茨路サイドストーリー〜約束〜それはつい先日の事。
ミミ、ニャミ、ポエットと共にポップンシティショッピングモールへと繰り出したが…偶然にもそこでタイマーとアイスに出会した。
タイマーとニャミと言えば神からもファンからも公認されているビッグカップルだ。
付き合いの長いこの二人のアツアツぶりは時に周囲が呆れるほど。
その日もニャミはタイマーを見掛けるなり声を上げ一目散に駆け寄って、二人はその場で熱い抱擁を交わしていた。
ポエットは変わらずふんわりとした笑顔で『仲良しね〜。』と和んでいたが、ミミとアイスは…と言えばまるでこの世の果てにでも放り出されたかのような…まるきり生気の抜けた目をしていた。
タイマーの相方に近いアイスとニャミの相方であるミミ。
二人は会話などなくとも互いのその苦労を理解している様子で相手に対し無言で何かを察していたらしい。
…とは言えタイマーもニャミも人気者故に多忙で逢い引きする時間も中々取れない為
直ぐに二人を引き裂くのは気が引けたのだろう。
その間僅か五分ほどではあったが静観していた。
『あぁ…ダーリン、会いたかったぁ♡』
『僕もだよ、ニャミちゃん♡』
『だぁいすきよ、ダーリン♡』
『ニャミちゃん…僕もだぁいすきだよ♡』
素晴らしい程に捻りもない、まるで定型文のような会話をこれでもかと甘ったるく交わすお熱い二人をハート乱舞のエフェクトが取り囲んでいるように見えた…そんな気がする。
その後二人は各々の相方によって無事に引き離される運びとなったが…
もえはそんなタイマーとニャミを見て少々思う事があった。
それから数日が経った現在。
暮れゆく西の茜空をカフェの窓辺から見つめて一息つく。
恋人であるならば難なく口にできて当たり前であろう『好き』の言葉。
少なくとも一般的な認識ではそうだろう。
しかし自分はどうか?
最後にその言葉を口にしたのはいつだっただろう。
思っていない訳では無い。
寧ろいつだって、それこそ初めてこの気持ちを認識した時よりもずっとずっとその気持ちは強まっている。
…それでも。
「……わたしはあんまり言えないな……」
先日の二人を思い返しながら意図せず苦笑が滲んだ。
時折催促を受けることがある。
しかしその度にはぐらかして明確に口には出さないでいる。
…正しくは出せないでいる。
そしてその理由はとても単純だ。
それでも少し前ならまだ言えていたはずなのに。
どんどん保守的になってしまっている証拠のような気がする。
再び視線を向けた空にはいつの間にか
煌めく宝石がぽつぽつと輝く瑠璃色の帳が降りていた。
「「あっ!マイスイート!!」」
綺麗に重なった声に振り向くとそこにはミミとニャミが揃ってこちらを見ていた。
「ミミさん、ニャミさん、こんばんは。」
「やほやほー!」
「こんばんは!」
「あれ、どうしたの?」
「あ〜、お迎え待ち?」
「はい。少し立て込んでいるようで…今はまだ抜けられないそうなんです。」
「「そうなんだ〜。」」
「お二人は?」
「「ちょっと、息抜き!!」」
「あ、そうなんですね。ふふっ。」
「一緒してもいーい?」
「はい、是非。」
「やった〜♪」
向かいの席に2人は並んで座るとメニューを手にした。
「お腹すいたぁ〜!」
「甘いもの食べた〜い!」
「オフィス戻ったらまた頭使わなきゃだし〜ガッツリいっとく?」
「いいね!いっとこいっとこ!」
二人はその人気も相まって日々多忙である。
しかし最近は以前に比べると少しばかり余裕のある仕事量の様に感じる。
二人は特に何も語らないが、恐らくそれは自分やDeuilに関係しているのでは無いだろうか。…と思う。
先日のショッピングモールの件も
三人がわざわざ城までやってきて連れ出してくれた。
