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    【刀剣】それだけは決まっていた【典鬼】 石造りの頑健な塔。内部に長々と連なる螺旋階段を黙々と上り、大典太は天辺にある唯一つの居室を目指す。
     階段途中に窓は一切なく、足下を照らすのは手にした蝋燭のか弱い明かりのみだ。
     人ひとり通るのがやっとの空間に息苦しさを覚え、襟元を寛げようと指を差し入れる。
     額に汗が伝う頃ようやく目的の扉の前に立ち、二度、三度と緩く扉を叩いた。だが、応えはなく、大典太は重い息をひとつ吐いた後、意を決したように扉を押した。
     途端、弾けた光に瞬時に瞼を伏せ、やや間をおいてからゆっくりと目を開ける。陽は中天からやや下り始めの時刻だが、暗闇に慣れた目にはとてつもなく眩く感じたのだ。
    「……なんだ、今度はお前が世話係か?」
     光の加減で七色に輝く髪が風に揺れる。
     窓辺に置かれた椅子に腰掛け、膝上の書物を繰っていた男が顔を上げることなく、どこか笑みと毒を含んだ声音で問うてきた。
     屋敷の敷地内であるにも関わらずここには人の声は届かず、鳥の声しか届かない。
     数年ぶりに訪れた部屋の壁面はほぼ書棚で埋め尽くされ、あまつさえは棚に入りきらない書物が無造作に床に積まれており、その光景に大典太は圧倒されたか男の問いに答える気配はない。
    「悪いことは言わん。帰れ。おれに喰われてしまう前にな」
     ぱたん、と書物を片手で閉じ、ゆうるり、と顔を上げる。
     白磁の肌に石榴の瞳を備えた面は、眼帯に覆われた左目など気にならないほどに造作の整ったものであったが、唇は歪な笑みに彩られていた。
    「鬼丸……」
     苦い表情で男の名を呼び、大典太は、きゅっ、と唇を引き結ぶ。
    「これまでに何人の少女と少年が消えたか、知っているのだろう? なぁ、光世」
     くつくつ、とさも愉快であると言わんばかりに喉を鳴らし、唯一外界と繋がる扉の前で立ち尽くす大典太に向かって大仰に両の腕を開いてみせる鬼丸の瞳は輝いてはいたが、それは狂気を潜ませた危険な輝きであった。
     だが、大典太は目を伏せ、ゆうるり、と頭を振る。
    「……三文芝居はやめろ」
     強い口調では無いが有無を言わせぬ響きに、鬼丸の動きが、ぴたり、と止まった。

     ──東の塔に住む美しい鬼。
     一体いつからそこに居るのか誰も知らず、彼の有する膨大な知識による助言は何代にも渡ってこの家を栄えさせてきた。
     歳を取らぬ美しい鬼の姿を目にする事が出来るのは、極限られた者のみであった。
     幼い時分は弟のソハヤと共によく塔に出入りをし、鬼丸も無愛想ながらも相手をしてくれたのだ。
     大典太が勉学の為に家を離れていた数年の間になにがあったのか、この塔に近づく事は禁忌とされ、出入りするのは彼の世話係として雇われた子供のみとなっていた。
     だが、その子供は一ヶ月もしないうちに姿を消してしまい、すぐに代わりの子供が連れて来られるも、やはり同じように姿を消す事から「塔の鬼に食われてしまったのだ」との噂が実しやかに囁かれ、今では公然の秘密となっていた。

