閃光 暗中模索。暗闇の中で手探りで探すこと。今の俺が置かれている状態。
暗闇には慣れているつもりだった。しかしふとした瞬間、一歩外に出た時、あたりが一瞬で真っ暗になる。それはつまり、さっきまでいた場所がそれだけ明るかったという事なのだが、外に出てみないとその明るさは実感できない。なんて。くだらない戯言。止まらない考え事。いや悩み事。悩めば悩む程ずぶずぶと暗闇に飲まれて行き、気付いたときにはあたりは真っ暗。見えるのはお前だけ。もう頭の中はお前の事でいっぱい。なんでお前なんかの事。眩しい、だなんて。
じりじり、ちりちりと胸が焼ける。チカチカとお前の姿が光る。眩しい? 誰が。何でどんな理由で。どんなに悩んでも、いや考えてもわからない。答えの出ない問はじりじりと胸を焼き続ける。
***
「――台風11号は温帯低気圧に変わり――」
点けっぱなしにしていたテレビの中から、気象予報士が嫌に明るい声で告げた。温帯低気圧と聞くと、今でも少し、気分が落ちる。
台風の夜が好きだった。踊るように降る雨。ひゅるひゅると口笛を吹く風。がたがたと震える窓。こんな日は吸血鬼も出ないからと、家にいる兄貴。その全てが非日常で、小夜嵐に胸が躍った。びしょ濡れレポーターの台風中継を見ながら、警報出るかな、明日学校休みになるかななんてワクワクしながらヒマリと話す。さっさと寝ないと寝坊するぞ、なんて言って来る兄貴に、だって明日休みになるかもしんないじゃん、なんて言い返して、夜更かしして寝て起きて、朝になるとだいたい台風は温帯低気圧に変わっている。
警報は注意報に変わり、非日常は日常に戻って、昨日とは違ういつも通りの雨の中をとぼとぼ歩いて学校に向かった。
だから今でも、温帯低気圧と聞くと、少しだけがっかりする。どの道今日は休業日で特に予定もなかったから、何の関係もないのだけれど。
からからと窓を開ける。部屋の外ではまだじゃんじゃかと雨が降っていて、空は厚い雲で覆われている。ごろごろと不穏な音。もやもやと不快感。
温帯低気圧へ暖かく湿った空気が流れ込む影響で、雨が降るとか雷が鳴るとか。正直勘弁して欲しい。ただでさえこの所、気が滅入っていると言うのに。
「若造、寒いから閉めろ」
滅入っている元凶、この吸血鬼。ソファの上に転がって、ゲーム機をじっと見つめながら不遜な態度でそう言い放つ同居人、いや備品。吸血鬼ドラルク。こいつがここに転がり込んで来てから、そろそろ三年になる。
住処が無くなったからと俺のもとにやってきて三年。なんだかんだ三年。もう三年も、こいつと暮らしている。
最初はただただ鬱陶しかった。なんで俺がお前なんかを住まわせてやらねばならんのだとただただ不快で不快で。けれど色々あって、なし崩し的に同居が進んで、だんだんこいつといることが当たり前になって行って。
毎日のように喧嘩をした。二言目には出ていけと言った。けれどなんだかんだこいつは居座って、俺もそれを許して、こいつが連れ去られそうになった時は何故か俺が連れ戻しに行って。倒すべき敵だったはずのこいつが、備品になって、同居人になって、友人……? と呼ぶのは少し癪だが、いて当たり前の存在になって。
昨日はこいつが、コロッケを作った。何でも吸血鬼の古い慣習で、台風の日はコロッケを食べるというのがあるらしい。本当か嘘かは知らないがとりあえず食った。美味かった。
いて当たり前の存在だから、たまに帰ってきた時、部屋にこいつがいないと酷く動揺する。この部屋はこんなに広かった? こんなに静かだった? こんなに暗かった?
