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    我が主と秘密遊戯を(後編)第七章:桜よりもきみの言葉を第八章:最終決戦最終章:生還者たち第七章:桜よりもきみの言葉を 歌仙は青江の放送を中庭で聞いていた。放送が流れている間も、彼の目はただ桜を見ていた。遊戯の開始は中庭から始まり、遊戯中に何度も中庭の横を通って、その度にこの桜を見たのだけれど、何故か目を離せずにいる。
     桜に心惹かれるのは、もちろん彼が風流を愛する刀だからというのもあるが、本丸にあった桜の樹を思い起こさせるからでもあった。

     本丸に初めて春の庭が導入された日、彼は一人で江戸に遠征へ出ていた。本当は非番だったのだが、主から小判を取ってきてほしいと言われ、急遽江戸へ行くことになったのである。彼の記憶が正しければ、近侍の長谷部が貯めこんでいたはずだが、彼は疑問を口にせず本丸を出発した。一人になって考えたいことがあったので、ちょうどいい機会だと思ったからだ。
     遠征先で小判を手に入れた彼は、ゆっくりしていいという主の言葉に甘え、旅先の景色を楽しみながら何首か歌を詠んだ。しかし納得がいく出来のものはできず、心の靄も晴れないまま、本丸へ帰城したのだった。

    「おかえり、ご苦労様」
     本丸に帰ると、主が門の前で待っていた。つい目で近侍の姿を探してしまい、今は出陣中だよと笑われる。気まずさをごまかすため、彼は出迎えの理由を尋ねた。いつもの彼女なら、わざわざ門の前まで出向きはしない。
     僕の茶碗を割ったんじゃないだろうねと、前に出迎えにきた時の理由を挙げたが、彼女は上機嫌のまま彼の後ろに回り背を押した。
    「まあまあ、とにかく入って」
     門が開いた瞬間、春の匂いがした。そして門が完全に開けば、本丸を出た時にはなかったはずの、満開の桜の樹が目に飛び込んできた。

     夕暮れの中ひらひらと舞う花びらに言葉を失っていると、どうだい? と楽しそうな声が聞こえてくる。
    「雅だろう? 風流だろう? 驚いてくれたら嬉しいな」
    「主、これは一体……」
    「春の景趣を買ったんだ。これは一番に歌仙に見せねばと思って」
     歌仙はそこで初めて、本丸に自分たち以外の気配がないことに気づく。本丸は広いので離れた場所にいれば気配は掴めないが、彼女の言葉で確信した。
    「将のきみが一人きりになるなんて、何を考えているんだ!」
    「大丈夫、歌仙が帰ってくるぎりぎりまでいてもらったから」
    「何を悠長な」
    「せっかくの桜だ。まずは君に、それから二人で楽しもうじゃないか」
     主がふわりと笑い、歌仙は何も言えなくなる。彼女がたまに見せる無邪気な笑顔に、彼は弱かった。さあ飲もうと彼女が歩いていく先は縁側で、徳利とお猪口が二つ、盆の上に置いてあった。

     縁側からは桜がよく見えた。主が注いでくれた酒の上に、一片花びらが落ちる。それを見て歌仙でなく主が、風流だねぇと感想を述べた。
    「あの金庫番がよく出してくれたね」
     黒田に長くいたせいか、長谷部は倹約家だ。娯楽品に金は出さんと常々公言している。美術品を娯楽品と一括りに考えるのはいただけないが、そのおかげで蓄えがしっかりしているのも確かだ。
    「伝家の宝刀、主命さ」
    「あまりいじめないでやってくれよ」
    「可愛い子ほどいじめたくなるものだろう? 長谷部が可愛いのが悪い」
     主はくいっと酒を飲み干し、歌仙に空のお猪口を差し出す。歌仙が注いでやるも、ありがとうと礼を言った側からまたお猪口を空にした。

     次郎太刀にも引けを取らない酒飲みだから、酔い潰れる心配などしないが、それでもいつもより飲む速度が速いのが気になった。彼が思っている以上に、彼女はこの酒の席を楽しんでいるようである。
    「それにさ、歌仙の長年の功績を考えれば、春の庭にするくらい安いものだろう。君にはいろいろと苦労をかけた」
    「どうしたんだい、そんな殊勝な態度を取って。本当に僕の茶碗を割ってないだろうね」
    「ははっ、茶碗も花瓶も割ってないさ」
     豪快に笑い飛ばした後、彼女は真面目な顔をして歌仙と彼を呼んだ。彼の顔をのぞきこんだ拍子に、長い黒髪がさらりと顔にかかり、白い首筋が見えた。

    「始まりは私と歌仙、それから前田君の三人だった。霊力の高い審神者の元でならせずにすんだ苦労を、君たちにはさせてしまった。特に、君にはね」
    「僕はきみの命に従ったまでだよ。政府に一目を置かれるまでになったのは、主の努力の賜物だ」
    「嬉しいことを言ってくれるねぇ。けど、それも君が支えてくれたからこそだ。前田君もしっかりした子だけど、戦力の中心になるのは歌仙だからね。君には無茶ばかりさせた。お互い口にはしなかったが、折れるのを覚悟のうえで出陣してもらったこともあっただろう? ……今だから白状するけど、君が出陣している間、柄にもなく祈ってたんだ。私の歌仙を生きて帰してくださいって」
     知っていたよ。その言葉は口に出さす、彼は酒と一緒に飲みこんだ。飄々とした彼女が裏でどれだけ努力しているかも、皆が思うほど心が強くないことも、歌仙が一番よく知っている。そう、本丸にいる他の誰よりも。

    「一番に桜を共に見るのが、長谷部でなく僕で良かったのかい?」
     彼は悩んだが、思いきって聞いてみた。この時はまだ主と長谷部は付き合っていなかったが、互いに好意を寄せているのは見ればわかった。長谷部の彼女に対する態度は、誰の目から見ても明らかだったし、彼女も存外にわかりやすかった。
     歌仙は以前、主から心理学の話を聞いたことがあった。心理学とは人の心に関する学問であり、彼女は耳にしたことのない専門用語の説明をした後、一例として会話をする際の男女の違いを挙げた。男は好きな女の話を聞く時女の目を見、女は好きな男に話す時男の目を見つめて話す。その話を聞いた後に長谷部と話す彼女を見れば、その目は常に長谷部の目を見ていた。

    「敬愛する初期刀様を差し置いて、それはないよ」
     茶化すような言い方をしたが、歌仙が納得していないのを見て、彼女は肩をすくめた。
    「長谷部は私と一緒なら、ゴミの山でも満足するさ」
    「それは長谷部に失礼だろう」
    「そうかい? でも真実さ。長谷部が欲しいのは美しい景色じゃない、お前さえいればそれでいいという私の言葉だ。ゴミ山に囲まれても、私さえ側にいれば長谷部は満足するよ」
    「きみはそんな刀に惚れているのか?」
     歌仙が聞いても、主は返事をしなかった。ただ桜を見て、綺麗だねと言う。彼は彼女の目をそらすことなく見つめ話を聞いていたが、視線が交わることはなかった。

     その後紆余曲折を得て、主たちは恋仲になった。そして思いを断ち切れなかった初期刀は、主を神隠ししたのだった。
     彼が主に抱いていたのは、親心のようなものだった。若い娘が慣れない戦場で奮闘する姿を見て、自分が支えねばと決意した。それが他の男にやりたくないと、醜い独占欲に変わってしまった理由は、彼自身にもわからない。

     彼は桜の花を眺め続け、四組目と五組目の離脱の放送を聞き、ようやくその場を後にした。


    「残り三人から進展しないものだねぇ」
     遊戯開始二十八時間を前にし、なかなか埋まらない参加者名を見て、雅は溜息を吐いた。和泉守は彼女の持つタブレットをのぞき込む。
    「残り四人だろ?」
     彼女の勝利条件を満たすため会わないといけない参加者は、青江・徳島・蜂須賀・長谷部の四人だ。しかし雅は、いいやと言い手を振る。
    「青江君はパス」
    「あんたはあの放送信じるのか?」
     和泉守が言う放送とは、四組目・五組目の離脱直前に流された青江の放送だ。そこで彼は自身の離脱条件について打ち明けた。その時の彼らはといえば、雅が自分の本丸にいる長谷部についてへしかわへしかわ(へしかわとは、へし切長谷部かわいいの略らしい)連呼するのに、和泉守がげんなりしているところで、放送の衝撃は凄まじかった。

    「完全に信じているわけではないけど、灯篭さんの様子だと会っても無駄になる確率高そうだし。仮に彼が歌仙の敗北条件を知っていたとしても、素直に教えてくれる気がしないんだよなぁ」
    「そういうもんか?」
    「そういうもん。それに徳島さんに会うのが優先だろ?」
     和泉守は自分の出自について、雅には既に説明している。彼は蜂須賀に隠された審神者によって顕現された刀剣男士であり、彼女が隠された後は他の本丸に譲渡された。そこで長らく過ごしていたのだが、新しい主が政府上層部と繋がりがあり、政府から道具としての参加を打診されたのだ。

     彼の元主は、ここでは徳島と名乗っていると雅から聞いている。その他にも彼女は、遊戯に関する様々なことを教えてくれた。蜂須賀の勝利条件や徳島の敗北条件を知っている審神者の存在、現世の中学校だという会場の間取りから部屋の名称、更には遊戯中に鍛刀された刀の存在まで。
     そのうえで彼女は、徳島と会うまで自分を護衛してほしいと言った。彼に詳細な情報を提供したのは、申し出を断りにくくさせる狙いがあったのかもしれないが、彼からすれば顕現してもらえただけで十分な恩義を彼女に感じている。それに困っている女を見捨てるなど、和泉守兼定の名が廃るというものだ。彼は迷うことなく、彼女の申し出を了承した。

    「真面目な話、君には悪いと思っているよ。徳島さんも見つからなければ、徳島さんの情報を持っている茶坊主君とも会えない。せっかく見つけてくれた写しと長船君たちは先に離脱してしまうし、ああそれから。私の命令下にいるみたいなこと言ってごめんね。あのみっちゃんの前では、ああでも言ってはったりかまさないと収まりがつかないと思ったからさ」
    「写し、か。あいつ負けちまったんだよな」
    「ッフフ、自分が刀解されてやれば良かったって思った?」
    「んなわけねーだろ」

     和泉守が雅と行動を共にしてから会った参加者は、長船、燭台切、写し、そして灯篭だ。顕現直後に長船たちを見つけた彼だったが、その後は長い空振りが続き、なんと写しとは三回も遭遇した。体育館、音楽室、足休めで訪れた屋上。参加者の気配を感じて行ってみれば、いるのはきまって山姥切国広と瓜二つの姿になった審神者だった。彼らは和泉守が顕現される前にも会っているらしく、会う度に『またお前か!?』と叫びあっていたし、写しは和泉守に刀解させろとしつこく絡んできた。
     三回目の写しとの遭遇の後に会ったのが、灯篭だ。彼女は竜胆の刀であった五虎退と共にいた。嘘を吐くことが敗北条件である彼女は、歌仙と茶坊主の条件は知らないと言い、他にも聞かれれば素直に答えたが(ただタブレットは見せようとしなかった)、雅から情報を引き出そうとはしなかった。五虎退から一緒に灯篭を説得してほしいと泣きながら訴えられたが、彼らは図書室を後にした。

    「あんたは別に悪くないぜ、仕方ねーだろ写しも灯篭も」
     彼女にとって和泉守は重要な切り札だ、刀解させるわけにはいかない。それに灯篭の場合も、記憶のない彼女に審神者の常識を教え、心が揺れ動いている彼女に現世の良さを説くほどの時間は、雅に残されていない。
    「……兼さんはいい男だね、長谷部ほどじゃないけど」
    「ま~た長谷部か」
     慰めの言葉をかけるが、かわされてしまう。けれど、それでいいのだと和泉守は思う。きっとこれがこの女の自己防衛の方法なのだ。

    「というか、いきなりどうした? しおらしい態度取って。あんたらしくない」
    「失礼な。私もいつ離脱するかわからないから、話せるうちに話しておこうと思ったのさ」
    「肝が据わってんな。審神者はみんなそうなのか?」
    「今まで見てきた審神者を見てもそう思う?」
    「あ~……じゃ、徳島が特別ってわけでもないのか」
     前髪を掻き上げ、彼は溜息を吐く。徳島といって真っ先に思い浮かぶのは、折れた堀川を握りしめ泣く姿だ。彼女は審神者になる覚悟ができていない、お嬢さんだった。審神者たるもの、刀を失ったくらいで泣いてはいけない。泣くとしても、誰にも見られない場所で隠れて泣かなければならない。
     そして刀剣男士を信用しすぎてはいけない。すべての職務を放棄した彼女を肯定し、ただただ優しく慰める男は自分勝手な神なのだ。泣く徳島に寄りそう蜂須賀の姿が脳裏に浮かび、彼は舌打ちをした。

    「無事に徳島さんが助かったら」
     彼の様子を見た雅が、気を利かせて別の話題を振ってくる。
    「無事に徳島さんが助かったら、兼さんはどちらの主の元に戻るんだい? 徳島さん? それとも今の主?」
    「主としては、今の主の方が出来はいいんだけどよ。国広に頼まれてるしなぁ……第一、オレはあいつに嫌われてる」
    「い抜き」
    「……なあ、あんた」
    「なんでもない、なんでもないんだ。続けてくれ。嫌われているって、何をしたんだい君は」
     雅は早口で和泉守に続きを促した。
    「徳島の頬を叩いた」
    「おやおや、そういうのは信頼関係があってこそだって亀甲君も言っていたよ」
    「……」
    「冗談だよ、そんな顔しないで。それで、何か理由があったんじゃないのかい?」
     彼は返事を曖昧にぼかし、今の主との会話を思い出していた。

