私、死んでもいいわ「もし私が長義さんだったら、きっと長義さんと同じ選択をすると思います」
幽霊本丸で会った山姥切長義は、刀解されてなお苦しみ続けていた。自分に無関心であった主と呪具によって生まれた恋人。彼は呪具を壊し、恋人と引き換えに主の記憶を取り戻したが、自分の決断に苦しみ続け、私の意見を聞かせてほしいと言った。
「理由を聞いてもいいかな?」
「世間一般では、そっちの方が正しいとされるでしょう?」
「何だそれは」
長義さんは苦笑するが、私の言いたいことのニュアンスは伝わったようだ。ただ言った後で、『長義さんと同じ選択』は訂正すべきだと思った。長義さんは非難されるのを恐れて呪具を壊したわけではないし、道徳的な正しさは彼にとって絶対のものではない。
「『長義さんと同じ選択』って言いましたけど……」
訂正しようとして、途中でやめた。一部分を訂正するのではなく、発言そのものを訂正したかった。
「正直な感想を言うと、何が正しいかなんて見方によって変わります。少なくとも山姥切国広さんからすれば、貴方の選択は正しかったのでは?」
「それなら何故偽物君はここにいる?」
「ご本人に聞いてください。……もっと正直に言うと、私は貴方ほど人を好きになったことはないから。貴方にとっての正解が何なのか、わかりません」
意見を訂正すればするほど答えは曖昧で無責任なものになっていき、長義さんはわざとらしくため息をつく。話し終えた後の明石さんや一期さんのように、長義さんが白い煙となって消えることはなかった。
「君ならもっと斬新な意見をくれると思ったんだがな」
期待に添えずすみませんと謝っておいたが、仮に私が斬新な意見を閃いたとしても、長義さんが満足することはないだろう。彼は彼自身が言っていたように、ここに囚われ続ける理由を理解している。
会話はそこで途切れ、再び会話を始める雰囲気ではなかったので、燭台切さんを探しに行ってくると長義さんに告げた。お勧めしないとは言われたが、私が元の本丸に帰るためには燭台切さんの協力が不可欠で、これだけ長い間話していても現れないのならば、こちらから探しに行くしかないと思ったからだ。
私としては長義さんにお別れを告げたつもりでいて、俺も一緒に行こうと返ってきたのは予想外だった。とっさに反応ができず黙っていると、長義さんがフッと笑う。
「君に何かあったら後味が悪い」
「……何かあるんです?」
「行こうか」
そう言って颯爽と歩き出す。遊ばれているだけとわかりつつ、場所が場所なので不安が残る。離れていく背中を慌てて追いかけた。
長義さんの思わせぶりな態度のせいで、幽霊本丸の探索は怯えながらのスタートになったが、幽霊本丸は幽霊がいることを除けば普通の本丸だった。禍々しい気配は感じず、本丸の造りも先生の本丸とほとんど変わらない。鍛錬所も、手入れ部屋も、執務室も、それから庭にある茶室の外観まで……。
「(先生の本丸とほとんど変わらない?)」
おかしな点に気づく。私は先生の本丸以外見たことがないが、他の何倍ものお金をかけて造った本丸と『ほとんど』変わらない本丸は、本当に普通の本丸なのか?
