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    【刀剣】半人半妖で骨董品屋の鬼丸さんの話【典鬼】 かちこち。
     カチコチ。
     壁に掛けられた古めかしい時計が立てる音のみが店内に響く。
     掃除は行き届いているが肌で感じる停滞した空気感に、懐古の情が湧き上がると同時にどこか息が詰まりそうになる。
     普段通る道から一本逸れた住宅地の一角にその店はあった。
     通りかかっただけでは開いているかも判別がつかぬほど店内は薄暗く、だがガラスのはめ込まれた引き戸の前には『商い中』の看板が、ぽつん、と申し訳程度に立てられていた。
     何を扱っているかもわからぬ店は、表に掛けられた肝心の看板ですら文字が掠れ、かろうじて読み取れたのは一文字目の『鬼』という厳つい物だけであった。
     道を逸れたのはほんの気まぐれであった。気まぐれついでに店内に足を踏み入れたのだ。
     戸を横に滑らせれば、リリリリ……、とどこか不安定なベルの音が鳴った。
     来店を知らせるためのベルであるにも関わらず、店の者が姿を現す気配はない。冷やかし程度で入った側からすれば逆にありがたいと、店内に陳列されている物を悠々と見て回る。
     置いている物はどれも古く、骨董品屋といったところか。並んでいる物にこれといった統一感はなく、時折混じる物品から推察するに質屋も兼ねているようだ。
     壁際に置かれた刀の架かっていない刀掛台の前に立った時、奥から、ふらり、と人が現れた。
     白髪に黒の眼帯をした男は、その頭髪の色に反して見目は若い。だが、奇妙な物が左側頭部に付いている。
     角だ。
     羽織と着物は落ち着いた地味な色であるが、それを裏切る眼帯と角という珍妙な組み合わせに、個人の趣味には触れない方がいいだろう、と見えている物を敢えて意識の外へと追い出した。
    「客人とは珍しい。おれの事は気にせずゆっくり見ていってくれ」
     そう言うや店主とおぼしき男は客に背を向け、それも売り物であろう本を片手に、レジスターのあるカウンター内へ入って行った。
     改めて店内を、ぐるり、見回せば、人一人がすっぽり入りそうな水瓶や、意味ありげな封紙のされた箱など、一体誰が買うのかと疑問を抱く物品がそれなりの数並んでいる。
     そもそも本当に売り物であるのかすら疑わしい。
    「……なぁ、ここの物は全て売り物なのか?」
    「あぁ、店の中のモノ全てそうだ」
     顔も上げずに返答をよこしてきた男を、じぃ、と見つめ、改めて妙な出で立ちだと思った。
     僅かに伏せられた睫毛は赤みを帯びており、よくよく見ればそれは瞳の色が透けているのだと気づく。緩く閉じられた唇は微かに色づき、薄くはあるが紅が引かれているようだ。白磁のかんばせと相まって作り物めいた美しさに目が釘付けになった。
    「……あんたもか?」
     不意の問いかけの意味が掴めなかったか、柘榴の瞳が、ゆうるり、と上げられた。
    「店の中のもの全てということは、あんた自身も売り物なのか?」
     常ならば出ないような言葉が、するり、と表に出た。
     人に対してあるまじき発言であると、即座に理性が己の浅はかさを罵倒する。
     だが、返されたのは軽蔑でもなく、憤慨の言葉でもなかった。
    「そうだと言ったら?」
     肯定とも取れるそれに言葉をなくし、ただただ男を穴が開くほどに凝視していれば、相手の唇が緩やかに弧を描き、ちら、と覗いた犬歯に胸がひとつ大きく鳴った。
    「お前が相手なら構わないぞ」
     本を閉じ、音もなく寄ってきた男は手を伸ばし、宵闇色の髪を一房、するり、と指に巻き付けた。
     ちら、と上目遣いに見られ、空いた手がそっとこちらの胸に添えられる。まるで撓垂れ掛かるかのような仕草に指一本動かせないでいれば、くつり、と低く喉奥で笑われた。
    「なんだ、おれを買いたいんじゃなか……っ」
    「はい、そこまで」
     揶揄うような言葉は、ぬっ、と店主の背後から伸びてきた手によって遮られた。はっ、と我に返り顔を上げれば、自分よりもやや高い位置にある人の良さそうな顔が困ったように眉尻を下げている。
    「ただでさえあんた距離感おかしいんだから、そういうことはよせって。小狐丸にも言われただろ『ウチは陰間茶屋じゃないんですよ。妙な噂を立てられては困ります』ってさぁ」
     店主の口を塞いだままの腕に、ぐい、と力が込められ、髪に絡んでいた指が呆気なくも、するり、と離れていく。その様が少々惜しいと思ってしまい、誤魔化すように、ふるり、と小さく頭を振った。
    「ちょっと気になったからってそういうことするの、ほんとやめろよなぁ」
    「人を色狂いのように言うな」
    「まぁ今回は俺も『当たり』だとは思うけどな」
     店主と男のやり取りを、ぽかん、と見ていれば、それに気づいた男は更に眉尻を下げ「ごめんなぁ」と謝ってきた。
    「悪気なく質の悪い冗談を真顔で言う奴なんだ。大目に見てやってくれよ」
     拝むように顔の前で手を合わせる男をしげしげと見つめていれば、エプロンの胸元に付けられたネームプレートに目が行った。それを、じっ、と見ていることに気づいたか、男――御手杵は、これか? と言わんばかりにエプロンを少し前に引っ張ってみせる。
    「向こうは喫茶店なんだ。次はこっちじゃなくてあっちから来てくれよ」
     一本向こうの通りに面した方に出入り口あるからさ、とここからでは見えない通りを指さし御手杵は、からり、と笑った。
     察するにふたつの店舗が家屋の中で繋がっているのだろう。いや、ひとつの家屋でふたつの店舗を運営していると言うべきか。
    「ほら、鬼丸。あんたもちゃんと謝れって」
     肘で小突かれ若干、むっ、とした店主――鬼丸は、先の妖艶さはどこへやら。きりり、と攣り上がった眉と威圧感すら感じる眼差しの強さに、不覚にも腰が引けそうになった。
    「悪かったな。お前があまりにも突拍子もない事を言うので、つい悪乗りが過ぎた」
    「……いや、俺の方こそ失礼な事を言った。すまなかった」
     互いに詫びの言葉を発し、この話はこれでお終いだと鬼丸が僅かに眦を下げる。当然の事ながらこちらに異議などない。
    「おれもたまにあちらを手伝ってるから、時間があったら来てくれ」
    「あぁ」
    「じゃあな、――」
     扉をくぐりかけた背中に小さく投げられた声に振り返る。
    「なにか言ったか?」
    「いいや、なにも」
     目を細め、ひらり、と手を振る鬼丸を怪訝に思うも、そのまま店を後にした。
     いつもの道へと戻り、帰路につく。その間も頭を占めるのはあの店と鬼丸の事だ。
     確かにあの男はこう言ったのだ。
     大典太、と。
     知らない名のはずが、あの声でそう呼ばれた瞬間、胸の奥が、ずくり、と疼いた。
     こと、と皿の置かれた小さな音に店内に目をやっていた男が、はっ、と正面を向けば、カウンター内の店員と目が合った。彼の身長と腕の長さをもってすれば、少々身を乗り出すだけで事が済んでしまうのはわかるが、無精が過ぎるのではないかとも客の立場では思うが口にはしない。
    「こんなすぐ来てくれるとは思わなかったぜ」
     ははは、と人好きのする笑い顔に曖昧に笑い返し、誤魔化すようにコーヒーの入ったカップを口に運ぶ。
    「それで、えーと、名前聞いてもいいか? あ、もちろん断っても構わないからな。この時代、個人情報とかなんやら厳しいんだろ?」
    「……三池だ」
     妙な言い回しをする……、と思うも特別隠す事でもなく男が簡潔に名字を告げれば『御手杵』とネームプレートを付けた店員は一瞬目を丸くするも、そっかー、と小さく頷いて見せた。
    「鬼丸と話したいんだったら今のうちだぞ」
     そう言って、ちら、と目だけで店内を見る御手杵につられるように、三池も再び上半身を捻りテーブル席の並ぶ店内に顔を向ける。二人の視線の先では羽織を脱ぎたすき掛けをした鬼丸が、無人の席を布巾で拭いているところであった。
    「客が増えてくると引っ込んじまうからさ」
    「普通は逆じゃないか? 忙しくなるから手伝うのだろう?」
     三池のもっともな疑問に御手杵は、うーん、と困ったように天を仰ぐ。
    「なんというか、うーん、あいつ目当ての客が少なからずいてさぁ、そういうのが苦手っぽいていうか、俺としても煩わしいというか」
     ぽろり、と漏れ出た御手杵の本音に三池が驚いた顔を向ければ、うん? とまったく悪びれた様子もなく首を傾げられ、なんでもない、としか言い様がなかった。
    「気持ちはわかるけどな。顔いいし、どことなく浮世離れしてるというか、謎めいてるというか。好奇心がくすぐられるんだろうな」
    「……俺も似たような者だとは思わないのか?」
     現に今、こうして鬼丸目当てにやって来ている三池としては、非常に耳が痛く居心地も悪い状況である。
    「ん? あぁ、悪い。あんたに言った訳じゃないんだ。三池は別だ。鬼丸自身が来てくれって言っただろ? それなら俺が嫌がる理由はないよ」
     あっさりと否定され肩透かしを食らった三池は、今度は違う意味で居心地が悪くなる。この場合、気恥ずかしいというのが正しいだろうか。
    「……ところで、その『御手杵』というのは本名なのか?」
    「いいや、違うぞ」
     無理矢理に話題を変えてきた三池の心境に気づいているのか、御手杵は深く追求する事なく軽い調子で答える。
    「この店の中だけの呼び方だよ。あだ名みたいなもんだな。本名は『結城』」
     さらり、と告げてきた御手杵に驚いた三池が言葉を発する前に、すとん、と隣に腰掛けた男が、くるり、と宵闇色の髪を指先に巻き付けた。
    「ちなみにおれは『粟田』だ」
     ガタッ、と派手な音を立てて椅子ごと動いた三池に、鬼丸は、きょとん、とするも直ぐさま、にたり、と目を細め人の悪い笑みを浮かべる。
    「なんだ。おれのことを穴があくほど見ていたくせに」
    「……いきなり触るのはよせ」
     心臓に悪い、とぼやけば、なら一言ことわれば触っていいのか? と更に揶揄われ、三池は助けを求めるかのように御手杵に目をやった。
    「三池が来てくれて浮かれてるのはわかるが、その辺でやめてやれって」
     その一言で鬼丸の楽しげだった顔が途端に真顔になり、そんなことはない、と低く平坦な声音が色づいた唇から吐かれるも、なにを今更、と重ねられた御手杵の言葉に鬼丸は、ぐぅ、と押し黙ってしまった。
    「……な? 距離感おかしいだろ?」
    「……そうだな」
    「頑張って慣れてくれ」
     鬼丸の前にもコーヒーを置いてやりながらの御手杵の無茶振りに、三池は眉間にしわを寄せながらも「善処する……」と自身に言い聞かせるように呻きに近い声を漏らしたのだった。
    「随分と賑やかですね」
     カウンター奥の暖簾をくぐり御手杵の隣に並んだ男は、三池を見るや愛想の良い笑みを浮かべた。御手杵と同じエプロンを身につけており、ネームプレートには『小狐丸』と書かれている。
    「この方がそうですか」
    「あぁ、『三池』だそうだ」
     御手杵になにやら確認してから小狐丸は改めて三池に顔を向け、軽く頭を下げた。
    「お噂はかねがね。鬼丸殿のお気に入りだそうで」
    「……おい、そんな事は一言も……」
    「今日はご予約も入っていませんし、奥の座敷でゆっくりされてはいかがです?」
     鬼丸の言葉を聞いていなかったのか、敢えて遮ったのかは定かではないが、長く艶やかな白い髪を揺らし、小狐丸は三池の顔を覗き込むように首を傾げる。
     ここの店員は揃いも揃って背が高いな、などとぼんやり思っていた三池は、突然の提案に目を二度三度と瞬かせ、問い返すように小狐丸を見上げた。
    「座敷?」
    「茶釜もあって茶も点てられるぜ」
    「いやそうではなく……」
     座敷の情報としては間違っていないのだろうが、少々ずれた御手杵の説明に三池が困惑の声を上げれば、隣の鬼丸が「見た方が早いだろう」と言うや即座に椅子から降り、三池の腕を引いた。
    「日本家屋を改装した店だからな。庭に面した座敷もある」
     まぁ滅多に使わんが、と付け加え、すたすた、と迷いのない歩みで三池の前を行く。成り行きで鬼丸とふたりきりになってしまった三池は、正直気が気ではない。
     しかも初めて会った小狐丸にまで特別扱いをされ、一体なにがどうなっているのかと、戸惑うばかりだ。
     座布団に腰を落ち着けたはいいが、きょろり、と落ち着きなく辺りを見回す三池の姿に、くつり、と鬼丸が喉奥で小さく笑う。
    「特別料金がかかる事はないから安心しろ」
    「そういうわけじゃ……」
     本気か冗談か、鬼丸の言葉に笑う事が出来ず、三池は困ったように眉尻を下げた。
    「店長が使っていいと言ったんだ。遠慮するな」
     きちんと正座をしている三池とは対照的に、鬼丸は、どかり、と胡座をかいている。隠す気のない白い脛に一瞬目を奪われるも、三池は即座に視線を逸らした。
    「……正直言うとな、来てくれるとは思ってなかった」
     ぽつり、と吐露された言葉に三池は驚き、逸らした視線を再び鬼丸へと向ければ、相手は引き寄せた煙草盆から煙管を取り上げたところであった。
     葉を詰めるでもなく、ゆらゆら、と手中で遊ばせる様は、これまでの余裕に満ちた男とは思えぬほどにどこか不安そうに見えた。
    「……まぁ、聞きたい事もあったからな」
     遠慮がちに三池が口を開けば、鬼丸は顔を上げ、なんでも聞いてくれ、と柔く笑う。表情一つでこうも受ける印象が変わるのも珍しいと思うも、三池は顔には出さない。
    「ではお言葉に甘えて。『大典太』とは誰だ?」
    「聞こえていたのか。昔の知り合いだ。お前によく似ていたんでな、懐かしくてつい口から出てしまった」
     僅かに目を伏せ、ふふ、と小さく笑む鬼丸はなにを思い出しているのか、今まで見た中で一番、優しい顔をしている。
     あぁまただ……、と三池は、ずくり、と疼く胸を無意識のうちに押さえる。
     正体のわからぬ焦燥感が湧き上がると同時に、何故か気分が高揚している自分に気づき、軽い困惑に意識が散漫になる。
     初めて鬼丸に触れられた時、骨も折れんばかりに掻き抱きたいとの強い衝動に駆られ、自分がそう思った事に驚き、動く事が出来なかったのだ。
    「三池? どうした」
    「……あぁ、いや。なんでもない」
     どこか遠くへ飛びそうになっていた三池の意識が、鬼丸に名を呼ばれ戻ってくる。胸を押さえていた手を膝へと下ろし、ふるり、と頭を振れば、心配そうに膝でいざり寄ってきた鬼丸の手が、そっ、と三池の頬に当てられた。
    「顔色が良くないな。少し横になった方がいい」
     三池が大丈夫だと言う前に鬼丸は腰を上げ、なにか冷たい物を持ってくる、と言い置くや、足早に部屋を後にする。ひとり残された三池は、鬼丸の手の感触が残っている頬に触れ、大きく脈打つ胸を再び押さえたのだった。
     随分と遅くなってしまった、と三池は街灯の点った道を足早に進む。仕事の打ち合わせの後、すぐに帰るつもりがなんやかんやと引き留められたが、酒の席をどうにか断ってきたのだった。
     フリーの造形師であるため依頼をしてくる会社とは円満な関係でいたいが、できることならば付き合いは最低限で済ませたいというのが本音だ。
     腕の時計で改めて時刻を確認し、行きつけとなった喫茶店の営業時間がとっくに終了していることに肩を落とす。それでもつい骨董品屋へと続く道に足を向けてしまった。
     営業時間は特に決まっていないと、以前鬼丸が言っていたのだ。大体、夜に開けていることが多いのだとも。それで商売が成り立つのかとまっとうな疑問をぶつければ、それなりにな、と薄く笑われた。
     その含みのある笑みが気にならなかったといえば嘘になる。
     明るいうちは店内の薄暗さも手伝って営業しているのか判別がつきにくかったが、今は引き戸のガラスから仄かに漏れ出る明かりが人が居ることを知らせている。
     見れば『商い中』の看板も表に出たままだ。
     引き戸に手をかけ、そのまま横に滑らせる寸前、店内に蠢く影に気づき、三池の喉が、ひゅっ、と鳴った。
     大きさは三池の胸あたりの背丈であろうか。かろうじて二足歩行の物体であると認識できたが、その姿自体は黒い靄のような物だ。
     昔から妙な物を見ることが多かったが、ここ暫くはなかったため油断していたとも言える。
     すっかりと固まってしまった身体は、ぴくり、とも動かず、だが、目だけは靄を追っている。決して早くはないが遅くもない速度で移動するそれは、まっすぐにレジスターのあるカウンターへ向かっていた。
     そこにはいつもと変わらず、鬼丸の姿があった。
     近づく靄に気づいていないのか、伏し目がちに手中の本の文字を追っている鬼丸に、じわじわ、と影が迫る。
     助けなければ、との思いとは裏腹に、身体は一向に動く気配はない。焦燥感でカラカラに乾いた口内では舌が張り付いてしまっている。
     カウンター内に入り込んだ影は一度視界から消え、鬼丸の身体を這いずり回るように下から徐々に姿を現した。
     それはまるで鬼丸に身を寄せ二本の腕が無遠慮に身体を撫で回しているように見え、瞬時に三池の頭に、かっ、と血が上る。
     衝動のままに戸を荒々しく開け店内へと踏み込めば、何事かと目を丸くし顔を上げた鬼丸と目が合った。
     常にない険しい顔をしている三池に気づいたか、鬼丸は手中の本を閉じ、静かに立ち上がる。
    「どうした?」
     三池が踏み込むと同時に靄はいずこかへと消え去っており、知らず三池の口から舌打ちが漏れた。初めて見る三池の粗野な態度に驚いたか、鬼丸はカウンターから出て相手の目の前に立った。
    「こんな遅い時間にどうした? おれになにか用でも?」
     穏やかに問うてくる鬼丸の声に、すぅ、と三池の頭が冷える。
    「……いや、その……」
     先までの勢いはどこへやら。すっかりと萎んでしまった三池の横を抜け、鬼丸は店の外へ出たかと思えば『商い中』の看板を手に戻ってきた。そのまま戸を閉め施錠するや、三池の背を、ぽん、と叩いた。
     促されるまま鬼丸と共に店の奥へ入り、通路を抜け、居住区である二階へと続く階段を昇っていく。
    「腹は減ってるか?」
    「……少し」
     躊躇いがちに三池が答えれば鬼丸は、そうか、と頷き、通りかかった部屋の襖を、ぼすぼす、と叩いた。
    「御手杵、なにか作ってくれ」
    「うぇぇ~? 今からかぁ?」
     間延びした声から察するにそろそろ寝るところであったのだろう。
    「頼む」
    「わかったわかった。部屋に持って行くから待ってろ」
     短いが声音に含まれた響きに折れたか、御手杵は、仕方ねぇなぁ、と笑いながら応じたのだった。
     すぐさま襖が、するり、と横に滑り、僅かに身を屈めた御手杵が顔を出すも、鬼丸と共にいた三池に驚いたか一瞬、動きが止まった。
    「おっと……」
     なにか言おうとするも言葉が出てこなかったか、御手杵は愛想笑いを浮かべるにとどめ、ふたり分か? と鬼丸に問う。
    「あぁ、軽くでいい」
    「了解。握り飯と汁物でいいか?」
    「助かる」
     ふたりのやり取りを居心地悪そうに見ていた三池を促し、鬼丸は再び廊下を進んでいく。その背が一室に消えたのを確認してから御手杵は階段を降り、骨董品店の方を覗き込んだ。
    「なにがあったんだ?」
    「いや、なに。いつも通り『客』が来ていたんだが、大典太に見つかってしまってな。奴の気迫に怯えて逃げ帰ってしまったぞ」
     着物の袖口で口元を隠し、気の毒になぁ、と薄く笑んだ男に御手杵は、そりゃ可哀想になぁ、と応じる。
    「大典太が越してきたのが三ヶ月前くらいだったか。あれの霊力にやられて小妖は随分と消耗しちまってたからなぁ」
     元から妖相手の商売が主であったが、最近では夜な夜な訪れる弱った小妖たちに鬼丸が霊力を分け、その見返りとして受け取った物品が店に並んでいる。
     中には霊力云々は関係なく鬼丸自身を目当てとしている者もいるが、そのあたりは巧いことあしらっているようだ。
    「ところで、鬼丸が大典太を連れ込んだようだが、如何わしいことをするつもりではあるまいな?」
    「冗談でもそういうこと言うのやめろよなぁ。ただでさえもあいつの距離感おかしいんだからさぁ」
     あんたもあの時に見てただろ三日月、と御手杵が苦い顔をすれば、初めて三池がここを訪れた時のことを思い出したか、三日月は、はっはっは、と快活に笑った。
    「わかってる、わかってる。あれが鬼丸なりの気の使い方なんだろう」
     何を話すのかは知らぬがな、と上階を見上げ三日月は、やわり、と眦を下げた。

