シックスマンメーカー~黄瀬涼太の黒子育成プレイ日記~プロローグ
昔々、とある王国が存在していた。王国は緑豊かな土地にあり皆が平和に暮らしていたが、魔王軍の攻撃に遭い壊滅的な被害を受けた。
皆が未来への希望を失っていた時、一人の男が立ち上がり、見事魔王を退けたのだった。
救国の英雄と呼ばれるようになった男は、民の心の拠り所になればと、バスケというスポーツを人々に教えた。バスケは復興のシンボルと位置付けられ、瞬く間に国中に浸透した。
その様子を天から覗いていた天使が一人……。
「スゴイです、ボクもバスケしてみたいです!」
天使は先輩天使にバスケがしたいと頼み込む。天使は大人しい子供だったが、人一倍頑固だ。駄目だと言って、大人しく引き下がるとは思えない。
しかし、天使は天界で生まれ育った純真無垢な存在。欲望渦巻く地上に行かせるのは心配だ。
悩んだ末、先輩天使は救国の英雄に天使を預けることにした。
「この子の名は黒子テツヤ。黒子君をアナタに託すわ、彼を立派なバスケットプレーヤーにしてちょうだい」
こうして英雄は、黒子テツヤを18歳まで育てることになった。彼の未来は、英雄であるアナタ次第……。
プレイ日記~黄瀬涼太の場合~
ある日黄瀬は、スマートフォンに見知らぬアプリがダウンロードされているのに気付いた。
「シックスマンメーカー?」
水色の髪をした男の子のアイコンには、そう書いてあった。アイコンだけではどのようなアプリかわからないし、ダウンロードした覚えのないアプリなど怪しいことこの上ない。すぐに削除すべきだが、黄瀬はスマートフォンを前に固まった。
それというのも、アイコンの男の子が彼の思い人そっくりなのである。
「黒子っちデフォルメしたら、こんな感じっスよね……」
更にアプリの名称も悪い。シックスマンなんて、彼の思い人である黒子テツヤを連想するなという方が無理な話である。黄瀬はしばし悩んだが、誘惑には勝てなかった。
アプリを起動させると軽快な音楽が流れてきて、画面に『シックスマンメーカー』とタイトルが表れた。そして少しするとその下に『Touch Screen』と表示が出、黄瀬は言われるまま画面をタップした。すると今度はプロローグを見るかどうか聞いてきた。
シックスマンメーカーというこのアプリは、どうやらゲームらしい。メーカーと付くくらいだから、シミュレーションゲームだろう。黄瀬がプロローグを見ると選択すると、今度はおどろおどろしい音楽が聞こえてきた。
『昔々、とある王国が存在していた。王国は緑豊かな土地にあり皆が平和に暮らしていたが、魔王軍の攻撃に遭い壊滅的な被害を受けた。
皆が未来への希望を失っていた時、一人の男が立ち上がり、見事魔王を退けたのだった。
救国の英雄と呼ばれるようになった男は、民の心の拠り所になればと、バスケというスポーツを人々に教えた。バスケは復興のシンボルと位置付けられ、瞬く間に国中に浸透した。
その様子を天から覗いていた天使が一人……。
「スゴイです、ボクもバスケしてみたいです!」
天使は先輩天使にバスケがしたいと頼み込む。天使は大人しい子供だったが、人一倍頑固だ。駄目だと言って、大人しく引き下がるとは思えない。
しかし、天使は天界で生まれ育った純真無垢な存在。欲望渦巻く地上に行かせるのは心配だ。
悩んだ末、先輩天使は救国の英雄に天使を預けることにした。
「この子の名は黒子テツヤ。黒子君をアナタに託すわ、彼を立派なバスケットプレーヤーにしてちょうだい」
こうして英雄は、黒子テツヤを18歳まで育てることになった。彼の未来は、英雄であるアナタ次第……。』
魔王軍の侵攻に遭っている時の音楽から、爽やかな音楽へと切り替わっていたが、黄瀬に音楽を気にする余裕はなかった。
「クソかわ」
黄瀬は真顔で、画面の中の黒子をガン見していた。鼻血が出てシャツの襟元を汚したが、鼻血を拭う労力も惜しんで黒子を見続けた。アプリを起動したのが自室だったので、黄瀬のモデル人生は終わらずにすんだ。
「これが噂の中1の黒子っち……」
画面の中の黒子は初めて黄瀬と会った時よりもまだ幼い顔をし、前髪は眉が見えるほど短く切られている。薄ら微笑んでいるようにも見えるのは、まだミスディレクションを習得していないせいか。黄瀬はごくりと唾を飲み込んだ。
「イける」
何がイけるのかは定かではないが、黄瀬の呟きの後、バカ野郎という大きな声が聞こえてきた。
「ふざけたこと言ってんじゃんーよ、この駄犬が!!」
「ひっ!」
突然スマートフォンが強く振動し、あまりの衝撃に黄瀬の手から滑り落ちる。黄瀬は床に落ちたスマートフォンを、恐る恐る覗いた。
「その声は……笠松先輩?」
「そうだ、オマエの執事の笠松だ。これからよろしく頼む」
「へ? 執事?」
画面の中には主将の笠松が――WC後引退したので正確には元主将だが――、眉を吊り上げて立っていた。
「オマエが6年間、透明少年を育てるののサポート役だ。まずはゲームの進め方を聞くか?」
「いらないっス。それより黒子っち見せてください」
画面には笠松のドアップが映っているため、黒子の姿は隠れてしまった。
「初めてなんだから、ちゃんと説明聞け!!」
「スンマセン!!」
再びスマートフォンが振動し、どういう原理か黄瀬の頭を直撃した。
~笠松執事のよくわかる解説~
いいか? このゲームの目的は中1から高3までの6年間で、黒子を伝説のシックスマンにすることだ。
まず月の始まりに上旬と下旬、それぞれ黒子に何をさせるかオレがお前に聞く。そこでオマエは『習い事』・『アルバイト』・『休息』・『武者修行』の中から、黒子にさせることを選べ。
『習い事』はその名のとおり、金を払って黒子を鍛える。習い事には複数種類があるが、ここでの説明は省略する。後で実際に自分で見て確認しろ。……ああ、これだけは言っておかないとな。王国は高校まで義務教育だが、部活は金を払わないとできない。バスケ部での練習は、習い事に入るから注意しろ。
『アルバイト』はそのままの意味だ。働いて金を稼ぐ。……児童労働は違法だと? 慢性的な人手不足の王国でそんな甘っちょろいこと言ってられねーし、そもそも違法じゃなくて制限の間違いだ。更に言うと、オマエの月給は500Gだが習い事は一日最低50Gはかかる。透明少年に働いてもらわないと、満足にバスケの練習もできないってことがわかったか? アルバイトも習い事同様、複数種類用意されている。
