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    五日間の恋 先生の部屋に戻ると、どうした? ではなく今度は何だ? と聞かれた。何も言わなくても、また面倒事を持ってきたとわかったらしい。先生に答える前にどこまで聞いたか石切丸さんへ聞けば、まだ明石さんの幽霊が現れたところまでしか話していないようだったので、明石国行の次は一期一振行きますと宣言した。先生は脇息にもたれかかったままうなだれ、代わりに明石さんの話の続きをするよう私に命じた。
     結論から言えば、顕現できない七振りは一日にして顕現できない五振りに減り、先生は三条大橋で入手した明石国行と鍛錬所で鍛えた一期一振を手に、朝一で政府へ向かったのだった。

     さて、ここで先生の期待どおりになったこととならなかったことがある。いろんな種類のやばさを感じた私が引継ぎを辞退したのが前者で、政府が私の辞退を受理しなかったのが後者である。
    「きみが思っている以上に『呪われた本丸』は政府内で問題視されているのさ。呪いにかかって死んでも惜しくない人材に引き継がせて、様子を見たいんだろう」
     とても失礼な推測をしたのは鶴丸さん。
    「見習いさんは呪いの一部を解いたんだし、政府も期待しているんじゃないかな」
     全然嬉しくない憶測を口にしたのはにっかりさん。
    「伝手使ってどうにかするが、最悪の場合に備えて審神者の勉強しとけ」
     諦めかけている先生。
    「社長が夜逃げしなければ、もっといい大学に入ってれば…………歴史修正……」
     闇落ちしかける私。

     前途多難な見習い生活はこうして始まり、なんやかんやで一月が過ぎた。にっかり青江の逸話のおかげか、一期さんの件を最後に幽霊とは遭遇しておらず、私は今日も護衛のにっかりさんに手を合わせる。
    「本当にありがとうございます。にっかり大明神のおかげです」
    「ッフフ、僕に身を委ねてくれ」
    「はい、全力で寄りかかります」
    「……君は面白い子だね」
     期待に沿えなかったようだが、紛れもない私の本心なので仕方がない。
    「だがなきみ、政府はきみに幽霊と会うことを求めているんだぜ?」
     横槍を入れてくるのは鶴丸さんだ。私がこの本丸で親しくしているのは、護衛役のにっかりさんと驚きを求め私の部屋に入り浸る鶴丸さんの二人だけ。別に他の刀剣男士と仲が悪いわけではないが、この本丸の刀は全員後任への譲渡ではなく刀解を希望しているので、私に対しかなりドライだ。
     顔を合わせれば挨拶する。ちょっとした立ち話もする。けれどどこまでいっても私はお客さんで、積極的に絡んで仲良くしようという感じではない。寂しさがまったくないと言えば嘘になるが、慣れればすごく楽なのも事実だ。

    「勘弁してくださいよ。今までは無害な……一期さんはちょっと怖かったけど……幽霊でしたけど、次も無害とは限らないでしょう」
    「鶴丸さんが幽霊に会いたいんじゃないのかい?」
    「否定はしないが、まあ俺の考えを聞いてくれ」
     先生は政府に行っているので(先生は座学の講師が死ぬほど下手なため、代わりになる人材の派遣を要請しに行った)、私は今自習中だ。そこへいつものように鶴丸さんがやって来た。
    「政府の専門機関が調査しても、あの明石国行と一期一振からは異常が見つからなかった。そしてこの間の仮報告では、『本本丸に所属していた刀剣男士が、肉体を失い本霊に還る際に、何らかの理由により本丸に似た異空間に閉じ込められ、その影響で該当の刀剣男士が顕現されないと思われる』」
     鶴丸さんが言う仮報告は、私も先生から見せてもらった。私の証言だけでずいぶん踏み込んだ結論を出したなと思ったが、私が先生でさえ知らない情報を話したため、私の証言は信頼できると判断したらしい。

     だが、この仮説が適用されるのは一度でも顕現されたことがある刀だけだ。燭台切光忠、謙信景光、七星剣には当てはまらない。鶴丸さんがパチンと指を鳴らす。
    「そう、きみは光坊に会っている。よって仮報告の内容は、呪いの一部を解明したに過ぎない。全貌を解明するにはもっと調査が必要だ」
    「つまり私に幽霊本丸に行って調べてこいと」
    「俺も同行を希望する」
     食い気味にそう言うが、自分の意志で行っているわけではないし、そもそも呪われた本丸だなんて周りが騒いでいるだけだと言っていたのはどこのどいつだ。にっかりさんに目で助けを求めるが、にっかりさんは鶴丸さんの肩を持った。
    「全貌を解明した方が見習いさんのためになると」
    「そのとおりだ」
     そう言うと、急に鶴丸さんが真面目な顔つきになる。一月ばかりの付き合いだが、悪ふざけのノリは終わったのだとわかり、居住まいを正した。

     私が次の本丸の主になるのは決定事項だと鶴丸さんは言った。あの政府が生贄として引き込んだ審神者を逃すわけがないとも。
     直球過ぎるが反論はできなかった。すぐにばれる嘘を吐いて誘き出した審神者。私の辞職願は未だ受理されず、給料を上乗せするなど甘い言葉でほだそうとしてくる。だが甘い言葉ばかりではなく、この間話した時には違約金の話をちらつかせてきた。そして機密情報漏洩防止との名目で外部との連絡が遮断され、親にさえ自分の窮地を伝えることができない。
    「主が引退を撤回すればまだ可能性はあるが……」
    「難しいだろうね。補助要員として本丸に留まるように言われるだろうし、そもそも主が引退を撤回するとは思えない」
     鶴丸さんの後を継いでにっかりさんが話す。
    「僕や石切丸さんを始めとした御神刀陣が、その気配すら見つけられない呪いを、誰よりも恐れているのは主だ。彼は呪いに関わるすべてを終わらせ、自由になりたがっている」
     この本丸の刀剣男士が全員先生の引退後に刀解を希望しているのは、主の意向を汲んでというのが大半のようだ。にっかりさんもそうなんですかと聞けば、彼の色に染められたからねえとにっかり笑う。素が出てきたのか、最近この手の類の発言がちょくちょくみられる。

    「きみは呪われた本丸の主になるしかない。だが幸いなことに、きみは呪いを解決する糸口を見つけた」
    「自分の身は自分で守れと?」
    「悪い話ばかりじゃないんだぜ。きみはここしか知らないから何とも思わないんだろうが、他の審神者からすれば呪われたって欲しいと思うほどの城なんだぜこの本丸は。へなちょこの霊力しかないきみが、これほどの城を手にする機会はもう二度とないぞ」
    「鶴丸さんって私のことちょいちょいディスってきますよね」
    「ッフフ、でも本当にまたとない機会だよ。よほど優秀な審神者でない限り、御三家の本丸を引き継ぐなんてないからねぇ。御三家所縁の本丸の主というだけで箔が付く」
     新たに出てきたワードに、私より先に鶴丸さんが飛びつく。キラキラした少年の目が、知りたいだろ? と言ってくる。にっかりさんに目で助けを求めるが、聞いときなよと返される。
     ……ああ、そうだ。いかようにも言い方はあったはずなのに、御三家なんてワードを出してくる時点で、この人に助けを求めるのは間違いだった。


