僕らの星座線
エレンはある廊下に差しかかっていた。ここはシガンシナ、兵団用区として再興したエレンの故郷でもあった場所だ。その区内に設けられた調査兵団の本部となる建物の中で、エレンは歩いている。
すれ違う後輩の団員たちが「今日もお疲れさまでした」と頭を下げて通り過ぎていく。それに無愛想に「おう」と答えながら、目的地へ進んでいた。
本日一日の訓練を終え、夕飯もいただいたあとだというのに、エレンはこのあとに控えている会議のため、とある資料を求めて資料室に向かっていた。
昨日から『新型立体機動装置』の訓練が各班で始まり、調査兵団の施設内にも黒い装束をよく見かけるようになったとぼんやりと思い浮かべているときに、目的の資料室に到着した。
何も考えずにその扉を開くと、目の前に設置された机に誰かが突っ伏していたのが目に入る。慌てて足音を消すように静かに一歩踏み込みながら、その人物の黄色くまるい頭だけですぐにそれが誰なのかを理解した。
「……寝てんな」
そう小声でぼやいても返事はない。やはりかなり深く眠りに落ちているようだ。
顔を覗き込むとやはり、思った通り、それは髪の毛を後ろで少しだけ結っているアルミンだった。現在調査兵団内では参謀として団長補佐に就いている、エレンの幼馴染のアルミンだ。――加えて言うなら、もちろんアルミンもこのあとに控えている会議に参列する予定になっている。
エレンは静かにアルミンを横切り、自分が探している資料が保管されている棚を探す。
現在アルミンとは班が分かれているので、朝食以外ではとんと顔を合わせなくなっていた。……いや、ミカサともだ。エレンは今日は例の『新型立体機動装置』の訓練だったが、確かアルミンは巨人化の訓練が入っていると言ってたっけな、と思い出していた。
このところフロックとの密会も増えて、徐々に幼馴染たちとの距離を取り始めている段階で、これが計画であったとしても、エレンは少しその心許なさを抱えていた。……だからだろう、棚で資料を探している間、アルミンに知られないように退出するか、起きるまで待つか……その答えも探した。
目当ての資料をいくつか手に取ったエレンは、改めてアルミンのほうへ振り返り、じっとその姿を見て静止する。……動きを再開したそのとき、そのままそっとアルミンに近づき、隣の椅子に腰を下ろしていた。――ただなんとなく、自分もアルミンが恋しかったのかもしれない。いやいや、参謀が会議に遅れては大変だ、そうだ、自分も会議まで何か予定があるわけではないし、せっかくなので大事な参謀様が会議に遅れないように、そばに着いておくことにしよう、そう自らに言い聞かせる。
早速手に持っていた資料を目前に広げる。引用したい部分を探すため、その資料の文面を目で追った。
それから、ようやくエレンが資料に集中し始めたころだ。相変わらずアルミンの規則正しい寝息が資料室を穏やかなものにしていたが、その寝息が突然不安定になる。うう、とアルミンのほうから少し唸る声が聞こえたと思ったときに、
「……ん……エレン……、それはりんごだよ……」
アルミンが意味のわからない寝言をこぼした。
呼ばれた相手が自分だったことはもちろん気づいていたが、それ以上に『それはりんごだよ』と伝えるというのはどんなシチュエーションなんだ、と面白くなってしまった。
くく、と込み上げたものを噛み殺し、むにゃむにゃと気持ちよさそうに寝ているアルミンの寝顔を見てしまった。
するとその大きな瞳が、ぱちぱち、と瞼を瞬かせて姿を現す。相変わらずきれいで澄んだ青色の瞳は、重たそうに瞼を持ち上げて、
「……んん、ん? って、エレン!?」
その視線がエレンのものとかち合うと、飛び上がるように身体を起こした。
「おう、よく眠れたか?」
「えっ、あっ、僕っ」
目を擦りながらアルミンは資料室の中をあちこち見回した。
「ああ、寝落ちてたみたいだな。ここは資料室だ」
「え!? あっ、か、会議は!?」
「まだ時間になってねえよ。時間になったら起こしてやろうと思って」
そこまで言うと、アルミンは大層焦っていた表情から、だらりと脱力して腕を机に立てて突っ伏した。
「……あ、そうか……はは、焦った……」
