【刀剣】近くて遠い【典鬼】 時間遡行の際、外部より干渉を受け目的の時代に飛ぶ事が出来ず、更に悪い事に仲間のひとりが別の時間へと弾き飛ばされるという事件が起きた。
政府に協力を仰ぐも寄越されたのは、末端の一本丸の一男士に割く労力はないといった内容を、最もらしく仰々しい文章で綴った返書であった。
政府からすれば居なくなった一振りに固執する理由はなく、それよりも新たに男士を迎えて戦力を補充しろと言う事なのだろう。だが、これまで苦楽を共にしてきた仲間をそう易々と諦める事など、出来ようはずもなかった。
時間遡行軍と戦う傍ら捜索隊が編制され、昼夜問わず可能な限りの捜索、時間遡行を行うも大まかな時代と場所しか手掛かりがなく、芳しい結果は得られぬまま時間だけが過ぎていく。
皆が捜索に必死になる中、寝る間も惜しんでひときわ駆け回っていた大典太が、とうとう粟田口の短刀と兄弟刀によって強制的に布団へと押し込められた矢先、行方知れずとなっていた太刀を発見したとの報せが入ったのだった。
今にも飛び出しかねない大典太をソハヤが文字通り身体を張って押さえ込み、それでもなお身動ぐ太刀に前田と秋田が縋り付く。
弟相手ならば力ずくでもやむなしと思っていた大典太だが、短刀相手ではさすがにそうはいかぬと、仕方なしにおとなしくなった。
戻ってきたのは鯰尾と乱だけで、他の者は現地で待機しているとの事であった。
だが、発見したはいいが状況はよろしくないとの鯰尾の言葉に、その場に居た全員に緊張が走る。
うまく撮れなかったんだけど、と前置きをしてから、乱が持ち帰った画像データをタブレットで流し、ここ、とある一点を指さした。
粗雑に組まれた檻のような物の中に人影がある。
そこは興行中の見世物小屋のようで、その檻の中の人物はどうやら一番の目玉らしい。ひしめく人々の頭の隙間から見え隠れする姿は、大典太の記憶にある物といささかの違いはあれど、確かに行方不明となった太刀であった。
光の加減で七色に見える髪は腰まで伸びており、目元同様、唇にも紅がさされている。身につけている着物は金糸銀糸の織り込まれた一目で上質と窺える物で、実際に目にした鯰尾と乱が言うには、酷い扱いを受けている様子はないとの事だ。
どうにか近くまで寄った乱が名を呼ぶも全く反応はなく、不思議そうに青い瞳と薄桃色の髪を見つめるだけであったという。
時間遡行への無理な介入の影響か、ひとり弾き飛ばされた鬼丸には相当な負荷がかかったと見られる。精神面がやられたのではないか、とは現地で待機している薬研の言葉だ。
化け物として始末されなかったのは不幸中の幸いだった、とは同じく待機している御手杵の言葉だ。
連れ戻すだけならばさほど難しい事ではないが、ひとつ問題があった。
鬼丸の本体の行方だ。
処分されていないのはそこに鬼丸が居る事で証明されているが、現時点では売り飛ばされている可能性が高い。
『鬼』の持ち物として保管されていれば御の字だな、と大典太が低く漏らせば、それに賭けたいですね、と鯰尾が静かに応じた。
◇ ◇ ◇
人相手に手荒な真似をする訳にはいかないと、審神者はできる限りの資金を調達し、興行主との交渉の末、無事に鬼丸の身柄を貰い受ける事には成功した。
しかし、鬼丸の本体の行方は要として知れず、そちらの捜索は引き続き行わなければならない状況にあった。
「あの場で得られた情報は、正直無いに等しいな」
弁が立つ上はったりや機転も利く点が買われ、交渉の席に着いたのは鶴丸だ。
それに加え「金持ちがあれを欲しがっている」との説得力を増すべく、見た目も雰囲気も浮世離れしている三日月が同行し、荒事も辞さないとの多少の脅しも必要かと、表向きは三日月の護衛として岩融と日本号が選ばれた。
