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    我が主と秘密遊戯を2(前編)第一章:鬼札第二章:予定調和な展開【注意事項】
    ・『我が主と秘密遊戯を』の続編ですが、前作は読んでいなくても支障ありません。
    ・刀→主がほとんどの刀さに小説です。審神者の男女比は半々。メインは燭さに♀、宗さに♀にですが、腐カップリングの話もあります。
    ・神隠しや真名を使った呪い、刀剣男士の寿命(?)は九十九年等の非公式設定・独自設定を含みます。
    ・ぬるい(というより拙い)ですが戦闘描写あり。殺し合い、死にネタもあり。
    ・『汝は人狼なりや?』というゲームの特殊村(特殊ルール)を参考にルールを作りました。ですが、人狼要素は皆無です。また、大元になったギャルゲーもルール作りに活用しましたが、当時はプレイしておりませんでした(2023年になってからプレイ。私はリベリオンズの方が好きです)。
    ・あくまで刀さに小説ですので、頭脳戦や心理戦、大どんでん返しのカタルシス等は期待しないでください……。

    【登場人物およびカップリング】
     参加者とカップリングは以下のとおり。活躍には偏りがあります。

     ・三日月宗近×男審神者
     ・一期一振×男審神者
     ・明石国行×女審神者
     ・燭台切光忠×女審神者
     ・加州清光×女審神者
     ・堀川国広×男審神者
     ・へし切長谷部×女審神者
     ・鶴丸国永×男審神者

     他には宗三左文字が話の中心に絡んできます。前作同様長いので、お時間がある時にどうぞ。

    第一章:鬼札
     審神者局。陸海空三軍と並ぶ存在となった審神者と刀剣男士を統轄する政府の機関だ。政府機関の例に漏れず、その建屋の明かりは深夜になっても消えることはない。特に十階はここ数ヶ月、深夜どころか休日含め、明かりが消えているところを見たことがないと噂されている。
     その審神者局十階で男が深夜、一人で黙々とキーボードを叩いていた。局で寝起きする日が一月続き、ディスプレイを見る目は充血して、頭には常に辞職の二文字が浮かんでいる。しかし彼があと一歩のところで踏み止まっているのは、今取り組んでいる仕事のゴールが見えていたからだった。

    「お疲れ~」
     コンビニのビニール袋を持った男の同期が、そう言って彼のデスクの側にやって来た。
    「報告書登録されてるぞ。見たか?」
    「早く言えよ!」
     文句を言いつつ、男の顔は綻んでいる。報告書とは、彼が三年間携わってきたプロジェクトに関するものだ。先日、彼の血と涙の結晶である『とある遊戯』が開催され、あとは観覧者からの感想を取りまとめれば終わる段階まで漕ぎつけていた。
     彼は共有フォルダに登録されている報告書ファイルを開き、一ページ目から順に読み進めていく。だが、画面を上から覗き込む同期が、先に結果を言ってしまう。
    「概ね好評だけど、次回はもっと違うのがいいんだと」
    「はぁ!?」
     同期が男からマウスを取り、該当のページを表示させる。そしてここを見ろと、円グラフの横に書かれた感想を指さす。

    「『離脱条件が二つもあってわかりにくい』、『離脱条件の譲渡先を把握するのが面倒』、『刀剣男士をもっと勝たせろ』。……はぁ!?」
     彼はまた裏返った声を出したが、同期はコンビニの袋の中からエナジードリンクを二本取り出し、一つを彼のデスクに置いた。
    「正式には明日指示が出るけど、来年に向けて新しいルールの『秘密遊戯』を考えろだとさ」
    「第一回開催するのに何年かかったと思ってんだ!」
    「俺に言うな。お上も神々のご機嫌取りに必死なんだろ」
     同期の男は、自分の分のエナジードリンクを手に自席に戻った。が、あまりに静かなので男の様子を確認すると、男は机に顔を突っ伏したまま微動だにしない。
    「寝てても仕事は終わらないぞ」
    「……腐ってもアイツら神様だろ。哀れな社畜に慈悲はねーのかよ」
    「滅多なこと言うな、祟られるぞ」
     彼はエナジードリンクをあおった後、付け加えた。
    「それにアイツらに慈悲があるなら、神隠しなんて起こらねーよ」
     歴史修正主義者に対抗できる唯一の術は、刀の付喪神を顕現し戦わせることだ。しかし彼らは、気に入った人の子を隠してしまう。神隠しの報告の多さと審神者が辿る悲惨な末路を思い浮かべ、彼は大きな溜息を吐いた。


     眼前の印に触れると、彼女の体は瞬時に見知らぬ空間へと飛ばされていた。そこは空もなければ地面もなく、暗闇に覆われた不思議な空間だった。戸惑う彼女に、既に集まっていた参加者たちの視線が集まる。……正確には、集まったような気がした。
     暗闇の中ぼんやりと浮かぶ人影は七つ、しかし彼らの性別や格好、審神者なのか刀剣男士なのかすら判別がつかない。この中に彼がいるのかと思うと、彼女の内に怒りとも恐怖ともつかない感情が湧いた。
     彼女の後にも参加者が続けてやって来た。やはり参加者の姿形はわからず、人影が参加者たちの視線を受け立ち止まり、その後所定の位置へと着く。
    「皆様お集まりのようですね」
     円状に並んだ十六人の参加者たちの中心に五芒星が浮かび、その上に審神者をサポートするため作られた管狐が現れた。こんのすけだ。しかし目の前のこんのすけは本丸にいたのとは違い、青白い炎をまとい人魂を連想させる。

    「私は魂之助と申します。この秘密遊戯の進行役──審神者様方には、GMと言った方がわかりやすいでしょうか──でございます」
     どうやら目の前の狐はこんのすけとは別の存在らしい。魂之助は自己紹介を早々に済ませ、遊戯の説明へ入った。
    「この度は第二回秘密遊戯へのご参加ありがとうございます。遊戯はここにおります審神者八名、刀剣男士八名の計十六名で行います。まずは審神者様方、支給いたしましたタブレットをご覧ください」
     彼女は先ほど受け取った、六インチの黒いタブレットを取り出した。受け取った時点で電源は入っていたが、触れていないにも関わらず、真っ暗な画面に白い文字が浮かび上がる。

    『遊戯者名:長船』

     画面にはそう書かれていた。

    「遊戯中、皆様は現在タブレットに出ている遊戯者名を名乗ってください。くれぐれも真名は名乗らないように」
    「真名を名乗らないのは当然として、審神者名でなくわざわざ遊戯者名を宛がう意図は?」
     審神者だろうか。声が加工されていて、それすら確証が持てない。
    「この遊戯者名は真名を隠す役割の他に、遊戯中使用する仮の器と魂の結びつけを強める役割もあるのです」
     彼女の隣から審神者と思われるつぶやきが聞こえる。
    「なるほど、仮の器だからか」
     自分の体を見ての発言だろうか。暗闇の中におり、他の参加者の姿は見えないというのに、自分の手足や服装は認識できた。そして彼女も、その参加者と同じ感想を持った。
    「遊戯が行われるのは実在の中学校をモデルにした建物ですが、本丸とはまた違う特殊な空間になります。そのため特殊空間に耐えられる器を用意しておりますが、審神者様方に所縁の深い刀剣男士様に由来する名を与えることで、皆様の魂と仮の器との結びつきがより強固なものへとなるのです」
    「仮の器って、本当の俺の体は今どうなってるんだ?」
    「お答えできません」
     魂之助は回答を拒否したが、ただしと付け加える。

    「仮の器に関していえば、休息や食事は必要ありませんし、器が傷ついたり消失したりしても、遊戯の勝敗には関係ありません」
    「そうか、それは残念だな」
     独り言のようだが独り言にしては大きく、場の空気が凍る。おー、怖と言葉とは裏腹に面白がる発言はあったが、重たい雰囲気が改善されることはなく、そんな中魂之助が声を張り上げた。
    「ここからが重要ですので、よくお聞きください! 刀剣男士の皆様もタブレットをご覧ください」
     魂之助が参加者全員にタブレットを見るよう促すと、画面から遊戯者名が消え、ホーム画面が映し出される。ホーム画面には三つのアイコンが並び、『遊戯の決め事』・『離脱条件一覧』・『地図』とあった。
    「魂之助、操作の手伝いが必要な者がいるんじゃないか?」
    「……ただいま参ります。皆様は『離脱条件一覧』を選んでお待ちください」
     魂之助が彼女の正面にいる参加者の方へ走っていく。参加者の声は彼女の元までは聞こえてこないが、魂之助の様子を見るに苦戦しているようだ。彼女は魂之助たちを見るのをやめ、タブレットに視線を落とした。



    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:???
    離脱条件 政府の用意した8種の道具のうち、2つ以上を使用する

    審神者2:長船
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:???
    離脱条件 5時間以上他の参加者と遭遇しない

    審神者4:???
    離脱条件 審神者が1名以上遊戯に勝利する

    審神者5:???
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:???
    離脱条件 遊戯の勝者が2名以上になる

    審神者7:眉月
    離脱条件 7つ以上の離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:???
    離脱条件 5時間以上嘘を吐かない。ただし、真偽は審神者の認識に基づく


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:???
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:???
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


     魂之助は再び円の中央に戻り、参加者たちに自分の名の下にある離脱条件を確認するよう言った。
    「各参加者には、それぞれ独自の離脱条件があります。遊戯の目的はただ一つ。自分を神隠しした刀剣男士もしくは自分が隠した審神者よりも先に、自身の離脱条件を達成することです! 相手よりも先に離脱条件を達成した者が、この遊戯の勝者となります」
     凍っていた空気が、再び動き出す。そんな中、質問がありますと参加者の一人が勢い良く手を上げる(発言と人影の揺れでそう見えた)。
    「自分以外の参加者が、どの離脱条件を持っているかは教えてもらえないんですか?」
    「はい。それでは遊戯になりませんからね」
    「でも、俺以外の離脱条件も一個わかってんじゃん。ほら、この――のやつ」
     発言の一部がマイクのハウリングノイズのように乱れ聞き取れなかったが、参加者の名前を言ったのだと思われる。彼女のタブレットにも、彼女以外の参加者の名前が書かれていた。審神者7の『眉月』。彼女の知る限りで、この名から連想される刀剣男士は三日月宗近だ。眉月とは三日月の別称である。

    「特別に同陣営の参加者一名の離脱条件が貴方方には与えられます」
     魂之助はその他にも、離脱条件一覧には書き込みができると話した。書き込める箇所は『???』になっている部分のみで、書き込んだ字は元からある情報と区別するため、黒ではなく朱色で表示されると説明した。
    「次は審神者1の離脱条件にもなっている『政府の用意した8種の道具』について説明します。遊戯会場内に八種類の道具を、それぞれ異なる場所に用意しております。中には獲得することで遊戯を優位に進められる物もありますので、探してみてください」
    「道具と一概にいってもいろいろあるだろう。俺としては驚きのある物がいいね」
     参加者の一人がそう聞いたが、これも事前に教えることはできないと突っぱねられた。
    「八種の道具以外にもう一つ、特別な役割を持つ道具について説明しましょう」
     魂之助の頭上に金色の球体が現れた。刀剣男士が身につける刀装に似ているが、宙に浮かび、まばゆい光を放っている。
    「これは宝珠。離脱条件の変更、もしくは遊戯を棄権することができます」
     宝珠に触れると、離脱条件の変更か遊戯の棄権かを聞かれる。離脱条件の変更を願えば、使用者の離脱条件および対となる参加者(審神者が使用すればその審神者を隠した刀剣男士、刀剣男士の場合はその刀剣男士が隠した審神者)の離脱条件が変更される。ただし、離脱条件はより達成が困難なものになる。

    「刀剣男士5の離脱条件の変更って、宝珠を使うこと?」
    「宝珠は三十分ごとに置き場所が変わります。また、一度使用すると二時間経つまで姿を現しません。刀剣男士5の刀剣男士様はそのことを念頭に置いたうえでご参加ください」
    「そんなことより棄権って何?」
    「これからご説明します。審神者様は現世に帰るため、刀剣男士様は本霊と同格の神格を得るため、遊戯にご参加されています」
    「本来はそうなんだろうね」
    「……続けます。ですが、遊戯を進める中でその思いが変わることもございましょう。その際は離脱条件の変更ではなく、遊戯の棄権をお選びください。その時点で使用者の組は引き分けとなります」
    「引き分けとは?」
    「痛み分け、とも言えるかもしれません。審神者様は宝珠が使用された時点で魂が消滅。次の世に転生することも現世へ帰還することもできませんが、刀剣男士様の神域から解放されます。刀剣男士様に関していえば負けた時と違い、御本霊へ即座に呼び戻されることはなく、定められた期間姿を保つことはできますが、主である審神者を永遠に失います」
    「そっか。そうならないように守ってあげないとね」

     参加者の声はぼやかされ誰かわからないようになっている。それなのに、彼女には燭台切だとわかった。自分を見下ろす男の表情と、背に伝わる畳の硬い感触が蘇る。

     ──君は僕が守ってあげる。

     ささやかれた言葉を思い出し、唇を強く噛む。どんなに追い込まれたとしても棄権なんて絶対しない、現世に戻ったら自由を求めて足掻くと『彼』に誓ったではないか。彼女は燭台切の神域から抜け出し現世に帰ることを、改めて決意した。
    「その他の遊戯の決まり事は、遊戯中必要に応じて説明するとして。何かご質問はありますか?」
     魂之助は追加の質問を募ったが、参加者たちからの反応はない。魂之助は十六人の参加者全員を見渡すと、高らかに遊戯の開始を宣言する。
    「それでは第二回秘密遊戯、開始です。皆様のご健闘をお祈りいたします」


     魂之助の宣言が終わるや否や、彼女たちのいた空間は強い光に包まれ、彼女は思わず目を瞑った。そして恐る恐る目を開けた時には、先ほどまでいたのとは別の場所へ転送されていた。
     転送先も彼女が初めて訪れる場所ではあったが、今度は学校の教室だと判断できた。目の前には黒板があり、生徒用の机と椅子が等間隔に並んでいる。遊戯会場は実在の中学校をモデルにしていると魂之助は言っていたので、一瞬のうちに遊戯会場へ飛ばされたようだ。

     彼女は一番近くにあった椅子を引いたが、考え直し椅子を元に戻した。一度座ってしまえば、二度と立ち上がれなくなりそうだったからだ。深呼吸を繰り返した後、彼女は支給されたタブレットで離脱条件一覧を開いた。
     遊戯説明の場でも見たが、彼女の遊戯者名である『長船』の名があるのは、十六の離脱条件の上から二番目。『刀剣男士を1口刀解する』が、彼女に与えられた条件だ。彼女を隠した燭台切が離脱条件を達成するより先に、この離脱条件を達成しないといけないわけだが、達成する方法が皆目見当がつかなかった。
    「刀解に合意する刀なんているわけないだろ……」
     刀解とは一度依り代に降ろした神を、一定の手順を踏んで本霊の元へ還す儀式だ。刀剣男士が神格の低い審神者に従うのは、偏に彼らの好意により成り立っているのであり、本霊に還ってもらうにも彼らの意思を尊重しなければならない。

     ──中には獲得することで遊戯を優位に進められる物もありますので……。

     長船はタブレットの画面を、離脱条件一覧から地図へ切り替えた。地図といっても画面に映っているのは簡単なもので、位置情報や部屋の名称等は記されていない。それでも遊戯会場がロの字型をした四階建ての建物で、東西に長い造りになっているのは把握できた。それに北側にはグラウンドとテニスコート、南東にはプールがあるのもわかった(地図上の表記から推測したので、テニスコートとプールは逆かもしれない)。

     彼女は更なる情報を求め窓の外を見たが、切り立った山しか見えない。窓辺に立ち窓枠に手をかけたが、何故かいくら力を入れてもびくともしなかった。もう一度鍵がかかっていないことを目視し、再び手に力を込めたが結果は同じだった。
    「……」
     脱走防止のための措置なのだろうが、思い出したくない記憶が蘇り、長船は深呼吸をして嫌な思い出を頭の隅へ追いやってから教室を後にした。幸い教室の戸は何の支障もなく開き、トラウマ再発とはならずにすんだ。
     廊下に出て左右を確認し、彼女は行き止まりの右ではなく左へ進んだ。すると途中で白い壁がガラスへ変わり、青々とした木々が目に飛び込んでくる。下を向けば、石畳の中庭らしきスペースが見えた。
     彼女は先ほど見たタブレットの地図を思い浮かべ、おおよその現在地を特定しようとしたが、そこで声をかけられた。
    「あの」
     控えめな声量だったが、彼女を驚かすには十分だった。反射的に声がした方を振り向けば、デニム生地のオフショルダーワンピースを着た女性がいた。女性は胸の前で手を握り、びくりと体を震わせる。

