勅令従順!素直になれ!
「我が名は吸血鬼キョンシー大好き!」
「何―ッ!!」
10月31日の夜。仮装行列に紛れて登場したのは、黄色い漢服を身に纏った吸血鬼。その背後には、額に黄色い札を貼られた新横浜の住民たち。両手を前に突き出し困惑の面持ちで、ずらりと整列している。
「私の催眠にかかった者は、皆従順なキョンシーとなり果てるのだ!」
そう言って高らかに笑う吸血鬼と相対するのは、吸血鬼退治人ロナルド。そしてそのパートナーである吸血鬼ドラルク。本来なら今日は休業日で、事務所でハロウィンパーティーを行う予定だった。しかし突然「街の様子がおかしい」と同業者であるショットから呼び出しがかかり、何事かと出てきてみたらコレである。
「ロナルド、気を付けろよ。あの札を貼られたら皆キョンシーになっちまう」
「クソッ! せっかくのハロウィンなのに邪魔しやがって! ……ところでキョンシーって何?」
ロナルドがそう言うと、吸血鬼キョンシー大好きは目を丸くして口をぽかんと開けた。
「キョンシーを……知らない……?」
「知らねー! なんなんだてめぇは!」
「えっ、いや、キョンシー、え?」
信じられないといった様子で目を瞬かせる吸血鬼キョンシー大好き。するとそれを見たドラルクが、ため息交じりに言った。
「世代だろう」
「えっ」
「今の若い子はな、知らないんだ。キョンシーブームを」
「え、いや、あんなに流行ったのに?」
「もう何十年も前の話だろ? あの若造はそもそも生まれてすらいないぞ」
「おい何の話だよ!」
「霊○道士を知らない……? ゆ、幽○道士も……?」
「ロナルド君知らないよね?」
「知らねー! おいさっさと街の人たちを解放しろ!」
衝撃の事実に愕然とする吸血鬼キョンシー大好き。ジェネレーションギャップに打ち震えながら呆然と虚空を見つめる。しばしの沈黙。と、何かに気付いた吸血鬼キョンシー大好きが、はっと息を飲んだ。
「知らないなら布教すればいいんだ!」
「うーんオタクの鑑」
「思い知れ我が道力! そりゃー!」
気合の入った掛け声と共に黄色いお札が空に放たれた。向かう先はロナルドの額。ぎゅんぎゅんと風を切ってロナルド目掛けて一目散。
「ロナルド危ねぇ!」
そこにショットが割って入った。お札がショットの額に密着する。沈黙。
「しょ、ショット……?」
恐る恐る話しかけるロナルド。ショットがゆっくりと顔を上げる。その額のお札には、真っ赤な文字で『勅令―裸踊り』と書かれていた。
「裸で踊ります」
「は!?」
見る見るうちに素っ裸になるショット。呆気にとられるロナルドを尻目に、裸踊りを始めた。
「いやいやいやいやいやいやどういう状況!?」
「ハーッハッハ! 思い知ったか我が力を! この札が貼られた者は皆キョンシーとなり果て、札の命令に逆らえなくなるのだ!」
「もっと他に使い方あっただろうに……」
「お、恐ろしい力だ……! でもなんで裸踊りなんだよ! ショットがかわいそうだろ!」
「えっ、いやだってハロウィンだし……皆楽しくなれるかなって……」
「まあその気持ちは分からんでもないな……」
「わかんねーよ! おい催眠を解け! ショットに服を着させろ!」
「ええいやかましい! キョンシー達! あの生意気な退治人も仲間にしてしまえ! そして新横中で裸踊りだ!」
キョンシー大好きがそう叫ぶと、ずらりと並んだキョンシー達が両手を前に突き出し、一斉に動き始めた。
「ウワーッ! 数が多い!」
「ロナルド君気を付けろ! 噛まれると君もキョンシーになってしまうぞ!」
「だからキョンシーって何なんだよ!」
「中国古来から伝わる妖怪だ。ゾンビと吸血鬼を足して二で割ったみたいなやつ」
「じゃあもう吸血鬼でいいだろ! 何なんだよキョンシーって!」
「そこはほら……ロマンじゃない? 知らないけど」
「知らんなら言うなよ!」
「日光に当たると皮膚が爛れる。目が見えない。嗅覚が発達している。あとなんだっけ……生き血を求めてさ迷い歩くとかそんなんだったかな……」
「吸血鬼じゃねえか! っていうかお前なんでそんなに詳しいんだよ!」
「いや昔流行ったから……」
「はあ!?」
「後で一緒に映画観ようね。……とかなんとか言ってるうちに囲まれてしまった」
「あークソッ、街の人たちを傷つける訳には行かねえし、どうしたら……!」
ロナルドとドラルクの周りをキョンシー達がぐるりと囲む。牙を剥き、うーうーと唸り両足でぴょんぴょん跳ねる。
「桃の木で作った剣で倒すとかライチの木で焼くとか色々あるんだが……」