「本当に見世物にしてただけで、身体には指一本触れていないって話だから、俺にその物騒な霊力をぶつけるのはやめてくれないか」
なぁ大典太、と鶴丸が苦笑交じりに指摘すれば、今にも爆発しそうであった大典太の霊力が、多少ではあるがなりを潜める。
見目は麗しかろうと『鬼』と交わろうとする剛気な者は居なかったという事だ。
本丸へと戻って来た鬼丸は心ここにあらずといった様子で反応は薄く、言葉を発することも無い。
今は粟田口の短刀たちが中心となって世話を焼いており、先程軽く食事を済ませ湯殿へと向かったところだ。
「行き倒れていたのを拾ったと言っていたが、その際、武具の類いは一切身につけていなかったそうだ」
「あの御仁が追い剥ぎに遭ったとかは考えにくいから、意図的に丸腰になったと考えるのが妥当かねぇ」
鶴丸の言葉に続いて日本号が所感を述べれば、難しい顔をしていた薬研が口を開いた。
「大将と一緒に鬼丸を診てみたんだが、どうにも妙な状態でな。あの身体には最低限の霊力しか回ってないというか、『人』として動く分には支障の無い状態というか」
「つまりは?」
「ただ生きてるだけの器って事だ」
わかりやすさを優先したか、鶴丸の問いに言葉を選ばず言ってのけた薬研に、大典太が隠すこと無く眉間に深いしわを刻む。
「遡行軍に居場所を気取られるのを避ける為か、あるいは自我を保てないほどの深刻なダメージを負ったか。どれも可能性の話でしかないが……」
「……折れていないのならば希望はある」
低く、小さく、だがはっきりと言い切った大典太の声音に諦観の響きは無い。
「そうだな。鬼丸からすれば夢を見ている状態かもしれんな」
肉の器のふわふわとした夢見心地な面差しを思うに、三日月のそれは言い得て妙であった。
「ここで霊力が少しでも回復すれば状況が変わる可能性だってある」
希望の芽を摘まぬ為に薬研が最もらしく口にしたのと、閉じていた襖が開いたのは同時であった。
何事かと室内に居た全員がそちらに顔を向けるまでもなく、髪が湿ったままの鬼丸が迷いの無い足取りで真っ直ぐに大典太の傍へ寄ったかと思えば、すとん、とすぐ隣に黙って腰を下ろした。
誰も声が出せない中、鬼丸と共にやって来た乱が「お話し中にごめんね」と皆に詫びる。
「鬼丸さんのお部屋に向かってたんだけど、急にこっちに来ちゃって。でも無理に止めるのも良くないかなって」
今の鬼丸とどう接すれば良いか手探りであるのは、乱に限ったことでは無い。
「鬼丸が自分の意思でここに来たってのか?」
「そしてお目当ては……」
「鬼丸のお守りは大典太で決まりだな」
驚きを隠さず日本号が声を上げ、鶴丸が意味ありげに大典太を見やり、ぽん、と手を打った三日月が満面の笑みで言い切る。
「大将には俺から言っておくぜ」
トドメとばかりに薬研が大典太の逃げ道を塞いだ。
無論、大典太が拒否するなどこの場に居る誰ひとりとして思っていないが、彼の性格上、自らその役を買って出るのは難しかろうという仲間からの気遣いだ。
「お手伝い出来ることがあったらなんでも言ってね」
可愛らしく小首を傾げ、ね? と笑う乱に後押しされたか、ようやっと大典太の首が縦に振られたのだった。
おとなしく鏡の前に腰を下ろした鬼丸の髪を一房手に取り、大典太は艶やかなそれを、まじまじ、と見やる。
本来の長さに整えるかあの場で協議をした結果、
「古来より髪には霊力が宿ると言うからな」
との三日月の一言でそのままにしておく事に決まったのだった。
どこにあるとも知れぬ鬼丸の本体と、人間体を繋いでいるひとつの可能性やも知れぬ以上、下手にいじらない方が良いというのが全員共通の見解だ。
ふわり、と立ち上る花の香に似た淡く甘いそれは、乱お気に入りの洗髪剤が使われた事を意味している。