習い事にしろアルバイトにしろ、やり過ぎるとストレスが溜まる。そこで『休息』だ。溜まったストレスは休息で減る。あんまりストレスが溜まると病気になるから、要所要所でちゃんと取らせろよ。
最後に『武者修行』だが……これは今説明しなくてもいいな。黒子が武者修行に出られるくらい成長したら、改めて説明する。
一月のスケジュールをこなすと、基本画面に戻ってくる。基本画面っていうのは、透明少年が真ん中に立ってて、周りにパラメーター画面なんかが出てる今の画面のことだ。ここでは透明少年のパラメーターや持ち物を確認する他にも、『会話』したり『街へ出かける』こともできる。一度オレがスケジュールを確認する画面に行くと、もうこの基本画面には戻れないから、やり忘れのないように注意しろよ。
パラメーターの説明もしないとな。黒子の状態は『体力』・『筋力』・『知能』・『気品』・『色気』・『モラル』・『信仰』・『感受性』・『戦闘力』・『社交力』・『バスケセンス』・『ストレス』で表される。この数値で黒子が伝説のシックスマンになれるかが決まってくる。
習い事やアルバイトをして黒子を鍛えて、能力を上げろ。中には能力が下がる習い事やアルバイトなんかもあるから、ちゃんと確認しろよ。ちなみに、今の黒子のパラメーターはこうだ。最高999までいく。
体力:10
筋力:8
知能:16
気品:28
色気:20
モラル:30
信仰:5
感受性:38
戦闘力:17
社交力:24
バスケセンス:7
ストレス:0
「解説は以上だ。だが、オマエにどうしても言っておかないといけないことがある」
「何っスか?」
「青峰の知能は45だ」
「言われなくても、絶対45以上にするっス」
基本画面には、笠松が言っていたとおり黒子が立っていた。中1の黒子……改めて意識すると自然と息が荒くなったが、スマートフォンが震え始めたので、黄瀬は自分の頬を叩いて己を制した。黄瀬はできるだけ黒子を見ないように努めつつ、まずは『会話』を選んでみた。笠松の追加解説によると、会話は一月に3回できるらしい。
「おはようございます黄瀬君」
「黄瀬君、これからよろしくお願いします」
「ボクも黄瀬君みたいにバスケが上手くなりたいです!」
声変わり前の黒子の声でにっこりと微笑まれ、黄瀬が鼻血を抑えられる訳がなかった。また鼻血を流したまま黒子をガン見していたが、早く次の行動しろと笠松に怒られ、黄瀬はようやく『街へ出かける』ことにした。
「雑貨屋、仕立て屋、武器屋、料理屋、病院……か。もっと面白そうな所はないんスかね」
一通り覗いてみるかと、黄瀬は仕立て屋を選んだ。彼が仕立て屋を選んだのは全くの偶然だが、この選択が彼の運命を決定づけることになる。
「いらっしゃいませ~、ようこそ仕立て屋『ベリー・レオ』へ!」
仕立て屋に行くと、画面にずらりと服のリストが並んだ。練習着、帝光ユニフォーム、誠凛ユニフォーム、表紙スーツ、2号の着ぐるみ……。今の黒子は制服を着ているが、店主の解説を聞く限りでは、ここで売っている服に着替えると服の特性に応じた能力が上がるらしい。
「練習着とユニフォームはバスケセンスが高くなる、か。……猫耳カチューシャ(黒)・(白)・(ブチ)の3種類……って高っ! 6,000Gとかぼったくりすぎんだろ」
もちろん3種類まとめて、ではない。その後も黄瀬は画面をスライドし、一つ一つ服を確認したが、ある服の所で手が止まった。
「彼シャツ……」
「まぁ、お目が高い! そう、男のロマン彼シャツよ。もちろんシャツ一枚で勝負、ズボンなんて無粋な物履いてないわ。黒子君の白い太ももが眩しくて、モラルは下がっちゃうけど、その分色気と戦闘力が大幅アップよ。下着を履いているか履いていないかは、アナタの目で確認してね」
下着を履いているか履いていないかは、アナタの目で。下着を履いているか履いていないかは、アナタの目で。下着を履いているか履いていないかは、アナタの目で。
「買います!」
「18,000Gになりま~す」
「ブッ」
「きゃあ汚い!」
黄瀬が吹き出してしまったのも無理はない。18,000Gとは彼の3年分の給料である。
「高っ! つーか、オレの給料が安過ぎ? オレ、究極の英雄の筈なのに何でシャツ1枚買うのに3年かかんの!?」
「究極じゃなくて救国よ」
黄瀬は普段使わない頭をフルに使い、どうすればいいか考えた。3年かけて金を貯めればいいのだが、彼は少しでも早く黒子が履いているのか履いていないのかを、この目で確かめたかった。
第一、3年も待てば黒子は高1になってしまう。高1の黒子のおみ足も申し分ないだろうが、中学時代の黒子のおみ足も拝みたい。それに年齢によって、シャツのダボダボ感も変わってくるだろう。中学時代に190近い男のシャツを着れば、さぞやダボダボに違いない。……黄瀬の中では当然のように黒子は黄瀬のシャツを着ていた。
「そうだ、課金!」
名案が思い付き、黄瀬は伏せていた顔を上げた。
「課金ガチャはどこっスか!?」
「このアプリはお子様にも安心して遊んでもらえるように、課金は一切なしよ」
「バカじゃねぇの運営!!!!!!」
全財産突っ込むつもりの男がいるのに、課金要素がないなんて。黄瀬は雄たけびを上げ、スマートフォンを壁に叩きつけた。
黄瀬のすべきことは決まった。黒子にアルバイトをさせ、シャツ代を稼ぐ。天使のように可愛い(設定では本当に天使だが)黒子に労働を強いるのは心が痛んだが、彼シャツのためだ。仕方がない。黄瀬はさっそくスケジュール画面に移り、アルバイトを選択した。
「アルバイトって言っても色々あるっスね。え~と、教会・農場・ベビーシッター・雑貨屋の店番……農場が一番給料いいっスね」
黒子の性格を考えるとベビーシッターが向いている気がしたが、何より優先すべきは金だ。黄瀬は上旬・下旬共に農場アルバイトを選択した。
画面は切り替わり、農場が映し出される。そこへ3頭身にデフォルメされた黒子がオーバーオールを着て現れた。しっかり働くんだぞと雇用主に言われ、黒子は頷くと鶏の餌やりを始めた。ひょこひょこ動く3頭身黒子に黄瀬が萌え死にしたのは、わざわざ書く必要がないほどわかりきったことだった。