「どっちもできねーよ!」
「あともち米撒くとか」
「なんでもち米⁉ 持ってねーよ!」
「あーあとは……そうだロナルド君、息を止めろ!」
「は? なんで」
「いいから!」
ドラルクに強く言われ、咄嗟に息を止めるロナルド。するとさっきまでこちらを向いていたキョンシー達が、おろおろと困惑し出した。
「……?」
まるでロナルド達が急に見えなくなったかのようだ。そして鼻をすんすん言わせ、空気の匂いを嗅いでいたかと思うと、やがて諦めたように踵を返した。
「……っは、なんだったんだ……?」
「キョンシーは目が見えないから、人間の息の匂いで場所を察知してるんだよ」
「だからなんでそんな詳しいんだよ!」
「昔流行ったから……」
「ってアーッ! さっきの吸血鬼がいねえ!」
「全力で逃げてるな。ほらあそこ」
「おい待てー!」
こちらに背を向け駆けて行く黄色い背中。ロナルドは全力で駆け寄り吸血鬼を掴まえると、とりあえず一発ぶん殴った。
***
「はしゃぎたかっただけなんです……ほらハロウィンだし……キョンシー好きだし……悪気はなかったんです……」
「あーもうわかったよ! とりあえずてめぇはVRC送りだからな!」
「甘んじて受け入れます……あのところでこれ、よかったら……」
そう言うと、吸血鬼は『勅令』とだけ書かれた黄色いお札数枚と、筆とインクを取り出した。
「なに……?」
「このお札に、このインクを使って書けば誰でも道士になれるので……」
「道士って何?」
「そういう念を込めているので……」
「そういう念って何?」
「キョンシーのエモさを知ってもらいたく……」
「だからキョンシーって何なんだよ!」
「とりあえずこれ、渡しときますんで……」
ロナルドに道士なりきりセットを手渡すと、吸血鬼キョンシー大好きはVRCに引き取られて行った。
***
数時間後。ロナルドは濡れた髪をタオルでがしがし拭きながら、先ほど貰った黄色いお札をじっと見つめていた。
吸血鬼をVRCに引き渡した後、ロナルドとドラルクは事務所に帰って来た。もう夜も更けていたから、ハロウィンパーティーはまた後日という事になり、軽く食事を済ませロナルドは入浴も終えた。あとは寝るだけ。今はドラルクがシャワーを浴びている。
「……これどうすっかな」
吸血鬼キョンシー大好きから貰ったお札。これを使うと、相手をキョンシーにすることが出来る。キョンシーが何かはよくわからないが、とにかく相手を思い通りに動かせる、らしい。
「使うか」
――せっかくだし。今日は休みのはずだったのにろくに休めなかったし。せっかくのハロウィンだし。
決めるや否や、ロナルドはインクの蓋を開け、筆を取った。
***
「あー、つっかれた……私も今日はもう寝ようかな……」
シャワーを浴び、ネグリジェに着替え、リビングに戻る。やけに静かだ。ドラルクがぐるりと部屋を見回す。ジョンはベッドで寝息を立てていて、ロナルドは机の上で何かを書いていた。
「……ロナルド君? 何してるの?」
「あっ、いや!」
「疲れたからもう寝ようかと思うんだけど、一緒に寝る? ジョンも寝ちゃったし」
「あ、や、いや」
「嫌?」
「あっ、いや、そうじゃなくて! ……あの、目、つぶってもらっていいですか」
「は? なんで?」
「あっ、いや、その……お、おやすみのキスするから」
「ハー!? 君から? 珍し……」
「い、いいだろ別に!」
「っていうか別に目閉じなくてもいいだろ。いつまで童貞なんだ?」
「もう童貞じゃねーし!」
「あーはいはい私で卒業したもんな。……ほら」
ドラルクが目を閉じる。ロナルドとは付き合って二年になるが、いまだに慣れる兆しがない。キス一つでなんて大げさな、と思わないでもなかったが、そんな所が可愛いともドラルクは思っていた。ちょっと揶揄えば、すぐ顔を真っ赤にして慌てる可愛い年下の恋人。手のひらでくるくる踊る可愛い恋人。どうしたって自分に勝てない可愛い恋人。ドラルクにとって、ロナルドはそういう存在だった。
沈黙。静寂。目を閉じてじっと待つ。しかしいつまで経っても、唇の感触は来なかった。
「……ロナルド君?」
目を開けようとしたその瞬間、額に何かがぺたりと貼られた。何事かと目を開くと、視界の半分が黄色い何かで覆われていた。
「は? なにこれ?」
「ドラ公、キスして?」
「は、え? あっ――」
身体が勝手に、動いた。ロナルドの言葉の意味が飲み込めない。何言ってるんだこいつと思う。しかし身体は意思とは関係なしに、勝手に動いて、ロナルドの唇にキスをした。