それが神の命によるものなのか、彼女たちの意思によるものなのかその判断は自分には出来ないが…少なからず気を遣わせてしまっている事実は変わらないともえは思うのだ。
「マイスイートは何か食べた?」
「それだけ?」
「わたしはお夕飯控えているので飲み物だけです。」
「あ、そっかぁー。」
「アッシュのごはんいいな〜。」
二人はメニューを閉じて注文を済ませると揃ってテーブルに頬杖を付いた。
その姿はまるで双子のようにシンクロしている。
「神ってばめっちゃこき使うんだよー!」
「それね。マジありえないんだけどー!」
「お二人を信頼なさっているからですよ。」
「「え〜〜どーだかー。」」
「MZDさん、お二人とポエットちゃんにはとても甘いですもの。」
「……あ〜…ね。」
「…うん、それは感じる。」
「てか、マイスイートにも甘いよ。」
「うんうん、それねー。」
「……確かに…否定出来ないですね…
わたしも感じていますから…」
「「だよねーーー!!」」
あははは!と豪快に笑う二人に釣られるようにもえにも自然と笑みが零れた。
「あの、先日はありがとうございました。」
「「え??」」
「ショッピングモールの…」
「「なんかあったっけ??」」
「えっと、わざわざお屋敷にまでお誘いに来て頂いて…」
「「ああ、そんなこと?」」
「改まって言われるから何かと思ったよ〜」
「もう、マイスイートは真面目なんだから〜」
「……いえ…。
何せ現状、Deuilの皆さんが絡む事になっているので、正直色々と気を遣わせてしまっているのだろうなって…。
お二人にも、ポエットちゃんにも、MZDさんにも…そして他の皆さんにも。
…時々すごくそれを感じていて…。
勿論それをわたしが問うたところで
誰も『そうだよ。』なんて仰る訳もないじゃないですか。
別に意識している訳でもない場合もあるでしょうし。
…それでも、大なり小なりそう言うのはあるのだとは思っているんです…」
「…それで?」
「…つまり『申し訳ない』ってコト?」
「………はい。」
「「…………。」」
賑やかな二人が黙り込む。
この空気は恐らく気分を害してしまったのだろう。…そう感じて視線を落とした。
「「……あのさぁ……」」
静かな、そして不機嫌そうな声が耳に届く。
視線を上げることは出来ないでいた。
「…はい」
「何を勘違いしてるか知らないけど!」
「あたし達は別に気を遣ってなんかないからね!」
「「単純に!あいつらからマイスイートを奪還してやりたいだけ!!!!!」」
二人の剣幕と放たれた言葉に押されて目をぱちくりさせていると二人は益々捲し立てる。
「…ったくさぁ!
あたし達のマイスイートを独占しちゃってくれちゃって!」
「そーそー!それなーーーー!!!
マジムカつくのよ!!!」
「そりゃ、ユーリは…
ユーリは仕方ないよ!?
仕方ないけど!!!」
「アッシュとスマイルなんなんだよ!!!
特に!スマイル!!!」
「きったないやり方であたし達からマイスイートを取り上げるんだよ!?」
「『姫はァ、ユーリと一緒の時間増やしてあげたいからァ、邪魔しないでネェ〜?』…とか!!!!」
「ユーリの名前出されたらあたし達は強く出れないじゃん!!!!」
「そのくせ自分はユーリ差し置いて休憩中どころか仕事中でさえマイスイートにベタベタベタベタ、ベタベタベタベタとっっっっ!!!!」
「「きぃぃぃぃ、くやしいぃぃぃぃ!!」」
「あ、あの…お二人とも落ち着いて…」
「「これが落ち着いていられるかぁぁぁぁ!!!!!」」
どうも二人は本気でその様に憤っているらしい。
「「だからっ!!!
またあたし達とデートしてよね、マイスイートっ!!!」」
「え!?は…はい…!!
