6月26日【6月26日】
「お腹空いてるでしょ、あげるよ」
友人が赤い長方形の包み紙のチョコレートをこちらへ差し出す。ありがたく受け取って、上着のポケットにしまう。溶けてしまわないかが気にかかるが、ここにしか入れられない。
腕時計は14時56分を示している。
「ありがとう、後で食べるね」
「……た……」
聞きなれない声が返事をした。
何を言ったのかと友人に尋ねると、彼女は困惑したような表情で何も言っていないと首を振る。
「……ま…………しい」
先程よりもはっきりと聞こえる。明らかに、友人の声ではない。脳が警鐘を鳴らした。
「妬ましい」
耳元で誰かが囁いた。
どす黒く、絡みつくような声だった。悲鳴を上げかけたが、人間は驚きすぎると声が出ないものである。
挙動不審な私を見ていた友人が、思い出したように口を開いた。
「それってさ、ガンザサマじゃないかな」
ガンザサマという怨霊がいる。ガンザサマの声を聞いた者は魅入られて、憑り殺されてしまう。姿を見たら最期、逃げることは出来ない。
友人はそう説明した。
「そんな、まさか」
「姿を見てないならまだ大丈夫だよ」
恐る恐る周囲を見回す。簡素な部屋には、特筆するようなものは見当たらない。
「お菓子幽霊に助けてもらえばいいかも」
「お菓子幽霊?」
「お化けから助けてくれるの。助けに来てくれるときは、お菓子にメッセージをくれるんだって」
よく分からないが、とりあえず駄菓子を買えばいいのだろうか。
友人と別れて、駄菓子屋へと一人で移動した。店内には誰もいない。
それにしても、この駄菓子の山から一つだけメッセージが書かれたものを探し出すのは、至難の業だ。手近にあるお菓子を手にり、確認しては戻す。どれだけ探してみても、一つとしてそれらしいものは見当たらない。
腕時計は15時34分を示している。
こんな状況でなければ、のんびりとおやつを楽しみたかったのだが。先程貰ったチョコレートもあるというのに。
チョコレート?
慌ててポケットに手を突っ込む。そういえばあのお菓子にはメッセージを書く欄があるじゃないか。チョコレートの包みを裏面にひっくり返す。
14時24分 はじめまして。このお菓子を手に取ってください。必ず貴方のお役に立つでしょう
15時2分 おいおい、他人に渡すのかよ
15時06分 可哀想に
15時20分 15時38分が時間です。気をつけて
15時31分 早く気付け、そっちじゃない
15時33分 時間が来てしまう
15分34分 知らないぞ
包み紙の小さな空欄に、びっしりと書き連ねてあった。はみ出してしまって見づらくなっている箇所も多々ある。
何よりも、気にかかることがある。もう一度時刻を確認する。36分。
あと2分しかない。
気付いた瞬間、耳鳴りが始まった。
「妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい」
動悸がする。耳鳴りはどんどん激しくなっていく。
「お前の場所、欲しい」
真っ黒い何かが、ぽっかりと空いた眼孔で私の顔を覗き込んでいた。
意識が遠のきかけた。震えた声で、絞り出すように声を出す。
「お菓子幽霊、助けて」
「了解。ちょっとしゃがんでくれ」
崩れ落ちるように床にしゃがむと、真上を誰かが飛び越えていった。次の瞬間、なにかが蹴り飛ばされるような鈍い音と、吹き飛んで壁に当たる轟音がした。
顔を上げると、長い金髪を一つに束ねたスーツ姿の男性がいた。軽く地面に降り立ってこちらを見下ろす隻眼は赤く輝いていた。
「頼むぜ、姉者」
「わかっている、弟者」
ガンザサマに相対した女性が抜刀する。先程の男性と同じ髪、同じ目をしていたのが見えた。
彼女が刀を振り抜いた。ガンザサマの首が、胴と離れた。真っ黒な瘴気が、形を保てず霧散していった。
女性は刀を納めて、服についたホコリを払うと、男性を引き連れてこちらへ歩いてきた。
「この度は、お菓子幽霊ことルスティーサービスをご利用頂き、ありがとうございます。しかし、本来貴方がお客様になるはずではなかったのですが。これも何かの縁でしょう」
ルスティーサービスと名乗った彼らは、私の無事を確認すると頷いた。こちらに対しての敵意は露ほども無いようだ。
「姉者はお堅いんだ、許してくれ。でも、会えたのは何かの縁だろうな。それはそれはそうと、そろそろ起きる時間だぜ」
男性が笑顔で手を振った。待ってくれ、まだお礼も言えてない。視界が真っ白になる。
「またのご利用をお待ちしております」