     鶴丸さんが意気揚々と語り始めた御三家の話。それぞれ凝った名字のお家だったが、わかりやすさ優先で徳川御三家になぞらえて説明してくれた(徳川御三家より一番、二番、三番とかの方がわかりやすいが)。
     一期さんが言っていた政府と繋がりの強い家が御三家のことで、御三家筆頭の尾張、尾張をライバル視する紀州、バランサーの水戸。2205年以前の審神者はいずれもこの三家から輩出された。
     2205年に審神者の一般募集が始まり、2210年代後半には御三家への優遇施策はなくなったそうだが、それでも御三家というブランド力は衰えず、未だ幅を利かせている。

     私には関係がない遠い世界の話……と思いきや、この本丸を巡り御三家が争ったんだと鶴丸さんが意地の悪い笑みを浮かべて言う。
    「他の審神者からすれば呪われたって欲しい城、と言っただろう? 欲しがったのは紀州と水戸もだ。もっとも彼らからすれば、御三家筆頭の象徴が欲しかったんだろうがな」
    「ああ、主は尾張の人間だよ。それも当時は次期当主候補だった」
     御三家筆頭の若君のため、政府が他の本丸の何倍もの予算をかけて建てたのがこの本丸らしい。そんな金があるなら景気対策に充ててほしいものだが、政府はそれだけ尾張を重要視しているとアピールしたかったのだと思われる。
     だが、先生は所持刀剣をすべて検非違使に破壊されるという大失態を犯す。当時いくら検非違使対策が確立していなかったとはいえ、結果を重く見た政府は先生から審神者の資格を剥奪し、本丸の担当者にさせた。

    「ここぞとばかりに二代目として名乗りを上げたのが紀州だ。水戸は当初静観していたが、主の従兄弟が就任するとわかると紀州に味方した。というのもこの男、水戸の女審神者を殺した疑惑があった」
     審神者および審神者就任予定者が集まった研修で、とある女審神者が強姦されたのち殺された。犯行は研修参加者しか行えず、殺された女審神者に好意を寄せていた先生の従兄弟が最有力容疑者であった。しかし彼は未来の貴重な戦力、しかも水戸より格が上の尾張の人間である。政府は犯人捜しをしなかった。
    「証拠不十分で立証できず、だったはずだよ」
    「建前を話したところで意味がないだろ」
    「しゃべりすぎじゃないか?」
    「俺たちだって知ってることだ。それにもう時効だろう?」
    「殺人に時効はありません。……で、その後は?」
     政府のブラックさに慄きつつ、私は続きを促した。ここまで来たら最後まで聞かないと気になって寝られない。

    「政府は尾張の面子を立て、主の従兄弟を二代目として就任させた。だが何を思ったのか就任早々、この男は殺された女審神者の刀を欲しがった。女審神者の刀はほとんどが刀解もしくは水戸の家の者に譲渡されており、残っているのは政府刀として働いていた鶴丸国永しかなかった」
    「二代目に譲渡された鶴丸国永は主の仇を討った、ですか。次は一期さんの審神者です?」
    「一期が審神者の名を言っていれば確実だったんだが。まあ一期の主と思って間違いないだろう」
     二代目が何の実績も残せず死亡したことで、ついに本丸は紀州の手に渡る。しかし尾張が指をくわえて黙って見ていたかといえばそうではなく、尾張の娘を三代目の紀州の御曹司に嫁がせた。政府は戦争の長期化を見据え次世代の審神者について検討し始め、尾張は尾張で、次世代で奪い返すチャンスを狙った……といったところだろう。ちなみにこの尾張の娘はもちろん一期さんが恋した人のことで、彼女も先生の従兄妹だそうだ。
    「だが三代目は病で二年そこそこで死んでしまう。紀州は他の二家に伺いを立てず、三代目の妹を次に据えた。就任当初は揉めたそうだが、彼女の戦績は文句のつけようがなく、皆認めるしかなかった。しかし、就任し四年目に差しかかったところで雲行きが怪しくなる」

     一期さんの話す四代目は、癖はあるけど一期さんの恋愛に理解がある人だった。政府の研修が物足りなく感じるほど優秀だとも言っていた気がする。けれど彼女は就任四年目を過ぎた頃から比較的安全な合戦場しか出陣しなくなり、そのうち出陣すらしなくなった。それでも御三家の審神者なので多めに見られていたが、大侵寇での振る舞いが決定打になった。
     今開いている教科書には、2212年の出来事だったと書いてある。観測史上最大の敵軍が現れ、全本丸一丸となって立ち向かい歴史的勝利を挙げた戦い。ここで一般募集の審神者が御三家を上回る戦果を挙げたことで一般審神者の地位が向上し、彼らの本丸システムのバージョンアップが決定したとか。
     それはさておき、四代目はその重要な戦いすら出陣を拒んだ。さすがの紀州もかばいきれなくなり、四代目は審神者の資格を剥奪され、軍事裁判にかけられる。その後彼女は判決が出る前に獄死。御三家や政府の関与を疑う声は未だ根強くあるが、一方で本丸の呪いがささやかれ始めたのもこの頃だ。

    「尾張も紀州も上手くいかなかった。政府は水戸を頼った。二代目就任の件で、水戸は紀州びいきになっていた。尾張に渡すくらいならと政府の頼みを聞き入れた……というのもは建前で、水戸は三番手として上手く立ち回ってきたが、筆頭に躍り出る機会を虎視眈々と狙っていたのさ」
     絶対に失敗したくない水戸が選んだのは、実績豊富な女審神者だった。彼女の名は高砂、明石さんの主だ。
    「彼女は既に自分の本丸を持っていたが、二つの本丸を兼任することを条件に了承した。主は聞き間違いかと思い何度も聞き直したと言っていたな。それもそうだ、二つの本丸を維持するには膨大な霊力が必要となるし、霊力を抜きにしても仕事量は倍だ。だが五代目は戦績は常に安定、書類仕事はどんな短納期であろうと締切の前日までに仕上げる超人ぶりを見せた」
     明石さんの主の活躍で水戸の地位は向上したが、彼女は警備が手薄になった隙をつかれ敵襲に遭う。五代目の刀剣男士たちは命を賭して主を守ったが、逃げた先の地下室に流れ込んだ一酸化炭素が原因で彼女は亡くなってしまう。そうして尾張出身の先生が、再び本丸の主となった。