     和泉守は一つだけ雅に隠していることがある。彼は無事に遊戯を生き残ったとしても、本丸に戻ることはできない。遊戯終了後、刀解される運命にあるのだ。
    「お前はどんな結果になろうと、機密の漏えいを防ぐため刀解される」
     元の主を助ける方法を教える条件として、新しい主は遊戯後の刀解を了承しなければならないと言った。非情なように思えるが、政府の判断は妥当だ。永遠の命を得られると知れば、そのために審神者を神隠しする輩も増えるだろう。政府は真実を知る刀剣男士を、決して本丸に返すわけにはいかない。
     主の目は、諦めてくれと言っていた。和泉守にとって徳島がお嬢さんならば、この男は親父だった。主が神隠しされ自暴自棄になっていた彼を、見捨てることなく根気よく導いてくれた。この人のために折れるまで戦おうと誓った心に嘘はない。だが、彼は頭を下げた。
    「教えてくれ。オレはどうなってもかまわねえ」
     主は術を施した書面に彼が血判を押すのを確認してから、秘密遊戯について語った。神隠しされた審神者と神隠しした刀剣男士による命がけの遊戯。その遊戯に道具として参加する彼は、場合によっては顕現すらできない可能性もある。しかし、和泉守はまったく後悔していなかった。

     改めて礼を言う和泉守に、主は遠い目をして言った。
    「やはり生みの親の方がいいんだな」
     頭を上げた彼が見たのは、主の目元で光る涙だった。情に厚い男だが、泣くのを見るのは初めてだった。
    「オレの主はあんただ」
    「いらん気づかいはせんでいい、お前らしくもない」
     主は空笑いするが、彼は真剣な面持ちで訴えた。親父のように慕う男に、自分の気持ちを誤解されたくなかった。
    「嘘じゃねえ! オレはあんたのためなら折れてもいいと思った。あんたはそう思わせるだけの主だ!」
    「それならどうして」
    「国広との約束なんだ。主、頼む。オレを男にしてくれ」
     
     ──兼さん、主さんのことよろしくね。

     彼は今でも死に際の堀川の言葉を忘れない。

     ──僕が死んだら、主さん泣いちゃうだろうな。兼さん、怒らないであげてね。

     彼より先に顕現されていた堀川は、和泉守の世話より主の世話を焼きたがった。重傷を負っていたのに無理な進軍を決めたのは、主が政府から成績の悪さを咎められていると知っていたからだ。

     ──もし主さんに笑顔が戻ったら……。

     堀川は最後の力を振りしぼり、和泉守の耳元へささやくと人の体を失った。彼の手に残ったのは、鉄くずだった。
    「オレは国広の、相棒の最後の願いを叶えてやりたいんだ。このままじゃ、あいつに顔向けできねえ」
     畳に頭を擦りつける和泉守だったが、ぐしゃぐしゃと頭をなでられる感触がした。
    「行ってこい! お前は俺の自慢の息子だ!」
     涙混じりの声に彼も我慢できなくなり、主の手の温かさを感じながら彼も泣いた。
     
     兼さん、兼さんと呼ばれ和泉守は現実に帰った。兼さんと呼ぶのは彼の相棒ではなく、雅だった。
    「どうしたの、ぼーとして。おねむ?」
    「ガキ扱いすんな!」
     手が出かけたが相手は女だと思い出し、慌てて引っこめる。その様子を雅がケラケラ笑い、短気な彼は頭に血を上らせたが、階段付近から気配を感じ走り出した。


     急に走り出した和泉守を追い雅も走ったが、階段に着いた時には彼の姿はなかった。上に行ったのか下に行ったのか判断しかねていると、下の階から主と叫ぶ声がする。彼女は声を頼りに二階へ駆け下り、斜め前の廊下に和泉守を見つけた。
    「やめて、離して!」
    「主、オレだ! あんたの和泉守兼定だ!」
    「離して!」
     和泉守の背に隠れ姿は見えないが、彼が掴んでいるのは女の手だった。和泉守の行動からして、徳島に間違いない。
    「一旦徳島さんから離れて」
     振り返った和泉守ににらまれるが、彼女は怯えることなく、一音ずつゆっくりとは・な・れ・ろと言った。

    「君、自分が大きいことわかっている? そんなのにいきなり迫られたら、女性は怖いよ。……ああ、大きいっていうのは体のことであって」
    「わかったから、そのネタやめろ」
    「やったね、効果はバツグンだ!」
     げんなりとした和泉守が徳島の手を離すが、雅は自分の所まで来いと手で招き寄せる。和泉守は渋々といった様子で、離れた場所にいる彼女の後ろに付いた。
     雅は改めて徳島の姿を見たが、彼女はごく普通の若い女性だった。ゆるふわパーマにガウチョパンツと、五年から十年前に、同じような格好の女の子たちが街を歩いていたことを思い出させる。

     彼女は自分の第一印象がうさんくさいであることを知っていたので、竜胆をイメージして徳島に話しかけた。中身はともかく、竜胆の第一印象はかなり良かった。
    「私は雅といいます。歌仙兼定に隠された審神者です。勝利条件は全参加者と会うことで、敗北条件は刀剣男士が三人勝利条件を満たし遊戯を離脱すること。今は他の審神者の気がしてわかりにくいかもしれないけど、この兼定は君の本丸にいた和泉守兼定だよ。君を助けるために、政府の道具として参加している。……ほら、彼女と君にしかわからない話とかないの?」
     警戒心が強いのか、竜胆の真似をしてもうさんくささは消えなかったか。徳島の顔にはまだ怯えがあった。事態を打開するため、雅は和泉守に話を振る。

     彼は視線を泳がし、しばらくあ~と唸ったり黙りこんだりを繰り返していたが、いきなりすまなかったと頭を下げた。
    「女に手を上げるなんて最低だった」
     突然のことに雅と徳島は呆気に取られていたが、彼は顔を上げぬまま彼女を叩いた理由を告げた。
    「国広が折れた時、あんたは蜂須賀を『堀川が贋作かもしれないから、死んだっていいと思ってるのか』って責めた。あんたがそんなこと言って悲しむのは国広だ。あんたを止めたくて、けど止める言葉が思いつかなくて、手が出た」
     雅は徳島の様子を確認したが、彼女は見るからに動揺していた。けれど、まだ完全に信用したわけではない。彼女はいつでも逃げられる体勢のままでいる。

    「あんたが蜂須賀以外のやつを側に寄せなくなったのは、思えばオレがあんたを叩いてからだ。国広からあんたのこと頼まれてたのに、神隠しの原因を作ったのはオレだ。……すまなかった」
    「それは違うわ」
     今まで黙っていた徳島が声を上げる。震える手を胸の前で握り、当時の心境を語る。
    「私はあの時あなたに叩かれて、自分が最低なことを言ったのに気づいた。それでも許してくれた蜂須賀に甘えていれば楽で、彼以外の人は私を責めるかもしれないと思ったら怖くて。あなたは何も悪くないわ」
     和泉守は頭を上げ、真っ直ぐに彼女を見た。
    「オレはあんたのこと守りたかった国広の代わりにここにいる。オレのことは信用できないかもしれねえ、でも国広のことは信用しちゃくれねえか?」
     彼の言葉を聞き、今度は徳島が下を向く。鼻をすする音と目元を拭う仕草から、泣いているのがわかった。

     雅は上手い攻め口だなと感心した。自分の采配ミスで殺してしまった、しかも可愛がっていた部下のことを持ち出せば、誰でも心は揺さぶられる。揺さぶって冷静さを取り上げてしまえば、人というのは簡単に思いどおりになるものだ。
     そこまで考えて、彼女は額に手を当てた。心が荒んでいる。もらい泣きできるほどの心の余裕は欲しいものだと考えたところで、また自己嫌悪に陥った。荒みすぎだ。
    「よしっ」
     深みにはまってしまいそうなマイナス思考を打破すべく声を出すと、タブレットを片手に徳島に近寄った。肩を叩くと徳島は身を引いたが、わざと距離を詰めた。
    「時間が惜しい。私のタブレット見せるから、君のタブレットも見せて」
     タブレットを顔の横に置き見せれば、徳島が和泉守の顔をうかがう。そいつは信用していいと彼からお墨付きをもらい、徳島は自分のタブレットを、雅に差し出した。
     こんなに簡単に信用して大丈夫かと主従そろってのお人よしぶりに内心苦笑しつつ、雅は徳島のタブレットで参加者一覧を開いた。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 ???
     敗北条件【嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく】
    刀剣男士1:にっかり青江/勝利
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 ???
     敗北条件【???】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者3:長船
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【???】
     敗北条件 ???

    審神者4:雅
     勝利条件 ???
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 ???
     敗北条件 遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件【???】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???

    審神者7:友切
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【???】
     敗北条件 ???

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 ???
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 ???
     敗北条件 ???
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【???】


    「どうして歌仙の敗北条件を知っている?」
     画面を見たまま尋ねる。刀剣男士の敗北条件は刀剣男士しか知らないはずである。刀剣男士と繋がっている可能性が頭をもたげた時、彼女は背筋が寒くなるのを感じたが、徳島は自分が疑われていることに気づいていない。焦ることなく、青江から聞いたと告げる。
    「あの放送があった時、私も放送室にいたんです。彼が本当のことを言っているのか信じられずにいたら、彼の方からタブレットを見せてきて。彼が持ってたのは写しと歌仙の条件でした」
    「つまりもう少ししたら、青江君の組が離脱するのは確かか。……しかし、まいったな」

     雅は歌仙の敗北条件が書かれた部分を、指で押さえた。『遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす』。あの時、茶坊主と一緒にいるのを歌仙に見られた時。札で歌仙の動きを封じなければ、今頃遊戯に勝っていたかもしれない。あの時の彼は頭に血が上っていて、本気で茶坊主を殺そうとしていた。
    「ま、茶坊主君はいい子だから。結果的にはこれで良かったのかな」
     徳島にタブレットを差し出すがすぐには気づかず、どうぞと言えば徳島は慌ててタブレットを受け取った。画面に釘づけになる気持ちは雅にもわかる。彼女のタブレットには、蜂須賀の勝利条件が書いてある。

    「なんかわかったか?」
     雅の言いつけを守り一人離れた場所にいた和泉守が聞いてくるが、雅は和泉守に向き直り胸に右手を置いた。そして深呼吸を数回してから、彼に言った。
    「私を切ってくれ」
    「はぁ?」
     悪い冗談だと呆れた声を出す和泉守だったが、彼女の顔つきを見て態度を改めた。背筋を伸ばし、何があった? と再度尋ねる。
    「歌仙の敗北条件がわかった。『遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす』。幸い参加者のと限定されていないから、君でもいいはずだ。一思いに切ってくれ」
    「青江の組が抜けんなら、あんたは蜂須賀と長谷部に会えば勝てるんだ。そんなに急ぐ必要ねーだろ」
    「参加者に会うのがどれだけ難しいか、君が一番わかっているだろう。それに私が早く抜けた方が、徳島さんのためにもなる」
    「どういうことだ?」
     徳島の勝利のため遊戯に参加した彼としては、聞き捨てならない台詞だった。雅は徳島の二つの離脱条件を挙げ、できるだけ早く遊戯を終わらせる意義を説いた。

    「彼女の勝利条件は最後の一組になることで、敗北条件は参加者に真名を知られることだ。神隠しされているくらいだから、ハニーに真名はばれているだろう。ハニーが彼女の敗北条件知ったら、近くにいる参加者に教えるよね? というか、青江君みたいに放送したら一発だ」
     横目で見た徳島は、口を押え青い顔をしている。どうやら彼女は今まで雅の言う可能性に気づいていなかったらしい。
    「私と灯篭が抜けたら、残りは茶坊主君だけだ。君は彼を勝たすことだけに注力すればいい。彼がハニーにタブレットを奪われて、敗北条件が伝わることも防げるんだから尚更いいだろう」
    「でも! 遊戯後にどんな影響があるかわからないんですよ? 和泉守が言うように、もう少しだけ粘ってみましょう」
    「歌仙の勝利条件がわからない。二人に会う前に歌仙が勝利条件を達成したら、すべて台無しだ」
     雅はもう一度自分の胸を押さえ、和泉守に叫ぶ。

    「切れ、兼定!!」
     和泉守は舌打ちし(どうしようもできない自分にいらだったのだろう)、刀を鞘から抜き構えた。待ってと徳島が彼女の前に出てかばうが、雅の覚悟は決まっていた。歯を食いしばり、今から来る痛みに耐えようとした。
     場に静寂が訪れると、和泉守と雅の間にある中央階段から足音が聞こえてきた。和泉守が顎をしゃくり後ろに下がるよう指示する。雅は徳島と一緒に放送室の前まで下がり、様子を見守っていたが、心のどこかでほっとしている面もあった。コツコツと靴の音がするので、着物の歌仙ではないと思ったからだ。
     しかし階段を上がってきたのは歌仙だった。反射的に足元を見たが、彼が履いていたのはブーツで、自分のバイアスのかかった思考に彼女は嫌気がした。

    「きみという人は……。僕と同じ刀派とはいえ、彼はないだろう」
    「あぁ!?」
    「君こそわからない人だな。私は一途だって言ったはずだ」
    「うるさい」
     次の瞬間には、刀がぶつかり合う音がした。きゃあ! と悲鳴を上げる徳島を抱きとめ、雅はこれからどうすべきかを考える。歌仙と和泉守、極と高練度の特。……和泉守の方が分が悪い。
    「首を差し出せ」
    「そらよ!」
     歌仙が突いたのを和泉守が払ったが、まさに間一髪。狭い校舎内での戦いでは、スピードがあり小回りが利く歌仙の方が有利だ。

    「離脱者の発表を行います。審神者1の灯篭、敗北。刀剣男士1のにっかり青江の勝利です」

     二人の動きが一瞬止まったが、すぐに切り合いが再開される。徳島は苦い顔をしてスピーカーを見ていたが、雅は彼女の耳元に顔を寄せ、二人の戦いを見ながらささやいた。
    「歌仙がいなくなったら体育館に行って」
    「え?」
    「伽羅ちゃんみたいに愛想なくて、い抜き・ら抜き言葉にこだわる変な男が来ても、信用してあげてほしいな。その子が茶坊主君だ」
     頼むよと最後に言い、彼女の手にまだあった自分のタブレットを取ると、放送室に走っていった。勢い良くドアを開ければ、機材の上に乗った魂之助と目が合う。霊的な力で放送しているのかと思いきや、放送室で行っていたとは意外だ。
    「どうやれば放送できるんだい? こっちのレバー上げるの?」
     機材の前にやってきた雅は、一番大きなレバーを指さし、マイクの前に座ったままの魂之助に聞く。

