S05【異端教団調査要請】アースィラ編◆侵入
臓物に埋もれ眠る子供の姿は冒涜的でありながら絵画のように完成されていた。
極めて整った造形の子供が、部屋の半分──鉄格子で仕切られている──に広がるおぞましい肉の海に沈んでいた。のろのろと蠢いた肉塊が触手を伸ばすと、それは鉄格子に触れた瞬間ばちんと爆ぜて体液を撒き散らした。
「封じ込めは問題なく機能しているようだが……なんておぞましい」
揃いの外套を着た人間たちがひそひそと会話しながら立ち去ってゆき、見張りが一人残された。恐る恐る鉄格子の中を覗いた見張りの男は、青い目と視線を合わせてしまい息を止めた。
子供はいつの間にか目覚めており、なにもかもを写し込んだような、あるいはなにも写していないような目で見張りの男を見ていた。
再び触手が伸び、鉄格子に触れて弾け飛ぶ。が、弾け飛んだ端から肉が盛り上がり新たな器官が生え、枝分かれし、破壊よりも再生の速度の方が上回っていた。
ひ、とひきつった声をあげ逃げようとした男の足に何かが絡み付く。崩壊と再生を繰り返しながら鉄格子の隙間より這い出た肉片が蛇のように男の足をよじのぼり、締め上げ、床へと引き倒した。
「やめ、やめろ、離せ! やめろ……!」
凄まじい力で鉄格子の前まで引き摺られ、暴れたところで全く太刀打ちできず、男は恐怖に過呼吸を起こしかけていた。
「おなかすいた」
その男が最後に見たのは、子供の口内にびっしりと並んだ牙だった。
それから硬いものを咀嚼する鈍い音がしばらく続いた後、部屋の中にいるのは子供だけになった。無造作に伸びをしてから子供は肉の海に沈み、ぶるりと肉塊が震える。
次の瞬間、鉄格子が内側から押し広げられ破壊される。臓物や肉やあらゆる獣のパーツをこねあわせたような異形が部屋を埋め尽くす勢いで膨れ上がり、ずるずると這うように廊下へと向かう。部屋の扉も力ずくで破壊され、その肉の塊は部屋から解き放たれた。
それと出会いそのおぞましさに怯んだ者は一瞬でたいらげられ、怯まず立ち向かった者は丁寧に押し潰された後たいらげられた。それは逃げる者をことさらしつこく追い回すようなことはしなかったが、祈りを聞き入れることもなかった。ただ平等にすべてをたいらげていった。
暴食のアースィラ。
数えきれぬほどの年月を生きてきたその悪魔は、眠っている間に回収され閉じ込められていたことについて怒っているわけではないし(そもそも閉じ込められてすらいなかった!)、人間滅ぼすべしという悪意があるわけでもない。
小腹がすいた。
ただそれだけの理由で、建物内を這いずっては出会う者すべてを飲み込んでいるのだ。
その化け物、人類の敵、醜悪な肉の塊は、ある部屋の前で動きを止めた。少ししてから、その部屋の扉も圧壊させられ肉の海が隙間から侵入した。
その部屋の天井から吊るされた大きな鳥籠のような牢に、天使が一羽閉じ込められていた。ぐったりと鉄格子にもたれかかっていたその天使は、部屋に入ってきたものを見て嫌悪に眉を寄せた。しかしその表情は、部屋の床を覆い尽くしてゆく臓物や獣の手足や形容しがたい肉塊が壁に這い天井へと向かい始めるにつれ変わってゆく。
「……待て、近寄るな、なにをするつもりだ」
苔の繁る様を何倍もの速度にしたような動きでおぞましいものが部屋を満たし、天使の入った鳥籠へと距離を詰めてゆく。ずるりと伸びた触手のようなものが何本も鳥籠に取り付き、そのうちの一本が蛇のように大きく口を開いた瞬間、天使の顔が明確な恐怖に染まった。
「やめろ、いやだ、いや、……あ」
鳥籠が一気に肉に埋もれ押し潰されるのと、魂を切り裂くような絶叫が響いたのはほとんど同時だった。肉の焼ける不愉快な匂いと音が天使を飲み込んだ肉の辺りからする。
……悪魔にとって天使は毒だ。触れただけで反発し、互いに拒絶反応を起こす。それは暴食のアースィラにおいても例外ではなく、未加工で天使を食べようものなら胃の腑は爛れ身の内が焼ける。つまり現在アースィラの中では、内臓が焼け爛れては再生し、腐り落ちては再生していた。
そのうち絶叫は小さくなり、どくんと一度鼓動するように蠢いてから肉の海が収縮してゆく。部屋の入り口まで退いたそれは、またのろのろと廊下へと退出していった。
部屋の中には、血の跡ひとつ残っていなかった。