もちろん喜んで!!」
それまでの沈んだ考えなど二人のその言葉や笑顔に全て吹き飛ばされてしまった。
掬い上げられた笑顔に二人も大変満足そうである。
この二人が語った内容が『真実』であるかどうか…自分には判り得ない。
しかし二人のその『言葉』は紛れもない『事実』であるのだと云う事。
いつだって味方でいてくれる。
手を差し伸べ支えてくれる。
二人はそんな頼もしい『親友』とも呼べる相手。
…少なくとももえ自身はそう思っている。
張り詰めた日々の中にもこうして訪れる束の間の安息。
それが今はとても尊く、大きな救いである。
「……ところでさ、マイスイート?」
「はい?」
「この間、ちょっと気になったことがあるんだけど…」
「何でしょう?」
やや探るような様子でミミは切り出し、ニャミも隣で興味津々の様子だ。
「ユーリはさ、マイスイートに割とストレートな愛の伝え方してるじゃん?」
「あー、ね!わかる〜!」
「ニャミちゃん達みたいなバカップル的ではないけど」
「いやぁ…照れるなぁ〜♡」
「や、これ別に褒めてないけどね?」
「えっ!?」
「え?なんで褒められてると思った?」
「…冷たいじゃないか、相棒…」
「いやいや、バカップル言われて喜ぶのもどうかと思うよ?」
「えぇぇ〜?」
ニャミはやや拗ねたように水の入ったグラスの縁をなぞって何やらぶつぶつと文句を溢している。
そんなニャミを放ったままミミは続けた。
「しかしまぁ、ユーリも案外タイマーと変わらないんかなぁ…なんて。
あたしは思ったりもしたんだけど…ハイレベルな言葉の選び方は流石の一言だよね。
タイマーみたいに安っぽくない。」
「ず…随分ディスるじゃん、相棒…」
「え、だってひどいよニャミちゃん達。
マジ自覚ない?」
「い……いや…うん……ハイ。
わかってりゅ…。
でっ、でもさ、でもさ???
あんな不意打ちでダーリンに会えたら…
そりゃそうなっちゃうってぇぇぇ…」
今日のミミは大分手厳しいと感じながら、もえはどう反応を示せば良いものかと苦笑するばかり。
「けどさ、マイスイートは…あんまり言わないじゃん?」
「あっ!それあたしも思った!」
「人前でだからかなって思ってそれとなく二人にサーチしてみたんだけど」
「…サーチまでしたんだ…」
「外と大して変わらないって聞いて。
余計なお世話かもなんだけど
なんだか…気になっちゃってさ。」
少々大袈裟に溜息を零してちらりと隣に視線を流した。
「片やこんなにダダ漏れ自重なしバカップルもいるのに…ってねぇ…。」
「うぁぁっ…耳がっ、耳が痛いぃぃぃっ…」
まるでじゃれ合うような二人を見ながら
つい今しがた自分もそれを考えていた事を思い起す。
「……やっぱり……
それっておかしいことなのでしょうか…。」
第三者から改めてそう告げられるとやはり異常に見えてしまうのかもしれないと感じる。
自分自身の想い…即ち『感情』をついつい押し込めてしまうことが…。
「ユーリさんからはもちろんのこと、お兄ちゃん達からも…もっと感情を言葉にして!…って言われるんです。
言葉にしないとわたしはきっと自覚できないで無理ばかりを重ねてしまうから…と。
だけど、わたし自身としてはこれでも以前より全然、口に出していて…。」
これ以上どうして良いのか分からないと言うのも正直な気持ちである。
そんなもえを前にミミはそっかぁ…と零した。
真剣に何かを考えているミミを一瞥してもえは俯いた。
「ユーリさんへの想いに関しても…
お兄ちゃん達への想いに関しても…
わたしはそれを口にする事が
凄く『こわい』のだと思うんです。」
「「『こわい』??」」
「はい。
…口にした途端、すり抜けて行ってしまいそうで…」
勿論、ただそれだけ…と云う訳では無い。
日本にいた頃には『無かったこと』を
メルヘン王国へやってきて幾つも体験した。
『人間ではない存在』との出会い