そしてまたくしゃくしゃと自身の顔を擦っている。おそらく眠気を覚まそうとしているのだろう。その非常に気だるげなアルミンの仕草を見たエレンは、
「……やっぱり巨人化の訓練のあとは疲れるか?」
今朝アルミンが言っていたことを思い出していた。
するとアルミンはまたゆっくりと身体を起こしながら難しそうに笑い、
「あはは、さすがにね。巨人化訓練をした夜の会議が一番堪えるよ」
申し訳なさそうに自分の周りに散らばっていた資料をかき集め始めた。
「……まあ、俺の巨人でさえ、初めのころは自分で動けなかったくらいだしな……。お前の巨人ならなおさらだろうな。訓練を積んでも三日に一回巨人化できるかできないかの消費だもんな」
アルミンの身を心配してエレンはそう告げたのだが、思いの外アルミンはまだ申し訳なさそうな表情のままだった。
「ほんとねえ……情けないよ」
どうやら本人の体力のなさを指摘されたのだと思ったようだ。そういう意味ではなかったので、エレンもまた反論のために口を開いたのだが。
「仕方ねえよ。それがそいつの特性だろ」
「……うん、まあね」
ようやく納得したようだとわかり、エレンは改めて資料に目を下ろした。隣でアルミンは資料の端を揃えるように、とんとんと机で紙の束を整えている。
そしてすぐに「あ、」と何かを思い出したことを知らせるように、アルミンが声をこぼす。パッと軽快な動作でアルミンの視線はすべてエレンの横顔に触れた。
「……そうだ、今日の訓練、君すごく楽しそうだったね。新型気に入った?」
やけに嬉しそうに尋ねたアルミンを見て、どうやらどこかで目撃されていたのだとエレンは知った。
……確かにエレンの班は本日初めてあの黒い装束を見に纏い、立体機動による空中移動の訓練を行なっていた。――『新型』と言うだけあって、やはり改善された点は多く、動きに対する自由度が上がっていたことに感動していたのは間違いなかった。アンカーを打ち込む方向や、ガスの噴出口の調整、あとは軽量化なども大きな改善点の一つだ。……もしかしたら少しはめを外していたかもしれない。
長い髪を後頭部で結んで飛び回っていた自身のことを客観的に思い出して、年甲斐もなく楽しそうにしていたことに少し恥ずかしくなってしまった。
「え、あ、まあ……。自由度は少し上がったよな」
「そうなんだよねえ! アンカーの角度が調整できるのはすごくありがたいよね。前のは後ろから押されるような推進だったけど、新しいのはどちらかというと引っ張られる力だから、僕にはちょっと慣れるのが大変そうだ」
アルミンが楽しそうにするすると言葉を紡いでいく。その明るい笑顔は昔からよく伝播するもので、エレンもまた少し楽しい気分になっていた。
「まあ、お前なら大丈夫だよ。すぐに使いこなせる」
「そうだね。いくら僕でも新兵たちには負けてられないよ。威厳のためにも!」
「はは、違いねえ」
そうやって談笑を進めていると、アルミンがふとその眉尻を下げた。その心に変化があったことをエレンも察して、アルミンが何を言おうとしているのか注視した。
するとアルミンは一度何かを言い迷ったようだった。けれどすぐにまた視線をエレンに戻して、
「……なんか、エレンと話すの、すごく久しぶりな気がする」
その声色が寂しそうに聞こえたのはどうしてだろう。エレンはそれを肌で感じていたが、その気持ちはよく分からなかった。
「そうか? 今朝も食堂で一緒に飯を食ったじゃねえか」
「いや、そうなんだけどさ、最近のエレ――、」
「――あ、ここにいた」
二人の会話の間に、また別の声が混ざり込んだ。
驚いてエレンとアルミンが資料室の扉のほうへ目をやると、そこにはまたよく見知った人影が立っていた。
「ミカサ?」
「うん。二人を探してた。ハンジさんからの伝言」
「おう?」
ミカサが扉側の席に座っていたエレンの元へゆっくり歩み寄る。
「今日の会議はハンジさんの急用で延期。明日の会議でまとめてやるって」
「なんだ、そうか」
「そっかあ〜」
エレンとアルミンは各々でそれに対する反応を示してやった。
伝言を伝え終わったはずのミカサだったが、今度はエレンとアルミンの顔を見て何かを言いたげだ。間を作ってやることもなく、ミカサはさらに一歩を踏み込んだ。
