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    【刀剣】声が呪われている鬼丸さんの話【典鬼】 初めは雫が一滴落ちた程度の小さな波紋であった。
     誰も気に留めないまま静かに広がり、消えていく。その程度の物であった。
     だが、雨粒が水面を叩くように、先に広がった波紋が消えぬうちに次の物が広がっていき、それは範囲を広げ、「そうらしい」という不確定な物から徐々に焦点を結び、「そうなのだろう」と憶測へと変じ、形のなかった物に噂という実体を与えた。
     ――声を聞いた者は気が触れると聞いた。
     ――演練で一言も発しない男士が居たと聞いた。
     ――御札のような物が喉元から垣間見えたと聞いた。
     ――正気を失った刀が同士討ちをしたと聞いた。
     実しやかな噂の先に浮かび上がったのは、ある本丸の鬼丸国綱であった。

    「発端はこんなところだ」
     手中の紙束を、ばさり、と無造作に卓へ放り、審神者は苦虫を噛み潰した顔で、ガシガシ、と後ろ頭を掻き毟った。
    「前回のこともあってかいけると思われたのか、また厄介案件を回された」
     無言で顔を見合わせた鬼丸と大典太は、やはり無言で審神者へ向き直り目だけで話の先を促してくる。不平不満を漏らすでもなく、それで? とでも言いたげなふたりに、続けるな、と審神者は観念したように口を開いた。
    「その本丸の鬼丸も特殊な一面が強く出た個体だったようでな、周りから『不吉だ』と言われ続けた結果、『不吉の理由が後付けされ定着した』というのが政府の見解だ」
    「具体的には?」
    「声が呪われている」
     鬼丸からの短い問いに審神者も短く返す。
    「……あぁ、だから『聞いたら気が触れる』と」
     大典太の呟きに首肯し、審神者は先程放り投げた資料の中から何枚かを拾い上げると、ふたりの方へ向けた。
    「それなりに腕に自信があったのか、ここの審神者が対処法として声を封じる御札を作成。これで暫くはうまくいっていたようだが、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているようなものだ。日々過ごす中、不安は疑心となり『口から吐かれる呼気すら呪われているのではないか』とありもしないことを考え、新たな要素を付与してしまったわけだ」
    「実際に被害は、出たのか……」
     資料に目を落としつつ、独り言とも問いともつかぬ言葉が鬼丸の口から漏れ出る。
    「本丸内と演練相手で軽い錯乱状態に陥った者が何振りか。その時点で『怪異寄り』だと判断したんだろうな」
     新たに拾い上げた一枚をふたりへ差し出した審神者の顔には、一瞬ではあったが嫌悪の色が滲み出していた。
     それに印刷されていたのは文字ではなかった。
     見知らぬ一室が写されており、奥の襖には何枚もの御札が貼られている。
     秩序などなく狂ったように手当たり次第貼られたと見て取れるそれに、この本丸の審神者の焦燥が如何ほどであったか想像するのは容易かった。
    「この先に、鬼丸が……?」
     とん、と指先で印刷された襖を叩き大典太が眉根を寄せる。
    「あぁそうだ。閉じ込めるだけ閉じ込めて、様子を見ることもなく、ここの審神者は手狭になった事を理由に他の刀を連れて本丸を余所へ移した」
    「臭い物には蓋をして、あとは知らぬ存ぜぬか」
     ふん、と小さく鼻を鳴らし鬼丸は写真を手に取ると、じぃ、と暫し凝視した後、拙いな、とただ一言零し、途端に興味が失せたか手中の物を卓へと放った。
    「それで? 前回同様『始末』してくればいいのか?」
    「いや、その判断はふたりに任せる」
     無責任とも取れる審神者の発言に鬼丸の眉が、ぴくり、と上がる。だが、審神者は微塵も動じた様子もなく、うーん、と腕を組みふたりを見上げた。
    「なにぶん鬼丸は特殊な個体が比較的多いのもあって、杓子定規で事を運べないというのが本音だな。分霊の経験したことや知識が本霊に集約して、そこから『夢』という形で分霊にフィードバックされる事もあると、そう聞いたんだが?」
     全部が全部そうではないんだろうけど、と付け加えた審神者に鬼丸は一旦口を引き結ぶも、否定はしない、と静かに返した。
    「本霊が『汚染』されないという確証がない以上、実際に対峙してから善後策を講じて欲しい」
    「難しいことを簡単に言ってくれるな」
     怒りよりも呆れが勝ったか、仕方ない、と肩を竦めた鬼丸の横では、大典太が先の鬼丸同様、写真を手に取りじっくりと検分している。
    「政府の人間は中には入らなかったのか」
     他に写真がないことを確認してから大典太が問えば、審神者は無駄に良い笑顔を披露しながら「そんな中まで確認するような仕事熱心な人間が、末端も末端の一介の本丸にこぉ~んな厄介な事案を丸投げしてくると思うのか?」と言い放ったのだった。