     鬼丸の私室へと通された三池は遠慮がちに、きょろり、と室内を一度見回してから、促されるままに座卓の前に腰を下ろした。
     小さな冷蔵庫から取り出されたペットボトルを受け取り、小さく礼を述べる。
    「……仕事だったのか?」
    「あ、あぁ、打ち合わせで、遅くなった……」
     ぽつ、と問うてきた静かな声に三池は隠すことでもないと素直に答え、鬼丸は、そうか、とやはり静かに返してくる。
    「夜道は物騒だ。まっすぐ帰れば良かっただろうに」
    「……あんたの顔が、見たくなって……寄ったんだ」
     これを正直に言うのは気恥ずかしいとの思いもあったが、下手に誤魔化して不審がられるのは本意ではないと、三池は躊躇いの勝った声音で、もご、とどうにか言葉を押し出した。
    「そうか。その割には殴り込みをかけるような物凄い剣幕だったが?」
     くつり、と喉を鳴らした鬼丸の口調はどこか楽しげで、先の光景を思い出した三池は瞬時に険しい顔つきになる。
    「それは……」
     ここで見た事を馬鹿正直に告げたところで気味悪がられるか、精神に欠陥があるのではないかと思われるのは、過去の経験から目に見えている。
     言葉に詰まり俯いてしまった三池を、じぃ、と探るように見つめた後、鬼丸は、ゆうるり、と口を開いた。
    「なにが、見えた?」
     その問いに三池が弾かれたように顔を上げる。
    「そうか。あれが見えていたのか。さぞや驚いたことだろうよ」
     あれの存在を自分も認識していたのだと鬼丸が先に言ってやれば、三池は驚愕に目を見開いてはいたが、強張っていた肩から力が抜けたのが見て取れた。
     ただし、鬼丸はこう言っているが、三池が人ならざる者の姿を捉える事が出来るであろう事は予想していたのだ。
     本人に自覚はないであろうが強すぎる霊力を放っている為、力の弱い小妖は彼から逃げるように身を隠してしまうが、そこそこ力のある妖となれば話は別で、逆にその霊力に惹かれて近づいていくのだ。
     大半は三池自身に触れる事すら出来ずに退散していったであろうが、それでも何度かは危険な目に遭った事があると、鬼丸は見ている。
    「あれに害はない。お前が警戒する必要はないから安心しろ」
    「確かにあんたを助けなければ、とは思ったが……でも、それだけじゃないんだ……」
     鬼丸に纏わり付く靄を見た時の腹の奥底から湧き上がった衝動や、今も胸に渦巻くモヤモヤとした感覚に三池自身も戸惑っているのか、ひとつひとつ確かめるかのように言葉を押し出していく。
    「あれが無遠慮にあんたに触れている事に、腹が立ったというか……あんたに触れていいのは、俺だけだ、と思って……いや、おかしな事を言ってるな、すまない」
     改めて感じた事を言葉にしていくうちに、抱いていたのが独占欲だと気づき、三池は自分の感情が処理しきれないのか、これ以上おかしな事を口走らないよう口元を押さえ、視線を左右に彷徨わせながら小さく詫びた。
     突然このような事を言って不快な思いをさせたのではないかと、激しく後悔している三池に追い打ちをかけるように鬼丸は無言のままだ。
     重苦しい空気に耐えかね、いとまを告げようと三池が口を開きかけたその時、微かな衣擦れの音と共に鬼丸が三池の傍へと寄り、ぴたり、と身を添わせてきた。
    「……前にも言っただろう?」
     そして、耳元に唇を寄せ吐息を吹き込むかのように囁く。
    「お前が相手なら構わないぞ」
     するり、と頬を撫でる掌に抗う事なく、三池は目を見張ったまま首を横へと向ける。間近にある鬼丸の顔を穴が開くほどに凝視していれば、相手の唇が緩やかに弧を描き、ちら、と覗いた犬歯に胸がひとつ大きく鳴った。
     いつぞやと同じ光景に三池の脳が、くらり、と揺れる。
     頬を撫でた手がそのまま宵闇色の髪を一房、するり、と指に巻き付ける。
     あぁまただ、と三池は無意識に上がりかけた腕を引き下ろし、ぐっ、と奥歯を噛み締める。
     鬼丸に触れて、その身を一部の隙間もなく掻き抱きたいとの欲がないと言えば嘘になる。だが、それは果たして己の意思であるのか、得体の知れないなにかに突き動かされているだけなのではないかとの、懸念が拭いきれないのだ。
     三池の葛藤を知ってか知らずか、鬼丸の薄く開いた唇が、やわり、と相手の下唇を食み、舐り、軽く吸い上げる。
     胸元に添えられていた手が決して強くはない力で三池の身体を押した。
     驚くほどあっさりと畳に倒れ込んだ身体に乗り上げ、天井からの明かりを背に受けた鬼丸が猫のように、にぃ、と目を細める。
     両の手で頬を包み、柔く撫で、耳たぶを戯れに指先で擽ってくる鬼丸の口角は僅かに上がり、とろり、と熱を帯びた瞳の奥には欲が見え隠れしている。
     これが質の悪い冗談であれば、三池もただ黙ってされるがままにはなっていない。積極的な行動とは裏腹に鬼丸の指先は冷たく、それに反して掌はしっとりと汗で湿っている。
     緊張しているのか……、と三池は急に冷静になった頭でつぶさに相手の様子を窺う。
     昔から感情を外に出すのが下手で、周りからもよく誤解をされていた。それは治っていないのか、と内心で苦笑を浮かべるも、これは一体いつの記憶であるのか。そのような覚えは自分にはないと三池は、はっ、と我に返った。
     再び寄せられた唇が軽く触れ、閉じた境目を舌先が辿っていく。それを招き入れる事はせず、そっ、と鬼丸の胸に掌をあてる。三池は軽く押し戻すつもりであったのだが、触れた先で早鐘のように鳴り響く心音に驚くのと同時に、鬼丸が弾かれたように身を起こした。
     あ……、と小さく零れ落ちた鬼丸の声から察するに、自分でも予想外の反応であったのだろう。
    「……俺なら触れて構わないんじゃなかったのか?」
    「それは、嘘じゃない……」
     これまで好きにされた事に対するちょっとした仕返しのつもりで三池が問えば、鬼丸は視線を左右に彷徨わせながら小さく答える。
     跨がったままの鬼丸を見上げ、さてこれからどうするか、と三池が思案していれば、不意に、すたん、と襖が開いた。
     見れば両手で盆を持った御手杵が行儀悪く襖を足で開けた格好で呆れた顔をしている。
    「人に飯頼んでおいて如何わしい事してるのやめろよなぁ」
     こっちが困る、とぶつくさ言いながら、ずかずか、と入り込み、どん、と座卓に盆を下ろした。
    「続きは食ってからにしろよ。じゃあなお休み」
     言うだけ言って出て行った御手杵をふたりで見送り、無言のまま鬼丸は三池から降り、三池も黙って身を起こす。
    「……食うか」
    「……そうだな」
     互いに目を合わせぬまま不格好な握り飯を手に取り、もそり、と数口食んでから、鬼丸が顔を上げた。
    「本当に、嘘じゃない」
    「……うん」
    「ふざけている訳でも、揶揄っている訳でもない」
     それは信じて欲しい、と目を伏せた鬼丸に三池はただただ、うん、としか答えられなかった。
     ことん、とコーヒーと共に置かれた皿に三池は怪訝な顔を小狐丸に向けた。
    「……頼んでいないんだが」
     色取り取りのフルーツや生クリームの添えられたパンケーキを前に戸惑っている三池に、小狐丸は、にこり、と店員としてなら満点の笑みを浮かべる。
    「彼からのサービスですよ」
     そう言って視線と共に手で示した先には、白いワイシャツに黒のスラックスという何の変哲もない服装でありながら、一度見れば忘れる事はないであろうほどに端麗な顔立ちの男がいた。
     だが、やわり、と目を細め、ひらり、と手を振る男に三池は覚えがない。
     誰だ、と口には出していないが顔にはありありと表れている三池に気づいたか、一番奥まったカウンター席に座っていた男は流れるような動作で立ち上がり、音もなく移動してきた。
    「三条という。まぁ、こことあちらのオーナーというやつだな」
     あちら、と言いながら指した先は骨董品店の方だ。
    「家屋も土地も彼の所有物ですよ」
     小狐丸の補足に、そうなのか、と思うも、彼からサービスを受ける理由にはなっておらず、三池は相も変わらず怪訝な顔のままだ。
    「鬼丸のお気に入りだと聞いたのでな。俺からの挨拶だと思ってくれ」
     その名が出た途端、三池の眉が一瞬寄った。
     先日の一件で正直ここに顔を出すのも気まずいのだが、だからと言って一度足が遠のけば次に来る時には更に気まずさが増すのは明白であると先の事を考え、三池は気力を振り絞って通っているのだ。
     しかしあれ以降、鬼丸は骨董品店にも喫茶店にも姿を見せていない。
     避けられているのかと思ったが、御手杵が言うには体調が優れず休養しているとの事であった。大したことはないとも言っていたが、それでも三日も伏せていれば心配にもなるというものだ。
     見舞いたいがそこまで踏み込むのはさすがに図々しいと思い、三池はそれを言い出せないままでいる。
    「今日は鬼丸さん居ないんですかぁ~」
     不意に耳に飛び込んできた声に三池の肩がわかりやすく跳ねた。
     そろり、と窺うように店内に目をやれば、御手杵が女子高生が囲むテーブルに捕まっていた。
    「今日はもなにも、あいつこっちの店員じゃないからなぁ」
     緩く応じる御手杵に、えーでもー、と女子高生は食い下がったかと思えば「ここでバイトすれば会うチャンス増えるんじゃない?」と言い出し、きゃっきゃ、と盛り上がっている。
    「……だそーだけど、店長?」
     くるり、とカウンター側に向き直った御手杵が小狐丸に丸投げすれば、やはり店員としては百点満点な笑みと共に店長が口を開いた。
    「人手は足りておりますので熱意だけ受け取っておきますね」
     その返答に、ざーんねーん、と言いつつも笑っている彼女らは、そこまで鬼丸に執着している訳ではないのだと、三池は内心で胸を撫で下ろす。
    「あれくらいなら微笑ましいものです」
     小声で零した小狐丸は確かに笑顔ではあるが、その目は一切笑ってなどおらず、奥には底冷えのする光が見え隠れしている。
    「しつこいのはほんとしつこいからなぁ」
     戻ってきた御手杵が、げんなり、といった調子でぼやき、どかっ、と三池の隣に腰を下ろした。
    「鬼丸が住み込みじゃなかったら、絶対帰り道とかつけられて面倒な事になってたやつだろ」
     以前、鬼丸目当ての客が居るとは聞いていたが、まさかそこまでとは思っておらず、三池は驚いたように御手杵を見た。
    「今はもう来ないけど、前に厄介なのが居てな。見かねて俺が鬼丸を引っ込ませたんだけど、あいつ危機意識が薄いというか、面倒だな、くらいにしか思ってなくてさぁ……いろいろな距離感がおかしいんだよマジで」
     一度強引に引っ込ませてからは「面倒な奴の相手はしなくていい」と解釈したのか、鬼丸が自主的に引っ込むようになったのは果たして良いのか悪いのか。
     御手杵の嘆きを聞き、三池は真っ先に三条に目をやってしまった。今はもう来ない、と聞いた瞬間、何故かこの男が絡んでいると思ってしまったのだ。
    「どうした?」
    「……いや、なんでもない」
     軽く首を傾げる三条に、ゆるり、と首を振り、三池は誤魔化すようにパンケーキにナイフを入れる。
    「彼女たちにはああ言いましたが、貴方でしたら歓迎しますよ」
    「おぉ、それはいいな。いっそここに住むか? 俺は構わんぞ」
    「毎日通う手間も省けるしいいんじゃね?」
     三者三様の畳み掛けるような言葉に、ごふっ、と三池が噎せた。
    「な、んでそんな話に、なるんだ……」
     とんとん、と胸を叩きながら三池が問えば、三人は一度顔を見合わせてから、「鬼丸のお気に入りだから」と当たり前の顔で言い放ったのだった。
     揶揄われたと思ったか三人の言葉を真に受けず、冗談はよしてくれ、と困り顔で帰って行った三池を笑顔で見送った御手杵だが、彼の姿が見えなくなった所で表情が一変した。
    「で? 本当のところはどうなんだ」
     澄まし顔でカップを傾けている三日月と、カウンター内から腕を伸ばし食器を下げている小狐丸に眇めた目を向ける。
     考えもなしにこの狐が思いつきであのような事を言い出すとは思えず、更には三日月までもが同調した為、御手杵は咄嗟に話を合わせたのだった。
    「面倒な事になる前に目の届くところに置いておきたい、といったところですかね」
     小狐丸の言葉に、うむ、と三日月が緩く頷く。
    「彼奴の住まいを見てきたが、少々厄介なモノが集まって来ててな。本人は自身の霊力で弾いてるから気がついていないだろうが、周りに影響が出てきているというのが現状だ」
    「うへぇ……あれか。世間一般的には怪奇現象とか心霊現象とか言われる系か」
    「そう言う事だ」
     なんの変哲もないアパートが気がついたら怪奇スポットになっていましたなど、住人からすれば笑い話にもならない。
     ちら、と上階を気にする御手杵に「彼には黙っておいた方がいいでしょうね」と小狐丸が先んじて釘を刺した。
    「一も二もなく斬りに行くと言い出しかねません」
    「さすがに今は行かせられないよなぁ」
     この三日で鬼丸の元に訪れる小妖の数が、昼夜問わず跳ね上がったのだ。先日の教訓を生かし店ではなく私室で対応している為、鬼丸はほぼ缶詰状態であった。
     原因は三池の霊力が更に強くなったという事が挙げられるが、そもそも切っ掛けを作ったのは鬼丸である。
    「刀の頃の記憶が戻ってきている証拠ではあるのですが、制御するところまでは至っていないのが問題ですね」
    「あんなん垂れ流されたら周りはたまったもんじゃない」
     ぶるり、と身を震わせる御手杵に、全くです、と口では同意しつつも、小狐丸に動じた様子は一切ない。これだから三条派は、とぼやく御手杵に三日月は、にこにこ、と笑みを浮かべるだけだ。
    「まぁ確かにここに囲っちまえば三日月が抑えてくれるから、周りの被害は減るけどな」
     これが現状における最善策である事は御手杵も理解した。だが、どうにも煮え切らない彼の様子に三日月も小狐丸も首を傾げる。
     天井を見上げ、うーん、とひとつ唸ってから御手杵は深々とため息をついた。
    「……多分、三池の身が保たない」
     ただでさえも鬼丸は距離感がバグっている上に、先日の馬乗り事件である。幸いにも未遂で終わったようだが、御手杵は今の三池が鬼丸をいなせるとは到底思えないのだ。
    「それは……うん、どうだろうなぁ」
     一体どこまで知っているのか、にこにこ、と笑みを絶やす事なく三日月は、そこまで心配せずとも良いと思うぞ、と暢気に言い放つ。
    「彼の住まいの方は私がなんとかしましょう。一時凌ぎでしかありませんが、やらないよりはマシでしょうから」
     今晩にでも行って参りましょう、と目を細め口角を上げた小狐丸の隠しきれない野性に、これだから三条派は、と御手杵は再度胸中でぼやいたのだった。