ここまで長さがあると手入れも一手間掛かるだろう。
さらり、と指通りも良く美しいこれを、扱いを誤って傷めてしまうのは忍びない。
髪の手入れならば、常日頃から毛艶に並々ならぬこだわりを見せている小狐丸に聞くのが良いだろう。
ゆらゆら、と頭を揺らし始めた鬼丸に、はっ、となり、大典太は手早くも丁寧に櫛を通す。
鏡越しに様子を窺えば、鬼丸の目は既に閉じてしまっている。
「ほら、布団に行くぞ」
後ろから脇の下に腕を入れ、ぐん、と引っ張り上げれば、かろうじてではあったが自分の足で立ち、共に布団へと辿り着いた鬼丸に大典太は安堵の息を漏らす。
布団は二組敷かれていたが、これまでの行動から予想通り鬼丸は大典太から離れる事はなく、片方は使われる事はなかった。
ぴたり、と身を寄せてくる鬼丸の背に腕を回し、柔く抱き締める。
記憶より少し痩せて細くなってしまった身体ではあるが、伝わる体温が、鼓動が、呼吸が、確かに此所に居るのだと告げている。
あぁ……帰ってきたのだな、とここにきてようやっと実感が湧いたか、大典太は柔らかな頭髪に鼻先を埋め、つん、と鼻の奥が痛むのを誤魔化した。
明日からは鬼丸の本体探しが始まるのだと鶴丸が言っていた。
「なにか、手がかりがあれば……いいんだが……」
眠りに落ちながら呟いた大典太の言葉に反応してか、鬼丸の瞼が一瞬、ぴくり、と震えた。
◇ ◇ ◇
不意に、よろり、とよろめいた鬼丸の身体を支え、大典太は緩く息を吐いた。
長い期間、満足に歩いていなかったであろう身体を慮り、緩やかな足取りで庭の散策をしているのだが、平素ならば気にならない程度の地面のくぼみに足を取られ、先程から何度も体勢を崩しているのだ。
鬼丸の手を引いて庭を回ろうと思っていた大典太であったが、一歩下がっていた方が対処しやすい為、泣く泣くこの位置に甘んじている。
陽光を受け様々な色を見せる艶やかな髪を眺めながら進んでいれば、なにかに気を引かれたか、ゆうるり、と鬼丸の頤が上がった。
「どうした」
隣に並び鬼丸の視線を追って大典太も顔を上げる。
見上げた先は枝振りも良く葉もほどよく茂ってはいるが、特にこれと言った目を引く物もない名も知らぬ木であった。
一体なにが彼の気を引いているのかと、よくよく目を凝らしてみれば、細い小枝のような物が乱雑に集められたその上に、鳥が一羽鎮座していた。
「キジバトか」
繁殖時期の特に決まっていないキジバトは巣の作りも雑で、申し訳程度に集めた小枝などの上で抱卵する。
危害を加える気はないが無駄に警戒させる事もないだろう。
行くぞ、と促そうと鬼丸に向き直った大典太は、はっ、と息を飲んだ。
ふうわり、と小さな花が厳かに綻ぶような笑みを浮かべている鬼丸の姿に、言葉もなく釘付けになってしまったのだ。
他者をそうおいそれと寄せ付けない雰囲気を醸し出している鬼丸だが、その心根は実直で優しい事を大典太は知っている。
干渉はせずとも見守り、健やかなれと慈しむ事を知っている。
美しい刀だと、改めて思ったのだ。
ふっ、と視線を下げた鬼丸が大典太を見やり、暫し何事かを考えるような顔をしてから、ゆっくりと大典太の手を取った。
そのまま歩き出した鬼丸に引かれるがままに、大典太は足を踏み出す。
時たま危うく揺れる身体に肝を冷やしながらも、握られた手はそのままに鬼丸の隣に並べば、ちら、と横目に見てきた鬼丸はどこか満足げに口角を上げたのだった。
散歩から戻ったその足で大典太は鬼丸と共に薬研の元を訪れた。
霊力の回復具合を見る為に日に三度、計測を行っているのだ。その際、大典太には鬼丸の本体捜索の進捗が知らされる事となっている。
人が使っている血圧計のような器具を前に、仕組みはわからないが便利な物だな、と大典太はつくづく思う。