    「貴方もですか」
    「遊戯の決まり事に、放送室の使用については何も書いていなかっただろう。嫌なら次回の秘密遊戯では付け加えておくことだね。それで、どうなんだい?」
    「……機材に傷はつけないでくださいね。まだ使うんですから」
     魂之助は音量のレバーでなくマイクの斜め上にあるスイッチを押すよう言ってから、姿を消した。瞬間移動はできるくせに、放送は機械に頼っているのは不思議だが、彼女は言われたとおり放送のスイッチを入れた。
    「爪紅だ! 君と私の始まりの場所で会おうじゃないか。君は今来られる状況かな? 待っているよ」
     スイッチを叩くように切ると、今度は職員室に向かって走っていく。放送室から出てきた雅を見て、徳島がどこに行くんですか!? と叫んだが、彼女は美術室に行くことだけを考えていた。


     青江なんて嫌いと灯篭が叫んだ時、茶坊主は助かったと思った。彼女は青江への思いを断ち切ることができたと思ったのだ。しかし、彼女は茶坊主を押しのけ青江の元に行き、それと同時に彼女の敗北を告げる放送が聞こえた。
     茶坊主は頭の整理が追いつかず、体が透明になっていく二人を、ただただ見ているしかできなかった。だが、青江の視線が彼に向けられた時、温厚な彼にしては珍しく激しい怒りがこみ上げてきた。

     ──残念だったね。

     声に出さずとも、そう言われたのがわかった。今すぐ一発殴ってやりたい情動を抑え、彼は青江に聞いた。
    「長谷部の条件は?」
    「まだ諦めてなかったんだ」
     青江は灯篭の体を更に抱きよせると、赤い舌を出した。
    「この子に触ったから教えてやらない」
     今まで飄々として感情を読ませなかったのが一転して、機嫌が悪いのを隠そうともしない。青江に残念だったねと言われた時、彼は灯篭の葛藤や彼自身のあがきをあざけり笑っているように感じたのだが、ひょっとすると自分の審神者に触れた茶坊主が気に食わず、ケンカを売っただけなのかもしれない。
     激しい怒りは静まったが、代わりにこれまでに経験がないほど茶坊主はイライラし、殴ってやりたいという思いはそのままだった。

    「爪紅だ!」

     スピーカーからの放送に彼は身がまえたが、魂之助の声ではなかった。

    「君と私の始まりの場所で会おうじゃないか。君は今来られる状況かな? 待っているよ」

     早口の放送はものの数秒で終わった。しかし、茶坊主にはそれで十分だった。
    「行くぞ」
    「主」
    「止めても無駄だ」
    「止めはしないけど」
     そう言って、小夜は彼に刃を向けた。元から冗談を言うタイプの刀ではないが、小夜から伝わる気迫に彼は出口に向かおうとしていた足を止め、唾を飲みこんだ。
    「あなたがあなたの勝利を蔑ろにする行動をしようとしたら、僕は迷わずこの刃をあなたに突き立てて、あなたを止める」
     小夜の刃はなおも彼に向けられたままだ。茶坊主は目を閉じ、深呼吸を三度ほど繰り返してから、小夜の頭に手を置いた。
    「肝に命じる」
     うつむいてしまった小夜に、茶坊主は自分の本丸にいた小夜の姿を重ねる。嫌ではない、むしろ喜ばしい。けれどその感情を素直に受け入れられず、困って固まってしまう。まさに彼の知る小夜左文字であり、胸が苦しくなった。
     彼の本丸にいた小夜は、きっと刀解の道を選んだだろう。だからせめて、この小夜は遊戯後に良い審神者に引き取ってもらえればと願うのだった。

     家族に助けを求め泣いていた友切と、救えたかもしれないのに目の前で敗北した灯篭。二人の少女の敗北が、彼を感情的にしていたのは間違いない。小夜が忠告してくれなければ、自分の勝利を無視して雅を助けようとしていたはずだ。
    「雅さんを助けるためじゃない。雅さんが長谷部の離脱条件を持っているかもしれないから会いにいく。それでいいな?」
    「わかった。どこへ行くの?」
    「美術室」
    「この穴に手を突っこんでごらん」
     突如会話に入ってきた青江を見ると、彼の姿は輪郭も朧になり、消える寸前の状態になっていた。灯篭の腰に手を回していたが抱きしめてはおらず、灯篭は彼に寄りそうように立っていた。青江の側に立つとより幼さが強調され、茶坊主の罪悪感を刺激する。

    「……そのフェンスの穴か?」
     青江の顔の隣に、フェンスが一部破れ、拳大の穴ができている。青江はそうと肯定した。
    「ここだけ結界が特殊な形になっていて、手を通すことができる。他の場所は指一本金網の外に通らないのにね。……ここの道具はまだ残っている。君の離脱条件が遊戯の経過時間に係わるものなら、きっと役立つよ」
    「青江」
    「これが最大限の譲歩。さあ、早く君の運命に会いにいくといい」
     青江と灯篭のやり取りを見るに、彼女が口添えをしてくれたのだろう。灯篭は茶坊主を見ると、ありがとうと礼を言う。満面の笑みではなく、どこか陰りを帯びた笑みだったが、彼女はこの結果に満足しているようだった。

     彼は二人が消えるより前に屋上を出た。後ろで扉が閉まる音がし、彼はとっさに飲みこんだ自分の言葉を思い返していた。『お前、負けるつもりなんてなかっただろう』。離脱条件に遊戯の経過時間が係わるのは青江もだ。灯篭を屋上に誘き出したのも、いざという時に道具を使うため。
     これで良かったのだろうか。また自分の勝利のこと以外に思考が偏りそうになり、彼は首を振って雑念を頭から追いやった。

     屋上を出ると長谷部が札を握りしめた状態で立っていた。札の効力で微動だにしなかったが、彼の目は茶坊主だけに向けられている。屋上にいる間もそうだったのかと思うと気味が悪く、彼は外階段でなく一番手前の階段から三階へ下りた。
     物の散乱した廊下で転ばないように気をつけながら、茶坊主と小夜は美術室へ行き、戸を開ければ黒板の前に立つ雅が見えた。彼女の近くに短刀の姿は見えない。鍛刀できなかったのか失ったのかは定かでないが、よくぞ今まで生き残ってくれたと思う。
    「私のメッセージに気づいてくれたみたいだね」
    「俺の知る限り貴方が爪紅と名乗ったのは、俺と竜胆に対してだけですし。それにら抜き・い抜きでしゃべらなかったのは、俺へのアピールでしょう」
    「お見事」

     会話の最中も雅は早足で彼に近づくが、小夜に警告され足を止める。しかし雅は黙って自分のタブレットを茶坊主に投げて渡した。とっさに受け取るも彼女の行動の真意が読めずにいれば、時間がないんだと雅は言う。
    「再会の抱擁を交わす時間もないなんて悲しいよね」
    「女性と抱き合っても嬉しくない性分なので、俺は一向にかまいません」
    「そうかなとは思ってたけど、やっぱりか。いい男にゲイが多いって本当なんだねぇ」
     雅は驚きはせずしみじみそう言ったが、真剣な面持ちに変わる。
    「歌仙の敗北条件は『遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす』。小夜に私を切ってほしい」
    「全参加者と会うのは難しそうなんですか?」
    「残りはハニーと君の長谷部だ。だけど早く私が抜けないと、徳島さんが危ない」
    「徳島に会ったんですか?」
    「会ったよ。時間がなくて私のタブレットには書きこんでないけど、徳島さんが長谷部の勝利条件を持っていた。長谷部の勝利条件は『自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる』」

     情報処理室や四階の廊下で自分に接触を図ってきた長谷部の真意を知り、茶坊主は鳥肌が立った。だが、雅は立て続けに彼に情報を伝えていく。
    「私が離脱したら体育館に行って。そこで徳島さんと彼女の和泉守兼定と合流してくれ。兼さんは特だけど練度高いし、場数も踏んでる。徳島さんの勝利条件が最後の一組になるって条件である以上、君のことを助けてくれるはずだ。頼りにしていい。……本当は兼さんに切ってもらうつもりだったんだけど、今は歌仙と戦闘中なんだ」
    「雅さん」
    「何? 時間がないんで、質問は必要最低限にしてほしいな」
    「現世に帰ったら、また会いましょう」
     雅の体を心配する気持ちはあるけれど、確実に現世に帰られる方法があるのなら、それを速やかに選んだ方がいいと彼は思う。帰られさえすれば、後はどうにでもなる。

     茶坊主の言葉がよほど意外だったのか、雅はぽかんとした顔をして彼を見ていたが、肩を揺らして笑い出した。
    「ああ、会おう。君とはいい友達になれそうだ。けど君がゲイだってこと、ちゃんと私の長谷部に説明してね。あの子、誰彼かまわず嫉妬するから」
    「現世に帰ってまで、長谷部には会いたくないです」
    「そう言わないで。私の長谷部は世界一どころか森羅万象、ありとあらゆるものの中で一番可愛いよ」
    「……貴方はそういう人でした」
     茶坊主が小夜を見ると、小夜は目で本当にいいのかと聞いてくる。彼は黙って頷いたが、そこで小夜が歌仙と交わした約束を思い出した。
    「歌仙との約束、破らせてしまうな」
    「別にいいよ。元々守る気はなかったし」
    「おい」
    「あんな歌仙との約束なんて、守らなくていい」
     小夜は刀を構えると、雅に刺す場所を尋ねる。切るより刺す方が失血が抑えられるからとだという。雅はう~んと唸り自分の体を足の爪先から肩まで眺めたが、小夜に左手を広げて見せた。

    「とりあえず左手からいこうか。これで勝てなかったら、他の場所も頼むよ」
    「わかった」
    「もう少し戸惑ってくれてもいいんだけど」
     雅は苦笑しながら、床に左手を突いた。茶坊主が目隠しをしようかと提案したが、見えないところで刺される方が怖いと彼女は言う。注射の時も目をそらさないタイプなんだとおどけるが、彼女のこめかみには汗が流れていた。
     小夜は柄を両手で持ち、頭の上にまで持ち上げると、一気に雅の手に刀を振り下ろした。ダンっと物がぶつかる大きな音がし、低くうめく声がする。小夜の刃に貫かれた手から血が溢れて、白いタイルに流れ落ちていく。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士4の歌仙兼定、敗北。審神者4の雅の勝利です」
     
     勝利を告げる放送が流れても、小夜は失血を抑えるため刀を抜かない。雅も項垂れたまま小夜には何も言わず、茶坊主に指示を出した。
    「私のタブレットが無事なうちに、必要なことは書き写して」
    「わかりました」
    「まったく、主従そろって似てるね」
    「似ている、です」
    「ははっ、そうだった」
     雅は力なく顔を上げたが視線が小夜の顔、正確には小夜の顔の少し隣で固定された。そして右手を小夜に向かって伸ばす。小夜はその手を払おうとしたが、考え直し手を下ろした。しかし雅が触れたのは小夜ではなく、小夜の笠にあった桜の花びらだった。

     中庭やその周りを通った時に入ったのだろうが、あんなに激しく動きまわったのに、笠に花びらが残っているのは不思議だった。
    「どうしてだろうね」
     花びらを見つめながら、雅がつぶやく。
    「桜なら、長谷部との思い出もいっぱいあるのに。どうして……」
     彼女は弱々しく笑い、歌仙に別れを告げた。

    「さよなら、私の初期刀様」


     和泉守に刀を飛ばされた拍子に歌仙は後ろに倒れ、左手を床に食い止められた。痛みに声を漏らすと、放送が聞こえてくる。

    「離脱者の発表を行います。刀剣男士4の歌仙兼定、敗北。審神者4の雅の勝利です」

    「お小夜だな」
     今までの放送から考えれば、彼の主が勝利条件を達成したのではなく、彼の敗北条件が満たされて負けたのだ。それならば刀剣男士の誰かが審神者に重傷を負わせたことになるが、彼は犯人は小夜だと確信した。
    「お小夜は冷たいな」
     言葉とは裏腹に、歌仙の顔は穏やかだった。不思議なことに荒れた心は敗北を聞いたことで凪いだ。
    「僕はね、主と一緒にいるのにゴミの山で満足なんかできない」
     今から言うのは誰を責めるわけでもない、ただの独り言だ。胸に閉まったまま消えることも選べたけれど、どんな形であれ彼は自分の想いを表したかった。

    「僕が美しいと思うものを、彼女にも見てほしい。共に美を分かち合いたい。文系名乗る以上、当然だろう」
    「……」
     歌仙の攻撃を受け、至る所に傷を作った和泉守が見下ろしている。彼は黙って歌仙の言葉を聞いていた。もしかしたら歌仙が思っているより、情緒を理解している刀なのかもしれない。思わぬ発見だと思い、歌仙は笑った。そして目を閉じ、ずっと隠していた願いを口にした。
    「それでも春の景趣と彼女の言葉、どちらかしか選べないとしたら……。僕も、彼女の言葉の方が良かった」
     お前さえいればそれでいい。彼女が側にいて、そう言ってくれるのならすべてを捨てた。和泉守が手から刀を抜いたが、痛みはしなかった。彼の体は既に薄くなっており、自分の神気がどんどん抜けていくのがわかった。

    「好きな女に無理強いをした時点で、あんたの負けだ之定」
     和泉守に歌仙の思いやその背景はわからないはずだ。それでも彼の言葉は的確で、歌仙が一番よくわかっていることでもあった。歌仙は左腕を宙に伸ばす。血が腕を伝い落ちてくる感触がした。
    「あぁ……これが彼岸か。詠まねば……筆を……誰か、僕の筆を」

     ──筆が欲しいのなら、右手を伸ばすべきだろう。おかしな人だね。

     伸ばした手を誰かが掴む。彼の手を掴んだのは白くて細い女の手だったけれど、彼と同じように手の甲に刀で刺された痕があり、血が流れていた。
    「主」
     彼の手を取ったのは、巫女装束姿の彼の主だった。彼女が巫女装束を身につけたのは一度だけ。審神者就任初日、歌仙を顕現させた日一日だけ。政府の担当者に強く言われて着たらしいが、彼女の感性には合わなかったようで、それ以来一度も着ていない。

     本人には決して言わなかったが、顕現されて自分を呼び出した主を見た時、歌仙は天女が舞い降りたのかと思った。彼女の美しさに言葉を失う歌仙を見て、彼女は手を差し出し握手を求めた。
     あの日と同じように歌仙は彼女の手を握り、『君が歌仙か。これからよろしく』と言われるのを待った。けれど彼女は歌仙の手を握り返さず、血の流れる手の甲に口付けをした。

     ──さよなら、私の初期刀様。
     
     彼女の顔は血で汚れておらず、美しいままだった。歌仙は彼女を見て、蕩けるような笑みを浮かべる。ようやく僕の目を見てくれたね。彼は体の消えるその瞬間まで、彼女の目を見つめていた。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件【嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく】
    刀剣男士1:にっかり青江/勝利
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する
     敗北条件【30分以上同じ部屋に留まる】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する】
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件【遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 ???