     ぼすぼす、と襖を軽く叩いてから、入るぞ、と一声かけ、御手杵は襖を滑らせた。
    「飯、食えるか?」
    「あぁ」
     枕を抱えるように布団に突っ伏していた鬼丸が、のそり、と気怠げに身を起こす。窓の隙間から、するり、と出て行く影が視界の端に引っ掛かり、御手杵は室内を、ぐるり、一瞥した。
    「今ので最後か」
    「そうだ」
     浴衣の袷を整えながら応じる鬼丸に、御手杵は隠す事なく眉根を寄せる。
    「程々にしておけよ。いくら見返りを寄越すとはいえ、調子に乗って悪さする奴が出てこないとも限らない」
     壁際に一纏めに置かれている壺や巻物、怪しげな丸薬などを手にするも、興味はないのかすぐに元の位置に戻しながら御手杵が苦言を呈すれば、鬼丸はしばし黙り込んだ後にさして気にした様子もなく口を開いた。
    「あいつらもそこまで莫迦じゃない。ここで騒ぎを起こそうとは思わないだろうよ」
     一癖も二癖もある三条の刀と、急所を一撃で貫く槍が居るのだ。取り入ろうとするモノは居ても、進んで敵対したいと思うモノは少ないだろう。
    「……そう言う事じゃないんだよなぁ」
     だが、御手杵は困ったような、呆れたような顔で後ろ頭を、がしがし、と掻いてから、まぁいいか、と話を打ち切った。
     何度も言うが今の鬼丸は距離感がおかしいのだ。
     小妖に霊力を分けるにしても身体中を撫で回す必要はないというのに、それを放置している時点で御手杵の危惧が伝わる訳がないのだ。
     本来ならば鬼丸国綱という刀も大典太光世に引けを取らず畏怖される霊力を持っていたが、今世では半人半妖であるが故か霊力の質は良くとも純粋な力としては半減といったところだ。
     そのうち、比喩的にも物理的にも、ばくり、とやられてしまうのではないかと、御手杵は正直気が気でないのだった。
     骨董品店の前まで来た三池は休業中の看板にため息をつき、物音ひとつしない店内を覗き込んで、またため息をついた。
     仕方がない、と踵を返し喫茶店へ向かうも、こちらの扉前にも『休業中』の看板が置かれており、ここに通うようになってから初めての事に言葉もなく立ち尽くしてしまう。
     以前から決まっていたのならばオーナーと店長が揃っていた昨日の時点で、誰かしらが教えてくれたはずだ。店内にもそのような告知は一切なかったと記憶している。
     道路に面した窓にはロールカーテンが下ろされており、店内の様子を窺う事は出来ない。
     諦めて立ち去ろうとしたその時、からん、と小さくドアベルが鳴った。振り返れば細く開いたドアの隙間から見慣れた顔が覗いている。
     よぅ、といつもの緩い声音で挨拶してきた御手杵は、まぁ入れよ、と三池を手招いた。
    「いいのか? 休みなんじゃ……」
    「いいっていいって。せっかく来たんだから寄っていけって」
     休みであるにも関わらずエプロンをつけている御手杵の姿から察するに、明日の仕込みをしていたのだろう。仕事の邪魔になるのではないかと遠慮する三池の腕を引き、御手杵は少々強引に店内へと引き摺り込んだ。
    「コーヒーとトーストくらいしか出せないけどいいか?」
    「あ、あぁ……」
     定位置のカウンター席へと腰を下ろし、どこか居心地の悪い顔をしている三池に御手杵は、悪いな、と一言詫びる。
    「小狐丸が野暮用で出ちまってるから、俺ひとりじゃ店回せなくてなぁ。三条は居ても役に立たねーし」
     かりかり、と手挽きのコーヒーミルを回しながら、はは、と笑う御手杵に、そうか、と返し、三池はしばし迷った後、鬼丸は? と問うた。
    「ん? んー、今は……多分、寝てるな」
     時刻は正午を少し回ったところだ。
    「腹が減れば起きてくるだろ」
     軽い調子で答える御手杵は、心配する事はない、と言いたいのだろう。
    「昨日、小狐丸が言ってたの、冗談に聞こえたかもしれないけど実は本気なんだよなぁ」
     助っ人の当てがない訳ではないが、前もって連絡していない以上、急な欠員を埋めるのはほぼ不可能に近い。
    「……俺が居たところで、役に立つとは思えないがな」
     接客に不向きな事は自分がよくわかっている、と三池が自嘲でも何でもなく思ったままを口にすれば、いやいや、と御手杵は大仰に首を振って見せた。
    「三池が居ると鬼丸が超やる気になる」
     真顔で言い切られ、三池は咄嗟に言葉が出ず、ぽかん、と御手杵を見上げるしかない。
    「滅多にやらないけど、料理上手なんだぜ」
     まかない飯が美味いんだ、とこれまで出た物を思い出しているのか、御手杵の頬がだらしなく緩む。
    「……なんで俺なんだ」
     ぽつり、漏れ出た言葉に三池自身驚いたか、はっ、と一瞬目を見張るや、なんでもない、と緩く首を横に振りすぐさま顔を伏せてしまった。
     困惑の色が濃い三池の様子に、御手杵は内心でため息をつく。鬼丸のアプローチの仕方がまずいせいで、肝心な気持ちが一切伝わっていないのは一目瞭然であった。
     だがここで御手杵がどう言い繕ったところで、鬼丸自身が気づかなければ同じ事の繰り返しで泥沼にはまるだけである。
     そして御手杵はもう鬼丸に理解させる事は正直諦めてしまっている。感覚で言えばボタンを一つ掛け違えている程度の些細なことであるが、あと一歩のところで話が通じないのだ。
     まいった、と思わず天を仰いでしまった御手杵だが、へにゃり、と下がっていた眉が瞬時に吊り上がる。だが、御手杵が動くよりも先に、がたり、と大きな音を立てて三池が立ち上がった。
     自分よりも早く異変を察知した三池も気になるが、今は鬼丸の事だ、と、止める間もなく走り出した三池を追うように、御手杵も駆ける。ふたりが向かう先は、上階の鬼丸の部屋だ。
     部屋に近づくにつれ御手杵は鬼丸の霊力が急速に失われている事が手に取るようにわかり、一瞬にして顔色を無くす。
     襖を蹴破る勢いで踏み込んだ三池が蹈鞴を踏み、一歩遅れて到着した御手杵は室内の光景に言葉を失った。
     ぎちり、と全身に巻き付いた蔦が鬼丸を締め上げ、自由を奪っている。それだけでは飽き足らず、絡んだ蔦が霊力を吸い上げているのだった。
     なにが起きているか理解できていないのか、茫然自失で立ち尽くしている三池の脇を抜け、御手杵は素早く室内に目を走らせ蔦の発生源を特定する。
    「昨日のあれか……ッ」
     小妖が霊力を貰う対価として持ってきた壺や巻物と一緒に置いてあった丸薬だ。
     ――否。あれは丸薬ではなく『種子』であったのだ。
     種子が入っていた薄汚れた袋は内側から弾け飛んだか、千々に分かれた残骸が散らばっている。
    「厄介なモン持ってきやがって!」
     恐らく霊力を養分として成長する妖樹の一種なのだろう。
     捕食する為の蔦を持っているがこれが使われる事は極稀で、そもそもこの手の種子は『生きている』妖や人に植え付け、苗床となったそれらの霊力や精気で成長し、実をつける。
     その実には霊力や精気が蓄えられており、食せばそれらを取り込めるという訳だ。
     鬼丸の霊力を吸い、見る間に太さを増していく蔦を前に、御手杵は、ぎり……、と歯を鳴らす。
     斬ったり薙いだりする事の出来ない自身の槍が、今ほど恨めしく思った事はない。しかも発生元の種子を突き穿とうにも、室内で振るうには長すぎるのだ。
     それでもこのまま鬼丸が衰弱していくのをただ黙って見ている訳にはいかないと、鬼丸に駆け寄り絡んでいる蔦を引き剥がそうと力を込める。
    「……っ駄目、だ……放せ……おまえも……」
     かひゅ、と苦しげに喘ぎながらも鬼丸は御手杵をなんとか離れさせようと、ろくに動かせぬ腕を上げようとするも、蔦がより強い力で締め上げ引き下ろす。
    「黙ってろ!」
     蔦を握った箇所から、ぞるり、と力が抜けていくのがわかっても、御手杵は手を放そうとはしない。
    「御手杵ッ!」
     一際強く鬼丸が槍の名を叫んだ刹那、御手杵の背後で、ぶわり、と霊力が膨れ上がった。
     質量を伴うほどのそれに御手杵は反射的に振り返る。
     そして、確かに見たのだ。
     三池の手中で白刃を煌めかせる刀を。
     天下五剣のひとつである大典太光世を。
     膨大な霊力を纏った刀身が横薙ぎに払われ、無音の衝撃の中、蔦と種子は一瞬にして塵と化した。
     知らず詰めていた息を吐き出し、御手杵は、がくり、と頭を落とす。
    「鬼丸、生きてるか……?」
    「……あぁ」
     色の失せた頬を、ぺちぺち、と叩けば、瞼こそ持ち上がらなかったが、掠れた声が返ってきた。
    「三池……? 大丈夫か?」
     呆然と立ち尽くしている三池に声をかければ、はっ、と夢から覚めたかのような面持ちで、こくん、と首が縦に振られた。
    「悪いけど鬼丸についててやってくれ」
     よっこいせ、と怠そうに立ち上がった御手杵は、ジーンズの尻ポケットから携帯端末を引き抜き、通り過ぎ様に、頼んだ、と逆の手で三池の肩を、ぽん、と一叩きしてから部屋を出て行ったのだった。
     残された三池はどこか恐る恐るといった足取りで鬼丸の傍へ寄り、畳に尻をついた。
    「……て」
     鬼丸がなにか口にしたが呼気に溶けてしまったそれを聞き取る事が出来ず、三池は僅かに身を屈め、なんだ、と静かに聞き返す。
     うっすらと開いた唇が再び動き、三池は更に身を屈め口元に耳を寄せた。
    「……手を、握って……欲しい」
     思いもかけぬ願いに三池は驚いたように鬼丸の顔を凝視するも、伏せられた瞼が開く気配はない。
     微かに震える睫を見つめたまま、三池はそっと鬼丸の手を掬い上げ、両の掌で包み込んだ。
     ふっ、と和らいだ鬼丸の表情に三池は無意識に安堵の息を漏らすも、こちらの体温を奪っていく氷のように冷たい手に険しい顔になる。
     元から透き通るような白い肌をしているが、今は血の気がなく青白い。
     体温が低下し内部から熱を発する事が出来ない今の鬼丸には、布団を掛けたところで無意味だろう。
     これまで鬼丸が触れてくるたびに、得も言われぬ衝動が胸の奥から、腹の奥底から湧いてきた。
     そのたびにそれは自分の感情ではないと押し止めてきた。
     だが、これは自分の意志であると、三池は――大典太は鬼丸の隣に身を横たえ、記憶よりも細くなった身体を抱き込んだ。