「大まかな年代と場所は見せ物小屋の主が鬼丸を拾った場所から推測したが、やはり厳しい状況だな」
数値をタブレットに打ち込みながら僅かに眉を寄せる薬研に、大典太は心配そうに「良くないのか?」と問う。
言葉足らずのそれではあったが、ぱっ、と顔を上げた薬研にはきちんと伝わったようだ。
「あぁ、ちゃんと回復はしてるからそこは問題ない」
ひらひら、と手を振りながら否定する薬研に、大典太は、ほっ、と息をつく。だが、直ぐさま険しい表情で口を開いた。
「捜索の方か……」
「正直、砂漠で一粒の砂金を探すような物だからな。呼びかけに応じる男士ならばまだしも、今探し求めているのは物言わぬ刀だ」
聞き込みをするにも『人』を探すのと『物』を探すのとでは難易度が変わる。
「それに俺たちには時間制限もあるからな。同じ時代に留まり続けたら、下手すりゃ検非違使が現れる。今は様子を見ながら少しずつ捜索時間を延ばしてるといったところだ」
現状、その時代に介入していると言った点では、時間遡行軍も刀剣男士も大差がないのだ。
検非違使の正体や目的は不明だが、抑止力としてその時代の異物を排除する役割を担っているという見方が有力な説である。
「……そうか、検非違使か」
ふと、なにかに気付いたか大典太が小さく漏らす。
「ひとつの時代に長い事留まれば検非違使が来る。だから……」
帰還の術を持たず、仲間とも合流出来る保証はない。
「人間体と本体を切り離した、と」
ひとりで検非違使と対峙する危険よりも、人間体の霊力を最小限に絞り仲間が見つけてくれる事に賭けたのかもしれない。
なるほど一理ある、と薬研は顎に手を当て軽く頷く。
「そうなると無闇に探し回るのは悪手かもしれないな」
「だが、手がかりくらいは見つけたい」
大典太の声音に滲む切実さに薬研は、それはそうだが、ともどかしさを、ぐっ、と飲み込む。
「直接関係があるかはわからないんだが、聞き込みをしてる中で奇妙な噂を聞いたそうだ」
期待はするなよ、と前置きをしてから薬研は話を続ける。
「山の中の廃寺に化け物が出るようになったのと、鬼丸が行方不明になった時期がどうやら被るらしい」
「化け物?」
「宿代わりにしようとした行商人が暗闇で光る一対の目玉を見たとか、二股に分かれた舌に首筋を舐められたとか。鳴狐の御伴の狐がそこいらの妖に聞いてくれたんだが、どうやら元からそこを根城にしてる蟒蛇との事だ」
元からそこに居たのならば関係はなさそうだが、これまでそのような噂はなかったという。たまたまかもしれないが妙な引っかかりを覚え、大典太は難しい顔で、そうか、と頷いた。
部屋に戻るなり、くぁ……、と大口を開けて欠伸をした鬼丸に、犬歯が丸見えだぞ、と大典太が薄く笑えば、ゆうるり、と持ち上がった手が口元を隠した。
未だ言葉を発する事はないが、戻ってきた当初と比べれば感情のような物が見え隠れしており、現に今もどこか恥じらうように目を伏せ、ふい、と顔を背けている。
霊力の回復に伴い本体との繋がりが強くなっているのかもしれない、とは薬研の見立てだ。
本体側に何か不都合が起こっては一大事だと、毎晩慎重に少量ずつ霊力を分けてきたが量を増やしても良さそうだと、大典太は鬼丸の手を取った。
繋がった手に一度目を落とし、顔を上げた鬼丸に微笑んでみせる。
「眠いのなら昼寝するか」
そのまま手を引き布団へと連れて行けば、鬼丸はおとなしく腰を落ち着けたものの、大典太の手を離そうとはしなかった。
強く引く事はないが何かを訴えかけている事は感じ取れる。
「添い寝を所望か」
わざと茶化すように口にしてから大典太は鬼丸の隣に腰を下ろし、相手を抱きすくめるように横になった。
後頭部を包むように白銀の髪に指を梳き入れ、角の根元に軽く口づける。