     すぅ、とわざとらしい表情は抜け落ち、理知的な瞳を覆い隠すかのように色素の薄い睫毛が伏せられる。
    「こんな所に来ては『次期当主様』に悪い噂が立つ。もう戻れ」
     鬼丸に会う事が出来る者が限られている理由は、彼がその気になれば何十年も先の未来を見る事が出来る目を持つ鬼であるからだ。
     その能力を悪用されない為に守られてきたはずであった。
     それが何故、と俯く大典太に一瞥くれる事も無く、鬼丸は何事もなかったかのように再び手中の書物を開いた。
     ぱらり、ぱらり、とページを繰る乾いた音だけが響く。
     伏せた睫毛が作る影を見つめたまま大典太は動く気配もない。
    「……少し、痩せたか……?」
     記憶にある鬼丸の姿との僅かな差異に、意識せぬまま口をついて出た言葉であった。
     よくよく見れば目の下にはうっすらと隈ができており、唇もカサカサと乾いて潤いが失われている。
     やつれたと言うのが正しいその姿に、大典太は苦しげに顔を歪める。
    「なにがあった」
    「……ソハヤには会ったか」
     ふらり、と一歩踏み出した大典太を止めるかのように、鬼丸の口から弟の名が発せられた。
    「いや……」
     大典太は町での噂を聞き、居ても立ってもいられず荷物を放るように屋敷の玄関先へ置くや、真っ直ぐにここへと来たのだ。
    「話はあいつから聞け。おれなんかに聞くより、余程詳しい」
     昔から口数の多い男ではなかった。
     それでも必要な事であれば言葉を惜しまぬ男でもあった。
     子供の時分は明確な答えをくれぬ鬼丸に平気で文句を言っていたが、齢を重ねた今ならわかる。
     彼は自分の発言によって「知っている未来」に誘導しかねないと、選択や決断の機会を奪うと理解していたからだ。
    「早く戻って顔を見せてやれ」
     その声音は突き放すような物では無く、静かで柔く、包み込むかのような優しさがあった。
     そういえば、と大典太は気がかりであった事を思い出す。
     家を出て一年ほどはソハヤと文のやり取りをしていたが、次第に数は減り、いつしか途絶えてしまったのだった。
     近況報告といった重要な内容ではなかった事もあり、深刻には捉えていなかったが、心の片隅でずっと引っ掛かっていたのだ。
    「……また来る」
     そう言い置いて大典太は鬼丸に背を向け、静かに扉を閉めたのだった。
     遠ざかる足音に耳を澄ませていた鬼丸は、ぱたり、と手中の本を閉じ、ゆるゆる、と細く息を吐く。
     記憶にある大典太の姿は成人前の少年であった。
     それが随分と立派になったものだ、と感慨に耽る。
     この姿を恐れる事無く、兄弟揃ってキラキラとした目で見てくるのは正直、面映ゆくはあったが決して不快ではなかった。
     彼らが家を守りたい、栄えさせたいというのならば、協力は惜しまない。そう思って日々を過ごしていたのだ。
     だが、今の状況は良くない。
     自分がここで積極的に動いてしまっては、折角見えた「未来」が大きく変わりかねないのだ。
     ソハヤはそれをきちんと理解しているからこそ、鬼丸に協力し、無事に今日という日を迎える事が出来たのだ。
     あとは彼が兄に現状を説明し、巧く立ち回ってくれる事を期待するしかない。
    「……本当に、人の成長は早いな」
     窓の形に切り取られた空を見上げ、鬼丸は、ぽつり、と呟いた。