     話の続きを促した過去の自分を殴りたい。気になって眠れないくらい別にいいだろう私。先生がこんなに真っ黒だったなんて知りたくなかった。あと主の真っ黒アピールをする彼らの思惑はなんだ? 頭をフル回転させ私が出した結論は……。
    「お茶にしましょう」
     ただでさえ貧相な脳なのだ、糖分補給しなければこれ以上動かない。現実逃避と言われればそれまでだが、辛い現実に立ち向かうことだけが正解ではない。キッチンに行くため部屋を出ると、僕も行こうと後ろからにっかりさんの声が聞こえる。今の気持ち的にはありがたくないが、ありがとうございますと言い振り返る。

     部屋の中には誰もいなかった。たっぷり十秒考え、鶴丸さんのいたずら説を採用した。年齢四桁なのだから、年相応の落ち着きを持ってもらいたいものである。一歩後ろに下がって部屋の中に戻り、まずは押入れを開けた。布団や私の荷物が入っているだけで、いくら細身の鶴丸さんでも隠れるスペースはなかった。
     それなら忍者屋敷の如く、掛け軸の後ろに通路が隠されているのだろうと体を床の間の方へ向ければ、掛け軸は消え丸い飾り窓に変わっていた。この飾り窓には見覚えがある。視線を下げれば高そうな壺と皿もあった。
    「あ~~~~!!!」
     どう見ても幽霊本丸の客間にあった窓と調度品だ。その場でうずくまり頭を抱える。にっかり大明神の御加護が消えたのか? いやでもまだ幽霊には会っていない。そんなことを考えていると、襖が開く音がした。

    「悲鳴を上げていたのは君かな?」
     私を見下ろしていたのは銀髪のイケメンだった。字面だけ見れば心配しているようにも思えるが、銀髪の彼は若干引いていた。奇声と言わず悲鳴と言ったのはせめてもの優しさだろう。
     以前の私ならここで彼に名を聞くところだが、一月の間に多少は知識を蓄えたので、彼が顕現できない五振りの内の一振り、山姥切長義だとわかった。明石さんや一期さんと違い、長義さんは燭台切さんと同じで初の姿だった。
    「あの、不躾な質問しますが」
    「何かな?」
    「貴方は幽霊ですか?」
     つい一月前までは、こんなおかしな質問をする破目になるとは夢にも思わなかった。長義さんはちょっとだけ間を空けた後、へえ? とつぶやく。プライドが高いという事前情報のせいか、値踏みされているように感じた。

    「前の見習い君は俺たちのことを霊体と呼んでいたよ」
    「そっちの言い方の方がカッコいいですね。変えた方がいいです?」
    「別に表現方法にこだわってるわけじゃない」
     ムッとされてしまった。コミュニケーションが難しいタイプかもしれない。しかし遠慮はしていられない。
    「襖をパン! ってやってもらえませんか。パン! って。そうすれば元いた場所に戻れますので」
     前回幽霊本丸に迷い込んだ時。私は幽霊の成仏がキーとなると思い一期さんの話を聞いたが、彼が成仏しても元の本丸には戻れなかった。私が帰られたのは、燭台切さんが音を立てて襖を閉じたから。あの行為が合図となり、私は元の本丸に戻れた。

    「どうやらここに来るのは初めてではないようだ」
    「三回目です」
    「最初に会ったのは?」
    「燭台切さんです」
    「なるほど。それなら君は彼に会うまでここから抜け出せない」
    「はい?」
     あっさり前提条件を覆され、思わず間抜けな声が出る。この本丸で最も波長が合う男士が結界を意識させなければ、元の場所には戻れないのだと長義さんは言った。少なくとも前の見習い君はそうだったとも。しかし、はいそうですかと引き下がるほど、私は素直な人間ではない。

    「一回だけ試してもらえません?」
    「無駄だと思うけど」
    「そこをどうにか」
     長義さんは廊下に出、引手に手をかける。目の前で襖がパン! と閉まり、私は床の間に顔を向けたが、いくら待っても掛け軸は復活しなかった。奇声を上げたくなったがぐっとこらえ、襖を開けた。
    「ご協力ありがとうございました、燭台切さん探します。どこにいるかご存じないですか?」
    「知らない。けど探し歩くのはお勧めしないかな? ここの構造を知るため本丸内を探索したことがあるが、誰一人見つけられなかった。そのくせ部屋を出た途端、自分のいた部屋の中から声をかけられることもあるから、自分の意志だけではどうにもならないらしい」
    「押入れの中に隠れてたとか」
    「……」
     ちょっとしたユーモアのつもりだったのに、また不快そうな顔をさせてしまった。

     場の空気まで微妙になってしまい、雰囲気を変える次の話題を考えていると、私と長義さんの間に舞ってきた花びらが落ちた。今更ながら雨が降っていないことに気づき庭を見れば、一面桜で覆いつくされた美しい風景が広がっていた。春の庭だ。先生は現世の季節に合わせて景趣を変えているので、この景色は初めて見る。
    「彼とは日常の庭に変わったタイミングで会うことが多い気がする」
     長義さんは私ではなく、庭を見ながら言った。私が燭台切さんと会ったのは小満・百合の庭と梅雨の庭の時だったが、思い返せば燭台切さんは一期さんと会う時は梅雨の庭だと言っていた。
    「ここに審神者は?」
    「俺は会ったことがない」
    「景趣は貴方たちが変えている……わけないですね~」
     景趣にも何か法則があるのかもしれないけれど、確かめる術はないようだ。

     人の心を知ってから知らずか、桜の花びらはひらひらと舞い続ける。庭を眺める長義さんの横顔は、心なしか物憂げに見える。
     このままだと彼は去ってしまう、そう思った。元の場所に帰るだけならそれでいいが、気づかない間に鶴丸さんに感化されていたようで、私は幽霊本丸の正体を知りたいと考え始めていた。
    「私が引き継ぐ予定の本丸では、顕現できないとされる刀剣男士が五振りいます。燭台切光忠、謙信景光、七星剣、山姥切国広、それから貴方です」
     長義さんの視線が私に移る。考えが見えないが、かまわず続ける。彼は私に危害を加えないという根拠のない自信があった。
    「一月前までは顕現できない七振りでした。明石国行と一期一振。彼らは私がここで会い、白い煙となって消えた後、顕現できるようになりました」
    「彼が消えた?」
     黙って聞いてた長義さんが、そこで話を遮った。私がどちらのことか聞く前に、彼は一期一振だと答えた。
    「知り合いですか?」
    「……」
    「政府は私が引き継ぐ予定の本丸に所属していた男士が、何らかの理由により本丸に似た異空間に閉じ込められ、その影響で該当の刀剣男士が顕現されないと考えています。……貴方は何か知りませんか?」