「ここって特別な造りの本丸ですか?」
前を歩く長義さんに聞き、振り返った彼の顔には何言ってんだこいつと書いてあった。しかし彼はもっと上品に自分の考えを表現し、なおかつ私が本当に聞きたかったことまで答えてくれる。
「当然だろう。御三家筆頭の次期当主のために造られた本丸が、一般審神者の本丸と同じはずがない」
「似ているけど別の本丸では? 先生の本丸の客間には飾り窓はありません、窓じゃなくて掛け軸があります」
やっぱりと思う一方で、自分が暮らしている本丸と幽霊が住む本丸が同じと言われるのは抵抗があった。ささやかな反撃を試みるが、あっさり撃退される。
「少なくとも俺の主の時は飾り窓だった。獅子吼はそういうのには無頓着そうだし、獅子吼の前任かな?」
普段先生としか呼ばないので忘れがちだが、獅子吼は先生の審神者名である。先生は歴代審神者の担当者だったので、長義さんが先生の名前を知っていてもおかしくはない。
そう、おかしくはないのだが、見習いの荷物を下着までチェックするほど厳重な荷物検査があるにも関わらず本丸に持ち込まれた呪具で記憶を無くした審神者が五日間自由に振る舞っていた本丸の担当者が先生だったと改めて認識すると、どんよりした気持ちになる。
先生のことを真っ黒真っ黒連呼している私だが、一方で先生のことを信じている……というより信じたかった。一ヶ月の間寝食を共にした人が実は悪人でしたと言われるのはきついし、。先生は一見無愛想な怖いおじさんだけど、何だかんだでいい人なのだ。座学は壊滅的に下手だけど。
「五代目の時に壊れて、移築する時に窓から壁にしたとかもありそうです」
頭の中のごちゃごちゃに気を取られ、よく考えないまま適当な返しをすると、長義さんの足が止まった。移築? と私の言葉の一部をオウム返しする。
どうやら五代目の悲劇について知らなかったようで、私は五代目と明石さんのことをかいつまんで話した。すると長義さんは眉をひそめ、口元に手をやる。嫌な予感がしてどうしたのか聞くが、何でもないと返されてしまう。何でもなくはないだろうと心の中でツッコミを入れた。
当の本人はすっかり忘れていたが、私が『鶴丸国永は見習い君と一緒に幽霊本丸を出て行った』ことについて聞きたがっていたのを、長義さんは覚えていてくれたらしい。刀剣男士の私室一帯を歩いている時、鶴丸さんの部屋しか見たことないから違いがわからないと私が言ったのをきっかけに、鶴丸国永と見習い君の話になった。
薄々予想はついていたが、幽霊本丸にいた鶴丸国永は二代目を殺害した鶴丸国永だった。彼は常々主の仇を討ちたいと零していたらしい。仇討ちした故に刀解された刀だったはずだが、世間では知られていない事実があった。
「『俺は彼女を殺していない』、今際の際にそう言ったそうだ。状況的に鶴丸を譲り受けた審神者が一番怪しくはあるが、犯人だという確たる証拠はなかったのも事実だ。一度芽生えた疑念は消えず、鶴丸はここに囚われることになった」
もし二代目が真実を話していたのなら二代目が気の毒すぎるが、長義さんは二代目にはそれ以上言及せず、見習い君の話を始めた。
顕現できない刀が八振りいる本丸に配属された見習い、指導役の審神者の名前は獅子吼、そして獅子吼の悪事を暴きたいと息巻いていた人物。それが見習い君だ。私の兄弟子に当たる人であり、私はその存在を今日初めて知った。この一月バタバタしていて兄弟子の話をする暇などなかったのだと無理やり自分を納得させ、長義さんに話を続けてもらった。
「見習い君と会ったのは二回。どちらも鶴丸国永と共にいた。彼は本丸の呪いの元凶は獅子吼であると言い切り、俺に協力を要請してきた。俺より前に優等生の一期一振と警戒心の強い偽物君に会ったそうだが、思うような証言は聞き出せなかったようだな」
「やっぱり一期さんのこと嫌いなんじゃ……」
「続けるぞ。政府で働いていたのもあって、俺は他の刀より獅子吼のことは知っているつもりだが、あれは悪事を企むほどの頭も度胸もない男だ。何故見習い君がそこまで疑うか気になりはしたが、俺の知る限りのことを話すと、満足して帰っていった。この時鶴丸国永に君たちの帰り方を聞いた」
二回目に会ったのは、それから二月ほど経ってから。ただしこれは見習い君談とのこと。幽霊本丸は時間の概念が狂っているため、長義さんからすれば数日後のことにも数年後のことにも感じたらしい(余談だが長義さんは幽霊本丸に来てから一度も寝たことがないそうで、昼夜が瞬時に入れ替わることもあり、一日の終わりを認識するのは難しいのだとか)。
「二度目は鶴丸だけでなく、燭台切もいたな。見習い君はもうすぐ独り立ちして本丸を持つのだと言い、鶴丸を連れて帰るとも言った。信じられなかったが、一度目と同じように鶴丸が見習い君の前で障子を閉めると、見習い君だけでなく鶴丸まで姿を消した」
「成仏した?」
思ったことが無意識のうちに口を突いて出、話を遮ってしまった。長義さんはああと短く返事をした。