       ◇   ◇   ◇

     物音一つしない廊下を大股に進み、目的の部屋を目指す。
     封印の間へと辿り着くまでにいくつもの襖を開け、いくつもの部屋を抜けた。廊下からは直接行くことは出来ず、誰も近づくことがないようにと徹底されていた。
     途中、通り過ぎ様に覗いたいくつかの部屋は、荒れてこそいなかったが大型の家具はそのまま残されていた。
     最低限の私物を手に逃げるように退去したのだろう。その指示に従った他の刀剣たちは、果たしてどのような思いであったのか。
     しくり、と胸が疼いたが鬼丸は面には出さず、襖に貼られた封印であろう数多の札を一瞥し、やはり拙いな、と呟いた。
    「こんな物で封じる事が出来たと本気で思っているのならば……滑稽だな」
     すぅ、と大典太が指先で軽くなぞっただけで札はボロボロと形を失い、畳に落ちる前に塵と化す。
     さほど霊力を込めずともこのざまだ。実物を見るまでもなく写真の時点で札が機能していないことは、ふたりにはわかっていた。これでは中に居る『鬼丸国綱』の声を封じている札もお粗末な物であろう。
    「それで? どうする」
     引き手に指を掛けた鬼丸に大典太が問いを投げれば、見てからだな、と短く返された。
    「お前はここで待て」
     念のため耳栓をしておけ、と本気とも冗談ともつかぬ事を口にし、鬼丸は一切の躊躇もなく襖を左右に大きく開け放った。
     同時に襖に貼られていた札が全て、はらはら、と枯れ葉のように呆気なく畳に落ちる。
     窓もない行き止まりの部屋。
     暗闇に沈んだ十畳はあろう部屋の奥の奥に『鬼丸国綱』は座していた。
     柘榴の瞳は瞼に隠され、口は札で隠されている。
     身動ぎ一つしない刀に歩み寄り、おい、と静かに声を落とせば、ゆうるり、と緋色が姿を現した。
     それが昏く淀んだ物であればこの場に『刀剣男士』はおらず、これは『怪異』として鬼丸は即座に斬り伏せる道を選んだだろう。
     すっ、と腰を落とし、目の高さを合わせる。
    「こんな物、自分で剥がせただろう」
     口を覆っていた札を剥がしながら耳を寄せれば、相手は笑ったのか吐息が髪を揺らした。続けて喉の札も剥がせば、すまんな、と小さく詫びられる。
     どの鬼丸国綱も自身を不吉と称する刀だ。陽よりも陰に傾いている属性故、呪いに対して多少の耐性はあるとはいえ、長丁場は分が悪い感触であった。
     剥がした札と右手側に置かれた本体に目をやり、鬼丸は苦々しげに舌打ちをしてから、我ながら損な性分だな、とただただ静かに溢す。
     歴史を辿れば、持ち主の元に長く留まることは出来ず、確たる理由もないまま忌まわしいと、不吉であると遠ざけられてきた。
     それでも、呪わず、祟らず、人に請われれば肉の器を得ることも厭わなかった。
     人のために作られた道具であるからか。
     与えられた役目が守ることであったためか。
     どのような仕打ちを受けようとも、人を憎むことなど出来やしないのだと、この『鬼丸国綱』は物言わぬ身で示してきたのだ。
     残念なことにその思いはこの本丸の人には届かなかったのだが。
    「『不吉な鬼丸国綱』を望む者がお前を形作ったというのに、いざ目の前に現れればこの扱いだ。余りの理不尽さに吐きそうになるな」
     口では悪態を吐きながらも僅かに俯き、悲痛に顔を歪ませる。
     この『鬼丸国綱』が『刀剣男士』としてここにある以上、折るという選択肢は消えた。『呪われている鬼丸国綱が実在していた』との認識を、本霊の元に持ち帰る訳にはいかないのだ。
    「乱暴な言い方だが、ここでひとり朽ちるも、おれに取り込まれるも、お前にとっては大差ないだろう?」
     どちらがいい、と問えば、酷い選択肢だな、と苦笑しながらも、『鬼丸国綱』の声には安堵の色が滲んでいた。

     閉ざされた襖の前で大典太は瞼を伏せ、じっ、と座している。
     元からここに居た『鬼丸国綱』とどう話を付けたのか、鬼丸はこの刀を己に取り込む事を決めたと告げてきた。
     処遇に関しては審神者に一任されているため咎められる可能性は低いが、特殊な状況下にある刀の特性を引き継がない保証はないのだ。
     この大事な局面に立ち会わぬ理由はないと、室内に踏み込もうとした大典太を制し、閉め出したのは他ならぬ鬼丸であった。
    「おれ自身ではないが、『おれ』が消える所を見られたくない」と言われては強く出る事も出来ず、「なにか異変を感じたらすぐに止めるからな」と釘を刺すしか出来なかった。
     室内で揺らめく霊力の流れを探り、儀式が滞りなく進んでいる事を確認する。
     肉の器に凝縮されていた霊力が解け、一旦宙に霧散し、徐々に密度を増した霊力が一点に収束する。同じ刀でありながら微かな相違を見せる霊力が混じり合う様に、大典太の掌には知らず、じとり、と汗が滲んだ。
     ややあって、すっ、と開いた襖の先には、顔色ひとつ変わっていない鬼丸が立っていた。
    「……終わったか」
    「あぁ」
     短い応えであったが、一瞬にして、ぶわり、と大典太の背筋が粟立った。
    「……どうした」
     ぐっ、と言葉に詰まった大典太に気づいたか、鬼丸が怪訝に眉を寄せながら問いの言葉を発すれば、考えるよりも先に身体が動いたか、大典太の手が勢いよく鬼丸の口を塞いできた。
     突然の事に反射的にその手を振り払いそうになるも、常にない大典太の様子に気づいたか、鬼丸は、じとり、と無言で抗議の眼差しを向けるに留める。
    「少し、黙っててくれ……」
     必死さの見え隠れする紅玉を、じぃ、と見据えたまま鬼丸が首肯すれば、大典太はゆっくりと手を下ろし、詰めていた息を吐き出した。
    「……あんた、なかなか面倒な事になってるぞ」
     そうか、と音には出さず唇の動きだけで相鎚を打った鬼丸に驚いた様子はない。これも織り込み済みか、と大典太が険しい顔を向ければ、とうの本人は悪びれた様子もなく肩を竦めて見せるだけだ。
     数度深呼吸をし、大典太は防壁代わりに自身の霊力を体内に回す。簡易的ではあるが呪い対策を施してから、鬼丸に話すよう促した。
    「おれが取り込んだところで『呪い』という要素がなくなる訳じゃない。だが、その『呪い』はおれ自身に付与されたモノじゃない。そうだな……『呪われた鬼丸国綱の霊力』という原液をおれの霊力で希釈したような状態だ」
    「毒性は弱まったが消えた訳ではない、と」
    「そういう事だ」
     落ち着きなく自身の首裏を掌で撫で摩っている大典太を見ながら、鬼丸は、すまんな、と苦笑を浮かべる。
    「気が触れるとまではいかないが、声を聞けば不快感はあると思う」
    「……それならまだ良かったんだがな」
     再度深呼吸をしつつ大典太が困ったように眉を寄せた。
    「他者に影響を与える事に変わりはないが、方向性がかなり変質してるぞ」
    「どういうことだ……?」
     持って回った言い回しに鬼丸が僅かに苛立っている事を感じ取るも、大典太は言葉を選んでいるのかなかなか口を開かない。
    「おい」
     焦れたのか、ずい、と一歩踏み出し距離を詰めてきた鬼丸の勢いに怯む事なく、むしろ好都合と言わんばかりに大典太は僅かに顔を傾げ、鬼丸の唇を食んだ。
     突然の事に動きを止めた鬼丸の唇を一舐めしてから、ゆっくりと身を起こす。
    「不用意に聞いたら魅了されるだろうな」
     黙って見返してくるその様子から、いまいち理解出来ていないな、と判断したか、大典太は真顔で己の下半身を指さした。
    「下世話な言い方をすれば、欲情させる声って事だ」
    「……………………は?」
     長い沈黙の後、鬼丸の口から零れ落ちたのは間の抜けた声であった。