     階下の物置部屋をひっくり返しながら、御手杵は「頼むよー、なー」と通話相手に懇願を続けている。
    「小狐丸は大掃討中だし、三日月もそっち行ってるし、鬼丸も大変な事になってるしで、俺ひとりじゃ手が足りないんだよ」
    『うーん、手伝ってあげたいのはやまやまだけど、僕も仕事があるからねぇ』
     穏やかに、ごめんね、と言われてはこれ以上食い下がる事は出来ず、御手杵は肩を落とした。
    「そうかー、そうだよな。うん、無理言って悪かった」
     じゃあな、と通話を終わらせ、御手杵は気を取り直して探し物に専念する。料理教室を開いている燭台切に来てもらえれば相当負担が減ると考えたが、そう巧くはいかない物だ。
    「霊力回復の札~、石切丸が作ってくれたのは覚えてんだけどなぁ」
     どこだ~札~、と無駄とはわかっているが呼びかけながら引き出しや積まれた箱の中を覗き込んでいる最中、玄関チャイムが鳴り響いた。
     だが、御手杵は居留守を決め込み、がさがさ、と荷物の山を漁り続けている。
     勧誘やセールスなら諦めて帰るだろうと思っていたが、予想に反して再度チャイムが鳴った。
     二度、三度と鳴るそれに、今はそれどころじゃねぇってのに! と焦り半分、苛立ち半分で玄関へと向かい、その勢いのまま荒々しくドアを開いた。
    「なんだよ、今忙しいん……だ、けど?」
    「散々待たせてそれかい? ずいぶんなご挨拶だね」
     仕立ての良い訪問着を身に纏い、風呂敷包みを手に立っていたのは歌仙であった。意外な人物を前に御手杵が、ぽかん、としているのを意にも介さず、歌仙は「お邪魔するよ」と脇を抜け遠慮なく上がり込む。
     膝を折り脱いだ草履をきちんと揃えている歌仙の頭を見下ろしていた御手杵だが、困惑混じりの声で、なんで歌仙が? と問いかけた。
    「三日月から連絡を貰ってね。御手杵ひとりで困ってるだろうから、手を貸してやってくれ、と」
    「でも、あんた、お茶の先生やってるんだろ? こっち来て大丈夫なのか」
     つい先ほど燭台切に断られたばかりであるからか、御手杵が遠慮がちに聞けば、歌仙は軽く肩をすくめて見せた。
    「何故かは知らないけど予定が把握されていてね。今日はたまたま身体が空いていたんだよ」
     本当にどの時代でも彼は得体が知れないね、と困惑と言うよりは呆れに近い声音でぼやく歌仙に、それは同意だな、と御手杵も頷いて見せた。
    「それで、僕はなにをすれば良いのかな」
     柔和な笑みを浮かべる歌仙を前に、御手杵は一瞬目を泳がせ、あーいやなんというか、と口籠もる。三日月から連絡を受けた歌仙は恐らく、喫茶店の手伝いとしか思っていないだろう。
     このまま黙っていても、現状を洗い浚い話しても、般若が爆誕するのは避けられそうもない。ならば下手に隠し立てせず素直に助けて貰おうと、御手杵は重い口を開いた。

     すり、と足を絡ませてくる鬼丸の顔を覗き込もうとするも、胸元に潜り込むように額を擦り寄せてきているため、大典太から見えるのは旋毛と角だけだ。
     腕は、だらり、と伸びたままで背に回される気配はなく、小声での呼びかけにも答える様子がない事から、熱源を求めての無意識下での行動なのだろう。
     すっかりと眠りの淵に腰を落ち着けてしまった鬼丸を抱いたまま、大典太は自身の事を整理しようと静かに目を閉じた。
     幼少期は空想と現実の区別がつかない子供だと言われていた。
     見たモノ、見えたモノをそのまま正直に言っていただけであるのだが、それが自分にしか見えていないのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。
     それでも全てを隠し通す事が出来ず、不用意な発言によって奇異な目を向けられる事もあった。
     成人してからは極力人付き合いを減らし、造形師としてやっていけるようになったと思った矢先、妙な噂が立つようになった。
     人、動物問わず、生き物がモチーフであれば、それら請け負った一点物のフィギュアが動くというものであった。
     飾っていた場所から少しずれていた程度ならば、気のせいや、振動で位置が変わるという事もあるだろう。だが、明らかにあり得ない場所まで移動していたり、あまつさえは手足の角度まで変わっていた、などという話まで出てきたのだ。
     面倒を避ける為それ以降、生き物は一切作っていない。
     今ならばわかる。無意識に放っていた強い霊力を受け、付喪と化したのだと。
     制御できない力ほど厄介なモノはないな、と知らず自嘲の笑みが漏れ出た。
    『三池光世』として生きた時間は、『大典太光世』からすればほんの瞬き程度の時間でしかない。
     それでも今世では、ほんの数分前までは確かに『三池光世』であったのだ。
    『三池光世』でなければ、この鬼丸には会えなかったのだ。
    『三池光世』であったからこそ、見る事の出来る鬼丸の姿があるのだ。
     それを失うのは少々惜しい気がするな、とこれまで散々もやもやしたことは棚に上げ、大典太は目の前の角に唇を寄せた。
     規則正しい寝息に誘われるように大典太の瞼も徐々に下がり、とろとろ、と心地よい微睡みに浸っていれば、鬼丸が時折むずかるように鼻を鳴らす。そのたびに緩んでいた腕で引き寄せてやれば、先とは違い満足そうに鼻を鳴らす。
     まるで猫だな、と夢うつつに思っていれば、廊下の軋む音で瞬時に大典太の意識が覚醒した。
     御手杵とは違った気配に警戒するも、失礼するよ、と襖の向こうから静かに掛けられた声には覚えがあった。
     すっ、と横に滑った襖から姿を現した菫色に向かって、大典太は僅かに首を擡げた格好で口の前に人差し指を立てて見せる。その仕草で察したか、歌仙は音もなくふたりへ近づき、足下でぐしゃぐしゃになっていた布団を、そっ、と腰のあたりまで引き上げた。
    「少々、目に毒だったのでね」
     本気か冗談か、ふふ、と笑みながら顔を向けてきた歌仙に、大典太はどう返した物かと困ったように片眉を上げるにとどまった。
    「初めまして。僕は細川という。三条に呼ばれてきたんだよ」
     見ず知らずの人間が突然やってきて困惑していると思ったか、歌仙は余所行きの声と笑顔で挨拶してから、少し様子を見たいのだけれど良いかな? と鬼丸に視線を向けてから大典太に目を戻す。
    「……あぁ」
     小声とはいえここまで至近距離で話していても鬼丸は一向に目覚める気配がなく、よほど乱暴な事をしなければ大丈夫だろうと、大典太は体勢は変えずに小さく頷いて見せた。
    「では失礼して」
     顔にかかった前髪を慎重に指先で寄せ、歌仙が鬼丸の顔を覗き込む。次いで首筋に触れ、暫し目を閉じていたかと思えば、うん、と微かに首を縦に揺らしてから静かに立ち上がった。
    「お茶を持ってこよう」
     なにがわかったのかは口にせず、歌仙はそれだけを言い置いて来た時同様、音もなく退室したのだった。

     とんとん、と階段を降り、喫茶店側へと足を踏み入れた歌仙は、先までの柔和な笑みは形を潜め、非常に険しい顔をしている。
    「鬼丸国綱は莫迦なのかい?」
     開口一番のそれに御手杵は、俺からはなんとも、と困ったように笑うしかない。
    「君も、策もなしに行動するのは控えたまえよ」
    「それについては耳が痛い」
     ずずっ、と歌仙特製のお茶を啜りながら御手杵がしおらしい態度を見せれば、歌仙はそれ以上なにか言うつもりはないのか、まったく、とだけ漏らしてカウンター内へと移動する。
    「三日間、ほぼ休みなく霊力を消耗した所に、今回のダメ押しだ。以前の彼ならともかく、今の彼はそこまで霊力が潤沢という訳じゃない。そのあたり自覚があるのか疑わしいね」
     持参した風呂敷包みの中からいくつもの茶葉や粉末を取り出し、それぞれを文明の利器であるデジタルスケールで計量していく。
    「ちゃんと回復するまでついていられればいいんだけど、そうはいかないから」
     各材料の名称とグラム数を紙に書き留めながら調合している歌仙に、マメだよなぁあんた、と御手杵は感心しきりだ。
    「まさかこうなるとは思っていなかったよ」
     三日月から連絡を受けた際、ならば討伐から戻ってきたふたりを労おうと持ってきた物が違う事で役に立つとは、と歌仙も複雑な心境である。
    「大典太の方はどうだった?」
    「なんとも言えないね。警戒されていたのかほとんど口をきいていない。まぁ、彼は昔からあんな感じだったとも言えるから、決定打がないというのが本音かな」
     顔馴染みが不意に現れればなにかしら反応があるのではないかと思っていたが、鬼丸とは違った方向でそうそう感情を表に出す太刀ではなかったと、御手杵は途方に暮れた顔になる。
    「なにか思い出したから、刀も出たと思ったんだけどなぁ」
     あの状況で記憶が蘇れば一も二もなく鬼丸に駆け寄ると思ったのだ。だが実際は腑抜けたように立ち尽くし、まったく反応がなかった。
    「莫迦正直に正面から『記憶戻ったか?』なーんて聞けないしなぁ」
     お手上げだー、と言いながらカウンターに突っ伏した御手杵の旋毛を見下ろし、歌仙は作業の手を止めぬまま「彼の方からなにか言ってくるのを待つしかないね」とさりげなく釘を刺したのだった。