「ただ、君が言っていた白い煙というのは見ていない。鶴丸は一瞬にして跡形もなく消えた、そうとしか言いようがない。……どうしたのかな?」
私が眉間に皺を寄せて考え込んでいるのが視界の端に映ったのだろう、長義さんが怪訝そうな顔をする。もしかしたら聞いてほしいポーズに見えたかもしれないが、生憎本当に思い出せずに悩んでいるだけで他意はない。
「何かこう、引っかかるというか。大事なことを忘れている気がして」
鶴丸国永は幽霊本丸から姿を消した、現在先生の本丸には鶴丸さんがいる。このことから導き出される答えは一つ。二代目を殺害した鶴丸国永は、自分の気持ちに蹴りをつけ成仏した。それ以外ないはずなのに、ずっと頭の中がもやもやしている。
「しっかりしろ、君はまだ若いだろう」
「若さと頭の出来は別です。頭さえ良ければいい大学に入って軍事産業に就職して、そしたら今頃こんなことには……」
「何の話だ?」
そうやって話しているうちに、気づけば出発地点の客間前に戻ってきていた。このまま表門を目指そうかとも考えたが、念のため客間をもう一度確認することにした。先ほどまでいた部屋の中から呼びかけられる、そんな長義さんの経験を聞いていたから、素通りするのは良くない気がした。
長義さんが襖を開けるが、中には誰もいなかった。ただ元々期待はしていなかったのでがっかりすることはなく、長義さんも後に続くと思ったから、表門に続く廊下の方へ体を向けた。
「「見習いさん」」
同時に二人から呼ばれ、振り返れば景色が一変していた。視界一面に広がっていた桜の花が、青々とした木々に変わっていた。そして私を見る人物が二人。客間の前に長義さん、それから庭に燭台切さん……。
──彼とは日常の庭に変わったタイミングで会うことが多い気がする。
長義さんの言っていたことは本当だった。景趣が日常の庭に変わった途端、燭台切光忠が現れた。
「まさか本当にまた来るなんて」
燭台切さんはそう言って困ったように笑った。来たくて来たわけじゃないと伝えると、今度は笑って謝られた。
建物の陰に隠れて近づいたとしても、これほど近くに来たなら声をかけられる前に気づいたはずだ。なのに、私は気づかず表門へ行こうとした。
「彼女を帰してやってほしい」
私が不思議な現象に気を取られている間に、長義さんが先に燭台切さんにお願いをする。しかし、長義さんの表情が硬いのが気にかかった。一緒に良かった良かったとはしゃいでくれるタイプではないが、それでも本丸探索に付き合ってくれた人の態度としてはおかしく感じる。
「うん、いいよ。ただ今日は僕の話をするって約束してるんだ」
「彼女に話せば貴方はここから解放されるのか? 違うだろう、これ以上彼女を巻き込むな」
「僕がいない間に彼女とずいぶん仲良くなったみたいだね」
「燭台切」
長義さんと会話をしながら、燭台切さんが私たちのいる外廊下に近づいてくる。彼は廊下に上がると、私に向かって握りこぶしを突き出した。最初はわからなかったが、手の中にある物を受け取れという意味だと気づき、両手を伸ばし手のひらを広げた。
私の手のひらに赤い実が落ちた。風が吹けば飛んでいってしまいそうなほど軽く、少しでも力を加えれば潰れてしまう。あまり馴染みがないので、この赤い実がほおずきという名だと思い出すまでに、少し時間がかかった。
「僕は鶴さんと違う。彼女を犠牲にしたくない。だから僕の話をしようと思うんだ」
「何故そうなる? 知りすぎる前にあの本丸から逃げるべきだ」
呪具や四代目の顛末まで包み隠さず話した彼が、知りすぎる前にと言うのが引っかかった。長義さんが私を見る。相変わらず表情は硬いままだった。
「移築の話、あれはやはりおかしい」
「おかしいというのは?」
「敵襲に遭った本丸を移築してまで使うなどありえない。俺が考えていた以上に、あの本丸には裏がある」
「先生は一から作るより費用が安くなるんだと言ってました」
「費用が安くすむからと、敵襲に遭い穢れた本丸を再利用するものか。前例がないことはないが、あの本丸は良くない噂がつきまとっていた。そこからの敵襲だ。君だって言霊は知っているだろう?」
「……」
何でもないと言っていたが、やはり何でもなくはなかった。だが、長義さんの言葉を素直に受け入れることは難しかった。
一度は言葉を引っ込めた彼が、私に伝えた方がいいと判断するに至った事実は重視すべきだ。けれど、私が呪われた本丸の新しい主になるのはほぼ確実で、(誰かさんに毒されたようで嫌だが)辞職願が受理されない以上、自分の身は自分で守る──自力で呪われた本丸の呪いを解く──ためには、知識が必要と考え始めていた。
「たくましくなったね」
まるで私の頭の中が見えていたかのようなタイミングで。でも燭台切さんの声には含みがあった。前半は私に、後半は長義さんに向けて言う。
「以前の君なら迷うことなく帰っていた、でも正しく恐れることができなくなったとも言える。もう一度警戒心を持ってもらうためには、やっぱり僕は話を聞いてもらう方がいいと思うんだ」
──君が記念すべき第一号になるのは?