その中の種族の違いや多様さ。
そして『魔法』の存在や『特殊な力』について。
この国ではそれが当たり前にある。
勿論法律などである程度の制限や罰則を設けられてはいるが、やはりそれは個人の良心に委ねられている部分も少なくなく悪用しようと思えばいくらでも出来る。
そして見つからなければ、捕まらなければやったもん勝ちである…と云った思考の者も少なくは無いのだ。
ユーリと恋人関係になって以降、そういった類の事に巻き込まれることもそこそこあった。
この二人に…否、誰にも打ち明けていないこともある。
それを知られてしまえば更に方々への負担を増やすことになってしまうと思うからだ。
いっそアイドルなど辞めてしまえば良いのか…と悩む事さえある。
ただそれを神に相談しようにも自分の心が決まらない今、ただただ不安を吐露する為だけに時間を取らせてしまうことになるのももえとしては酷く気が引けてならなかった。
「……わたし……嬉しかったです……
ユーリさんと同じ気持ちだったと知った時。
本当に、夢なんじゃないかと思う程。
今でもその時の気持ちを思い出すだけで…ドキドキするくらいに。」
そっと胸元に手を当てて目を伏せる。
彼女のその姿は初めて会ったあの日よりもずっとずっと大人びて美しく、同じ女性の立場であっても思わず見惚れてしまう。
いつの間にこんなに大人びたのだろうか。
彼女はユーリと恋仲になってもその素朴な愛らしさに変化は無かった。
あからさまに華美になることはなく、化粧や衣服、手持ちの品も高価なもので固める事などもほぼ無い。
そして態度も傲慢に転じる様子すら見えない。
今や有名バンドとして名を馳せ『Deuil』のリーダーであり
メルヘン王国一の富豪であり
実質国王より上の存在として知られる人物を射止めたにも関わらず…
そしてその事実を当人がきちんと理解しつつもそれに決して傲ることなく大変慎ましやかだ。
それでも『恋が女を美しくする』と云う言葉をこれ程自然な形で見せ付けられたのは初めてではないだろうか。と。
「……でも……」
それまでの幸せに満ちた愛らしい表情は
一瞬で切なげに変わった。
「彼の隣に立つこと。
それは、ただ『好き』の気持ちだけでは難しいんだな…って凄く感じています。
例えそれがわたし達二人共通の願望だとしても……余りに、難しい。」
酷く苦しげに絞り出されたその一言に、現在の彼女の苦悩が詰まっていると感じた。
「「…マイスイート…」」
明らかに沈んだ二人の声を耳にしてもえは咄嗟にごめんなさい!と頭を下げる。
「…つい…お二人に余計なことを…!!」
取り繕われたその笑顔を見ながら、彼女が独りずっと抱えていた物を垣間見てしまったのだと思い知る。
ユーリを始めとしたDeuilメンバーや純や神、他の仲間たちにスタッフ達。
関係者の誰からも好かれ可愛がられる彼女が実際はこんなにも孤独に闘っている事を。
「すみません!
今の話は……その…っ…!」
酷く申し訳無さそうに身を縮めて頭を下げる彼女を見てミミとニャミは顔を見合わせる。
「…言わないよ、誰にも。」
「約束するから。」
「「安心して。」」
その言葉にほっと安堵してもえは顔を上げた。
「…はい、ありがとうございます…。」
改めてもえの顔をまっすぐに見て、二人は真剣に語りかける。
「だけど…一つ約束して欲しいんだ。」
「約束…ですか?」
「そう。約束。」
「内容に寄りますけれど…」
そう告げた彼女の言葉に再度二人は顔を見合わせ頷き合った。
「しんどくなったらあたし達に話して。」
「今日は話すつもりじゃなくて…
思わず出たんだろうけど」
「だけどそれって結構マズイ状況だったってことだと思うんだ。」
「マイスイート…いやもえちゃんは自覚が薄いっての、間違いじゃないと思う。」
「アッシュやスマイルが過度に心配したり過保護になるのもよく分かるんだ。」