     玄関先へ置いた荷物は影も形もなく、使用人が部屋へ運んだのかもしれないと、扉に手を掛けた大典太の背に「兄弟」と声が掛けられた。
     すっかりと幼さの抜けた声に振り返れば、記憶にあるよりも精悍な顔つきとなった弟が笑みを浮かべている。
    「お帰り。荷物なら運んでおいたぜ」
    「そうか。すまないな」
     ほっ、と安堵の息を吐いた大典太はそのまま家へと入ろうとするも、ぐっ、と腕を引かれ軽くよろめいた。
    「なんだ?」
    「話がある」
     来てくれ、と口にするや直ぐさま踵を返し、ソハヤは振り返る事無く庭を突っ切って行く。弟の進む先には蔵しかない事を知っている大典太は怪訝に思うも、邪魔が入らずゆっくり話をするには好都合だと黙って足を進める。
     蔵の鍵を開け、重い扉を難なく開き、ソハヤは先に入るよう大典太を促し、素早く辺りに目を走らせてから扉を閉じた。
     何かを警戒する素振りを隠しもしない姿に、大典太は弟の話が深刻な物であると察する。
    「帰宅早々こんな所で悪いな」
    「いや、他には聞かれたくない話なんだろう?」
    「あぁ。前置きはいいよな。鬼丸の事だ」
     やはりな、と大典太が小さく頷けばソハヤは、話が早くて助かる、と僅かに肩の力を抜いた。
    「荷物を放り出して真っ先に鬼丸の所へ行ったくらいだ。町での噂は知ってるよな?」
     それでも確認してくるソハヤに再度頷いて見せる。
    「鬼丸が『人食い』だなどと、どうしてそんな噂が立っている?」
     ぶっきらぼうではあるが心優しいあの鬼が人を食うなどあり得ないと、困惑と憤りを滲ませる兄に弟は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
    「そうなるよう仕向けたのは、俺と鬼丸だ」
     信じ難い返答に大典太の柳眉が吊り上がるも、怒声が発せられる事はなかった。
    「順を追って話す」
     静かに口を開いたソハヤから語られた内容は『この家が乗っ取りの危機にある』という物であった。
     父親の兄弟の息子、ふたりから見れば従兄弟に当たる男が最初は「近くまで来たから」などと言い、それから何かにつけて顔を見せるようになり、人の良い両親はその都度快く受け入れ、徐々に家に入り浸るようになり、今ではここに住むまでに至ったという。
     次男と言う事もあり家を継げない立場であるからか、同じく次男であるソハヤによく愚痴を零していたのだ。
     しかしソハヤからすれば、それがどうした、と一蹴したくなるほどにくだらない物であった為、適当に相槌を打ち軽く流していたが、それも気に障ったのだろうとは鬼丸の弁だ。
     小狡いこの男は両親に取り入り、じっくり時間を掛けて大典太家に食い込んだのだ。
     ソハヤからの手紙が途絶えたのは、向こうにいらぬ火の粉が掛からないよう接触を断てと、鬼丸からの指示があったからだ。
     やり取りを続けていれば家の内情を伝えていると勘ぐられ、ソハヤ自身にも危険が及ぶと鬼丸がはっきり告げたのだ。
     次期当主が戻る前に実権を握るべく、塔に住む鬼丸を利用しようと考えるのは自然な流れと言えた。
     だが、鬼丸はおとなしく利用されるような男ではない。
     ここで意図的に立てた噂が「人食い鬼」であったのだ。
     人食い鬼の居る家を乗っ取ったところで、ついて回るのは悪評のみだ。
     家の名を汚す事にはなるが、次期当主が戻ればそれを払拭する手はあるという鬼丸の言葉を信じ、ソハヤは今日まで耐え忍んできたのだった。
    「だが、実際に子供が消えたと言っている者たちがいるのは、どういうことだ」
     もっともな疑問にソハヤは一瞬、困ったように眉尻を下げる。
    「気分のいい話じゃないことは先に言っておく。何人かは鬼丸に言われるがままに迎えに行った家の子だ。全員、金で買った」
     まさか鬼丸がそんな事を、と驚愕からか表情を強張らせた大典太に、ゆうるり、とソハヤは頭を振って見せた。
    「酷い扱いを受けていた子ばかりだった。あそこに居続けるよりは余程マシだろうと、俺も思ったよ」
     金をちらつかせただけで飛びついてきた親の顔を思い出したか、ソハヤは苦しげに言葉を継いだ。
    「噂が知れ渡った頃には、自ら子を連れてくる者たちが何人も居た」
     嫌になっちまうよな、と瞼を伏せたソハヤは気持ちを切り替えるように、ぱんっ、と己の頬を両手で軽く叩き、毅然と顔を上げる。
    「子供には読み書き算盤を教えて、前もって話をつけておいた物吉のところの貞宗と本多のところの蜻蛉に引き取って貰ってる。あいつらなら良い奉公先を紹介してくれるだろう。本も数冊持たせてやってるから、金に困ったら売れって言ってある」
    「そうか……」
     鬼丸からすれば自分たちの計画の為に利用したせめてもの詫びなのだろうが、劣悪な環境から救い出された子供たちは彼に感謝している事だろう。
    「兄弟が今日帰ってくるのを知ってたのは、鬼丸だけだ。連絡のひとつも無かったから、正直俺も半信半疑だった」
    「なに……? 手紙を出したが、届いていないのか?」
     怪訝に片眉を上げた大典太を見上げ、ソハヤも同様に片眉を上げる。
    「事故ったか……?」
     もしかしなくとも鬼丸は手紙が届かない事を「知っていた」のだろう。
     次期当主が戻っているなど夢にも思っていない従兄弟が慌てふためく様を想像し、さてどうやって追い出してやろうか、と兄弟は顔を見合わせ不敵な笑みを浮かべたのだった。