自分でも何故このタイミングでなのかわからないけれど、明石さんに言った燭台切さんの言葉が不意に頭に浮かび、もやもやの正体がわかった。
明石さんと五代目の話が終わり、私が後悔の念がなくなれば明石さんは成仏できるんですかと聞くと、自分にはない発想だと燭台切さんは言った。それから明石さんに向かって、君が記念すべき第一号になるのは? と。
幽霊本丸の鶴丸国永が消えた時、燭台切さんもその場にいたという。それなのに明石さんが第一号? それでは鶴丸国永は何故消えた?
「僕とここにいた鶴さんは共通点が多かった。ごく限られた関係者しか知らない秘密を知っていたところとか」
胸騒ぎがして冷たい汗が背中を流れる。選択を誤ったかもしれないと、今更ながらそう思った。
「僕が恋した女性は、君と同じ審神者の見習いだった。けど君と違うのは、彼女は過去の時代から政府に拉致された人だった」
そんなに睨まないでほしいな長義君。彼女を害するつもりはないのは本当だよ。政府のことだから、ありとあらゆる手段を使って君をあの本丸に留まらせようとするだろうけど、君にはそれでもあの本丸から離れてほしい。それにはそれなりの覚悟が必要だろう?
僕が顕現されたのは、2200年頃なんだ。鶴さんも同じ頃だって言ってた。あの頃はまだ何もかもが手探りで、僕の主は何のレクチャーもなしに戦場に放り込まれたと愚痴っていたよ。
君も知ってのとおり2205年の一般募集が始まる前は、審神者と刀剣男士の存在は公にされておらず、審神者は御三家の人間に限られていた。彼らは皆力のある優れた審神者だったが、戦は数が物を言う。始めこそ僕たちが優位に戦局を進めていたけれど、月日を重ねるごとに追い詰められていった。
兵は増やしたいが、世間に遡行軍と審神者の存在は隠し通したい。それで……長義君、君が知らないのは当然だよ。政府はすぐに方針を改めたし、当時は御三家の中でも限られた者にしか知らされなかった。
僕と鶴さんの主に召集があったのは2202年11月。用件は招集先で話すと言われ、主は政府の研修施設へ一人で向かった。一期さんは二人目の主に付き添って研修施設に行ったそうだから、きっとあの殺人事件の後から剣男士を同行させるようになったんだろうね。数日後、主は殺人事件の容疑者の一人となって帰ってきた。
……この話は長くなるし、よそう。政府は審神者と審神者候補を招集した理由が外部に漏れるのを恐れ、犯人捜しはしなかったとだけ言っておくよ。
主が研修施設で命じられたのは、過去から招集した女性に審神者としての教育を施すことだった。主は無愛想で気難しく見えるけど根は善良だから。当然納得はしていなかった。でも反対したところでどうにもならないし、自分の家での立場を考えれば、受け入れるしかなかった。
2202年の年の瀬に、役人に連れられ彼女が本丸にやって来た。愛した人と初めて会った日のことなのに、今でも思い出すと胸が痛む。本丸を案内する役は近侍の僕が担ったんだけど、彼女はずっと下を向いていて、僕の問いかけにも黙って頷くか辛うじて聞き取れるくらいのか細い声で一言二言話すだけで……。
本丸の案内を終え、彼女が寝泊まりする部屋に連れて行った時、彼女が少しでも安心すればと思ってある話を振ったんだ。僕の勘違いである可能性はあったけど、その話をすると彼女は顔を上げ、虚ろだった目に光が宿った。
──……帰してください。
彼女の声はかすれていた。けれど、僕の服を掴むと今度ははっきりと僕に懇願した。
──私に特別な才などありません! お願いします、帰してください!