「二人はここで何をしていたの。私を呼んでくれないなんてずるい」
どうやら幼馴染二人で仲良く談笑していたことに不服のようだった。けれど、彼らも彼らで意図して集結したわけでも、ミカサを除け者にしたわけでもないので、冷静に弁明を始めた。
「はは、僕が調べ物している間に寝落ちちゃってたんだ」
「おう、で、俺も資料探しにここにきたらこいつが寝てるからさ、会議の時間になったら起こしてやろうと思って」
内容を聞いてミカサはすぐ納得したようだ。少し寂しそうだった瞳が緩み、すっとまっすぐにアルミンを視線で捉えた。
「道理で。アルミン、顔に寝跡がついている」
それを聞いた途端、ガタンっと身体を飛び上がらせて驚いたアルミンだ。
「え!? うそ!?」
「あ、ほんとだ! ほっぺたに線路走ってるぞ」
「ええ!? そんなあ!? 恥ずかしいなあ!?」
言葉の通り照れながら顔を覆ったアルミンに、エレンもミカサも和んだような顔つきで笑うばかりだ。
「……ふふ。大丈夫、今日の会議はなくなったから」
ミカサが追加の情報をくれてやると、ハッと何かを思い出したようにアルミンは再び顔を上げた。それから今度はアルミンが、まっすぐにエレンとミカサをその視線で捉えた。
「あ! あのさ! 会議なくなったから二人ともこれから暇だろ!? 久しぶりに三人で散歩しない!?」
何を言い出すかと思えば……と、エレンとミカサは互いに目配せをくれてやる。
「……散歩?」
声に出して聞き返したのはミカサだ。
「うん、散歩!」
「……でも、あんまり俺たちだけで出歩くのはよくないんじゃないか?」
仮にもこの国で貴重な巨人の力を有する二人と、しかももう一人は〝アッカーマン〟だ。普段は外出するときは逐一行き先を報告しなければならない面子であるから、エレンとミカサは慎重なのだろう。
だがアルミンは仕草を使って力説した。
「いいでしょ少しくらいなら! ほら、ここからなら割と近いし、『あの丘』に行ってみない?」
その単語が出たそのとき、資料室の中の空気が一変した。明らかに消極的だった二人の瞳に、星のような輝きが宿るのをアルミンは目の当たりにする。
「……あの丘……」
ミカサが噛み締めるようにそれを呟く。
「……うん。久しぶりにさ。三人で、時間を共有したいんだ……」
アルミンの声がまた少し寂しそうに落ちた。
ここ最近別々の班に配属になった三人は、昔のように〝三人〟でいることが圧倒的に減っていた。それはミカサも感じていたことだった。
何も言わないまま、ミカサの視線がエレンへ向けられる。アルミンもその視線をエレンに向けた。……最後の判断がどこに委ねられているのか、エレンもこの時点で察していた。
「……だめ、かな?」
アルミンが尋ねる。
「……エレン」
ミカサが念を押す。
二人のあまりにも真剣な眼差しに、エレンが押し切られないはずもなく……ふう、と肩の力を抜いて、アルミンとミカサを見返した。
「……わかったよ。でもあんま長居はしねえぞ」
「うん、わかってるよ! せっかくの空き時間だもんね! ありがとう!」
嬉しそうに席を立ったアルミンにつられ、エレンもわざと渋々なように見せかけた動作で立ち上がった。
――本当に久しぶりの〝三人〟の時間に、それぞれの胸は踊っていた。
それから三人は兵団本部の施設を出て、おまけに怠惰な門兵が居眠りをしているウォール・マリアの内門を潜り抜けた。そうすると目的の丘はもうすぐだ。子どものころは走って駆け抜けたこのなだらかな上り坂も、歩いて昇るとまた違った踏み心地を感じる。……あるいは、三人が成長したから、覚えと少し違うのかもしれない。
エレン、ミカサ、そしてアルミンは、一歩一歩と踏みしめながら歩いていく。ぽつぽつと昔を懐かしむような言葉をいくつか交わしながら、ここしばらくの忙しい日々に比べると、かなりゆったりと時間を過ごしただろう。
空を見上げてアルミンが「わあ、見てみなよ」と声を上げる。それに引かれてエレンとミカサも空を見上げ、そこにあった満点の星空を前に、思わず息を飲んでしまった。頭上一面に広がる星たちの大海原。ウォール・マリアの内門周辺にはもう数えるほどしか民家はなく、それらから漏れ出す程度の明かりでは、この星空を邪魔できるほどの輝きにはなれない。