      ◇   ◇   ◇

     ちくちく、と針を動かしながら、なんでおれが、と小さくぼやいた鬼丸の脇腹を、隣で同様に手を動かしている大典太が軽く小突く。
    「……喋るな」
     念のため他の者には別室で作業をして貰って良かった、と大典太は内心で胸を撫で下ろす。
     問題の本丸から戻った後、審神者には大典太から事のあらましを説明したが案の定、審神者は頭を抱えた。
    「ふたりに任せると言ったから咎めはしないが、どうするかな……」
     あー……、と卓に突っ伏したまま呻く審神者の頭を見下ろしながら、なにがだ、と大典太が問えば、審神者はのろのろと腕を上げ、まずひとつめ、と指を一本立てる。
    「政府への報告書の内容。ありのままを上げれば今度はウチの鬼丸が『呪われてる』と外部に認識されてしまう」
    「それは困るな」
    『呪いを引き継いだ』と『呪いを内包した』では意味合いが大きく異なるが、どれだけ事細かに説明しようとも、人から人へ話が伝わる間に解釈は捻れていくものだ。
    「そしてふたつめ。なにか対策をしないとウチの鬼丸が、初期の噂にあった『演練で一言も声を発しない男士』と言う事になってしまう」
    「演練に出さなければいいじゃないか」
    「演練だけに限った話じゃないだろ。いつどこで他の本丸の男士にばったり出くわすかわからんだろうが」
     不測の事態に備えておくに越した事はない、と身を起こしながら審神者が真顔で言い募る。
    「用心しすぎる方がいいんだよ、こういう時は」
    「そうだな」
     これまで黙って居た鬼丸が不意に口を開いた刹那、審神者が声も上げずに再び卓に突っ伏した。
    「み、耳が、妊娠すりゅぅ……」
     息も絶え絶えな審神者を前に鬼丸は一瞬、目を見開くも、すぐに平素と変わらぬ表情になる。
    「……だからあんたは喋るなと言っただろう」
     おそらく鬼丸は大典太から言われた事に対し半信半疑であったのだろう。
     小刻みに身体を震わせている審神者を憐れみを含んだ目で見ながら大典太が苦い声を出せば、鬼丸は口をへの字に引き結んだまま、ふい、と顔を逸らした。
    「ずっとこのままという訳にもいかないだろう。なにか考えはあるんだろうな」
     大典太の問いに鬼丸は黙って首肯する。ここで声に出して説明しては審神者の身が持たないと理解したのだろう。外に出るぞ、と身振りで示した鬼丸に頷き返し、大典太は審神者に向かって「また後で報告に来る」と告げてから退室したのだった。
     私室へと戻る途中、遠征に出ていた粟田口の短刀たちとばったり鉢合わせ、常ならば一言でも何かしら声を掛けてくれる鬼丸がだんまりな事に、乱が怪訝な顔をする。
    「なにかあった?」
     鬼丸と大典太を交互に見上げてくる他の者も、皆一様に心配の色を瞳に浮かべており、鬼丸の状態を隠しておくべきではないと判断した大典太が、話がある、と切り出した。
     粟田口の短刀たちが使っている大部屋に場所を移し、これまでの経緯と鬼丸の現状を説明すれば、呪いそのものをどうこうは出来ないが、それ以外の事でなにか出来ないかと皆頭を捻り始める。
     そんな彼らを前に鬼丸はどこか気まずそうな顔をしていたが、ぐい、と大典太の腕を引き強引に部屋の隅へと連れて行く。
    「なんだ」
     答える前に鬼丸は己の口を指さしてから、うっすらと唇を開いた。これから喋るぞ、という合図なのだろう。それを受けて大典太は霊力で耐性の底上げをしてから、いいぞ、と頷いて見せた。
     念には念を入れてか、鬼丸が大典太の耳元に口を寄せる。
    「御神刀連中に札の作成を頼みたい。あそこの審神者がやったように、おれにも貼っておけば少しはマシだろう」
    「他には?」
    「考えはあるが、あとで話す。先にあいつらにおれのやる事を話してやってくれ」
     ふたりの話が終わるのを待っていた短刀たちの元に戻り、大典太が鬼丸の喉と口に札を貼る事を伝えれば、真っ先に乱から不満の声が上がった。
    「えー!? ボクそれやだなぁ」
    「……いやだと言われても」
     直球でぶつけられた言葉に大典太が弱った声を上げれば、だって……、と途端に乱がしょぼくれる。
    「鬼丸さんがお喋りするのそんなに好きじゃないのは知ってるけど、お話しないのと出来ないのとじゃ全然違うよ……」
    「僕も、それは嫌です」
     おずおず、と口を開いた五虎退に続いて、前田も平野も同意する。ならばどうするのかと困ったように大典太が静かに問えば、薬研があっさりと代案を出してきた。
    「喉のはどうにも出来んが、口のはマスクに札を仕込めばいいんじゃないか」
     要は塞げていればいいんだろ? と首を傾げて問うてくる薬研に、頭いいー! と乱が手を叩く。
    「確か、現世遠征に必要だからと使い捨てのマスク買ったときに、一緒に手作りマスクキットも買ったはずだぜ」
    「あっ、そっか。長船のみんなオシャレなマスク付けてたね」
    「それなら一緒に僕たちも作りませんか?」
     前田の提案にそれぞれが賛成と同意を示し、薬研が、そうだな、と頷く。
    「木を隠すには森の中って言うしな。外に出るときは皆で付けようぜ」
     善は急げと準備に取りかかった短刀たちに口を挟む事が出来ず、鬼丸と大典太は互いに顔を見合わせるしかなかった。
     そして、各々が自分のマスクを作ると言う事になり今に至る。
     突かれた脇腹を押さえて恨めしそうな顔を向けてきた鬼丸に、それで、と大典太は水を向けた。
    「他にも考えている事があると言っていただろう?」
     喋っていいぞ、と頷いて見せれば、鬼丸は途端に真顔になり、むすり、と唇を引き結ぶ。
    「おい、拗ねるな」
    「拗ねてなどいない」
     手にしていた布と針を卓に置き、鬼丸は、ごろり、と畳に寝転がった。
    「おれの髪を包んだ依代に血で名を書き、そこに呪いを移していく。だが、一度では無理だな。どれくらいかかるかはわからん」
     淡々と手順を述べる鬼丸は瞼を下ろしており、唯一雄弁に感情を伝えてくる瞳が隠されていては、大典太にも真意が掴みきれない。
    「どうやって移していくんだ」
     本当にそのような事が出来るのかと、疑念が声音に乗っていたか、鬼丸は、ちら、と大典太を見上げてから再度瞼を下ろした。
    「霊力ごと、移していく」
     事も無げに言われたが、強引に外部へ放出するとなれば、鬼丸の負担も大きいだろう。更に失った分の霊力はどうするのかとの疑問が湧いてくる。自然回復を待つとなればそれこそ鬼丸が言う通り、どれだけの時間が掛かるか想像も付かないのだ。
    「失った分は……」
    「お前が、くれるんだろう?」
     するり、と鬼丸の指先が大典太の腰を滑り降り、太腿を一撫でする。これが誘いではなかったらなんだというのか。
     はっ、と息を飲んだ大典太と鬼丸の視線が絡み合い、ひとつ目が、にぃ、と人の悪い笑みを浮かべた。