    審神者6:徳島
     勝利条件 自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件 ???

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
    校長室:クラッカー
    職員室:位置情報アプリ
    美術室:拘束札×2
    図書室:参加者Aの日記帳
    理科室:和泉守兼定
    体育館:手伝い札
    情報処理室:鍛刀部屋
    水泳プール:???


    第八章:最終決戦「そんな所で何をしてるんだい?」
     四階に上がってきた蜂須賀が見たのは、廊下の真ん中で突っ立っている長谷部だった。左腕を横に伸ばした変な格好のまま動かない。長谷部は蜂須賀をにらみ、忌々しそうに札にやられたと白状した。よく見れば握りつぶした札の端が、長谷部の手の甲にくっついている。
    「ああ、歌仙がやられたのと同じやつかな」
    「歌仙が?」
    「一組目が離脱して少し経ったくらいだったかな、一階で君と同じように固まっている歌仙と会ったんだ。俺の力でもはぐことはできなかったから、その時はその場で別れたんだが、次に同じ場所を通った時には歌仙の姿はなかった。一定時間経てば、効力は切れるんだと思う」
     歌仙と会った時、彼はかなりいらだっていた。聞けば彼の主が男の審神者と一緒にいたらしく、次に会った時は首を落としてやると息巻いていた。歌仙の離脱条件を聞いて落ち着くよう諭したのだが……。

    「審神者に重傷を負わしたのは君か?」
     歌仙は『遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす』という敗北条件を満たし、負けてしまった。今更犯人を捜しても仕方がないかもしれないが、蜂須賀にとっては重要なことだった。長谷部が自分よりも弱い審神者に暴力を振るう男なら、協力などできない。
     蜂須賀の責めるような眼差しから、彼の考えを見抜いた長谷部は鼻で笑う。しかし身動きの取れない状態でもめ事を起こすのは、得策ではないと判断したようだ。
    「俺が主に札を使われたのは、あの脇差が離脱する前だ。俺じゃない」
    「じゃあ一体誰が」
    「小夜じゃないか。主がお連れしていた」
    「五虎退がまだ生きている可能性もあるね。もしくは、俺たちの知らない第三の刀剣男士がいるか」
     竜胆が彼に五虎退を見せてきた時は顕現されていなかったが、その後会った灯篭の口ぶりからして、五虎退は少なくとも一度は顕現されている。更に鍛刀部屋がある以上、彼らが知らない刀剣男士が生み出されていても不思議ではない。

    「そうだ。君が持っている離脱条件を教えてほしい」
    「なっ! 貴様何をする!?」
     蜂須賀は長谷部のカソックを広げると、内ポケットを探すため手を這わす。やめろと長谷部が怒鳴るが、蜂須賀は意に介さず見つけた内ポケットに手を突っこみ、タブレットを取り出した。
    「俺の勝利条件は『全参加者の離脱条件を把握する』でね、一言一句間違えてはいけないんだ」
     そう言って、彼は長谷部のタブレットに書かれている離脱条件を読みあげた。彼のタブレットは他の参加者と仕様が異なり、正しい離脱条件を読みあげると参加者一覧に自動反映される仕組みになっている。蜂須賀は自分が持っていない長船・雅・写し・徳島・友切の勝利条件、一期・山姥切・髭切の敗北条件、そして長谷部の二つの離脱条件を読みあげ、すべて自分のタブレットに反映されたのを確認した。
    「山姥切の敗北条件は『刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する』か。山姥切と協力できたんじゃないか?」
    「やつとは会ってない」
    「そうか。ところで長谷部」
    「なんだ?」
    「俺の敗北条件は『勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる』だ。これまでに勝利条件を達成し遊戯を離脱したのは、髭切と燭台切だけ。俺は君が先に離脱してもいいと思ってたんだが……彼女がこんな勝利条件だなんてね」

     徳島の勝利条件は『自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる』であり、長谷部に先を譲れば彼の負けが確定してしまう。蜂須賀は悩んだが、背に腹は代えられなかった。
    「俺と手を組まないか?」
     審神者相手に刀剣男士が手を組んで追いつめるのは彼の信条に反するが、自分が抜けるまで長谷部に待ってもらわないといけない。蜂須賀は自分のタブレットを長谷部に見せた。
    「君が隠した審神者の勝利条件は『審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する』。俺が勝ちさえすれば、君が負けることはない」
    「それだけではお前に協力する利点はないな」
    「動けない君の代わりに、君の審神者を探して拘束しておこう」
    「……」
    「もちろん怪我はさせないさ」

     長谷部は黙って考えていたが、しばらくしてわかったと了承の言葉を口にした。蜂須賀はよろしく頼むと言ってから、一階の地図のある部分を指さした。
    「遊戯開始から三十時間経って、動けるようなら『ここ』に来てほしい。特徴的な場所だからわかりやすいだろう?」
    「まだ動けない場合は?」
    「それから一時間おきに顔を見せるよ。ただ歌仙のことを考えれば、札の効力はそれほど長くないと思う」
     それじゃあまたと片手を上げ、蜂須賀は三階へ下りようとしたが、長谷部が引き止めた。
    「主は政府が用意した道具を持っているかもしれない」
    「長谷部に使った札がまだあるのかい?」
    「何を持っているかはわからん。ただ先ほど新しく手に入れたかもしれん」
     長谷部は歌仙敗北後に、茶坊主が屋上を訪れたことを告げた。彼は青江に会うため一度屋上を訪れているが、一旦去った後、時間を置かず再び屋上へ来た。更に気になるのは、二回目はごく短時間で屋上から出てきている。

    「主は屋上で道具を見つけたが、爪紅とかいう女の放送で呼び出され、一旦屋上を離れられた。しかし用事が終わったので、道具を取りに来られた。爪紅というのは、お前の女か?」
    「声も口調も、俺の主のものではなかった。あの時点で他にいたのは、灯篭と歌仙の主……歌仙の主だろうね」
    「俺の主に馴れ馴れしく……売女が」
    「女性を侮辱する言葉は感心しないな」
    「黙れ、さっさと主を探してこい」
     互いににらみあうがそれ以上言葉は交わさず、蜂須賀は階段を下った。腹の中では虎徹の真作があんな品のないやつと協力しないといけないなんてと憤っているが、約束した以上、茶坊主を探すことは忘れない。
     長谷部から身体的な特徴は聞いてはいないが、徳島以外の審神者が即ち茶坊主である。見ればすぐにわかるはずだ。

     彼はまず一番近くにある壁が穴だらけで黒い大きな楽器がある部屋へ行こうとしたが、廊下の隅に置かれている縦長な金属の箱から、箒が倒れて飛び出ているのが見えた。放っておけばいいとはわかっていても、育ちの良さ故に見過ごすのは気持ちが悪い。蜂須賀は一度顔を背けたが、早足で金属の箱の前に行き、箒を中に入れてから扉を閉めた。
    「(掃除用具入れか)」
     箱の中には箒の他にも、塵取りや雑巾といった掃除用品が収納されていた。誰かがぶつかったのか、箱の中身はぐちゃぐちゃになっていたが、さすがの蜂須賀も見なかったことにした。
     気を取り直して捜索を続けようとしたが、靴に何かが当たった感触がし、足元を見ると薄い板が落ちていた。開いた扉が邪魔して、離れた場所からでは見えなかった。

    「まさか」
     にわかには信じられなかったが、拾い上げると参加者が持っているタブレットと同じものだった。出っ張りを押し起動させれば、やはり彼のと同じく『遊戯の決まり事』・『参加者一覧』・『地図』の三つが画面に表示される。
     彼は持ち主を特定するため参加者一覧を開こうとしたが、いくら押しても反応がない。試しに遊戯の決まり事を押すがこちらも画面は動かず。故障しているのかもしれないと疑いつつ、最後に地図を押せばあっさりと画面が切り替わった。
     校舎の見取り図が出てきたのはいいが、その上を四つの青い点と二つの赤い点が点滅していた。配置は不規則で青い点が四階と三階に一つずつ、一階の北西の部屋に青い点と赤い点がそれぞれ一つずつ。残りの二つは一階の廊下の上を動いている。
    「……なるほど」
     彼は職員室で見た道具の説明書きと、遊戯前の説明であった離脱者の道具の扱いについて思い出した。


     歌仙との戦闘が終わると、徳島と和泉守は体育館に向かった。茶坊主が本当に現れるのか、果たして信用できる人物なのか。何もわからないが、雅を信じるしかなかった。たどりついた体育館には誰もおらず、和泉守は校舎側の入り口と部室棟への渡り廊下の両方が見える場所に座り、徳島も彼の隣に座った。
     和泉守と二人きりになり何を話せばいいか迷ったが、和泉守は淡々と遊戯中に仕入れた情報を彼女へ伝えていく。彼女は正面を向いたまま話を聞き、彼も視線の位置は二つの入り口に固定されていた。和泉守の話が終わると今度は徳島の番だったが、彼女が話せることは限られていた。

    「……本当に手当てしなくていいの?」
    「あんたもしつこいな。手入れ部屋はないって言っただろ」
    「そうだけど」
     移動中に何度となくした手入れの話を持ち出す。歌仙との戦いで、和泉守は深手を負った。遊戯会場に手入れ部屋はないと言われても、彼女自身の目で確かめたわけではない。実は見落としているだけではないかと、つい淡い期待を抱いてしまう。
    「こんな怪我ぐらいじゃ蜂須賀に負けはしねーよ。安心しろ」
     彼女は横目で和泉守の姿を見る。久しぶりに会った彼は、確かに見違えるほど強くなっていた。刀種は太刀から打刀に変わっていたが、練度が上がり、能力が大幅に向上している。

     けれど、彼女の心はざわついた。堀川もただの軽傷だったのが進軍するうちに中傷になり、敵の本陣の前で重傷になった。

     ──まだ大丈夫ですよ主さん。絶対大将首を取って帰りますから!

     帰城するよう命じた彼女に言った、堀川の言葉が思い出される。彼女は立てた膝に額をつけ、強く目をつむった。
    「堀川はあなたになんて言ってたの?」
    「あ?」
    「堀川に頼まれてたって、あなた言ったじゃない。あの子、あなたになんて言ったの?」
     実をいうと、彼女は堀川の最期についてあまり知らない。当時の彼女は堀川が死んだという事実に打ちのめされ、同じ部隊にいた者から詳しい話を聞く余裕がなかった。
    「『兼さん、主さんのことよろしくね』」
     和泉守は遠い目をしていた。彼の目には、戦場で倒れた堀川の姿が見えているのかもしれない。
    「『僕が死んだら、主さん泣いちゃうだろうな。兼さん、怒らないであげてね。もし主さんに笑顔が戻った時には……』」

     そこまで言うと、彼は黙ってしまった。徳島が顔を向ければ、ここから先は蜂須賀に勝ってからだと言う。
    「あんたはまだ笑える状況じゃないしな」
    「笑顔、ね」
     徳島はまた顔を膝に埋めた。堀川の死を受け入れ笑える日が来るなど想像できなかったし、自分にその資格があるとも思えなかった。その後は二人とも何もしゃべらず、茶坊主が来るのを待った。
     雅たちが離脱して一時間ほど経った頃に、和泉守が来たと言い立ち上がった。それからしばらくして、校舎側の入り口から男性が小夜を連れてやって来た。色は黒くなかったが、雅の言うようにどことなく大倶利伽羅と似た雰囲気の男だった。
    「徳島さんですか?」
    「はい」
     名前を呼ばれ、彼女も立ち上がる。
    「俺の遊戯者名は茶坊主です。会って早々で申し訳ないですが、情報交換と今後について話し合いたい」

    「それならオレがする」
     名乗り出た和泉守を、茶坊主が上目づかいに見る。顔に出やすい彼女と違い、彼の表情から考えを見抜くのは困難だったが、彼女らが茶坊主に抱くのと同じ不安を、彼も抱いているのだろうか。
    「あんたと別れてから雅と一緒に行動してたのはオレだ。こいつはほとんど話せてない」
    「そうか、なら頼む。だが和泉守、まずこれだけは言っておく」
    「なんだ?」
    「俺の前でい抜き・ら抜きでしゃべるな」
     和泉守の目が点になる。徳島も多分同じ顔をしている。茶坊主は満足したのか、彼女たちにかまうことなく、自分の離脱条件や遊戯中の出来事を話しだす。彼女は隣にいた茶坊主の小夜に説明を求めたが、小夜はただ首を振るだけだった。