     警戒を怠っていたのは大いに反省するとして、それより先に長船がしないといけないのは女性への謝罪だった。女性が怯えてしまうほど酷い顔をしていたのだろう。
    「すみません、驚かせてしまって」
    「いえ……あなた、審神者よね?」
     不思議に思ったが、すぐに意味を理解し苦笑する。仮の器は隠される前の姿を再現しており、彼女は男審神者の標準服である狩衣を着てるうえ、髪も少年のように短くなっている。こんな状況下では刀剣男士と疑われても仕方がなかった。
    「どこからどう見ても女の子だけど、乱とか京極のことがあるからもしかしてと思っただけだから! 変なこと言ってごめんなさい!」
     本人は必死なのだろうが、露出の多い派手な格好のわりには慌てて顔の前で手を振る仕草がかわいらしく、長船は微笑ましく感じた。目立つので他の場所で話しませんかと長船が提案すると、彼女は何度も大きく頷いた。

     二人で長船が遊戯開始時にいた教室に戻り、改めて自己紹介を行った。向かい合って座ったため、女性のスカートの裾が下着が見えるか見えないかのぎりぎりのラインまで押し上がっているのが見え、長船は女性の顔だけ見るように努めた。
    「僕は長船といいます。審神者の番号は2です」
    「あの離脱条件がめちゃくちゃなやつ?」
    「ええ、そうですね」
    「あ、ごめんなさい。私、思ったこと何でもすぐ言っちゃうから」
    「めちゃくちゃなのは本当ですし、謝らないでください」
    「もしかして長船さん、『合意なき刀解』ができるすごい審神者だったりします?」
     『合意なき刀解』とは、審神者の間でまことしやかにささやかれている都市伝説のようなものだ。刀解は刀剣男士の合意を得て行うものだが、霊力の高いトップクラスの審神者は、刀剣男士の意思に関係なく刀解を行えると言われている。
     だが噂は噂に過ぎず、もちろん長船にそんな特異な力はない。女性も噂を鵜呑みにしているわけではなく、だよね~と否定の言葉を述べた長船に同意した。

    「私の遊戯者名は『播磨』。審神者5で……離脱条件は『遊戯開始から328分が経過する』」
     離脱条件を言うまでに間が空いたのは、長船と比べれば簡単な条件だったからだろう。
    「良かった、貴方が審神者3だったらどうしようかと思ってました」
     実際はそこまで考えていなかったが、播磨の気を和らげるため、わざとおどけてみせた。しかし、播磨は審神者3が誰か知っており、『茶坊主』って審神者みたいですよと、長船に離脱条件一覧を開いた自分のタブレットを見せる。『???』が並ぶ中、審神者5『遊戯開始から328分が経過する』の他に、審神者3『5時間以上他の参加者と遭遇しない』の欄にも名前が書かれていた。
    「茶坊主っていえば長谷部だよね」
    「おそらくは。そうだ、貴方は誰に神隠しされたんですか?」
    「明石だけど長船さんは?」
    「僕は燭台切です」
    「意外。やっぱり個体差ってあるんですね」
     播磨は続いて、長船が持っている他の審神者の離脱条件について聞いたが、彼女はその前に確認したいことがあった。

     播磨を隠した明石、そして廊下に会った時口にした京極という名の刀剣男士。思い当たる刀はあるが、彼女が本丸にいた頃は、刀剣男士として実装されていなかった。
     明石と京極について教えて欲しいと言えば、播磨は怪訝な顔をした。審神者なのにどうしてそんな基礎的なことを聞くのかと言っているようだった。播磨と長船は一見同年代に見えるけれど、生まれ年は離れているのだと長船は悟る。彼女が知っている最も新しく実装された刀剣男士は、小狐丸だった。


     ある日、燭台切の神域に本霊がやって来た。本霊は彼に政府主催の『秘密遊戯』について説明し、彼さえ希望すれば秘密遊戯に参加できると言った。秘密遊戯とは神隠しされた審神者と神隠しした刀剣男士が争うゲームのことで、審神者が勝てば現世に帰還でき、刀剣男士が勝てば本霊と同等の神格が手に入り、永遠の存在となる。
     あまり知られていないことだが、刀剣男士の分霊が存在できるのは九十九年と決まっており、その期間が過ぎれば本霊へと吸収される。分霊が培った力も本霊へ還元されるため、本霊たちは政府に力を貸しているのだ。
     本霊と同等の存在になるというのは大きなメリットだが、デメリットも存在した。もし審神者に負ければ、九十九年を待たず、強制的に本霊へ還される。デメリットがあるのは審神者も同じで、遊戯に参加さえしなければ、分霊の命が尽きたところで神域から解放され、次の世へ転生する。しかし遊戯に参加し負けてしまえば、未来永劫刀剣男士に囚われる。
     彼は遊戯に参加したいと、自分の主だった女性に伝えた。彼女も遊戯への参加を希望した。彼女の思いは彼とは違うとわかっていたが、彼はそれでも良かった。彼女にどう思われようと、彼女を守ることができればそれで良かった。
     本霊は神隠しなんてカッコ悪いと言っていたが、彼からすれば自分の存在が消え、彼女を守ることができなくなる方が、よっぽどカッコ悪かった。

     説明の場から飛ばされてきたのは、語学を勉強する場所らしかった。らしかったというのは、書棚に並ぶ本は読めぬ文字で書かれており、壁に貼られた模造紙も西洋の建物と思われる写真とそれに対するコメントが書かれているからだった。
     見慣れない物ばかりであるが、見覚えがある物も少しはあり、主が執務で使っていたのとよく似た機械が、四台ほど机に置かれていた。触れたことがないので、使い方はわからないけれど。
     燭台切はタブレットの離脱条件一覧を開き、自分以外の参加者の離脱条件を確認した。速やかな勝利を目指すのは当然として、主へ害をなす危険がある参加者にも注意を払う必要がある。
     彼が最も危惧しているのは、刀剣男士7の『審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする』だった。遊戯のルールに刀の使用について書かれていない以上、刀剣男士7がどのような手段に及ぶかわからない。
    「とにかく、主を探すのが第一だね」
     地図を開き建物の構造を頭に入れると、彼は上着の内ポケットにタブレットをしまった。

     部屋を出ると左右に廊下が伸び、正面には階段もあった。位置を正確に把握するため、最上階まで上がろうと考えた燭台切だったが、光坊! と声をかけられる。彼をそのように呼ぶ者は一人しかいない。
    「鶴さん」
     彼の声を受け、鶴丸はよっ! と片手を上げる。燭台切は階段を上るのをやめ、鶴丸と合流した。簡単な挨拶をすませると、二人は自分が今最も知りたいことを同時に言った。
    「僕の主見なかった?」
    「何か面白いものはあったかい?」
     互いに顔を見合わせ沈黙した後、まだ同時に声を発する。
    「最初に聞くのがそれ?」
    「きみも過保護な燭台切か」
     そして再び沈黙が流れる。三度目は避けたかったので、燭台切は先に話す権利を鶴丸に譲った。鶴丸は呆れ気味に溜息を吐き、過保護な燭台切と口にするが、途中で意地の悪い笑みに変わった。

    「過保護ではなくて離脱条件絡みか」
     鶴丸としては動揺する燭台切を見て楽しみたかったのだろうが、燭台切は自分の番号を言いながらタブレットを鶴丸に見せる。彼は刀剣男士同士で腹の探り合いをするつもりはなかった。予想外の反応に鶴丸は目を丸くしたが、驚き好きの彼にとってはそれもまた歓迎すべき展開だった。
    「なるほど。きみも三日月も俺も長谷部も、まずは自分の審神者を探すのが先決だな」
    「それもあるけど、早く保護してあげなきゃとは思わないの? 僕のいないところで危ない目に遭ってるかもと思うと、ぞっとするよ」
    「なんだ、ただの過保護か」
     そう言いつつ、鶴丸も自分のタブレットを燭台切に見せる。画面には鶴丸の他に長谷部の名が書かれていたが、どちらも燭台切が危険視している刀剣男士7ではなかった。そう都合良くはいかないかと残念に思いつつ、旧知の仲である刀が自分の敵でなかったことには安堵した。
    「鶴さんは自分の主が心配じゃないのかい?」
     ただ、過保護と言ってからかわれるのは心外だった。彼は少しも『過』だとは思っていない。主を神隠しした刀剣男士ならば、皆同じように主の身を案じるはずだとも思っていた。鶴丸はそうだなと言い、目を細める。
    「俺は鶴だから、どうにも白には朱を垂らしたくなる」


     徐々に世界が明るくなっていく。彼は審神者により肉の器を得ると、秘密遊戯の会場に降り立った。
    「……宗三左文字と言います。貴方も、天下人の象徴を侍らせたいのですか……?」
     桜吹雪がやみ、自分を顕現させた審神者の姿が見える。着物を着た男だった。無意識のうちに、宗三の口から溜息が漏れる。溜息は自分の癖だからと、宗三自身気づいていなかったが、彼は目の前の男を見て酷くがっかりしていた。
    「顕現できちゃった……。えっと……もしかして、参加者の刀剣男士?」
     着物の男は刀だった宗三を顕現しておきながら、宗三から距離を取り、逃げの体勢に入っている。彼はまた物憂げに溜息を吐いた。
    「神隠しするような輩と一緒にしないでください。僕は政府の用意した道具というやつですよ。まぁ、顕現してもらったからといって……」
    「えぇ!? そういうのあり? 聞いてないよ!」
     本来ここは喜ぶところのはずだが、男は慌てふためく。宗三が眉をひそめているのも目にくれず、頭を抱えうんうん唸りだす。
    「この場合、宝珠使ったらどうなんの? 使った時点で勝ち? あ、宝珠は八種の道具とは別か! 良かったぁ~」
     それなりの年齢に見えたのだが、表情がころころ変わり、まるで子供のようだ。宗三は状況を把握するため辺りを見渡した。彼らがいるのは小さな坪庭で、一箇所だけ壁ではなく彼の腰ほどの高さの柵で区切られていたが、柵を飛び越せないよう結界が張ってある。
    「建屋の中に入りましょう。ここだと敵襲に遭った時、対処が難しいので」
    「OK」
     上機嫌で頷く男を宗三は冷ややかな目で見下ろすが、男には何も響いていないようだった。

     坪庭から繋がった部屋に入ると、そこは奇妙な茶室だった。彼が茶室と判断したのは、水屋が見えたからだったが、茶室にしてはあまりに広すぎた。さすがに本丸の大広間ほど広くはないが、それでも五十畳近くある。
    「すごいよね、ここ。きっとお金持ちが通う学校だよ」
     奇妙な茶室を怪訝に思う宗三に、男はよくわからない共感を求めたが、彼は無視して男にその場に座るよう言った。見たところ出入口は一つだけだが、裏を返せば注視すべき箇所が一箇所ですむし、いざとなれば水屋や押入れに(押入れがある茶室とは一体何なのだろう)審神者を隠すこともできる。
     男は彼に命じられるまま、その場に正座した。しかしすぐに考え直し、胡坐でもいいか上目遣いに聞いてきた。宗三はまた溜息を吐くと、了承の言葉を返してから彼の正面に座った。
    「僕は宗三左文字といいます」
    「うん、知ってる」
    「僕は秘密遊戯のために政府が用意した道具の一つです」
    「やっぱりそうなの? 本当は違ってたりしない?」
    「(調子が狂うな)」
     男からは緊迫感というものが伝わってこない。彼が宗三は道具なのか疑っているように、宗三も彼が本当に参加者なのか怪しく思えてきた。

    「審神者が勝てば現世に帰られ、負ければ永遠に神域に囚われる。僕が政府から聞いているのはそれだけです。貴方は参加者なのだから、もっと詳しい内容を聞いているでしょう? 教えてはもらえませんか?」
    「それだったらこれでルールが見れるよ」
     そう言って男は懐から薄い板を取り出した。宗三が手を引っ込めたままなのを見て、男は板を掲げてこれはタブレットだと言う。膝立ちで宗三との距離を詰めると、どこを押してどこを指で払えばいいのか、操作の仕方を教えた。
    「俺、説明下手だから直接ルール読んだ方がわかりやすいと思う」
     先手を打たれてしまえば強く言えず、遠回しな嫌味を言って(男に伝わったかは怪しい)、宗三は『遊戯の決め事』に書かれている内容を読んでいく。押すのが正しいのか払うのが正しいのか迷ったり、力加減を間違えて文章が進み過ぎたりして苦戦しつつも、彼は無事遊戯の決め事を読みきった。そして決め事の中に記されていた離脱条件一覧を開き、どの条件に名前が埋まっているかを確認する。

    「貴方は『五七桐』ですか? それとも『竜胆』ですか?」
    「五七桐だよ」
    「良かったじゃないですか。貴方はあと一つ道具を使えば、遊戯に勝てる」
     五七桐の名があるのは審神者1の欄だ。離脱条件は『政府の用意した8種の道具のうち、2つ以上を使用する』であり、宗三を顕現したので彼の条件は既に半分達成されている。しかし五七桐は、それじゃ困るんだと口をへの字に曲げる。
    「俺は一期に勝つつもりはないんだ」
     五七桐という名から相手の刀剣男士の候補は絞れていたが、それよりも勝つつもりがないとは聞き捨てならない。宗三の眉間に深い皺が刻まれた。
    「貴方、合意のうえで神隠しされた審神者ですか?」
     選り好みできる立場ではないとわかっていても、忌避感が先に立つ。しかし五七桐は両手を大きく振って否定する。
    「違うって! 俺は神隠しなんて絶対されたくなかった!」
    「それならどうして」
     宗三が問えば、男は難しい顔をして口ごもる。初めは人に言えない事情があるのかと思ったが、説明下手だと言っていたのを思い出し、起こった順番に話しなさいと助言した。すると男はわかったと、真面目な顔で話し始める。
    「俺の初期刀は歌仙で、所属国は……」
    「そこからですか?」

     男の拙い説明を要約すると、男は一期から好意を告げられるも、曖昧にかわしつつ本丸を運営していたが、ついに神隠しに遭ってしまう。
     神域でも変わらず一期の求愛を拒否し続けたが、そんな折、一期の本霊が神域を訪ねてきて秘密遊戯への参加を持ちかけた。五七桐は反対したが、遊戯の参加は刀剣男士の一存で決まる。そのため一期が参加すると言えば、彼も参加するより他になかった。
    「不本意な参加だったのはわかりますが、だからといって負けることはないでしょう」
    「俺は負けるつもりもない」
    「……一体貴方は何がしたいんですか」
     五七桐は宗三からタブレットを奪い、遊戯の決め事のある箇所を指す。
    「ここ、宝珠の使用。離脱条件を変える以外に、遊戯を棄権できるってあるだろ? 俺の狙いはこれ。これなら俺は一期から逃げれるし、一期は死ななくてすむ」
    「神隠しするような男なんて殺してしまいなさい」
    「嫌だよ! 好きな人には生き……」
     そこまで言うと、五七桐は自分の口を慌てて押えた。そして今の発言はなし! 聞かなかったことにして! と頼んでくるが、宗三はもうツッコミを入れる気が失せ、これ以上男の身の上話を聞くのはやめた。

    「貴方に力を貸してもいいですが、条件があります」
     参加者たちが様々な思いを抱き遊戯に参加したように、宗三にも譲れない目的があった。
    「僕は燭台切光忠に隠された主を助けるため、秘密遊戯に参加しました。貴方にはその手助けをしてもらいたい」
     本丸は解体となり、宗三は新しい主の元へ譲渡された。刀の使い方に関しては、今の主の方が上手い。顕現された時期が遅かったのもあり彼の仕事は遠征が主だったが、今の主は新参の彼にも出陣の機会を用意してくれる。直接言葉にされずとも、天下人の象徴ではなく刀としての宗三左文字に期待していることが十分伝わってくる。
     良き主、恵まれた環境。それら全てを捨ててでも、彼は隠された主を助けたかった。
    「うん、いいよ」
    「ちゃんとわかって言ってます?」
    「俺頭は悪いけど、俺みたいなのと現世に帰りたい人とだと、どっちを優先すべきかくらいはわかる。宗三が主さんと一緒に帰れるよう協力するよ」