     密談を交わすには蔵は最適であるが、腰を据えて計画を練るには少々難がある。
     かと言って屋敷へと戻れば、どこで誰が聞き耳を立てているとも知れない。
     その点ここなら安心だ、とソハヤが、ニカッ、と笑みを見せれば、鬼丸は穏やかに「そうだな」とだけ返し、すんなりとふたりを迎え入れた。
     何か事を起こすのならば情報共有しておいた方が良い、との大典太の説明にも小さく頷くだけであった。
     ほんの一時間前に見せた態度との違いに大典太は怪訝に眉を寄せるも、受け入れてくれたのならば、わざわざ深く追求する必要も無いだろうと気持ちを切り替える。
     椅子は窓辺に置かれた一脚しかないため、大典太とソハヤは板張りの床に直接尻をついた。
    「俺の考えはこうだ」
     まず口火を切ったのはソハヤであった。
    「今現在、兄弟が戻って来ているのを知っているのは俺たちだけだ。それを利用して『近々、兄弟が帰ってくる』と嘘の報せを出す」
     そこまで理解したと言葉にする代わりに大典太は小さく、こくり、と頷き、次いで椅子に腰掛けてふたりを見下ろしている鬼丸を、ちら、と横目に見やる。
     特に口を出してくる素振りもなく、鬼丸は一回ゆっくりと瞬きをしただけだ。
    「それを聞いたあいつがどう動くか、少々泳がせようと思う」
    「不審な動きをすればそれを理由に追い出し、何もなければ穏便にお引き取り願う、と言ったところか」
     大典太が確認すればソハヤは肯定の頷きを返してくる。釘は刺したいが大事にはしたくない、というのがふたりの共通の意見だ。
     やはり何も言ってこない鬼丸を再度、ちら、と見やれば、先程同様、瞬きをひとつした。
    「考えられる動きとしては、証書関係の持ち出しだろうな」
     大典太家の屋敷がある土地の権利書とまではいかずとも、他者に貸している土地や家屋の契約証書等、利益に直結している物が狙われるだろうと、ソハヤが嘆息混じりに口にする。
    「責任やらなんやらは負いたくないが、金は欲しいってヤツだ」
    「あぁ、だから両親を追い出すのではなく、取り入ったのか」
     面倒なことは他人任せでラクに生きたいという、わかりやすい考え方だ。
     ちら、と鬼丸を見れば、ゆっくりと瞬きをしていた。
    「……兄弟?」
     何度も何度も鬼丸を気にする大典太にソハヤが怪訝に声を掛ける。だが、弟の問いを無視して大典太は静かに腰を上げると鬼丸の前に立った。
    「俺たちの話を聞きながら『未来を視て』いるな?」
     疑問形ではあるがほぼ断定と変わらぬ大典太の口調に、鬼丸は表情ひとつ変えない。
    「あんたがやつれている理由がやっとわかった」
     目の下の隈と乾いた唇。
     代償もなしに未来を視るなど、出来る訳がないのだ。
     これまでの当主全員が全員、善意のみで彼に接していた訳ではないだろう。
     中には無理を強いた者も居たかも知れない。
     だが、彼の生命の火が消えてしまっては元も子もない事は理解していたのだろう。
     塔への軟禁も、会う事が出来る者が限られているのも、文字通り彼を守る為であったのは揺るぎない事実であった。
    「俺は……あんたを犠牲にしてまで未来を知りたいとは思わない」
     ぐっ、と強く握りしめた拳が小刻みに震える。
    「自分の行動の責任は自分で取る。危険が伴うとしてもだ。だから、今すぐ視るのをやめてくれ」
     悲痛に歪む大典太の顔を見上げ、鬼丸は困ったように眉尻を下げた。
    「おれはこれしか出来ないんでな。やめたら居る意味が無い」
    「居てくれるだけでいい!」
     間髪入れずに上がった声に驚いたのは鬼丸だけではなかった。言葉を発した大典太本人も目を丸くし、反射的にか、ばっ、と掌で口を塞いだ。
     じわじわ、と赤らんでいく顔を目の当たりにし、どうしたものかと鬼丸が戸惑ったようにソハヤに目をやれば、弟は驚いてはいたものの、そうだよなぁ、とどこか納得した呟きを漏らした。
    「初恋だって言ってたもんなぁ」
     容赦なくばらされたその言葉に大典太は逃げ場はないと悟ったか、口を覆っていた手をゆっくりと下ろし、ひた、と鬼丸を見つめる。
    「好きな相手に辛い思いをして欲しくない」
     真摯な眼差しと素直な気持ちを正面からぶつけられるも、鬼丸の表情は、ぴくり、とも動かない。
     だが、ソハヤからは見えたのだ。
     彼の握り込まれた拳が小さく震えたのを。
    「あんたに関する噂も消してみせる。だから、信じて待っていて欲しい」
     跪き、鬼丸の手を両手で包み込むように握る。
     真っ直ぐに見上げてくる大典太から目を逸らすことが出来ず、鬼丸は唇を引き結んだ。
    「この『未来』は見えてたか?」
     ソハヤの問いに鬼丸の首が、ゆうるり、と左右に振られる。
    「……人とは面白いものだな」
     発言ひとつで未来が変わる。
     無限の可能性を目の当たりにし、小さな花が咲くように、ふわり、と鬼丸の顔が綻んだ。