    「……であって、俺が持っている道具はこれだけだ。札はもうない。以上だ」
     茶坊主は淡々と話を進め、最後に水泳プールで見つけた懐中時計のような道具を見せる。和泉守は道具があった場所を聞いて、あそこかよと地団駄を踏んだ。しかし徳島は、道具の在り処より青江と灯篭のやり取りの方が気になった。
    「あの子、そんなこと言っていたんですか?」
    「あの子というのは?」
    「ごめんなさい、灯篭のことです。灯篭は『青江なんか嫌い』って、そう言って負けたんですか?」
    「……そうです」
     和泉守の話の前に、互いのタブレットを交換したのだが、彼のタブレットにも灯篭の敗北条件が書いてあった。側で聞いていた彼は、何を思ったのか。茶坊主はあいかわらず無表情だったけれど、そうですと答えるまでに間があったことが、彼の心情を語っているようだった。

     和泉守はタブレットが徳島の手に戻ったのを見届けてから、自分は政府の道具で元は徳島の本丸にいた刀剣男士だと説明をし始めたが、そこで小夜が和泉守の名を呼んだ。小夜が真っ直ぐ入口を見ているのに気づき、彼も同じ方向を向く。そしてまずいと小さくつぶやいた。
    「誰か来やがったな」
    「うそ」
    「長谷部と蜂須賀、どちらかわかるか?」
     茶坊主が使った札の効果は二時間しか続かず、既に効果は切れているはずだ。
    「一人だと思うけど、どちらかまではわからない。主、逃げよう」
     和泉守の代わりに小夜が答え、彼の視線は部室棟に続く渡り廊下に向かっていた。茶坊主も渡り廊下を見たが、彼は徳島に隠れようと言った。
    「隠れるってどこに?」
    「用具入れ」
     場所だけ言うと、彼は用具入れの方へ走っていく。その後ろ姿に動揺は見られず、徳島は彼の後を追いながら、その冷静さに感動すら覚えた。

     遊戯会場は電気が点かないので、用具入れの中は暗かった。扉を閉めてしまうと、扉の隙間からわずかに入ってくる光だけが頼りだった。隣にいる茶坊主は辛うじて見えるが、用具入れの奥にあるものはぼんやりとしかわからない。
    「ここなら扉に耳を付ければ、ある程度の音は拾える。姿を隠しながらも、事態の把握が容易です」
    「なるほど!」
     徳島と茶坊主は小声で会話したが、彼らの後ろにいる小夜が普段と変わらぬ大きさで言う。
    「来たのが蜂須賀で、その人の真名を叫んだらどうするの?」
    「……」
     徳島は茶坊主の答えを待った。彼ならそこまで考えて行動しているだろう。しかし茶坊主は彼女に向き直り、表情を崩さずに言った。

    「すみません、判断ミスしました」
     幸いだったのは思いもしない謝罪に彼女が絶句し、叫ばすにすんだことだろうか。茶坊主は音が聞こえない場所にいると言い、部屋の奥の方へ行ってしまう。彼女の横に残ったのは小夜一人。小夜は彼女の視線を無視し、扉に耳を付けた。
     彼女も茶坊主のように声の聞こえない場所に行くべきか迷ったが、周りの状況が把握できないのがいかに怖いことかは、遊戯の前半で身に染みてわかった。彼女も小夜にならい、扉に耳を付けた。


     やって来たのは長谷部でなく蜂須賀だった。刀を構えた和泉守の姿を見、彼も同じく刀をか構えた。場を静寂が支配する中、和泉守は体中の血が沸き立つ感覚を覚えたが、冷静であろうと努めた。
     練度に大きな差がある蜂須賀なら、油断しない限り勝てる。しかし、蜂須賀を倒したとしても、その後長谷部と戦うかもしれない。茶坊主の話によれば、いくら刀を使えないとはいえ長谷部の練度は高く、死闘になるのは避けられない。蜂須賀との戦いでは、被害を最小限に抑える必要があった。
    「よお、久しぶりだな」
    「俺は君に覚えはないが。それより、彼女はそこにいるんだろう」
     蜂須賀は徳島たちの隠れる用具室に目を向ける。和泉守の肩がわずかに動いたのを彼は見逃さず、くすりと笑った。

    「君はわかりやすいね。俺の本丸にいた和泉守もそうだった」
    「人を馬鹿にするわりには、あんたも間抜けだな。オレがその和泉守兼定だって、まだ気づかないのか?」
     気を研ぎ澄まし、彼から徳島の気を感じ取ったのだろう。蜂須賀の顔つきが変わった。
    「何故ここにいる?」
    「国広の代わりだ。あんたから徳島を取り返す」
    「堀川国広、か」
     蜂須賀が大きく息を吸い込むのを見、和泉守は改めて身がまえた。蜂須賀の太刀筋を確認するため、攻撃を受けるつもりでいた。けれど、蜂須賀は体育館中に響くほどの声で、用具室に向かって叫んだ。
    「×××! 出てくるんだ!!」
    「てめぇえええ!!!」
     蜂須賀が叫んだのは女の名で、それが誰の名かはすぐにわかった。和泉守は雄叫びを上げ蜂須賀に切りかかり、刃を受け止めた蜂須賀はその重さに顔を歪める。彼はすかさず横っ腹を蹴り上げようとしたが、動きを読んだ蜂須賀が後ろに飛びのく。
     蜂須賀のジャケットは胸から左脇腹にかけて切れていたが、血は滲んでいなかった。和泉守は舌打ちしつつ、一方で徳島の様子に気を配った。

     徳島は青白い顔をして用具入れの前に立っている。徳島敗北の放送が流れないことに安堵しながらも、小夜の姿が見えないことに彼はいらだった。茶坊主にとって徳島の勝利は好ましいが、必須ではない。茶坊主と小夜は、徳島を切り捨てたのだ。
    「ようやく会えたね。誰かは知らないが、タブレットの持ち主に感謝しないと」
    「……」
     蜂須賀は和泉守に刀を構えたまま、徳島に話しかける。和泉守は今すぐ攻撃すべきか、様子を見守るべきか判断に迷った。徳島の真名を掴まれている以上、下手な行動は命取りになる。
     自分が元主に似て短気なのを重々承知していたので、彼はあえて待つことを選んだ。自分には冷静になる時間が必要だと思ったのだ。しかし、その配慮は裏目に出る。
    「君は灯篭のことをどこまで知っている?」
     和泉守は一瞬照明器具のことかと思ったが、青江に隠された審神者のことだと思い出す。図書室で会った彼女は、彼にとってその程度の存在だったが、徳島は違っていた。彼女の顔色が変わったのを知り、彼は刀を握り直し右足を踏み出したが、徳島が待ったをかける。

    「待って! ……あなたは灯篭に会ったの?」
    「主!」
     遊戯に参加する前に交わした契約により、彼は審神者の意思に反する行動ができない。徳島を止めようと叫ぶが、彼女の意識は蜂須賀の言葉に支配されていた。食いついてきた徳島を見て、蜂須賀が苦笑する。
    「君のそういうところを、俺は好ましいと思うよ。だから堀川を忘れられないで苦しむんだろうけど」
    「答えて。あなたはあの子に会ったの?」
    「ああ、二回ほどね。彼女は君と境遇が似ているようだ。戦場で自身の刀を失っている。けれど、初めて会った時の灯篭は、君と違って明るかったよ」

     蜂須賀は、遊戯が開始して間もない頃に会った灯篭の話をした。その時には既に鶴丸が側で世話を焼いていたが、遊戯中とは思えないほど彼女には緊張感がなかった。記憶がないのを苦にしておらず、平然と青江に負けるつもりだとも言っていた。
    「遊戯を進めるうちに真実を知ってしまったようだが、それでも彼女は君と違う。彼女が気にしていたのは青江が刀剣破壊に関与したかどうかで、君のように折れた刀剣のことを思い泣きはしなかった」
     蜂須賀はそこで徳島に向き直った。下卑た笑みでも浮かべていればいいのに、憂いを帯びた顔で彼女を見ている。彼にすがりついて泣く徳島を抱きしめた、堀川を失ったあの日と同じ表情を浮かべており、動けない和泉守の神経を逆なでした。
    「君から堀川の記憶を消してあげよう」
     真名を呼ばれ動きは封じられているが、徳島は自由に発言できる。それなのに大きく目を見開くだけで、彼女は否定の言葉を口にしない。それをいいことに、蜂須賀はなおも彼女に揺さぶりをかける。

    「君は堀川の死を受け止められるほど強い人ではない。審神者としては致命的かもしれないが、俺はそんな君が愛おしい」
    「……」
    「君は灯篭を羨ましいとは思わなかったか? すべてを忘れ、解放されたいとは思わないか?」
    「……」
    「俺が虎徹の真作の名にかけて、君を守ろう。もう君を泣かせたりはしない」
    「……私は」
    「ふざけんな!」
     徳島の戸惑う視線と蜂須賀の冷たい視線が、和泉守に集まる。彼は血が出そうなほど強く柄を握り、ぎらついた目で徳島をにらんだ。好き勝手なことをぬかす蜂須賀も憎かったが、最後の最後まで徳島のことを思っていた堀川を思うと、蜂須賀の甘言に揺らぐ彼女が一番憎かった。

    「あんたが国広のこと忘れちまったら、国広はなんのために死んだんだよ!!」
     重りを付けられたように重かった足がふと軽くなり、彼はそのまま駆け出し蜂須賀に切りかかった。蜂須賀も刃で攻撃を受けたが、重い一撃に押され体勢を崩されると、和泉守はその隙を見逃さず蜂須賀のみぞおちに向かって刀を突き刺した。
     一瞬肉とは違う硬い感触がした後、刀は蜂須賀の体を貫通し、彼の背中から血で濡れた切っ先が現れる。和泉守の攻撃から逃れようとしたのか、刃を突き刺す直前に蜂須賀が体を捻ったのでみぞおちはそれたが、刀は左胸を貫いている。みぞおちよりも上等な結果だ。
    「……贋作」
     血が流れている蜂須賀の口角が上がった。まずいと思った時には遅かった。
    「贋作と同じと思っては、困るんだっ!」
     目の端で蜂須賀の刀が動いたが、胸に突き刺した刀のせいで、避けることができない。和泉守の左太ももに蜂須賀が刀を突き立てる。和泉守が自分の刀を抜き、蜂須賀の体を右足で蹴飛ばすと、彼の体は後ろへと倒れた。

     金色の衣裳と床に散らばった長い髪が、赤く染まっていく。口が小さく動いた後、彼は瞼を閉じ、まったく動かなくなった。和泉守が左足を引きずりながら、刺した時感じた硬い感触を確かめるため、蜂須賀の上着の留め具を外した。
     和泉守の予想どおり、蜂須賀の胸元にあったのは血で濡れ真っ二つに割れたタブレットだった。機械に疎い彼の目からしても、もう作動しないのは明らかだ。
     彼は上着から手を離そうとしたが、そこで蜂須賀の腰元に無傷のタブレットがあるのに気づく。無傷のタブレットを取り、雅の見よう見まねでいじるが、いくら触っても参加者一覧は開かなかった。
    「私、勝ったの……?」
     青い顔をした徳島が、倒れた蜂須賀を見ながら聞いてくる。しかし、雅の話では体への損傷と遊戯の離脱は関係ないらしい。それを証明するように、いくら待っても離脱者を告げる放送は流れてこない。

     だが、和泉守はその事実を教えてやれるほど冷静ではなかった。
    「あんたにとって国広はその程度の存在か!?」
     堀川は徳島のためなら、自分の命も顧みなかった。もし堀川が生きていて、自分の命と徳島の記憶、どちらか選べて言われれば迷わず徳島の記憶を取るだろう。それに比べて徳島はどうだ? 彼にはひどい裏切りに思えた。
    「逆よ」
     殺気立った彼に、徳島は怯えなかった。ただ、目は虚ろだった。
    「本当の弟みたいに思ってた。可愛くて、大切で……だから辛いのよ。あの子を覚えている限り、私は笑顔になんてなれないわ」

    「茶番はもういいか?」
     現われた人物の姿を見て、和泉守は蜂須賀の行動の意味を悟った。タブレットをわざと壊させたのも、自分の命を犠牲にして和泉守の機動を奪ったのも。すべてはこの刀に繋げるためだったのだ。
    「まったく、甘いな」
     長谷部は血だまりの中倒れている蜂須賀を見て言った。彼の手には鉄の管があり、茶坊主が言っていたように刀は使えないのだろうが、今の和泉守には十分脅威だった。
    「だが、気位の高いお前がそこまでしたんだ。その女、俺が敗北させてやる」
     長谷部が刀のように管を構えたかと思う、次の瞬間にはすぐ目の前まで差し迫っていた。徳島の叫ぶ声が遠くで聞こえた。


     茶坊主は用具室の隅に行き、積み上げられたマットの隙間に体を潜りこませ、耳を押さえていた。叫び声が聞こえてきたかと思えば用具室の中が明るくなり、事態が動いたことがわかっても、彼は耳を塞ぐことに集中した。おかげで音は聞こえても、言葉として認識できるほど鮮明には聞こえていない。
     どれくらいそうしていただろうか。突然上に被せたマットがはぎ取られる。ぼんやり浮かんだ影で犯人は小夜だとわかった。小夜が手を軽く叩いてくるので、茶坊主は耳から手を離した。
    「もう蜂須賀はいないよ」
    「あの気配は蜂須賀だったか」
     小夜は頷くと、蜂須賀が来てからのあらましを語った。

     真名を呼ばれた徳島が用具室から出たことや、もしもの時に備え身を隠していたが、小夜が危惧したような状況(徳島が敗北条件を言うよう命じられたら、刺して彼女を止めるつもりだったらしい)に陥らずにすんだこと等。そして蜂須賀を倒した矢先に長谷部が現れ、和泉守はこのままでは負けてしまうことも。
    「長谷部は鉄の管を持っている。和泉守はそれで目をやられた。多分右目は見えていない」
    「そのうえ蜂須賀に足をやられている、か。絶望的だな」
    「まだ長谷部は主に気づいていない。ここに隠れていれば、やり過ごせるよ」
    「だが、やり過ごすだけでは負けてしまう。和泉守がいるうちに攻めないと、勝ち目はない」
     蜂須賀を倒しても徳島が遊戯を離脱できていない以上、彼自身の勝利条件を満たすのはほぼ不可能だ。長谷部の敗北条件を狙うには、やはり和泉守の力が必要だった。