「「実際そうだからね。」」
「…でもそれ、頼りないってんじゃなくてさ。」
「頼もしすぎるんだよね。」
「……頼もしすぎる…??」
「「そう、頼もしすぎる。」」
意外な一言にきょとんとするもえに二人は変わらず真剣に告げた。
ここでいつもの調子に戻してしまっては彼女には『冗談』として伝わってしまうと思うからだ。
「もえちゃんは芯が強くて優しくて。
頼もし過ぎるんだよ。」
「だから周囲はついつい甘え過ぎちゃうし…それにああ、大丈夫なんだな。って思っちゃうの。」
「もえちゃん自身も多分それを敏感に感じ取って…」
「周囲が求めているものを無意識に提供しちゃうのね。」
「「自分のことそっちのけにして。」」
綺麗にハモるその一言が確実に痛い所を突かれて思わずうぅ…と呻いた。
「そこはいい所でもあるんだけどさ」
「度を越しちゃいけない所でもあるよね。」
「まぁだけど…結局それに漬け込むやつが一番悪いんだ。」
「だけど悲しいかな漬け込んで来るやつは絶対いるし…」
「回避するのも中々難しかったりするでしょ。」
「もえちゃんが傷付くことだってきっとあるはず。」
「抱えきれなくなってくることもきっと出てくる。」
「そうなったら辛いしかないじゃん。」
「「だからその時は…あたし達に言って。
それが【約束】」」
ねっ!!とそれまでの硬い表情から笑顔に転じた。
それはもえにとって心強く、頼もしく…有難いものだった。
「…は…はい、わかりました。」
もえの返事を聞き二人がそれぞれ片手を差し出すと、もえは二人の手にそっと両手を置いた。
「それじゃあ…」
「【盟約締結】ってコトで!」
「「OK?」」
「…はいっ!」
しっかりと手を取り合って穏やかに笑い合った三人だが、ふとミミが真顔に戻ると共にやや青ざめる。
「……ね、ねぇ…これってもしかして…
ポエポエに怒られるやつじゃ…?」
「『仲間外れはダメなのー!!』って…?」
「…あっ…そうですね…」
「…ポエポエ絶対怒るよね…?」
「…拗ねちゃいますよね…」
「「それね…!!」」
「…じ、じゃあ今日は仮締結ってコトでどうよ!?」
「そうだね!ポエポエに状況説明して…
四人揃った時改めて締結ってコトにしよっか!!」
そうしてこの日、もえの迎えが到着するまでお喋りに花が咲いた。
もえを見送った後、ミミとニャミの二人は事の深刻さを反芻する。
「…まさかあそこまで思い詰めてるとは思わなかった…」
「だよね…軽くショック。」
「だけど神はある程度察してるでしょ?」
「おそらく。」
「でも動かないってことは…動けないってコトだよね。」
「…じゃないかなぁ。
神が放っておくとか考えられないもんね〜…。」
「…迂闊には動けないのかぁ…」
「深刻だね。」
「うん、相当ね。」
「あたし達も、も少し気を付けておこうか…」
「だね。
もえちゃんの場合は特殊事例だし
何かあっても困るもんね。」
「Deuilが関わってるから重要度は元々高いけど…差し引いても看過できないよねぇ…」
「神にはそれとなく言っとこか。」
「そだね。
【約束】があるから濁す感じでサラッとね!」
「「よしっ!!」」
勿論、二人の間でそんな話し合いが交わされたことなどもえは知る由もない。
冷えた夜空を切ってユーリは城へと急ぐ。
ふわりと地面に着地すると腕に抱えていたもえをゆっくりと下ろした。
「すっかり遅くなってしまってすまなかった。
寒かっただろう?」
「いいえ、大丈夫です。
お忙しい中お迎えに来て下さってありがとうございました。」
「礼には及ばぬさ。
夕食の前に湯浴みを済ませると良いだろう。
アッシュが支度を済ませているはずだ。」
玄関のドアを開いてさぁ、と促す。
彼のその所作は今日も凛としていて美しい。
自分を捉えるその優しい瞳も穏やかな微笑も…全てが強く胸を打つ。
『もっとさ、気楽に気持ちを伝えていいと思うよ?』
『そうだよ!