30分ほどして復活した黄瀬が画面を見ると、3頭身黒子は消え、メッセージ欄に『アルバイトが終わりました』と表示されていた。もうあの愛らしい黒子が見えないのかと思うと黄瀬は死にたくなったが、下旬もまだあると自分に言い聞かせて思い留まった。
「だアホ! オマエは邪魔しに来たのか!? 給料はやらん!!」
「へ?」
雇用主の言葉に、思わず間抜けな声が出る。まさかと思い、画面左上にある所持金欄を見ると、金額は初めの500Gから変わっていない。
「どういうことっスか……」
彼の疑問は下旬のアルバイトで解決される。鼻をティッシュで押さえながら黒子のアルバイトの様子を見れば、鶏の餌やりをすれば鶏から追い回され、藁を運ぼうとしても荷車がビクともしない。そしてアルバイト最終日には、上旬と同じ言葉で雇用主に怒られ、所持金欄はやはり500Gのままだった。
「……」
普段の彼なら『ドジっ子黒子っち、クソかわ』とか言い悶えているところだが、今の黄瀬はとにかく金が欲しかった。アルバイトを全て失敗し、無収入に終わった黒子に萌えている余裕はなかった。
一月のスケジュールが終わり、画面は基本画面に戻った。しかし、突然画面が点滅し始めた。
「も、もうダメです……」
「黒子!!」
黒子と笠松の声がし、画面は真っ暗になる。そして再び基本画面が映った時、メッセージ欄に『黒子テツヤは病気になりました』と書いてあった。
「……」
「…………」
「………………はぁ!?」
体力がないのに1ヶ月休みなく働いた黒子は、過労のため倒れてしまった。アルバイトに成功しようと失敗しようと、疲れるものは疲れるのである。
「あんまりストレス溜めんなって言っただろ!!」
「スンマセン!」
「とにかく、透明少年を医者に連れていけ」
黄瀬は王都唯一の病院、クリニック・ホワイトゴールドを訪れた。そこで診察料1,000Gを請求され医者の胸倉を掴んだが、健康保険制度がない王国では全額患者が負担せねばならず、君が普段安価な額で受診できることに感謝しなさいと窘められた。
「今月は何もしないで静養しないといけないな」
「そんなお金が……」
「オマエは透明少年と金、どっちが大切なんだ!?」
「黒子っちっス……」
もっともな主張に黄瀬は何も反論できなかったが、所持金0になって心もとない自分の気持ちもわかってほしいと思った。
「サナトリウムは金がなくてダメだから、オレかオマエのどっちかで黒子の看病しないといけないが……」
「それならオレが!」
「バカ野郎! 仕事はどうするんだ、休んだ分だけ減給されるんだぞ!」
「オレ究極の英雄なのに、雇用体系派遣なの!? っていうか子供が病気なのに休めないとか、どんだけブラック企業なんスか!」
「有給取れるのが当たり前と思うな!」
笠松の鉄拳制裁を受け、黄瀬は泣く泣く黒子の看病を笠松に任せた。その翌月、黄瀬は回復した黒子をまた一月農場に通わせ、笠松から鉄拳制裁を受けることになる。幸いだったのは、二回目からは初診料がないので、診察費用が500Gで抑えられたことだろうか。
「もう自力じゃ無理っス」
黄瀬はゲンドウポーズで呟いた。アプリ内の時間は10月になっていたが、未だ所持金は0である。
7月中は寝込んでいた黒子だが、8月になり働けるまで回復した。黄瀬は反省して、アルバイトをさせるのは上旬だけにし、下旬は休息させようと思っていた。ここでようやく体力値をストレス値が上回ると、病気になることに気が付いたのだ。農場で働くと体力が上昇するとはいえ、黒子の体力初期値は10であり、簡単にストレスが体力を上回る。
だがスケジュール画面に移る前に、笠松が今年は王国始まって以来の猛暑だと言い始めた。熱中症で倒れる者が後を絶たず、異国で開発された『せんぷうき』なる物を買えば、熱中症対策になるという。せんぷうきの値段は500G。買わないとどうなるか何となく予想は着いたが、黄瀬は金を惜しんで買わなかった。そして彼の予想どおり、黒子は熱中症で倒れて一月寝込んだ。
9月になり、暦の上では秋だと言い張り、黄瀬はやはりせんぷうきを買わなかった。だが秋なのはあくまで暦の上だけであり、黒子はまた熱中症で一月寝込んだ。翌月になり黄瀬はもう大丈夫だろうと思ったが、異常気象で猛暑はまだまだ続くと笠松から脅され、泣く泣くせんぷうきを買った。
「この調子だと、冬にはコタツ買えとか言われそうっス。で、コタツもやっぱりオレの給料1ヶ月分に違いない」
このゲームは課金をさせないくせに、ゲーム内貨幣はどんどん搾取していくのだと黄瀬は知った。料理屋で売られているバニラシェイクが100Gするなど、悪意しか感じない。
黄瀬はネットでシックスマンメーカーの攻略情報を探したが、このゲームに関する情報は行どこにも見当たらなかった。そこで彼が出した結論は、このアプリは黒子テツヤと親しい人物にのみ送られたのではないかというものだった。根拠は何もないが、強ち間違ってはいないと思う。
黒子と親しい人物で思い浮かぶのは、火神を始めとする誠凛のメンバー。しかし火神以外の人物とはほとんど交流がなく、頼るとしたら火神だが、黄瀬がこれほど苦労しているのに彼が彼シャツを手にしているとは思えない。
残るは中学の同級生であるキセキだが、緑間は論外だ。黄瀬は彼を苦手としているし、彼の性格上彼シャツを買ったとしても決して他人には明かさないだろう。最も彼シャツを買うとしたら青峰だろうが、火神と同じ理由でパスだ。
そうなると紫原と赤司のどちらかになるが、黄瀬は確実性を求め赤司に電話した。
「もしもし? 珍しいな黄瀬が電話してくるなんて」
「赤司っち、ちょ~~っと聞いてみたいことがあるんスけど……シックスマンメーカーってゲーム知ってる?」
黄瀬は平静を装っていたが、内心気が気でなかった。しかし、赤司の答えは簡単なものだった。
「ああ、今やっている最中だよ」
黄瀬は学校の廊下にも関わらず、大きくガッツポーズをした。どうやって手に入れたかも気になるが、今はそれより優先させることがある。
「じゃあさ、じゃあさ! 仕立て屋で服買ったことある?」
「全種類そろえた」
「全種類!?」