       ◇   ◇   ◇

     着々と出来上がっていく離れを前に、審神者はひとり深いため息をついた。これが完成したからと言って、鬼丸が行おうとしている『呪いを移す』作業がすぐに始められる訳ではない。
     完成後は御神刀の力を借りて祓いの儀を行った後、内外に結界を張り、何かあった時の為に被害を最小限にするべく、極力現世との繋がりを断つ。
     儀式の間だけならば小さな庵でも良かったのだが、呪いを移し終えたあとの依代をどうするかという話になり、今後のことも考え呪物をここに集積出来るよう離れを一棟建築しているのだ。
     鬼丸が打たれる遙か前の時代に流し雛のように川へと流す案も出たが、呪いが時間の経過に伴い消滅する確証はなく、どこかに根付き後の時代に影響が出る可能性を考慮し、却下となったのだった。
    「これが経費で落ちなかったら……」
     台所は火の車だ、と震えながら遠い目をしている審神者の様子に気づいていないのか、御神刀たちは広げた図面を前に完成に先んじてあれこれと相談を始めている。
    「丸一日断食して、翌日に作業、そして一日休息。これの繰り返しという事でいいんだな?」
     共に建設中の離れを見ていた鬼丸に気を取り直した審神者が改めて確認すれば、あぁ、と簡潔な答えが返ってきた。マスクに仕込まれた札越しとはいえ、人には刺激が強く、んぐっ、と珍妙な音が審神者の喉から漏れ出る。
    「俺には貫通防御の札が必要かもしれん……」
     さすがは末席とはいえ神を冒す呪いと言ったところか。毎回、不意打ちではないにも関わらず、このていたらくであった。
    「それで、作業後には霊力回復に大典太が必要、と」
     今度は大典太に確認をすれば、そうだ、とこちらも簡潔な答えが返ってきた。
     霊力回復の方法は敢えて聞かなかったが、図面を引いた際に風呂も必要だと言われた時点で察している。
    「準備が整うまで最短でも一週間は見てくれ。それまではなるべく本丸内に居られるよう調整するが、絶対とは言い切れないんで気は抜かないように」
     ここに所属している刀全てに鬼丸の状態は説明済みで、幸いな事にみな協力的だ。
     もちろん他言無用であると強く念押ししたが、何気ない一言を漏らしてしまう可能性がないとは言い切れないのが、唯一の心配の種であった。
     その上、政府への報告を「対応中です」で、のらりくらり、と躱してはいるが、別件でいつなんどき出陣要請が来るかもわからないのだ。他本丸との共同作戦に駆り出される可能性もある。
     胃が痛い、と腹を摩る審神者を気の毒そうに見やってから、大典太は鬼丸の背を軽く叩き、行くぞ、と促した。
    「そろそろ買い出しに行った奴らが帰ってくる」
     本丸の外に出られない分、荷下ろしや荷運びといった力仕事や本丸内の雑用を受け持ったのだ。常ならば「なんでおれが」と言い出すところだが、さすがに今回ばかりは黙って頷いたのだった。