絶対喜ぶにきまってんだから!』
『…そ、そうでしょうか…』
『『間違いないって!!!!』』
先程の会話が頭の中を巡る。
「…如何した?」
「……ユーリさん…あの……」
胸の前で手を組み言葉を躊躇う。
玄関の扉に手をかけたまま何事かとこちらを捉える視線。
それにすら愛おしさを覚えてならないと言うのに…『言葉』は中々出てこない。
「……あの…」
何を躊躇っているのか…とユーリはもえの動向を探る。
しかし今日はその表情に『答え』が全て現れている。
赤らんだ頬に潤んだ瞳
熱っぽい視線。
愛おしい相手のその様な姿を目の当たりにして何も期待するなという方が酷というものだろう。
「…モエ?」
そっと腰に手を伸ばして引き抱き寄せる。
もえは相変わらず言葉に躊躇ってはいるものの…その行動は従順そのものだ。
「…言ってごらん?」
指先で頬に触れそのままゆっくりとなぞった。
流れるように目を合わせれば吸い込まれそうなほどの蒼い瞳に『囚われてしまったのは自分の方かもしれない…』とユーリは錯覚する。
「…わたし…」
何かを口にしようとして躊躇っている事までは判る。
最近の彼女は特に自分の抱える『想い』を滅多に口にしなくなっていた。
行動や表情を見ていれば気持ちが冷めたのでは無いことは一目瞭然であるのだが…張り詰める日々が続き、彼女は安易にその想いを口に出来なくなってしまったのだろう。
そしてそうさせてしまったのは他でもない自分であると云う事。
こんなにも苦しげに、もどかしげにしている彼女の姿にさえも自分はよからぬ感情を抱いてしまっている事実に…心底呆れてしまう。
そんな事を考えながらもえの頭を抱え込み自身の胸に押し付けた。
「……無理をしなくて良い…」
そう口に出しながらも彼女の口から聴きたい…寧ろ言わせたいと云う邪な本音と
純粋に憂う気持ちとが激しくせめぎ合う。
もえはその腕をユーリの腰に回してキュッと抱き着くと、か弱い声で名を呼んだ。
ユーリはその髪や背に軽く手を滑らせながらそこに隠すようにして耳まで赤く染めた顔を埋めるもえの姿を捉え、また愛しいと強く思う。
「ここは冷える故、中に入るとしよう。」
さぁ。と再び促そうとした刹那、もえは回した腕にやや力を込めた。
「……………、……です……」
小さく響いたその一言にユーリは目を見張る。
「モエ、今…何と…?
もう一度聞かせてくれまいか?」
「…〜〜〜っ…」
顔を覗こうとして少しばかり身体を離そうとするも、彼女は決して覗かれまいと…頑なに顔を埋めていた。
「…モエ…?」
耳元に囁けばもえは観念したのか潤んだその目でちらりと見上げてくるが、その表情は今の自分にとって最早反則でしかない。
その艶やかな淡い紅の唇や
愛らしくも魅力的な小さな身体を
今すぐに欲望のまま暴いてしまいたい。…などと…酷く自分勝手で浅はかな、そして醜い衝動を必死で抑えつける。
「…もう一度…
モエ…もう一度、だ。」
ダメ押しのようにそうせがむと彼女は再び顔を埋めてしまったが、今度は先程よりもややはっきりとその言葉を口にした。
「……ユーリさん……すき……
だいすき…です…っ…!」
ようやっと彼女から『言葉』を聴けたと言うのに、彼女のそれはまるきり幸せとは程遠く…
いけない事をして萎縮しているような
或いは
苦しみの中から絞り出すかのような。
…そんな悲痛とも言える姿だった…。
ユーリに促されて湯浴みを済ませたもえは着替えて濡れた髪を拭きながら脱衣所の鏡を見つめた。
先程、絞り出すようにやっとの思いで告げた言葉に対して、彼はどこか微妙な反応を示していた。
『…ありがとう…モエ。
伝えようと奮い立たせてくれた事
そして懸命に伝えてくれた事…
私は深く感謝するよ。』
優しく頬に手を添えて自分を見つめるその瞳。
その奥底には別の色があった。
あれは…仄かな怒りの色…?
