繰り返すは夢か幻か どこからか、何かが走る音、チクタクと時計が秒針を刻む音が聞こえる。瞼には朝日が優しく降り注ぎ、爽やかな春風が頬を撫ぜているようだ。微睡みの中にいる俺は、外の世界がどのようなものであるか知らない。ずっとふわふわとしたこの気持ちよさに浸っていたいけれど、まだ見ぬ世界への誘惑に勝てそうにない。目を開けるのは少し怖いけれど、思い切ってその扉を開けてみようか。
「……ん……」
そうしてゆっくりと瞼を開けた先には、神々しい白い光を纏って静かに微笑む天使が居た。
「おはよう深町くん。よく眠れた?」
「おは……よ……ございま……――え?」
まだ焦点の合わない目を何度も瞬きさせて、自分の目の前に居る人物を確認する。そこには白いシャツを一枚だけ羽織った尚哉の良く知る准教授、高槻彰良が、そこに居た。
「夢か……」
人はあり得ない状況を夢だと判断する。正に今がそうだ。そこは尚哉の部屋で、自分のシングルの狭いベッドに、先生と一緒にいるなんて、夢以外何ものでもない。春休みで会えない先生を思って変な夢でも見ているのだろう。そう冷静に分析してみると、段々おかしいことがどんどん増えていく。まず、高槻のその服装はなんだろうか。まだ肌寒い春の日に、なぜかシャツを緩く着ただけのその姿は、いつもならきっちりと上まで閉めるボタンがほとんど用を成していない。首筋から鎖骨へ、そして胸元が見てくれと言わんばかりに開いているし、ギリギリ止まっている一つだけのボタンも、淡く浮き出た腹筋を隠せていなかった。
「しかも、下……履いてます?」
「履いてないよ」
しまった。独り言が出てしまった。尚哉と同じ布団に入る高槻が見えているのはその上半身だけで、腰から下は布団に隠されている。その布団を高槻は捲ろうとするから、慌てて尚哉はその手を止めた。
「いいですいいです見せなくていいですから!」
「見たくない?」
「ばっ……」
バカですかと誰に言うまでもなく尚哉はごちた。自分の夢ならば、それは自分に都合良く見せるだろう。尚哉が密かに高槻のことを想っていることは、尚哉しか知らない。しかし誰にも、本人にも言うまいと抑圧した気持ちがこんなところに弊害をもたらすなんて。
ちらり、と尚哉はもう一度夢の高槻の姿を垣間見る。前述の通り、裸にシャツ一枚ときたものだ。それはドラマの朝の情景でよくある「しっぽりと夜を過ごした二人は朝こうやって迎えます」スタイルだ。なぜシャツ一枚?寝にくいだろうが、とは誰もツッコマない。そこまで考えて、尚哉は思い出す。そんなしっぽりな、二人のうち一人がシャツ一枚、もう一人は半裸ではないか……?と。
慌てて自分の姿を見てとりあえずほっとする。自分の方はパジャマを着ている。これはきっとあれだ。自分の裸なんて見たくもないし、寒いし、ということで自分補正がかかったのだろう。良かった良かった。
「昨日の夜は楽しかったね?」
そんなことをしている間に夢高槻が話かけてきた。ドラマや漫画で良くあるやつだ。あられもない格好で一夜を共にした男女のどちらかは、昨夜の記憶が無い。しかし相手はこんな風に昨晩二人に何があったかを匂わせるのだ。
そこまで考えて、ふと尚哉は夢高槻と会話をしたい気持ちになった。普段の高槻とは話せないようなことも、夢だから出来るだろう。夢が覚めるまで、せっかくだから恋人っぽい朝を楽しんでみたい。
「昨日の先生、とても可愛かったです」
そう言うと、恥ずかしそうに俯き途端に顔を赤くする高槻に尚哉は心の中で歓喜の声を上げた。可愛い。とても可愛い。尋常じゃなく可愛い。――なるほど。夢高槻のこの反応だと、尚哉たちは昨日そういうことをしていた設定らしい。なんだか胸がむずむずしてきたが、現実にあることではないのでそのだらけきった顔は隠さないことにする。
「知らなかったです、先生があんなに好きだなんて」
あえて、何をとは言わない。でもこの流れだと夜のあれのことだと聡い夢高槻には分かるだろう。思った通り、その白い頬をいっぱいに紅くさせて、高槻は非難するように尚哉に言葉を発する。
「だって……深町くんが、してくれるから……」
背丈は高槻の方が高いのに、ベッドに横になっているからか、尚哉を見上げる高槻の瞳が、表情が本日の高槻の可愛い記録を更新してくる。ちょっと瞳がうるうると膜を貼っているのも腰にくる。いや、腰に来たらだめだ。自分は夢高槻を満喫するのだ。そこまで振り切ってしまえば、気が大きくなってしまうのが人間だ。最初はシャツ一枚で狼狽えていた自分だが、折角なので、そう折角なので高槻の肌ももうちょっと見てみたい気がする。温泉に一緒に入ったことはあるが、それと、これとは全然違う。なんせ夢高槻は、きっと尚哉の願望通りに振る舞ってくれる夢の高槻なのだから。
「先生……?昨日は良く見えなかったから、シャツ脱いでもらえますか?」
「えっ……」