黄瀬は学校の廊下にも関わらず、奇声を上げた。行き交う人が不審げな眼差しを向けるが、今はそれより優先させることがある。
「どこにそんな金あるんスか!!」
「一月に50,000Gも入ってくれば自然と貯まるさ」
「500の間違いでしょ?」
「50,000だ。黄瀬は数も数えられなくなったのか?」
赤司の頭脳の方が、黄瀬より遥かに優れていることは彼もわかっていた。赤司に言われれば、本当は50,000Gの間違いじゃないかという気がしてきた。そこで彼は今までの道のりを振り返ってみた。
まず思わず頬ずりしたくなる可愛い黒子がやってきた。その時の所持金は500Gだった。彼シャツ欲しさに黄瀬は黒子を農場で働かせ、黒子は一銭も稼げないまま倒れた。そこで健康保険制度に感謝しなさいと丸め込まれて、クリニック・ホワイトゴールドに1,000G取られた。所持金欄を見れば0の文字が……。
「やっぱり500Gっス!!」
「そうか。プレーヤーによって違うみたいだな」
釈然としない思いが黄瀬に芽生えたが、赤司相手に口にできなかった。それに彼はこれから赤司にお願いする身なのだから。
「服全種類買ったなら、彼シャツの画像譲ってほしいんスけど」
「彼シャツ? そんな服もあったかもな」
「ま、まさか……彼シャツを着せてないんスか……?」
「オレが黒子に、そんないかがわしい服着せる訳ないだろ。黒子の服は、帝光ユニフォーム一択だ」
何で洛山のはないんだというぼやきが聞こえたところで、黄瀬は泣きながら電話を切った。赤司は彼ユニ派だったのだ、彼シャツ派の黄瀬とは相容れない存在なのである。
次に紫原に電話したが留守番電話になったので、黄瀬は青峰に電話した。やはり火神より同じ学校だった青峰の方がかけやすい。何だよ急にと文句を言われたが、黄瀬は単刀直入に言った。
「黒子っちの彼シャツください」
「あぁ?」
単刀直入過ぎて伝わらなかったので、黄瀬は一から経緯を説明した。そして改めて黒子っちくださいと言ったのだが、青峰に持ってねぇと断言されてしまった。
「そうっスよね、そうっスよね! オレだって持ってないのに、青峰っちが持ってる訳ないよね!!」
「そんなんより、『ケーコクの美少年の服』の方がいいぜ」
「ケーコク? 何やらかしたんスか?」
「そりゃオマエ、エロ過ぎてレッドカードもんだからだろ」
警告はイエローカードであり、そもそも警告でなく傾国なのだが、この場に突っ込む人物はいない。
「武者修行で西エリアに行ったら、大きな坂があってな。その上に商人の家が建ってて、そこに行くと手に入る」
「武者修行? ……そういえば最初の解説の時、笠松先輩がそんなこと言ってたよーな」
「オマエも行ってみろ。マジすげーぞ、乳首すっけすけなんだよすっけすけ」
「青峰っちサイテー」
黒子が履いているか履いていないかを確かめるため奔走する男に、青峰も言われたくはないだろう。
電話を切った後、黄瀬は大きな溜息を吐いた。
「やっぱり青峰っちもダメだったか。この調子じゃ、紫っちも持ってないだろうな」
途方に暮れる黄瀬の頭に、先ほどの青峰の言葉がこだました。
――マジすげーぞ、乳首すっけすけなんだよすっけすけ。
――乳首すっけすけなんだよすっけすけ。
――乳首すっけすけなんだよすっけすけ。
「……行くだけなら、タダっスよね」
彼はシックスマンメーカーを起動させ、スケジュール画面で武者修行を選んだ。
黄瀬が武者修行を選ぶと、案の定笠松に怒られた。
「武者修行っていうのはな、王都の外にいるモンスターを倒しにいくことなんだよ! 筋力8で戦闘力17の黒子ができる訳ねーだろ!!」
「でも行こうとしてる西エリアの名前、『らくらくマウンテン』じゃないっスか。黒子っちでも余裕っしょ」
武者修行は東西南北の4エリアから選べるようになっており、中でも西エリアは一番平和そうな名前だった。もっとも、北エリアの『陽気な泉・アッキータ』も大概だが。
「バカ野郎! 西エリアは魔王の城があって、凶悪なモンスターがうじゃうじゃいるんだ。武器も装備してない黒子が行って平気な訳が……」
「大丈夫大丈夫、オレが行くのは商人の家だから。だいたい黒子っちにはミスディレあるんだし、モンスターに気付かれる訳ないっスよ」
「あ、コラ黄瀬!!」
黄瀬は笠松を無視し、武者修行を再度選んだ。悲しいかな、ゲームシステム上執事に主人の最終決定を覆す権限はない。
武者修行は、ちょっとしたRPGパートになっていた。画面には鬱蒼とした森が映り、その上に『冒険する』『アイテムを使う』『家に帰る』の3つの選択肢が出てきた。『冒険する』を選べば森の奥へと進み、一定の確率でモンスターと遭遇する。そこで表示される選択肢は『戦う』『会話する』『ミスディレクション』。
もちろん黄瀬はミスディレクションを選んだ。ミスディレクションとは一般的なRPGにおける『逃げる』に相当するらしく、黄瀬が睨んだとおり、黒子はミスディレクションを百発百中成功させた。
「まったく、笠松先輩は心配し過ぎなんスよ」
しばらく『冒険する』『ミスディレクション』を繰り返していると、大きな坂の上にある商人の家が見えてきた。黄瀬はよっしゃ! と言って拳を握り、逸る気持ちを抑え『冒険する』をタップした。だが、あともう少しというところで、モンスターが出現してしまった。しかも今までのモンスターはスライムや獣といったお決まりなモンスターだったのに、今度は人間の男。髪はコーンロウで、見るからに柄が悪い。
「ま、いいか。またミスディレで……あれ?」
今まではメッセージ欄に『ミスディレクションに成功しました。』と表示されたのだが、ここにきて初めて『ミスディレクションに失敗しました。戦闘に突入します』の文字が……。そう、黄瀬は忘れていたのだ。ミスディレクションには時間制限があることを。
青ざめる黄瀬を余所に、画面はド○クエ風の戦闘画面に切り替わる。黄瀬は恐る恐る魔法を選んでみたが、無情にも『黒子は頭が悪いので魔法が使えません』とメッセージが出る。習い事の『学習塾』に行かせるんだったと黄瀬は後悔したが、今更遅い。
微かな望みをかけアイテム欄を覗いたが、またしても『黒子は何も持っていません』という無情な言葉が……。黄瀬に残された道は通常攻撃しかない。