     何か知りませんかと言いつつ、彼が何か知っているのは確かだった。けれど、答えてもらえる自信はなく、長義さんの黒い手袋が口元を覆った時には駄目だと思った。けれど彼は口元から手を離すと、前来た見習い君が……と話し始めた。


     前に来た見習い君がいた本丸と、君が引き継ぐ予定の本丸は同じようだ。見習い君は、顕現できない刀は八振りあると言っていた。君が先ほど言っていた七振りに加え、もう一振り。鶴丸国永だ。
     見習い君も君と同じような仮説を立てていたよ。でも俺はここで謙信景光、七星剣、明石国行とは会ったことがなかったから、彼の仮説に異議を唱えた。しかし、彼の方が正しかったようだな。鶴丸国永は見習い君と一緒にここを出ていった。そうしたら鶴丸国永が顕現できるようになったんだろう?
     鶴丸国永が気になっているところ悪いが、先に一期一振について教えてくれないかな? 見習いさん。なんだ? 君も見習いなんだろ? まだまだ初心者という感じがするし。けど、君が御三家の人間だとは思わなかったな。違う? ……そうか、それは気の毒に。いや、これは本心だよ。

     それで? 一期一振はどうやってここから解放された? …………へえ、彼が? 自分はそんなくだらないことには惑わされない、清廉潔白な刀だと言っていたのに。ああ、確かに直接は言っていない。でもそう言っているも同然の態度だった。
     俺はあの刀については、君より知っているよ。なにせ俺と彼、それからここにいる偽物君は同じ本丸にいたんだ。彼と偽物君は主のお気に入りだった。刀の切れ味や見目ではなく、共に過ごした年月で接し方を変える人だったからね。
     そうだ見習いさん。俺の話も聞かないか? 君が勘繰るのはわかる。興が乗ってきたから、かな? ここの刀は話し出すと皆止まらなくなると燭台切が言っていなかったかな? 
     成仏……まあいい、君の表現にとやかく言うつもりはない。残念ながら俺は成仏できないよ。彼と違い、俺は何故ここにいるのかを理解している。

     燭台切が現れるまでの時間潰しにはなるだろう。それに君にとって有益な情報もある。たとえば御三家の呪具とか。俺が見たのは鏡の呪具だが、鏡を見た者の記憶を奪い別人にしてしまう力があった。都合良く勘違いしているところすまないが、対象は審神者だ。呪いをかけられたのは俺の主なのだから。
     呪具がどうなったかって? 真っ先に気にするのはそこか? ははっ、いやそこか。君は話してみると案外楽しい人だね。連中のことだから似たような物をまた作っていそうではあるが、あの鏡は俺が壊した。それで見習いさん、俺が君の言うところの成仏ができないのは、呪具を壊すべきだったか壊さないべきだったか。未だにどちらが正しかったのか、わからないからだよ。

     さて、順番に話していこうか。俺は聚楽第の第二回特命調査で本丸に配属されることになった。君は俺の主についてどの程度知っているのかな? ……なるほど、見習い君よりは知っているようだ。
     そう、彼女は優秀な審神者だったが出陣を拒否するようになり、ついには退任に追い込まれた。何故出陣を拒否するようになったかはわからない。さっきも言っただろう? 刀の切れ味や見目ではなく、共に過ごした年月でお気に入りを決める人だ。配属が遅かった、ただそれだけの理由で俺は冷遇されていたからな。理由を計り知れるほど、主の近くにはいなかった。
     主はお気に入りの偽物君を近侍にしていたが、彼女が出陣を拒否するようになると、生意気にも偽物君の方も近侍を拒否するようになり、それからは顕現された順番で日ごとに近侍を担当することになったんだ。

     彼女が退任する五日前、俺は近侍だった。出陣は拒否しても日課の鍛刀はしていたから、近侍の俺は執務室ではなく鍛錬所で主を待っていた。しかしいつまで経ってもやって来ない。ついに鍛刀まで放棄するかと呆れつつ執務室に迎えにいくと、何故か閉じた障子の向こうからこんのすけの声が返ってきた。
     そうか、普通は疑問に思わないか。一般の審神者にとってこんのすけはサポート役だが、主にとっては監視役だった。だからこんのすけを嫌い、遠ざけていた。
     こんのすけであることに疑問を抱きながらも、許可が下りたので部屋に入れば、主が部屋の真ん中で倒れていた。駆け寄って抱き起せばすぐに目を覚ましたが、様子がおかしい。彼女は目を大きく見開き、身を強張らせた。お気に入りの偽物君ではなかったからではなく、見知らぬ他人に触れられ恐怖を感じている、そんな顔だった。

     ──あなたは誰、ですか?

     俺を押しのけ、後ずさりをし距離を取ってからそう言った。冗談でないことは見ればわかった。それにもし見てわからなかったとしても、冗談を言い合えるほど親しい仲ではなかったからな。

     目の前の事態を飲み込めずにいる俺に対し、こんのすけは用意していた台本を読むかのように、すらすらと淀みなく言った。

     ──お目覚めになるのを心よりお待ちしておりました主様。貴方こそがこの本丸の主です。

     側には主の持ち物とは思えない品の悪い華美な装飾の手鏡が転がっていた。先に言っておけば良かったな、政府は呪具の所持や使用を認めているわけではないよ。表沙汰になれば、当然厳正に処分する。表沙汰になればね。
     そんなリスクを背負ってまで彼女の記憶を奪ったのは、推測になるが、後任が他の家の者に決まったからだろう。先代の時は間髪入れず彼女を本丸の主に宛がったのに、出陣を拒むようになった彼女を放置し続けていたのは、彼女の家にはもう次の駒がなかったからかもしれないね。

     あの狐はその後も好き勝手しゃべっていたよ。トラウマ治療の一環で一時的に記憶を封じましたと話した時には、思わず笑いそうになったな。
     見習いさん、君の考える審神者と刀剣男士の関係はどういうものかな? たとえ主が悪事に手を染めようとも忠誠を誓い続ける刀剣男士の姿を思い浮かべるのかな? 君が師事する審神者は、おそらく俺の知っている男のはずだけど、あの男の元にいれば君がそんな風に思うのも不思議ではない。
     だが誰もが無条件に自分を顕現した人間を主と認めるわけではない。少なくとも俺は違う。才能と環境に恵まれていながら、責務を放棄した審神者に忠誠を誓うつもりはない。呪具を使ったやり方を認めはしないが、こんのすけから力ずくで呪いを解く方法を聞き出そうとは考えなかった。

     こんのすけは他の刀剣男士に説明してくると言い部屋を去り、俺は彼女のお守役として部屋に残った。記憶を失った彼女には、管狐より人の形をした俺の方がいいと判断したんだろうな。こんのすけは必要最低限のことしか話さなかったし、話を聞いている時の様子からして、本当に何もかも忘れてしまったようだから、俺はまず彼女に名乗った。

     ──山姥切さんと私はどんな関係なんですか?