     ――ソハヤ様があんな事をするなんてねぇ。
     ――ここだけの話、実は脅されてたらしいよ。
     ――ほら、光世様が家を出てから来た男がいるだろう?
     ――あぁ、そういや随分と羽振りがいいらしいね。
     ――なんでも光世様に代わって大典太家の跡取りになるとか言ってるそうだよ。
     ――そんな莫迦な話あるか? だってソハヤ様が居るじゃ……あっ……
     ――どんな弱みを握られてたんだろうねぇ。
     ――光世様に危害が及ぶとか?
     ――光世様との文のやり取りも禁じられたそうだよ。
     ――子供たちを買ってたのは、その男の命令だって言うじゃないか。
     ――だとしても、塔の鬼に食われちまったのは変わりないだろ。
     ――それが嘘だとしたら?
     ――買い集めた子供を慰み者にしようとしてた男から、塔の鬼が助けてくれたって聞いたよ。
     ――この間、食われたと思ってた子供が帰ってきて、今は本多様のところの奉公人になってるって言ってたねぇ。
     ――読み書き算盤を教えてくれたのがその鬼だって言うんだよ。
     ――爺様が言ってたけど昔、川の氾濫や台風を事前に鬼が大典太家の当主に伝えて、被害を最小限にすることが出来たって。
     ――流行病も、薬を用意出来てたのは鬼のおかげだって。
     ――あの鬼はもう何十年もあの塔に居るんだろう? なのに人食いの噂が立ったのはここ数年だ。
     ――そう言えばそうだな。
     ――自分の悪行を鬼のせいにしてたのか。