「いぐないと!」
「ヤベ、可愛い」
画面の黒子がイグナイトと叫んだ後、ぽすっという間抜けな音がする。ダメージは0だった。
「は? もう終わりか。じゃ遠慮なく」
「うわぁああ!!」
黒子は1,000のダメージを受け倒れた。ちなみにパラメーターの体力(最大値999)=HPなので即死である。黄瀬の顔は益々青くなった……かと思ったが、倒れた黒子にときめいて若干頬が赤らんでいた。
「ザコが! オレに楯突くとか、いい度胸じゃねーか」
「ううっ、アナタはお尋ね者の……」
「オレのこと知ってんのかよ。……よく見りゃオマエ、リョータのテツヤじゃん」
お尋ね者の男が、乾いた唇を舐める。黒子は男と距離を取ろうと後ずさりするが、あっという間に追い詰められる。男はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、黒子のネクタイを力任せに引っ張った。黒子の顔が苦しさで歪むが、男は一層楽しそうに口角を上げた。
「なかなかの上玉だな。それにリョータのモンっていうのに意味がある。大事な大事なお姫様の純潔奪ったら、アイツ何て言うだろうな」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
学校中に響き渡る悲鳴を上げると、黄瀬は力の限りスマートフォンを叩き始めた。
「この中古厨! 黒子っちは中古じゃねーよ!! オレの使い終わった女やるから、黒子っちに手出すんじゃねーよこの中古厨!!」
この男最低である。しかしそんなゲスな黄瀬の願いも、王国で信じられているおは朝教の神は聞いてくれるのか。救世主を遣わした。
「うちのテツヤに汚い手で触んじゃねー!!」
「ガハッ!!」
「笠松さん!」
「テツヤ、逃げるぞ」
黒子を影から見守っていた笠松が助けてくれたのだ。笠松のおかげで、黒子は無事に家に帰ることができた。
「笠松さん、怖かったです……」
「もう大丈夫だ、オマエはオレが守ってやる」
「笠松さん!」
黒子は笠松の腕の中で大粒の涙を流すが、画面向こうの黄瀬も黒子と同じように泣いていた。
「笠松先輩、マジでグッジョブ。オレもう笠松先輩に足向けて寝れないっス」
黄瀬はおいおいと声を上げて泣くが、そこでぽんと肩を叩かれた。
「あ、監督」
「黄瀬、今日は部活に出なくていい。ただし、授業終わったら職員室にすぐ来い」
「…………はい」
笠松は現実の黄瀬まで救ってくれなかった。
黄瀬は家に帰るなり、その場に崩れ落ちた。放課後、監督に呼び出しを食らったからではない。叱るのではなく可哀想な子を見るような目で労りの言葉をかけられたのは、却って心を抉られたといえば抉られたのだが、『シックスマンメーカー』と比べれば些細なことだった。
「やっぱり『ケーコクの美少年の服』に浮気したから、バチが当たったんスかね……」
笠松のおかげでピンチを脱出したというのに、黄瀬は欲に負けて11月も黒子を武者修行に行かせた。だが、またしても目的地の商人の家に着く前にミスディレクションが切れ、その後の流れは同じである。中古厨は笠松の一撃で倒され、黄瀬は翌月も武者修行に行かせようと考えた。
「ここ最近、王国始まって以来の大寒波で記録的な寒さが続いている」
12月の基本画面で、笠松がいきなり気象の話を始めた。
「もうその先はわかってるっス。どうせコタツでしょ、はい500G」
「何言ってんだ、コタツなんかで寒さが凌げる訳ねーだろ」
「はい?」
「この記録的な寒さを凌ぐには、異国で開発された『はろげんひーたー』が必要だ」
「マジかよ!」
はろげんひーたーは役に立たないと黄瀬はウィキペディアの記事を笠松に見せたが、ウィキペディアは信用できないと却下された。はろげんひーたーは最新機器のため、1,000Gした。所持金欄の数字は、1,000から0へと変わった。
12月の武者修行を終えると(結果は言うまでもない)、笠松がまた気象の話を始めた。
「今年はとにかく寒い。はろげんひーたーじゃ寒いって黒子が言うから、やっぱり『コタツ』買ってこい」
「だからオレ言ったじゃん!!」
コタツは500Gだった。満身創痍の黄瀬だったが、それに追い打ちをかけたのは黒子との会話だった。月に3回だけ許される黄瀬の至福の時なのだが、
「笠松さんってギターが趣味なんだそうです。カッコイイですね」
「ボクの誕生日? そんな、家が貧しいのにプレゼントなんていいです。笠松さんと、ついでに黄瀬君が祝ってくれるだけで十分です」
「ボクにとっての英雄は笠松さんです。だってボクのピンチを助けてくれるのは、いつだって笠松さんだから」
黄瀬は黒子を武者修行に行かせるのをやめた。そして家に帰るなり玄関に崩れ落ち、なかなか立ち上がることはできなかった。
「黒子っち、オレこれからは心を入れ替えて真面目に働くっス。やっぱり人間、汗水流して働かないといけないよね」
働くのはお前じゃなくて黒子だ。
1月から3月まで、黄瀬は黒子を農場に行かせた。黒子もようやく農場のアルバイトに慣れたらしく、2月からは成功するようになった。黄瀬が小踊りしたのは言うまでもない。そして4月、中学2年生になるとアルバイトの種類が増えた。
「新しく追加されたのは、『マグロ漁船』と『踊り子』だ」
「このゲーム、世界観がめちゃくちゃっスね」
「マグロ漁船は、マグロを釣り上げるための体力と筋力が付く。あと日々マグロと戦うってことで、若干だが戦闘力も上がる。けどあまりの辛さに考えることを放棄するから、知能は下がっていく。このアルバイトした後は、習い事の学習塾に行かせるとかフォローしろよ」
「給料はどうなんスか?」
「今できるアルバイトの中だと一番高いな」
黄瀬は農場からマグロ漁船に切り替えることを決めた。さっそくマグロ漁船を選ぼうとしたが、もう1つのアルバイトが気になった。踊り子とは、いかなるアルバイトなのだろう。踊るというのはわかるが、どんなダンスをするかで話は変わる。黒子ならたとえ盆踊りでも可愛いだろうが、もしポールダンスだったら……。いかがわしい妄想が、黄瀬の頭を埋め尽くす。
「先輩、踊り子ってどんな仕事……」
「踊り子は踊り子だ」
「いや、だからもっと詳しく……」
「黄瀬、これだけは言っとく」
