主従ここはメルヘン王国最南部主要都市郊外の大変閑静な場所。
目の前にある豪華な一軒家といった出で立ちの邸宅は手入れが行き届き、庭にも美しい薔薇が咲き乱れていた。
そして門の前にズラリと並ぶ使用人。
ユーリに促されてもえが馬車から降り立つと執事と思しき人物を中心に十名ほどが整列し頭を垂れていた。
「此度の急な訪問による招集、済まなかったな。皆、息災か?」
「は…ご無沙汰致しておりました我等が主たるユーリ様。」
恭しく頭を垂れたままそう告げる執事の所作もぴっしりと美しい。
「皆、面を上げるが良い。
そして軽く紹介しておこう。
既に情報は届いておろうが…」
と、ユーリは徐にもえの腰を引き寄せる。
「はい。こちらが翡澄もえ様でございますね。」
執事はそう言うもユーリの方だけに視線を向けている。
「ああ。此度の滞在は彼女の為でもある。
見ての通り彼女は【人間】であるが…軽んじることは決して許さぬ。
またアッシュとスマイルも夕刻にはこちらに着く。
彼ら同様、彼女も私と同等であると理解し接せよ。これは命である。
…もし背くことがあれば私は容赦せぬ故、努努忘れるでないぞ。」
やや強い語気で放たれたその言葉はそこに並ぶ者たちに凄まじい緊張感を与えたようだった。見ているこちらまで思わず身震いする程。
「…とは言え…ここに仕える者にそのような不届きな輩は居らぬと私は信じている。
どうか宜しく頼む。」
一転、柔らかな空気を纏ったユーリの言葉にややその場の空気が緩む。
そして執事は少しばかり不意を突かれたような表情をしてまた頭を垂れた。
「…御意に御座います、ユーリ様。」
執事がそう告げるとそこに並ぶ使用人たち全員が深く頭を垂れ寸分の狂いもなく口を揃えて『御意に御座います。』と続けた。
屋敷の中も整然と整えられている。
普段過ごす城とは違う、こじんまりとした庶民的な屋敷。
とは言え一般住宅に比べれば随分大きい。
通されたリビングには洗練された家具が並ぶ。
「アルド、私の書斎は使えるか?」
「仰せの通りに改修済で御座います。」
「そうか。ならば私は仕事がある故、モエには屋敷の案内と自室を見せてやってくれ。
モエ、何かあれば遠慮なくここの者たちに言うといい。」
「は…はい。わかりました。」
「では良いな。」
「御意に御座います、ユーリ様。」
ユーリは席を立つともえの右手を取りその甲に軽く口付けを落とした。
「…姫君、仕事が中々片付かなくて済まない。
なるべく早く終わらせる故、待っていてくれるか?」
「もちろんです。
…でも、無理はしないでくださいね。」
「ああ、解っているとも。」
そう言ったユーリはいつものように護衛の蝙蝠を二羽もえに付けるとリビングを出ていった。
ここには執事1人とメイドが数人いるが誰もが一様にどこか呆気にとられた様な表情をしてユーリを見送っており、もえは少々疑問に思ったがソファから立ち上がると深々と頭を下げた。
「…あ、あの…皆さん。
初めまして、わたしは翡澄もえと申します。どうぞ、よ…」
「おやめ下さい。」
言葉を遮って制止の言葉が投げられ、もえは驚いて固まってしまった。
やはり人間である自分のことは快く思われていないのだろう…そう思った。
「私共は使用人で御座います。
我等が主たるユーリ様の大切な方に頭を下げさせるなど…あってはなりません。
さぁおかけください、もえお嬢様。」
「え…っと…はい…すみません。」
「申し遅れました、私はアルドワーズ。
ユーリ様よりこの屋敷の管理を任されております執事に御座います。
ご挨拶が遅くなりましたことをどうかお許しください。」
「い、いえ…そんな…!