見ていて可哀想になるほど必死に、帰してほしいと何度も。僕ならば、話を聞いてくれるかもしれないと一抹の望みをかけたんだろうね。でも僕には彼女を自由にしてあげる力はなく、何も言えなかった。彼女は決死の訴えが無駄に終わったと知るとその場に崩れ落ち、静かに泣いた。
次の日から本格的に審神者の教育が始まったんだけど、帰してほしいと泣いていた子とは思えないほど、彼女は真面目に取り組んでいた。それに食事の支度とか畑仕事とか、よく手伝ってくれたな。
温和で優しい子だったから、短刀君たちから特に好かれていた。見習いのみっちゃんなんて呼ぶ子もいたな。みっちゃんって聞こえて僕のことかと思って振り返ったら、ずうずうしいですよ燭台切って今剣君から……そうだ、今剣君が呼び始めたんだ。懐かしい。
不安は残るけど彼女はここでやっていける。僕は本気でそう思っていて、惚れた欲目かな? 主の方が正しい評価をしていた。
──あのままじゃ駄目だ、従順すぎる。
君は人から命令を受けるのは嫌? 時と場合による? まあそうだよね、絶対に超えられない一線というのはあるだろうし、逆に命じられた方が楽ということもある。
仕方がない面はあるけど、彼女にとっての命令は後者だった。いや、楽というのは違うかな。命令に逆らうという発想がない、命令がなければ何もできない。そんな子だったから、あの時の彼女は泣くしかできなかった。
さっきも言ったけど、あの頃は何もかもが手探りで、部隊全員が重傷になって帰ってくるとか日常茶飯事だった。それでもあの日は特に酷かった。赤くない場所はないくらい全身血まみれで、片足が欠けた子、手が飛んだ子が支えて歩き、彼らが歩くたび血だまりができた。
帰還の報告は既に入っていたから、主と彼女は手入れ部屋で待機していて、僕は部隊の子たちを手入れ部屋に運ぶ役だった。初めて重症の刀剣男士を見た時、君はどうだった? そっか、それは幸運なことだよ。でも映像は見せられた? ははっ、君の先生は相変わらずスパルタだね。
彼女の時は事前に見てなかった、見てても同じだったかな? 彼女は手足を失った刀剣男士を見て、顔を真っ青にし小刻みに震え、主からの命を待っていた。退室してもいいと言われるのを望んでいたんだろうが、手当しろと言われれば震えながら手当をしたと思う。
あの時の彼女を見る主の顔は、何と言ったらいいんだろう。こうなることを予期していたが、わずかながら彼女に期待していた部分もあって。期待を裏切られ失望していたし、軽蔑しているようにも見えた。
主は彼女にかまうことなく、手入れに取りかかった。動けなくなった彼女を、皆いないものとして扱った。勘違いしないでほしいのは、あの本丸にいた刀剣男士は皆彼女のことが好きだったよ。彼女の境遇には同情していたし、普段の生活では彼女のことを最大限尊重していた。
それでもあの場は戦場で、戦う意思がない者を見限るのは、戦場にいるからには当然だった。そう、当然なんだけれど。僕にはできなかった。彼女の肩を掴めば、彼女の体は大きく跳ねた。彼女は怯えながら期待していた。ようやく自分がどうすべきか、命じてもらえると。
どうするかは君が決めるんだと彼女に言った。彼女が小さく息を飲んだ。怖いだろう、辛いだろう。無理やり連れてこられた君からすれば、あまりに理不尽だ。それでも君がこの先ここで生きていくためには、君が君の考えで、何をすべきか決めなければならない。君は一体どうしたい? ……そんなこと言ったかな。
でも彼女ついには泣き出してしまって、僕も主の手伝いに戻ったよ。手入れはできなくても、すべきことはいくらでもあるのだから。
その晩、一期さんが僕の部屋を訪ねてきた。部隊に鳴狐君と鯰尾君がいたから、手入れの礼を言いに来たのかと思った。僕に礼を言うのはおかしいとはわかってるんだけどね、そうとしか考えられないくらい、僕と一期さんって接点がなかったから。
──部屋の前で迷っていらしたので、お連れしました。
にこやかなというか上機嫌な一期さんの後ろに、彼女が立っていた。彼女は僕を見ると頭を下げたが、僕は彼女に何と声をかければいいかわからなかった。
──では邪魔者はこれで失礼します。ああ、もちろん主には言いませんのでご安心を。
人の気も知らないで、一期さんは言いたいことだけ言い去っていった。ここにいた一期さんとはタイプが違うよね。それともあの一期さんも、僕のところの一期さんみたいな面があったのかな。……そんなこと言って、長義君は一期さんのこと嫌い? そう? ならいいけど。