笠松の瞳孔が、これでもかというくらい大きく開かれた。
「オレに逆らって踊り子選んだら、エースでも殺す」
「ごめんなさい、もう聞きません」
踊り子の何が笠松を赤司化させるのか。気にはなったが、敢えて聞くほどバカではない。黄瀬は大人しくマグロ漁船を選んだ。
「まぁ、黒子がマグロ漁船で働くなんて……キタコレ!」
マグロ漁船の雇用主は、寒いダジャレを言う男だった。最初こそ甲板で吐いていた黒子だが、農場である程度体力が付いていたおかげで、5月にはアルバイトを成功させるようになった。
さすがマグロ漁船、お金は順調に貯まっていった。夏になればせんぷうきが壊れたので修理費用がかかるだとか、黒子に潤んだ目でバニラシェイクが飲みたいとお願いされたりだとか、突然の出費に悩みはしたが中3の4月。ついに目標の18,000Gを貯めたのだった。この時の喜びは全中で優勝した時以上だったと、後に黄瀬は語る。
黄瀬は意気揚々と仕立て屋を訪れた。中1と中2の彼シャツを見られなかったのは残念だが、当初の予定より1年も早く手に入れたのだ。文句は言うまい。
「彼シャツください!」
「22,000Gになりま~す」
黄瀬は目をこすり、もう一度スマートフォンを見た。
「22,000Gになりま~す」
画面上の数字は変わっていなかった。
「値札間違ってるっスよ」
「黄瀬君は……ハイパーインフレって知ってるかしら?」
仕立て屋の主人は物憂げな顔をし、視線を落とした。台車に札束を積んでパンを買いにいく写真なんて有名だと思うけど……と主人から言われたが、黄瀬は全く知らなかった。
「簡単に言うと、物価が急激に上がることなんだけど。王国は今復興の真っ只中でしょう? そういう国が陥りやすいの。だから昔は18,000Gだった彼シャツが、22,000Gになってしまうのも仕方がないのよ!」
「ウソ吐けこのカマ野郎!! 料理屋のシェイクは100Gのままじゃねーか」
「あら、そうだったかしら?」
主人は白を切るが、黄瀬は胸倉を掴む手に力を込めた。首が締まって死んでもおかしくないくらいの力である。しかし、仕立て屋の主人の方が上手だった。
「ふん! 嫌なら買わなきゃいいじゃない! 言っとくけど彼シャツを売ってるのは、うちの店だけなんだからね」
「こんにゃろう、人の足もと見やがって」
「これに懲りたら需要供給曲線でも勉強することね。22,000G貯めてから出直してらっしゃい、この貧乏英雄!」
黄瀬は店を閉め出された。こうして黄瀬の目標は、22,000Gに変更された。
黄瀬は一度も開いたことのなかった政治経済の教科書を開いたが、需要供給曲線を理解できなかった。とにかく22,000G貯めればいいんだろうと頭を切り替え、黒子を再びマグロ漁船に行かせた。それまでは安全策を取り、月に一度は休息を入れていたが、今度はぎりぎりまでストレス値を見極めて休息を入れることにした。
失敗して黒子が一月寝込むこともあったが、彼はとにかく金が欲しかった。それもできるだけ早く。黒子との会話をパスしてスケジュール選択画面に行くくらいだから、彼がどれだけ彼シャツが見たかったかがわかっていただけるだろう。
がむしゃらに(黒子が)働いたおかげで、マグロ漁船の日給は上がり、8月になれば20,000Gまで辿りついた。あともう少し! 黄瀬は拳を握ったが、その時異変が起きた。
「あれ? 黒子っちは?」
8月のアルバイトが終わり基本画面に戻ったのだが、黒子の姿がどこにもない。病気で倒れた時も画面から消えるが、その時は先に画面が点滅する。黄瀬が首を傾げていると、大変だと笠松の慌てた声が聞こえてきた。
「黒子が家出した!!」
「えぇ~~!!!!!」
「最近思い悩んでたからな……。黒子はオレが探すから、オマエはちゃんと仕事行けよ」
そう言い残し、画面から笠松まで消えた。スマートフォンに映るのは誰もいない部屋と、『黒子テツヤが家出しました。することがありませんので、来月まで早送りします』という事務的なメッセージのみ。
右上に表示された日付が早送りされていくのを見ながら、黄瀬は思った。中3の夏、思い悩んでいた黒子、それに気がつかなかった自分。
「何でこんなに忠実に作ってあるんスか……」
『ある出来事』は黒子にとってトラウマだろうが、その後の失踪は黄瀬にとってのトラウマである。抜け殻になった黄瀬は、画面をタップする気力すら失った。黒子は10月になっても11月になっても帰ってこず、抜け殻になった黄瀬をあざ笑うように、タップせずともゲーム内の時間は自動先送りされていく。
「あ、22,000G」
12月になって黄瀬の給料が入り、所持金欄は22,000Gになった。彼シャツが買えると喜んだのも束の間、すぐに黒子がいない現実に引き戻される。黄瀬は酷い自己嫌悪に陥った。
「そういえばオレ、黒子っちに一度もバスケさせてあげてない……。黒子っちはバスケするために天界から来たのに」
笠松がいれば今更何言ってるんだとシバくところだが、生憎黒子の捜索のため家を留守にしていた。
「黒子っちが帰ってきたら、優しく迎えてあげよう。それで彼シャツなんか買わずに、好きなだけバスケをさせてあげよう。黒子っちの笑顔が一番っス」
黄瀬は自分の今までの行いを悔いた。そして心を入れ替え、黒子の良き保護者になろうと誓った。
黒子のいない侘しい冬が過ぎ、桜の咲く季節へとなった。4月になり、黒子は誠凛の学ランを着て帰ってきた。黄瀬は黒子を問い詰めたかったが、良き保護者になろうと誓ったばかりだ。ぐっと堪え、『おかえりなさい』と優しく声をかけようとした。が、
「ご心配おかけしました。ボクはもうバスケしません」
「……」
「き、黄瀬。黒子にはオレが十分言い聞かせたから、そんな顔せずに……な?」
「やっぱり黄瀬君は、もうボクなんて必要ないんですね」
「待て黒子!!」
二人は再び画面から消えたが、黄瀬は何も言わずただ見つめていた。モデルの表情の消えた顔ほど怖いものはない。
黄瀬は結局、彼シャツを買った。
無事笠松に連れ戻された黒子に、黄瀬は念願の彼シャツを着せた。シャツから覗く白い太ももに興奮し、その日は学校を休んだ。そしていよいよ履いているか履いていないかを確かめようとした時、ある事に気付く。
