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    【刀剣】いちおにパラレル この家では昔から必ず守らなければならない決まり事がある。
     山から鬼が下りてきても居ない者として振る舞い、声を掛けられるまでこちらから話しかけてはいけないと、粟田口に名を連ねる者は物心つく前から繰り返し繰り返し言い聞かされてきた。
     一期がその『鬼』に初めて会ったのは齢五つの時だ。
     炎天下の中、日陰に入る事なく麦わら帽子を被り、庭の片隅で蟻の行列を飽く事なく眺めていた時だ。
     正門に背を向けていた為、玄関へと伸びる小道を音もなく進む人影がすぐ傍で足を止めるまで、その存在に気づかなかったのだ。
    「おい、吉光は居るか」
     低く凪いだ声が頭上から降り注ぎ、一期は弾かれたように顔を上げた。
     首を精一杯に反らし見上げるも、背も身体も大きいその男は太陽を背にしている事もあり、しゃがみ込んだままの一期からは表情どころか、どのような顔をしているのかすら窺う事が出来なかった。
     父の名を出された以上応じない訳にもいかず、一期が「奥に居ます」と答えれば、訪問者は、そうか、とだけ返し、そのまま歩みを進めるや呼び鈴を鳴らす事なく、我が物顔で玄関から屋敷の中へと消えたのだった。
     二度目に会ったのは齢十の時だ。
     蝉時雨に顔をしかめながら朝顔の観察をしていた時に、再び「おい、吉光は居るか」といつぞやと同じ問いを投げられたのだ。
     蔓が何センチ伸びた、と書き付けていた手を止め背後を振り仰げば、濃紺の着物を身に纏った男がひとり立っていた。
     日陰の一切ない道を歩いてきたであろうに、その男は汗のひとつもかいておらず、透き通るような白い肌は赤味を帯びる事もなく日に焼ける気配すらない。
     涼しげな佇まいに相応しく、一期に寄越される視線も温度を感じさせない凪いだものであった。
     頬を伝う汗を手の甲で拭い「奥に居ます」とあの時と同じ答えを返せば、男も、そうか、とだけ返し、やはり呼び鈴を鳴らす事なく、我が物顔で屋敷の中へと消えていった。
     遠ざかる背中を見つめていた一期はその時初めて、夏の日差しを受け眩く輝く銀糸から突き出した角の存在に気づいたのだった。
     三度目に会ったのは齢十二の時だ。
     粟田口の屋敷を訪れる『鬼』がどこへ帰るのか無性に知りたくなり、屋敷を出て行く『鬼』の後をこっそりつけたのだ。
     だが、子供の拙い尾行など巧くいくはずもなく。
     舗装された道から外れ、山へと続く土がむき出しの細い道を進み、木々が生い茂る山中へとさしかかった所で、不意に『鬼』が振り返ったのだ。
    「吉光の子は言いつけのひとつも守れないのか」
     淡々と寄越された言葉に、ひゅっ、と一期の喉が鳴った。
     好奇心が抑えられず軽はずみな行動をしてしまったと、家全体を巻き込んだ大事になってしまうのではないかと、ここにきてようやっと思い至ったのだ。
    「ご、ごめんな、さい……」
     顔面蒼白となり、カタカタ、と震える身体を抑える事が出来ず、絞り出した声もみっともなく震えている。
     じぃ、とただ見下ろしてくるだけの石榴の瞳が恐ろしく、一期は耐えきれずに、ぎゅう、と目を瞑った。
    「ついて来い」
     思いも掛けぬ言葉に恐る恐る目を開ければ、目の前の鬼は隻眼を、にぃ、と細めている。なにかよからぬ事を企んでいる笑みだと警戒心が湧くも、それ以上に怖い物見たさという好奇心が勝った。
     鬼に誘われるまま山中を進み、湧き出た水が作る小川を渡り、途中でもいだアケビを囓る。
     あちらこちらと連れ回され、気づけば『鬼』の白銀の髪も白磁の肌も赤く染まっていた。
     帰らなければ、と焦る心を見透かされたか、明かりも持たずに夜の山を下りるのか? と薄く笑われた。
    『鬼』の案内がなければ危険な山中を彷徨う事になる。
    「諦めて一晩泊まっていけ」
     その言葉で一期は屋敷の前に立っている事に気づいたのだった。