いて当たり前の存在なのに、こいつが視界に入ると、気分が上がる。心拍数も上がる。台風の夜みたいに心が踊る。何故? 理由はわからない。わからないからずっと、暗中模索なのだ。
「ちょっと、聞いてる?」
怪訝そうな表情のドラ公と目があった。何も悪いことなどしていないのに、心臓がどきりと跳ねる。
「……あ?」
「窓閉めてって。寒いだろ。雨も入るし」
「ああ……」
からからと窓を閉める。ドラ公はため息をひとつ吐くと、またゲーム機に視線を落とした。
雨の音。ゲーム機の電子音。ごろごろと空の音。窓の外に視線を戻す。嫌な天気だ。
「……ロナルド君さぁ」
「なんだよ」
「雷怖いの?」
「は?! 殺すぞ」
「不安そうな顔しちゃって。子守唄でも歌ってやろうか?」
「殺すわ」
「ヌワー! いいんだぞ若造、自分に正直になれ。誰だって怖いものの一つや二つ」
「怖くねーし! 何だよその言いがかり――」
瞬間、空が光って、バリバリドーンと地面が割れるような音がした。
「ミィ!!!!!」
「ふは、ほらやっぱり怖いんじゃないか!」
「う、うるせー! 今のはちょっと驚いただけで、」
再び轟音。同時に、部屋が一瞬で暗闇に落ちた。
「ホギャァ!!!!」
「あー面白! やっぱり五歳児だな!」
けたけたと笑い声。ぶん殴ってやろうと思ったがドラ公が見えない。何も見えない。じっとりとした湿度。がるがると唸る空の音。それらはどれも酷く不快で不安で、
「あーブレーカーが落ちたかな? どれ……」
ドラ公が立ち上がる気配がした。咄嗟に、何を思ったのか俺は咄嗟にその服の裾を掴んだ。
「え、なに?」
「あ、いや」
「……ロナルド君やっぱり怖、」
「怖くねーし!」
三度轟音。
「ヒィ!!」
空の割れる音に心臓が縮み、自分の意思とは無関係に情けない声が漏れ出た。
ああそうだ、そうだとも。認める。俺は雷が怖い。
ドラ公は何も言わない。ただ空気の振動を通してあいつが笑っているのだけはなんとなく伝わった。不愉快だ。けれど掴んだ服の裾を放す気にはなれなかった。繋がったその箇所だけがまるで命綱、みたいな。戯言。
「……製氷機の音にすら怯える君だもんねぇ」
そう言うドラ公の声は笑みを含んでいて、ただいつもみたいな馬鹿にするそれとは少し違うような気がして、いや気の所為、きっと気の所為だ。
ドラ公が屈む気配がした。両耳にひやりとした、けれど不快ではない感触。
「こうしておけば、平気かな?」
手のひら越しに聞こえる、くぐもった声。いつものとは違う、安心させるような、柔らかい声。目はまだ暗闇に慣れず、ドラ公の表情は捉えられない。どんな、顔をしているのだろうか、お前は。
「――っあ」
触るな、離せ、子ども扱いするな。出かかった言葉は全て喉でつっかえてしまい、身体に落ちて胸をじりじりと焼いた。鳩尾から熱が広がる。苦しい。どうして? 触れられた箇所からびりびりと電流が走る。触れられている箇所に全神経が集中する。
半分になった世界の音。代わりに聞こえる自分の心音。嫌な音、嫌な音だ雷なんかよりずっと、だってこれじゃまるで――
瞬間、閃光。急に明るくなった世界。ドラルクの顔が、はっきり見えた。ほんの一瞬。けれど永遠のような一瞬。
「おれ、お前が――」
青天の霹靂。切り取られた一瞬。止まった世界。理解してしまった。両耳を塞ぐお前の表情を見たその瞬間、理解してしまった。
世界を半分にしていた両手を掴む。また部屋が暗闇に落ちる。どうした、と聞くその声はさっきよりもくっきりと聴こえて、情動、衝動的に、考えるより先に言葉が出て、
「お前の事、す」
また轟音。出かかった言葉は悲鳴となって暗闇に散った。
「ミィ!!!!」
「うわー今のは大きかったな。あ、今何言おうとした?」
「なんでもねえ!」
「ほんとにィ?」
「なんでもねえっつってんだろ!」
けらけらと笑い声。がるがると空の唸る音。ドラ公はまた、俺の耳を塞いだ。真っ暗なままの室内。けれどさっきよりも明るく思えて、キラキラした何かが見えるような、気がして。
いや、きっと気の所為じゃない、かも、なんて。