       ◇   ◇   ◇

     演練を行う男士たちが待機する部屋に足を踏み入れた途端、ざわり、と空気がどよめいた事を感じ取り、鬼丸は僅かに片眉を上げた。
     だがそれは鬼丸へと向けられた物では無く、六振り全てが奇異の目で見られている。
    「……木を隠すには森の中というのはあながち間違いでは無かったようだ」
     ぼそり、とマスク下から漏れ出た声に鬼丸が軽く頷いて見せれば、大典太は言葉を続ける事無く、ちら、と視線を向けてきただけであった。
     マスク作りをした翌日から短刀たちはそれを着用し、早速演練へと赴いたのだ。話を聞いた他の者たちも同様にマスクを作り、演練へと参加していた。
     それにより「あそこの本丸の刀たちは変わり者だ」と噂されるのにそう時間は掛からなかった。
    『呪われた鬼丸国綱』の噂を掻き消すほどの威力は無いが、新しい噂が流れる事により関心が薄くなるのは願ってもない事だ。
     当初は鬼丸を極力本丸から出さないという方向で話を進めていたが、此所に来て雲行きが若干怪しくなったのだ。
     さて……どこから話したものか、と眉間を揉みながら難しい顔をした審神者の態度から、大典太も鬼丸も眉ひとつ動かさなかったが内心では共に「面倒事だな」と察していた。
    「まぁあれだ。例の本丸の審神者なんだが、今になって惜しくなったのか『鬼丸国綱』の行方を捜していると」
    「……勝手だな」
    「あぁその通りだ。だが、厄介な事に政府の人間とコネがあるっぽくてなぁ」
     包み隠さぬ鬼丸の素直な感想に頷きながら審神者は話を続けていく。
    「そうでなければ刀を一振り置いたまま本丸を移すなど、出来る訳が無い」
    「……面倒な手合いだな」
    「全くだ。幸いにもどの本丸が依頼を請け負ったかまではバレてないんで、このままやり過ごしたかったんだが……」
     大典太の一言に頷き、ここで再び眉間を揉む審神者を前に鬼丸は、ゆうるり、と息を吐いた。
    「隠しすぎるのも良くない、か」
    「そう。所持刀剣の顕現日は記録されてるし、所持本数も政府は把握してる。けど端から疑って掛かってる人間は些細な事で難癖つけてくるからな」
     心底げんなりした様子で力なく頭を振る審神者を見下ろし、大典太は「それで」と呼び出された理由を言葉少なに問うた。
    「籠もる前に一回演練に出てくれ」
     呪いを移す作業に取りかかってしまえば、鬼丸たちは身動きが取れなくなる。いつ終わるともわからぬ作業である為、できれば余計な事は考えなくて済むようにしてやりたかったというのが、審神者の正直な思いだ。
     時間遡行軍と戦うのが刀剣男士の役割であるならば、審神者の役割は政府や他の審神者といった人間を相手にする事だ。
     彼らが心置きなく刀を振るえるよう、防波堤になるのが審神者の役目だ。
    「力及ばず申し訳ない」
     下げられた頭を前に大典太と鬼丸は、ちら、と一瞬だけ互いに目をやってから、常と変わらぬ調子で口を開いた。
    「籠もる前に知れたのは不幸中の幸いだな」
    「姿を見せるだけでいいんだろう? ならばなんら問題は無い」
     もとより口数は少ないのだと、本気か冗談かマスクの下で口端を軽く上げて見せた鬼丸に審神者は、そうだな、と肯定してから、すまん、ともう一度頭を下げたのだった。
     審神者との会話を思い出している間も、既に何度も戦った事のある本丸の男士から、また着けてんのかよ、と笑いながら話しかけられた乱が、可愛いでしょー、と自分のマスクに刺繍された桜の花びらと刀紋を自慢げに見せつけている姿に、知らず鬼丸の眦が下がる。
     気さくに話しかけてくるもの、遠巻きに見ているもの、なにやらヒソヒソと話しているもの。
     壁際に移動し軽く目を左右にやっただけでも、回りの反応は多種多様だ。
     鬼丸と共に移動し、壁にもたれて腕を組んだ大典太は妙な視線を感じるも、それは自分に向けられた物では無いと気づき、すぅ、と目を細める。
    「……おい」
     隣の鬼丸に警戒を促す声を上げれば、わかっている、と小さく返された。
     微々たる物ではあるが、各本丸の審神者の気配というものは刀に纏わり付いている。
     覚えのあるそれに大典太も鬼丸も不快感からか、軽く鼻を鳴らした。
     特に接触してくる様子は無いが、不躾にじろじろと見られるのは、同じ刀とは言え良い気はしない。
    「嫌な視線だな」
     話の輪から外れ近づいてきた薬研の開口一番に大典太は、そうだな、と隠す事無く同意する。
    「探ってこようか?」
    「放っておけ」
     下手に動いて藪から蛇を出す必要は無い、と言外に告げてくる鬼丸に薬研が同意の頷きを返した矢先、談笑していた乱が不意に他方へと顔を向けた。
    「ウチの鬼丸さんに何か用?」
     朗らかな口調ではあるが明らかな牽制に、薬研は咄嗟に抑える事も出来ず豪快に吹き出し、大典太は俯いたまま首を横に数度振り、鬼丸は静かに瞼を伏せ唇を引き結んだ。乱の隣に居る前田と平野は落ち着いた物で、黙って乱の視線の先に居る他本丸の男士を見つめている。
    「お話ししたいなら遠慮する事ないのに。ねー、鬼丸さん」
     笑顔を向けてくる乱にどう返した物かと鬼丸が思案している間に、例の本丸の男士たちは気まずそうに目を逸らし、そそくさ、と移動していった。
    「やな感じ」
     ぷんすこ、と頬を膨らませながら鬼丸の前に立った乱は一瞬目を伏せ、やだな、と呟いた。
    「居なくなった仲間を捜してるのに、誰も心配そうな目をしてなかったの、なんかやだな……」
    「あそこの本丸の刀全部が全部そうとは限らない」
     頭上から振ってきた言葉に乱が顔を上げれば、鬼丸は正面を見据えたまま、ぽん、と軽く乱の肩を叩いた。