     ──お前はどんな結果になろうと、機密の漏えいを防ぐため刀解される。

     今の主から、遊戯の話を持ちかけられた夜のことを思い出す。しかしやる気を見せる男に伝える必要はないと考え、宗三は礼を言い、そっと胸元に手をやった。布越しに指が細長い形を捉えると、彼は五七桐にわからないよう微笑んだ。


     燭台切の目的が主の保護である以上、鶴丸と行動する必要性はない。しかし他本丸の鶴丸国永とはいえ、伊達にいた鶴丸国永の分霊であることに違いはなかったし、彼は物知りであった。
     燭台切が主を神隠ししてから現世の時間では七年以上経っているらしく、その間に多くの刀が刀剣男士として実装されたという。さらに修行して己を主に合わせた姿に研ぎ直す『極』が解禁されたというから驚きだ(鶴丸が燭台切の知る装いと違うのは、彼が極だからだ)。
     彼の置かれた状況を考えると、情報の不足が勝敗に繋がるとは考えにくかったが、それでも万全を期すべきだろう。幸いなことに鶴丸は教えたがりの面があり、自分の知識を惜しみなく披露した。それは審神者や本丸に関することだけではなかった。
    「鶴さん、あれ何?」
     燭台切は最上階には行かず、鶴丸と出会ったフロアから見ることにしたのだが、彼らの出会った場所から建屋の中央の方へ進んでいくと、途中から右手の壁一面がガラスに変わり、彼らがいる階より少し低い建屋の屋上が見えた。

     そこに彼があれと言った青い巨大な板があった。板は一枚だけでなく、同じ物が何枚も並んでいる。鶴丸は燭台切の視線の先を確認すると、板について淀むことなく話し始める。
    「あれはソーラーパネルだ。あの青い板に太陽の光が当たると、電気ができるんだ。しかし、置くならもっと日当たりがいい場所がおすすめだな」
     鶴丸は現世の事情に詳しかった。燭台切が主が執務に使っていた機械としかわからなかった物をパソコンだと言い、同じ机と椅子が部屋中に置かれている部屋を見ても、驚くことなく教室だなの一言ですませた。
     政府は刀剣男士が現世の知識を得ることを良しとしない。彼の主がそう明言したわけではないけれど、彼女の振る舞いを見れば予想できた。それなのにこの鶴丸国永は……。

    「その知識、どうやって仕入れたんです? 欲望にかられて、あかん手使いました?」
     燭台切が口にしなかったことを、廊下の向かいから来た青年が臆することなく聞く。細身で、長い前髪の眼鏡をかけた青年。イントネーションからして、関西に所縁がある者のようだ。
    「一番のあかん手は神隠しだろ」
    「あっはっはっは、そりゃそうや」
     青年は笑うが、どこか白々しい。鶴丸は燭台切の視線に気づき、すまんすまんと詫びてから青年を紹介した。
    「明石国行。名前は聞いたことあるだろ」
    「愛染君たちが言ってた国行君?」
     そのやり取りだけで、明石国行を知らない燭台切光忠だと伝わったらしい。
    「自分かなりの古参やで? 鶴丸はんやないけど驚くわ」
    「この遊戯で一番古い刀はきみかもな」
    「そうかな? ああ、それよりも聞きたいことが……」
     雑談を切り上げ本題に入ろうとした時、廊下の先に長谷部が通るのが見えた。長谷部は燭台切たちの存在に驚き(声をかけられるまで明石の気配に気づかなかった自分と同じリアクションだと燭台切は思った)、そして渋い顔をする。予想から外れていたが、長谷部らしいといえば長谷部らしい。燭台切が声をかけ手招きすれば、長谷部は渋々といった体で三人の元に来た。

     開口一番、何の用だと長谷部が尋ねるが、その視線が明石の腰にある刀に向けられたのを、燭台切は見逃さなかった。当然、見られた当人も気づいていた。
    「もしかして長谷部はんも自分のことわかりません?」
    「……そう思うなら名乗ったらどうだ?」
    「おぉー怖い怖い。明石国行言います。どうぞ、よろしゅう」
     長谷部は明石を一瞥し、再度何の用だと聞く。明石が気にする様子はなかったので、燭台切は長谷部を窘めるのはやめ、彼を引き止めた理由を話した。
    「長谷部君は僕の主を見ていないかい?」
     明石にも聞こうとしたことだが、長谷部の答えは早かった。
    「知らん」
    「まだ主の特徴すら言ってないんだけど」
    「知っていてもお前に教える義理はない」
    「ずいぶんと非協力的な態度だな。きみの離脱条件は、そうせざるを得ないものなのかい?」
    「(知ってるくせによく言うよ)」
     燭台切は鶴丸の狸ぶりを呆れ半分感心半分で見ていたが、長谷部は鶴丸の遊びに付き合うつもりはないようで、くだらんと吐き捨てその場を去ろうとする。しかし、鶴丸は長谷部の腕を掴む。

    「きみの審神者は合意なき刀解ができるか?」
     鶴丸の手を払おうとした長谷部の手が一瞬止まる。だが、合意なき刀解とは、審神者の間でまことしやかにささやかれている噂話にすぎない。リアリストの長谷部が信じるとは思えず、何らかの理由で反応が遅れたと考える方が自然だった。
    「もしかして鶴丸はん、信じてはるんです?」
     揶揄するような言いぶりだ。
    「審神者2の離脱条件があるだろ。俺が思うに、審神者2は合意なき刀解ができる審神者だ」
    「自分は鍛錬所用意しとると思います。顕現したばかりの刀なら、素直に言うこと聞くやろ?」
    「きみは現実的だな。合意なき刀解の方が夢があるじゃないか」
    「なんでやねん」
    「はははっ、べたべたなツッコミだな」

     長谷部は結局何も明かさぬまま去っていき、残された三人だけで情報を交換した。燭台切は明石も誘ったが、動くのしんどいと言って明石はその場に残った。
     二人は長谷部が来た方面にある別建屋を見に行くことにしたが、廊下を曲がり、明石の姿が見えなくなったところで、鶴丸が燭台切に言う。
    「あんまり警戒してくれるな。酔狂な自覚はあるが、人のものに手を出すほど落ちぶれてはいない」
    「もちろん信じてるさ鶴さん」
    「きみに腹芸は似合わんぞ」
     表面上は和やかに会話しながら、二人は廊下を歩いていった。


     自分の知る最も新しく実装された刀剣男士は小狐丸。そう言えば播磨はわかりやすく動揺した。彼女の反応で長船は自分が隠された年月の長さと、彼女の人となりを知った。
     可哀想と同情する一方、自分はまだマシと思い、こうはなりたくないと恐れる。どこにでもいる普通の女性だった。不思議なことに、長船は傷つくどころか、むしろ安堵していた。もし播磨が聖人君子のような女性だったら、遊戯の敗北を恐れ今にも泣きだしてしまいそうな自分が、余計に惨めに思えただろう。
    「僕はもう行きますね」
    「どこに?」
    「魂之助が言ってた道具を探そうと思います。僕の離脱条件はめちゃくちゃだけど、道具の中に離脱条件を達成するヒントがあるかもしれない」
     長船は立ち上がり、播磨に向け軽く頭を下げたが、播磨が右手を真っすぐ上げる。播磨の提案は、長船にとって予想外のものだった。
    「私も一緒に行く!」
     播磨の離脱条件は『遊戯開始から328分が経過する』だ。明石国行が離脱条件を達成しないよう動くのも一つの手だが、微々たる力しか持たない審神者が取れる手は限られている。それならば328分経過するまで、大人しく身を潜めていた方がいい。

     そのことを播磨に説明してやるも、播磨は引かなかった。一緒に探した方が早く道具が見つかると播磨は言い、そこで長船はある可能性に気づく。
    「(僕に同情しているから?)」
     罪悪感から危ない橋を渡ろうとしているのならば、長船は全力で止めなければならない。けれど播磨の真意は違った。
    「長船さんは平気なのかもしれないけど、私は……一人になるのが怖い。お願いだから一緒にいて」
     長船は播磨のことを強い人だと思っていた。派手で露出の多い格好をし、初対面の長船にもフランクに話しかける。怖がる素振りを見せたのは最初だけで、あとはずっと平気そうな顔をして……。
    「(馬鹿だな僕は)」
     つい先ほど自分が考えていたことを思い出し、長船は苦笑する。彼女はどこにでもいる普通の女性なのだ。怖がる素振りを見せないのは、そうしないと泣いてしまうから。現に心情を打ち明けた播磨の声は震えていた。
    「ありがとうございます。一緒に、行きましょう」
     そう言った長船の声も、わずかながら震えていた。

     長船と播磨の探索が始まった。最初は一歩進むごとに周囲を確認するほど恐る恐る進んでいたが、時間が経つにつれ大胆になっていく。廊下の角から頭を出すのに躊躇いはせず、話す声のボリュームも徐々に大きくなる。
     薄れていったのは警戒心だけでなく二人の距離もそうで、話すうちに敬語は取れていき、敬称もいつの間にか取れていた。
    「播磨の名前は、明石国行が播磨国明石藩主松平家伝来の刀だからだと思うよ」
    「すごーい、実装されてなかった刀のことも知ってるの?」
    「父が政府の関係者だったから、刀の知識はそれなりにね」
    「もしかして、政府高官の娘ってやつ?」
    「う~ん……そうなるのかな」
    「すごーい!」
     まだ会場の一部しか見ていないが、長船の想像以上に広く、施設も充実していた。上から見ただけではあるが、大小二つの中庭に、白いタイルが敷かれたホール。ホールの隅にはピアノがあり、何かしらのイベントに使われるのだろうと長船は思った。

     他にも図書室と音楽室は吹き抜けにして二階分の高さを確保していた。図書室の入口は一階にしかないので上から覗くしかできなかったが、音楽室には入ることができ、天井近くの丸窓がステンドグラスになっていて美しかった。
     地図上では把握できなかったが、実際に会場を歩いてみてわかったことが何点かある。まずは立ち入りが禁止されている部屋があり、音楽室に隣接した部屋はいくらドアノブを動かしても、ドアは開かなかった。
     次に、道具は見えやすい場所に置いてあるということ。音楽室に行く前に立ち寄ったのだが、彼女たちがいる階には小さな講堂もあった。中に進めば最前列の机に赤い縄が置かれていて、その下に挟まったメモ用紙には『とある打刀の赤縄です。ご自由にお使いください。(持ち主の刀剣男士は本遊戯に参加しておりません)』と書かれていた。
     刀剣男士の持ち物だけあり、縄からは神気が感じられたが、参加者の刀剣男士を撃退できるほどの力はない。長船は赤縄を手に取り、政府の意図を読み取ろうと凝視したが、播磨は顔を覆いうなだれてしまう。体調が悪いのかと心配になったが、『亀甲のこと知らないもんね』と言い、長船が亀甲貞宗について聞いても『純粋なままのあなたでいて』と言われるだけで、詳しいことは教えてくれなかった。

     音楽室の前にある学習スペースにも行ったが目新しいものはなく、近くに階段があったので上の階へ移動することにした。一つ上の階に着いてもまだ階段は続き、二人はさらに上の階の四階へと進む。
     四階は長い廊下が延び、二階にあった西側の部屋に続く道はない。地図で見ると四階は北側の部屋と西側の一部の部屋しかなく、変則的な形をしていた。
    「ね、何で男審神者の服着てるの?」
     四階に着いたところで、播磨から男装の理由を尋ねられたが、長船は言葉に詰まった。播磨が聞いて楽しい話ではないからだ。曖昧に濁すか、いっそ話を作ってしまうか。彼女の迷いを見て、播磨は自分の失態に気づいたらしく、両手を顔の前で合わせる。
    「ごめん! 私また余計なこと言って!」
    「謝らないで、そんな深刻な話じゃないんだ。父に気に入られたくて、男の子みたいに振る舞ってたんだ」
    「え?」
     播磨の顔が歪み、その素直なリアクションに長船は苦笑する。とっさに本当の理由を話してしまったので、今更濁すことも話を作ることもできない。仕方がないので、できるだけ明るく話すよう努めた。
    「うちは男尊女卑の酷い家でね。男の子の格好をして、男の子のように振舞ったら、父から跡取りとして認めてもらえて……ははっ、我ながら酷いファザコンだよ」
    「何それ。毒親じゃん」

     ──僕は永遠に女を清算したんだ。
     ──何それ。

     憤る播磨に、燭台切の姿が重なった。永遠に女を清算したという川島芳子の言葉を伝えた時、彼も播磨と同じ言葉を言った。
     彼女は未だに、どうして燭台切が変わってしまったのかがわからない。彼は審神者就任直後に来た古参の刀で、面倒見が良くて気の置けない刀だった。それなのに、彼はある日を境に豹変してしまう。審神者退任を控えた彼女を、二週間にわたり本丸の一室に監禁し、その後神隠しした。

     ──もう大丈夫だよ、君は僕が守ってあげるから。

     彼女の身も心もボロボロにしておきながら、彼は一体何を守っているつもりなのだろうか。
    「今も男のふり続けてるの?」
    「……いや、弟ができたから僕はお役御免だ」
     播磨の声で現実に戻り、不自然に開いた間を不審に思われないよう、冷静を装う。播磨からは身勝手な親だねと言われたが、肯定するのは憚られた。


     廊下を進む間右手にテラスが見えていたが、テラス見えなくなると教室が現れた。教室の向かいには上ってきたのとは別の階段があったが、長船たちは階段を下りるのではなく右手側の教室に入った。教室には実験器具が収められた棚や、中央に流し場がある長机があった。
    「僕は準備室を探す。何かあったらすぐに呼んで」
    「OK」
     音楽室や小講堂もそうだったが、遊戯会場として使われている校舎には、教室名が書かれていない。そのため部屋に置かれた物から推測するしかないが、理科室の準備室と思われる部屋には、植物の標本や実験器具の予備が置かれていた。長船は電気のスイッチを押すが、一向に電気が点かない。
    「……あれ?」
     間違って切ったのかと思い、もう一度スイッチを押すが電灯は暗いままだ。同じタイミングで理科室の方からも、あれ? と聞こえてくる。

     理科室に戻ると、播磨が流し場の前に立ち蛇口を捻っていた。右に捻ったり、左に捻ったり、そのたびにあれ? あれ? と漏らしている。
    「水が出ない?」
    「そうなの。何かべたべたするもの触っちゃったのに~」
    「トイレなら水が出るかも」
     階段横にトイレがあったのを思い出し、二人は理科室の正面にあるトイレの手洗い場に行った。結論から先に言うとトイレも水が出ず、手に付いた汚れはトイレットペーパーで拭き取るしかなかったが、二人はそこで探していた政府の道具を見つけた。

    『参加者の動きを二時間封じることができる札です。動きを封じたい参加者の名を呼びながら札を飛ばしてください。』

     小講堂で見つけた赤縄の下に置かれたメモと同じ材質の紙が、トイレの鏡に貼ってあった。貼り紙の下には三枚の札が等間隔に並んであったが、少し力を入れただけで札は簡単に剥がれた。
    「対刀剣男士の道具、か」
     離脱条件の達成には繋がらないが、それでも刀剣男士への対抗手段ができたのは心強い。
    「僕と播磨で一枚もらって、残りは他の人に残し……」
    「ううん、全部取っていった方がいい」
     札を見ながら長船は話していたが、播磨らしくない言葉に顔を上げると、播磨は貼り紙を指さした。
    「刀剣男士じゃなくて『参加者』って書いてある。これ、刀剣男士も使えるよ」

     確かに播磨が言うとおり、どこにも対刀剣男士の道具とは書かれていない。長船が自分の都合のいいように解釈していただけだった。
     もし刀剣男士が先に見つけていたらと思うと、背筋に冷たいものが走った。播磨は残りの二枚の札を剥がし、そのうち一枚を長船に渡した。
    「長船が持ってて」
    「でも」
    「いいの。長船の方が大変なんだし、ね?」
     普段の彼女なら無理にでも播磨に返していたが、しばし躊躇した後、礼を言って札を受け取った。