──夜分遅くに申し訳ありません。
先に口を開いたのは彼女だった。僕は寝間着姿だったのに、彼女はきちんと身支度を整えていた。今となって思えば、とても彼女らしい。寝間着でもいい時間帯なのに、人を訪ねるに相応しい格好をしないといけないと思ったんだろう。
そうだよ、僕と彼女は似た者同士だった。想いが通じ合った後に、敬語で話さないでほしいと言ったことがある。でも彼女は国の言葉が出るから嫌ですって、頑なに譲らなかった。
ごめん、話を戻そうか。彼女は続けて、どうしても僕に詫びたかったと言ったんだ。謝らないといけないのは僕の方だ。あの後僕は主の手伝いにかこつけて、彼女を置いて手入れ部屋を後にした。その後も、彼女をフォローする機会はいくらでもあったのに、僕は何もしなかった。叩きつけるだけ叩きつけて放置して、彼女にとって一番酷いことをしたのは僕なんじゃないかと思った。でも彼女は首を振るんだ。
──自分の意志で始めたことではありません。けれど、皆様のご恩に報いたいのです。
そこで彼女は顔を上げ、僕は初めて、彼女の意思を見た。
──貴方は私のことを信じてくださったのに、私は応えることができなかった。
それが申し訳なくて、居たたまれなくて、非常識な時間とわかりながら僕の部屋を訪ねたんだそうだ。でも僕は叱られるかもしれないと思いながら、彼女が自分の意志を通したことが嬉しかった。
そう言えば、僕の反応は予想外だったらしく、悲痛な顔が戸惑いへと変わっていく。やれることから一緒にがんばっていこうと言えば、彼女がほんの少しだけだけど、笑って。かわいかった。はははっ、ごめんねのろけて。久しぶりに彼女の話ができて、思っている以上に舞い上がってるみたいだ。
それからの彼女は、主曰く、多少マシになった。でも多少マシになるだけでもすごいと思わないかい? 彼女は相変わらず受け身ではあったけど、それでも逃げなかったし変わろうと努力し続けていた。
──あんまりのめり込むなよ伊達男。
多少マシになったと言われた後の僕の顔を見て、主がそう言った。彼女が来て一月経った頃のことかな。……うん、そうだね。給金の準備している時に話したはずだから、一月経った頃で合ってる。
僕の主だった人の話を少ししようか。彼は当時二十か二十一かで、指揮官になるにはいささか人が良すぎた。手入れ部屋での一件はあったけど、彼が一番彼女の境遇を憂いていた。気の遣い方がずれてて上手く伝わってないことの方が多かったけど、彼女に給金を渡そうと言い出したのは主だった。懐柔してるみたいで嫌だと悩みはしてたけどね、僕がいいと思うよって言ったら決心が着いたようだ。
金額も多すぎず少なすぎず、ちょうどいい額はいくらだろうと悩んで。もっとそういうところ見せれば気遣いがストレートに伝わるだろうに、脇息にもたれかかってぶっきらぼうに給料袋を渡すんだから素直じゃない。
──せ、先生、入れ間違えています! こんな、こんな大金……。
彼女、封筒の中身を見るなりすごい声を上げてね。主がびっくりして脇息からずり落ちるくらい、僕も彼女のあんな大きな声、あの時しか聞いたことないな。
──そんな言うほど……あっ、あんたの時代と物価が違うのか。
物価は盲点だった。彼女に物価差について理解してもらうのにはかなり時間がかかったけど、その後の方がもっと大変だった。
彼女、欲しい物がないって言うんだよ。今までも身の回りの物を買えば、後は実家に送っていたみたいだし。主は女性が好きそうな物をいろいろ挙げていき、それに対し彼女はそんな贅沢はできませんと返し……。
──光忠、後は任せた!
主は僕のこと近侍じゃなくて何でも屋と勘違いしてたんじゃないかと思うよ。
当時は御三家の人間しかいなかったから、御三家の審神者も万事屋に行けた。でも彼女の存在は機密中の機密で、代わりに僕が万事屋に行くことになったんだ。主に任されたからなんだけど、女性の買い物だよ? せめて乱ちゃんとか次郎太刀さんに頼むべきじゃない? まあ今更文句を言っても仕方がないけど。
ただ彼女の場合、乱ちゃんや次郎太刀さんだったとしても、欲しい物が思いつかずメモの前で固まっただろうね。真面目な子だから主の想いを汲んで、自分の欲しい物を一生懸命考えていたんだけど、真面目に考えれば考えるほどどつぼにはまっていった。
あまりに長い間考え込んでいたから、少しくらい手助けしてもいいだろうと思って。畑仕事を楽しそうにしていたのを思い出して、花はどうかと言ったんだ。
──ほおずきはあるでしょうか?
