素の顔 リックの顔を見てみたい、という思いは気まぐれに降ってきた。
ニーガンがアレクサンドリアを訪れる度にリックとは顔を合わせているのだが、彼の顔の半分ほどは髭に覆われている。髭が全く生えていない状態の彼を見たことは一度もなかった。そのことを唐突に思い出し、その次に浮かんだのが「髭を剃った状態のリックの顔を見たい」という思いだ。
ニーガンはこちらからの視線を受けて居心地の悪そうなリックに向かって命令する。
「リック、髭を剃れ。」
「は?」
リックにとっては意味不明な命令に、彼は目を丸くしながら無礼ともいえる返事をした。その返しに周囲にいたアレクサンドリアの住人たちが不安げな顔をして、ニーガンの部下たちは面白がるように笑みを浮かべる。
憎しみの中にも怯えを滲ませるリックは意外にも大胆な言動を取ることがあった。初めて会った日のドライブの最中にも軽く眠っていたようだったし、絶望的な状況で「お前を殺す」と言い放ったことも忘れられない。その他にもニーガンに対して意見するなど、他の者であれば恐ろしくてできないような言動を取る。そこが彼の興味深いところの一つだ。
ニーガンは訝しげな顔をするリックの腕を掴み、「放してくれ」と抵抗を示す彼を連れて歩き出す。目指すはリックの家だ。
リックの家に入ったところでリックの腕を解放し、ニーガンはダイニングの椅子の前後を逆にして座る。そして椅子の背もたれに両腕を置いた。そのニーガンの正面に困惑した様子のリックが立つ。
「髭を剃れって、いったい何なんだ?俺の顔なんてどうでもいいだろう?」
「どうでもよくないから言ってるんだろうが。ほら、さっさと行け。きれいに剃ってこいよ。」
抗議の声を退ければリックは不満げにこちらを睨みつけてきた。それでも大人しくバスルームに向かうところは褒めてやってもいいだろう。
ニーガンはリックの姿が見えなくなるまで彼の後ろ姿に視線を送ってから目を閉じた。
「さーて、リックの素顔はどんな感じだろうな?」
髭というものは装備品だ。相手に己の素顔を知られないため、侮られないために装着するもの。マウントの取り合いが行われる世界での必需品。
この町で見つけたビデオカメラに録画されていた映像のリックは今よりも髭が長く、迫力も今の彼を勝っていた。野生の獣を思わせる風貌を面白く思ったものだ。それよりは短くとも髭がなくなってしまえばリックはひどく無防備な男に見えるかもしれない。
無防備なリックが見られるかもしれないと思うだけでニーガンの胸は踊った。リックに関することは常にニーガンをワクワクさせてくれる。だから彼と過ごす時間は楽しい。
楽しい気分を表現するように、ニーガンは口笛でメロディーを奏で始めた。
*****
「待たせたな。これで満足か、ニーガン。」
うんざりとしたように言いながら姿を現したリックを見て、ニーガンは目を瞠る。
髭がなくなって顕になった肌は白く輝き、赤い唇はその輪郭がはっきりとした。普段から吸い付きたくなるような唇だと思っていたが、輪郭がはっきり見えるようになったことで形の美しさと赤みが際立つようになり、端から端までじっくりと観察せずにいられない。
そして、唇から視線を引き剥がして顔全体を見遣れば感嘆の吐息が漏れた。素のままのリックの顔はそれほどに美しい。
「おい、俺の正面に座れ。」
ニーガンはリックの顔から視線を外すことなく命令した。リックは戸惑いに眉を寄せながらも椅子を引っ張ってきて、ニーガンから少し距離を置いた上で正面に座った。
しかし、リックは顔を斜めに向けてしまう。見つめられることが落ち着かないのだろうが、それでは顔がよく見えない。ニーガンはリックに「顔を逸らすな」と言って顔をこちらに向けさせた。
改めてリックの顔全体を観察してみてわかったことは、目や口などのパーツ一つひとつの大きさや角度が絶妙なものであり、その配置も完璧だということだ。
僅かでも目の位置が外にズレていれば。
僅かでも鼻の角度が上向いていれば。
僅かでも唇が小さければ。
何か一つでも違っていればリックの顔の完璧な美しさは生まれなかっただろう。もちろん、顔の輪郭や大きさも影響する。この奇跡のような偶然の積み重ねにニーガンは感謝せずにいられない。
ニーガンがリックの顔の美しさにうっとりと溜め息を落とした時、リックが「なあ、ニーガン」と躊躇いがちに声をかけてきた。
「そろそろ立っても構わないか?観察されるのは落ち着かない。」
その伺いに対してニーガンは即座に「じっとしてろ」と返した。
「まだお前の顔を見ていたい。俺が許すまで座ってろ。」
その返事にリックが溜め息を吐く。
「あんたの考えていることはわからないな。俺の顔なんて見て何が楽しいんだ?」
困惑と憂いの混ざりあった表情でさえリックの美しさを際立たせるための装飾品になってしまう。微かに眉間に刻まれたしわの美しさについて語って聞かせてやりたいほどだ。
飽きることなくリックを観察するニーガンは素直な思いを告げる。
「喜べ、リック。お前の顔は俺のタイプだ。」
その言葉にリックは目を丸くして、少し間があってから「……はぁ?」と気の抜けた声を出した。
そのようなことは気に留めることなくニーガンは言葉を続ける。
「髭が生えててもお前の顔は好きだったんだが、素顔を見て確信した。お前の顔は俺の好みにぴったりだ。何時間見てても飽きる気がしない。」
そのように話しながらもニーガンは一瞬たりともリックの顔から目を離さない。それによりリックもニーガンの言葉が冗談ではなく本気だと理解したらしく、困惑していた彼の顔に赤みが差す。その顔も美しくて堪らない。
ずっと眺めていたい、とニーガンは頬を緩ませた。
END