「…どうして…?」
怒らせるような事を言ったつもりは無かった。
実際彼も、自分に対して何か怒っていた様子でもない。
だとするならば、あの時瞳の奥に潜んだ憤りはなんだったのだろうか…。
幸せなはずの今にこうして影が落ちる度、一喜一憂してしまう。
壊れてしまうのではないかと不安になる。
色々な意味で強くなりたいと…
強くなると決めたはずなのに
これではまた振り出しだ。
「…ちゃんと、向き合わないと…。
ちゃんと、聞いてみないと…。」
まるで呪文を唱えるようにして
もえは脱衣所を出てリビングへと向かった。
「……ネェ……ナンデご機嫌ナナメ?」
「…知らねっスよ…」
城主と姫君は帰宅するなり玄関先で仲睦まじい姿を見せていたと思いきや…
姫君を浴室へ促した城主は彼女の荷物を手にリビングへとやってきて定位置に腰を据えた。
しかし彼からは静かな怒りのオーラが漂い、迂闊に近づくことも声をかけることも出来やしない。
今日のあの様子はかなり分が悪い。
理由など検討も付かず、困惑するばかりでアッシュとスマイルは揃ってダイニングから出られずに細く開いたドアの隙間から様子を窺う。
そこへぱたぱたと駆ける愛らしい足音が聞こえて両者はマズイ!と顔を見合わせ咄嗟に廊下側の扉を開いた。
「姫、姫!コッチコッチ!」
タイミング良くやってきたもえを捕まえてスマイルはダイニングに連れ込む。
二人はもう一度リビングを覗くと静かに扉を閉めた。
「「…ふぅ…」」
「あ…あの…?」
突然の事に困惑した様子を見せるもえを見てスマイルは背後に回ると彼女が肩にかけていたバスタオルを手にしてバサッと頭に被せた。
「…まだ髪濡れてる。風邪引くデショ。」
はぐらかしているつもりなのか…よく分からないが彼はそう言ってタオルの上からわしゃわしゃと頭を撫で回していた。
ひとしきり撫で回された後、漸く解放されたもえは乱れた髪を軽く整えながら一体何が…?と問いかける。
するとアッシュがなんとも言えない苦い顔をして
「どうもユーリが不機嫌で…」
と零し、スマイルも
「理由がまったく解んナイんだヨネ〜…」
と、困った様子を見せた。
しかしもえは二人のその説明に、やはり先程垣間見た気がした『怒りの色』は間違いでなかったと確信を得た。
「…わたし、ユーリさんとお話してきますね。」
そう告げて踏み出そうとした所で二人に手を引かれた。
「「え!?ちょ…!!」」
「い、今…行くんスか!?」
「イヤイヤイヤ…!!
寧ろ今は触れない方がよくナイ!?」
自分よりもずっと彼との付き合いが長いこの二人がここまで慌てているという事は今日の彼は余程だと云う事。
それならば尚更きちんと話をしなければならないともえは思う。
「大丈夫、心配しないで?
…行ってきますね。」
にこりと微笑んでもえはユーリのいるリビングへと向かった。
抑え切れない憤りの感情が漏れ出ている自覚はある。
アッシュとスマイルの二人は今、それを肌で感じて身を竦ませている事だろう。
…申し訳無いとも思う。
それでも湧き上がるこの憤りはまだ収められそうにも無い。
定位置のソファーに深く腰を据えて片肘をついたままユーリは先程のもえの様子を思い起こしていた。
彼女を取り巻く現状は日に日に悪化しているのだ。
ああして己の感情を上手く言葉に出せない程に追い詰められながら。
そして彼女にそうさせてしまっているのは勿論不甲斐ない自分であろう。
しかし彼女はその様な事は口にしない。
泣き言や弱音さえも。
寧ろ自分達や仲間たちの事にばかり気を張り続けている。
…それなのに自分は彼女を求めるばかり。
自分は一体彼女の何を見ていた?
彼女の何を理解した?
彼女の何を守れていると…?