星空に呆気に取られている間に、三人は目的の丘の……そして目的の木の側に到着した。
幼いときはエレンがいつも一着だったこの木――今日の一着はアルミンで、二着はミカサで、そして最後に到着したのがエレンだった。昔は一着のエレンが嬉しそうに真ん中を陣取って座っていて、そのときを思い出したのか、アルミンはエレンが座るための間をあけ、自身はその左側に腰を下ろした。ミカサがその反対側に腰を下ろし、二人の手招きにつられてエレンが照れくさそうに真ん中に座った。
アルミンは「あのころはエレンが一番張り切っていたのにね。もうかけっこはいいの?」とからかってやる。エレンはやはり少し恥ずかしそうに「もういいよ」と歯噛みしていた。
改めてアルミンが空を見上げる。立派な木々の葉先から星空が溢れ出して、大きな空へと続いていく。
「わあ、やっぱり星がきれいだ」
「……だな」
「うん……」
三人で少しの間、その燦然とした輝きを見上げていた。そこで何かを思い出したようにアルミンが「あ、」と零し、それから二人のほうへ視線を向けた。
「ほら、星って言ったらさ、僕たちは方位を見るのに使うじゃない?」
「そうだな。訓練兵のときに叩き込まれたっけ」
エレンとミカサの中には、険しい夜間訓練の思い出が彷彿とされていた。
だがどうやらアルミンはそれを主題にしたかったわけでもなく、
「そうそう。けどさオニャンコポンが言ってたでしょ。大陸にはあの星の形一つずつに、神話というものがあって、それぞれに物語があるって」
興奮気味に二人に尋ねた。
「……そういえば言っていた」
それに相槌を打ったのはミカサだ。
「うん。だよね。あの輝く点と点を繋いで物語を考えようって人がいることに驚いたけど、結局オニャンコポンもその物語を詳しくは覚えてなくて……実際どんな話なのか気になってるんだ」
またアルミンは星空を目がけて視線を飛ばした。
確かオニャンコポンはあの星からあの星までを繋いでオリオン座と言っていたか。確かあっちのほうにある連なりはふたご座と言っていたはず。そのときの光景を一生懸命に思い出しながら、エレンも空を見上げた。
「確かに。どんな話か気になるよな」
「うん! でさ、今度マーレに渡るでしょう」
アルミンの興味の度合いに比例して輝く瞳が、きらきらと星空を湛えながらまた二人を見つめる。
もうすぐ団長であるハンジ指揮の元、マーレで潜入調査を行うことは決められており、その人員として三人も選出されていた。まだいろいろと準備があるため少し先の話ではあるが、多くの団員はそれに向けて訓練を進めている。
「そのときさ、実は僕、マーレの図書館に行きたいって思ってるんだよね」
「図書館」
「そう。そこなら星の物語だけじゃなくてさ、一冊くらいは海の深さを測った本とかありそうじゃない? ここにいては知れないことを知るのが、今から楽しみなんだ。自由行動の時間あるかな」
心配そうに小さく笑うが、エレンからすればそれは杞憂に近いだろう。
「きっとハンジさんのことだから、そういうのも考慮してくれてるんじゃないか? 調査の一環だろ」
「うん、だといいよね! 僕、結構楽しみなんだ」
「はは、そういえばサシャたちも毎日楽しみだって言ってるよな」
「うん、言ってるね!」
三人で思い浮かべているのは同期のサシャで、いつもマーレからきたニコロのところに行っては、お勧めの料理や調味料など、あれやこれやと質問攻めにしている光景だった。たいがいその後ろには呆れた顔のコニーがいて、ときどきジャンもそこに加わっている。
「あ、そういえばさ、」
また何かを思い出したようにアルミンが口を開いた。
「マーレに渡る前に髪の毛を切りたいと思ってるんだ」
今度は自身の小さく結わえられた襟足を掴んで見せた。調査兵団に入った当初よりも少し長いくらいになっていた。その仕草を見てエレンもうんうんと頷く。
「ああ、確かに。今のお前、髪の毛後ろで結ってるもんな」
「まあ、そういうエレンも」
ミカサが横やりを入れる。