       ◇   ◇   ◇

     準備は整った、と鬼丸は日の出と共にひとり籠もり、大典太は襖一枚隔てた控えの間でひとり待つ。
     事の発端である『鬼丸国綱』を鬼丸が取り込んだ時とまるで同じだ、と大典太は瞼を伏せ、じっ、と座している。
     縄で囲った二メートル四方の内部が第一の結界で、鬼丸はここで儀式を行っている。第二の結界は儀式の間そのもので、控えの間は最終防衛線だ。
     儀式の間、控えの間共に窓は無く、ここへ来る為には大典太が背を向けているもう一間を経由しなければならない。
     そして、有事の際にはこの二間ごと封じ、切り捨てろと皆には伝えてある。
     どれだけ鬼丸と大典太に力があろうとも、絶対はあり得ない。常に最悪を想定しておくのは、ふたりからすれば当たり前の事であった。
     演練に一度顔を出した以降も例の本丸の刀たちは「誰彼構わず探りを入れているようだ」と薬研から報告を受け、ここの疑いはひとまず晴れたと見て良さそうである。
     だが、油断は禁物であると、演練に赴く者も買い出しに行く者もマスクを着用したままだ。
     部屋の四隅に置かれた燭台で照らされる中、大典太が止めどなく思考を巡らせていれば、かつ、と微かな音が耳朶を打った。続いてゆっくりと横に滑り始めた襖に、先の音は鬼丸の爪が引き手に当たった音なのだと気づく。
     咄嗟に見やった蝋燭の減り具合からして、既に半日が経ったと言う事だ。
     即座に大典太が立ち上がると同時に、ぬぅ、と姿を現した鬼丸は俯いたまま一歩を踏み出し、後ろ手に襖を閉めた。
     もう一歩進んだその身体を抱き留めれば、ぐにゃり、とまるで芯がなくなったかのように弛緩し、安堵からか、ふー……、と深い息が薄く開いた唇から漏れ出した。
    「食べるか寝るか、どちらが先だ」
     ぴくりとも動かぬ鬼丸に緩やかな声音で問いかければ、だらり、と下がっていた腕が緩慢な動きで大典太の背に回される。
    「……お前」
     直截な要求に大典太は一瞬目を見張るも、全く予想していなかった訳では無い。むしろそう言うだろうとわかりきっていた為、五歩下がった位置に布団は既に敷かれている。
     行衣姿の鬼丸を布団に連れて行き、横たえさせてから大典太も隣で身体を伸ばす。引き上げた掛け布団ごと鬼丸を腕の中に収めれば、身じろぎひとつしない――もとい出来ない鬼丸が、おい、と低い声を出した。
    「……俺にそんな趣味は無いぞ」
     鬼丸の言わんとする事などお見通しか、大典太は機先を制するように、ぴしゃり、と言い放つ。
     満足に動けないもの相手に一方的に欲を放つなど、そんな虚しい行為は出来ないと、大典太は言いたいのだ。
    「明日一日掛けてじっくり、腹一杯喰わせてやるから楽しみにしていろ」
     続けて飛び出した挑発的な言葉に鬼丸は愉快そうに目を細め、そうか、と口端を僅かに持ち上げる。
    「おれを好き勝手出来る機会を棒に振ったと、後悔するなよ」
     負けじと返された言葉に大典太は喉奥で低く笑い、弧を描いている唇を軽く塞いだ。

       ◇   ◇   ◇

     腹の奥に放たれた熱に反応してか、身体を小刻みに震わせながら喉奥で低く呻く鬼丸を見下ろし、大典太は深い息を吐いた。
     顎を伝って滴り落ちた汗が鬼丸の胸に落ち、緩やかに流れていく様を視界に収めつつ、おい、と声を掛ければ、白い睫毛に縁取られた瞼が、ぴくり、と反応する。
    「……なんだ」
     気怠げに寄越された掠れ声に鬼丸の中に納めたままの一部が力を取り戻し、大典太は隠す事無く顔を顰めるも、身動ぎひとつせず、じぃ、と石榴の瞳を見返す。
    「なにを考えていた」
     儀式が始まってから既に三巡しており、日数的には九日目である。
     ただ揺さぶられているというだけでも、その行為に集中しているかどうかの判別がつく位には、大典太は鬼丸の変化を感情面、肉体面共に逐一感じ取っている。
    「……芳しくないと思ってな」
     だんまりを決め込むかと思いきや、一旦瞼を伏せてから鬼丸は真っ直ぐに大典太を見つめたまま、ゆうるり、と口を開いた。
    「成果がないわけじゃない。だが、霊力に混ざる呪いの量が想定より少ない」
     依代への移し替えが難航しているのだと素直に告げてきた鬼丸に、大典太は驚いたかのように目を見張り、ややあってから、そうか、と小さく返す。
    「かと言って、これ以上の霊力消費は現実的じゃ……おい、なんだその顔は」
    「いや、素直に喋るとは思っていなかったから……驚いた」
     ふざけている訳でも、揶揄っている訳でもない事は、戸惑ったその声音が如実に語っている。
    「面倒を掛けている相手に隠す事じゃないからな」
     あくまでもこちらは協力して貰っている立場だ、と大真面目に主張する鬼丸に、話を持ちかけてきた時は婀娜っぽく誘ってきたくせに、と喉元まで出掛かるも、大典太はそれを、ぐっ、と飲み下す。
    「だが、今更やり方を変える訳にはいかないだろう?」
     大典太の問いに、そうだな、と呟き、鬼丸は意図的にか無意識にか、するり、と自身の腹を一撫でした。
    「……依代の力が弱いのかもしれんな」
     もっと呪いを引きつける『なにか』が必要なのだと、鬼丸の口ぶりから大典太も気づいたが、その『なにか』までは思い至る事が出来ず、気長にやるしか無いな、と協力は惜しまない事を伝える事しか出来なかった。