     一期が覚えているのはここまでだ。
    『鬼』の屋敷で眠りについたはずが気がつけば自室の布団におり、更に言えば三日間行方不明であったという。
     父親にはこってり絞られたが、今回はこれくらいで許して貰えたのは僥倖であった、と心底安堵した様子でもあった。
    『鬼』と粟田口がどのような関係であるかは既に知る者も居ないが、機嫌を損ねぬ限りは益をもたらし厄を払ってくれると言われ続けている。

       ■   ■   ■

     行って参ります、と玄関の引き戸を横に滑らせた瞬間、一期の動きが止まった。だが、すぐに何でもない顔で一歩踏み出そうとするも、目の前で仁王立ちの『鬼』はその場から動く気配すらない。
     三年前に三日間拐かされて以降、鬼が来ても居ない者として振る舞えとの家の決まり事を一期は忠実に守っている。
     じぃ、と見下ろしてくる石榴の瞳は三年前となにひとつ変わらず、それを直視しないよう一期は無意識のうちに伏し目がちになった。
    「今日は一歩も家から出るな」
     頭上から降ってきた声に、ようやっと相手を見る事が許された、と一期はゆっくりと顔を上げる。
    「それは、私に言っているのですか?」
    「そうだ」
     躊躇いながらも確認すれば、取り違えようもない簡潔な言葉が返された。
    「吉光、聞こえているな? 息子だけではなく家の者全員だ」
     家の隅々まで響き渡るような声であるにも関わらず、それは決して張り上げられたものではなかった。呼吸をするかのようにごく自然に、空気に乗ってまっすぐに通る。そのような声であった。
    「ですが……学校が……」
     バスに乗って市街地へと出なければならず、一本逃せば遅刻は確実だ。ここで問答をしている時間はないのだと焦る一期を知ってか知らずか、『鬼』は表情を変えぬまま目の前の子供の肩に手を置き、くるり、と回れ右させた。
    「家から出るなと言っただろう」
     そう言いながら、ぐいぐい、と家の中へ押し戻し、後ろ手に、ぴしゃり、と戸を閉める。
    「部屋へ戻れ」
     一方的な物言いに、むっ、と一期が不服を露わにすれば、それまで一切動かなかった『鬼』の表情に僅かではあるが変化が見て取れた。
    「理由もわからず従う事はできません」
     はっきりと自分の意見を口にした一期を『鬼』は興味深げに、じぃ、と見下ろしていたが、ややあってその眦が、ゆうるり、と下がった。
    「本当に、吉光の子は言いつけのひとつも守れないままか」
     三年前と同じ事を言われたが、その声音は柔く、どこか笑みを含んでいる。
    「見かけによらず豪胆だな」
     ふは、と楽しげな息を漏らし『鬼』は、ぽん、と一期の肩を一叩きした。
    「どちらにせよ外へ出す気はないからな。中でゆっくり話すか」
     ぽかん、としている一期を振り返る事なく『鬼』は草履を脱ぎ捨て、さっさと廊下を行ってしまった。その背が廊下の角を曲がったところで一期は我に返り、自分が脱いだ靴と鬼の草履をきちんと揃えてから慌ただしく後を追ったのだった。
     昔から我が物顔で家の中を勝手にうろついていたが、今回も好き勝手に振る舞っている『鬼』に一期の秀麗な眉が寄る。一体どこへ行ったのかと思えば、あろうことか台所で棚を物色していた。
     並んでいた酒瓶をひとつ、ひょい、と手に取り、反対の手で猪口を取り上げる。他にもなにか探しているのか、きょろり、と頭を巡らせる『鬼』に、一期は隠す事なく苛立った眼差しを向ける。
     刺すような視線に気づいていながら『鬼』は涼しい顔で小鉢に少量の塩を盛り、用は済んだとばかりに一期の横をすり抜けた。
    「ちょっと、どこへ……」
     一期の声に振り返る事もせず『鬼』はまっすぐに階段を目指し、そのままゆっくりと上っていく。
     まさか、と泡を食ったのは一期だ。
     慌てて後を追い、どこへ向かっているのかとの問いが飛び出す前に、『鬼』は躊躇う事なく目の前の襖を横に滑らせた。
    「なんで……私の部屋なのですか……」
     座卓に酒瓶などを置いた『鬼』が入り口で立ち尽くす一期を見やる。
    「話をすると言っただろう」
    「それはそうですが、下の部屋でも良かったではありませんか」
     元々怒りが持続しない質なのか、ここに至るまでに疲弊の方が勝ってしまい、覇気のない声を漏らす一期に『鬼』は片眉を上げた。
    「なんだ。おれとふたりきりは嫌か?」
     にぃ、と細められた目と、くっ、と上がった口角に一期は、あぁこれには見覚えがある、と内心で肩を落とす。
