ伏した。
    「どうしたの? 彼とは仲良しだったじゃないか」
    「別に。単にノリが良くて気楽に話せただけ」
     部屋には彼女しかいないはずなのに、男の声が聞こえる。けれど彼女は気にしない。いつものことだったからだ。

     友人たちと疎遠になった頃から、髭切の声が聞こえるようになった。初めは微かに聞こえる程度だったのに、今では支障なく会話が成立するまでになった。ただ政府の担当者は、彼女を隠した髭切の分霊は完全に消えたと断言したし、彼女自身、自分の今の精神状態が普通ではないことを自覚している。
    「彼を見に行かないとしても、気晴らしに旅行に行けばいいよ。僕も函館に行ってみたいな」
    「ついてくる気?」
    「女の子の一人旅は心配だからね」
     彼女が思いきって顔を上げると、髭切が部屋の真ん中に立っていた。姿を見るのは初めてだったのでびっくりしていると、髭切がにっこりとほほ笑む。

     ──僕以外に君が望むものを与えられる者はいないんだよ。

     遊戯の離脱間際に言われた髭切の言葉を思い出し、心臓がドクリと鳴る。兄も両親も、彼女が望むものを与えないまま亡くなった。義理の親になってくれた親戚は、彼女のことを大切にしてくれたが、それは彼女が望むものとは違っていた。
     彼女はいつだって、貴方が一番大切で貴方を一番愛していると言ってほしかった。

    「……と」
    「なあに?」
     彼女のつぶやきに髭切が聞き返し、彼女はいけないとわかりながら、いつかした問いかけと同じことを口にする。
    「弟刀と私が崖から落ちそうになって。一人しか助けられないとしたら、どっちを助ける?」
     心臓はなおもうるさく鳴っている。期待か、不安か、それとも本能の警告か。髭切は目を細め、ベッド脇に近づいてくると、彼女の頬を両手で包んだ。金色の瞳から、彼女は目が離せなかった。
    「もちろん君だよ。僕の妹君」

     待っていれば、願っていたとおり抱きしめられる。人との身体接触が苦手な彼女であったが、髭切の体温が伝わってくるのが心地よく、満たされていくのを感じる。
    「(まあいいか)」
     これは精神が不安定な自分が見ている幻なのだからと彼女は考えた。何より、何故あんなに現世に帰りたいと思っていたのか、わからなくなっていた。
    「髭切」
    「なんだい?」
    「もう一度私を神隠しして」
     トントンとドアをノックする音がした。義理の親が食事の用意ができたと知らせに来たのだろう。だが、彼女にはノックの音が放送のスイッチが入る音に聞こえた。

    さいこ Link Message Mute
    2023/04/10 1:59:03

    我が主と秘密遊戯を if…(後編)

    神隠しされた審神者と神隠しをした刀剣男士が勝負する刀さに小説のIF版。とある参加者が遊戯中にタブレットを落としたことにより、遊戯は本編とは異なる展開に……。

    【登場人物およびカップリング】
     ・にっかり青江×女審神者
     ・一期一振×女審神者
     ・燭台切光忠×男審神者
     ・歌仙兼定×女審神者
     ・山姥切国広×男審神者
     ・蜂須賀虎徹×女審神者
     ・髭切×女審神者
     ・へし切長谷部×男審神者
     ・鶴丸国永×女審神者

    #刀剣乱夢 #刀剣乱腐 #刀さに #男審神者 #女審神者

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