     あの時の話をもう少し真剣に考えるべきであったと、大典太は目の前に立つ鬼丸を視界に納めた途端、さぁ、と全身から血の気が引き、同時に、かっ、と脳が煮えるような感覚を味わった。
     言葉無く立ち尽くす大典太を前に、鬼丸は力なく一歩を踏み出すや、躊躇いなくその身を前方に投げ出した。
     咄嗟に抱えた身体はこれまでと変わらず、ぐにゃり、と弛緩し、大典太に全てを委ねている。
     ただひとつ異なるのは、そこにあるべきはずの角が欠けている事だ。
     滑らかな切り口は、鬼丸自身が出血には至らぬぎりぎりの位置を見極め、意思を持って切り落としたに他ならない。
     刀剣男士である鬼丸国綱を象徴する角。
     確かにこれ以上は無い依代ではある。
     理にはかなっているが、どうしてここまでする必要があるのだと、大典太は悔しげに唇を引き結ぶ。
    「……手入れはしないからな」
     直してしまっては意味が無いと、言外に告げてくる鬼丸にただ一言、わかった、としか言い様がなかった。

       ◇   ◇   ◇

     襖の向こうから「兄弟」と静かに声を掛けられ、大典太は腰を上げた。
     籠もっている鬼丸や大典太の元に食事や着替えを持ってくるのは、御神刀を初めとした霊力の強い者や怪異に対抗する術のある者だ。
     すっ、と音も無く襖を開けば、ひとつの膳と洗濯済みの衣類を携えたソハヤが膝をついて待っている。
    「どんな調子だい?」
     特に気負った様子も無く軽く聞いてはいるが、ソハヤの視線は大典太をすり抜け、その向こうにある襖を見据えている。
    「順調、ではあると思う」
     鬼丸が自身の角を切り落とした事は誰にも告げていない。せめて審神者には報告するべきだとの大典太の主張は、事が片付くまで黙っていろと鬼丸によって却下された。
    「外の様子はどうだ」
     既に三十日以上を此所で過ごし一歩も外へ出ていない大典太は、こうして訪れる者に聞くしかない。これまでも同じ問いを投げれば、本丸内で起こった出来事や遠征先でのたわいのない話などが語られ、それは良い退屈凌ぎになっていた。
    「ん、んー……そうだな」
     何も無ければあっけらかんと「世はなべて事もなし」と笑う兄弟刀が言い淀み、視線を一瞬彷徨わせる様に、大典太は隠す事無く眉を寄せる。
    「あぁいや、ウチになにかあった訳じゃ無い」
     喰いながら聞いてくれ、とソハヤは足付きの膳を大典太へ渡し、控えの間へと踏み入った。
    「例の本丸の刀たちがここ暫く演練に姿を見せていないらしくてな。いつ頃からかははっきりしないんだが、少なくとも一週間は経っているそうだ」
     具体的な数字が出た瞬間、大典太の箸先が微かに揺れた。
    「兄弟?」
    「いや、続けてくれ」
     微細な物ではあったが大典太の変化に気づいたか、ソハヤは怪訝な声を上げるも先を促され、一瞬探るような眼差しを兄弟刀に向けたがそれ以上問う事無く話を続ける。
    「強制参加じゃないから居なくてもそこまでおかしな事じゃ無いんだけど、なんせこれまでの行いがなぁ……」
     どの本丸が演練に参加しているかなど、本来であれば気にも留めない所だ。
     だが、表立っての批難は無かったが、演練場での刀たちの態度を不快に思っていた本丸はそれなりにあったようで、あの本丸は悪い意味で覚えられてしまっていたのだ。
     それがぱたりと姿を見せなくなれば、なにかあったのかと思うのが世の常だ。
    「あそこの審神者が床に臥せっているって話も漏れ聞こえてきてる」
     指示を出すべき審神者が不調であれば、本丸が機能していない可能性もある。
    「あとは噂の域を出ないが、一部の刀が審神者に反発してるとかなんとか」
    「……仲間割れ、か?」
     反旗を翻すほどの大事ではないであろうが、意見の相違で足並みが揃わなくなる事は大いにあり得る。
     大典太の脳裏をよぎったのは演練場での鬼丸の言葉だ。
    「あそこの本丸の刀全部が全部そうとは限らない」と、彼は確かにそう言ったのだ。
     あの時は乱を慰める為の言葉と思ったが、鬼丸は「知っていた」のではないか?
     もし仮に、呪いと共に『鬼丸国綱』の記憶も取り込んでいたのだとすれば……
    「どちらにせよ、正確な情報を得る術がないからな。下手に突いて藪から蛇を出したら洒落にならない」
     もちろん警戒は怠らないけどな、と付け加えてからソハヤは腰を上げた。
    「じゃあ俺は戻る。頑張れよ兄弟」
    「あぁ」
     ひらり、と手を振って襖を、たん、と閉めたソハヤの気配が遠ざかるのを感じつつ、大典太はいつの間にか止まっていた箸を膳へ置いた。
     件の本丸が演練に姿を見せなくなったのが一週間前。
     鬼丸が角を切り落としたのが九日前。
     偶然で片付けるにはあまりにもタイミングが良く、大典太は拭えぬ不安と疑念を胸に、後数時間は開かぬ襖を見据えるしか無かった。