    『鬼』からすれば人の子が困っている姿が、単純に愉快なのだろう。幸いにも機嫌を損ねている様子はない為、一期は、いいえ、と首を横に振って座卓についた。
    「それで、どうして家から出てはならんのですか?」
     言い淀む事もなく早速疑問をぶつけてきた一期に『鬼』は、まぁ待て、と薄く笑いながら猪口に酒を注ぐ。
     くぃ、と一杯あおってから『鬼』は何事か考えているのか、空の猪口に暫し目を落とした後、うん、と微かに頷いた。
    「いつ、どこで、誰が、まではわからんが、確実に今日、この家の誰かが事故に遭うのがわかったんでな」
     しれっと『鬼』は当たり前の顔で話しているが、一期にとっては突拍子もない話だ。
    「……予知、ですか」
    「まぁ、そうだな。今回は精度が低すぎてどうかと思ったんだが、なにかあってからでは面倒なんでな」
     ちろ、と塩を一舐めし、再び酒を口にする目の前の男が、人であれば酔っ払いの戯言だと一蹴できたのだが、この『鬼』は粟田口に益をもたらし厄を払ってくれると言われている。
     俄には信じがたいが、これまでも父である吉光の元を訪れ、その都度警告や吉報を告げてきたという事実がある。
     遙か昔からこの『鬼』の示す通りにやってきた事で富を得、地位を築き、結果今の粟田口家があるといっても過言ではないのだ。
    「そこまで我が家に良くしてくれるのには、なにか理由があるのですか? 一方的に粟田口の者だけが得をしている状態ではありませんか」
    『鬼』の普段の尊大な振る舞いはとりあえず置いておいて、一期が常々抱いていた疑問を投げかければ、軽く瞠目した『鬼』は猪口に隠れた唇を僅かに笑みの形に歪めた。
    「昔いろいろあってな。とうに借りは返したが、こうして美味い酒や美味い飯が労せず手に入るんだ。わざわざこの関係を終わらせることもあるまいよ」
     暗に『鬼』にも利があるのだと告げられ、一期は何を思い出したか不意に、あっ、と声を上げた。
    「そうでした! 楽しみにしていたアイスを貴方に食べられてしまった事がありました!!」
     麦わら帽子を被り蟻の行列を眺めていたあの夏の日だ。
     外から戻りわくわくしながら冷凍庫を開ければ、昼食後には確かにあったそれが忽然と姿を消していたのだった。
     わんわん大泣きをして父親を困らせた、一期からすれば苦い思い出だ。
     その件があったからか自分の物には名前を書くよう父親に言われ、それは今日まで続いている。そのおかげか名前が書かれた物はそれ以降被害に遭っていない。
    「そうか、それは悪い事をした」
     ぽん、と大きな手が一期の頭に触れ、二度三度と柔く撫でる。まさか『鬼』から詫びの言葉が出るとは思わず、一期は瞬きすら忘れ隻眼を細める『鬼』を正面から凝視した。
     これまでは常に見上げていた『鬼』が僅かに身を乗り出し腕を伸ばしてきた為、この時初めてほぼ同じ目線の高さで一期は『鬼』の顔を見たのだ。
     見下ろされているときは威圧感しかなかった。
     だが今は、美しいと、ただただそう思った。
    「……あの、貴方を居ない者として振る舞えと教えられていますが、その理由もお聞きしてよろしいですか?」
     極力関わりを持ってはいけないと思っていた『鬼』が存外良く喋り、それどころか柔い笑みまで滲ませた事で、齢十二の時に心の奥底へと沈めた好奇心がここにきて頭を擡げたのだ。
     伏し目がちに猪口に唇を寄せていた『鬼』が、ちらり、と上目に一期を見やる。
     赤味を帯びた睫に気を取られていた一期は、自分を捉えた石榴に一瞬にして緊張が駆け抜けた。
    「……面倒だったからだ」
     ふー……、と嘆息ともただの深呼吸とも取れる息と共に漏らされた言葉に、一期は、ゆうるり、と首を傾げた。
    「面倒、ですか」
     なにがだろう? と声には出ていないが顔には出ている一期に、『鬼』は再度深い息を吐き、ことん、と猪口を卓へと置いた。
    「何代かにひとりはおれを囲おうとする莫迦が居てな。それ以外にも過剰に祀り上げようとするのが煩わしかったのもある」
    「だから、人からの接触を禁じたと」
     表情は変わらないが辟易しているのだと、その声音が語っている。
    「吉光も忘れた頃になにか貢いでくるから油断ならん」
     ぽろり、と零れ落ちたその内容に一期は、は? と思わず間の抜けた声を上げてしまった。そしてよくよく記憶を遡ってみれば、目の前の『鬼』が身につけている着物は、父親が数ヶ月前に仕立てさせた物と同じ柄であった。
    「年を追うごとに強かになりやがって。これだから人は面倒なんだ」
     ごろり、と自分の右腕を枕に寝そべりながら悪態を吐く『鬼』は、既に瞼を下ろしている。