よろしくお願いします、アルドワーズさん。
数日間お世話になります。」
「私共使用人に敬称や敬語は不要で御座います。」
「わ、わたしは庶民ですから
流石にそれはハードルが高すぎます。
ご容赦くださいませんか…」
「…お嬢様がそう仰るのであれば仰せのままに。」
「ありがとうございます、アルドワーズさん。」
「到着したばかりでお疲れでしょう。
ただいま紅茶をご用意致します。
先ずはお休みになられて…屋敷のご案内はその後と致しましょう。」
彼はテキパキとメイド達に指示を飛ばしていた。
その端正な顔立ちから察するにここの人々は皆吸血鬼族なのだろう。
出された紅茶を口に運びながらもえはそんな事を考えていた。
屋敷の中を一通り周り自室に充てられた部屋に荷物を置いて一息吐く。
どうも緊張で身体が硬い。
もえはよそ行きの服から普段着に着替え、エプロンを手に部屋を出た。
ユーリの立て込んだ仕事は手伝うことは出来ないが僅かでも彼が心を休める手段なら知っている。
屋敷の厨房へ入るとそこにはアルドワーズとメイドが数名。
どうやら休憩を取っていたようだ。
もえは暫し躊躇したが、控えめに声をかけた。
「休憩中にすみません。」
「お嬢様、どうなされましたか?」
「あ、あの…厚かましい事と承知の上でお願いがあるのですが…」
「なんで御座いましょうか?」
「…ちょっとしたおやつを作らせて頂けないかと思いまして…」
「おやつ、でございますか?」
「はい。」
「それはどのような?」
「クッキーにしようかなと思っていて。」
「クッキーで御座いますか。」
「はい。
こちらをお借り出来そうでしたらこれから材料を調達して来ますので…」
「一通りの材料は揃えてございますのでその必要はないでしょう。
では私共もお手伝いさせていただきます。」
「え…でも休憩中だったのでは…」
「いえいえ、ご心配には及びません。
それでは始めるとしましょうか。」
アルドワーズと数名のメイド達と共に作業をする中で必然的に会話も交わす事となり、その中で幾つか窺い知れたことがある。
彼らは古くから吸血鬼族族長家系に仕えている執事、メイドであるという事。
特にアルドワーズは先代族長が幼き頃より仕えており、ユーリの事も誕生前から見守ってきたという。
ユーリの父親である先代はおよそ800年前に起こった人間による大規模な吸血鬼狩りの折、深手を負った上に同様に深手を負った妻君を助けるべく魔力を使い果たした。
そして当時、ユーリが人間年齢で言えば今のもえと変わらぬ歳の頃に引退し代替わりをしたのだという。
元々やがては一族を率いる『長』としての役目を担って生まれてきたユーリにとってそれは逃れられない運命であったものの…余りに早すぎた代替わりに周囲の動揺は大きかったが当のユーリは早々に新体制を整えて見せ、一族を始め吸血鬼族の誰しもが認める存在となった…と云うことらしい。
ゆえに、現在のユーリがかなり奔放に出来ているのもそうした実力あっての事である。とアルドワーズは大変誇らしげに語っていた。
彼の中でユーリは今でも愛らしい『坊ちゃん』なのだろう。そんな風にもえは思う。
アルドワーズの見た目は老爺と例えるには若く見える。
彼の所作や言葉にはとても品があり、何よりユーリやその一族に対する想いをより強く感じた。
先程到着して直ぐに発したユーリの言葉や態度も彼らに対して随分信頼を置いて居るように見えた。
一族を率いる当主家系としての矜恃と行動、そして仕える者達への配慮。
そしてそれに応え支える従者たちの忠誠心。
『家族』的な関係とは全く別の…主従関係に於いて手本と称せる程に別格な相互信頼関係がそこにはあるのだと肌で感じるもえだった。
もえから見てユーリは
アッシュやスマイルに対しても
彼ら使用人に対しても
良き『上司』・良き『主人』であると感じる。
特に後者は長い年月をかけて培ってきたものであろうし、ユーリが一人で築き上げた関係でもない。
それでもユーリが未熟であると認識している周囲の者たちに実力でもって認めさせた上、家臣に等しい者たちを自らの意思で仕えさせているのだから…それはもう当人の人徳と言える。
こういった話を色々な場面で耳にする度につくづく『とんでもない相手』を選んでしまった…と、そしてそんな『とんでもない相手』に選ばれてしまったとしみじみ実感し恐縮するばかり。
しかしそんなもえの様子を目にしたアルドワーズは穏やかな微笑みを浮かべ
『お嬢様でしたら大丈夫ですよ。
我等が主の選びしお方です。
胸を張り堂々とした佇まいで隣にお立ち下さい。』
…と背中を押した。
僅か二時間足らずでもえはすっかり屋敷の使用人達と打ち解けた様だ。
屋敷内の空気が変わった事が書斎という名の仕事部屋に籠ったままの自分にもよく判った。
吸血鬼族は自尊心の高さから他種族との一線を強固に引いてきた。
特に人間ともなればその対応は尚ぞんざいになる。
故に第一声にて釘を刺しておいた訳だが…それは功を奏し、かなり好転している様子で安堵とともに大変喜ばしい。
普段は厳格さを重視する為はしゃぐ事などないメイド達も今日はやたら楽しそうな足音を響かせている。
以前の自分ならばそうしたものに対して『騒々しい』だの『はしたない』だのと叱りつけていただろうが今の自分には心地良ささえ覚える。
『人間じみている』と言ってしまえばそれまでだが、その人間じみた暖かさや甘さが己にも染み付いてしまった結果なのであろう。
同族から見れば『堕落』にも等しいと石を投げられそうであるがそんなものはいくらでも跳ね返せる自信がある。
これから遂げようとしている大事を思えばその様なものは些事に過ぎない。
ふと止まっていたペンを再び動かし始めたところで書斎のドアがノックされた。
ノックしたのはアルドワーズだろうとユーリはただ一言『入れ』とだけ告げる。
ドアが開き予想通りアルドワーズが姿を見せた。
「アルド、何用だ?」
「おそれながら…お嬢様がお茶にしましょうと仰っております。
必ず主様を連れ出してくるように、と。」
「…そうか。」
「参りましょう。」
「アルドよ。…お前はそんなに柔軟であったか?