もっと華やかな花を思い浮かべていたから意外だった。彼女の同僚がほおずき市で買ったほおずきを、彼女は飽き性の同僚の代わりに水やりをしていたんだそうだ。過去を思い出す物はかえって辛くなるのではないかと心配だったけど、彼女が決めたことだから、僕はまだ実が青いほおずきを彼女のために買って帰った。
あそこ、見える? 君が今持っているほおずきは、あの鉢植えになっていた実だ。この本丸は僕たちと縁の深い物が現れる。明石君は主に渡した腕時計をしていただろう? 一期さんでいえばハッカ飴。紫陽花の花もそうだったのかな。鶴さんの主は薔薇をこよなく愛した人だったし、長義君と山姥切君は桜じゃないかい? 君たちと会う時は春の庭であることが多い。
僕の場合はほおずきだ。それから蓄音機。後で客間を見てごらん、きっと蓄音機が置いてある。もっとも蓄音機ではなく、蓄音機風の音響機器だけどね。彼女が二度目の給金で買ったんだ。ずいぶん成長したと思わないか? あの時はレトロな柄のワンピースも買って、奥ゆかしかった彼女が僕に踊ろうと誘ってきた。
……最後の日も、彼女は僕に踊ろうと言った。あのワルツのタイトルは結局わからず仕舞いだけど、僕はあの音色を決して忘れない。
過去から人を連れてきたことで歴史が変わってしまうのではないかとは思わなかったかい? 少なくとも僕たちはそう思った。あえて詮索はしなかったけど、会話の流れから彼女が連れ去られた時の状況を聞き、歴史と照らし合わせれば、疑問は解消された。
彼女は連れ去られたその日に死ぬ運命にある人だった。政府は死ぬ直前にさらって、死ぬ直前に元に戻せばいいと考えたようだ。そうすれば記憶封じの呪具も簡単なものですみ、歴史への影響も最小限に抑えられる。
彼女は秘密を知ってしまい……違う、僕が耐えられなかったんだ。何人もの人の死を見てきたのに、彼女が同じようにいなくなってしまうことが耐えられなかった。
だから、彼女を連れて逃げようとした。……どこへ? か。っふふ、本当にどこへだよ。一期さんはすごいな、僕は刀剣男士が主から離れて生きてはいけない、そんなことすらわからなくなっていた。
──なすべきことができたんです。
彼女もどうして、あんな覚悟ができたんだろう。自分は利用されるだけ利用されて、死ぬしかない運命だと言われているのに。
──こんな私でも、私にしかできないことができたんです。貴方の手は取れません。
カッコ悪いよね僕。あんなに頼りなかった彼女に、僕は諭されて、駆け落ちは未遂に終わった。僕たちの会話は誰かに聞かれていたみたいで、その日から近侍は初期刀の山姥切君に変わったし、彼女と二人きりで会うことは禁じられた。
彼女が本丸を去る前日、僕は長期遠征を命じられた。丸一日かかる遠征だから、彼女の旅立ちに立ち会うことはできない。何故素直に命令を聞いたのか、今となってはわからないな。彼女と少しでも長く共にいたいと思っているのに、僕は遠征に出た。
その時の遠征部隊の隊長は鶴さんで、本丸を出た途端、すごい勢いで走り出してね。僕の本丸にいた鶴さんは驚きは好きだけど落ち着きがある人だったから、変わったことをして僕の気を紛らわせようとしてくれてるのだと思った。けど、違った。
──ほら光坊! 遠征の最短記録出して、主を驚かせてやろうぜ。
気づいていなかったのは僕だけで、他のみんなは鶴さんの考えを見抜いていた。僕は仲間に恵まれた。みんなのおかげで、僕はまた彼女に会うことができた。
一日かかる遠征を三時間も早く終わらせ本丸に帰ると、主が待っていた。主は僕に何か言おうとしたけど鶴さんがそれを止め、主も僕を追わなかった。……すまないと言おうとしたのかもね。鶴さんを部隊長にした時点で、彼が非情になりきれなかったのは確かだから。
彼女の部屋に近づくにつれ、ワルツの音が大きくなっていった。部屋の襖は開いており、彼女は蓄音機の前で正座してワルツを聞いていた。僕の姿を見て声も出せずにいたけれど、微笑んで立ち上がると、僕に手を差し出した。
──踊りましょう。