そんな思考を巡らせながらも
愚かな自分自身に…そして、未だ姿の見えない『敵』に腹が立って仕方がない。
ふと溜息を零した時、ダイニングと続くドアが開く音と共に『ユーリさん。』ともえの声がした。
反射的に振り向くと、彼女は先程のようにどこか萎縮した様子でそこに佇んでいた。
「…ユーリさん、あの……」
彼女は何か誤解をしていると理解したユーリは直ぐさま立ち上がりもえの前に立つ。
「あの、わたし…何か失礼なことをしてしまったでしょうか…?」
俯き、小さくそう告げるもえを見て酷く申し訳なく思う。
「否。モエは何もしていない。」
「…でも…怒っ…てらっしゃるのでしょう?」
もえのその指摘は流石に誤魔化せないと思った。
「……ああ。そうだな。」
溜息と共に吐き出すと彼女は更に身を縮めた。
「…それってやっぱりわたしが何か…っ…」
言いかけたもえをふわりと抱き上げてまたソファーに身を沈める。
「不安にさせてしまったことを詫びよう。
…申し訳無いことをした。
しかし、私が憤りを覚えたのは私自身に対してであり…姫君に対してではないと云う事だけは信じて欲しい。」
「………では……
その『理由』を伺っても…?」
彼女問いかけにユーリは返答を躊躇う。
今の思いをありのままに伝えてしまえば彼女は更に自身を責め、追い詰めるであろう事が容易に予測できるからだ。
そして彼女が自分の元を離れていってしまうかもしれない…そんな不安もある。
ユーリはもえの身体をしっかりと抱え込み
『…私が…不甲斐ないからさ。』と小さく告げる。
少しばかりはぐらかしてはいてもこれは紛れもない本心である。
「…不安にさせてしまって、すまない。」
そう言って彼女の顔を覗き込むと彼女はややムスッとした顔をしてこちらを見ていた。
「ユーリさんは不甲斐なくなんてないです、全然!!」
もえはそっと手を伸ばしてユーリの頬を包んだ。
「いつだって優しくて、甘やかしてくれて、大切にしてくれて…!
誰よりも側にいて守ってくれてるじゃないですか!
……だから…
不甲斐ないなんて思わないで…。」
吸い込まれそうなほどの蒼い瞳がこちらを捉えて揺れている。
優しくも強い意志を携えるその瞳に
幾度も心を揺さぶられた。
幾度も奮い立つ力を貰った。
あれほど『ちっぽけな』と小馬鹿にしていた『人間』である彼女に心底支えられている自覚がある。
今、正にこの時も。
「……ああ、すまない…
私はついモエには甘えてしまう様だ。
情けない所を見せた…。」
彼女は頬に手を添えたまま柔らかく微笑んだ。
「情けなくなんてない。
甘えてくれるのだって嬉しい。
…ただ『不甲斐ない』とは思って欲しくないんです。
今のわたしはあなたに、そして家族に支えられてたくさんたくさん力を貰っているのだから…。」
彼女のその言葉が強く胸を打つ。
それは自分とて同じなのだ。
彼女や家族とも言える二人が、今の自分を支えてくれていること。
そしてそれを気付かせてくれたのは他でもない目の前の彼女であること。
だからこそこの手で。
物理、魔力、そして権力に至るまで…
持てる力の全てで守りたい…とユーリはそう願う。
ユーリは今一度、もえの身体をしっかりと抱きしめる。
「ありがとう、モエ。…愛している。」
小さくそう告げるともえはユーリの身体に腕を回して背中に手を当てる。
「………わたしもです…ユーリさん…」
どうやらユーリの不機嫌は治まったらしい。
ダイニングから様子を窺っていたアッシュとスマイルは心底安堵した。
しかし今声をかけるのは流石に野暮というものだとそっとガラス戸を閉じる。
「…もう一品、増やしますかねぇ。」
「ダネ♪」
ユーリが感じている不安や憤りは自分達にもある。
穏やかな時間は大切にしたいと強く思う。
そしてそんな時間を守りたいとも思う。
それは二人の暗黙の【約束】である。