    「寝るのなら布団を敷きますが……」
    「必要ない」
     空気に溶けるような静かな返事のすぐ後に漏れ聞こえてきた寝息に、一期は困った顔をしながらも座卓を移動させ、気休めにしかならないであろうが『鬼』の腹にタオルケットを掛けたのだった。
     日が昇るにつれ上昇していく気温に一期はエアコンのリモコンを手にするも、すぅすぅ、と穏やかな寝息を立てている『鬼』に、ちら、と目をやってからそれを座卓へと戻した。
     既に額に汗が滲み始めている一期とは違い、『鬼』には不快な様子は一切ない。仮に汗が伝っていたとしても、人工の風を好まないのではないかと、ふとそう思ったのだ。
     学校に行けぬのならばと、卓に広げたノートと教科書を前に暫く真面目に頭を働かせていたが、つぅ、と汗が一筋頬を伝い落ちた時点で、集中力はあっさりと切れ戻る事なく霧散した。
     寝息は途切れず寝返りを打つ事もない『鬼』を首を伸ばして様子を窺い、そろり、と音を立てぬよう掌と膝をつき傍へと寄る。
     炎天下の中を移動してきたにも関わらず汗のひとつもかいていなかった姿を思い返し、白磁の頬に指で触れてみたが人と変わらぬ体温を感じ、見た目通りにひんやりしているものと思い込んでいたせいで驚きに目を丸くする。
     薄く開いた唇を妙に意識してしまい慌てて視線を逸らせば、その先には白銀の髪から突き出している一本の角があった。
     片側だけのそれを食い入るように見つめ、そぅ、と根元の髪を掻き分ける。
     頭皮に近い部分は柔く温かく、先端に近づくにつれ硬質になり体温も感じなくなった。
     木の枝のようにざらざらとした感触ではないが、ガラスや陶器のようにつるりとした滑らかな物でもない。強いて言えば――
    「……骨、でしょうか」
     ぽろり、無意識のうちに漏らした己の声に一期が、はっ、と我に返る。『鬼』に触れる事に夢中になっていたのだと気づき、慌てて離れようとすれば、眠っていたはずの『鬼』が、くつくつ、と喉を鳴らした。
    「……寝込みを襲うとはいい度胸だな」
    「いえっ決してそんな……っ」
     言い訳にしかならないとわかっていながらも一期はそうとしか言えず、見ている方が気の毒になる程に慌てふためいている。
     眠りから覚めたばかりであるからか『鬼』は半眼でありながらもその眼差しに険はなく、むしろ柔く綻んだ笑みすら浮かべているように見えた。
     のそり、と身を起こした『鬼』は、くぁ……、とひとつ欠伸を漏らしてから、二度、三度と瞬きをした後、うむ、と何事か納得した顔でひとつ頷くや、もういいぞ、と一期に向かって言ってきた。
     きょとん、と見返してくるだけの一期に、あー、と低く呻いてから『鬼』は面倒くさそうに後ろ頭を、がしがし、と掻いた。
    「もう家から出ていいぞ」
     家から出るなと言われてからまだ一時間も経っていない。あまりにも勝手な物言いに一期の眉間にしわが寄る。
    「一体なんなのですか。前言撤回するにしても早過ぎはしませんか」
    「事故に遭う未来は回避されたのだからそれでいいだろう」
     腹に掛かっていたタオルケットを脇へどけ、『鬼』は静かに立ち上がるとまだ何か言いたげな一期を無視して、そのまま部屋を出て行ったのだった。
     暫く暑さも忘れひとり憤っていた一期だが、座卓に残されたままの酒瓶や猪口に気づき、更に腹立たしさが増す。
     それらを掴み足音荒く階段を降りれば父親に苦言を呈された。
     だが、普段ならばそのような行いはしない息子になにがあったのか薄々感づいていたのか、父親は穏やかな口調で『鬼』の予言について少し説明してくれたのだった。
     ――かの『鬼』は夢で様々な事を知るのだと。
     ――その夢も万能ではなく、いくつかの可能性のうちのひとつでしかないのだと。
     ――その中から最良、最善と思える事を告げに来るのだと。
     ――不確定だが見過ごせぬ類いの物は、対象のすぐ傍で状況が動くのを待つのだと。
     神妙な面持ちでそれらを聞いていた一期だが、不意に父親が喉奥で小さく笑った事に気づき、なんですか、と首を傾げた。
     いやなに、と父親は口元を掌で覆い隠すも笑んでいる事は隠しようがない。愉快そうにしている父親が言うには、
    「おれが帰った後に息子が酒瓶やらを持って怒り心頭で降りてくるから宥めてやれ」
     と『鬼』から助言があったとの事であった。
     これが『鬼』の予言の力なのか、はたまた自分の行動がわかりやすいと言う事なのか判断が付かず、一期は、きゅっ、と唇を引き結んだのだった。