     ああ、君にはこの衝撃は理解できないか。『山姥切』と認識されるべきは偽物君ではなく俺だ。それは間違いない。だが、俺が不在だった期間は長く、偽物君は山姥切のやの字を取ってまんば君なんて呼ばれていた。……我ながら情けないことに、山姥切と呼ばれ動揺したんだ。本丸の景色に見覚えはあるかと言い話をそらし、障子を開けて庭を見せた。
     その日も今と同じ、春の庭の景趣だった。俺はね、見覚えがあるか聞いたんだ。多少の言い方の違いはあれど、はいかいいえで返ってくるのだと思っていた。けれど実際は違った。

     ──すごい、きれいですね。

     ずっと不安そうにしていたのに、顔をほころばせ感嘆の声を上げる。前に主は自分のことを『美しい物を美しいと感じる心がない』と言っていた。なのに彼女は一刻のこととはいえ、不安を忘れ桜の美しさに感動している。

     俺は桜を見つめる彼女から目が離せなかった。きっとあの時から、呪具でまったくの別人になった主に、俺は惹かれていたのだと思う。


     今思えば、彼がいなければまた違った展開になったかもしれない。誰かって? 御手杵さ。こんのすけの話の補足をしていると、御手杵が執務室に一人でやって来た。彼は大広間でこんのすけの説明を聞き、主の記憶喪失が本当か確かめにきたんだ。

     ──なあ主、俺のことわからないのか?

     主の前に胡坐をかいて座り、威圧感を与えないため背を不自然なほど丸めていた。主が謝ると、彼は先代から譲渡された際の騒動について彼女に話した。俺もその時は政府で働いていたから、先代が燭台切、鶴丸、謙信の三振り以外はすべて所持していたのに、彼女が七振りしか引き継がなかったのは知っていた。でも大のお気に入りであるあの七振りでさえ、当初は冷たくあしらっていたというのは、なかなかに興味深い話ではあったな。
     主は思い出せないことを再度御手杵に詫びる。彼女は頭を下げていたから見えていなかったが、御手杵の目は興奮でギラついていた。

     ──戦に出てもいいか?

     彼の名誉のために断っておくが、俺と違い御手杵は彼女を主として認めていたよ。だが戦に出られなくなり一年、彼の実力に見合った合戦上に最後に行ったのはさらにそれから半年ほど前。武器意識の強い彼に冷静になれと言う方が無理がある。

     ──それがみなさんの仕事なんですよね?

     その言葉がどれほどの重みがあるかも知らず。当たり前のことを聞かれ困惑する主に対し、御手杵はガッツポーズをし喜びを爆発させた。かと思えば、主を俵担ぎし部屋を飛び出していった。
     彼が時折突飛なことをしでかすのは知っていたが、まさか主を担いで連れ出すとは思わないだろう? 急いで二人を追いかければ、御手杵は混乱の最中にある大広間に主を担いだまま突入した。

     ──主から出陣の許可が出たぞ!

     彼は賢かったよ。実に無駄のない運びだった。騒ぎを大きくしないため一人で抜け出し、寵愛を受けている自分で真偽を確かめ、言質を取ればすぐさま行動し、一気に場の流れを変える。御手杵が思ったとおり、彼の一言で皆目の色を変え、我も我もと部隊への編入を求めた。

     彼らの気持ちは理解できるが、あまりに主を蔑ろにしている。いい加減にしろと俺が一喝すれば、場は水を打ったように静かになった。俺は御手杵に彼女を下すように言うと、彼女の手を引き上座に座らせた。そして各刃、主に名乗るよう命じた。
     君は俺が一期一振を嫌っていると勘違いしているかもしれないが、俺の考えを真っ先に汲み行動に移した彼には感謝している。彼は主の前に座ると首を垂れ名を告げた後、変わらぬ忠誠を誓った。
     彼の弟たちがその後に続き、三条、三池、青江と刀派ごとに名乗る流れになった。政府のやり方に反対する連中もいたことはいたが、記憶を失った主に名乗ること自体には異を唱えなかったな。

     当時本丸には九十三振り所属していて、俺と御手杵を除けば九十一振り。九十振り目の泛塵が終わると、皆の視線が九十一振り目に集まった。けれどあいつは柱に背を預け動こうとしない。御手杵が空気を読まずに主の前へ行くよう言うが、兄弟刀の言うことすら聞かなかったんだ。予想どおり、御手杵を無視し大広間を出ていこうとした。

     ──待って。貴方の名前は?

     主が立ち上がり、その背に尋ねる。皆が固唾を飲んで成り行きを見守った。

     ──……山姥切国広だ。

     彼女の一番のお気に入りは偽物君だった。偽物君にだけ彼女の方から声をかけたのは癪に障ったが、俺も皆と同じで彼女の記憶が戻るか確かめたかったんだよ。
     それで、主が偽物君に何と言ったと思う? 俺の顔を見て、それから『貴方も山姥切さんなんですね』って。ははっ、あの時の偽物君がどんな情けない面をしていたか、見てみたかったな。あいつは振り返ることも言葉を返すこともできず、そのまま逃げていった。


     出陣の命こそ流されるままにだったが、指揮を執る姿にはやはり天性の才を感じた。記憶のない状態で上田城に行くと言った時はどうなるかと思ったが、彼女はやり切った。戦装束を血で染めて帰ってきた部隊を見ても動じなかったのは恐れ入ったよ。
     皆の心配を余所に翌日になっても彼女の記憶は戻らなかった。本丸の雰囲気は完全に、御手杵が望むものになっていた。顕現されてこの方戦に出たことがない者もいたし、鬱々としていた主が明るくなったのを見て考えが変わった者もいた。俺? そうだな、彼のせいばかりにしてはいけない。俺も望んでいたのかな?

     その日の近侍は北谷菜切の予定だったが、仕事の面白さに目覚めた彼女に付き合うには、俺の方が向いていた。心苦しかったが、彼が近侍にこだわりがなくて良かったよ。
     昨日は上田城への出陣一回きりだったが、希望者はすべて出陣させると主は宣言し、皆を満足させたうえ最大の戦果が見込める出陣先と部隊編成を考え、実行した。希望者が多かったから何度も出陣を繰り返し、食事を取る暇すらなかったが、主も出陣した部隊も、皆が水を得た魚のように生き生きとしていた。
     俺もあの時ほど近侍のやりがいを感じたことはなかった。優秀な人の仕事を見るのは楽しいものだ、俺の助言でさらに質の高いものになるなら尚更な。

     ──山姥切さん、過去の出陣記録見せて。

     ただ、山姥切と呼ばれるのは調子が狂った。俺こそが山姥切だ、山姥切と呼ばれるのは何らおかしくないが……仕事に支障が出るので長義と呼ぶよう主に頼んだ。それから敬語は必要ないと。

     ──わかった、長義ね!