私は格式張った頭の硬い奴だと記憶していたのだがな。」
「貴方がその目でお選びになったお方でしょう、坊ちゃん。」
「…坊ちゃんはやめてくれまいか…。」
「貴方の心を真の意味で掴んだとされるお相手が人間と聞いて…いよいよ気に触れてしまったのかと爺やは肝を冷やしましたよ。」
「…失礼な物言いだな。」
「ヴァンパイア族ならば間違いなく誰でもそう思います。」
「………まぁ、否定はせぬ。
正直自分が一番驚いた程だ。」
「ですが、貴方のその目は変わらず確かですね。」
「それは褒められていると受けって良いのか?」
「勿論でございますよ、坊ちゃん。
爺やは本当に安心しました。」
穏やかに微笑む彼は幼き頃に良く向けてくれた笑顔をしている。
懐かしいと思うそんな表情だ。
自分がこの立場になってからの彼は常にぴりっと張り詰めた態度だった。
それはもうあの頃の自分の立場ではないのだからしっかりと歩め。と無言の圧にも思えていた。
…しかしそうでは無く、単純に『言葉が足りなかった』のであろう。
自分自身も彼に、彼も自分に…それこそ些細な自尊心等かなぐり捨ててもっと歩み寄り素直に胸の内を話していれば良かったのかもしれない。
そうしていればこんなにも疎遠にならなかったかもしれない。
「このアルドワーズ…初心を忘れ、少々余裕を欠いておりました。」
「否。それは私とて同じだろう。
…お前ならば彼女の本質を見抜けると思っていた。そしてその期待通りに見抜いてくれたのだな。
受け入れてくれたこと、心から感謝する。」
「お褒めに預かり恐悦至極に御座います。
…ですが…初めに歩み寄ってくださったのはお嬢様の方なのですよ。
貴方様に選ばれ、その隣に立つ方が
我々使用人如きに対して易々と深く頭を下げようとなさるなど…大変驚かされました。」
「モエには貴族であろうと家臣であろうと使用人であろうと等しく一個人であると云う認識がある。
私の家臣や使用人だからと傲慢に高圧的な態度を取る事は無い。
何より『私』の家臣や使用人なのであって『自分』には立場など関係ないと思っているはずだ。」
「確かにその様です。
…いえ、それよりも…」
「自分の方が下だとすら思っている。
…だろう?」
「…左様でございます。」
「ふふっ…そう云う娘なのだよ、彼女は。」
メイドたちとは同世代の友人の様に彼女達の最近の流行りは何かと尋ねたり好きな菓子や飲み物は何かと尋ねたり…気さくに会話をしていた。
少なくとも今までユーリが連れてきた女性達の中にはそんな風にメイド達に寄り添う様な事をする者は居なかった。
誰も彼も主たるユーリ自身よりも余程尊大に命令をしてきた。
吸血鬼族でも無い者がほんのひと時ただ遊び相手として運良く選ばれた程度の癖に…と…陰口が酷かったことをよく覚えている。
「…モエは人間だが、人間を憎んでいる節もある。
深く話した訳では無いが、過去に人間たちが我々吸血鬼族や他の種族に対して行った痛ましい出来事を、己が過去に親族から受けてきた仕打ちと照らし合わせ、どれほど悲痛なことであったか…と胸を痛め涙することすらもある。
モエには何も関係がないと言うのに。」
「それはまた奇特な…」
「そうであろう?
しかし我々妖怪は『人間』と言うだけで見下し嫌悪してしまうものだ。
私が何も言わずに居たならば今頃モエは私の知らぬところで迫害されていたやもしれぬ。
…ここの者たちに信用が無い訳では無い。が…それほど人間に対し確執があるのも妖怪の中では常識だろう?」
「…左様で御座います。」
「だからこそ強めに釘を刺しておいた。
彼女はそれを隣で見ていたからな。
故に余計歩み寄ろうとしてくれたのだろう。」
そう零すユーリは驚く程に柔らかい微笑を浮かべている。
その表情を目の当たりにしてしまってはもう疑いの余地すらない。
おそらく彼女は吸血鬼族を…ひいては妖怪の認識を変えるだろう。
そして主はそんな彼女を彼女の命のある限り傍に置くだろう。
…否、『傍に置く』と云う表現ではなく『共に歩む』…であろうか。
この際この場で寿命云々の問題を投げるのは無粋であろう。
「ところで坊ちゃん。そろそろ参りませんか。皆が痺れを切らしてしまいます。」
「あ、ああそうだな。
…しかし、アルド。」
「なんで御座いますか?」
「モエや2人の前では
『坊ちゃん』呼びをせぬように頼む…。」
「ははは、確かに『坊ちゃん』では面目が立ちませぬな。
仰せのままに、我が主たるユーリ様。」
今はただ主の変化と
己らの変化を受け入れ喜びに浸る時だと感じるアルドワーズなのであった。