       ■   ■   ■

     条件は全て満たし、儀式に手落ちも抜かりも無かった。
     無かったはずであった。
     だが、結果はどうだ。
    『神』は顕現しなかった。
     依代に力が足りなかったのだと、だからこの娘では無くあの娘にしておけば良かったのだと、各家の当主が今更どうにもならぬ事を言い合っている中、娘の処遇はどうするのかと粟田口の当主が口を開いた。
     そんな役立たずはいらん、用済みだ、捨て置け、と語気も荒く吐き捨てる面々を一通り眺めた後、青ざめた表情で身を震わせている娘の手を取り、では家が引き取ろう、と告げ場を後にする粟田口の当主など、他の者たちは全く気にも留めていなかった。
     一番発言力の弱い粟田口家にはあの程度の巫女がお似合いだと、その場の誰もが嘲笑していたが、数年後、力関係はがらりと一変する事態となる。
    『神降ろしの儀式』は成功していたのだ。
     ただし、降りたのは娘にでは無く『腹の子』にであった。
     生まれた時から片目に光は無く、一年も経たぬうちに言語を解し、齢を重ねるごとに頭部の角は髪を掻き分け天を指した。
     一日の大半を寝て過ごしていたかと思えば『予言』をし、再び眠る。
     五年ほどそのような状態が続き、ある日唐突に見てくれはさておき、人らしい生活を送るようになった。
     口にする『予言』も数は減ったが、精度は上がった。
     そして、今のうちに他家を潰しておけ、と十年目に告げたのだった。
     この十年の間、粟田口家は『神』の存在をひた隠しにしてきた。当然の事ながら『予言』についてもだ。
     だが、壁に耳あり障子に目ありが世の常である。
     幾度となく探りを入れられ、時には強引に屋敷へ乗り込んでくる者も居た。
     今になって甘い汁を吸おうと媚び諂う家も出てきた。
     うわべだけの好条件をひっさげ『神』を引き渡すよう持ちかけてきた家もあった。
     しかし、それらを粟田口家は全て撥ね除けたのだ。
     なによりあの日、他家による巫女への仕打ちを『神』が許さなかったのだ。