触れた箇所から染み込ませるように霊力を送ってやれば、鬼丸の方から更に身を寄せてきた。
胸元で、ふー……、と深く息を吐き、目を閉じた鬼丸の口からは、程なくして穏やかな寝息が漏れ始める。
褥を共にするようになってから知ったが、鬼丸は眠りが浅い。
夢と現の狭間に常に居るような、そのような眠り方をする刀だ。
だが今は現の縁に留まる事無く、深く沈み込むように眠りについている。
規則正しい寝息。
規則正しい鼓動。
その静かで柔く優しい音に誘い込まれるように、大典太の瞼もゆっくりと下りていった。
「やっと繋がったか」
不意に背後からかけられた声に大典太は、はっ、と振り返った。
霞がかった視界は不明瞭で、辺りの様子は一切窺えない。だが、不思議と目の前に立つ男の姿は、はっきりと認識出来た。
「……鬼丸……なのか?」
戦装束に身を包み、刀の柄に手を掛け、威風堂々と立つその姿は、まさしく探し求めている太刀であった。
「これは、夢か?」
呆然と呟く大典太に頷いて見せ、鬼丸は険しい表情を一瞬だが和らげて見せた。
「あぁ、どうにか夢路が繋がった。面倒を掛けてすまんな」
「どういう状況なのか教えてくれ。あんた一体どこに居るんだ? 他にも聞きたい事は山とある」
矢継ぎ早に言葉を投げてくる大典太を手だけで制し、鬼丸は静かに口を開く。
「おれの居場所は廃寺だ。昼間に話していただろう?」
「それを知ってると言う事は、ちゃんと繋がってはいるんだな」
ほっ、と安堵の息をついた大典太に、一応な、と曖昧に返してから、あぁくそ、と悪態を吐いた。
「時間切れだ。そろそろ『おれ』が目を覚ます。あっちが起きている時、おれは眠っているような状態だ」
「つまり……?」
難しい顔で、とんとん、と指先で柄を数度叩き、喉奥で低く唸っている鬼丸は、どう説明した物かと考えているのだろう。
普段、自分の思っている事や考えをなかなか言葉にしない相手が、必死に伝えようとしてくれているのだ。ここで急かしてはいけないと、大典太はただひたすらにじっと待つ。
「……あっちが起きている最中の行動は、おれからすれば夢の中のようなものだ。制御が難しい」
感覚的な物を言語化するのは難しいのだろう。もどかしげな様子から正確な状況説明ではない事は理解出来た。
自分の事であるにも関わらず、思った通りに動く事が出来ていないのだと受け取った大典太は、内心で、うん? と首を傾げた。
それはつまり『いつもは理性が働いて取る事のない行動を今はしている』と言う事なのではないだろうか?
「廃寺に居る蟒蛇だが――」
ぶつり、と途切れた夢に大典太は、はっ、と目を開いた。
見慣れた天井と、じぃ、と見下ろしてくる鬼丸を視界に収め深く息を吐く。
夢の中で鬼丸が言いかけていた事は気に掛かるが、居場所がわかった事には変わりない。
今すぐにでも迎えに行きたい気持ちを、ぐっ、と抑え、まずは皆に報告だな、と寝乱れた髪を手櫛で整えながら部屋を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
「駄目だ駄目だ、全く話にならん」
どかどか、と足音荒く戻ってきた鶴丸の第一声に、室内に居た者たちは驚きに目を瞠った。
鬼丸から得た情報を大典太が皆に伝えるや、善は急げとその場で部隊編成がなされ、ものの十分で支度を調えた彼らは即座に目的地へと跳んだのだ。
あてどもなく探し回っていた状況から一変、廃寺の中を探し回収するだけだと誰もが思っていたのだ。
しかし蓋を開ければ噂の蟒蛇が、あろうことか鬼丸の本体を中心にとぐろを巻いていたのだった。
力尽くで奪うのは容易いが、それではこちらがあまりにも悪党過ぎると、穏便に、どうにか平和的な交渉を試みるも、動かざること山の如し。