     二人はトイレを出ると理科室には戻らず、四階の残りの部屋を確認しに向かった。南に続く廊下を歩いている途中、タブレットで時間を確認すれば、遊戯開始から四時間が経とうとしていた。あと少しだねと互いに喜ぶが、突如現れた人影が二人の前に立ちはだかる。
    「えろう仲がよろしゅうて」
     関西の言葉で話す眼鏡をかけた刀剣男士は、道中播磨から聞いた明石国行の特徴と一致する。そして播磨が長船の腕にしがみつき震えているのが、何よりの証拠だった。
    「腹いせに自分妬かせようって魂胆で?」
     明石は薄笑いを浮かべ、腰の刀には手を触れない。攻撃の意思はないと思われるが、播磨に聞いていた以上に考えが読めない刀剣男士だ。長船は播磨の肩を抱き、彼女をかばう。明石の態度は変わらないが、ゆっくりと長船たちに近づいてくる。
    「どちらさんか知らんけど、面倒かけましたなあ。こっからは自分が主はん預かりますんで、もうええですよ」
     真綿で首を締めるように、ゆっくりと、ゆっくりと長船たちにプレッシャーをかけてくる。

     長船は明石から目を離さず、左手で握っている札を使わずにすむ方法を考えた。二枚あるとはいえ、できるだけ温存しておきたかった。どこかに隙はないかと全神経を集中して明石の動きを注視するが、明石の足が止まる。
    「あんた何しとるん?」
     札に気づかれたのかと長船は焦るが、明石の視線は播磨に向けられていた。
    「主はん置いて逃げればええのに、その人健気にがんばってるで。主はん、何しとるん?」
     明石の言葉を聞き、播磨の震えが酷くなった。長船は一層自分が播磨を守らねばと決意したが、それが明石の気に障ったのかもしれない。今まで飄々としていた彼の声のトーンが一気に下がる。
    「ほんまに主はんは自分さえ良ければそれでええんやなあ」
     止まっていた足が再度動き出し、長船は覚悟を決めた。播磨の肩を抱いていた右手を離し、左手に握っていた札を掴む。

    「明石国行の動きを封じよ!」
     声を張り上げ札を飛ばすと、札は意思を持っているかのように真っすぐ明石へと飛んでいく。明石は飛んでくる札を余裕の表情で切ったが、札は落ちることなくぴたりと刀身に貼りついた。
     明石の体は札を切った不自然な格好のまま止まり、初めて彼の顔に焦りが生じる。長船は播磨の体を強引に引っ張り、後方に見える階段へ向かい全力で駆けていく。途中播磨が後ろを振り返ったが、走れ! と怒鳴りつけ、明石から逃げた。


    「はぁー……政府の用意した道具ってやつです? 勘弁してほしいわ」
     動きを封じられた明石は、刀を振り下ろした不自然な格好のまま溜息を吐く。ありったけの力を込め拘束を解こうとするが、徒労に終わった。
    「あのまま動かん方が良かったとは」
     燭台切たちと別れた後、しばらく三階に留まっていたが何も進展はなく、不本意ながら動くことを選んだ結果がこれだ。明石国行の『あいでんてぃてぃ』を尊重すべきだった。しかし彼は合理主義者だったので嘆くのは早々にやめ、情報の整理に努めた。
     まずは彼の主。審神者3『5時間以上他の参加者と遭遇しない』ではないのは確実だ。審神者1『政府の用意した8種の道具のうち、2つ以上を使用する』でないのもほぼ確実。審神者1ならば、あの一緒にいた女でなく彼の主が札を使うはずだ。審神者7『7つ以上の離脱条件の所持者を特定する』は何とも言えない。明石のタブレットを奪えば、二つの離脱条件を特定できるが、恐怖で刀剣男士からタブレットを奪うという発想に至らなかったことも考えられる。

     問題なのは審神者5と審神者8だった時だ。審神者5『遊戯開始から328分が経過する』または審神者8『5時間以上嘘を吐かない。ただし、真偽は審神者の認識に基づく』ならば、あまり悠長にはしていられない。遊戯開始から既に四時間は経過している。
    「審神者4も審神者5、8が勝てば自動的に上がりで、審神者2も油断はできんし」
     明石は鶴丸の言っていた合意なき刀解について改めて考えた。彼は合意なき刀解は単なる作り話だと思っている。しかし彼が引っかかりを覚えているのは、長谷部の反応だ。一瞬とはいえ、彼は確かに『合意なき刀解』に反応した。
     仮に合意なき刀解ができる審神者が実在するとして、長谷部の主が審神者2なのだろうか? いやと明石は自分の仮説を否定する。それではあまりに離脱条件が簡単すぎる。
    「いやいやいや」
     そもそも合意なき刀解ができる審神者が神隠しされるわけがないと最終的な結論を出し、彼は続いて主と共にいた審神者について考えた。

     彼女も審神者3ではない。もっと早く札を使えば良かったのだから、審神者1でもないだろう。鶴丸の主でも燭台切の主でもない。鶴丸の主は若い男性だと言っていたし、燭台切の方は性別は合っているが、見た目が一致しない。

     ──僕の主は明石君と同じ年頃の女の子で、今は女の子らしい格好をしているよ。

    「(今は、か)」
     思考を巡らす明石だったが、階段を上ってきた参加者を見て、考えるのを放棄した。もっと自分らしくしておけば良かったと無駄な労力を割いたことを後悔したが、そのわりに彼の口の端は上がっている。
    「えろうすんまへんな」
    「どうした? おかしな格好をして。それに楽しそうだ」
     天下五剣のうち最も美しいと評される刀、三日月宗近の登場に明石は喜んだ。もっとも、彼が喜んだのは三日月の美しい微笑を見たからではない。
    「やる気ないのが売りなのに、一番に抜けてしまいますわ」
     ブツリと、どこからか人工的な音がする。そして遊戯説明の場以来の、魂之助の声が聞こえてくる。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士2の明石国行の勝利。審神者5の播磨、敗北です」

     刀剣男士2、明石国行の離脱条件は『遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する』。彼が遊戯開始以降会ったのは、燭台切に鶴丸、長谷部、主、狩衣の女審神者。三日月が離脱条件を達成するための最後の一人だった。
    「よきかな、よきかな。同胞の勝利の瞬間に立ち会えるとは嬉しいな」
    「おおきに」
     遊戯の勝利により体の拘束が解かれ、彼は首を回した後、癖で前髪を触ろうとしたのだが、自分の手の異変に気づいた。天にかざして見れば、見えないはずの天井が透けて見える。だが同時に体の内側から霊力が湧き上がるのを感じ、本霊と同等の神格を手に入れたのだと実感する。
    「蛍丸、国俊……これでええやろ」
     引き続き魂之助の声がし、遊戯を一時中断して補足説明に入ると聞こえてくる。三日月の前に管狐が現れた頃には、彼の姿は遊戯会場から消えていた。


     長船たちは階段を駆け下り、一階まで逃げた。近くの部屋に隠れようとしたが、そこは探索中見つけた図書室で、隠れる場所には適していなかった。乱暴にドアを閉めれば、別の部屋を探さないといけないと播磨もわかったようで、彼女は廊下を挟んだ向かいの部屋に飛び込み、長船もそれに続いた。
     彼女たちが入ったのは保健室だった。できるだけ見つからない場所へと部屋の奥に進み、ベッドが見えたところで緊張の糸がプツリと切れる。播磨がベッドに倒れ込み、長船はその横に腰掛けた。
     全身で息をする播磨を見て、本来の自分の体であれば同じようになっていただろうと長船は思った。本丸の一室に監禁されてから今に至るまで、運動らしい運動はしていなかった。

     ──なるほど、仮の器だからか。

     仮の器について説明を聞いた時、果たして仮の器だと意識できた者が何人いたか。四肢は自分の思うとおりに動き、走れば息も切れる。刀剣男士を恐ろしいと思う気持ちと、仲間を見つけ安心する気持ちもきちんと感じる。
     だが彼女は、自分の姿を見るたび、仮の器であると強く意識させられる。長船が神隠しされる直前の容姿は今と大きく異なっていた。燭台切に神気を注がれ、短かった髪は胸元まで伸び、少年のように痩せていた体は女性らしく変わった。
    「札使わせてごめん」
     まだ辛いらしく、うつ伏せたままで播磨が謝る。そのせいで播磨の表情は伺えない。
    「いいよ。僕も燭台切を前にして、冷静でいられる自信はないし」
    「ねえ、明石が言ってたこと、気にならないの?」
    「明石が言ってたこと?」
    「……なんでもない」
     明石のどの発言を指しているのかわからず聞き返したのだが、播磨は会話を終わらせてしまった。

     播磨が落ち着くのを待ち、二人は今後について話し合った。札の効果が二時間続くとはいえ四階に戻る気にはなれず、一階から探索を再開することにした。
     刀剣男士と対峙した恐怖は完全には消えていないけれど、希望は見えていた。遊戯開始から四時間半が経ち、審神者3と審神者8の勝利の時が近づいていた。もちろん彼らの状況は長船たちにはわからないが、それでも彼らが勝てば審神者4も勝利し、播磨もその後に続く……はずだった。

    「離脱者の発表を行います」

     二人で長船のタブレットを見ていると、突然、放送が流れてきた。スピーカーは見当たらなかったが、自然と視線が上を向く。放送は播磨の敗北を告げるものだった。

    「刀剣男士2の明石国行の勝利。審神者5の播磨、敗北です」

     放送は一度きりで終わり、長船は聞き間違いだと思った。何の根拠もないけれど、播磨が負けるはずがないと信じていた。すがるような気持ちで播磨を見るが、彼女の体は徐々に透明になり、体の端から空気に溶けていく。
     播磨は消えていく自分の体を凝視していたが、全ての指がなくなると首を傾け、長船の顔を見つめる。探索の傍ら昔からの友人のように会話を交わした時とも、明石を前にし怯えていた時とも違う、引きつった笑みが不気味だった。彼女は指のなくなった手を長船に伸ばし、かすれた声を絞り出す。
    「助けて」
     自分の体に彼女の丸い手が触れる前に、長船はその手を払っていた。播磨の口から乾いた笑いが漏れ、涙を流しながら何で? と長船に問いかけてくる。彼女の瞳にあるのは、決して悲しみだけではない。自分のしたことの重大さと、責める播磨の目に耐えられなくなり、長船はその場から逃げ出した。

     しかし保健室のドアの前に立ったところで、急に足が動かなくなった。動かなくなったのは足だけではなく、ドアノブにかけた手もだ。固まってしまい、一切動かせない。
    「補足説明に入りますので、移動はお控えください」
     魂之助の声が聞こえた途端、体を拘束していた力が消える。彼女が後ろを振り返ると、ソファの上に魂之助が座っていた。そして不思議なことに、放送からも魂之助の声が流れてきた。

    「これより遊戯を一時中断し、補足説明に入ります」

     遊戯の説明は保健室にいる魂之助が行うらしい。魂之助は長船にタブレットを見るよう言うが、彼女の手にタブレットはない。恐る恐るベッドの方を向くと、播磨の姿はどこにもなかった。
     安心した自分に嫌悪感を抱きながら、彼女は床に落ちたタブレットを拾いに行くと、タブレットから赤と黒の光が放たれていた。拾って画面を見てみると、雷の中太鼓を拾う鬼の手が描かれていた。
    「柳のカス」
     つぶやく彼女に、おめでとうございますと魂之助が言う。
     
    「貴方は敗者の最も近くにいた参加者ですので、『鬼札』に選ばれました」
    「何だそれは……」
    「離脱条件一覧をご覧ください」



    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:???
    離脱条件 政府の用意した8種の道具を全て破壊する

    鬼札:長船
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:茶坊主
    離脱条件 24時間以上誰とも遭遇しない

    審神者4:???
    離脱条件 審神者が4名以上遊戯に勝利する

    審神者5:播磨 【敗北】
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:???
    離脱条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する

    審神者7:眉月
    離脱条件 刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:???
    離脱条件 24時間以上嘘を吐かない


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:???
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


     播磨の文字が朱色から黒に変わり、名の隣には勝敗が書かれている。それは明石も同じで、こちらも自動反映された証である黒文字だ。
    「気づかれましたか?」
    「離脱者の名前と勝敗が書かれているな。それに僕が審神者2から鬼札に変わっている」
    「それだけです?」
    「何が言いたい?」
    「貴方以外の審神者様の離脱条件が変わっているでしょう」
     急いで画面を見直せば、魂之助が言うように他の審神者の離脱条件が変わっていた。全ての条件を正確に覚えてはいないが、少なくとも眉月の離脱条件は『7つ以上の離脱条件の所持者を特定する』だったし、茶坊主は『5時間以上他の参加者と遭遇しない』だった。
     
     気にすべきは離脱条件が変わった点だけではない。皆、条件が厳しくなっている。刀剣男士の離脱条件も確認したが、彼らの条件は変わっていないようだった。
    「第一の敗者の最も近くにいた参加者は『鬼札』となります。タブレットを操作していない時に浮かぶその絵は、鬼札の証です。そして鬼札と同陣営の者は皆、離脱条件の難易度が上がります」
    「そんなこと聞いてないぞ!」
    「他の遊戯の決め事は、遊戯中必要に応じて説明すると言いましたでしょう。でも、ご心配なく。離脱条件を一つ前のものに戻す方法がございます」
     その時、彼女には魂之助が笑っているように見えた。表情は全く動いていないのに不思議な感覚だが、離脱条件を戻す方法を彼女が問うと、それまでの説明と変わらぬトーンで魂之助は言った。

    「鬼札の敗北です」





    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:五七桐
    離脱条件(易)政府の用意した8種の道具のうち、2つ以上を使用する
    離脱条件(難)政府の用意した8種の道具を全て破壊する

    鬼札(審神者2):長船
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:茶坊主
    離脱条件(易)5時間以上他の参加者と遭遇しない
    離脱条件(難)24時間以上誰とも遭遇しない

    審神者4:???
    離脱条件(易)審神者が1名以上遊戯に勝利する
    離脱条件(難)審神者が4名以上遊戯に勝利する

    審神者5:播磨 【敗北】
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:???
    離脱条件(易)遊戯の勝者が2名以上になる
    離脱条件(難)審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する

    審神者7:眉月
    離脱条件(易)7つ以上の離脱条件の所持者を特定する
    離脱条件(難)刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:???
    離脱条件(易)5時間以上嘘を吐かない。ただし、真偽は審神者の認識に基づく
    離脱条件(難)24時間以上嘘を吐かない


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:???
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


    ≪道具一覧≫
    道具1:宗三左文字
    道具2:???
    道具3:???
    道具4:拘束札×3
    道具5:???
    道具6:???
    道具7:???
    道具8:とある打刀の赤縄



    第二章:予定調和な展開
     一組目の離脱は明石国行と播磨で、勝者は明石だった。まさに長谷部の予想したとおりの展開になった。彼に与えられた他参加者の離脱条件は明石であり、この刀剣男士が真っ先に抜けるだろうと思っていたのだ。
    「どういたしましたか?」
    「聞きたいことがある」
    「わかりにくい点がありましたか?」
    「説明はもういい」
     補足説明のため現れた魂之助に、長谷部は遊戯当初から抱いていた疑問をぶつけた。
    「政府は何故刀剣男士に肩入れする?」
     長谷部は本霊が神域を訪ねてきた時から違和感を覚えていた。本霊は秘密遊戯への参加は刀剣男士の希望により決まると言い、いくら主が反対しようと詫びるだけだった。

     審神者不足を解消するためかと思えば、それも離脱条件を見れば違うとわかる。
    「審神者を現世に帰したいのなら、審神者に有利になるよう離脱条件を設定すればいいものを、むしろ刀剣男士の方が容易な離脱条件が多い。離脱条件だけではない。抜刀や真名による呪いを禁じないのはどうしてだ? ここまで刀剣男士を優遇していると、鬼札も怪しいものだな」
     魂之助の説明によれば、第一の敗者の最も近くにいた審神者2が鬼札となり、鬼札以外の審神者たちの離脱条件は、より厳しいものへと変わった。そして彼らは鬼札が敗北しない限り、元の条件には戻らない。
     鬼札がいる陣営は、同陣営でありながら鬼札対その他という図式ができ、自身の離脱条件のみに集中できなくなる。さらにそこへ人の子ならではの葛藤が生じるだろう。鬼札は他の審神者を、他の審神者は鬼札を犠牲にしていいのかと葛藤する。

    「本当に第一の敗者の最も近くにいた者と決まっていたのか? 後出しであれば、いくらでも好きに言える。第一の勝者の近くにいた者、最も離れていた者。いっそ部屋を指定して、その場にいた者と言ってしまってもいい。審神者で該当者さえいれば、それで良かったのだろう」
    「……」
    「神隠しを禁じておきながら、神隠しを行った刀剣男士に肩入れする。政府は一体何を考えている?」
     魂之助の様子を伺うが、魂之助の表情はぴくりとも動かない。
    「私は公正な決め事にのっとって、遊戯を運営するまでです。ご健闘をお祈りいたします、へし切長谷部様」
     感情の見えない声でそう言うと、魂之助の体は瞬時に消えた。
    「畜生風情が」
     魂之助のいた場所を見つめたまま、長谷部は舌打ちをした。