     再び襖の向こうから、失礼するよ、と声が掛かり、応えを待つ事なく歌仙が静かに入ってきた。手には湯飲みがひとつ載った盆を携えている。
     それを傍の座卓に置き、歌仙は大典太に柔い笑みを浮かべて見せた。
    「君の分は下に用意してある。お茶菓子もあるからね」
     だから席を外せ、と言葉にはしていないが彼から受ける圧に大典太は片眉を上げるも、『人である三池』ならばどう反応するかを瞬時に考え、あぁ、と素直に応じる。
     のそり、と身を起こし、絡んでいる鬼丸の足が急に布団へ落ちないよう、極力ゆっくりと、静かに自分の足を引き抜いた。
     もそもそ、と布団から抜け出し、立ち上がった大典太がよれた服を直しているのを見上げながら、歌仙は伸びた背筋同様まっすぐな声を発した。
    「立ち入った事に口を出すつもりはないけれど、君と彼はそういう関係なのかい?」
    「……そういう、とは」
    「褥を共にする仲なのか、と言うことだよ」
     誤解のしようも逃げ道もない問いに大典太はシャツのしわを伸ばしていた手を止め、じぃ、と歌仙を見下ろす。
    「いいや」
     はっきりと否定すれば歌仙は、おや、と意外そうな声を漏らし、ゆうるり、と首を傾げた。
    「そうかい。ならば何故、君は鬼丸を抱いていたんだろうね」
     誰彼構わずそう言う事をするのかい? と言わんばかりの表情を見せた歌仙に、大典太は一旦口をへの字に引き結んでからゆっくりとほどく。
    「実際に触れたあんたならわかるだろう? 暖を取らせていただけだ」
     もういいか? と断りを入れてから退室する背に「あぁ、おかしな事を聞いてすまなかったね」との詫びの言葉が掛けられたが、宵闇色の頭が振り返ることはなかった。
     きっちりと閉められた襖を暫し無言で見つめていた歌仙だが、気を取り直したかのように鬼丸へと寄り、ゆさゆさ、と肩を軽く揺らす。
    「鬼丸国綱、一旦起きてくれないか」
     不満そうに鼻を鳴らしながらも、うっすらと瞼を持ち上げた鬼丸は、ぽす、と隣の空間を手で探ってから目を移ろわせ、夢か……、とかろうじて音として聞き取れる声と共に緩く息を吐いた。
     まるで落胆したかのような仕草に歌仙は口を開き掛けるも一旦噤み、出てきた言葉は別の物であった。
    「これを飲んだらまた眠って構わないよ」
     緩慢な動作で起き上がり、差し出された湯飲みを素直に受け取った鬼丸は、ようやっと目の前の人物に気づいたか不思議そうに片眉を上げた。
    「……之定? なんでお前が」
    「僕のことはいいから、飲んでおしまいよ」
     半分眠っているような顔で問われ、歌仙は隠すことなく苦笑する。軽くあしらわれ、ふん、と鼻を鳴らすも鬼丸はここでも素直に湯飲みに口をつけた。
     中身を口に含んだ瞬間、眉間のしわが深くなったが文句を言うでもなく、だが嫌そうに目を細めたまま、ちびちび、と喉奥へ流し込んでいる。
     歌仙とてわざと不味く作った訳ではないが、本来のお茶としての味を堪能することが出来るように配合する事も可能であった。
    「……独特な味だな」
    「そうだろうね」
     あくまで表面上は笑みを浮かべているが、声音の強弱から歌仙の機嫌が良くないことを感じ取り、鬼丸はまだ半分以上残っているお茶を飲み干すことに専念する。
    「随分と無茶をしているそうじゃないか」
     こくり、と上下する鬼丸の喉元を見ながら歌仙が静かに切り出せば、未だ空にはなっていない湯飲みを一旦膝へと下ろした。
    「……そうでもない」
     じぃ、とまっすぐに見据えてくる石榴の瞳は、本気でそう思っているのだと告げている。
    「今この状態でその言葉に説得力があると、本気で思うのかい?」
     否定も肯定もせず、ただ淡々と問いかけてくる歌仙に向けていた視線を畳に落とし、鬼丸は、ふむ、となにか考え込んでいる。
    「……想定外のことがあったが、それ以外は特になにも問題はない」
    「大ありだよ莫迦か君は!」
     一転して声を張った歌仙に目を丸くする鬼丸の手から湯飲みをひったくり、だんっ、と音を立て座卓へと叩き付けるように置く。残っていた中身が卓を濡らしたが、歌仙はそれに一瞥くれることもなく鬼丸に詰め寄った。
    「君の行動が招いた結果をよく考えろ。君自身は大丈夫かも知れないが、それに巻き込まれる者が居ると言うことを、自覚したまえ」
     胸座を掴み上げそうな勢いであるにも関わらず、歌仙はあくまで会話での解決を望んでいる。その証拠に彼の膝上で握られている拳が上がる気配はない。
    「いいかい、鬼丸国綱。三日月と小狐丸の感覚は当てにするな。彼らは君を随分と甘やかしているようだけれど、それは対処できる力を持っているからだ。余裕と言ってもいい。だが、大半の者は違う」
     甘やかされているとの指摘に、むっ、と口がへの字に曲がるも、過度に干渉されることもなく好き勝手出来ているのは事実であり、鬼丸には反論の余地はない。
    「……そうか」
    「あぁそうだ。現に今回、御手杵は君を助けようとして被害に遭った。おっと、『あいつが勝手にやった事だ』なんて言わないでくれよ。彼の性格は君もわかっているだろう?」
    「……そうだな」
     武器としての苛烈な面を持ちつつ、普段の御手杵は穏やかでお人好しだ。今では一番人らしく生きていると言っても過言ではない。
    「それに三池、だったか。彼も今回の件に巻き込まれてしまっている」
     その名を聞いた途端、鬼丸は弾かれたように立ち上がろうとするも、それを見越していたか歌仙に肩を押さえられ僅かに身動ぐしか出来なかった。
    「無事、なのか」
    「今は下で御手杵とお茶を飲んでいるよ」
     一瞬にして顔色を失った鬼丸に息を飲むも、歌仙はおくびにも出さず穏やかな笑みと共にそう告げれば、肩から力の抜けた鬼丸の口から、そうか、と小さく零れ落ちた。
    「君はどうにも人としての情緒に欠けているようだ。刀の時分とは違った意味でね」
     御手杵からいろいろと聞いたよ、と歌仙がどこか疲れた声を出せば、鬼丸は怪訝な顔で首を傾げるだけだ。
    「確かに君の距離感はおかしいと、前々から僕も思っていたところだ」
     頻繁にここを訪れている訳ではない歌仙ですら、これはおかしいと一発で理解できる事が実際にあったのだ。
     団体の貸し切り予約が入り当日の手が足りないから来てくれないかと小狐丸から連絡を貰い、それ自体は何事もなく済んだのだが、座敷の片付けも一段落つき何も載っていない大人数用の卓の前で、皆の気が抜けたところでそれは起きた。
     裏方に徹していた鬼丸が皆にお茶を入れたところまでは良かったのだ。
     刀の頃の鬼丸の気遣いはとてもわかりにくかったが、今はこういう行動ができるのか、と歌仙は感心していたのだ。
     鬼丸が隣に腰を下ろすまでは。
     ぴたり、と肩が触れるほどの距離に歌仙は驚きも露わに僅かに身を引けば、鬼丸は引いた分だけ更に距離を詰めてきた。
    「……だいぶ疲れているな」
     そう言うや、するり、と身を寄せ、歌仙の顔を覗き込んだかと思いきや、菫色の髪に指が梳き入れられた。
    「い……たいなにを……」
     訳がわからず硬直している歌仙に気づいていながら、三日月は楽しげに、にこにこ、と見ているだけで、小狐丸は隠すことなく呆れ顔だが止める気配は微塵もない。唯一、御手杵だけが困り顔で、あー、と気まずそうな声を上げながら近づいてきた。
    「だーかーら『大丈夫? おっぱい揉む?』ってノリで近づくのやめろって言ってるだろ」
    「おっぱ……!? 君は何を言っているんだ御手杵!!」
     珍妙な例えに歌仙が僅かに頬を赤らめながら声を上げれば、御手杵は眉を下げたまま鬼丸の両手首を掴み、ずるり、と歌仙から引き剥がした。
    「おい」
     万歳の格好で拘束されている鬼丸が不満げな声を出すも、すでに慣れっこであるのか御手杵は目をやることすらしない。
    「ごめんなぁ歌仙。やり方はアレだけど、こいつなりにあんたの心配をしてんだよ」
    「なにをどうすればそう受け取れるんだい!?」
     あまりにも難解な出来事に動揺してか、歌仙の声が一段と大きくなる。
    「疲れてるから霊力分けてやろうって思っての行動なんだよなぁ、これ」
    「………………は?」
     御手杵のとんでも解説に、歌仙の口から心底わからないといった声が出た。
    「なら口で言えばいいだろう!? いや君が必要最低限な事しか口にしない刀だったのは重々理解しているつもりだが、これはあまりにも省略しすぎだと僕は思うのだけど!?」
     更に混乱の度合いが増したか歌仙が一気に捲し立てれば、鬼丸は、そういうものか、とだけ口にし、それを聞いた歌仙はこれ以上言ったところで無駄であると察したのだった。
    「……あの時にきちんと言うべきだった」
     過去を思い返し、歌仙は当時の自分に対して小一時間説教したい気分になっている。
    「三池に対しても同じような事をしたそうだね」
     はー……、と額に指をあてがいながら歌仙が問うも、鬼丸はいまいちピンと来ていないようだ。
    「君は彼に対して好意を持っているのだろうけれど、順番がおかしいんだよ。まず気持ちを伝えて、相手の気持ちも確かめた上で、それから肉体的な接触だろう? 真逆なんだよ、やっている事が」
     一旦言葉を切り、歌仙は鬼丸の様子を窺う。反論するでもなく、どちらかと言えば呆気に取られた顔をしている。
    「はっきり言ってしまえば、君がやっているのは商売女のそれと同じだ」
    「おれは……」
     言いたいことはあるが言葉に出来ないのか、顔を歪めもどかしげに胸元を押さえる鬼丸を不憫に思いつつも、歌仙の口が止まることはない。
    「御手杵たちなら君のそれが、これ以上はないほどに気持ちをぶつけているのだとわかるだろうけども、長い付き合いがあってこそ成り立つ物だよ。告白もなしに迫られたら、相手もどうしていいかわからないだろうね」
     最悪もてあそばれてると思われていても文句は言えない状態だよ、との言葉にとどめを刺されたか、鬼丸は力なく、そうか、とだけ漏らし唇を引き結ぶ。
    「厳しい事を言ったけれど、少し休んでから考えてみてくれ。三池に……大典太に記憶がないのなら尚更だ」
     横になるよう促しながら歌仙が諭すように言葉を連ねれば、鬼丸は難しい顔のまま枕に頭を預け黙って瞼を下ろした。
     静かに引き上げられた布団が肩までを覆い、頬に掛かった髪が指先で優しく払われる。歌仙に立ち上がる気配はなく、どうやら鬼丸が眠りに落ちるまで傍に居るつもりのようだ。
     面倒見が良いのか、責任感が強いのか。おれの事など放っておけばよいものを、と鬼丸は胸中でごちる。
     怠い身体と靄が掛かったような頭は次第に思考力を失い、意識がゆったりと落ちていく中、ぼんやり思う。
     刀であった頃は何を考えているかわからない、感情がわかりにくいと言われてきた。
     ならば今生は感情の赴くまま行動で示そうと思っただけなのだ。
     それでも駄目ならどうすれば良かったのだろうか。
    「……ままならないものだな」
     吐息と共に零れ落ちた言葉を最後に、ことり、と鬼丸は眠りについた。
     寝息に乱れがない事を確認し、歌仙は腰を上げた。
     難儀な刀だ、と胸の内で呟くにとどめ、襖を開け放つ。
    「立ち聞きとは感心しないね」
     襖のすぐ横に立つ男に驚きもせず歌仙がそう言い放てば、気づいていたのか、と小さく返された。
    「下に降りた様子もないのに気配だけ消えたら、不自然に思うだろう? 隠したいのか、そうじゃないのか、はっきりしたまえよ大典太光世」
     鎌を掛けるのも馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの歌仙に名を呼ばれ、大典太は困ったように眉尻を下げる。このような初歩的な事すら失念するほどに動揺しているのか、はたまた鬼丸の事が心配でそれどころではないのか。
     たん、と微かな音と共に閉じられた襖の前に立つ歌仙は、心底呆れた顔で大典太を見上げた。
    「自分でもどうしたいのか……よくわからない、というのが今の正直な気持ちだな」
     落ち着いた口調ではあるが困惑や戸惑いを隠し切れていない大典太に、歌仙は「気持ちはわからないでもない」と理解を示す。
    「僕は割と早い時期に『歌仙兼定』という自分を自覚したから、割り切るのはそう難しくなかったけれど、君は『三池』という『人』として生きてきた時間がそれなりに長いからね」
     頭では理解できても、追いつかない感情という物があるのだろう。
    「『三池』という『人』である自分にそこまで未練があるわけではないが、やはり、こう……なにか……妙な感覚がな……」
     胸を軽く掌で押さえながら大典太は、ぽつりぽつり、と心情を吐露する。
    「そればかりは外野がどうこう言っても解決するものではないからね。落とし所が見つかるまで考えるといい」
     そう言い置くと歌仙は静かな足取りで廊下を進み、階下へと戻っていった。
     共に降りるよう促されなかったという事は、鬼丸の元に戻るのも、階下に行くのも大典太の意思で決めて良いという事だ。
     逡巡するも手は引き手に伸び、音もなく襖を開けた。眠っている鬼丸を起こさないよう、霊力は抑えたまま枕元へと腰を下ろす。
     先と比べれば随分と顔色は良くなっており、大典太は安堵の息を吐いた。
    「……おい」
     だが、一瞬にして柔い眼差しは薄暗い物へと変じ、低く重たい声音が薄く開いた唇から漏れ出る。
    「鬼丸に触るな」
     抑揚のない淡々とした口調で、じとり、と対面に居るモノを睨め付ける。ぴたり、と相手は動きを止めたが、大典太の事を怪訝に見ている気配が伝わってきた。
     霊力を抑えている大典太は相手からすればただの人間で、妖が見えるとは思っていなかったのだろう。そうでなければのこのこと妖物斬りの前に姿を現す訳がないのだ。
     相手が手にしている黒い種子に気づき、大典太の目が、すぅ、と細められる。
    「三日月と小狐丸が居ない隙を狙ったんだろうがな……」
     運が悪かったな、との呟きと共に白刃が弧を描いた。
     真っ二つになった種子が布団の上へ、ぽとぽと、と落ちる。
    「このまま消えるのなら、見逃してやる。だが、そうでないのなら」
     ゆうるり、と頭を巡らせた大典太の視界の端で、黒い影が物凄い速度で窓の隙間から外へと逃げ去った。
     瞬間的な霊力の放出であったからか、鬼丸が目覚める様子はない。
     そう、と鬼丸の頬に触れ、改めて思う。
     今の彼の霊力は柔くまろやかな甘露にも似た物で、小妖たちがなにかを差し出してまで求めるほどに魅力的なのだ。
     普段ならば三日月と小狐丸の目が光っており、そうおいそれと手が出せないのであろうが、隙あらば先のようになにか仕掛けようと虎視眈々と狙っている者も居るのだろう。
     鬼丸の距離感がおかしいことは否定しないが、それよりも自身の事に無頓着過ぎる方が、大典太としては心配なのだ。
     だが仮に大典太が記憶を取り戻したと打ち明けても、鬼丸が小妖たちに霊力を分ける事はやめないだろう。
     自ら進んで助ける事はしないが、やれる事をする性分であるのは変わっていないのだろう。
     名残惜しくも鬼丸の頬から手を離し、最後に彼の真似をして髪を一房、くるり、と指に巻き付ける。
     さほど長くない髪はすぐに、するり、と逃げてしまい、大典太は苦く笑みながら乱してしまった髪を整えた。