     ――手に入らぬのならば殺してしまえ――

     声にならぬ叫びを上げながら一期は弾かれたように身を起こした。
     一気に噴出する汗と早鐘のように鳴る胸に、荒い呼吸を幾度となく繰り返す。
     胸を押さえながら、ゆうるり、と視線だけで辺りを窺えば、闇に沈んではいるが自室であることを確認し、強張っていた身体から力が抜けた。
    「……些か趣味がよろしくないのでは?」
     窓辺で、のそり、と動いた影に固い声音を投げれば、微かな月明かりを背に立ち上がった『鬼』は、にぃ、と口端を吊り上げた。
    「『現当主様』には知っていてもらわんとならないからな」
     悪びれた様子も無く銀糸を揺らし、くつくつ、と『鬼』が嗤う。
    「貴方の記憶ですか……」
    「違うな。ただの『過去』だ」
     どう違うのかと一期が首を僅かに傾げれば『鬼』は若き当主のすぐ傍に、どかり、と腰を下ろし、くぁ、と欠伸をひとつ漏らした。
    「不確定な『未来』ではなく確定した『過去』を見るなど造作も無い事だ」
     事もなげに言われた内容に言葉を無くしている一期を前に『鬼』は、まだまだ続きはあるぞ、とどこか愉快そうに目を細めたのだった。

       ■   ■   ■

     いつの間に上がり込んだのか、居間の大卓に広げた新聞を前に大福を囓っている『鬼』を見下ろし、一期は漏れ出そうになる溜息を懸命に飲み下した。
     父曰く、歴代の当主の中で一期は『鬼』に一番気に入られているとの事であるが、当の本人からすれば素直に喜ぶことが出来ない。
     粟田口家の今後を思えば望ましい状況であることは理解しているが、無駄に振り回されている、揶揄われている感が否めないのだ。
     自分の湯飲みを卓へと置き、一期は無言で『鬼』の向かい側に腰を下ろす。読もうと思っていた新聞は『鬼』が目を落としており、仕方がない、と電子版を読む為にタブレットを起動させた。
    「これはどの店の物だ?」
     不意に投げられた問いに一期が顔を上げれば、『鬼』は大福を軽く掲げながら片眉を上げている。
    「いつものところですが」
     昔から懇意にしている所謂『老舗』と呼ばれる名のある店だと一期が記憶を探っていれば、ふぅん、と気のない返事と共に『鬼』はつまらなそうな顔で再び大福を囓り取った。
    「なにかご不満でも?」
     そもそも『鬼』の為に買ってきた物ではなく、それでケチを付けられても困るというのが一期の本音だ。
     じぃ、と囓り取った断面を見ながら『鬼』はなにか思う所があるのか、ぼんやりと独り言のように漏らす。
    「味が落ちたな」
     歯に衣を着せること無く言い切った『鬼』に一期は一瞬なにを言われたのか理解が追いつかず、ややあって「そうなのですか?」と問い返した。
     一期の記憶にある限り味に変化は無い。
     今回がたまたまそうであったのかと思いかけるも、職人も技法も製造工程も変わっていない以上そのような物が店に並ぶ訳が無いと思い直す。
     そこで、はた、と一期はある可能性に思い当たった。
    「あの店の物を最後に口にされたのはいつですかな」
     父もよくあの店で菓子を買っていたがその都度、家族の名を箱に貼り付けていた為、『鬼』が手を出しているところを一度も目にしたことは無かったのだ。
    「そうだな、お前の祖父さん……いやその前か?」
     一期が成人し、家督を継いでから五年が経っている。軽く見積もっても二十年前だろうとは思っていたが、それよりも更に前であった事に一期は正直驚きを隠せないで居る。
    「当時とは材料が違うでしょうから仕方の無いことかと」
     味に関しては好みも要因の一つだ。当時の味では無いからと言って、一概に味が落ちたとは言い難い。
    「そういうものか」
     なにかしら不満なりを言ってくるかと思いきや、あっさりと納得した『鬼』に一期は肩透かしを食らったか、ぽかん、と白磁のかんばせを見つめるしかない。
    「……時が経つのは早いな」
    『鬼』は僅かに目を伏せ、ぽつり、呟いた後、残りの大福を、ぽい、と口に放り込んだ。