     君たちで例えるなら、名字にさん付けなんて他人行儀だから名前で呼んでほしい……といったところかな? 基礎的な知識が欠けている彼女は俺の言葉をそう解釈し、子供のように喜んだ。訂正しなかったのは、きっとその姿を好ましく感じたからだろう。

     二日目の近侍の任を終えたのは、日が変わる頃だった。自分の部屋に戻ろうとする俺を、彼女が引き止めた。何かと思えば、明日買い物に行く時間は取れるかって聞くんだ。主のスケジュール管理も近侍の仕事の一つだから……言っていなかったな、当面近侍は俺に任せたいと彼女からの要望があってね。
     買いたい物を聞けば、身の回りの物を買い替えたいと彼女は言う。そう言われて思い出したのは、以前近侍をした時のことだった。どういう経緯でそんな話になったのか。忘れてしまったが、珍しく主と仕事以外の話をした。

     ──私には美しい物を美しいと感じる心がないから。

     買い替えたいと言うが、彼女の部屋にある物はすべて一級品だ。俺たちのように付喪神になってもおかしくない品、といえば君にも想像しやすいかな? けれど記憶を無くす前の彼女は、いいとされる物を、いいとされるように配置しているだけで、そこに自分の感情はないと言っていた。

     本人は決して口にしなかったが、監査官として政府にいた俺は、彼女の境遇はある程度知っている。彼女は妾腹だ。そんな顔しないでくれ。君たちが眉をひそめる差別用語をあえて使ったのは、御三家の連中が実際に言っていたからだ。彼女がどんな扱いをされていたか、わかるだろう?
     周りの者に馬鹿にされないよう知識を身に着け、何が良いとされるのか見極める目を持つことができた。ただ、どれだけ努力してもその良いとされる物を美しいと感じる心は手に入らなかった。
     そんな彼女が身の回りの物を買い替えたいと言ったんだ、気になるだろう? どんな物がいいのか聞くと、あれほど語彙のあった人が、もっと明るい色でかわいらしくてけどきれいさもあってと凡庸な言葉を並べていく。

     ──庭の桜みたいにきれいで、ずっと眺めてたくなるようなのがあればいいな。

     けれど、確かにそこには感情があった。


     主は御三家の審神者で、なおかつ退任後は軍事裁判にかけられる予定の人物だ。当然、本丸の外へ出ることは禁じられている。ではどうしたかというと、端末で万事屋の担当者と繋いで欲しい物を届けさせることにした。御三家の審神者がよく利用していた方法さ。
     君たちは専用サイトでのオンライン購入の方が気楽でいいと思うだろうが、この方法にもメリットはある。彼らは顧客より顧客の欲しい物を知っている。顧客が何を求めているのか瞬時に判断し、最も相応しい商品を勧められる体験をすれば、専用サイトでは満足できなくなる。
     今後に備えて身の回りの物をそろえるつもりだと言えば俺が思った以上に効果があり、出陣希望だった連中も明日でいいと自ら辞退し、夕刻には仕事が終わった。事前に伝えていた時間より早くなったが、万事屋の担当者はお久しぶりでございますと実ににこやかに挨拶をすると、事前の要望に対応した物を順に説明していった。俺から見れば、完璧なラインナップだった。けれど彼女はどうにも浮かない顔をする。

     彼女が欲しい物の一つに、文箱があった。彼女がその時持っていたのは、芙蓉の高蒔絵仕上げの文箱で、恐らく君が想像するのと桁が一つ違う代物だった。……それだと君が思っていたのと桁が二つ違うかな? 四捨五入すれば三桁になる。ははっ、名だたる名剣名刀の主になろうとしているのに、そんなに驚くことはないだろう。
     とにかく。その蒔絵文箱も万事屋で買ったのだから、万事屋が同等品の似た物を勧めてくるのはもっともだ。しかし主はどの品を見ても首を縦に振らない。俺が見かねて一度カタログを見てみてはどうかと言うと、彼女はものの数分で気になる物を指さした。
     なんだと思う? 花扇模様の和紙でできた文箱だった。もちろん悪くはないが、値段は君が想像したのと大差ない。万事屋の店員も驚いていたな。
     これだけだと単に物を見る目がないだけに思えるが、次に選んだのは手の込んだ作りの白檀扇子だ。さすがというか、この二品で万事屋は彼女が欲しい物の傾向を掴み、それから勧める物はほぼ即決だった。

     彼女が買う物の傾向がわかったところで俺はお暇しようと思ったんだが、主が俺を引き止め端末を見るように言うんだ。画面には、青い万年筆が映っていた。

     ──これ長義におすすめ。これ長義が持ってたら絶対かっこいい。

     興奮気味にそう言って勧めてくる。記憶を無くす前の主は淡々としゃべる人だったから、幼い言葉使いなのも相まって戸惑った。だが主は俺の反応を間違って解釈したらしく、私がプレゼントしてあげると言い出した。
     その時の俺は、普段の俺らしくない方法で誤解を解こうとした。……違うな。誤解を解こうと思うより先に、それでは俺も君に何か贈ろうと言っていた。

     ──え、いいの? ありがとう!

     遠慮するかと思いきや、嬉しそうにはしゃいで。何がいいかと聞いても、長義が選んでと言ってくる。彼女の記憶では俺は会って三日目の男のはずなのに、ずいぶんと無理難題を言うと思わないか? 不思議なことに悪い気はしなかったけどね。

     万事屋が小物入れはどうかと助舟を出してくれ、お勧めの商品をいくつか紹介される。万事屋の話を聞きつつカタログを見ていたら、王冠型の小物入れが目についた。ピンクとシルバーの淡い色合いに、桜の花をイメージした模様があしらわれていた。
     一目見て、彼女が喜びそうだと思った。だが、万年筆と比べると安すぎる。万事屋の店員に似たような物を探してもらったが、物はそちらの方がいいのに彼女の好みにぴったりなのはカタログで見つけた小物入れで。
     この俺が安物を女性に贈って何も感じないと思うか? 小物入れは諦めて、別の物を探そうとした。だが、彼女は俺の袖を引きこれがいいと言った。

     ──私はこのジュエリーボックスがいい。

     俺に選んでほしいと言っていた側から、これ以外は嫌だと言いだす。仕方がないから、花束を付けることで妥協したよ。配送は三日後になると言われた、本来なら主が退任する日だった。


     四日目の大きな出来事といえば、前田藤四郎が顕現されたことと、それから主が先代の奥方の着物を着たことだろうか。
     まずは着物から話そうか。彼女はその日花喰鳥の小紋に袴を履いていた。以前の主なら着ない系統の服だった。彼女は俺から褒めてもらうのを待っていたから、きちんと褒めたよ。引っかかりのある言い方? ……似合ってなかったからな。彼女は柄が大きい寒色の生地の物をよく着ていたが、好みがなかった分、自分に似合う物を選んでいた。普段似合う物を着ているからこそ余計に、真逆の細かな柄の小紋は違和感を強調させた。

     もちろん俺は悟られるような真似はしなかったが、刀剣男士の中には取り繕うのが苦手なやつもいるし、前の方が良かったと善意で言うデリカシーがないのもいる。……おっと失礼、あの時の彼の反応の意味が、今になってわかったものだからおかしくて。

     ──それは……。

     ──人妻の小紋だ! 主、伏し目がちに微笑みながらお菓子ちょうだい!