ピクリ、とも反応しない蟒蛇を前に為す術もなく時間ばかりが過ぎていき、あえなく撤退と相成ったのだった。
「警戒はされておりましたが、敵意は感じられませんでした」
鶴丸が交渉を試みている最中、一歩離れた場所で様子を窺っていた一期の言葉に乱も、こくり、と頷き同意する。
「とにかくだ、もっと鬼丸から情報を聞き出してくれ」
あと一歩の所まで来ているのだと、ここで下手を打つ訳には行かないのだと、皆の視線が大典太に集中する。
「……善処する」
現状、鬼丸からの接触を待つしか出来ない為、これ以上の答えを大典太は持ち合わせていないのだ。
「ところで鬼丸さんは?」
話も一段落したところで、きょろり、と室内を見回した乱の言葉に、大典太の顔色が、さっ、と変わる。
皆に情報を伝える為に部屋を出てから、一度も戻っていない事にたった今気づいたのだ。
これでようやく全てが戻ってくるのだと、期待と安堵でそちらにばかり意識が集中してしまい、今に至る。
「すまん」
焦りの滲んだ声でそう言い置いて大典太は部屋を飛び出し、その勢いのままに廊下を駆けた。
すっかりと日は落ちており、一体何時間ひとりきりにしてしまったのかと、後悔の念が押し寄せる。
引き手に指を掛け勢いよく襖を開ければ、明かりの灯されていない部屋の中、窓枠に乗せた腕に顔を伏せている鬼丸の姿があった。
「鬼丸」
傍に寄り、そぅ、と肩に触れながら名を呼べば僅かに身動ぎ、ちら、と隻眼が大典太を見上げるも、直ぐさま、ふい、とより深く腕に顔を埋めてしまった。
「すまなかった。放っておくつもりはなかったんだ」
我ながら言い訳がましい、と大典太は苦い思いを飲み込み切れないまま、それでも懸命に詫びの言葉を口にする。
「あんたを取り戻す事が出来ると思ったら、それ以外考えられなくなった。本当にすまない」
同一の存在に対して謝罪するというのも妙な話であるが、人間体の鬼丸の行動のあまりの幼さに、罪悪感が一層募るのだ。
一向に顔を上げようとしない鬼丸の背を撫でながら、根気強く待つ。
本体側は今の状況をどう思っているのだろうか、と大典太がふと考えたその時、のそり、と鬼丸の頭が持ち上がった。
顔は上げぬまま身体の向きを変え、少々乱暴に、どすん、と大典太の胸に寄りかかる。
これはお許しを貰えたと言う事で良いのか? と逡巡しながら大典太は鬼丸の背に腕を回し、ゆうるり、と抱き締めた。
おとなしくされるがままになっている鬼丸を抱き締めたまま壁にもたれ、腕の中の銀糸を、ゆるゆる、と撫でる。
気が緩んだか大典太の瞼が徐々に下がり始め、気付けば重なったふたつの寝息は空気に溶けていった。
いつも以上に険しさの増した表情の鬼丸を前に、大典太は先の事に触れてはいけないのだと悟った。
「話は最後まで聞け」
「こればかりは仕方ないだろう。それで、あの蟒蛇はなんだ?」
理不尽な叱責に、むっ、と眉を寄せるも大典太は直ぐさま気持ちを切り替え、鶴丸に言われるまでもなく情報を得る為に話を進める。
「おれの本体を守って貰っている」
「鶴丸たちが取りに行っただろう? どうして渡してくれなかったんだ」
こちらに害意や敵意がない事は話を聞く限り、蟒蛇も理解していたはずだ。
だが、実際は交渉は成り立たなかった。
「タダで守ってくれる訳がないだろう? おれを無事に守り通した暁には酒をくれてやると、約束した」
つまりあの蟒蛇は酒と交換でなければ、鬼丸を渡してはくれないと言う事だ。
「……それで、どれだけ用意すればいい」
月の桂を取って来いなどという不可能な条件でない以上、渋る理由はない。
「いくらでも用意する。なんなら俺の蓄えを全てはたいてもいい」
「お前だけに負担させる気は無いぞ。だが、そうだな……本当におれたちはすかんぴんになるかも知れないな」