    「小夜、例の作戦でいこう。やってくれるか?」
     彼は屋上で手に入れた道具を握りしめる。体育館に来るまでの間、彼は走りながら小夜に長谷部の敗北条件の考察と対応策を話していた。暗さのため小夜の顔はよく見えなかったが、彼の声には迷いがなかった。
    「僕はあなたの刀だ。あなたの復讐を遂げるため、僕は存在する」
     茶坊主は返す言葉が見つからず、小夜の後頭部に手を回すと、その額に自分の額をつけ目を閉じた。子供の体温にしては低かったが、それでも温もりは伝わってくる。彼は出かけた言葉を飲みこみ、行こうと言い立ち上がった。

     用具室の戸を開ければ、外のまぶしさに思わず目を細めた。次に漂う血の臭いに、気分が悪くなった。それでも目を開け正面を見れば、全身傷だらけの和泉守と屋上で会った時から何も変わっていない長谷部が対峙している。彼らから離れた場所には、血だらけで倒れる蜂須賀と腰を抜かして座りこんでいる徳島もいた。
     重傷とは聞いていたが、和泉守の怪我は彼の予想以上だった。つぶった目の上には血が流れ、袴の左太腿部分は裂けているうえに赤黒いシミが広がっている。それに対し長谷部は所々に傷こそあるが、軽傷にすらなっていない。
     更に長谷部の傷は四階で会った時からあったもので(燭台切との戦いで負ったものだろう)、刀が使えなくても彼がいかに戦いを有利に進めていたかを物語っている。

     長谷部は茶坊主を見つけると、ぱっと顔を明るくした。
    「主! そこにいらしたのですね」
    「てめぇ、何出てきてんだ!」
    「少々お待ちください。この死に損ないを殺したら、すぐにお側に参ります」
     長谷部は攻撃の手を休めるどころか、喜々として鉄パイプを振り上げる。満足に動けない和泉守は、避けることを諦め攻撃を受けようとするけれど、結果は火を見るより明らかだ。
     茶坊主は手に入れた懐中時計を高々と掲げ、それを見た小夜が一気に駆け出す。彼が竜頭に似たつまみを押すと、魂之助の声が聞こえてきた。

    「これより遊戯を一時中断し、補足説明に入ります」

     長谷部の手が頭上でピタリと止まり、よろめいた和泉守はその場に崩れ落ちる。小夜が無事に和泉守の元へ行ったのを見てから、彼も徳島の側に行こうとしたが、足がまったく動かなかった。
    「参加者の皆様、補足説明が終わるまで参加者同士の接触ならびに道具の使用を禁止いたします」
     茶坊主と長谷部、それから徳島の三人の間を取った場所に、人魂を思わせる狐が現れる。長谷部は手を動かそうともがいているように見えたが、魂之助が冷たく言い放つ。
    「ヘし切長谷部様、聞こえていないのですか。私の指示に従えない場合は、重大な違反行為と見なし敗北にしますよ」
    「政府の狐がっ」
     悪態こそ吐くが、和泉守を攻撃する気はもうないのだろう。長谷部は腕を下ろし、鉄パイプの先を下へ向けた。

    「皆様、タブレットの左上にある時刻表示をご覧ください」
     茶坊主が言われたとおりタブレットを見れば、白抜きの時刻表示の前に【停止中】の文字がある。更に時刻表示は秒単位まであるのだが、数字が一切変わらないのだ。徳島が停止中? と書かれた文字を読み上げると、魂之助はそれを受けそのとおりですと言う。
    「先ほど道具の使用が確認されました。この補足説明が終わってから二時間ほど、遊技の経過時間は停止されます」
     彼の目にも長谷部の顔が険しくなるのがわかった。彼は屋上で道具を手に入れた時、共に説明書きがあったので道具の効果については一通り知っていたが、あえて魂之助に尋ねた。

    「事前の説明時に、離脱条件は参加者ごとに異なると言ったな。けれど、にっかり青江の『遊戯の経過時間が28時間に達する』と長船の『遊戯開始から28時間が経過する』は、表現が違うだけで内容は同じだ。勝利条件と敗北条件だから違うと言いたいのかと思っていたが、この道具が関係していたんだな」
     彼は手の中にある懐中時計を魂之助に見せた。魂之助はまた、そのとおりですと返事をした。
    「時間が停止するのはあくまで遊戯の経過時間。実際の時間が止まるわけではありません」
    「つまり遊戯開始から二十八時間経つ前に、この道具が使われていれば、青江は実際の時刻で三十時間まで遊戯に残れたが、長船君は道具の使用に関係なく離脱していた。……そうだな?」
    「はい」
    「太閤桐の『30分以上同じ部屋に留まる』はどうなる?」
    「遊戯の経過時間と記載のないものは、実際の経過時間が適用されます。その離脱条件の場合、この道具の使用は関係ありません」

    「写しの『遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている』は?」
    「経過時間とありますから、道具の使用により延長されます」
    「それでは『遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く』も同じだな?」
    「はい」
    「鶴丸国永の『審神者と24時間行動を共にする』は?」
    「実際の経過時間です。もうよろしいですか?」
    「最後にもう一つだけ」

    「『自分が神隠しした審神者の半径3.28メートルに3時間以上いる』という勝利条件の場合は?」
    「道具の使用に左右されません」
    「そうか、ありがとう」
     彼の質問が終わると、魂之助は時間停止は遊戯が中断されるという意味ではなく、時間停止中も離脱条件が達成されれば、参加者の離脱は行われると説明した。また、時間停止ができるのは一度だけだと言い、彼の持っている道具がただの時計になったことも説明する。
     魂之助は徳島と長谷部に質問がないか聞いたが、二人とも何も聞かなかった。すると魂之助はご健闘をお祈り申し上げますと言って姿を消した。
    「……ははっ」
     長谷部の笑い声が聞こえ、彼は先ほどまでの厳めしい顔とは打って変わって、口の端を吊り上げていた。
    「残念でしたね主」
    「……」
    「起死回生の一手、だったのかもしれませんが。結果は何も……」
    「俺は必ず現世に帰る」
     口の中はカラカラに乾いていたが、彼は自分を落ち着かすため、手の中の道具を強く握った。

    「現世に主の心休まる場所などありませんよ。この長谷部が、主に相応しい場所をご用意いたします」
    「現世に帰って、徳島さんと結婚する」
     長谷部は久しぶりに主と言葉が交わせ、気持ちが弾んでいるようだったが、結婚という言葉に表情が凍りつく。一方、求婚を受けた徳島は呆然としていたが、長谷部が自分を見ているのに気づき、違う違うと何度も首を振る。
    「この会場でも霊は見かけたが、徳島さんと会ってからは一切見えなくなった。彼女の側にいれば、俺は霊のいない生活が送られる」
    「そんな狂言、俺が信じるとでも?」
    「狂言じゃない。俺に必要なのは徳島さんだ、お前じゃない。お前はもう必要ない」
    「そう言えば俺が動揺すると思っているのなら、なめられたもんですね」
     言い終わるやいなや、長谷部は鉄パイプの先を徳島に向けた。徳島がひっと引きつった声を出し、座ったまま後ずさりをしようとするが、恐怖で思うように動けない。

    「ただ、なんの能もない女の分際で、主から過分なお言葉をいただくとは。気に食わないのは確かです。……蜂須賀との約束もありますし、まずはこの女から始末しましょう」
    「させるか!」
     和泉守が長谷部に切りかかるが、長谷部は涼しい顔をして彼の刀を払う。茶坊主にはその様子がスローモーションのように、ゆっくりと見えた。弾かれた刀の切っ先は右下へと落ち、その先には小夜がいる。彼は見ていられず、目を閉じた。
    「すまない小夜」
     小夜の前では飲みこんだ言葉が、知らぬ間に口を吐いて出ていた。


    「離脱者の発表を行います」

     放送が聞こえてきて、茶坊主はまた目を開けた。目を見開いてある一点を凝視している長谷部に、辛うじて立っている和泉守。そして小夜は胸から血を流して倒れていた。

    「刀剣男士8のへし切長谷部、敗北。審神者8の茶坊主の勝利です」

     茶坊主が個別の離脱条件における道具の適用を魂之助に聞いたのは、時間を稼ぐためだった。小夜を和泉守の元まで行かせ、彼の考察を和泉守に伝える。そして長谷部を敗北させるにはどうすればいいかを。
     彼は長谷部の敗北条件を何通りか考えていた。一つ目は『刀で物を傷つける』もしくは『刀で物を破壊する』。長谷部の敗北条件に刀の使用が関わっているのは、十中八九間違いはないのだが、『物』と対象を絞ったのは、四階での出来事がきっかけだ。

     長谷部は彼に向かって迷わず刀を抜いた。その時は単なる脅しだと思ったが、後々振り返ってみれば、あの時の長谷部は本気で彼の足を切り落とそうとしたように思えた。根拠はない。雅や小夜には否定されそうだが、まさに第六感がそう思わせた。
     だが『物』と断定するには、燭台切との戦いがネックになった。長谷部は燭台切に対し、一切刀を使わなかった。刀剣男士も物の一部だといえばそれまでだが、『刀で刀剣男士を傷つける』もしくは『刀で刀剣男士を破壊する』という敗北条件である可能性を、否定しきれなかった。
     だから彼は和泉守兼定という刀を使い、小夜左文字という物であり刀剣男士でもある存在を破壊する方法を選んだ。和泉守は情に厚い刀ではあるけれど、他に手立てはないとわかれば迷わず協力してくれた。これは賭けだったが、長谷部が刀(和泉守)を押し、物もしくは刀剣男士(小夜)を破壊したとGMは捉えてくれたらしい。

    「離脱者の発表を行います。審神者6の徳島の勝利。刀剣男士6の蜂須賀虎徹、敗北です」

     最後の組の放送が流れたのを聞き、彼は小夜の元に行きその横に膝を突いた。彼は血で汚れるのもかまわず、小夜の小さな手を握る。
    「よくやってくれた」
     小夜の目が茶坊主を見る。閉じられようとしている瞳は、視点の位置がはっきりとはしていないが、彼には小夜が自分を見ていることがわかった。
    「あなたの復讐……果たせた?」
    「ああ」
    「それなら、どうして」
     茶坊主は小夜の最期の言葉を聞き逃すまいと、彼の口元に耳を近づけた。そして聞こえてきた言葉に驚く。
    「そんな、悲し、そう……」
     それだけ言い残し、彼の手の中から小夜の手が消える。後に残されたのは、折れた短刀だけだった。彼は小夜が横たわっていた場所をじっと眺めていたが、耐えきれなくなり目を片手で覆う。肝心な時に活きない表情の乏しさが、恨めしかった。

    「あんたにこいつを非難する資格はないぜ」
    「わかってる」
     徳島と和泉守の会話が聞こえ、茶坊主が顔を上げれば、浮かない顔をした徳島がいた。彼女は茶坊主たちの元へ歩いてくると、和泉守の手を両手で握り、深々と頭を下げた。
    「ありがとう、本当にありがとう」
     彼女の体は透明になり、薄らと後ろの景色が透けて見える。和泉守はしばらく徳島を見つめた後、空いた手で頭を掻いた。
    「あんたが笑ってくれないと、国広の言葉を伝えられねーだろ」
    「……」
    「『僕は一人の男として、あなたのことが好きでした』」
     和泉守の言葉を受け、徳島が弾かれたように顔を上げた。驚いているというよりは、信じられないと彼女の顔には書いてある。事情を知らない茶坊主でも、和泉守が堀川の言葉を代弁しているのだとわかった。

    「ホントは笑ってるあんたに言いたかったんだが、もう会うこともないからな。……これからあんたは好きな男見つけて、いつかは結婚するんだろう。でも、国広以上にあんたを好きになる男はいない。絶対にな。それだけは忘れないでくれ」
     徳島の顔が歪むのを見て、茶坊主は顔をそらす。第三者の自分が、これ以上見てはいけない気がしたのだ。

     その時、主と長谷部の声がした。彼は放送が流れてから意識して長谷部を見ないようにしており、呼ばれても目を向けなかった。けれど、長谷部はまた主と彼を呼ぶ。
    「最後に、長谷部と呼んではくれませんか?」
     負けが決まれば長谷部は錯乱すると、彼は思っていた。けれど彼の予想とは違い、彼はとても落ち着いている。最後の願いを乞う声も、本丸でへし切ではなく長谷部と呼んでほしいと言っていた時と差はなかった。
    「主、後生ですから。一度だけでいいんです」
     茶坊主は顔を背けたまま、自分の手を見た。雅が消える直前の時と同じくらい、体は薄れている。彼は長谷部の声を聞きながら、早く消えろと心の中で叫んだ。


     秘密遊戯の終了を伝える放送を、和泉守は一人聞いていた。彼の他に体育館には誰もいない。折れた小夜の隣に座り天を仰いでいると、目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
    「主」
     歪んだ空間から出てきたのは、現在の彼の主だった。普段は着ない審神者の正装である狩衣を着ている。主の足元には、彼の本丸のこんのすけもいた。魂之助を見たばかりだから、彼の白い毛並みがなんだかおかしく思える。
    「ご苦労だった」
    「別に。オレにかかれば、これぐらい朝飯前ってもんだ」
    「そのわりにはボロボロだな」
    「うっせー」
     和泉守はそっぽを向くが、少し間を開けてから遊戯の様子を見ていたのか聞く。彼の主は見ていたと答え、そのうえでお前はひどいやつだなぁと眉を下げて笑う。