     政府は気に食わないが、遊戯に参加した以上、彼がすべきことは明白だ。主を見つけ、遊戯に勝利する。しかし、彼は何故か動けずにいた。
     長谷部は正面にある十字架に張りつけられたイエス・キリストの像を見上げた。中学校とは十代前半から中頃の子供が学ぶ場所だと聞いているが、遊戯会場の二階には聖堂があった。
    「俺に懺悔しろと?」
     キリストの像に対し、一人つぶやく。

     ──何戻って来てんだい。早くお逃げ。

     思い出すのは、彼女に顕現された日でも戦場を駆け抜けた日々でもなく、本丸最後の日だ。炎に囲まれた本丸の中から、庭で戦う薬研藤四郎を見た時の高揚感は忘れられない。それと同じくらい、その後に味わう絶望も。
     腕を組み目をつぶっていた主は、戻って来た長谷を見て眉をひそめる。高揚していた気分が急降下した。書類仕事もろくにできない、無能な女主の近侍として長年仕えてきた。その結果、主と最期を共にする刀に選ばれたと思ったのに、酷い裏切りだった。

     ──今までよく仕えてくれたね長谷部。だから、もういい。早くお逃げ。

     彼を裏切った女主人は今何をしているのだろう。長谷部は長い間、キリストの像を見上げていた。


     一階の美術室と思われる部屋で、茶坊主は魂之助の補足説明を聞いていた。美術室には魂之助と彼女以外に二人の参加者がおり、彼らとは先ほどまで一緒に会場内を探索していた。
     最初に会ったのは、加州清光に隠された『爪紅』と名乗る女性だ。彼女は教室の一室に隠れていた。理由を聞けば彼女は審神者6『遊戯の勝者が2名以上になる』であり、他の参加者が抜けるまで隠れていようと考えたという。茶坊主は強制しなかったが、彼女は茶坊主と共に行くことを選んだ。
     次に会ったのはアルビノの少年、『眉月』だ。彼は三日月宗近に隠された審神者で、審神者7『7つ以上の離脱条件の所持者を特定する』であった。廊下で鉢合わせた時、白いパーカーを着ているのもあって鶴丸と勘違いして身構えたのはここだけの話だ。
     眉月は離脱条件の所持者の特定のため審神者を探しており、茶坊主と爪紅に同行したいと彼から言い出した。そうして三人で教室、二つの中庭と坪庭、食堂、作法室、調理室、美術室と見てきたのだが……。

    「ふざけてる!」
     突如現れた魂之助に、爪紅が怒声を上げる。
    「離脱条件が変わるなんて聞いてない!」
    「ですから、その他の遊戯の決め事は遊戯中必要に応じて説明すると言いましたでしょう」
     一組目の離脱者が出たことで、審神者の中から鬼札が現れ、ここにいる三人とも離脱条件が変わってしまった。爪紅は『審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する』に、眉月は『刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する』へ。かくいう茶坊主も『5時間以上他の参加者と遭遇しない』から『24時間以上誰とも遭遇しない』になった。
    「そんなルールがあるなら私の条件は不公平じゃない! どうやっても一番始めには勝てない!」
     茶坊主も離脱条件の変更に少なからず動揺していたが、爪紅の豹変ぶりを目の当たりにして呆気に取られていた。
     爪紅はモテる女を絵にしたような女性で、顔立ちが整っているのはもちろんのこと、声や仕草、服装も言い方は悪いが男の好きそうな女だった。それが離脱条件の変更を知った途端、鬼の形相をして魂之助に食ってかかっている。茶坊主は何もしゃべらない年若い眉月を心配し、彼の様子を伺ったが、彼はこの中の誰よりも冷静であり、かつ口が悪かった。
    「ババアうるさい」
     淡々とした言いぶりに、爪紅はとっさに反応できなかった。さらに眉月が魂之助と話し始めたせいで怒りを爆発させる機会も失い、わなわなと身を震わせている。ギムナジウムにいそうな物静かな美少年と思っていたのは、茶坊主の勘違いだったようだ。

    「鬼札が負ければ元の条件に戻る。このルールは確定、もう変更されないな?」
    「はい」
    「ならいい。やることは決まった」
     震える爪紅を無視し、眉月が魂之助に確認を取る。そして満足いく回答を得ると、何事もなかったかのようにタブレットをいじりだす。それは鬼札敗北に向け動くと宣言しているようなものだった。
     眉月は一組目離脱により、七つの離脱条件の所持者を特定した。鬼札が負ければ離脱条件が元に戻り、遊戯に勝利する。だが茶坊主は納得できなかった。
    「審神者2だって、現世に帰りたいはずだ。それなのに、同じ不幸な目に遭った審神者を見捨てるつもりかい?」
    「それの何が悪い?」
     他者を切り捨てることに躊躇いを見せない少年に、茶坊主は絶句する。怒りよりも悲しみで心が締めつけられた。だが、爪紅がそんな彼女を鼻で笑い、攻撃する相手を切り替えた。
    「なに綺麗事言ってんのよ。自分のことよりアンタたちを助けたいんだ、だっけ? だったら私のために鬼札負かしてきなさいよ!」

     爪紅が言ったのは、爪紅に会った時茶坊主が口にした言葉である。彼女が神隠しされたのは八十五年ほど前、審神者制度黎明期の頃だ。彼女が長谷部を顕現してからは九十八年が経ち、あと一年すれば長谷部は本霊に還り、彼女は次の世に転生するはずだった。しかし長谷部が遊戯への参加を決めてしまった。
     未来永劫神域に留まり続けるのは、自分のためにも長谷部のためにもならない。けれどそれ以上に、現世で待つ人がいる他の参加者を優先すべきだと茶坊主は思っている。それが他の参加者と会わないことが勝利の条件である彼女が、眉月たちと行動を共にした理由だった。
    「私は……」
     彼女には爪紅の気持ちも理解できた。けれど、多くを救うために鬼札を犠牲にしていいとはどうしても思えなかった。
    「アンタたちが何と言おうと、私は審神者2を犠牲にするのは嫌だ。私はみんなが助かる方法を探す」
    「偽善者、私が負けたらあんたのせいよ」
    「交渉決裂だ」
     茶坊主は彼らに背を向け美術室の戸を開けた。最後に何か励ましの言葉を送れないかと思ったが、気分を損ねるだけだとわかり、無言のまま美術室を後にする。


     茶坊主は美術室を出た足で二階に向かった。二階で最初に見たのは音楽室だ。高い天井にステンドグラスの丸窓を見、思わず溜息が漏れる。隣接する部屋にも続いて行ったが、中にはピアノが一台置いてあるだけで他には何もなかった。部屋の広さからして、練習室なのかもしれない。
    「坊ちゃん校なのかねぇ」
     校舎は新しく、造りも洒落ている。加えて設備も良さそうだ。そんな感想を抱きながら、会場内を見て歩く。こじゃれていて用途のわからない部屋や、オープンスペースになっている職員室を通り、彼女は廊下の突き当りまで来た。
     地図で現在位置を確認しようと思ったが、ふと思い立ち、地図ではなく離脱条件一覧を開く。



    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:五七桐
    離脱条件 政府の用意した8種の道具を全て破壊する

    鬼札:???
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:茶坊主
    離脱条件 24時間以上誰とも遭遇しない

    審神者4:???
    離脱条件 審神者が4名以上遊戯に勝利する

    審神者5:播磨 【敗北】
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:爪紅
    離脱条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する

    審神者7:眉月
    離脱条件 刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:豊玉
    離脱条件 24時間以上嘘を吐かない


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:???
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


     当初からあった自分と五七桐の他に、タブレットには眉月と爪紅から聞き取った内容と離脱した一組目について書いてある。
     改めて播磨の横に書かれた敗北の文字を見ると、心が痛んだ。播磨とはどのような人物だったのだろう、敗北が決定した時の絶望はいかほどだったか。
    「……駄目だね私は」
     過去を悔やむのではなく、未来に目を向けないといけないのに。茶坊主はこれ以上気持ちが引きずられないよう、画面を地図へと切り替えた。

     地図上では、左右どちらに進もうと大きな建物(おそらく講堂や体育館だ)に着くのだが、彼女は左を選んだ。何となくで選んだ結果なのだが、第六感が冴えていたのかもしれない。
     大きな建物に繋がる廊下の前に部屋が一つあり、彼女はその部屋が開くかどうか確かめるため戸に手をかけた。というのも、職員室から廊下の突き当りまでの間にあった部屋は、鍵がかかっていて開かなかったのだ。
     前の部屋とは違い、ドアはすんなり開いた。ホワイトボード、キャビネット、本棚、それから会議室によくある折り畳みできるタイプの机。机の上にはノートパソコンが開かれて置いてあった。
     魂之助に聞かねばタブレットが使えぬほど機械音痴な彼女が、パソコンに触ろうと思ったのは、やはり勘が冴えていたからといっていいだろう。茶坊主がマウスに触れるとディスプレイが点灯した。画面に三十過ぎと思しき男性の写真と、男性のプロフィールが表示される。

      氏  名:――― ――
      性  別:男性
      登録番号:203231021
      管  轄:相模国
      就任年月:22××年5月
      失踪日(神隠し):22××年12月××日
      刀剣男士:一期一振

     下にスクロールすると、今度は別の男性の写真とプロフィールが出てくる。眼鏡をかけた初老の男性で、白髪が目立った。

      氏  名:―― ――
      性  別:男性
      登録番号:203101355
      管  轄:備前国
      就任年月:22××年7月
      失踪日(神隠し):22××年10月××日
      刀剣男士:秋田藤四郎

     三番目は女性だった。証明写真にしては珍しく、口角をきゅっと上げ綺麗な笑顔を作っている。写真慣れしている彼女は二十代前半のようだ。

      氏  名:―― ――
      性  別:女性
      登録番号:598222965
      管  轄:武蔵国
      就任年月:22××年4月
      失踪日(神隠し):22××年3月××日
      刀剣男士:明石国行

     そして四番目。四番目は茶坊主だった。今までの三人と同じように、彼女の写真と真名が載っている。茶坊主は文字を飛ばし、写真だけを急いで確かめていく。二十代から三十代の男女の写真が並び、その中に爪紅を見つけた。

     写真と氏名が記されている人物は全部で十人、眉月はいないが茶坊主と爪紅、明石国行に隠された審神者の情報があることからして、参加者の審神者のリストと考えていいだろう。
    「一体どういうことだい……」
     秘密遊戯は神隠しされた審神者の救済措置だと茶坊主は思っていた。だが、このリストはあまりに刀剣男士に対し有利だ。刀剣男士1でなかったとしても、真名さえあれば審神者を支配できる。
     政府の考えが読めず混乱する茶坊主だったが、彼女は割り切りのいい性格であり、かつ豪快だった。考えてもわからないものはわからないと潔く諦め、自分にできる方法を実践した。 
     茶坊主はパイプ椅子を持ち上げると、ノートパソコンのディスプレイに向け思い切り振り下ろした。


     大きな音を立て、パソコンが床に転がり落ちる。パソコンがなくなったことで下に敷かれていた『秘密遊戯の候補者リストが閲覧できます』と書かれた紙が出てきたが、パソコンの画面にはひびが入り、点灯こそしているが青い線が入って写真や文字は見えなくなった。
     彼女はパイプ椅子を元に戻すと、爽快な気分で机の上のタブレットを取った。だが、そこでタブレットの危険性に気づく。急いで眉月と爪紅から聞いた情報を消したが、それでも離脱条件一覧には審神者1の五七桐と審神者3の茶坊主の名が残る。
     刀剣男士7の離脱条件は『審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする』だ。このタブレットは決して刀剣男士7には見せてはいけなかった。
     タブレットの危険性に気づいたてからの彼女の行動は早かった。タブレットを床に叩きつけると、再びパイプ椅子を持ち上げる。
    「キエェェアァ!」
     何故同田貫なのかは本人にもわからないが、タブレットの中央に攻撃が決まると、蜘蛛の巣のようにひびが一気に広がっていく。念のためタブレットを拾い電源のスイッチを押すと、振動は伝わってくるが画面は真っ黒のまま何も映らない。茶坊主はタブレットを持っていない方の手でガッツポーズをした。

     今度こそ用は済んだと顔を上げるが、彼女は自分を見つめる視線に気づいた。加州清光と堀川国広だ。加州は遠い目をして、堀川は大きな目をさらに大きくしている。刀剣男士の登場に怯える場面なのだろうが、興奮していた彼女は啖呵を切った。
    「なんだい!? 見世物じゃないんだよ!」
    「えー、俺が怒られんの? 理不尽ー」
     だが刀剣男士がその程度で怖気づくはずもなく、入り口に立っていた二人が部屋の中に入り、堀川がドアを閉める。
     出口を塞がれ、茶坊主は内心焦っていた。タブレットは壊したが、茶坊主は二人が隠した審神者について知っている。加州の爪紅、堀川の豊玉(豊玉は土方歳三の雅号だ)。なんとしても隠し通さねばならない。彼女の戦いが始まった。

    「おねーさん、何でタブレット壊したの? というか、それ誰のタブレット?」
    「おや、まだお姉さんって呼んでもらえるのかい。嬉しいね」
    「ごまかさない。で、どうなの?」
     小首を傾げたかわいらしいポーズを取っているが、言っていることは脅迫に等しい。茶坊主がどう出るか考えあぐねていると、意外なことに堀川が助け船を出してきた。
    「柳のカスを隠したかったんですか?」
    「……だったら何だっていうんだい」
     柳のカスが出てきた理由が瞬時にわからず、そう返すのが精一杯だったのだが、堀川は苦笑し、警戒しないでくださいと言った。
    「鬼札だったら僕たちが守ってあげますよ」
    「守る?」
    「鬼札のおかげで僕たちは遊戯を優位に進められますから、負けてもらっては困るんです」
    「皮肉なもんだ」
     仲間の審神者には敵視され、敵であるはずの刀剣男士からは救いの手が差し伸べられる。これを皮肉と言わずに、何を皮肉と言うのだろう。

     もし彼女が頭脳戦を得意とする審神者ならば、鬼札のふりをして堀川の申し出を受けるという選択もあっただろうが、あいにく腹の探り合いは大の苦手だった。だから茶坊主は自分の信念を刀剣男士へ示した。
    「私は仲間を売るような真似はしない。そんなことするくらいなら舌噛んで死ぬ」
    「すごーい、根性据わってるねおねーさん。でも痩せ我慢は良くないんじゃない?」
    「私は元々この遊戯に参加するつもりはなかった。現世に未練はない、未来ある仲間のために死ぬなら本望だ」
    「じゃ、その覚悟……確かめさせてもらおうかな」
     加州が目を細め妖艶に笑う。本丸にいた頃なら眼福だと笑い飛ばし、加州の頭を撫でていただろうが、今は冷や汗しか出ない。
    「加州さん、嫌がる女性に無理強いはいけないよ」
    「え? 国広……」
     堀川が加州の肩に手を置き、にっこりと微笑む。加州と茶坊主が戸惑う中、堀川は加州の手を引いてドアの前から部屋の奥へと移動し、茶坊主の退路を用意する。
    「引き止めてすみませんでした。どうぞお気をつけて」
     素直には信じられず堀川を凝視するが、堀川はどうぞと言うばかりで動く気配はない。それどころか加州が動かないように、加州の腕に抱きついている。

     茶坊主は壁を背にして横歩きでドアまで歩き、ドアを勢い良く開けるとそのまま走り出した。堀川が見逃した理由は定かでないが、彼女に勝ち目がないのは明白だった。
     茶坊主は転びそうになりながらも、とにかく走った。途中でドアが開いている部屋を見つけるも、十字架のキリスト像を見た瞬間、止まりかけていた足が再び走り出した。
    「(頼りないとか思ってませんから!)」
     どうして聖堂(あんな大きなキリスト像が掛けられているのだから聖堂だろう)を避けたのか彼女自身わからず、心の中で異国の神に詫びを入れた。
     廊下を真っすぐ走り続けると、地図で見た別建屋に着いた。他よりも重い扉を開け、体をねじり込ませる。講堂か体育館との読みは正しかったようで、下の階を見ればステージとステージに向かって並べられた椅子が備えつけられていた。
    「こりゃ坊ちゃん校で間違いないね」
     講堂そのものの造りは言わずもがな、椅子も映画館やコンサート会場にあるような椅子だ。彼女が学生だった頃とは違い、この遊戯会場の生徒たちは集会の度にパイプ椅子を並べなくていいのだろう。