本気か冗談か。くつくつ、と喉奥で笑いながら鬼丸は恐ろしい事を続けて、さらり、と告げてきた。
「一ヶ月につき樽ひとつ。さて、おれは何年ここに居たんだろうな」
◇ ◇ ◇
大荷物を抱えて移動するのは効率が悪く、尚且つ人目に触れないようにと、検討に検討を重ね慎重に座標を設定し、狙い通り廃寺の正面に出現した大典太は安堵の息を漏らした。
運んできた酒樽は六つ。
それらは他の者に任せ、ずっと握ったままの鬼丸の手を引いて内部へと踏み込めば、奥の暗がりで、ぎらり、と一対の眼が光った。
「約束の酒だ」
大典太が静かに語りかければ、彼が連れている者が約束を交わした刀であると認めたか、蟒蛇は、するり、と巨体に似合わぬしなやかな動きでとぐろを解いた。
ふらり、と一歩踏み出した鬼丸は床に転がる刀の前に膝をつき、確かめるように揃えた指先で鞘を辿る。
刹那、溢れんばかりの霊力が人間体に満ち、しっかりと刀を握り込んだ鬼丸は危うさの一切無い挙動で、すっく、と立ち上がった。
「世話を掛けたな」
蟒蛇に向かって一声掛け、ゆうるり、と向き直った鬼丸の精悍な顔つきに、大典太の口からは知らず感嘆の息が零れ出た。
ふわふわとした無垢な面差しも良いが、やはりこの刀はこうでなければと、精気の戻った眼差しを正面から受け止めながら大典太は思うのだ。
並べられた酒樽を一瞥した鬼丸は再び蟒蛇に向き直り、まずは半年分だ、と告げる。
「一度に持ってこられてもお前だって困るだろう?」
どこか気安い口調で鬼丸が同意を求めれば、反論はないのか蟒蛇は器用に尻尾の先で酒樽をたぐり寄せた。
「あとこれは、おれからの礼だ」
そう口にするや鬼丸は本体を抜き放ち、一房掴んだ髪を、ざくり、と切り取った。
霊力の籠もった髪をなんの躊躇いもなく切り離した鬼丸の行動に、大典太の喉が、ひゅっ、と鳴る。
そんな物を与えて蟒蛇が蛟にでもなったらどうするのだと、喉元まで出掛かるもどうにか飲み下した。
鬼丸とてそのような事は百も承知だろう。それでも敢えて与えると言う事は、なにか考えがあるに違いないのだ。
こうしてさしたる問題も無く鬼丸の本体を取り戻し、一件落着と相成ったのであった。
チチ、と鳥の声が朝が来た事を告げる。
緩慢な動きで隣で眠る男の角を撫でれば、朝っぱらからなんだ、と掠れた声が返された。
眠りの浅さも戻ってしまったか、と大典太は内心で漏らすもおくびにも出さず、閉じたままの鬼丸の瞼に唇を押し当てる。
「長い髪も良かった」
すっかりと整えられた髪に指を梳き入れ、露わになったうなじを撫でれば、くすぐったいじゃないか、とやはり掠れた声で抗議された。
「あんた、なんで蟒蛇に髪をやったんだ」
戻ってきてすぐにでも聞きたかったが、無事の帰還に本丸総出でのお祭り騒ぎとなり、それどころではなかったのだ。
夜は夜でこれまでの時間を埋めるかのように互いに求め合って、他の物が入り込む余地は一切なかった。
「礼だと言った事に偽りはないが、おれと長期間共に居た事であれの力が増してしまったからな。中途半端な力はロクな事にならん」
「だったらいっその事、格そのものを上げてしまえと言う事か」
随分と荒療治だな、と大典太が苦笑すれば、それなりに責任を感じているのだろう、鬼丸は無言で大典太の胸に額を押しつける。
「正直、あんたが妖を頼るとは思わなかった。少し行けば神社もあっただろう?」
「何を要求してくるかわからんヤツを頼れるものか。理不尽を理不尽とも思わないヤツらだぞ。そもそも尺度が違う」
心底嫌そうに即答してきた鬼丸に、それもそうだな、と同意して、大典太は宥めるように背中を撫でてから、きつく引き結ばれた唇を軽く啄んだ。
2025.03.02