     階下へと戻ってきた歌仙は、おや、と歩みを止めた。
     カウンターへと突っ伏した御手杵は、どうやらそのまま寝入ってしまったらしい。
     彼自身、霊力を消耗していたのももちろん理由のひとつだが、なにより自分がなんとかしなければ、と張っていた気が緩んだのだろう。
     霊力を制御できないはずの『三池』が巧みに霊力を最小限に絞ったにも関わらず、御手杵が反応しなかったのはこういう事か、と安らかな寝息を聞きながら歌仙は眦を下げた。
    「しかし、困ったな……」
     この店の関係者がふたり共動けないのではこのまま黙って帰る訳にも行かず、御手杵の隣に腰を下ろす。
     鬼丸には粥を、御手杵にはなにか腹に溜まる物を作ってやりたいが、店の食材を勝手に使っては問題だろうと考え込んでいれば、まるでタイミングを見計らっていたかのように、ひょこり、と三日月が現れた。
     その背に続いた小狐丸は、むすり、と口を引き結んでおり、機嫌があまりよろしくないと見て取れる。理由は聞くまでもなく、歌仙は苦笑と共に立ち上がった。
    「戻ったぞ。急に無理を言ってすまなかったな」
    「そう思っているなら今度からは遠慮して貰えるとありがたいね」
     本気半分、冗談半分で歌仙が返せば、三日月はいつも通り、はっはっは、と緩い笑みで話を終わらせてしまう。
    「僕がなにか作っておくから、小狐丸は先に湯を使うといい」
    「……えぇ、お言葉に甘えてそうさせていただきます」
     ぼさぼさに乱れた髪を手櫛でどうにかしようとした形跡はあれど、結局どうにもならず諦めてそのまま帰ってきたのだろう。歌仙の提案に小狐丸は軽く頭を下げてから奥へと引っ込んだ。
    「ここの食材を使ってもいいかい?」
    「あぁ、構わないぞ」
     規則正しく僅かに上下する御手杵の肩を見ながら頷く三日月に、起きたら労ってあげることだね、と歌仙が口にすれば、なにをどこまで知っているのか、そうだな、と静かな声が形の良い唇から零れ落ちた。
    「随分と時間が掛かったようだけど、そんなに厄介だったのかい?」
     米を洗いながらの歌仙の問いに三日月は、まぁそうだな、と曖昧に笑む。
    「集まっていた者たちを散らす事自体はそう時間はかからなかったんだが、置き土産が少々厄介でな」
     そう言ってポケットから取り出した物をカウンターに置き、三日月は指先で、ころころ、と転がし始める。
    「妖樹の種子だ。これがあちらこちらにばら撒かれていたものだから、ふたりでは骨が折れた」
     御手杵から話を聞いていた歌仙は思わず作業の手を止め、まじまじ、とそれを見やった。
    「同じ物とは断言できないけれど、鬼丸が餌食になったそうだよ」
     あと御手杵も少し、と苦い顔で告げれば、何事か考えるように三日月は顎に手をやり、ふむ、と小さく漏らす。
    「徒党を組んで、というよりはそれぞれが欲望に忠実に動いたといったところかな」
     状況を鑑みて歌仙が推察すれば三日月も、おそらくな、と同意する。
     大典太の方は無意識に放出されている霊力での発芽目当てで種子が蒔かれ、鬼丸に至っては無防備な極上の甘露が目の前にぶら下げられれば、妖たちが我慢する謂れはないのだ。
    「大典太がここに住んでくれれば良いのだがなぁ」
     妖たちのお目当てが一カ所に固まってくれていた方が対策しやすいのもあるが、三日月の表情から歌仙は一番の理由は別であると読み取り、隠す事なくため息をついた。
    「本当に君は、鬼丸国綱をどこまで甘やかすつもりなんだい」
     呆れた口調に動じた様子もなく、三日月ははんなりと目を細めるだけだった。
    「さてと、俺は上の様子を見てくるとしよう」
     話も一段落つき腰を上げた三日月はそう言い置き、音も立てずに二階へと上がっていく。
     入るぞ、と一声掛け襖を滑らせれば、顔を上げた大典太と目が合った。
    「世話を掛けたな」
    「……いや」
     短いやり取りではあるが声音や眼差しから三日月には全てお見通しなのだと、大典太は諦めたように小さく息を吐く。
    「昨日、俺が言った事は本気だぞ」
    「……ここに住むって話か」
    『三池』の時には困惑しかなかったが、状況が変わった今ならば三日月の言わんとする事は理解できる。だがそれは霊力の制御が出来ない『三池』に対しての提案であって、『大典太』ではまた話が違ってくるのだ。
     大典太が言い淀んだその時、ここに? と掠れた声がふたりの会話に入ってきた。
    「ここに、住むのか? お前が……?」
     大典太が視線を落とせば、重い瞼を無理矢理に持ち上げているのか、どこか視線のおぼつかない鬼丸が見上げてきている。
    「いや、そうと決まった訳じゃ……」
    「おれは……お前と共に、暮らしたい……」
     一緒に住んで欲しい、と最後まで言い切る事は出来ず、鬼丸の瞼は再び落ち、石榴の瞳は隠れてしまった。
     一方的で熱烈なお誘いに大典太が言葉を失えば、三日月は笑みを浮かべて、どうする? と容赦なく決断を迫ってくる。
    「断られたと知ったら、鬼丸はとてもがっかりするだろうなぁ」
    「……卑怯だぞ、三日月宗近」
     恨めしげな眼差しなどどこ吹く風で、三日月は笑みを絶やさぬまま大典太の重い口が開くのを待つのだった。
     御手杵から鬼丸を呼んでくるよう頼まれた大典太は、途切れ途切れに聞こえてくる声に気づき、窺うように骨董品店側を、そう、と覗いた。
     鬼丸はいつも通りレジスターのあるカウンター内に座しているが、その正面に客がひとり立っている。
     うつむき加減で立つそれは、深々とパーカーのフードを被り顔を見る事は叶わなかったが、大典太には一目でその正体がわかった。
     巧く人に擬態しているが妖だ。
     買い取り金額の交渉をしているのか、鬼丸は手元の算盤を弾こうとするも、目の前のモノに何か言われたか、その手を止めた。
    「金はいらない? ならなにか、店の中の物で欲しい物でも……」
    「――――――」
    「おれの霊力?」
     昼日中に堂々と人前に現れ、擬態までこなすモノが霊力を必要としているとは思えず、鬼丸が確認するように僅かに首を傾げて見せれば、フードがゆっくりと縦に揺れた。
    「――――――」
    「いや、それは構わんが」
     カウンターを挟んだまま鬼丸が相手に向かって腕を上げるも、それを掴むと思った妖の両手は素通りし鬼丸の頬に伸ばされる。
     やわり、と親指が鬼丸の下唇を押したところで大典太は大股に足を進め、おいあんた、と低い声を出した。
     どちらに呼びかけたのか判然としないが、鬼丸は怪訝な顔で大典太を目だけで見上げ、妖は瞬時に手を引っ込めた。
     三日月のお膝元に居るせいか、大典太自身が放つ霊力の強さに気づくのが遅れたらしい。正面から霊力をぶつけられ動揺も露わに数歩後ずさった妖は、一旦動きを止めたかと思いきや、次の瞬間には踵を返し脱兎のごとく逃げ出したのだった。
    「……おい、客を脅すな」
     正当な対価を支払う前に置いて行かれた物品を前に、鬼丸が、じとり、と大典太を睨め付ける。
    「客だと……?」
     大典太の目には鬼丸に触れ霊力を啜る事だけが目的としか映らなかったのだが、鬼丸はあれを客と認識しているのだと知り、愕然とする。
    「……多いのか?」
    「なにがだ」
     ぼそり、と呟かれた問いの意味が掴めず鬼丸が聞き返せば、大典太は鬼丸の胸元を、とん、と指で突いた。
    「金じゃなくてあんた自身の霊力と物品を交換する奴は、多いのか?」
    「人に紛れて暮らしてる奴は金での買い取りを希望するな」
     遠回りな答えだが、人に紛れて暮らせるようなモノは極一握りだろうと容易に想像がつく。
     あまりにも自身を安売りしている鬼丸に、大典太はようやく合点がいったと肩を落とした。
     初めて会ったときの『三池』の失礼な発言に対して軽蔑も憤慨もしなかったのは、あの場は冗談という事で済ませたが、自身を切り売りする事が常態化していたからなのだと。
    「……できれば今後は控えてくれないか」
     突然の要望に鬼丸は片眉を上げ、何故だ? と真顔で問うてきた。
    「他の奴があんたに好き勝手触れるのは気分が良くない」
     前にも言ったと思うが、と大典太が付け加えれば鬼丸は目を丸くし、今思い出したと言わんばかりに視線を左右に彷徨わせてから、気まずそうに「気をつける」と小さく漏らしたのだった。
     三日月の提案を飲み、大典太が移り住んできてから今日で三日だ。本職があるからか特に店の仕事を割り振られるでもなく、声が掛かれば手伝うという事になっている。
     大典太がここに住む事を自分が熱望したと鬼丸が覚えていなかった事には正直落胆したが、裏を返せば取り繕う事の出来ない状態で出てきたあれが彼の本音であると言う事だ。
     ひとつ屋根の下で過ごし、顔を合わせる時間も増えた。
     だが、鬼丸は以前のように積極的な行動に出る事はなく、ふたりの関係性に変化はない。先日、歌仙に言われた事が相当堪えたようだ。
     本来の目的であった御手杵が呼んでいる事を大典太が告げれば、鬼丸はあからさまに眉を寄せるも黙って立ち上がった。
     歌仙が残していった配合表のお茶は「朝昼晩、最低でも一週間は飲む事」との指示つきだ。鬼丸自ら進んで飲むとは思っていない歌仙が先回りをし、御手杵にその役割を任せたのだった。
     御手杵を巻き込んだ負い目もあってか、鬼丸は素直に差し出される物を口にしている。
    「あんた昔から歌せ……んん、細川の言う事は割と素直に聞いてたよな」
     カウンター席に座った鬼丸が、ちびちび、と湯飲みの中身を減らしている姿を眺めながら御手杵が感慨深い声を出せば、隣に立つ小狐丸が、くつくつ、と喉を鳴らした。
    「鬼丸殿に限らずみな胃袋を掴まれておりましたし、それは致し方ないかと」
    「あー、そうだったなぁ」
     厨組には世話になった、と他の者たちの顔を思い出しているのか、御手杵の眦が柔く下がる。
    「三池も一緒に飯食っちまえよ」
     鬼丸より遅れて戻ってきた大典太を手招きし、御手杵は相手の返事を聞く前にカレーをなみなみと皿に注ぐ。
     大盛りのカレーと小さなボウルに盛られたサラダを前に、鬼丸は未だお茶と格闘している。それを横目に大典太は席に着き、そんなにまずいのか、と言葉を濁す事なく直球で聞けば、鬼丸は湯飲みを一旦下ろし眉を寄せたまま顔を向けてきた。
    「……独特な味だ」
     あくまでも「自分の口には合わない」という姿勢を崩さず鬼丸が答えれば、大典太はその律儀さに内心で笑むも表には一切出さず、そうか、と短く応じ、くい、と鬼丸の顎を指先で軽く掴んだ。
     そのまま流れるように顔を寄せ、唇を塞ぎ、口内を、べろり、と一舐めする。
     そして何事もなかった顔で離れていき、なるほど独特だ、と感想を述べた。
     一瞬の出来事に鬼丸は声を出す事も瞬きも忘れ、ぽかん、と呆けた顔を晒している。
     皿を拭いていた小狐丸は、おやおや、と呆れた眼差しを向け、大典太のサラダを用意していた御手杵は全く気づいていない。
     店内に居る少数の客も誰ひとり気づいた様子はなく、カウンター席の一番端に座っていた三日月は楽しげに微笑んでいる。
     とんでもない事をやらかした大典太は妙な空気など微塵も感じていない顔で、置かれた皿に「いただきます」と手を合わせた。
     ぱしゃり、と不意に上がった水音に鬼丸は、はっ、と顔を上げた。月光の降り注ぐ水面は波紋を広げており、池の鯉が跳ねたのだと気づく。
     小さく息を吐きながら手中の盃に目を落とし、ゆるゆる、と揺らす。
     元から人ならざる者を見る事が出来たからか、三池は骨董品店の事もすんなりと受け入れ、彼自身の霊力についても三日月となにかしら話をしたらしく、今ではすっかり制御できるようになっている。
     縁側に胡座をかき、やや背を丸めたまま鬼丸は再度、小さく息を吐いた。
     店内でいきなり口を塞がれたあの日を境に、三池からの過度な接触が明らかに増えたのだ。
     これまでは鬼丸からの接触には困惑の表情を見せていたというのに、突然の豹変ぶりに、一体どういうことだ、とこの状況が飲み込めないでいる。
     わからん、と難しい顔で傍らの盆から徳利を取り上げ傾けるも、ぴちょん、と雫が一滴垂れただけであった。
     思ったよりも速いペースで盃を空にしていたと気づき、鬼丸は、ゆるり、と頭を振る。これでは大典太の飲み方をどうこう言えないな、と自嘲の笑みを浮かべれば、ちくり、と胸の奥が痛んだ。
     三池に刀の記憶がないのならば、どれだけ強大な霊力を持っていようとも、それが例え大典太と同一の物であろうとも、彼は大典太光世ではないのだ。
     大典太ならば思い出してくれると、なんの疑いも持っていなかった自分があまりにも滑稽で、鬼丸は盃と徳利を盆へと戻し両の掌で顔を覆う。
    「酔ったのか?」
     降ってきた声に、のろのろ、と顔を上げれば、小鉢を手にした御手杵が首を傾げていた。
    「……いや」
    「そうか。ほら、枝豆持ってきた」
     鬼丸の隣に腰を下ろし、ご相伴に預かろうと御手杵は持ってきた自分のお猪口に酒を注ごうとするも、三本ある徳利のどれもが空な事に気づき、怪訝に片眉を上げる。
    「どうした? あんたにしちゃ随分と速いペースじゃないか?」
     水のように流し込む大典太とは違い、鬼丸は時間を掛けてゆっくりと酒を楽しむ事を知っている。じぃ、と見据えてくる御手杵を横目に、ちら、と見てから、鬼丸は反対側に置いていた煙草盆の上から煙管を取り上げた。
     葉を詰めようとするも気が変わったかそのまま盆へと戻し、代わりのように枝豆に手を伸ばす。
    「……三池の事なんだが」
     意を決したように口を開いた鬼丸は、ぽつぽつ、と最近の三池の行動の数々を説明した後に、困惑しているのだと正直に打ち明けた。
    「何を思ってそんな事をしてくるのか、わからなくてな」
     一通り口にした鬼丸は、ぷつり、と押し出した枝豆を食む。
    「あー……あんたがそれを言うかぁ」
     天を仰ぎながら呆れと疲れの入り交じった声を漏らす御手杵を、鬼丸はやはり、ちら、と横目で見るだけだ。
    「三池はあんたと同じ事してるだけだよ」
    「おれは……あいつが、三池が大典太だと知っているから……」
     何年経とうとも刀ではなくなろうとも、この気持ちは、彼を思い恋い慕う気持ちは一切変わらないのだと、好きなのだと、愛しているのだと、揺るがぬものがある。
    「だが、三池にはその、そうじゃないだろう……?」
     巧く言語化できないのか、もご、と歯切れの悪い鬼丸に、御手杵は、はぁぁぁぁぁ~、と呆れしかない大きなため息をついて見せた。
    「だーかーらー、あんたがその気持ちを口にしてないのと同じで、三池も言葉で伝えて来てないって話だよ。言わなきゃなに考えてるのかなんてフツーわかんないだろ」
     なんでこんな簡単な事がわかんねーかなー、と髪を、くしゃくしゃ、と掻き乱しながら御手杵が呻けば、鬼丸は驚きに目を丸くしたまま隣の槍に顔を向けた。
    「三池が、おれを……ということ、か?」
     その可能性を全く考えていなかったと言わんばかりの鬼丸に、御手杵は、がっくり、と肩を落とす。
    「鬼丸さぁ、もうちょっとこう、相手の気持ち考えた方がいいぞ」
     大方、大典太ならば気持ちに応えてくれる、三池ではそうはならない、と決めつけていたのだろう。
    「まだ飲むか?」
    「……いや、いい」
     額を掌で押さえたまま呻くように声を押し出してきた鬼丸の肩を、ぽん、とひとつ叩き、御手杵は徳利と盃が載った盆を手に立ち上がった。
    「身体が冷える前に寝ろよ」
     じゃあお休み、と立ち去る御手杵の足音が聞こえなくなっても、鬼丸はその場から動けなかった。