    「忘れさせてやればいいじゃないか。あのお嬢さんは十分苦しんだんだ、もういいだろうに」
     主が言っているのは徳島のことだ。蜂須賀の甘言に乗せられるのは論外としても、辛い記憶を抱えたまま生きていくのは耐え難いものがある。死んだ堀川だって、彼女の負担になるくらいなら自分の言葉は伝えないでほしいと思うだろう。彼はいつだって、徳島のことを第一に考えていた。
    「国広が惚れた女を、なめてもらっちゃあ困る。あいつなら大丈夫だ」
     和泉守と徳島が共に過ごした時間は半年もなく、実際のところ、彼女の人柄というのをあまりよく知らない。だが、相棒が好きになった女性なのだ。ただのか弱いお嬢さんのはずがない。彼の言葉を聞き、主はそうかとつぶやいた。
    「そうだな。お前の判断を信じるよ」
    「主様」
     そこへ、こんのすけが言いにくそうに声をかける。彼が主と共にいるのは、政府のお目付け役としてだ。主の影響を受けてか、このこんのすけは他のこんのすけより人情味があるが、政府の命に逆らうことはできない。
     主は自分がここに来た役割──和泉守兼定の刀解──を果たすため、和泉守に近づき彼の頭に手を置いた。

    「今頃国広は、歳さんと一杯やってんだろうなぁ。オレもちょっくら混ぜてもらうわ」
    「ああ、楽しんでこい」
    「あんたも絶対来いよ。歳さんにオレの自慢の親父だって紹介してやる。……でも、できるだけ遅く来てくれ」
    「わかった」
    「国広は徳島の自慢話ばかりして、歳さん気になってんだろうから、徳島にもそう伝えてくれ。できるだけ遅く、っていうのも忘れずにな」
    「わかった」
     伝えたいことをすべて伝え、和泉守は目を閉じた。しかし、兼定と呼びかけられ再び瞼を開く。
    「よくがんばった。俺はお前を誇りに思う」
    「……おう」
     体育館にカランと刀が落ちる音がし、折れた短刀の横に刃こぼれした打刀が並ぶ。しばらくすると二つの刀は淡い光に包まれ、細かい泡となって空気に消えていった。審神者とこんのすけは、最後までその行方を見届けると、遊戯会場を後にした。


    ≪参加者一覧≫

    審神者1:灯篭
     勝利条件 審神者が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する
     敗北条件【嘘を吐く。真偽は審神者の認識に基づく】
    刀剣男士1:にっかり青江/勝利
     勝利条件 刀剣男士9の鶴丸国永が、四組目に遊戯を離脱する
     敗北条件 遊戯の経過時間が28時間に達する

    審神者2:太閤桐
     勝利条件 遊戯経過10時間以内に、審神者が1名遊戯に勝利する
     敗北条件【30分以上同じ部屋に留まる】
    刀剣男士2:一期一振/勝利
     勝利条件 審神者が3名敗北条件を満たし、遊戯に敗北する
     敗北条件 刀剣男士5・6・7のうち1名以上が、遊戯に敗北する

    審神者3:長船
     勝利条件 遊戯開始から28時間が経過する
     敗北条件 審神者7の友切が遊戯に勝利する
    刀剣男士3:燭台切光忠/勝利
     勝利条件【刀剣男士5の山姥切国広と刀剣男士7の髭切が、遊戯に勝利する】
     敗北条件 刀剣男士が2名勝利条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者4:雅/勝利
     勝利条件 全参加者と遭遇する。ただし、遭遇前に離脱した者は除く
     敗北条件 刀剣男士が3名勝利条件を満たし、遊戯に勝利する
    刀剣男士4:歌仙兼定
     勝利条件 審神者が2名以上、勝利条件を達成できない状況になる。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件【遊戯中に刀剣男士が審神者に重傷を負わす】

    審神者5:写し
     勝利条件 刀剣男士を2口刀解する
     敗北条件【遊戯の経過時間が24時間に達した際に、参加者が12名以上残っている】
    刀剣男士5:山姥切国広/勝利
     勝利条件 勝利条件を達成し勝利した刀剣男士が2名以上、審神者の敗北条件を達成し勝利した刀剣男士が1名以上になる
     敗北条件 刀剣男士8のへし切長谷部が敗北条件を満たし、遊戯に敗北する

    審神者6:徳島/勝利
     勝利条件【自分と自分を神隠しした刀剣男士が最後の一組になる】
     敗北条件 参加者に真名を知られる。ただし、遊戯開始前に把握している者は除く
    刀剣男士6:蜂須賀虎徹
     勝利条件 全参加者の離脱条件を把握する
     敗北条件 勝利条件を達成し、遊戯を離脱した参加者が4名以上になる

    審神者7:友切
     勝利条件 自分が把握しているすべての審神者の敗北条件を、その審神者を隠した刀剣男士に伝える。ただし、遊戯から離脱した者は除く
     敗北条件 審神者が3名遊戯に敗北する
    刀剣男士7:髭切/勝利
     勝利条件【自分が神隠しした審神者が、神隠しに合意する。ただし、暴力や真名を使用した呪いは使ってはならない】
     敗北条件 審神者が2名刀剣男士の敗北条件を達成し、遊戯に勝利する

    審神者8:茶坊主/勝利
     勝利条件 審神者と刀剣男士が、それぞれ3名以上遊戯に勝利する
     敗北条件 遊戯の経過時間が24時間に達した際に、勝利条件を達成できなくなった審神者が存在する。ただし、遊戯を離脱した者は除く
    刀剣男士8:へし切長谷部
     勝利条件 自分が神隠しした審神者の半径3.28メートル以内に3時間いる
     敗北条件【刀を使用し、物を傷つける。ただし、審神者は除く】

    審神者9:竜胆/勝利
     勝利条件 刀剣男士が4名遊戯に勝利する
     敗北条件 審神者が3名遊戯に勝利する
    刀剣男士9:鶴丸国永
     勝利条件 審神者と24時間行動を共にする
     敗北条件【4人以上の参加者の敗北条件を把握する】


    ≪道具一覧≫
     校長室:クラッカー
     職員室:位置情報アプリ
     美術室:拘束札×2
     図書室:参加者Aの日記帳
     理科室:和泉守兼定
     体育館:手伝い札
     情報処理室:鍛刀部屋
     水泳プール:遊戯の経過時間を止める懐中時計


    最終章:生還者たち 審神者という単語が聞こえ、彼女は若い女性たちの会話に聞き耳を立てた。休日の高校生に見えたが、会話の内容からして大学生のようだった。
    「この間の健康診断で、審神者の適性有りって言われて。それから勧誘がすごいしつこい」
    「でも審神者ってすごい給料いいらしいじゃん。うちの大学じゃ就職絶望的だし、審神者もありなんじゃない?」
     彼女は女性たちの会話に出てきた大学名を聞いて、就職が絶望的という言葉に心の中で同意した。
    「審神者とか絶対無理! 私の高校の同級生に、高校休学して審神者になった子いたけどさ。一年もしないうちに死んじゃったんだよねぇ」
    「マジで? 審神者って安全な場所から命令出してるだけって話じゃないの?」
    「なんで死んだのかはよく知らないけど。その子さ、お兄さんの手術代稼ぐために審神者になったらしいんだけど、その子が死んでから、お兄さんもすぐ死んで。それから親も事故だか自殺だかよくわかんない形で死んで。……なんのために審神者になったんだろうね」
    「うわぁ気の毒。……そういえば昔住んでた近所のお兄さん、審神者になったって聞いたな。古い漫画いっぱい持ってて、よく貸してもらったんだけど、元気にやってんのかなぁ?」
    「古いってどれぐらい?」
    「二十世紀後半」
    「古っ」
     会話の途中だったが、目的の上野駅に着いたので彼女は電車を降りた。大学生の二人組は、彼女が降りてもまだ楽しそうに会話を続けていた。

     秘密遊戯中『竜胆』と名乗った女は、未来に帰った後新しい戸籍を手に入れ、別人としての人生を歩み始めていた。彼女が審神者になったのは、職を追われたのもあったが、彼女と彼女の弟に新しい戸籍を用意すると政府が約束したからでもあった。
     遡行軍の身内は、保護という名の元にあらゆる権利が制限される。歴史修正主義者の娘である以上、出世どころか社会で生きていくことすらままならない。彼女は危険を承知のうえで、審神者になったのだった。
     任期途中で神隠しされてしまったが、在任中に残した成果と秘密遊戯を盛り上げたことが評価され、彼女は新しい戸籍を取得できた。今までの人生を清算しまったく別の生き方を選ぶこともできたが、彼女は再び審神者局に入局する道を選んだ。今は秘密遊戯の運営に係わる仕事をしている。
     いくら紙の上では別人になったとしても、母親が遡行軍に入る限り出世の道はない。しかし、彼女は諦めていなかった。審神者局に居さえすれば、いつかはチャンスが巡ってくる。そしてそのチャンスをものにする自信が彼女にはあった。

     母親の居所を探しつつ、休日返上で仕事に取り組んでいた彼女だが、その日は久しぶりに取れた休みを利用し、博物館に来ていた。特別展の初日とはいえ、刀の展示など物好きしか来ないだろうと踏んでいたが、入口の前には行列ができていた。
     二十分ほど並んだ後順路に沿って展示品を見ていくが、三部屋目に入ったところで列の進むスピードが急速に落ちる。見えずとも、目玉の二振りが展示されている部屋なのだとわかった。
    「再刃されてもこんなに綺麗なんだね~」
    「ホントだ、ハバキに竜胆がある!」
     観覧者それぞれの感想が聞こえてくる。内容から察するに、審神者や元審神者、政府関係者が多いのかもしれない。確かに長年皇室所有だった一期一振と鶴丸国永が、博物館に移管されて初めて展示されると知れば、彼らを知る者なら是が非でも見たいだろう。神隠しの危機に晒された者以外であれば、だが。

     少しずつ列が進み始め、手前にあった一期一振から見学する。彼女は周りに気づかれないようにしながら、シャツの袖口で右の手のひらを強く拭う。現世に帰って一月ほどしてから、刃物を見たり触れたりすると、太閤桐を刺した時の生々しい感覚が蘇ってくるようになった。
     手のひらを拭うことに気を取られていたが、いつの間にか鶴丸国永のケースの前に来ていた。皆が足を止め美しいと誉めそやす刀を、彼女も同じように立ち止まって眺めたが、その目は冷ややかだった。
    「(これは偽物だ)」
     審神者局の一部の者しか知らない話だが、刀剣男士の本霊の本体は審神者局の地下で管理され、博物館等で展示されている物はすべて精巧なレプリカだ。御物とて例外ではない。国の命運をかけた代物なのだ、それ相応の管理方法というものがある。

    「(もっとも、本物だったとしても)」
     彼女にとっては偽物だ。彼女にとっての鶴丸国永は、断られても花を贈り続け、最後は自ら負けを選んだあの鶴丸国永だけだった。
     彼女は審神者局に復帰してから、自分が参加した秘密遊戯の記録を見てみた。そこで、鶴丸は灯篭に頼んで四つ目の敗北条件を聞き、敗北したのだとわかった。彼が自ら敗北を選ぶまでの経緯も記録にあったが、彼女はその記録を読んでも、彼が最後に見せた笑顔の意味がわからずにいた。きっと一生かけても無理だろうと半ば諦めている。そのせいで、死ぬまで鶴丸を忘れられないことも。

     後ろがつかえてきたので列から外れ、彼女は展示品に見入る人々の間を、早足で歩き出口へ向かった。その途中肩にかけた鞄から振動が伝わり、電話を取り出せば『上野着いたよ』という弟からのメッセージが入っている。
     この後弟がアルバイトの初月給で、食事を奢ってくれることになっている。彼女も見終わったので今から行く旨のメッセージを返し、博物館を後にした。


     土方歳三の和泉守兼定が、五稜郭で十数年ぶりに展示されていると知ったのは、展示期間も折り返しを迎えた頃だった。女性の遊戯時の名前は『徳島』、現世に帰ってからは都内にある実家で暮らしている。
     いつまでも両親に甘えてはいられないとは思っているが、彼女はまだ立ち直れずにいた。彼女が神隠しされている間に、世界はあまりに変わりすぎた。驚くほど年を取った両親に、友人たちは大人の女性になり、人によっては結婚し子供までいる。そして恋人は、他の女性と結婚していた。
     審神者になるのを彼女に勧めたのは恋人だった。彼はそのことに責任を感じ、精神を病んだのだという。完治はしていないそうだが、症状が良くなるまで支えてくれた女性と結婚を決め、彼女の両親も二人を祝福した。
     もう戻ってこない娘のことは忘れ、幸せになりなさいと言って迷う彼の背中を押したらしいのだから、なんとも皮肉な話だ。神隠しされた娘は、恋人と会うことを心の支えとし、現世に帰ってきた。
     元恋人を責めるのは、お門違いだと彼女も思っている。それでも、自分は一体なんのために戻ってきたのだろうと、気分が沈む日は少なくなかった。

     迷った末に和泉守の本霊に会いにいくことを決めた彼女は、風呂から上がると両親のいるリビングには行かずにそのまま自分の部屋に戻り、久しぶりの長旅に備え早めに就寝しようと考えていた。
     しかし、自室に戻ると机の上にリボンのかかった小さな白い箱が置いてあり、箱の下には 『誕生日おめでとう』と書かれたメッセージカードが敷かれていた。
    「そんないいのに……」
     両親からの誕生日プレゼントに、嬉しさよりも申し訳なさが先に立つ。両親に北海道に行きたいと言うと、両親は自分たちも一緒に行くことを条件に承諾した。×××の誕生日に家族水入らずの旅行なんてステキじゃない、父さんの会社もホワイトになったから有給取れるぞ。二人はそんな風に不自然なほど明るく振る舞って、彼女に訳を聞こうとはしなかった。
     両親が自分を気づかえば気づかうほど息苦しく、自分のことが嫌いになっていく。彼女は重い気持ちのまま、箱のリボンをほどいた。
     中に入っていたのは赤いピアスだった。両親は刀剣男士のことを何も知らないはずなのに、デザインといい色合いといい、堀川が付けていた物にそっくりだった。