「ミカサだってそうじゃないか」
今度はアルミンが笑いながら話題を振った。
よく見れば、確かにここに並んでいる三人とも、今は後ろで髪の毛を結っていた。そのしっぽの長さはそれぞれだが、ついに似た者同士の三人になってしまっている。アルミンはそれが少し面白かったり、くすぐったかったりだが、話題を振られたミカサが自身の長い襟足を掴み、それを視界の中に入れながらぼやいた。
「確かにそう。私も切ろうかな。エレンはどれくらいがいいと思う? 結べば邪魔ではないことはわかったけど」
答えを求めてエレンを見たミカサと、エレンの横からひょっこりと顔を出したアルミン。
「ミカサは短いもの似合うからいいよね!」
「俺は長いほうが好きだけどな」
エレンがそう発言した途端、アルミンはオノマトペを発しそうなくらいに急いで、エレンの顔を確認した。まじまじとその顔を見ているのでエレンは何事かと思ったが、すぐにアルミンが言いたかったことに気づいた。何せアルミンは緩めたい頬を必死に抑えているようなむずむずとした顔をしていたからだ。
「……いや、そ、そうだろ!? 俺はアルミンは髪が短いほうが〝好き〟だな!? この間やったみたいにさっくり後ろ刈っちまえよ!」
アルミンが言いたかったことを上塗りするように、慌てて話題を書き換えたエレンだ。――アルミンはエレンがミカサに対して使った『好き』という言葉に反応していたのだ。もちろん幼馴染としてずっと側で見ていたアルミンがエレンの恋心に気づいていないはずもないので、当然と言えば同然のいじりだ。
だが、それを何とか誤魔化そうとしたエレンを見て、「もう、エレンったら」と笑い声をあげ、それに対してエレンも「な、なんだよっ」ととぼけて見せる。唯一二人が何の話をしているのか察せなかったミカサだけ「なぜエレンは焦っている?」と二人に向けて疑問符を飛ばしていた。きょとん、とした顔は、エレンの目にどう映っていただろうか。
「あはは、ミカサがミカサで助かったねエレン」
「うるせえ!」
エレンの慌てっぷりを見て楽しんでいたアルミンは、さらに追い打ちをかけようといい笑顔を浮かべた。
「ところで君たち二人はいつ籍を入れるんだい? 見ていて本当にもどかしいよ!」
まだエレンがミカサに本心を打ち明けていないことに不満を持っていたアルミンは、わざとエレンを追い込むようなことを言ってやった。当然エレンは先ほどよりも大きな仕草で反応して、
「はあ!? おっ、俺たちはそんなんじゃねえって!」
と大声を上げて反論した。
しかもアルミンにとっては予想外のことに、ミカサもエレンの横から真っ赤な顔を出してアルミンを見やった。
「そ、そう、私とエレンは既にか、家族。これ以上籍を入れることは、できない」
それを見てアルミンは「ミカサは落ち着いて」と愉快そうに笑った。
明らかに相思相愛のこの幼馴染を隣でずっと見守っていなければいけないもどかしさを抱えていたアルミンは、これくらいのからかいなら可愛いものだろうとだらしなく破顔するばかりだ。
だが、それを黙って見ているだけの男でもないのがエレンだ。アルミンが寄こしたからかいに対する反撃をすべく、声を高らかに上げた。
「そんなこと言うお前こそ! そろそろ動いて喋る女子に目を向けろよな!」
そしてこれまでずっとアルミンが浮かべていた愉快そうな笑顔を横取りして、代わりに困惑したような照れ顔をそこに貼り付けることに成功した。満足げなその顔面に向かい、今度はアルミンが拳を握って力説する。
「えっ、いや、だからアニはそんなんじゃないってば……!」
すると今度はエレンと結託するように、ミカサがぼそぼそと何かを言い始める。
「アルミンがどうしてもと言うなら仕方がない。結晶から出てきたアニの後頭部を殴打して、本人がマーレ人であったことを忘れさせるしかない」
「しれっと暴力で解決しようとしないでくれる!?」
ミカサが言うとまったく冗談に聞こえないよ、とアルミンは嘆き、エレンも苦笑を浮かべながらそれには同意した。そしてアルミンはさらに言葉を繋げる。
「そ、それに、大丈夫だよアニは!」
「何がだよ」
「いや、何がってその……っ」