     額に張り付いた髪を大典太が指先で払い、そのまま眼帯の紐に触れた瞬間、石榴の瞳が鋭く見上げてきた。
    「……」
     無言の抗議に大典太は両の手を胸の高さに上げ、これ以上はなにもしないと態度で示してから、すまない、と詫びの言葉を口にする。
     隠された左目の能力を大典太には既に知られているにも関わらず、鬼丸は未だに褥の中でも眼帯を外す事は無い。
    「……その気は無くともいらんモノが見えるのは疲れる」
     そう言いながら、とん、と鬼丸の指先が突いたのは大典太の胸だ。
     寸分の狂いも無く核の真上を突かれ、大典太の喉が無意識のうちに、ひゅっ、と鳴る。
    「まぁ、今回に限っては役には立っているが」
     身を起こしたまま見下ろしてくる大典太を手招きし、覆い被さってきた身体を、ゆうるり、と抱き締め、鬼丸はその重みに満足そうな息を吐いた。
    「直視は出来んが、どれくらい移せたかの確認は出来ている」
     全く先が見えていない訳ではないのだとわかり、大典太は労うように鬼丸の髪を一撫でし、角の断面に軽く唇を落とす。
    「いつまでもあんたの一部が欠けたままというのは、嫌なものだ……」
     どこか寂しげに、ぽつり、落とされた言葉に鬼丸は一瞬目を見張るも、それに応える事は無くただただ大典太の背に回した腕に力を込めるだけだ。
     結界に綻びはなく、大典太がどれだけ霊力を高め、研ぎ澄まし、集中しようとも、儀式の間の内部を探る事は出来ない。
     だが、これまでに鬼丸が消費した霊力と日数を鑑みるに『もう一振りの鬼丸国綱』がそこに存在しているといっても過言では無いほどの塊がそこにはあるはずだ。
     終わりは近いのだと大典太はそう考えているが、当の鬼丸の口から聞くまで油断は出来ない事も理解している。
    「……そう言えば、例の本丸は暫く前から演練に来ていないらしい」
    「そうか」
     さして興味は無いと言わんばかりの反応ではあるが、大典太とて確証は無くカマを掛けただけに等しく、仮に鬼丸がなにか隠していたとしても、そうやすやすと態度には出さないであろう事もわかっていた。
    「審神者が臥せっているとも聞いた」
    「そうか」
     やはり淡々と返してくる鬼丸の声音に変化は無く、これ以上会話が進む事は無いと判断し、大典太は閉ざされている瞼に唇を押し当て、薄い皮膚の下で丸いものが、きょろり、と動く様に口端を持ち上げる。
    「もう少しいるか?」
     囁くように問いかければ、言葉ではなく淫らに絡んできた足が答えであった。

       ◇   ◇   ◇

     無事に事を終えたと大典太から報告を受け、審神者はすぐさま御神刀たちを連れて万全の体制を整えた後、門外不出の呪物と化したそれを桐箱へと収め、長きに渡った案件にようやっと終止符を打ったのだった。
     当然の事ながら角の無い鬼丸に審神者は悲鳴を上げたが、必要な事だったと言われてはこの件を丸投げした以上、なにも言う事は出来なかった。
    「でも報告書の作成があるから後日、詳しく話を聞くよ」
    「わかった」
     とにかくお疲れ様、と労いの言葉を最後に退室を促した審神者だが、大典太に続いて背を向けた鬼丸を呼び止めた。
    「なにか言う事はないか?」
     肩越しに、ちら、と振り返った鬼丸は、じぃ、と審神者を見つめてから、ふい、と顔を戻す。
    「特にないな」
    「そうか。うん、ほんとお疲れ様。先に手入れ部屋に行っててくれ。俺もすぐ行くから」
    「わかった」
     のそり、とどこか気怠げに出て行った鬼丸の背中を見送り、ひとりになった審神者は黙って天を仰いだ。
     風の噂でしかないが例の本丸の審神者は少々精神を病んでしまい、療養に入ったとの事であった。
     それも「角の無い鬼丸国綱が毎夜夢に出る」と近侍に漏らしていたそうだ。
     夢に出るだけでなにをするでもなく、ただじっと見つめてくるだけであったそうだが、負い目のある者からすれば責められていると思い込んでも仕方のないことだ。
     審神者の怯えように『鬼丸国綱』を置いていく事に反対していた刀たちがここぞとばかりに声を上げ、更に審神者は憔悴していったという。
    「……直接なにかした訳じゃないからなぁ」
     それこそ罪の意識に苛まれた審神者の被害妄想だったかもしれないのだ。
    「それにあくまでも『噂』だからな」
     噂の恐ろしさを目の当たりにしたばかりの審神者はこれ以上考える事はせず、手入れ部屋に向かうべく腰を上げたのだった。

    2024.01.10
    茶田智吉 Link Message Mute
    2024/01/12 8:04:42

    【刀剣】声が呪われている鬼丸さんの話【典鬼】

    #刀剣乱舞 #典鬼 #大典太光世 #鬼丸国綱 #腐向け ##刀剣
    『ある本丸の後始末をする話』(https://galleria.emotionflow.com/47262/588452.html)と同設定。

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