    「大事にはしたくないとか言ってたのになぁ」
     方々で囁かれている『噂話』の内容にソハヤが呆れ気味にぼやけば、大典太は悪びれた様子もなく口端を僅かに上げた。
    「人は白黒はっきりさせたいものだろう?」
     明確な『悪人』が居る方が人々は話題にしやすいのだ。
    「それに兄弟がこれまで積み上げてきた信頼があったからこそ、皆この『噂』を信じてくれた」
     感謝する、と大典太が頭を下げればソハヤは照れたように、よせやぃ、と小さく返す。
     鬼丸が寿命を削って未来を視ていると知ってからの、大典太の動きは迅速であった。
     使える伝手は全て使うと手紙を出し、富田に頼み込み隠密行動や諜報に長けた五月雨に話を通したり、物吉や本多に託した子供たちにも協力を仰いだ。
     結果、一ヶ月が経つ頃には従兄弟の悪行がまことしやかに囁かれるようになった。
     それに伴い人々の視線に耐えきれなくなったか、はたまた生家にまで噂話が届いたか、大典太が帰ってくると知らせるまでもなく逃げるように姿を消したのだった。
    「それで? この一ヶ月寝食を共にしてどうよ?」
     帰って来ている事を知られる訳にはいかない大典太は宿に泊まる事も出来なかった為、塔に匿って貰っていたのだ。
     早々に『人食い』の噂を流した為、従兄弟は寄りつこうともしなかったのが幸いした。
     今は世話係の子供が居ない為ソハヤが鬼丸の世話をしており、ふたり分の食事を運ぶのも容易かったのだ。
     進展はあったのかと悪気無く聞いてくる弟に、大典太は陰鬱な面持ちで俯いてしまう。
    「……なにも、なかった」
     告白する前と一切変わらぬ態度で接してくる鬼丸相手に、強気に出る勇気は無かったのだ。
    「それは……えーと、ご愁傷様?」
     運び込んだ本を棚に収めながらソハヤが困り笑いを浮かべれば、大典太は消沈したまま干していた布団を取り込みに行ってしまった。
    「なにもなくはねぇと思うんだけどなぁ」
     塔から持ってきた本を次から次へと並べながらソハヤは、うーん、と首を捻る。
     そうでなければ鬼丸は塔から出て屋敷で暮らす事に同意しないだろう。
     説得には骨が折れると覚悟していただけに、あっさり、と頷かれ、大典太もソハヤも拍子抜けであったのだ。
    「なー、正直兄弟の事どう思ってんだ?」
     風呂敷に包んだ本を両手に下げてきた鬼丸に問えば、いきなりなんだ、と片眉を上げる。
    「いやなに、ずっと聞きたかったってのもあるんだけど、なんでこんなに身体張ってくれたのかなって」
     並んで本を片付け始めた鬼丸は、ちら、とソハヤに目をやったかと思えば、不意に人の悪い笑みを浮かべた。
    「運命の相手だって言ったら信じるか?」
    「その聞き方は卑怯だろ」
     本気と取るべきか茶化すべきか判断がつかず、ソハヤは早々に白旗を上げる。
    「悪かったよ、もう首突っ込まねぇから。でも兄弟の気持ちは蔑ろにしないでくれよな」
     詫びつつも真剣なソハヤからの懇願に鬼丸は、あぁ、と穏やかに応じた。

     ――宵闇色の髪に緋色の瞳。
     自分の手を取り柔く笑む彼に心奪われた。
     それは、大典太が生まれる前に視た未来。
     彼に会う為に何年も、何十年も塔で待ち続けたのだ。
     彼に災難が降りかからぬよう、彼の為なら惜しみなく能力を使おうと決めていたのだ。
     彼が健やかに成長し、世を去るまで見届けようと心に決めていたのだ。
     或いは、彼の為ならばこの身を犠牲にする事も厭わないと決めていたのだ。
     邂逅した彼からの告白を、運命と言わずしてなんと言おうか――

    「お前の存在がなければ自分は此所に居ないのだ」と、大典太にそう告げる日が来るかは鬼丸自身にも今は『視えない』のだった。

    2025.05.13
    茶田智吉 Link Message Mute
    2025/05/13 1:40:02

    【刀剣】それだけは決まっていた【典鬼】

    #典鬼 #大典太光世 #鬼丸国綱 #刀剣乱舞 #腐向け ##刀剣
    塔に軟禁状態の未来が視える鬼丸さんの話。
    2年前にちゃんと書こうとしてた形跡があったけど何故か放置されてた。
    典鬼のパラレルは同じようなのばかり書いてるな?って我に返ったのかもしれない。
    でも何度でも煎じたい。

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