明らかに狼狽える高槻に、俺の夢、ストーリー性もクオリティも高いな偉いぞ俺と謎に褒めてみる。だってここは夢だから、普段は言えないことだって言えてしまうのだ。すごい。
「先生、ダメ……?」
しゅんとする演技をしてみると、慌てた高槻が「ダメじゃない」と小さく言うのが聞こえた。心の中でガッツポーズを取る。
「ちゃんと、見ててね……」
深町くん。そう色っぽく微笑んだ高槻が身体を起こし、白魚のような指先で一つだけ留まっているボタンを外そうとしたところで、急に尚哉の目の前にもやがかかってきた。頭がぼんやりして……何も見えなくなる……先生……。シャツを脱ごうとする高槻を目の端に捉えながらも、尚哉は意識を手放した。
*****
どこからか、何かが走る音、チクタクと時計が秒針を刻む音が聞こえる。瞼には朝日が優しく降り注ぎ、爽やかな春風が頬を撫ぜているようだ。微睡みの中にいる俺は、外の世界がどのようなものであるか知らない。ずっとふわふわとしたこの気持ちよさに浸っていたいけれど、まだ見ぬ世界への誘惑に勝てそうにない。目を開けるのは少し怖いけれど、思い切ってその扉を開けてみようか。
「……ん……」
そうしてゆっくりと瞼を開けた先には、神々しい白い光を纏って静かに微笑む天使が居た。
「おはよう深町くん。よく眠れた?」
「おは……よ……ございま……――え?」
まだ焦点の合わない目を何度も瞬きさせて、自分の目の前に居る人物を確認する。そこには白いシャツを一枚だけ羽織った尚哉の良く知る准教授、高槻彰良が、そこに居た。
「テイク2か……」
「え?」
「あ、いや、なんでも」
いくら自分の夢とて、限界があるのだ。あるいは「ここからは有料です」とばかりの夢コンテンツに尚哉はがしがしと頭をかく。
それから、もう一度高槻を見る。今回の夢高槻もきっと最後までは見せてくれないんだろうな、とどこか悲しくなりながらふわふわと微笑んでいる、天使の様な彼の両手を取った。
「深町くん?」
でも、どうせならば。
尚哉はどこか緊張している自分に語りかけた。現実で言えないなら、ここでだけ言っても良いだろうか。高槻への想いを、彼をどれだけ慕っているかを。高槻と付き合いたいなんて思っていない。ただそばに居られれば十分だから。でも、夢なら、昇華できないこの気持ちを受け止めて欲しい。
「高槻先生、俺、先生のこと……」
例え夢であろうとも、目を見つめて言えない自分を笑って欲しい。臆病だけど、でもこの気持ちは本物だから。高槻を抱き寄せて、その温もりに安心して、形の良い耳元に囁くように尚哉は想いを伝える。
「先生のことが、好きです」
腕の中の高槻が、震えた気がした。
*****
言ってしまえば、何だかとてもスッキリして、清々しいしい気持ちで高槻から身体を離す。しかし今回の夢はどこで終わるのだろう。前回は高槻の肌が見れる直前で、今回もきっとどこかで課金対象になるのだろうけれど。
次に先生に会ったとき、どんな顔すればいいかわからないな、なんて次に高槻に会えることを楽しみにしていると、夢高槻がさっきから一言も発していないことに気がついた。しかも、顔から首筋、胸元にかけて真っ赤になっていて小犬のようにプルプルと震えている。
「えっ?先生?大丈夫ですか?」
「……じゃない」
「え?」
「深町くんのばか!僕から言おうと思ってたのに!何でそんなにカッコいい告白するの?!本当は僕が夜景の見えるレストランで深町くんをエスコートしながら大人っぽく告白しようと思ってたのに!全然大丈夫じゃないよ!」
「え?え?」
夢高槻が突然壊れた。さっきまで大人の魅力で尚哉を籠絡させていたのに、今は子どもの癇癪というか、まるきり子どもだ。
「先生落ち着いて」
「落ち着けないよ、朝チュンルックで潜り込んで、『えっ僕たち昨日……?!』ってちょっと意識させよう計画を考えてたのに、深町くんのせいでパァだ」
「あーだから先生、そんな寒そうな格好なんですね」
「悲しくなるから納得しないで!」
高槻に言われて、そういえば……と昨夜のことに思いを馳せる。昨日は急に高槻が尚哉の部屋を訪れて、一緒に晩御飯を食べて、週末だからとお酒も飲んだ。夜も更けて高槻も珍しく酔っていたので、狭いですけど同じベッドで寝ます?ということで一緒に眠りについた。ところまで思い出した。思い出し……た――?
「……ん?」
「一緒に寝る時もさ、全然深町くん意識してくれないしさ、あーこれは脈なしかぁって寂しくなっちゃったけど頑張って早く起きてさ……って深町くん?!顔が真っ赤だよ?!」
「いいいいやこれはべべべ別に――うわっ」
「深町くん?!」
慌てて高槻から距離を取ろうと後退ったところで狭い寝具から落ちることになり、腰の痛みと共に尚哉は全てを悟った。
――これは、夢じゃない。
「大丈夫……?」
心配そうにベッドから覗きこんでくる高槻と同時に、あらわになった鎖骨と胸元が目に飛び込んできて、尚哉の目は一気に冴えることになったのだった。
Fin