「どうやって確認すればいいんスか?」
シャツは計算し尽くされた長さで、下着を履いていてもぎりぎり見えないくらいの長さだった。黒子を360度様々な角度から視姦できる機能はあっただろうかと、初めてヘルプメニューを開くがそんな機能はなかった。
「黒子っち! 後でバニラシェイク買ってあげるから、シャツの裾を口にくわ……グハッ!!」
振動の予告なく、スマートフォンが黄瀬の頭を直撃した。
黄瀬は仕立て屋に乗り込んだが、自分は確かめてねとは言ったが確かめられるとは言っていないと、仕立て屋の主人に鼻で笑われた。黄瀬は殺意を覚え、店のマネキンを主人に向けて振り下ろそうとしたが、主人は平然と言ってのけた。
「私が死んだら、この『猫耳カチューシャ』は手に入らなくなるわよ」
主人は陳列棚に飾られた猫耳カチューシャ(黒)・(白)・(ブチ)を指さし、黄瀬は独占市場の恐ろしさを知った。
猫耳を盾にされても黄瀬が発狂せずにすんだのは、黒子の彼シャツを堪能できたからだろう。黄瀬のシャツにしては若干小さい気もするが、履いているか履いていないかが確認できない絶妙な長さは、チラリズムの観点からすれば申し分なかった。
「黒子っちエロ過ぎ………もう1回トイレ行っとこ」
良き保護者になろうという誓いはどこにいったのか。トイレに行って若干落ち着いたが、それでもだらしない顔をしたまま、黒子との会話を選択する。
「黄瀬君、何か用ですか?」
「ボク今忙しいので、後にしてくれませんか?」
「キミと話すことは特にありません」
黄瀬は急いで紫原に電話した。
「黒子っちが、オレと話すことはないって言った!」
「いつものことじゃん」
「そんなことないっス! 昔は黄瀬君みたいなバスケの選手になりたいですって言ってたのに!」
「妄想と現実の区別までつかなくなった訳? 黄瀬ちんの番号、スマホから消していい?」
普段の緩い言動に反し、成績の良い紫原はある事に思い当たった。もしかして……と、電話の向こうでわんわん泣く黄瀬に言う。
「アプリの話してんの?」
「そうっス」
「ゲームを現実みたいに話さないでくんない? 引くんだけど」
黄瀬は今までの経緯を紫原に話した。紫原は嫌がったが、黄瀬の知ったことではない。
「オレのとこの黒ちんも、家出してすぐの頃はそんな感じだったかな」
「紫っちのとこの黒子っちも、家出したんスか」
「まあね。あれって絶対、選択肢間違えたからだよね~」
「そうそう……ん?」
流れで相槌を打った黄瀬だが、不可解な言葉に引っかかる。選択肢など武者修行の時くらいしかなかった筈だが、武者修行と家出は関係ないだろう。
「黒ちんが家出する前に聞いてきたでしょ、『キミはバスケが好きですか?』とかいうウザイ質問。で、選択肢が2つ出てきたでしょ」
「そんなのないっスよ」
「えぇ~? 赤ちんは選択肢出たって言ってたよ」
どうやら黄瀬だけ選択肢が出なかったらしい。解せぬ。しかし、黄瀬は過去に囚われない男だった。彼が知りたかったのは何故黒子が素っ気なくなったのか、そしてそれを改善する方法。黒子が素っ気なくなる理由は過去を振り返れば十分わかる筈だが、黄瀬は過去に囚われない男だった。
「家出してすぐの頃『は』って今言ったっスよね」
「うん。今は前と同じだよ」
「前と同じって、たとえばどんな?」
「『ボク、紫原君とお菓子食べるの好きです』とか、『もっと紫原君のことが知りたいです』とか、『キミのことは人としては好きです。あ、変な風に誤解しないでくださいね!』とか。あとは……」
「もういいもういい」
自分との違いに、黄瀬は思わず途中で遮った。黒子はツンデレだと思っている黄瀬だが、紫原の黒子は酷いデレデレぶりだった。
「何でそんなに仲いいんスか? オレの黒子っち、話したと思っても笠松先輩のことしか言わないっスよ」
「別に普通にしかしてないよ。倒れた黒ちん看病して~、誕生日プレゼントと進級祝いあげて~、それから一緒に『バカンス』行って~」
実は休息コマンドは2種類あり、1つは『街に遊びにいく』。黒子が1人で街に憂さ晴らしにいくことで、黄瀬の中では『休息』=『街に遊びにいく』だ。もう1つの『バカンス』は英雄と黒子の水入らずで、山か海に遊びにいく。ただしタダですむ『街に遊びにいく』に対し、バカンスは1日40G~70Gかかり、習い事並にお高くつくのだ。
「バカンス行く金なんて、どこにあるんスか」
「金なんて黒ちんが稼ぐじゃん」
「自分が看病したら、手取りが減るっスよ」
「元気になった黒ちんに、稼いでもらえばいいじゃん」
「……紫っちは何のためにゲームしてるんスか」
「そういや黒ちんにアルバイトしかさせてないような……」
そこでフッと紫原の笑う気配がした。
「黒ちんってさ。オレが働かせ過ぎたから倒れたのに、ちょっと看病してあげれば『紫原君ありがとう』とか言ってさ。ぶっちゃけ、ちょろいよね。……あれ? 黄瀬ちん? もしも~し」
黄瀬は聞いていられなくて電話を切った。慌てて黒子に電話し、『紫っちは妖精なんかじゃないっスよ。黒子っち気をつけて!』と言ったが、何も言わず切られた。
黒子とは仲直りしたいが、紫原と同じ手を使うのは気が引けた。彼シャツに奔走した男が何を言うかと思うかもしれないが、こういう点において黄瀬はピュアだった。
「黒子っちはまだ子供だから、オレの不器用な愛情に気付かないだけなんスよ。きっと大人になればわかってくれる」
訳のわからない理屈に基づき、黄瀬は猫耳カチューシャのため黒子をマグロ漁船に乗せた。
時は過ぎ、黒子は高校3年生になっていた。黒子は毎年わずかながら身長が伸び、その都度彼シャツは少しずつ短くなるという嬉しいオプションはあったが、最後まで下着は確認できなかった。しかし、黄瀬は満足していた。黒子の頭には猫耳、お尻のあたりには猫の尻尾があった。
「ついに猫耳カチューシャ3種類制覇したっス。おまけで尻尾までくれるとか、本当は仕立て屋さんいい人だったんスね」
カレンダーの日付は12月1日。笠松によれば外は王国始まって以来の猛吹雪ということだが、はろげんひーたーとコタツがある黄瀬家ではシャツ1枚でも快適だった。