       ■   ■   ■

     ただいま戻りました、と玄関先で手伝いの者に声を掛け、一期は首元のネクタイを緩めながら緩く息を吐いた。
     そのまま自室へ戻るつもりでいたが三和土にあった草履に目をやり、ふむ、と暫し考えた後、足を居間へと向ける。
     廊下を進み、徐々に見え始めた開け放たれた襖の向こうで座する姿に、隠すこと無く苦笑した。
     静かに畳を踏み、土産に、と持たされた包みを大卓へと置く。伸ばされた手が勝手にそれを引き寄せ断りも無く中身を取り出す様を、一期は横目に捉えつつ座布団に腰を下ろした。
    「また断ってきたのか」
    「えぇ。思わせぶりな態度は失礼かと」
     唐突な問いにも驚くことなく一期は、さらり、と答え、『鬼』が選ぶよりも先に箱の中から焼き菓子をひとつ取り上げる。
    「昔からその方面の話が出ないと吉光が愚痴混じりに零していたが、そういう相手は居ないのか?」
    「そうは言われましても……」
     心底困った顔で手中の菓子を弄ぶ一期は、大学在学中も同じようなことを学友に言われたことを思い出し、更に眉を下げる。その時は好みやらなんやらを根掘り葉掘り聞かれ、当たり障り無く躱したつもりであったが、最終的には「理想が高い」とその場に居た全員にばっさり斬られたのだった。
     傍らの電気ポットから湯飲みへ湯を注いでいる『鬼』の姿をぼんやりと眺め、そういえばいつの頃からか居間に木製のポットワゴンが常備されたなと思い返す。
     ティーバッグの紐が垂れ下がっている湯飲みを無言で差し出され、ありがとうございます、と受け取る。
     家柄やらにはこだわりは無く、容姿もこれと言った希望がある訳でも無い。
     可愛いと思う者は可愛いと素直に思うし、美しい者も同様だ。
     だが、それ以上でもそれ以下でも無いのだ。
     これまでの人生で一番胸に深く刻み込まれたと言えば――
    「生涯を、とまでは言わないが、共に過ごしてみたいと思う者は居ないのか?」
     回想に耽っていた一期は、はっ、と我に返り、急に親のようなことを言い出した『鬼』が妙におかしくなってしまい、笑み混じりに「居ませんよ」と返してから、深く考えずに思ったことをつい口走ってしまった。
    「貴方が居るのでそれで十分ですな」
     はは、と軽く笑ってからフロランタンの包みを開けた。
     カリリッ、とキャラメルでコーティングされたスライスアーモンドを囓り、これはなかなか、と舌鼓を打つ。
     とてつもない告白をしておきながら常と様子の違わぬ一期に、『鬼』は片眉を上げるも敢えて問うことはしなかった。