     一期一振と包丁藤四郎に会って、見慣れない着物の正体が判明した。彼女が着ていたのは、先代の奥方の着物だったらしい。記憶を失った彼女が知っているはずはなく、自分の好みに合う服を探して押入れをあさっている時見つけたんだそうだ。
     一期一振はもっと上手く取り繕えるはずの刀なのに、ぎこちなくしゃべる彼が当時は不思議だったんだが、主のフォローをしている余裕なんてなかったんだろうな。

     せっかくの着物がほめられずふてくされこそしていたが、仕事は滞りなくこなし、昼過ぎ行った日課の鍛刀で前田藤四郎がやってきた。俺が配属される前の話だから詳しくは知らないが、前田藤四郎は三年半ほど前に池田屋で折れ、それ以来顕現していなかった刀だ。これも今となって思うことだが、もしかして彼もこの本丸に来て、君が言うところの幽霊をやっていたのかもしれないな。
     池田屋で折れた彼のことを知る者の方が少なくなっていたが、それでも長らく不在だった兄弟刀の登場に、粟田口の刀たちの喜びようといったらなかった。そして普段気遣いができる彼らが、少しだけ意識が疎かになった。前田藤四郎が来た喜びを、彼女と共有しようとしたんだ。
     確かに主も新しい刀が来たことを喜んでいた、けれど粟田口の刀たちと同じほどに喜ぶことはできない。彼女にとってはまったくの見知らぬ刀なのだから、当然だろう。

     着物、前田藤四郎、そして最後の駄目押しが偽物君だ。あの大広間での一件以来姿を隠していたのに、前田藤四郎の話を聞きつけて鍛錬所に現れた。主としては、話題を変える絶好の機会だと思ったんだろう。誰よりも先に偽物君に声をかけたんだが、偽物君は彼女が着ている小紋を見て顔をしかめた。

     ──何故それを着た?

     それからこう吐き捨てた。

     ──あんたらしくない。

     お祝い気分は一瞬で白けてしまった。言われた直後は予想外の事態に反応できず、言い返そうと思った時には、偽物君は姿を消していった。彼女の中に生じたくすぶりは解消されず、夜にまで持ち越された。

     その日も二日目と同じく日付がまたぐ頃まで仕事をし、俺が自分の部屋に戻ろうとした時、主はまた俺を引き止めた。彼女は立ち上がると、障子を開けた俺の前に立ち、俺との距離を詰める。その後の展開が読めたので障子を閉めると、彼女は俺に好意を告げた。

     ──私、長義のことが好き。

     自分でも驚くほどに、その時の俺は冷静だった。君の好意は嬉しいが俺は人ではない、君の望むような関係にはなれない……そんなことを言ったかな? 普通は察して身を引くものなのに、彼女は食い下がって自分のことを女として好きかどうか教えてくれと言った。もっとも、好きという回答以外受けつけるつもりはなかったようだが。

     そう言うと見習いさんは彼女を浅はかな女だと思うかな? けど俺の彼女への態度を実際に見れば、むしろ何とも思わない方が鈍感すぎると思うだろう。
     俺は呪具でまったくの別人になった主に惹かれていた。だが、彼女の好意を素直に受け止めることはできなかった。立場上の問題はあるがそれより、彼女は本当に俺自身を好ましく思っているのか疑念があった。
     主は刀の切れ味や見目ではなく、共に過ごした年月でお気に入りを決める人だった。彼女にとって重要なのは出会う順番であり、以前の彼女が初期刀の偽物君を愛したように、記憶を失った彼女にとって初めての刀である俺を、彼女は好きになったのではないか。

     公言はしていなかったけれど、主と偽物君は愛し合っていたんだ。気づいている者は少なかったんじゃないかな? 俺も二人が桜の木の下で口付けしているのを見るまでは、主が偽物君に向ける感情は愛玩動物を愛でるのと似たようなものだと思っていたよ。
     恋人がいる以上、彼女の好意を受けるわけにはいかない。記憶をなくす前の君と偽物君は恋人同士だったと伝えれば、彼女は顔を真っ赤にして俺の頬を叩いた。

     ──私は私だ! 今の私を見てよ!!

     ──あんたらしくないって何!? 私が私らしくして何が悪いの!!

     ──私は長義が好きなの! 長義は? 長義は今の私をどう思ってるの?

     金切り声を上げ、人の服を掴んで揺さぶる。他の連中への不満まで俺にぶつける。俺はこういう理知的でない行動をする女性は嫌いなはずなんだが、愛おしさの方が勝った。好きだと告げれば、彼女の手は止まった。けれど、それだけでは彼女は満足しない。彼女はいつだって感情がぶつかり合うことを求めたから、好きだともう一度告げて口づけをした。


     彼女が記憶を失わずにいたら、次の日は本丸最後の日になるはずだった。親しい者とそうでない者とで差をつける人だったから、本丸全員が参加する宴会なんてそれまで開いたことはなかったが、せめて最後の日は皆で集まろうと決めていたんだ。
     記憶を失った彼女は今後も審神者であることを望み、宴会を開く理由はなくなったけれど、主に聞くと……元々の開催理由はごまかした……彼女は開催に乗り気だった。無理をしていないか心配だったが、俺の杞憂に終わった。彼女は俺が思っているよりしっかりしていて、それまで話をしたことがない者を中心に話しかけ、宴会を楽しみつつ部下との交流を図っていたよ。そうそう、主が山鳥毛に臆せず突撃していった時の、猫殺し君の反応といったらなかったな。
     ただ俺は、酒飲みが節操なく飲んで騒ぐのを見るのが好きではなくて。彼女を見れば江の刀たちと盛り上がっていたのもあり、途中で抜け縁側で涼んでいた。……言っておくが、別に酒に弱いんじゃない。あまり好きではないだけだ。

     景趣は彼女が記憶を失った日から変えておらず、春の庭のままだった。だが昼の桜と夜の桜では、見せる表情が異なる。昼の桜を見て美しいと感動していた彼女は、今俺が見ているこの桜を何と評するのだろう。そんなことを考えていたら、彼女が徳利とおちょこを持ってやって来たんだ。
     主役がこんな所にいてはいけないだろうと言うと、恋人を置いて消えた長義が悪いと彼女が言う。確かにそうだと俺が返せば、彼女はいたずらっぽく笑い、俺の隣に座った。
     人目に付かない場所を選んだのに、何故俺の場所がわかった? 思いつく場所を片っ端から探して回ったのかな? 俺の意地の悪い質問に、彼女はそうだよと恥じることなく答え、俺の腕に抱き着いてきた。