     こっちで洗っていいか? と喫茶店側に顔を出した御手杵に、構いませんよ、と小狐丸が応じる。
    「優しいですね、御手杵は」
    「ん? ん~そうかぁ?」
     食材の確認をしながら小狐丸が苦い笑みを浮かべれば、御手杵は特別な事はしてないという顔で首を傾げた。
    「鬼丸はさぁ、昔っから自己完結型というか、自分からなにか言う奴じゃなかったし、話聞いてやれるなら聞いてやろうかなって」
     人々の先頭に立ち、人々を見守ってきた槍は、本人に自覚はなくとも、常に健やかであれと周りをよく見ているのだろう。
    「ただ、まぁ、ちょっとあいつの出自に同情してるところはあるかな」
     包み隠さず告げてきた御手杵に、そういうところが潔い、と小狐丸は感心する。
    「私も三日月が彼を連れてきた時は驚きましたけどね」
     前触れもなく、ふらり、と姿を消した三日月が幼い鬼丸を連れてきたのは五年前の話だ。
    「俺の腹くらいの背しかなかったのになぁ。三日間部屋に籠もって、やっと出てきたらあの姿だろ? 一体なにが起こったのかと思ったぜ」
     鬼丸が来た時には既にここで働いていた御手杵も当時を思い出したか、うへぇ、と眉尻を下げ肩を落とす。
     ふたりは当然の事ながら三日月に説明を求め、語られた内容に揃って顔をしかめたのだった。
     母親は人、父親が妖の間に生まれたのが鬼丸だ。
     人に紛れて暮らしている妖は少なくない。
     だが、人と婚姻関係を結ぶ者は極稀だ。
     そして、夫婦となるも自分の正体を明かすとは限らないのだ。
     父親となった妖は浅慮としか言い様がなかった。
     人とは異なる身体的特徴を持った子が生まれる可能性を考えていなかったのだ。
     四肢は人であったが頭部に小さな瘤のような物があり、母親はなにかしらの病気を心配したが、父親は一目見てそれが人にはあるはずのない物だと気づいたのだった。
     このまま人として育てるのは不可能であると、ともすれば己の身も危うくなると焦燥感に駆られた父親が助けを求めた先は、粟田口の者たちが棲まう屋敷であった。
     当主である一期一振から相談を受けた三日月が「ならば俺が預かろう」とあっさり言ってのけ、根回しの為に数日滞在した後、連れて帰ってきたのだった。
     粟田口の屋敷に居たほんの数日の間に鬼丸は自身の霊力を使い成長を早め、生まれた時点で刀の記憶があったのだと語った。
     戸籍上は一期一振と養子縁組をした事になっている為、彼の姓である『粟田』を名乗っている。
     子供の姿ではいろいろとやりにくいと、二度と回復しない事を承知で霊力を犠牲にし、肉体変化に充てたせいで元来の霊力量は半減してしまったが、このことは鬼丸本人と三日月しか知らない。
    「本来なら今五歳児なわけだろ? そう思うと不憫というかなんというか。もっとゆっくり人の世に触れていっても良かったんじゃないかって」
    「ただ『鬼丸国綱』として生まれてしまった以上、彼の気性を考えると無理な話だったと思いますよ」
    「そうかー、そうだよなぁ」
     三日月から少し聞いただけであるが、鬼丸が粟田口の屋敷に居た間は主に乱が世話をしていたそうで、とても据わりの悪い様子であったらしい。
    「鬼丸さん可愛いー」とはしゃぐ乱に加え、「鬼丸さんなんですか!? 小さいですね、いいですね、可愛いですね! ずっとうちの子で居てくださいよ!!」と毛利が目を輝かせていたとの事だ。
    「どう生きるかは彼が決める事ですし、私たちはほどほどに手を貸して差し上げれば十分かと」
    「それはそうだけどなぁ。うーん、今一番の問題は大典太の事だけど、こればっかりは俺たちじゃどうにもできないからなぁ」
     早く思い出してくれねーかなー、とぼやきながら洗い物を終えた御手杵に気づかれないよう、小狐丸はため息を逃がす。
     大典太が自ら打ち明けない以上、第三者が教える訳にも行かず、内心でそっと「バレた時に厄介な事にならなければ良いのですが」と案じるしかなかった。
     もそ、と粥を食む鬼丸を見ながら御手杵は隠す事なく、はぁ~、と溜息をついた。
     開店前に店内の掃除を済ませ、座敷も空気の入れ換えをしておくかと向かえば、縁側に長々と身を横たえている鬼丸が居たのだ。
     まさか昨夜からずっとここに居たのかと泡を食って揺り起こせば、案の定。低い呻きを僅かに漏らすも起き上がる気配はなく、仕方なしに担ぎ上げた身体は熱く、ぐにゃり、と芯がなかった。
    「こういう時は放置なんだよなぁ、あんた」
     鬼丸を布団に押し込めてから大急ぎで粥を煮ながら恨みがましく御手杵がぼやけば、食卓に着いていた三日月はトーストを囓っているからかなにも言わない。
    「なぁ、付きっきりで居ろとは言わないからさぁ、ちょいちょい様子見てやってくれよ」
     さすがに俺も小狐丸も店抜けられないし、と若干深刻さの滲む声が御手杵の口から零れ落ち、ようやっと三日月が顔を上げた。
    「そうだな。だが、俺よりも相応しい相手が居るのではないか?」
     面倒だから他者に丸投げするというよりも、なにかしら思惑があっての発言に御手杵は、うへぇ、と顔をしかめる。
    「……わざとかよ」
    「人というものは切っ掛けが大事なのだろう?」
     確かに今の煮え切らない鬼丸と大典太の関係を進展させるには切っ掛けが必要だ。しかしだからといって、なにかを害するやり方は褒められた物ではない。
    「あんたは鬼丸とは違って人の事がわかってる分タチが悪いな」
     全てにおいて悪意はないが、結果を出す為の手段を選ばない節があるのは油断がならないところだ。
     御手杵の苦言を受け流し三日月は、さらり、と、俺はそういうモノだからな、と言い放ったのだった。
     つい先ほどのやり取りを思い返し再度溜息をついた御手杵の目の前に、ずい、と空の茶碗が突き出された。
    「あ……あぁ、もう少し食うか?」
     茶碗を受け取り土鍋の蓋を開けながら御手杵が問えば、それごと寄越せ、と鬼丸が土鍋を指さす。苦笑しながら盆のまま膝に乗せてやれば、木匙が上下する速度は一定の緩やかさではあるが止まる気配はない。
     食欲があるなら大丈夫だろうと、御手杵がひとり頷いているのを、ちら、と上目に見るも、鬼丸は手を止める事なく着々と土鍋の中身を減らしていく。
    「あとで下げに来るから置いといていいぞ。あ、ちゃんと薬飲めよ」
     いいな、と釘を刺してから相手の返事を聞く前に御手杵は退室したのだった。

     ぼすぼす、と襖を叩かれ、大典太の肩が僅かに跳ねた。時計を見ればそろそろ喫茶店が営業を開始する時間である。手伝いが必要なのかと思い、手中の本を座卓へと置いた。
    「着替えるからちょっと待ってくれ。すぐ降りる」
    「あ、いや、そうじゃない」
     襖を開けずに応じるも、廊下側から寄越された言葉に大典太は怪訝に片眉を上げる。
    「店の方は大丈夫なんだけどな、鬼丸が熱出したからそっちを頼みたいんだ」
     御手杵の声の調子からそこまで深刻ではないと酌み取れたが、病人をひとりにさせておくのは心配なのだろう。
    「朝飯は食わせたから、昼になにか作ってやってくれよ」
    「わかった」
    「頼んだ」
     もう少し詳しい話を聞きたかったが引き留める訳にも行かず、大股に去って行く足音が聞こえなくなったところで、大典太は襖を開けそのまま部屋を出た。
     広い家屋である為、鬼丸の部屋と大典太の部屋は離れている。手ぶらで行って良いのかと考えるも、必要な物は既に御手杵が用意しているだろうと判断し、台所を素通りした。
     入るぞ、と一声掛けてから襖を滑らせ、ぬぅ、と顔を出せば、布団の中で、もぞもぞ、と動いていた鬼丸の動きが、ぴたり、と止まった。
    「御手杵に頼まれてきた」
    「……そうか」
     枕元に腰を下ろしながらそう告げれば、鬼丸は掛け布団に顔の下半分を埋めたまま小さく応じる。
     布団の下から漏れ聞こえてくる常よりも忙しない呼吸音と赤らんだ目元に、大典太は鬼丸の前髪を柔く掻き上げながら、顔を隠している布団を僅かに下へ引いた。
    「熱が籠もって苦しいだろう」
     ひたり、と頬に掌を宛がいながら反対の手で再度髪を顔から払えば、鬼丸は、ふい、と顔を背け、そのまま身体ごと大典太に背を向ける。
    「大丈夫だ。おとなしく寝ているから戻っていいぞ」
     ここに居てもやる事はないのだと言外に告げてくる鬼丸の背を黙って見つめていた大典太だが、不意に手を伸ばし、くしゃり、と白銀の髪に指を梳き入れ、角の根元を、やわり、と撫でた。
     刹那、鬼丸は跳ね起き、大典太から距離を取るように布団を蹴った。
     石榴の右目は零れ落ちんばかりに見開かれ、眼帯のない左目は前髪で隠れてその色は覗えない。思いも寄らぬ過剰な反応に大典太は伸ばした手を引く事も出来ず、行き場を無くしたそれが不安定に揺れる。
     驚愕の中に見え隠れする絶望の色が何を意味するかわからず、大典太は身を乗り出し、ゆっくりと布団に手をついた。
     相手を刺激しないよう緩やかな動作で距離を縮めようとするも、鬼丸は大典太から目を逸らさぬまま、じり、と後ずさる。
     断りなく背後から突然触れたせいで驚かせたのかとも思ったが、それだけでは説明の付かない反応に困惑しつつも、大典太は出来うる限りの穏やかな声音で語りかける。
    「不快な思いをさせたのなら謝る」
    「……違う、お前は……悪くない」
     ようよう押し出された声は苦しげに掠れ、力なく垂れた首が、ゆるり、と左右に振られた。
     これまで『角』について言及された事はなかったが、直接触れられた以上、誤魔化しは一切効かず、それが作り物や装飾品ではない事を三池は理解したはずだ。
     油断していたのだと。
     気を抜いていたのだと。
     自分が『なに』であるのか自覚が足りなかったのだと。
     妖の存在に理解があるのと、自分の正体がそうである事は別問題なのだと。
     今更気づいても遅いのだと、鬼丸は唇を噛む。
    「触れたのならわかるだろう……? これが『本物』だと」
     そう言って自分の角に触れ、鬼丸は口端を上げる。それが自嘲の笑みだと気づいた大典太は、鬼丸が言葉を続ける前に一気に畳を蹴り、腕を伸ばし、逃げる隙すら与えず微かに震える身体を強く掻き抱いた。
    「すまなかった」
     抱いた身体を慰撫するように撫でながら、大典太は絞り出すように悲痛さすら滲んだ声音で詫びる。
    「もっと早くに言うべきだった。あんたにそんな顔をさせるつもりはなかった」
     白銀の髪を掻き乱すように指を差し入れ、角に唇を押し当てる。
    「……三池?」
    「違う」
     探るように名を呼んできた鬼丸に大典太は即座に返し、白磁の頬を両の掌で包み込む。
     互いにまっすぐ見つめ合い、鬼丸の唇が辿々しく呼んだ刀の名は、相手の口内に消えていった。