     茶坊主はフロア後方に階段を見つけると、階段を上って校舎の三階へ戻り、一番近くにあった部屋へ飛び込んだ。刀剣男士がいる以上、どこにも安全な場所などないとわかっていても、本能が身を隠すように命じた。
     しかし、逃げ込んだ部屋はパソコンルームだった。新たに現れた大量のパソコンに発狂しそうになりながら、茶坊主は半ば無意識に椅子(パイプ椅子ではなくコロ付きのオフィスチェアだった)を持ち上げる。
    「何をしてるんですか貴方は」
    「あ~次から次と! 今度は誰だい!?」
     椅子を持ち上げたまま振り返ると、長身の刀剣男士が彼女を見て溜息を吐いた。


    「う……」
     魂之助が去り、一人残された豊玉は嘘だろとつぶやきかけたが、慌てて口を押えた。元の『5時間以上嘘を吐かない。ただし、真偽は審神者の認識に基づく』ならともかく、鬼札のせいで今の彼の条件は『24時間以上嘘を吐かない』に変わっている。発言には今まで以上に気をつけなければならなかった。

     豊玉は遊戯が始まってから一組目が離脱するまで、音楽室の隣にある練習室に隠れていた。一人ならばしゃべる必要がないと考えたからである。幸い練習室は中から鍵がかけられ、彼は部屋に誰も入ってこられないようにしてから四時間半の間、一人で耐えた。その間二度ほど扉をガタガタと鳴り生きた心地がしなかったが、それでも黙って耐えた。
     それなのに残り三十分で離脱条件が変わり、さらに二十時間以上待たないといけなくなった。二十時間もあれば、彼を隠した堀川が先に離脱条件を達成してしまう。彼は隠れるのをやめ、燭台切を探すことにした。
    「鬼札の長船」
     豊玉には他の審神者にはない強みがある。彼に与えられた他参加者の離脱条件は長船であり、彼が知る長船派の刀は燭台切しかいない。
    「痛っ……」
     きりきりと胃が痛み出し、その場にしゃがみ込む。彼はストレスが胃に来る体質で、鬼札への罪悪感から胃が悲鳴を上げた。遊戯中は仮の器が与えられると聞いたが、余計なところまで再現するなと豊玉は心の中で不満を漏らした。

     彼は胃を押さえて立ち上がると、ゆっくりとではあるが会場内を探し始めた。折り畳み式の机とパイプ椅子が並べられた講義室のような部屋(亀甲の赤縄が置いてあった)に入り、中庭を上から覗き、教室を端から順々に見てまわったが、調べる時間はどこも短い。彼の目的はあくまで燭台切であり、百九十センチ近くある大男を探すには十分な時間だった。
     階段で三階へ上がり、胃の痛みで背を丸めながら、前方に見える教室へと歩いていく。しかし曲がり角から人が現れ、危うくぶつかりそうになった。
    「すまない」
     同性の彼でも目を奪われるほど綺麗な顔をした男だったが、刀剣男士ではなかった。安堵の溜息を吐くも、この男が長船かもしれないと気づくと胃が痛み出す。胃を押さえ背を丸める豊玉を見て、男はすまなかったと再度謝罪する。豊玉は慌てて首を振った。
    「お前の名……」
     勢いに任せ口にしたが、恐ろしくなって口を閉じる。頭の中で何度もチェックをしてから、彼は再度口を開いた。
    「お前の遊戯者名は何だ?」
    「竜胆だ」
     男は自分の遊戯者名を名乗り、その後続けて審神者4だと言った。長船でないとわかればそれで良かったのだが、竜胆と名乗った男はタブレットを豊玉に差し出す。彼はタブレットを受け取ろうとしたが、その時、ふわりと優しい香りがした。彼には馴染みがなかったので、香水の香りだと気づくにはやや時間がかかった。
     同じ年頃の男審神者であるが、本来なら生涯接点がなかった人種だと豊玉は思った。そう思うのは香水のせいだけでなく、服装も大きかった。彼がマスタード色のカーディガンにカーゴパンツといったラフな格好であるのに対し、竜胆はスーツ。豊玉が就職活動で着たリクルートスーツとは違い、見ただけで値が張るとわかる代物だ。

     渡されたタブレットには審神者4の竜胆と離脱した二人しか書かれておらず、男が嘘吐きでないことは証明された。豊玉はタブレットを返し、代わりに自分のタブレットを渡そうとしたが、竜胆が手で制した。
    「それより聞きたいことがある。宝珠を見なかったか?」
    「見……」
     彼は見ていないと言おうとし、途中で口をつぐんだ。確かに彼の認識では宝珠は見ていないけれど、気づいていないだけで本当は見たのかもしれない。どう竜胆に伝えるべきか悩み、返事ができずにいると、竜胆の顔つきが変わる。
     華やかな容姿に反し覇気はなく、落ち着いているというより暗い男といった印象だったが、初めて竜胆の感情が表に出てきた。
    「どうして隠す?」
     ただし、豊玉にとっては望ましいことでなかった。竜胆の顔と声には怒りが滲んでいる。
    「え!? いゃ……いやじゃなくて! あ、その~……」
     豊玉は誤解を解こうとするがとっさにいい返しが浮かばず、意味のない言葉を繰り返していると、余計に竜胆の不信を買った。

    「どこで見た? 宝珠を使うつもりか?」
    「あ! 俺は審神者8……」
    「宝珠はどこだ!?」
     ようやく正解を見つけるが、竜胆に胸倉を掴まれて壁に叩きつけられる。体を強く打ち、痛みで顔が歪むが、竜胆の追及の手はやまなかった。
    「どこにある!? 早く言うんだ!」
     豊玉が竜胆の体を跳ねのけようとした時、小さな咳が出た。まずいと思うが、咳は止まらない。歯を食いしばるが強く揺すられれば耐え切れなくなり、吐血した。
    「ゴホッ、ゴホゴホッ!!」
     竜胆の手に血が降りかかり、グレーのスーツが赤く汚れる。力が緩んだ隙に竜胆の体を突き飛ばし、豊玉はその場に蹲って血を吐き続けた。吐血自体には慣れているので、背中くらい擦れよと、竜胆を下から睨みつける程度には余裕があった。
     しかし竜胆の視界に、豊玉は入っていなかった。彼は赤くなった自分の手を見つめ、呆然としている。
    「違う」
     震える唇から、弱々しい悲鳴が漏れる。
    「違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う……僕はこんなこと、望んでない」
     竜胆は何度も違うとつぶやき、ふらふらと来た道を戻っていく。豊玉は目で彼を追ったが、階段を下りていく途中で見えなくなってしまった。

    「(何だったんだアイツ)」
     体は苦しいが頭は冷静で、男の行動を不審に思いながら壁に背を向け座り、楽な姿勢を取る。彼は幼い頃からストレスが胃に来るタイプだったが、吐血するまで悪化したのは、審神者に就任してからだ。自分の命令一つで部下の命が左右される環境に、彼は最後まで馴染めなかった。
     体調不良を理由に任期満了前で退任することになり、神隠しされたのは退任が決定後、刀剣男士たちに別れを告げるため本丸に戻った時だった。

     ──ごめん……ね……。助けて、あげられない………。

     彼は大和守安定の最期を思い出していた。加州に背を切られ、うつ伏せに倒れた大和守は肉の器が消えるまで謝り続けた。
     神隠しすれば病気の苦しみから解放されると大和守は考えていたようだ。彼の謝罪は豊玉に対するものか、沖田総司に対するものだったのか。豊玉には未だわからない。
    「(いっそ恨み言吐いてくれた方がマシだった)」
     彼はそう思いながら、また咳き込んだ。


     堀川と加州が出会ったのは四階の北側廊下だ。初対面ではあるけれど、同じ新撰組の刀。互いに協力して遊戯に勝とうと誓った。
     遊戯会場を探索する傍ら、自身のことや主である審神者のことを話し合った。加州はとにかく自分の主を褒めた。綺麗、かわいい、美人、気が強いのに繊細なのもいいと。一方の堀川の主はというとごくごく普通の男で、前の主のように手放しで容姿を褒めることはできなかった。ただ、繊細なのは加州の主と同じだった。
     堀川が本丸に顕現されたのは、彼が審神者になってから一年ほど経った頃で、本丸には既に和泉守兼定や加州、大和守がいた。
     和泉守が主に恋慕しているのは、すぐにわかった。他の者は気づいていなかったが、相棒である堀川にかかれば、彼が主に向ける眼差しを見ただけで全て察した。だが、相棒の恋路を応援する気にはなれなかった。それは主に嫉妬したからでも、人と神とは結ばれてはいけないと考えたからでもなく、和泉守の相手に相応しいと思えなかったからである。悪い人間ではないが、前の主ほど魅力的ではない。和泉守の隣には、もっと相応しい人間にいてほしかった。

     けれど、彼の考えが変わるのにそう時間はかからなかった。堀川が出陣するようになって間もなく、主の采配ミスで重傷を負ったことがあった。和泉守に担がれて本丸に帰ったらしいが、その時の記憶はない。記憶があるのは、手入れ部屋で目を覚ましてからだ。
    「堀川……堀川……」
     目を開けると、震える声で自分の名を呼ぶ主が見えた。血の気のない顔をして、彼の方が死んでしまいそうだった。
    「(ああ、そうか)」
     堀川はその時、和泉守が彼に惚れた理由がわかった。和泉守はこの弱さに惹かれたのだ。自分の采配で堀川を失うことに恐怖し、後悔し、過去に戻られるなら戻りたいと抱いてはいけない思いを抱く。強烈な光を放っていた前の主を愛する一方、人の子によって生まれた付喪神は、人の弱さにも同じように惹かれる。
    「主さん」
     堀川はまだ傷の残る手を伸ばした。途端主の体が震え、堀川は自然と微笑んでいた。責められると怯えるその姿も、また愛おしかった。

    「泣いてもいいんですよ」
    「……」
    「みんなには黙っててあげます。思いっきり泣いて、明日からまた一緒に頑張りましょう」
     だが主はうつむいたまま、胃の上に置いた手をぎゅっと握る。これは彼が辛い時や重大な決断を迫られた時に見せる癖だ。堀川は体を起こすと、主の体を抱き締めた。子供をあやすように、何度も何度も優しく背中を擦ってやる。
    「ごめん」
     すると、小さな嗚咽が聞こえてきた。
    「気にしないで。これが僕の仕事ですから」
    「俺が、俺が……駄目だから。ごめん……ホントに、ごめん」
    「初めから完璧な人間なんていません。前の主も試行錯誤を重ねて、鬼の副長になったんですよ」
     いくら堀川が慰めても、彼は謝罪を繰り返し泣いた。ごくごく普通の人の子である彼に、やはり戦場は向いていなかった。指揮を取る重圧から病気になり、審神者を辞めて現世で静養することになった。

     主を隠そうと言い出したのは堀川だった。
    「このままだと主さんともう会えなくなるんだよ? 兼さん本当にそれでいいの?」
     彼は現世で病気の治療をしていたが、別れの挨拶のため本丸に戻っていた。この機を逃せば、堀川が言うようにもう彼と会うことはない。
    「惚れた相手の幸せを願うのが男ってもんだろ」
    「現世に帰ることが主さんの幸せなの? 人の世がどれだけ辛いものなのか、前の主の側にいた僕たちが一番よく知ってるじゃないか。兼さんはあの弱い人を放っておくの? 僕たちが守って……ううん、幸せにしてあげないと。ねえ兼さん、前の主にしてあげられなかったこと、今の僕たちはしてあげられるんだよ!」
     揺らいでいた和泉守は、函館で倒れた土方の名で決意を固めた。そして主を救いたいと思っていたのは、堀川たちだけではなかった。
    「どうして? どうして主まで沖田君みたいになっちゃうの?」
     現世に帰れば病気は治るという主の言葉を、加州は信じたが大和守は信じなかった。だから堀川は大和守を誘い、三人で神隠しを決行しようとした。もっとも、先走った大和守は加州に切られてしまい、彼を隠したのは堀川と和泉守の二人になってしまったけれど。


    「国広ー、ちゃんと説明しろよー」
     女審神者が去り二人きりになると、加州が堀川に向け言った。ぶすっとしているが、堀川を信じて言うとおりにしてくれたのだから感謝しかない。
    「舌を噛んで死ぬと言ったのは、脅しじゃないと思うんだ」
     堀川の見立てでは、あの女審神者はそこまで頭は回らない。しかし、その分胆力と信念はある。舌を噛む前に阻止するなど彼らからすれば造作ないが、きっと彼女は抵抗し続ける。そうすれば無傷ですますのは難しい。
    「自分の主を傷つけた相手となれば、中には勝負度外視で戦いを挑んでくる刀剣男士がいてもおかしくはない。それだったらあの審神者さんに固執するより、あれを確認したいなって」
     堀川が指さしたのは、壁際に落ちているパソコンだった。ディスプレイはひび割れ使い物にならないだろうが、対して本体部分は傷を加えた形跡がない。外部ディスプレイを用意すれば、女審神者が隠したがったものが見られるかもしれない。

    「多分あのパソコンを先に壊して、それからタブレットを壊した。タブレットより優先して隠したかったもの、確認する価値はあると思う。……でもあの審神者さんが奇数の番号だったらごめんなさい」
     堀川が謝るが、加州は顔の前で手を振る。
    「全然平気。時間が増えなかったから、あの人奇数じゃないっぽい」
     加州のタブレットには、堀川のタブレットにはない機能がある。離脱条件一覧にある自分の名前の横に、離脱条件の達成に必要な時間が表示されるようになっている。刀剣男士7である加州の離脱条件は、『審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする』。今は『0:00:00』と表示されているが、該当の審神者と行動を共にすれば、表示される時間が増えていくのだろう。
    「話をしただけだと『行動を共にする』にはならないんじゃないかな?」
    「えー、そういうこと?」
     審神者を逃がした手前言いにくかったが、加州は堀川を責めなかった。確固たる信念を持つ審神者と二時間行動を共にするのは厄介だと考えているようだ。

     堀川は加州に見張りを頼むと、外部ディスプレイが調達できそうな場所へ向かった。女審神者と会った部屋と同じ二階にあり、机が多く置かれている場所だった。ただ他の机がある部屋よりは数が少なく、また机と椅子の種類も違った。
     そこは机の上に一つずつノートパソコンが置いてあり、外部ディスプレイが併せて置いてある机もいくつかあった。堀川はディスプレイと接続コードを持って帰り、留守の間に加州が机の上に戻していたノートパソコンに繋げた。すると外部ディスプレイに、整った顔立ちの青年が映し出される。
    「国広すごいじゃん。俺ぱそこん? とか全然わかんない」
    「刀剣男士には触らせないように政府が言ってるみたいだね」
    「主の目を盗んでいじってたんだ」
    「主さんに頼まれてやってたの」
     彼の主は座っているのも耐えられないほど胃が痛くなることがあり、刀剣男士がパソコンを使い報告書を代筆することがあった。その度に主はこんのすけには絶対言うなよと何度も念を押していた。

      氏  名:―― ―――
      性  別:男性
      登録番号:202111581
      管  轄:岩見国
      就任年月:22××年9月
      失踪日(神隠し):22××年9月××日
      刀剣男士:鶴丸国永

    「候補者リストってこういうことかよ」
     青年の写真と共に記された情報を見て、加州がつぶやく。彼の目は画面に釘付けだった。堀川が上にスクロールしていくと、次々と審神者の情報が出てくる。写真と氏名が記されている審神者は全部で十人。刀剣男士の欄に書かれた刀剣男士の名は一期一振、秋田藤四郎、明石国行、へし切長谷部、薬研藤四郎、三日月宗近、加州清光、燭台切光忠、和泉守兼定、堀川国広、鶴丸国永の計十一人だ。
     参加者以外の情報も含まれているようだが、自分の主は写真と併せて載っている情報を見れば特定でき、念願の主の真名が手に入った……はずだった。
    「これ何て読むと思う?」
    「ほし……いや、せい……せい、しゅう……ほし? ううん、せい……」
     難読漢字でもないのに読みがわからないというまさかの問題に直面し、二人は思いつく限りの候補を挙げるがどれも人名らしくなく、諦めて部屋を後にするのだった。