     彼女が審神者に就任したのは四月一日で、五月の誕生日時点では本丸の刀剣は三振りしかいなかった。初期刀の蜂須賀に初鍛刀の今剣、そして堀川だ。彼らは彼女の誕生日が五月であり、徳島の時代では誕生した日を重視すると知ると、各々彼女の誕生日を祝った。
     三人一緒に祝わなかったのは、加護が強くなりすぎるからだと蜂須賀は説明していた。少なくとも五月の時点では、彼に神隠しをする気はなかったのだろう。
     まずは今剣が今様を舞い、次に蜂須賀が笛を吹いた。『あるじさま、おめでとうございます』『おめでとう。これから共にがんばろう』。二人の舞や演奏はもちろん素晴らしかったけれど、それよりも贈られた言葉に胸が熱くなった。堀川は最後にやって来て、歌を歌った。

     ──はっぴばーすでー つーゆー はっぴばーすでー つーゆー
     
     歌を贈ると言われ、彼女は幕末の流行歌でも歌うのかと思った。しかし彼が歌ったのは、彼女もよく知る歌だった。

     ──はっぴばーすでー じあ 主さん はっぴばーすでー つーゆー

     驚きのあまり言葉を失っていると、自分は蜂須賀のように楽器は演奏できないからとバツが悪そうに頬を掻いた。堀川が誤解しているとわかり、彼女は慌ててびっくりしただけだと告げる。おそらく歌詞の英語の意味を正確には知らないのだろうが、とても丁寧に歌われた歌は、堀川の気持ちが伝わってきた。
     
    「ハッピーバースデー トゥーユー ハッピーバースデー トゥーユー」
     赤いピアスを前に、彼女も誕生日の歌を歌っていた。お礼は何をしようかと言った時、堀川は最初気持ちだけでいいと言った。それでも何かしたいと言ったら、自分の誕生日にも歌ってほしいとはにかんだ。
     自分にとっての誕生日は主さんが顕現してくれた日だと彼は言ったが、彼は自分の誕生日が来る前に折れてしまった。だから彼女は、誕生日の歌を歌うことはなかったのだけれど。
    「ハッピーバースデー ディア 堀川……」
     続きは涙で歌えなかった。彼女にとって堀川は、あくまで弟だ。彼の思いに応えることはできないが、それでも彼が大切で、何よりも自分を愛してくれたことに変わりない。
    「(もう少し待っていて)」
     必ずあなたが願った笑顔の私になる。あなたを忘れて笑顔になるのではなく、あなたと共に笑顔になってみせる。彼女は心に誓った。


    「雅さん」
     展示されている和泉守を見ていると、秘密遊戯での遊戯者名を呼ばれた。反射的に振り返れば、そこには懐かしい男が立っている。驚きより先に喜びが来て、彼女は人目を忘れ両手を広げた。
    「茶坊主君! 生きてたんだね、良かった良かった!」
     紺のパーカーにチェックのパンツと、遊戯中に比べるとラフな格好だったが、秘密遊戯で一緒だった『茶坊主』に間違いない。彼女は茶坊主の勝敗について何度も政府の担当者にかけあったが、規則で決まっているの一辺倒で教えてもらえなかった。未来でこうして会えたということは、無事に長谷部に勝ったのだ。
    「喜んでくれるのは嬉しいですが」
     茶坊主はトントンと彼女の肩を軽く叩く。
    「俺は公共の場で女性と抱き合う趣味はないですし、それから『生きてた』じゃなくて『生きていた』です」
    「ははっ! うん、君は間違いなく茶坊主君だ」
     最後に二回ほど彼の肩を強く叩いてから、体を離した。しつこいと思っていたい抜きの指摘も、今は嬉しくさえ感じる。

    「雅さんも和泉守を見に?」
    「そうだよ。本当はあの兼さんにお礼を言いたかったんだけど、それはできないから。せめて本霊様にとね」
     政府は参加者だけでなく、道具として参加した彼についても教えてはくれなかった。現世に帰り遊戯のことを振り返ると、自分が勝てたのは和泉守のおかげであり、感謝してもし足りないほどだ。そんな時、本霊が十数年ぶりに展示されていると知り、函館までやって来たのだった。
    「小夜が個人所蔵なのは辛いよね」
     彼女にはもう一人礼を言いたい刀剣男士がいた。小夜左文字である。和泉守ほどではないが、彼にも世話になった。長時間小夜と共にいた茶坊主なら、尚更そうだろう。茶坊主は仕方がありませんと素っ気なく言い、また和泉守の話に戻した。

    「あの和泉守はどうしているんでしょうね」
    「徳島さんは審神者の誘いを断ったって言っていたし、新しい主の所で元気にやっているさ」
    「徳島さんに会ったんですか?」
     茶坊主の問いに、雅は頷いた。いくら展示期間が限られているとはいえ、同じ日の同じ時間帯に、それまで縁のなかった北の大地で、秘密遊戯を勝ち抜いた三人がそろうとは運命めいたものを感じる。
     彼女が徳島と会ったのは、バスを降りて五稜郭タワーに向かっている途中だった。道の向かいから歩いてくる若い女性が、徳島とそっくりだった。他人の空似かとも思ったが、相手も彼女の顔を食い入るように見つめてくる。徳島は彼女が立ち止まったことに気づかず、先へ進んでいる親らしき二人に声をかけると、また雅のところへ戻ってきた。そして徳島ですと自ら名乗った。
     
     徳島は和泉守を見てきた帰りだった。政府からあった審神者復帰の要請は拒否し、今は親元に身を寄せていると彼女は言った。いろいろと聞きたいことはあったが、雅は手帳のメモのページを切り取り、そこに自分の連絡先を書いて徳島に渡した。何かあったら遠慮なくかけてほしい、そう言って徳島と別れた。
     徳島の両親が心配そうに様子をうかがっていたというのもあるが、彼女は遊戯を振り返られるほど立ち直ってはいないと感じ、話を続けるのをやめた。遊戯を思い出させる自分は、早く立ち去るべきだと考えたのだ。
     けれど、遊戯中に感じた苦しみや悲しみは、同じ参加者にしかわからない。相談したい時にその相手がいないのは辛いだろうと思い、連絡先は渡しておくことにした。

    「君はどうだい?」
     徳島との一連のやり取りを語った後、雅は茶坊主の顔をのぞきこむ。眉一つ動かさず俺は大丈夫ですと言うが、何故だろう。少しも大丈夫じゃないとわかってしまった。
    「この後時間あるかい?」
     男を誘うなんて長谷部が嫉妬するなと思いつつ、彼女は茶坊主を放っておけなかった。


     自動販売機で飲み物を買い、五稜郭公園のベンチに腰掛ける。観光地なのだから少し歩けば飲食店はあるけれど、遊戯での出来事は他言しないよう誓約書を書かされている。公園の中でも、できるだけ人の少ない場所を選んだ。
    「左手、動かないんですか?」
     ペットボトルを脇に挟んで蓋を開ける雅を見て、茶坊主が聞く。彼女の左手には美しい彼女には似合わない、刀で貫かれた際の傷痕が残っていた。
    「そう。まったく動かないんだ」
     怪我の度合いと比例しない、軽い言いぶりである。
    「遊戯の影響なのかな、医者に見せたら理論上は動くはずだって言われたよ。まあ、後悔はしていないさ。左手が動かなくても、へしかわな私の長谷部が手となり足となり動いてくれるだろうし」
    「審神者に復職されるんですか?」
    「ああ」

     この問いにも、彼女は平然とした態度を崩さなかった。その決断を下すまでに様々な葛藤があったろうが、対面する彼女からは感じ取れなかった。
    「条件は付けているよ。私の本丸にいた刀剣男士を、全員私の元へ返すこと。……ああ、異動先が気に入っている子は、本人の意思を優先させてくれとも言っている」
    「そんな条件では政府が飲まないでしょう」
    「だからまだ現世にいるんだよ。現在調整中」
    「神隠しが恐ろしくはないんですか?」
    「実を言うと、神隠しはさほど心配してないんだ。ただ、また審神者をすることに不安を感じてる」
    「い抜き」
    「ははっ、ごめんね?」
     ペットボトルの緑茶に口をつけるが、彼女はすぐに口を離し、遠い目をして心の内をさらけ出した。

    「私はね、歌仙のことを本丸の中で一番信頼していた」
    「長谷部ではなく?」
    「愛しているのは長谷部だよ。けど愛していればいるほど、完全に信じることは難しくなる。だから一番信頼していたのは初期刀様だった。その初期刀様がああなっちゃったから、本当に上手くやっていけるのかなって思うことはあるよ」
     彼にはよくわからない理論だったが、恋愛経験の違いのせいなのかもしれない。慰めや励ましの言葉は思いつかず、彼女もまた求めていなかったから、彼は相槌を打つに留めた。

     自分の話は終わったとばかりに、雅は茶坊主に話を振る。
    「君はどうなんだい? 審神者はもうやらないの?」
    「しませんよ」
     確かに彼にも審神者復帰の打診はあったが、きっぱりと断った。今の彼は無職だが、しばらくは政府からの見舞金で暮らすつもりでいる。それに望めば政府が仕事を斡旋してくれるらしいので、焦って生計の目途を立てる必要はなかった。
     雅が離脱後の遊戯について聞いてきたので、彼は掻い摘んで話をした。体育館で徳島と合流した後に蜂須賀がやって来たこと、蜂須賀を倒したと思ったら今度は長谷部が来たこと。小夜の死については触れなかった。小夜の犠牲は仕方がなかったと、慰められる方が彼には辛かった。

    「俺の後に徳島さんの勝利を告げる放送が流れて、それから少しした後です。長谷部が俺に名前を呼んでほしいと言ってきたんです」
    「呼んだのかい?」
    「呼んでいませんよ。顔だって見なかった」
    「懸命な判断だね」
    「それなのに、夢だと違うんです」
     彼は現世に帰ってから、毎晩のように同じ夢を見るようになった。夢はいつも主と長谷部が呼ぶところから始まる。

     ──最後に、長谷部と呼んではくれませんか?

     一度だけでいいと、長谷部は懇願する。彼は決して顔を合わせまいと思い、自分の薄れていく体を見ながら早く消えろと願ったが、体は一向に消えず長谷部が彼を呼ぶ声ばかりが聞こえる。ついに耐えきれなくなった彼は、長谷部に正面から向かい合い、何か言おうと口を開ける。
    「夢は毎回そこで終わります」
     夢の中の彼が何を言おうとしたのか、何度見てもその答えは出ない。

    「政府の担当者にも話したんですが、ただの夢だと言われました。俺を神隠ししたへし切長谷部の分霊は、完全に消えたのだと」
    「政府は神隠しに遭えば助かる道はないと審神者に警告していた。けれど、秘密遊戯という救済措置が存在していた。本当に完全に消えたのか、甚だ疑問だよね」
    「そんな単刀直入に言わなくてもいいじゃないですか」
    「君に言われたくない」
     雅とは一時間半ほど話したが、雅の飛行機の時間が迫っていたので、茶坊主はバス停まで雅を見送ることにした。二人でバスを待つ間、彼女は自分のスマートフォンを取り出し、連絡先どうする? と聞いてきた。徳島の時と同じように、雅は彼に選択権をくれた。

    「貴方の長谷部がスマホチェックをしないのならいいですよ」
     彼からすれば重要なことだったが、雅は吹きだし、しないしないと大げさなほど右手を振る。絶対自分のことは教えるなと念を押してから、茶坊主は彼女と連絡先を交換した。
    「また連絡するね」
    「俺からもします。貴方が神隠しされないか心配ですから」
    「そうして」
     その後バスが到着し、またねと別れのあいさつをして雅はバスに乗り込んだ。彼も手を振って彼女を見送ったが、バスが見えなくなった後、自分の頬に手を当てた。小夜の時といい、今日の雅といい、彼は自分が思っているほど無表情ではないらしい。それがいいことなのかどうかは、判断しかねた。


     茶坊主は五稜郭公園に戻り、ベンチに座って堀を眺めていた。彼は一つ、雅に嘘を吐いた。毎晩のように見る夢は、現実の出来事を忠実に再現していること。
     
     ──愛しています、主。

     顔を見まい、声を聞くまいと思っていたのに、その一言で彼は耐えきれなくなり、長谷部に正面から向き合い、何か言おうと口を開ける。
     何を言おうとしたのかは、彼自身もわからない。とにかく何か言おうとした。けれど、藤色の瞳が柔らかに細まるのを見て、そこに意識をすべて奪われてしまい、何も言えないまま遊戯は終わった。

     そして、彼女に隠したことが二つある。一つは危険な自分の思考。和泉守は徳島に『絶対に堀川以上に彼女を好きになる男はいない』と言ったが、それは自分と長谷部にも当てはまると彼は思っている。
     この先、長谷部以上に彼を愛する者は現れないだろう。それは彼が性的マイノリティで恋愛をするだけでも大変だからではなく、あれほど熱い視線を他者に向ける人物を、彼は長谷部以外に知らない。
    「お前は霊なのか、それとも俺の幻か?」
     彼は自分の隣に座っている長谷部に問いかけた。

     二つ目の秘密は、消えたはずの長谷部が見えること。長谷部は胸に手を当てにっこりと微笑んだかと思えば、ベンチに手を突き顔を寄せてくる。彼は長谷部の体を押し返そうとしたが、上げた手を途中で下ろした。拒んだところで、手は長谷部の体を通り抜けていくのは経験済みだ。
     長谷部の唇を受け止めながら、彼はもう一つ嘘を吐いていたことを思い出す。雅に連絡をすると言ったのは、彼女を心配するからではない。自分が助けてほしいからだ。藤色の瞳に魅入られてしまった彼に、残された時間は少ない。

    さいこ Link Message Mute
    2023/03/18 21:09:51

    我が主と秘密遊戯を(後編)

    pixivに掲載していたすごく長い刀さに小説。神隠しされた審神者と神隠しをした刀剣男士が勝負する話です。
    IF版を掲載するにあたり、まとめて上げ直します。

    【登場人物およびカップリング】
     ・にっかり青江×女審神者
     ・一期一振×女審神者
     ・燭台切光忠×男審神者
     ・歌仙兼定×女審神者
     ・山姥切国広×男審神者
     ・蜂須賀虎徹×女審神者
     ・髭切×女審神者
     ・へし切長谷部×男審神者
     ・鶴丸国永×女審神者

    #刀剣乱夢 #刀剣乱腐 #刀さに

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