     すり、と足を絡ませてくる鬼丸の顔を覗き込もうとするも、胸元に潜り込むように額を擦り寄せてきているため、大典太から見えるのは旋毛と角だけだ。
     この状況は二度目だな、と思うも、あの時とは異なり鬼丸の腕はしっかりと大典太の背に回されている。
     話をしたがる鬼丸を宥め共に布団へと入れば、熱のせいか、張り詰めていた物が切れたせいか、いくらもしないうちに吸い込まれるように眠りへと落ちた。
     だが眠り自体は浅いのか時折身動ぎ、熱い、寒い、と譫言のように漏らす。その度に大典太は熱が籠もらないようしっとりと湿った鬼丸の髪を梳き、引き上げた布団の上から腕を回し強く抱きしめる。
     なし崩しに記憶が戻っている事を明かしてしまったが、今は熱で思考が正常に働かず、尚且つ突然の事に困惑も相まってか咎められはしなかった。
     好意を持っている事は伝えたいが、記憶が戻った事を伝えるには尻込みしていた。
     その結果、鬼丸を傷つけてしまったと後悔するも後の祭りだ。
     鬼丸が心身共に回復した暁には、拳の二、三発は食らう事を覚悟している。
     それくらいで許されるのならば安い物だ、と大典太は角の根元に鼻先を擦り付けた。

     下げてきた皿をシンクに下ろし、御手杵は疲れた様子を隠す事なく、うぇぇ……、と低く漏らす。
    「なんで今日、こんな忙しいんだよ……」
    「ぼやく前に手を動かしてください」
     ランチセットをいくつも同時に作りながらの小狐丸の言葉に、へいへい、と御手杵は適当に返しながらもグラスを並べアイスコーヒーを注いでいく。
    「文句なら三日月に言いたまえよ。ほら追加オーダーだ」
    「うぅ、歌仙が来てくれてほんと助かった」
    「今日は僕も客として来たはずなんだけどね」
     その言葉の通り歌仙は客として店のドアをくぐったのだが、あまりの混雑ぶりと御手杵の縋るような目に負けて、着替える暇も惜しいとその場で着物に襷掛けをするや、客席への誘導や注文取りを買って出たのだった。
    「なんで今日、更新したんですか三日月」
     珍しくも殺気だった眼差しを向けてくる小狐丸相手でも三日月は常と変わらず、にこにこ、と暢気な笑みを浮かべている。
    「いや、なに。思い立ったが吉日と言うではないか」
     店の宣伝用にとSNSにアカウントは存在するも滅多に動かないと有名なそれが、稼働したかと思いきや大量の写真がアップされたのだ。
     それも「新人が増えた」との一言付きで、だ。
     従業員が全員顔がいいと密かに広まっていた事もあり、突然の供給に一部界隈が騒然となり今に至る。
     生憎とその『新人』は別の事で手一杯で店の手伝いどころではないのだが。
     待機列が出来るほどではないが、客足は途切れない。
     これはいよいよ三日月にも重い腰を上げて貰わなくてはならないか、と三人が思い始めたその時、ぬぅ、と大典太が奥から顔を出した。
    「すまないが、薬はどこに……」
     そろそろ鬼丸に昼食を、と考えたのだろう。場所がわからず聞きに来たはいいが、大典太は店内の状況に言葉を失い、三人の顔を見回してから「手伝った方がいいか……?」と恐る恐る聞いてきたのだった。
    「そりゃ猫の手も借りたいところだけど、鬼丸が腹空かせて待ってるんだろ?」
    「それに今は店に顔を出さない方が良いですよ」
     誰かさんのせいで、と小狐丸が冷ややかな目を向けた先には三日月がおり、大典太は意味がわからず首を傾げるしかない。
    「皿洗いくらいなら彼でも出来るだろうから、君は気にせず戻るといい」
     歌仙も三日月を見ながら大典太を促せば「じじいまで働かせるのか」と三日月は戯けたように肩を竦めるも、言葉とは裏腹にスツールから立ち上がった。
    「薬なら食器棚の隣の棚にありますよ。二番目の引き出しです」
    「……わかった」
     すまないな、と言い残し大典太はそのまま引っ込んだ。

     閉店の札を下げ、出入り口の施錠を済ませた御手杵は、カウンター席に腰を下ろすと同時に、ばたり、と突っ伏した。
    「つ……かれた……」
     嵐のような一日がやっと終わり、小狐丸も歌仙も口には出さぬが気持ちは御手杵と同じだ。
    「こんなに忙しかったの、燭台切とコラボした時以来じゃねぇの……?」
     料理教室が本業だが燭台切は動画サイトでも料理動画の配信をしており、この店が出来て間もない頃に双方の宣伝も兼ねて過去に一度だけ企画をやった事があったのだ。
     燭台切本人が実際に調理した物を提供すると言う事が告知動画で明かされ、整理券の配布など事前準備も抜かりなく、会期中は大きな問題もなく大盛況で終わったのだが、労力が洒落にならないと言う事で、二度目の話は誰の口からも出る事はなかった。
    「あの時は一期一振たちにも手伝って貰って、ギリギリどうにかなったようなものでしたねぇ……」
     当時を思い出したか、小狐丸の目が遠くなる。
    「燭台切の補佐で鶴丸と大倶利伽羅も来てくれてたの、マジ助かったよなぁ……」
     ため息を漏らしながら昔話を続ける御手杵と小狐丸に、そんな事があったのか、と歌仙は思うも、疲れ切った頭では会話に入る余力もないのか聞くだけにとどめている。
     誰ひとり席から立ち上がろうとしない中、のそり、と現れたのは鬼丸だ。皆を、ぐるり、見回してから僅かに眉根を寄せるも、少しいいか、と静かに切り出した。
    「寝てなくていいのか?」
    「あぁ、だいぶ良くなった」
     身を起こした御手杵が気遣わしげに問えば、鬼丸は、世話を掛けた、と軽く頭を下げてから背後に目をやった。
    「皆に話があるそうだ」
     その言葉に促されるように姿を見せたのは大典太で、鬼丸と共にカウンター内へと並ぶと、ひた、と御手杵を見据えた。
    「すまない」
     突然の謝罪に御手杵は、いきなりなんだよ……、と困惑を隠せない。
    「あの時『大典太光世』の記憶が戻った事を言い出せないまま、今日まで来てしまった」
     目を伏せる事なく真摯に告白してくる大典太に御手杵は一瞬柳眉を逆立てるも、あーいやそうじゃねぇ、と両の手で髪を、ぐしゃぐしゃ、と掻き乱す。
    「黙ってた事は、そりゃまぁ……腹が立たないと言や嘘になるけど……」
     ちら、と大典太の隣に立つ鬼丸に目をやり、御手杵は困ったように眉尻を下げた。
    「鬼丸が怒ってないなら、俺が怒る筋合いはねぇしなぁ」
    「……怒りは湧かなかったが、モヤモヤはしたぞ」
     前日に悩んでいた事もあり手放しで喜んでいる訳ではないが、かといって責め立てるのも違うだろうと、鬼丸自身も落とし所を探っているようだ。
    「ただ、おれは『人』として生きた事がないからな。そこいらの葛藤は理解してやれないのが正直、歯痒い」
     ふたりはどうだ、と鬼丸は御手杵と歌仙を交互に見やり、僅かに首を傾げる。
    「僕は、そうだね。大典太の気持ちはわからないでもないよ」
     以前、大典太本人に告げたように歌仙は理解を示す。
    「『人』として生きた年月が長ければ長いほど、これまでの自分とどう折り合いをつけるのか悩む所だと思うよ。刀の記憶をなかった事にして、第二の人生を歩むのもありだろうね。僕は『人』としての縁も『刀』としての縁も大事にしたいから、今こうして君たちと関わっている訳だけれども」
    「俺はそこまで考えた事なかったなぁ~。高校生の時に昼飯食ってたら唐突に、あっ俺槍だったわ、って思い出して、そのあと普通に生活してたしなぁ」
     あっけらかんと言い放った御手杵に対し、歌仙は信じがたい物を見た顔をするも、まぁ御手杵だしね、と雑な納得の仕方をする。
    「なんだ、俺たちには聞いてくれないのか?」
     茶化すつもりは微塵もないのであろうが、三日月と小狐丸に聞いた所でなんの参考にもならない事を鬼丸は理解している。
    「おれは『人』に聞いているんだ。神とまではいかなくとも精霊に近いお前と、木の股から生まれたような小狐丸では話にならないだろう?」
    「木の股とは失礼な」
     物の例えだとわかっているからか、小狐丸は口では抗議するもその目は愉快そうに細められている。
    「そうだぞ。小狐丸は俺が呼んで形作ったのだからなぁ。強いて言えば俺が親のようなものだ」
    「それはそれで嫌ですねぇ」
     互いに微笑を浮かべてはいるが、今生の小狐丸は三日月に対して割と辛辣だ。
    「『大典太光世』として話していると言う事は、腹を括ったのだろう?」
     歌仙の問いに大典太は、あぁ、と首を縦に振った。
    「なら僕たちがこれ以上口を出す必要はないね。後は鬼丸とふたりで納得いくまで話すといいだろう」
     ぱん、とひとつ手を打ち鳴らし、これでこの話は仕舞いだと歌仙が一区切りつければ、それを待っていたかのように、ぐぐぅ~、と御手杵の腹が盛大に鳴った。
     まったく君は、と歌仙が呆れたようにため息をつけば、仕方ないだろ、と御手杵が腹を摩りながらばつの悪い顔をする。
    「そろそろ僕はお暇するよ」
    「それなら一緒に外で食おうぜ」
    「いいですね。これから作るのは正直御免被りたい所でしたし」
     御手杵の案に乗った小狐丸が流れるように三日月へと顔を向けた。
    「勿論、ご馳走してくださるのですよね」
     にこり、と笑む事も忘れない小狐丸に、三日月は降参だと言わんばかりに肩を竦める。
    「ふたりはどうする?」
     御手杵の問いに鬼丸と大典太は顔を見合わせ、揃って首を横に振った。
    「俺も鬼丸も夕飯は取ったから大丈夫だ」
     それに、と大典太は鬼丸の顔を覗き込み、額を掌で覆う。
    「平気な顔をしているが微熱があるからな」
    「言わなくていい」
     強い口調とは裏腹に鬼丸は大典太の手を、やんわり、と外すと、御手杵や歌仙に何か言われる前に、もう戻る、と告げたのだった。
     若干、疑わしい眼差しを向けてきたふたりだが、大典太がついているなら大丈夫だろう、と納得し、小狐丸に促された事もあり店を後にした。
     四人が通りの向こうに消えるのを見送ってから大典太は出入り口を施錠し、鬼丸と共に二階へと上がっていく。
     目の前を行く白い踝を見ながら、大典太は知らずため息をつく。
     歌仙には鬼丸とふたりで納得いくまで話すといいと言われたが、大典太はそうするつもりで目を覚ました鬼丸に「話がある」と切り出したのだ。
     だが、大典太が口を開く前に大方の見当は付いていたか「皆に同じ事を説明するのは面倒だろう?」と鬼丸に言われてしまい、共に下へ降りる事となり出鼻を挫かれたのだった。
    「……怒っていないのか?」
     部屋へと入るや投げられた問いに鬼丸は、ゆうるり、と振り返る。
    「下でも言っただろう? 怒ってはいないと」
     思い詰めた顔をしている大典太の頬を、するり、と撫で、鬼丸は緋色の瞳を正面から確と捉えた。
    「黙っていたのは何か訳があるのだろうと、おれにはわからない『人』としてのなにかがあるのだろうと思ってな」
     裏切られたと、謀られたと思ってもおかしくない状況であったにも関わらず、大典太の事を信じているのだと、何があっても大典太に全幅の信頼を寄せているのだと告白したような物だ。
     仮に逆の立場であったならば同じ事が言えただろうか、と大典太は考えるも答えなど出る訳もなく。
    「……すまなかった」
     大典太も鬼丸の頬を撫で、そっ、と顔を寄せていく。
     唇が触れる寸前、ふっ、と笑みを含んだ吐息が鬼丸の口から漏れ出た。
    「……なんだ」
    「いや、今にして思えば、お前の態度が変わった時点でおかしいと思うべきだったなと」
     頬に触れていた手を移動させ、宵闇色の髪を一房、くるり、と指に巻き付ける。
    「こうして触れると『三池』は戸惑った顔をしていたな」
    「それがわかってて誘惑してくるのだから、質が悪い。純情を弄ばれた俺の身にもなれ」
     わざと嘆いてみせる大典太の下唇を、やわり、と食み、鬼丸は、人聞きの悪い事を、とこちらもわざと憤慨してみせる。
    「言っただろう? ふざけている訳でも、揶揄っている訳でもない、と」
    「そうだったな」
     至近距離で見つめ合ったまま互いに笑い合い、今度は大典太が鬼丸の下唇を、やわり、と食んだ。
    「もうあの姿を見られないと思うと、少し惜しいな」
    「なんだ、あぁいうのが好みなのか?」
     ちら、と上目遣いに石榴の瞳が大典太を窺い、手がそっと胸に添えられる。まるで撓垂れ掛かるかのような仕草に大典太の喉が、くつり、と鳴った。
    「あぁ、悪くはないが、後の楽しみに取っておくとしよう」
     寄せられた身体を抱き締めたかと思えば、大典太は腕に力を込め、ひょい、と鬼丸を持ち上げた。そのまま数歩先の布団まで運び、静かにその身を下ろす。
    「病人に手を出す訳にはいかないからな」
     何か言いかけるも口を噤み、おとなしく横になった鬼丸に布団を掛けてやる。大方、ここで一線を越え、翌日に体調が回復しなかった場合を危惧したのだろう。
     自分を信頼してくれた御手杵と歌仙を裏切るのは避けたいのだ、と大典太も内心で苦い顔をする。
    「……共寝くらいはしてくれるんだろう?」
     にぃ、と猫のように目を細める鬼丸に大典太は深く息を吐きながら、控えめに布団を捲った。
    「本当にどこで覚えたんだ……」
     刀の時はそんな顔しなかったじゃないか、と困惑を隠しきれない大典太がお気に召したか、鬼丸は隣に身を横たえた男の足に自分の足を絡ませた。
    茶田智吉 Link Message Mute
    2025/05/27 9:37:51

    【刀剣】半人半妖で骨董品屋の鬼丸さんの話【典鬼】

    #典鬼 #大典太光世 #鬼丸国綱 #刀剣乱舞 #腐向け ##刀剣
    転生物。
    鬼丸さんは「今の時代『鬼』なんぞいないからな」と堂々と角さらしてる。アクセサリーだと周りからは思われてる。

    くるっぷの方で地味に続けているけどいつ終わるかわからないので、キリの良いところまで持ってきた。

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