彼女はダンスが上手かった。ダンスホールに行くような子ではないのに不思議だったけど、奉公先の若君に手ほどきを受けたかららしい。そんな話を聞いたものだから若君に嫉妬して、蓄音機を買った時しか彼女のダンスの誘いは受けなかった。
嫉妬なんかせず、もっと練習しておけば良かったと思ったよ。本来は男性がリードするのに、僕は彼女に掛け声をかけてもらってようやくステップを踏めるといった体たらくで。走って帰ってきたから汗だくだし、あの時の僕は本当にカッコ悪かった。
すごくぎこちないダンスを一曲踊り通し、二曲目を踊る時間はないとわかっていたから、彼女を抱きしめた。背が高いことを気にしていたけど、とても華奢な体だった。近い将来、彼女が僕と同じ苦しみを味わうのかと思うと、身が裂けるようだった。
──私、死んでもいいわ。
僕の胸に顔をうずめ、彼女がそう言った。
──死んでもいい、貴方のためなら。
月がきれいですね、私死んでもいいわ。昔の文豪が『I love you』をそう訳したとか。あえて愛しているとは言わず文豪の婉曲的な表現を選んだのは、何か理由があったのだろうか。
「貴方はそれが恋だったと認めているんでしょう」
「うん。僕は一期さんみたいに真面目ではないから」
「それなら彼女と逃げられなかったことを悔やんでいるんです?」
「共に逃げられたらと考える時はあるけど、僕がここにいる理由ではないよ」
燭台切さんは終始穏やかだった。だから、次の言葉は予想外であったし、言葉の強さに衝撃を受けた。
「僕はあいつを殺したい」
──僕の経験上、君は折れている。強い後悔の念を残してね。
燭台切さんが言っていた幽霊本丸に囚われる理由。私は今まで刀剣男士たちの後悔の念は何なのか、そればかり考えていた。けれど燭台切さんはもしくはと続けた。
──もしくは未練、懺悔、復讐心……。
後悔、未練、懺悔と並べて言うには、復讐心は異質だ。あれは自分のことを言っていたのか。穏やかに殺したいと言う姿が恐ろしくて、あいつの正体を尋ねる気にはなれなかった。
「もう気はすんだか? 燭台切」
意に介することなく突き放した言い方をし、長義さんは燭台切さんの返事を待つことなく、私の背に回り私を客間の中へ押し入れた。強引に押さなくてもいいではないかと文句を言おうとしたが、長義さんの顔がすっと近づく。
「燭台切にばれないようにそれは捨てていけ」
燭台切さんとの距離が開いたタイミングを見計らい、私にだけ聞こえる声でささやく。彼の言う『それ』は、手のひらに乗せたほおずきのことだ。
燭台切さんが言っていたように、客間には蓄音機が置かれていた。私が来た時には置いていなかった。それと飾り窓が掛け軸に変わっていたが、私の部屋に飾ってある水墨画とは違う水墨画の掛け軸だった。
「準備はいいかい?」
燭台切さんが客間に近づいてくるが、中には入らない。彼は引手に手をかけ、私たち二人を見ている。柔和な表情、けれどどこか悲しげにも見えた。
「もうここに来たら駄目だよ。次は……」
襖が勢い良く閉められる。襖が閉まる直前にほおずきを捨てようと思ってたのに、体が動かなかった。パン! と大きな音が聞こえたのと、長義さんが私の手からほおずきを奪い握り潰したのはほぼ同じタイミングだった。
「見習いさん?」
背後からにっかりさんの声がした。そして部屋を出ていった私が目の前に立っていることが理解できず、目を真ん丸にしている鶴丸さんが座っていた。きっと掛け軸は変わり、蓄音機も消えているのだろうが、私には部屋の中を確かめる余裕はなかった。
「見習いさん!」
にっかりさんが私の肩を掴む。それほど強い力ではなかったのに体がよろめき、手のひらのものが動く。事態を把握した鶴丸さんも立ち上がり、何があった? と聞かれるが、私は答えられなかった。
手のひらには、長義さんが握り潰したはずのほおずきの実が乗っている。ほおずきから目が離せず、二人から何を聞かれても、燭台切さんが最後に言った言葉が脳内を占め、何も反応できなかった。彼が私に自分の話をしたのは、政府の悪行を伝えるためではなく……。
──もうここに来たら駄目だよ。次は……。
──逃がしてあげられない。