「えっ、な……?」
「予備室、行こうな」
ロナルドがにこりと笑う。圧を感じる。これまで見たことがない、凄みのある笑みだった。
***
「脚開いて」
「あっ、いや……」
「いい子」
「うう……」
電気を煌々と点けた予備室の中。マットレスの上で、青白い肌を晒したドラルクと向き合う。額には黄色いお札。『勅令―従順』と書いてある。
そういう事をする際、ドラルクは絶対に服を脱ぎたがらない。電気も点けたがらない。本人はそうとは言わないが、自分の素肌を見せるのがとにかく嫌らしい。理由を聞けば「高貴な姿に目が潰れるから」とか「君には勿体ないから」とか軽口を叩くが、本当の理由は別にあるはずだ。
「なあ、なんで見られたくねえの?」
「そっ、れは」
「言って」
「だっ……だって君は、胸の大きな子が好きなんだろう? 私は、男だし、それにこんな身体とか、君に見られたら……」
そう言ってハッと口元を押さえるドラルク。どうやらこのお札の力は本物らしい。
「……お前、俺に自己肯定感低い低いって言うわりに、人の事言えねえのな」
「う、うるさい……!」
「な、俺のこと好き?」
「はあ? 何を今さら、」
「言って」
「好き……」
「ふは、」
思わず漏れそうになった笑いをかみ殺す。あられもない姿のドラルクは、悔しそうにぎりりと歯ぎしりをした。
「……何笑ってるんだ」
「ああいや、悪い。……俺も好きだよ。お前と一緒。だから見られたくないとか、そういう事言うなよ」
「う、あ……」
「返事は?」
「はい……」
「いい子」
「うう……なあ、もう脚閉じていい? 流石に恥ずかしいんだが」
「いいだろ別に。じっくり見せろよ」
「ううう……」
「……毛、薄いのな」
「うるさい……」
「触っていい?」
「だっダメだ! だって隣でジョンが寝てるし」
「心配ねーよ。絶対起きねえから」
「なんでそんな」
「お札」
「あ……」
吸血鬼から貰ったお札は二枚。うち一枚はドラルクに。もう一枚には『勅令―熟睡』と書いてジョンに貼ってある。
「ほんと君、ほんと……!」
「あっこら脚閉じるな」
「うー……」
「見せて」
そう言うと、ドラルクはまた素直に脚を開いた。そして蚊の鳴くような声で、ぽつりと言った。
「君ばっかり、ずるい」
「……何?」
「君ばっかり、見て、ずるい! 私にも見せろ!」
「な、なんだよ急に。別にいつも見てるだろ」
「そうじゃない! これ!」
「お札が何……?」
「さっき言っただろ! キョンシーは目が見えないんだ!」
「あ……? お前、今見えてないの……?」
「だからそう言ってるだろ!」
言われて、ドラルクと一度も目が合っていないことに気付いた。キョンシーは目が見えない。代わりに、確か嗅覚が発達していると言っていたのを思い出す。
「でも匂いは感じるんだ?」
「ああ、うん……ロナルド君の匂いがするよ」
「なにそれエッロ……」
「うるさいな! さあもう気が済んだだろ。さっさとお札を剥がして――」
「なあ、俺の匂い好き?」
「ハァー? 何言って、」
「言って」
「好き……」
素直にぽろりとそう言うと、ドラルクははっと口を押さえて顔を赤く染めた。ロナルドは笑いをかみ殺しながら、畳みかけるようにドラルクに言う。
「俺の事好き?」
「好き!」
「どんなとこが好き?」
「馬鹿な所、可愛い所、私の料理を美味しそうに食べる所、お人好しな所!」
「俺とずっと一緒にいたい?」
「いたい!」
「明日も明後日も?」
「明々後日も来年も!」
「俺とえっちすんの好き?」
「好、き!」
「じゃあしよっか」
「はい!」
「異論は?」
「ないです!」
「だよな。じゃあキスして」
そう言うと、ドラルクはすぐロナルドの唇にキスをした。そっと顔が離れる。ドラルクの頬は羞恥で赤く染まっていて、目は涙で潤んでいた。ぞわぞわと背筋を欲が這い上る。ロナルドはドラルクをそっと押し倒し、覆いかぶさった。
「……なあ、凄いこと思いついたんだけどさ」
「……なに」
「これお札にさ、死ぬなって書いたらお前やってる最中も死なねえんじゃね?」
「キョンシーは既に死んでるんだよ! バーカ!」
***
その後、額に『勅令―陏身保命』と書いたお札を貼られたドラルクは、明け方まで抱き潰され、カーテンの隙間から差し込んだ朝日に焼かれて結局死んだ。そう言えば、キョンシーは日光がダメだと言っていた。やっぱキョンシーも吸血鬼も一緒じゃん、と、塵をかき集めながら、ロナルドはぼんやりと思った。
END