     ──桜、すごくきれいだね。一緒に見れて嬉しい。

     彼女の顔は見えなかったが、それでも俺は何故この人に惹かれたのかわかった気がした。

     彼女が持ってきた酒に手をつけず、会話らしい会話もせず。彼女と二人、夜桜を眺めるだけで気持ちが満たされた。いつまでもこうしていたいと、俺らしくないことを思いもした。
     どのくらいそうしていただろう。俺の体感ではすぐに終わってしまったが、こればかりは当てにならない。人の気配を感じたんだ。最初は彼女を呼びに来たのかと思ったが、わずかに血の臭いがし、俺は彼女に離れるように言った。始めこそ不満げだったが俺の様子を見、彼女も審神者の顔に切り替わった。
     現れたのは偽物君だった。彼女は安堵のため息を吐くも、宴会に一人だけ参加しなかった彼が、あの手鏡を持って現れたのだから、警戒は解かなかった。
     主の記憶を奪った呪具の手鏡は、こんのすけが政府に持ち帰っていた。それなのに血の臭いをさせた偽物君が、こんのすけが保管しているはずの手鏡を持っている。

     ──これを割ればあんたの記憶は戻る。

     開口一番に偽物君がそう言うと、彼女はもちろん怒ったさ。過去の記憶は私には必要ない、私は私として生きると。主の迷いのない眼差しに、偽物君も納得すると思った。見習いさんは楽観的だと思うかもしれないが、少なくとも他の元お気に入り連中は、生まれ変わった彼女を受け入れていた。

     ──あんたの意思をあんたが蔑ろにするのか?

     けれど偽物君は違った。淡々と紡がれた言葉には、怒りが滲んでいた。彼女が恐怖を感じ隣にいる俺にすがったのが面白くなかったんだろう。怒りが抑えられなくなり、あんたが嫌った連中の思惑通りになっていいのかと言ったかと思えば、何故出陣を拒むようになったと過去を蒸し返しもする。自分の思いつくままに、いろんな何故をぶつけ、繰り返し、最後に……。

     ──何故俺に何も話さなかった!? この五年は、あんたにとって何だったんだ!

     近くにいた者には、近くにいた者なりの苦悩があったというわけだ。

     ──山姥切さん、私はそれでも……。

     ──俺をそんな風に呼ぶな!!

     偽物君は惨めったらしく泣いていた。彼女を一方的に責めるのには腹が立ったが、毒気を抜かれてしまってね。俺はもう気がすんだか? と言い、彼女と宴会の会場に戻ろうとしたが、彼女は俺の手を払いのけ、偽物君の前に立ち彼の頬に両手を添えた。

     ──ごめんね、まんば君。

     そう言った次の瞬間には飛びのき、慌てて偽物君に詫びていたが、どうして自分がそんな言葉を口にしたのかわからず、戸惑っているのが見て取れた。
     主は、偽物君のことをまんば君と呼んでいた。俺の知る限り、彼の愛称を知る機会などなかったはずだ。もし仮に誰かが教えたのだとしても、あの状態の偽物君にまんば君と、主が親しみを込めて呼び続けた名を口にするわけがなかった。

     俺は責務を放棄した審神者に忠誠を誓うつもりはないと言ったね。ああ、そのとおりだ。この俺がそんな審神者に何故……けれど見習いさん、俺はそれでも彼女の刀なんだ。彼女の中に主がいるとわかれば、選ぶ道は一つだった。
     偽物君に鏡をよこせと言えば、偽物君は抗うことなく俺に渡した。言わずとも俺の考えは伝わっていたが彼女は……俺が鏡を振りかざすまで俺のことを信じていた。

     ──長義、やめて!!

     それが彼女の最後の言葉だった。伸ばした手が俺に届くことはなく、彼女は意識を失った。


     記憶を取り戻した彼女は、軍事裁判にかけられるとわかっていても退任する道を選んだ。誰も俺を責めなかったし、五日間仕事に邁進した彼女を惜しむ者もいなかった。ずいぶんと薄情だと思わないか? あれほど持ち上げておきながら、やはり皆自分を生み出した主を選ぶんだ。
     彼女は刀剣の譲渡を認めなかったから、本丸解体にあたり、所属している刀剣男士はすべて刀解される。顕現されたばかりの前田藤四郎を除き、顕現されたのが遅い順に一人ずつ鍛錬所へ呼ばれた。俺は十九番目、すぐに順番が回ってきた。
     その日の彼女は珍しく洋装だった。パンツスーツにボウタイブラウスを着て、よく似合っていた。

     ──長義、それは何?

     彼女は俺が持っている小箱を見ていた。差し出せば俺の顔を見た後、リボンを解き箱を開けた。

     覚えているかな? 万事屋で小物入れを買っただろう。主が元の主に戻った次の日、届いたんだ。けれど、どうしてもこれがいいと言った贈り物を、彼女は触ろうともしなかった。彼女にとってその小物入れは、自分の好みでも何でもない、単なる安物に過ぎなかった。

     最後にもう一度、好きだと言ってほしい。

     どの口がと思うだろう? 突然そんなことを言われ、彼女も驚いていた。馬鹿なことを言っていると自覚はあった。けれどそれが俺の願いだった。長義と俺を呼ぶ声に、表情に、彼女の面影は何も残っていなかったけれど。それでも彼女に、最後に……。

     ──好きだったよ。

     求めた言葉に似ていて、けれど異なるものだった。

     ──彼女は長義のこと、本当に好きだった。

     主にはあの五日間の記憶があった。記憶がないのをいいことに、自分の体を好き勝手した男を罵倒すべきなのに、彼女は俺を憐れんだ。それ故に残酷でもあった。責めているわけではないと前置きしてから、主は言った。

     ──どうして彼女を選んであげなかったの?

     見習いさん、君の考えを聞かせてほしいな。俺はどうするべきだった? 呪具を壊した俺は、間違っていたのか? 壊さなければ、あの幸福が永遠に続いたのか? 本当に? 彼女は偽物君をまんば君と呼んだのに? なあ見習いさん、俺はどうするべきだった?


    さいこ Link Message Mute
    2023/07/09 1:09:28

    五日間の恋

    とうらぶホラーのようなシリーズ名ですが、ホラーではありません。審神者見習いが刀剣男士の幽霊(?)に会い彼らの話を聞くシリーズ。かなり期間が空きましたが、長義さに回できました。
    次回の燭さに回はもう少し早くできる予定。燭台切さんは出てきてすらないので、今回燭さにタグなしです。

    #刀剣乱夢 #刀さに #女審神者 #長義さに #見習い

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