     廊下に出ると堀川はタブレットの地図を開いた。遊戯は四階から始まり、一階まで下りて大きな道場のような場所(道場にしては天井が高く見慣れぬ物が多くあった)に行き、そこから一度遊戯会場の外に出て別の三階建ての建屋を通って会場に戻り、三階、二階と見て回った。
     堀川としては目の前の階段を使ってまだ確認していない一階へ下りるつもりだったが、加州が堀川のタブレットの上で手を広げる。堀川は顔を上げ、思わず苦笑した。加州は片方だけ口角を上げ、何やら良からぬことを企んでいる。
    「あの審神者探そう」
     あの審神者とは彼らの協力を拒んだ女審神者のことだ。
    「あの人が鬼札じゃなくて奇数の審神者だと思ってる?」
    「鬼札がタブレットを壊すのは鬼札だってばれたくないからで、ばれたくないのは何でかっていうと勝ちたいからでしょ。でもあの審神者の言葉に嘘はない」
    「鬼札でない審神者がタブレットを壊す理由として考えられるのは、対となる刀剣男士から離脱条件を隠すため。もしくは、刀剣男士7から逃れるため」
    「現世に未練はない、仲間のためなら喜んで犠牲になるって言った審神者……俺の推理、いい線いってると思うよ」
     奇数の審神者である可能性を疑いながら、手懐けるのが厄介だと深追いはやめた。だが今の彼らは、厄介な審神者を従順にさせる術がある。
    「悪い顔」
    「人のこと言う前に鏡見たら?」

     彼らがパソコンを見ていた時間を考えれば、既に遠くへ逃げているだろうが、手がかりがない以上、近くから順に探していくことにした。彼女が逃げた方角は足音でわかったので、異国の神が祀られた部屋を探した後は、北上して別建屋に繋がる道を進んだ。
     大きな道場のような場所も変わっていたが、この建屋も変わった場所だった。三階建だが、二階と三階は一階の半分しか床がなく、一階の舞台を見るのに特化した造りになっている。
     堀川の視線は自然と舞台に向かうが、頃合いを見計らったように若い男が緞帳の隙間から出てきた。茶色く染めた髪に、本丸でよく着ていたからし色の上着。堀川の主だった。彼は辺りを見渡した後舞台から飛び下り、椅子の間を歩いていく。
     いくら距離があるとはいえ、脇差の彼が審神者の気配に気づかなかったのはおかしい。加州を見るが、加州は首を振る。自分も気づかなかったという意味だ。あの女審神者の時も扉を開けるまで一切の気配を感じなかった。彼らの力に制限がかかっている疑いが強まったが、今彼が優先すべきは主を逃がさないことだ。

     堀川は目で加州に離れるよう合図し、ポケットから刀装を取り出して力を込める。すると彼の隣に、弓を構えた兵士が現れた。四階の屋上庭園にあった祭壇で作った弓兵である。

     ──じじいは一人でのんびりやるさ。

     堀川と加州に刀装の存在を教えながら、同行は拒否したあの刀の思惑はわからない。しかし改めて心の中で礼を言うと、堀川は弓兵に命じた。
    「射れ」
     キリキリと弓が引かれ、その後矢が放たれる小気味いい音がした。


     矢は主の目の前を通り過ぎ、彼の隣にある椅子の座面に突き刺さった。矢の飛んできた方角に堀川の姿を確認すると主は逃げようとしたが、堀川は主さんと言い彼に忠告する。
    「そこから動かないでください。動いたら、次は当てますよ」
     できるだけ怪我はさせたくないが、有効な手段であるなら躊躇はしない。主の身より勝ちにこだわれるからこそ、彼は和泉守に代わって遊戯に参加した。
     堀川が本気なのは主にも伝わったようで、青ざめた顔をしてその場に立ちすくむ。怖っ! と加州が言うが、言葉とは対照的に楽しそうである。
     弓兵を残したまま、彼は加州と一緒に下の階へ下りた。忠告に従い逃げはしなかったが、主の視線は定まらず、逃げる場所を探し続けている。
    「体、大丈夫ですか? 辛くありませんか?」
     場合によっては主を射るのも辞さない気でいながら、堀川は主の体調を気遣った。胸元と上着の裾が赤く汚れ、吐血したのだとわかった。彼の辞任理由は血を吐く病にかかったからだと教えられ、実際大和守の後を追い執務室を訪れた時も、彼は血を吐いて倒れていた。

     主は堀川の問いかけに答えなかった。だが、胃の辺りを擦る仕草を見せる。病の治った神域でも、追い込まれる度にしていた癖だ。かわいい、加州にも聞こえないほど小さく堀川はつぶやいた。
    「―――」
     とある男の名前を呼ぶと、主の手がぴたりと止まった。加州が堀川の肩を叩き、彼は軽く頭を下げてから主に向き直る。もう一度名を呼んだ。
    「―――、貴方のタブレットを見せてください」
     堀川が言い終わるやいなや、主はふらふらと歩いてきて、堀川にタブレットの画面を見せる。画面には何も表示されていない。堀川がくださいと言えば、彼は大人しく手渡した。ただし、その顔は恐怖に支配されている。



    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:???
    離脱条件 政府の用意した8種の道具を全て破壊する

    鬼札:長船
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:???
    離脱条件 24時間以上誰とも遭遇しない

    審神者4:竜胆
    離脱条件 審神者が4名以上遊戯に勝利する

    審神者5:播磨 【敗北】
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:???
    離脱条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する

    審神者7:???
    離脱条件 刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:豊玉  7:44:27
    離脱条件 24時間以上嘘を吐かない


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:???
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


     離脱条件一覧を開けば、すぐに彼の遊戯者名が特定できた。土方の雅号を見て、懐かしくも切ない気持ちになる。
    「奇数はなしだけど、鬼札は長船派の刀で決定」
     堀川からタブレットを見せてもらった加州が言うとおり、赤文字である審神者4と違い、鬼札の名前は黒く表示されている。参加者が改ざんしていない確かな情報の証だ。どちらからともなく二人は顔を見合わせ、安堵の溜息を吐く。たとえ相手の審神者が鬼札だったとしても協力は継続しようと、約束はしていたが不安は常にあった。
    「もしかして燭台切さんを探していました? 僕も驚いたんだけど、今は長船派の刀は燭台切さん以外に六振もいるみたいですよ」
    「なに? 鬼札犠牲にしちゃえと思ったの? どうなの―――」
     真名に命じられ、豊玉はそうだと抑揚のない声で肯定する。彼の引きつった表情とは合っていないが、彼の表情にはあるのは怯えだけではなかった。

    「主さんの真名を知っている理由、気になります?」
     尋ねはしたが、神隠しされた後も頑なに真名を隠し通した彼が気にならないわけがない。堀川はパソコンに豊玉を始めとする審神者の真名がまとめられていたことを話した。彼の主は驚いていたが、彼が真に言いたいことは伝わっていなかったので、もう少し丁寧に説明した。堀川は二階に置いた弓兵を玉の形に戻し、手のひらに乗せて主に見せる。
    「政府が用意した道具と思われる物はパソコン以外にもう一つ、刀装が作れる祭壇もありました。……ずいぶんと刀剣男士に対して手厚いと思いませんか? 刀剣男士1には審神者の真名が保存されたパソコンがある、刀剣男士2は主さんも知ってのとおり、いの一番に勝ちました。僕たちは審神者への攻撃も真名による呪いも禁じられていないので、刀剣男士3、6、8は対となる審神者を見つければ簡単でしょう。刀剣男士4だって、奇数の刀剣男士のうち誰か一人でも勝てばいい」
     堀川が言葉を紡ぐごとに、豊玉の感情に今までなかったものが芽生え、大きくなっていく。堀川は高揚する気持ちを押さえつつ、細心の注意を払い続けた。

    「あ、それと。元々この遊戯に参加するつもりはなかったと言っていた審神者さんがいました。次の世への転生を願っていた審神者を無理に引きずり出したってことかな? でも僕は彼女の話を聞いた時、驚きはしませんでした。だってそうでしょう? 政府は神隠しを企む刀が三振もいたあの本丸に、主さんをわざわざ帰還させた。僕たちの思惑に気づかなかったから? 本当に? 安定さんが主さんを隠そうとした時、清光さんが安定さんを切って止めたけど、こんのすけは何をしていたんだろう? 清光さんがこんのすけを探しにいった隙をついて僕たちは主さんを隠したけど、こんのすけは何で主さんの傍にいなかったんだろう?」
     堀川は豊玉の反応を伺うが、彼は黙ったままだ。堀川は主の真名を呼び、好きにしゃべっていいですよと命じた。けれど彼は何も話さない。堀川は最後の駄目押しをした。
    「政府は審神者の敗北を望んでいるんだと僕は思います」
    「嘘だ!」
     堀川の言葉に被せるように、豊玉が叫ぶ。

    「俺は信じない! そんなの全部でたらめだ!」
    「主さん」
    「嘘だ! 全部嘘だ!!」
     豊玉の叫びは続いたが、堀川は動じることなく豊玉のタブレットに目を落とす。そしてタブレットをゆっくりと持ち上げると、画面を主に見せた。
     加州と同じく、豊玉も離脱条件の達成までに必要な残り時間が表示される。堀川が主からタブレットを渡された時、時刻の表示は7時間44分27秒だったが……。
    「嘘を吐いたのは主さんのようです」
     時間はゼロに戻っていた。
    「嘘だ」
    「あ、またリセットされた」
    「嘘だ」
    「加州さん、本当のこと言わないであげて」
    「嘘だ」
     豊玉が嘘だと叫ぶ度、時間表示はゼロに戻る。だが彼はなおも嘘だ嘘だと、うわ言のように繰り返し、後ずさりをする。ついには背を向け、走り出した。

     けれど堀川が見逃すはずはなく、豊玉の背に体当たりして押し倒すと、そのまま彼の体の上に乗り上げた。豊玉は奇声を上げ暴れたが、いくら小柄とはいえ、刀剣男士の堀川からすれば造作ない。
    「離せ! 離せよ!」
    「離しません。一緒に兼さんの所に帰りましょう」
    「くそっ、何でだよ! 俺がいない方がお前だっていいだろ!?」
     言っている意味が理解できず、堀川は首を傾げる。しかしその仕草に、豊玉は苛立ち叫んだ。
    「お前、兼定のこと好きなんだろ!? 俺がいない方が都合がいいじゃねーか、一人で帰れよ!」
    「やだな主さん」
     堀川が一人で帰るには、引き分けに持ち込んで豊玉の魂を消滅させねばならないのだから、命乞いする人間の台詞としては相応しくない。しかし、堀川が指摘したいのはそこではない。

     堀川は和泉守のことが好きだ。ただし、豊玉が言うような意味合いはなく、あくまで相棒としてである。それに彼は、和泉守ならばどんな和泉守でも無条件で好きなわけではない。
    「僕は、主さんが好きな兼さんが好きなんです」
     作られた時代や元の主の影響もあり、和泉守は人に近い感性を持っている。それでも豊玉のことを思い、喜んだり苛立ったりしている姿が、一番彼を人間らしくする。人間らしい和泉守こそ、堀川が好む和泉守だった。
    「それに、僕は主さんのこと好きですよ。兼さんに負けないくらい、主さんのこと大好きです」
     そこで彼は自身の本体を鞘から抜いた。豊玉が引きつった声を出したので、思わず笑ってしまった。彼は豊玉の首ではなく、自分の指に刀を当てる。流れ出した血は手の甲を伝い、堀川派揃いのジャケットを汚した。

     彼は左手を豊玉の口に突っ込んだ。そして噛まれる前に耳元でささやき、先手を打つ。
    「噛んだら余計に血が出て、神気漬けになるかも」
     刀剣男士の血には、神気が多く含まれている。堀川は豊玉の舌を撫でるが、もはや彼は指を噛むという細やかな抵抗すらできない。仮の器にどの程度効くかは未知数だったが、そのうちガクンと頭が落ちた。堀川は指を引き抜き、主の体を仰向けにした。
    「気絶した?」
    「さあどうだろう? 動けないだけで、意識は残ってるかも」
     目は虚ろで、口はだらんと開いたままになっている。汚れていない右袖で豊玉の口元を拭くが、拭いた後に目元も濡れているのに気づく。両袖を見てしばし考えた末、彼は自分の唇で清めることにした。

    「じゃ、俺もう行くね」
     勝負の行方を見届けた加州が、そう言って片手を上げる。聞くまでもなく、堀川がこの場に残るのは明白だった。大事な主を放ってまで、刀剣男士4の堀川が加州と行動を共にする理由はない。
    「いろいろとありがとうございました」
    「ホント、感謝してよね。いろいろとさ」
     加州は肩をすくめるが、すぐに冗談だってと言い、いたずらな笑みを浮かべる。
    「こっちこそありがと! 国広のためにもがんばって奇数の審神者見つけるよ」
     バイバイと手を振り別れの挨拶をすると、加州は建屋の出口へ向かう。堀川は迷ったが、加州の名を呼んで引き留めた。確信はなかったが、探索中気になっていたことを伝えると、加州は迷惑がるどころか礼を言い、行き先を三階へと変えた。

     加州の背が見えなくなるまで見送り、主と二人きりになると、豊玉の言葉が思い出された。

     ──嘘だ! 全部嘘だ!!

     堀川の言ったことに嘘はない。刀剣男士に対し手厚いと断言したのではなく思いませんか? と問いかけただけであるし、元々この遊戯に参加するつもりはなかったと言った審神者がいたのも本当だ。彼は事実以外は全て自分の考え、問いかけといった体で話し続けた。
     こんのすけが主の傍にいなかったのは、自分たちが始末したからと知りつつ何故と問いかけたのは正直失敗したと思ったが、『全部』と豊玉が否定したおかげで助かった。
    「(できれば真名は使いたくなかったし)」
     真名に命じて嘘を吐かせればいいのにと加州は思ったかもしれない。だが、現世への希望を断ち切り、和泉守と共に生きるしかないのだとわからせなければならなかった。

     豊玉の口が小さく動いているのに気づき、堀川は耳を豊玉の口元に近づけた。安定、そう辛うじて聞き取れた。主のつぶやきに対し感想を抱く前に、彼は気配を感じ体を起こした。
     夢か幻か。折れて本霊の元に還ったはずの大和守が目の前に立っていた。横たわる主を見ながら、大和守が涙を流す。
    「主、ごめんね。ごめんね、ごめんね……」
     何に対する謝罪なのかは、堀川にはわからない。神隠しに加われなかったことに対してか、それとも現世へ帰る道を断たれた主を救えないことにか……。堀川は大丈夫ですよと告げた。
    「心配しないで。主さんには兼さんと、僕がいますから」
     彼がそう言って笑うと、大和守の姿は徐々に薄れていく。大和守は姿を消す最後まで、涙を流し続けた。


     助けて言った彼女の手を、どうして振り払ったのか。ただ握ってあげるだけで良かったのだ。それが長船が彼女に対してできる、唯一の慰めだったのに。

     鬼札となり、審神者全員から狙われる存在となった長船は四階にいた。保健室からできるだけ遠くへ逃げたいという心理が働いたのだろう、気づいた時には屋上庭園──明石と遭遇した場所よりさらに南に進んだ先にある──にたどり着いていた。
     屋上庭園には政府が用意した道具と思しき刀装用の祭壇があり、長船はその後ろに隠れている。校舎の中からは祭壇が陰となり見えないが、ガラス戸を開け、庭園内に入って来られたら一巻の終わりだ。他に隠れる場所はなく、フェンスで囲まれた庭園からは逃げられない。
     だが、彼女は座り込んだまま動かなかった。正確に言えば、動けなかった。
    「僕が負けないと」
     鬼札である彼女が負けない限り、他の審神者に勝ち目はない。
    「僕が、僕さえ負ければ……」
     正しい選択を何度も口にし、そのための行動をしようとするが、体が動かない。彼女の弱さを責めるように、タブレットは赤と黒の光を放ち続ける。

     長船は地面にタブレットを裏返して置くが、それでもタブレットからは光が漏れてくる。
    「やめて」
     やっとの思いで絞り出した懇願は、聞き入れられなかった。タブレットは鬼札の証を示し続ける。冷静さを失った長船は、祭壇の近くに積まれた資源の鉄鋼を持ち上げ、タブレットの上に落とした。
     大きな音がし周りに破片が散らばったのに、タブレットはまだ微かに光っていた。長船は落とした鉄鋼を持ち上げ、タブレットの上に落とし、それを何度も何度も繰り返した。
    「それ以上せずとも壊れていますよ」
     男の声がしてようやく、長船は我に返った。手に痺れを感じ、自分の息が上がっているのに気づく。足元には鉄鋼の下敷きとなって、真っ二つに割れたタブレットがあった。
    「ずいぶんと大胆なことをする」
     ガラス戸の前に一期一振が立っていた。一期は長船に会釈すると、後ろ手で戸を閉め、長船の退路を断った。ガラス戸越しに校舎の中を見るが、人の姿はない。