アルミンの中でいったいどんな考察がされているのかわからないが、何かしらの意味で『アニは大丈夫』だと力説している。当然その根拠も道理も理解していないエレンもミカサも、じっとアルミンの眼を見て、彼がしてくれるであろう弁解を心待ちにした。――だがアルミンは言葉に詰まったきり、目を泳がせるだけだ。
「で、でもさ、考えたことあるんだ」
アルミンの視線が再び二人の元へ戻る。その語り出しから自分たちの疑問には答えてはくれないのだろうと察したエレンとミカサだったが、アルミンは滔々と自身の思考を続けた。
「もしアニがマーレじゃなくてパラディに生まれていたらさ、きっと僕たちは出会うことはなかっただろうなって。だ、だから、アニがどう思ってるかわからないけど、僕は今の道でよかったと思ってるよ」
そう言い切ったアルミンの表情はどこか窄んで見えた。けれど同時に、その声の柔らかさがアルミンの気持ちを物語っているようにも思える。エレンとミカサは静かに二人で見合わせて、それからまたアルミンのほうへ二人の視線が向いた。
「……お前本当に無自覚か?」
「な、なんだよ! そ、そうだろ! ミカサやエレンだって、今の知り合いと会えなかったら嫌だなとか思うだろ!?」
「まあ、そういうことにしとくか」
「仕方ない」
言葉の通り、大袈裟なまでに呆れたような顔を浮かべるエレンとミカサに、アルミンは反撃の言葉を緩めなかった。アルミンもわざと大袈裟に座り直して腕を組み、本当は苛々しているわけでもないのにそう振る舞った。
「もう、君たちは。こういうときだけ結託して。だから早く結婚しろって言われるんだよ!」
再び怒髪天を突かれて飛び上がったのはエレンだ。
「言ってるのお前だけだっつの! てかまじでそういうこと言うのやめろよな!」
「そう、アルミン。家族は結婚できない。そういうからかい方はやめるべき」
その横から援護射撃を打っているのはミカサだ。アルミンも薄々気づいてはいるが、この二人はどうやら〝気まずくなる〟と、家族と言って誤魔化す暗黙のルールでもあるようだ。確かに便利な言葉だが、いつ互いの本音を伝えるのだろうともどかしく思っているのは事実だ。こんな調子で進んでしまうと、終いには本当に伝えるタイミングを失ってしまうぞ、と懸念もしている。
「……もう、なんなんだよ君たちはほんと」
「お前もだろ」
そんなアルミンの心配をよそに、今日もお似合いで座っているエレンとミカサだ。またエレンとミカサからしても、この幼馴染の行く末を案じる気持ちがある。ただそれは、いずれももう少し様子を見ないといけないのだろう。
とりあえずひとしきり笑い合った三人は、ようやく落ち着いたころにまた空を見上げた。
そこには絶えることなく、未だに満点の星空が広がっている。この三人がバカ騒ぎしている間、ずっと見守ってくれていたのだ。しかしその傾きは、どれほどの時間が経ってしまったかを見せつけている。
「……今日はいっぱい話せてよかった」
そろそろ頃合いだろうと気持ちを締めくくったアルミンが、静かな声色で二人に投げかけた。
「……そうだな、なんかこういうの、お前の言う通り久しぶりだったかもな」
自ら距離を取り始めたことを自覚していながら、エレンはこの時間を噛みしめるようにごちった。――本当はこの時間が愛おしい。ずっと三人で、こうやってしょうもない話をして、過ごしていたい。それはエレンも同じだというのに、……それが叶わなくなる未来が近づいていることも、なんとなくわかっている。だからこんなに胸が締め付けられるのだろうと、エレンは足元に視線を落とした。
「うん。最近エレンは、なんか距離があるっていうかさ、分厚い殻の中にこもっちゃったみたいでさ」
「……殻」
……そうだな、とエレンは思った。確かに〝未来〟という殻に閉じ込められたような気分になるときがあった。
それを知ってか知らずか、アルミンも視線を本人の手元に落として、ぽつぽつと語り始めた。
「僕さ、今まで知らなければよかったって思ったことがないから想像もできないんだけど、きっと世の中にはそういうこともあるんだよね。どこまでのことを知ればそう思うのかちょっと気になるけど……」