黒子のツンな台詞でも聞こうと黄瀬は会話を選択しようとしたが、浮かれた気分のまま操作をしたので、誤ってパラメーター画面を開いてしまった。パラメーターを見たのは、最初に笠松の解説を聞いた時以来である。
体力:999
筋力:999
知能:0
気品:18
色気:100
モラル:10
信仰:5
感受性:59
戦闘力:999
社交力:24
バスケセンス:7
ストレス:750
マグロ漁船でアルバイトしていただけあり、体力・筋力・戦闘力はカンストである。だが、黄瀬はある項目に気付いてしまった。
「知能0」
何でと呟いた端から、笠松がマグロ漁船の説明をした時の言葉が思い出される。笠松は確かこう言った筈だ。辛すぎて考えることを放棄するから知能は下がる、後でフォローしろよと。そして笠松はこうも言った、青峰の知能は45だと。
「うわぁああああああああああ!!! 助けて緑間っち!!!」
黄瀬はついに緑間を頼った。赤司を頼っても良かったが、彼ユニ派の彼は黄瀬とは相容れない存在であるし、何より黒子は脳筋にしたと知られれば命の保証はない。
「この駄犬が!!」
「ごめんなさ~い!!」
事情を知った緑間は、黄瀬の力になってくれた。何だかんだ言っていい人なのである。
「いいか? 今すぐ習い事の学習塾を選んで……」
「猫耳カチューシャ買ってお金がないっス」
「猫耳!? まあいい、それなら雑貨屋に行って『文豪の本』を買え。『ライトノベル』じゃなくて『文豪の本』だぞ」
「猫耳カチューシャ買ってお金がないっス!」
「オマエは一体何をやってるのだよ!!」
緑間は実渕が宮地を馬鹿にした時並に怒ったが、黄瀬に怒っても時間の無駄だと悟ったようだ。声に怒りを滲ませつつ、次の指示を出した。
「『家庭教師』のアルバイトをさせろ。学習塾ほどの効果はないが、知能が上がるアルバイトはこれしかない」
「知能0で家庭教師やってもいいんスか……?」
「失敗しても知能は上がる。相手の子供には迷惑極まりないが、黒子の将来のためだ。仕方がないのだよ!」
緑間の助言に従い、黄瀬は黒子に家庭教師のアルバイトをさせた。12月から3月の4ヶ月間行い、一度も成功することはなかった。雇用主は無口な男で、最後まで喋ることはなかったが、悲しそうに眉を下げる姿が黄瀬の心に突き刺さった。
しかしそのおかげで黒子は知能50まで成長し、辛うじて青峰以上の頭脳を手に入れた。
「ついにこの日が来たんスね」
黄瀬は感極まり、目尻からほろりと一筋の滴が流れ落ちた。高3の3月を終えると画面は真っ暗になり、中央に白抜きで『運命の時が来ました』と表示される。ついにシックスマンメーカーのエンディングを迎えるのだ。
「色々なことがあったっス。彼シャツが18,000Gするかと思ったら22,000Gになったり、今月どの猫耳カチューシャをつけるか半日迷ったりしたことも、今ではいい思い出っス」
果たして黒子はどんな職業に就き、どんな人生を送るのか。黄瀬は涙を拭き、しっかり見届けようと決めた。
黄瀬家。スーツ姿の黒子が、暗い顔をして帰ってきた。
「ただいま帰りました」
「黒子! 結果は……いや、何でもない。それ以上言うな」
「また落ちました。これで40社目です」
「だから言うなって。ほら座れ、今温かいモン入れてやるから」
王国では大学に行くのは学者を志す者くらいで、高校を卒業すると同時に仕事に就くのが一般的だった。知能が50しかない黒子に学者を目指す道はなく、地道に就職活動に励むしかなかった。
「復興バブルが弾けた王国では、即戦力になる人材が求められています。ボクみたいな体力と筋力だけの、何の実績もない男は見向きもされないんです」
「透明少年、オマエ今疲れてるんだよ。しばらく家でゆっくり休め」
「ニート……」
「違う、これは……そうだ! 家事手伝いだ!」
「今時女性でも厳しいです」
こうして黒子は家で笠松の手伝いをすることになった。
全96種類あるエンディグの中でも最低ランクのダメEDを迎え、黄瀬は目を覆った。あんまりだと思う一方、自分のしてきたことを振り返れば、当然のような気もした。悲しみに打ちひしがれる黄瀬を余所に、エンディングはまだまだ続く。
1年後……。
「笠松さん、笠松さん宛に郵便が届いてます」
「おう、すまないな」
黒子から茶封筒を受け取った笠松は、送り主を見て顔を顰めた。
「またお袋か」
「何の手紙ですか?」
「どうせまた見合い写真が入ってんだろ」
「お見合い……」
笠松が言うには、いつまでたっても結婚しない息子を心配し、田舎の母親が見合い話を持ってくるのだという。笠松は封を開けることもなく、テーブルの上に封筒を投げた。
「黒子が就職するまでは結婚なんてできないって、何度も言ってんのによ」
それは笠松からすれば独り言にすぎなかったのだが、黒子の顔はみるみるうちに曇っていった。
「じゃあボク就職なんてしません」
「は? 何言ってんだ。そんなんじゃオマエも結婚できないぞ」
「笠松さん以外の人と、結婚なんかしたくありません!」
黒子は自分の失言に気付き、慌てて口を塞ぐが時既に遅し。口をぽかんと開けた笠松を見、黒子の目にはじわじわと涙が浮かぶ。
「すみません、笠松さんを困らせたくなんかないのに……。でも、ずっと好きだったんです」
病気で寝込んでいる時、側にいてくれたのは笠松だった。武者修行で何度危ない目に遭おうと、いつも笠松が助けてくれた。家出した時もやはり笠松が見つけてくれて、頬を叩かれたがその後力強く抱き締めてくれた。
黒子は6年間隠し続けた笠松への思いを切々と語った。信じられないといった顔をして聞いていた笠松だが、長い沈黙の後こう言った。
「本当にオレでいいのか?」
「笠松さんじゃなきゃ嫌だ」
「オレも黒子のことが……いや、テツヤのことが好きだった」
思いが通じ合った二人は、熱い抱擁を交わす。そしてチャペルの鐘の音が響き、スマートフォンに映されたのは笠松の隣で幸せそうに笑う黒子の姿だった。
「…………」
「…………」
「…………」
次の日の朝。3年の教室で叫ぶ黄瀬の姿があった。
「笠松先輩の泥棒猫! 女の子苦手だからって、黒子っち寝とることないじゃないっスか! オレの黒子っち返してよ!!!」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねえ!!」