     高校生という多感な時期に、目の前の『鬼』を一等美しい者であると認識してしまった事が、心の奥深くに根付いているのだと一期は自覚していないのだった。

       ■   ■   ■

     三日続けてやってきたかと思えば軽く一ヶ月は姿を見せない『鬼』に、一期は常日頃から思っていることを本日、とうとう口にする機会を得たのだ。
    「もういっその事、ここに住んではいかがですかな」
     これがにこやかな笑みと共に穏やかに提案されたのであれば、『鬼』とて返事の仕方を多少は考えた。
     勿論断る一択ではあるが。
     だがしかし、一期は苦虫を噛み潰したかのような渋面である。
     誘いを掛けておきながら厭々そう言っているようにしか受け取れず、『鬼』は訳がわからないと内心では首を傾げつつ、表面上は努めて愉快そうに口角を吊り上げた。
    「なんだ、お前もおれを囲いたい口か」
    「違います。ここの立地の悪さは貴方もわかっているでしょう?」
     ぴしゃりと否定し、続けて問いを投げてきた一期に『鬼』は、そうだな、と軽く頷いて見せる。
     昔と比べれば道の整備も進んだとはいえ、小高い場所に家屋があることに変わりは無い。のどかな田園風景と言えば聞こえはいいが、つまりは周りに何も無いのだ。
     生活に必要な物は町まで車で買いに出なければならず、そうそう気軽に行ける距離ではない為、まとめ買いが基本であった。
    「一緒に住んでいただければ貴方の分も勘定に入れて、食材なりなんなりを買いに行けるんですよ」
     いつなにを消費するかわからないのは困るのだと、臆すること無くはっきりと理由を述べてきた一期に、ふは、と『鬼』は思わずと言った調子で笑みを零した。
    「酒も食事もおれにとっては嗜好品だ」
     つまりはなくても困らない、という事だ。
    「食われたくないならこれまで通り名前を貼っておけばいい」
    「それは……そうですが」
     ごにょ、と途端に歯切れの悪くなった一期に『鬼』は今度は隠すこと無く、ゆうるり、と首を傾げた。
     先の理由もまごうこと無く一期の本心であろう。
     だが、先の理由付けにはそれ以上の意味がある。
     一期自身が『鬼』をここに住まわせる正当な理由を必要としているのだ。
     彼自身、何故そうまでするのかわからぬまでも、なにかしら漠然とした思いを抱いている事は理解しているようだ。
     あぁこれはよくない、と『鬼』は僅かに目を細め、静かに腰を上げた。
    「おれはこれまで通り『粟田口』との関わり方を変える気は無いぞ」
     特大の釘を刺してから相手の応えを待たずに『鬼』は踵を返し、居間を後にしたのだった。

       ■   ■   ■

     掃除は行き届いているがどこか暗く重苦しい雰囲気の部屋に立ち、『鬼』は壁に掛かった粟田口家歴代当主の写真を見上げる。
     ただ写真が飾ってあるだけならばなにもおかしな所は無い。
     だがここは仏間だ。
     仏間であるここに並ぶのは当然の事ながら全てが遺影だ。
     その中に女性の姿はひとつとしてない。
    『神』を産んだ女性以降、妻であり、母であるはずの女性は粟田口の戸籍には存在しないのだ。
     家の為に子は作るが、その手段は表には出せない憚られる話だ。
     歪な家系だと、『鬼』は唇を引き結ぶ。
     崇拝、畏怖、情欲、執着、これまでにも様々な感情を向けられてきた。
     だからこそ、子供の純粋な好奇心は興味深く、自分の事をどこかぞんざいに扱ってくる一期に対して油断していたのだ。
     一体いつからあの執着心は育っていたのか。
     今はまだ無自覚であるが遠くない未来に起こりうる事象は、既に夢でいくつか見ている。
     跡取りの話になった際、欲の滲んだ声音で紡がれた言葉も酒の席での戯れ言だと思い、「もしかしたら孕むかもしれないぞ」と冗談のつもりで返せば、そのまま文字通り溢れるまで腹に注がれる未来を目の当たりにした時は、悲鳴こそ上げなかったが己の迂闊さに怒りが込み上げた。
     一体どこで選択を誤ったのか。
     せめて一期自身が不幸にならない道を選び、拾い上げていこうと、『鬼』は静かに瞼を閉じた。

    2023.07.21~2023.11.20
    茶田智吉 Link Message Mute
    2023/11/22 1:40:01

    【刀剣】いちおにパラレル

    #刀剣乱舞 #腐向け #いちおに #一期一振 #鬼丸国綱 #パラレル ##刀剣

    ショタオネ(概念)いちおにが諦めきれずに自分の畑(パラレル)に持ってきて好き勝手やってたやつ。
    あまずっぺぇ初恋dokidoki話かと思いきや恒例の薄暗ルートEND。ハッピールートは個々で想像してくれよろしく(丸投げ)
    名前を聞き出すところまでいければ一期の勝ち確だった。

    more...
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