それは何を意味しているのだろうか。エレンはそれらを紡ぐアルミンの口元をじっと見てしまった。――『知らなければよかったと思ったこと』――おそらくアルミンは、エレンがどうして距離を取り始めたのか、薄々感じ取っているのかもしれない。エレンの中では、じわじわと焦るような心持ちが広がっていた。……やはりアルミンには見透かされてしまうのか、そんな不安と期待が入れ混じったような、少し不快な焦燥だ。
アルミンは視線をふらふらと持ち上げ、
「……何より、もっとエレンのことを理解していたいって思うよ」
その星空を湛えている瞳が、エレンの視界で瞬いた。どき、と心臓が跳ねたエレンは、反対隣からのミカサの視線も感じているような気がした。二人が、自分をここに留めようとしている……それを理解して、しかしやはりエレンの中を占めるのは『焦り』という感情だった。
「――だから、何かあったら話してよ」
まっすぐに射抜かれて、エレンは戸惑う。……本当はアルミンに隠し事なんてしたくない。そう思っているエレンだが、こればかりは話すわけにはいかないのだ。それはわかっている、余計なことに巻き込まないためにも――いや、どの道巻き込んでしまう可能性は高いが、それでも〝安全なほう〟にいてもらえるよう。
「……ああ、話すよ」
目を逸らして、嘘を吐いた。話す気など毛頭ない。……けれど、それをアルミンに知られる必要もまたなかった。
エレンの心情を探るようにアルミンはその様子を見つめた。ばつが悪いエレンは、やはりどこか落ち着きがなかっただろう。何かの確証を得たかったアルミンが、今度は視線だけでなく身体までエレンのほうへ向けた。
「…………僕たち、友だち……だよね?」
確認するようにその瞳を覗き込む。
「私たちは、家族」
間髪入れずに釘を刺したのは、その横から顔を出したミカサだった。それに驚いたアルミンは、すぐさまミカサの心情を読み取った。……彼女にとって、この〝家族〟という言葉は魔法の言葉なのだ……エレンとアルミンとミカサの三人を繋いでおくための、魔法の言葉。そうまるで、あの星と星を繋ぐ星座線のような。――つまりそれだけ、ミカサも不安になっているということ。
だからアルミンはあえて笑うことにした。
「はは、そうだったね。……じゃあ僕が長男だ」
するとエレンも全力でそれに乗った。
「は? 性格的に俺だろ」
少し表情が和らいでいたミカサも割り込む。
「何を言っている、私が二人のお姉ちゃん」
今度はそれにアルミンが割り込み、
「いやいや、ミカサはどちらかというと末っ子の妹だよね!?」
「わかんねえ……」
振られたエレンはただ首を傾げて困惑していた。肯定してしまうとミカサを蔑ろにしてしまうことになるし、否定すれば今度はアルミンをそうしてしまう。あっという間に板挟み状態だ。
だが、そんな困惑しているエレンを見て、もういいか、と力を抜いたのはアルミンだった。
「……そろそろ帰ろうか」
二人に声をかけて立ち上がる姿勢に入る。
「……だな。思ったより長居しちまった」
「皆が心配しているといけない」
「……うん」
そうやって三つの似た影が立ち上がり、そうしてまた星空の下を歩み始める。――朝になるころには、また三人別々の部屋で起き、別々の班で行動して、別々の道を歩むことになる。それぞれの胸には絆という希望と、不確かな未来への不安がない交ぜになっていた。
おしまい
あとがき
イコカ先生、遅ればせながらお誕生日おめでとうございましたー!!!!
リクエストは「EMAの小説」ということで……( ;∀;)♡
いかがでしたでしょうか……!
イコカさんが先日の黒装備エレンに胸を撃たれたと言っておりましたので、なんとか絡めてみました……!
EMAと言えばどの時期の三人のお話にしようか迷ったのですが、
あえてこの時期で仲良く会話する三人を見たくて、こんな時期になりました。。
うう、この時期(マーレ潜入直前)は三人の中でかなり葛藤があったのではと思うんですよね……。
それでもお互いへの絆を心地いいと感じてしまう三人……うう、尊い……
お楽しみいただけていたら幸いです!
それではイコカ先生、お誕生日おめでとうございました♪
素敵な一年になりますように!