    「鬼札である貴方を助ける審神者がおりますかな?」
     視線の揺れで考えを読んだのだろう。長船の顔が強張るのを見て、一期がクスッと笑う。一期はゆっくりと長船との距離を詰めていき、長船は一期が詰めた分だけ後ろへ下がるが、すぐにフェンスへぶつかった。
    「私は貴方の味方です」
    「……」
    「貴方が負ければ、私の主の離脱条件は元に戻ってしまう。ですから、力をお貸ししましょう」
     一期が長船に右手を差し出す。優雅な所作に、優しく穏やかな笑み。白馬に乗った王子様が助けに来てくれたかのようだ。けれど、あまりに完璧すぎるせいか。脳が騙されるなと警告を鳴らす。
     衝動のままタブレットを壊したのが噓のように、彼女は冷静さを取り戻すと、刀剣男士の離脱条件一覧を思い浮かべる。



    ≪離脱条件一覧≫

    刀剣男士1:???
    離脱条件 主の真名の把握

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】

    刀剣男士3:???
    離脱条件 主の神隠しの合意

    刀剣男士4:???
    離脱条件 奇数の刀剣男士の勝利

    刀剣男士5:???
    離脱条件 2回離脱条件を変更

    刀剣男士6:???
    離脱条件 審神者と30分同じ部屋にいる

    刀剣男士7:???
    離脱条件 奇数の審神者と2時間ともにいる

    刀剣男士8:???
    離脱条件 主の半径3.〇〇メートル以内に1時間半いる


     刀剣男士1から順に当てはめおかしな点がないか探っていくうちに、彼女はある可能性に気づく。懐の拘束札を取ろうとしたが、一期の方が速かった。長船の右手首を掴みと、後ろのフェンスへ押しつける。
    「気づきましたか。聡い人だ」
     穏やかな笑みこそ崩れていないが、間近で見る彼の目は恐ろしいほど冷え冷えとしている。
    「私は刀剣男士5。貴方が鬼札になった際に審神者たちの離脱条件が変更されましたから、あと一度、宝珠で離脱条件を変更するか、もしくは……貴方が負ければいい」


    「驚きが足らないとは思わないか光坊」
     同意しかねるので燭台切は返事をしなかったが、鶴丸はなおも不満を漏らす。
    「鬼札という発想は悪くない。だが鬼札の選び方が駄目だ。遊戯を盛り上げるには、刀剣男士が選ばれるよう工夫すべきだろう? 弱い者がさらに弱くなって、何が楽しいというんだ」
    「そんな風に思うのは鶴さんくらいだよ」
    「これでは政府の道具とやらも期待できないな。あ~、驚きが足りない。心が死んでしまう」
     別建屋(体育館だと鶴丸は言っていた)から元の建屋に戻ってきて以降、鶴丸はずっとこの調子だ。明石と別れてから三階と四階を除く様々な場所を見て回ったが、鶴丸を満足させるものはなかった。
     燭台切からすれば机一つとっても珍しく感じるのだが、鶴丸は違う。彼も見るのは初めてのようだが知識としてはどれも取得済で、燭台切の質問に対しわからないと答えたことは一度もなかった。

     もっとも、遊戯に驚きを求めるのはいかがなものかと燭台切は思う。まずは主の安全の確保、それから自分の勝利、驚きはその次でいいだろう。だが、考えを口にすれば過保護だと揶揄されるのがわっているので、彼は沈黙を選んだ。
    「もう政府の用意したものには期待しない。主を探そう」
    「やっとやる気になった?」
    「俺は初めからやる気だったさ。ただ勝利を目指しつつ、驚きも得ようとしただけだ。せっかく退屈な神域から出られたんだぜ?」
    「……それをわかったうえで神隠しをしたんだろ」
     単なる愚痴なのかもしれないが、これから永遠の時を過ごす神域を退屈と表現したのが引っかかった。燭台切の直感は当たっていたらしく、鶴丸は深い溜息を吐いた。
    「せずにすむなら神隠しなどしたくなかった。主が現世での様々な刺激を受けてどう反応するのか、どう年を重ねるのか。それを傍で見たかった」
    「鶴さんの主にとって、現世は安心できる場所だったのかい?」
    「きみならそう言うだろうと思ったぜ」
     燭台切の主について、鶴丸にはどんな女性なのか伝えてある。年齢や見た目、そしてかわいそうな境遇の女性であることを。一方の鶴丸はというと、年齢と見た目だけで、主の人となりは話していない。

     燭台切にだけ話させるのはフェアではないと考えたのだろう。鶴丸は自分の主について語った。
    「箱入りっぽい見た目の男と言ったろう? 見ただけで、恵まれた環境で大切に育てられてきたのだとわかるが、話の節々でも実感することは多かった。そうだそうだ、こんなことがあった。俺が星の名前を教えてほしいと頼んだ時だ」
     鶴丸に夜空の星を指しながら星の名を教えている最中、『家の天体望遠鏡があれば、もっとよく見えるのに』と漏らしたそうだ。幼い頃、星の図鑑を気に入って読んでいると、親が実物を見る方がいいと買ってくれたと彼は言ったが、天体望遠鏡は子供のおもちゃとして買い与えるには高額すぎる。
    「僕の興味の芽を摘まず、のびのびと育ててくれた両親には感謝しているとご立派なことを言っていたぞ。それから星を見ているうちに星座の話になり、さらに星座の話から異国の神の話になった。冥界のザクロを口にした故に冥界に留まらなければならなくなった女神の話や、神の求愛を拒み月桂樹に変わった女の話、異国では不老不死の実は桃ではなく黄金の林檎なんだとも聞いた。……で、そこに光坊がやって来たわけだ」
     不意打ちを食らった燭台切を見、鶴丸はにやりと笑う。

    「仮にも神である自分たちにそんな話をしてはいけないと説教し始めてな。主は納得しなかったが、それでもめげず、事あるごとに……」
    「鶴さん」
    「ん?」
    「鶴さんのところの僕、何か間違ったこと言った?」
     彼らは二階のガラスの壁がある廊下を歩きながら話していたのだが、鶴丸の足が止まり、燭台切の顔を凝視する。嬉々と話していたのが一転し表情が消えた鶴丸に、燭台切は対応を誤ったかと内心焦る。会って八時間ほどしか経っていないが、この鶴丸は危ういと彼は感じていた。

    「うわあぁあああああああああああ!!!!」

     耳をつんざくような悲鳴が聞こえ、二人は反射的に声のする方を向いた。声は階の中央付近から聞こえてきた。悲鳴は男のものだったが、燭台切は悲鳴を上げなければならない騒動に、主が巻き込まれていないか不安になった。
     反射的に駆け出しそうになるのを堪え、燭台切はまず鶴丸の反応を探ったが、鶴丸は肩を震わせていた。
    「ふっ……はははっ!」
     鶴丸国永は刀剣男士の中でも感情が豊かな刀で、彼が笑う姿は幾度となく見てきた。だが、今彼の前にいる鶴丸の笑みは、彼が知る鶴丸のどの笑い方とも違う。笑ってはいるが、雰囲気は戦闘に興じている時に似ていた。
    「光坊来いよ。面白いものを見せてやるぜ!」
    「あ、ちょっと鶴さん!」
     燭台切は走り出した鶴丸の後を追った。廊下を真っすぐ進んだ後右に曲がり、図書室や白い石造りの広場が見下ろせる廊下に出ると、鶴丸は広場に向かって飛び下りる。燭台切も鶴丸の後に続き手すりを乗り越えると、和装の男が倒れていた。そしてその横に、グレーのスーツを着た若い男が立っていた。


     一方その頃、長船は二階の小講堂にいた。小講堂の奥には机や椅子をしまうための部屋があり、マイクなどの機材も備え付けのパイプ棚に置かれているが、彼女はそのパイプ棚の柱に縛られている。
     政府の用意した道具の内の一つである『とある打刀の赤縄』を見つけた時、放置せずに処分しておけば良かったのかもしれない。

     ──私に手荒な真似をさせないでください。

     彼女の首を掴み、そう言って脅した一期の冷たい眼差しを思い出し、彼女は自分の考えを否定した。縄がなければ、今頃足が動かなくなっていただろう。

     一期は刀剣男士5であることを明かすと、彼女の右手をフェンスに抑えつけたまま、空いた方の手で彼女の首元を掴んだ。力は込められておらず、肌に触れる程度。息も問題なくできた。
     けれど、長船は目の前が真っ白になり、何も考えられなくなった。その後は聞かれるがままに燭台切の名を告げ、懐の拘束札を渡し、小講堂まで連れてこられた。
    「(あの程度の脅しに屈するなんて)」
     自分の不甲斐なさに嫌気が差すが、いつまでも悠長に閉じ込められてはいられない。一期は彼女を柱に縛ると、燭台切を探しに出ていった。彼が明言したわけではないけれど、刀剣男士7でない限り、燭台切が勝つには長船と会う必要がある。そう考えるのが妥当だろう。
     彼女は体を捩ったり、思い切り前に屈めたりして、拘束を解こうとした。さすがにそんなことで縄が千切れるとは思っていないが、柱に縄がこすれてほつれるのを期待していた。だがそう上手くはいかず、体を痛めるだけに終わった。

     ──ああ、彼でしたか。

     再度一期の言葉を思い出す。彼女が燭台切に隠されたと言った時、彼は確かにそう言った。燭台切光忠という刀剣男士を思い浮かべたというよりは、長船を隠した燭台切を知っているかのような言いぶりだった。

     二人に面識があることが、彼女の勝敗にどう影響するのか。だが答えが出る前に、暗かった部屋に光が差し込んだ。長船は息をのむが、聞こえてきたのは女性の短い悲鳴だった。
    「騒ぐな」
     悲鳴の後に聞こえたのは、少年の冷淡な声。ドアを開けたのは燭台切を連れた一期ではなく、男女の審神者だった。人影を見つけ悲鳴を上げた女性はともかく、アルビノの少年は鶴丸国永を連想させる容姿なのも相まって新しい刀剣男士かと思い焦ったが、落ち着いて見れば彼は刀を所持していなかった。
     長船は自分の置かれた状況を忘れ、助けが来たのだと喜んだ。しかし少年は彼女に現実を突きつける。彼女の前まで来るものの、屈んで赤縄を解きはしない。
    「お前、鬼札か?」
    「違う! 僕は鬼札じゃない!」
     反射的に叫んだ後になって罪悪感が襲って来たが、嘘を取り消す覚悟は固まらなかった。

     遅れて女性も部屋の中に入ってき、少年の隣に並ぶ。彼女より年齢は上で、おそらく三十手前。笑えばさぞかし美しいのだろうが、今は険しい顔をして床に座る彼女を見下ろしている。
    「タブレットを見ればわかる。どこだ?」
    「タブレットは、ない」
    「ないわけないでしょ。どこに隠してるの?」
    「馬鹿は口を挟むな。黙ってろ」
     触れれば壊れてしまいそうな儚い面持ちなのに、中身と外見が一致しないところまで少年は鶴丸と似ているらしい。長船を嘲笑した女性の眉間に深い皺が寄るが、少年は彼女を見ようとすらせず、視線は長船に向けたままだ。一緒にはいるが、良好な関係ではなさそうだ。
    「何故タブレットがない?」
    「タブレットは一期から逃げる途中で落としたんだ。けど捕まってしまって、お願いだから縄を解いてほしい」
    「鬼札でないならお前は誰だ? 遊戯者名と番号は?」

     でたらめな遊戯者名を言う手もあったのだろうが、とっさに出てきたのは、播磨から教わった審神者の名だった。
    「審神者3の茶坊主」
     ドアを開けたままにしているとはいえ、二人は光を背にし、顔に影が差さっている。だが、茶坊主と口にした途端、二人の目の色が変わった。女性が床に膝を突くと、長船の頭は大きく揺れた。頬を叩かれたのだと認識する前に、女性がまた長船の頬を叩き、叫ぶ。
    「ふざけんなこのクソアマ!! 誰に隠された!?」
     普段聞かない下品な言葉遣いに加え、襟元を掴んで揺すぶられたので、脳がパニックを起こし考えがまとまらない。けれど女性は黙秘していると捉えたようで、眉尻を吊り上げて早く言えと叫ぶ。
    「あんたが負ければ私は助かるのよ! どうせ勝てない条件のくせに、さっさと負けろ! 言え、早く言……!」
     言い終わる前に少年の足が伸び、女性の体を蹴り飛ばす。長船は倒れた女性を目で追ったが、今度は彼女の腹に勢いをつけた少年の足が埋まる。
    「相手の刀剣男士を吐かせるのが目的だ。ヒス起こす前に頭使え」
     咳き込む長船の頭上から、女性に言っているだろう少年の苛立った声が聞こえた。



     助けてと、長船に手を伸ばした播磨の気持ちが、ようやく彼女にも理解できた。助けを拒否された時に感じるのは悲しみと絶望と、それから耐え難い怒りだ。





    ≪離脱条件一覧≫

    審神者1:五七桐
    離脱条件(易)政府の用意した8種の道具のうち、2つ以上を使用する
    離脱条件(難)政府の用意した8種の道具を全て破壊する

    鬼札(審神者2):長船
    離脱条件 刀剣男士を1口刀解する

    審神者3:茶坊主
    離脱条件(易)5時間以上他の参加者と遭遇しない
    離脱条件(難)24時間以上誰とも遭遇しない

    審神者4:竜胆
    離脱条件(易)審神者が1名以上遊戯に勝利する
    離脱条件(難)審神者が4名以上遊戯に勝利する

    審神者5:播磨 【敗北】
    離脱条件 遊戯開始から328分が経過する

    審神者6:爪紅
    離脱条件(易)遊戯の勝者が2名以上になる
    離脱条件(難)審神者と刀剣男士が、それぞれ2名以上遊戯に勝利する

    審神者7:眉月
    離脱条件(易)7つ以上の離脱条件の所持者を特定する
    離脱条件(難)刀剣男士陣営全ての離脱条件の所持者を特定する

    審神者8:豊玉
    離脱条件(易)5時間以上嘘を吐かない。ただし、真偽は審神者の認識に基づく
    離脱条件(難)24時間以上嘘を吐かない


    刀剣男士1:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の真名を把握する

    刀剣男士2:明石国行 【勝利】
    離脱条件 遊戯開始後、6名以上の参加者と遭遇する

    刀剣男士3:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者が神隠しに合意する

    刀剣男士4:堀川国広
    離脱条件 刀剣男士1、3、5、7のうち、1名以上が遊戯に勝利する

    刀剣男士5:一期一振
    離脱条件 2回以上、離脱条件が変更される

    刀剣男士6:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者と30分以上同じ部屋に留まる

    刀剣男士7:加州清光
    離脱条件 審神者1、3、5、7のうち1名以上と、2時間行動を共にする

    刀剣男士8:???
    離脱条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に1時間半いる


    ≪道具一覧≫
    道具1:宗三左文字
    道具2:秘密遊戯の候補者リスト
    道具3:???
    道具4:拘束札×3
    道具5:???
    道具6:刀装用祭壇
    道具7: ???
    道具8:とある打刀の赤縄



    さいこ Link Message Mute
    2024/03/04 0:00:55

    我が主と秘密遊戯を2(前編)

    pixivに掲載していたすごく長い刀さに小説の続編。神隠しされた審神者と神隠しをした刀剣男士が勝負する話です。前作とのつながりはほぼないので、単独で読めます。

    連載につまって軽い気持ちで過去作の手直しを始めたら、流れが不自然だと思うところが多くて、かなりの修正になりました。(大筋はpixiv掲載時から変わっていません)

    【登場人物およびカップリング】
     参加者とカップリングは以下のとおり。活躍には偏りがあります。

     ・三日月宗近×男審神者
     ・一期一振×男審神者
     ・明石国行×女審神者
     ・燭台切光忠×女審神者
     ・加州清光×女審神者
     ・堀川国広×男審神者
     ・へし切長谷部×女審神者
     ・鶴丸国永×男審神者

    #刀剣乱夢 #刀剣乱腐 #刀さに

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