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    菅波光太朗とサメ太朗の休日菅波が仕事を調整して気仙沼本土に居を構える百音の元に帰ったある晩秋。カレンダー通りの休みではないが、4日間を気仙沼で過ごす予定の2日目。百音に急な仕事が入り、朝から陸前高田の方に出なければならなくなってしまった。菅波が帰ってこれている時に、と残念な気持ちはありつつも、それを理由に仕事を断ることは今の百音にはまだまだ贅沢な話。幸い、朝ごはんは食べられる時間の出立で間に合うので、百音が菅波の好物のピザトーストを作り、菅波が百音の好む牛乳たっぷりのカフェオレをいれて、二人で食卓を挟むのだった。

    「せっかく帰ってきてくれたのに、ごめんなさい。夕方には帰宅できると思います」
    「仕事なんだから謝らないで。僕だってあなたが東京に帰ってる時に急に呼ばれることなんてしょっちゅうなのに」
    「それはそうなんだけど…」
    「僕のことが気になって仕事をおろそかにさせてしまうことの方が気になるよ。まだ明日も丸一日こっちだし、ね」
    「はい。うん。ありがとう」

    慰めつつも仕事へのスタンスの指摘も忘れない菅波の言葉に、百音も気持ちを切り替えて礼を言う。百音さんのピザトースト久しぶりだ、と嬉しそうに食べる菅波を見て、こうして『自宅』と呼べる場所で二人と過ごす時間があることに感謝の念が湧く。きちんと仕事して、お土産にくまホルでも買って帰ろう、などと思いつつ。

    1台しかない車を自分が使ってよいかと百音は気にするが、普段から百音が使っている車で仕事にいくのだからそれも気にすることはない、と菅波は駐車場まで百音を見送りに降りた。いってらっしゃい、と車を見送る方も、見送られる方もそれが何だか新鮮で、ふとそれぞれの口許に笑みが落ちる。百音の車が角をまがって見えなくなるまで見送った菅波は、さて、と一旦部屋に戻る。これまた百音が気にしながらも出立していった朝食の後片付けに食器を洗い、テーブルを拭いたところで、ふと百音のデスクの横に鎮座するサメ太朗と目が合った。

    そういえば最近シャークタウンに行ってないな、とふと思考が巡る。前回も前々回も滞在が短く、百音と過ごし、亀島に顔を出して、としているとシャークタウンにゆっくり行く時間がなかった。百音と行くのも楽しいが、たまには一人で行くのもよいかも、と思ったところで、サメ太朗が何かを言いたげな気がする。デスクの横のサメ太朗をとりあげて、「一緒に行くか…」と菅波はぼそりとつぶやいた。

    自分の身支度を整えて、確かここに…と百音がサメ太朗を連れ歩く時の紙袋を書棚の端から取り出してサメ太朗を入れる。すっかり我が物顔で紙袋に収まったサメ太朗のはなっつらをいつも百音がしているようにつるりと撫でてやり、タクシー会社に電話を掛ける。知らされた迎車の到着予定時間の少し前に、リュックを背負い、サメ太朗の紙袋を持って部屋を出て、サメのキーホルダーにつけた鍵で施錠する。

    気仙沼の家の鍵につけているサメのキーホルダーは、百音がシャークタウンで買い求めて東京に合鍵と共に送ったもので、東京の家で長年使っているものとはまた違った合材でできている。ポケットにそれをつっこみながら、普段と異なる大きさのサメがポケットにいることに少し気持ちが浮き立つ。

    じきに到着したタクシーに乗り込み、シャークタウンまで、と言いかけて、五十鈴神社まで、と行先を変更する。天気も良いし、浮御堂の方から海べりを歩くのもよいな、と気仙沼にいることを大切にしたい思いである。10分ほどで目的地に着き、苔むした石造りの古い鳥居の前でタクシーを降りた。紙袋に入ったサメ太朗が興味深そうに鳥居を見上げているような気がする。軽く頭をさげて鳥居をくぐり、木々が茂った小道を進むと、コンクリート造の社殿が現れる。賽銭をあげて手を合わせると、その社殿の前からまっすぐ伸びた参道をぶらりと歩く。

    錦に色づいた木々の間から気仙沼の海が澄んだ青を覗かせている。落ち葉をさくさくと踏みながら参道を歩くと、右手に恵比寿像が現れた。全国でも珍しい立ち恵比寿の2代目で、震災で長らく行方不明だったものが9年越しに海底から引き揚げられここに安置されたものという。タイを抱えた恵比寿様の経た時間にも圧倒されるようで、隣の気仙沼湾に海苔養殖と製塩を伝えた人物を祀る小さな社殿と、それぞれに静かに手を合わせる。社殿のかたわらから始まる、高さの不揃いな石の階段を足元に気を付けながらゆっくりと降りると、目の前に気仙沼湾の内湾が開けて見えた。高所から見晴らす湾内の景色も晴れ晴れとしていて、吹く風も心地よい。サメ太朗が入った紙袋がゆらりとゆれて、サメ太朗も心地よさそうだ。

    階段を降りきれば浮御堂の真横に出る。先ほど参った2代目と同じ立ち恵比寿の3代目にも手を合わせる。こっちはカツオを抱えてるんだよな、と初めて気仙沼に挨拶に来た時に百音がとても自慢げに『カツオを抱えてる恵比寿様は日本でここだけなんですよ』と言っていたことを思い出す。あの時の百音は、菅波が24時間も経たずに気仙沼を離れなければならなくなったことに、いつものように理解を示しつつ、湿っぽくならないようにふるまっていたことを思い出す。菅波が余所から来た人であることを、だからよかった、と言ったこの場所で別れてから、まさか2年半も会えなくなるとはお互い思ってもいなかったが。

    まだまだ新しい赤い遊歩道を歩いて内湾の奥に向かう。右手に見える児童公園では子供たちが転げまわっていて、にぎやかな声が響いている。その様子に思わず目を細め、あるかもしれない自分たちの未来をつい考える。とはいえ、まだしばらく別居遠距離婚で、お互いの仕事も道半ば。自分たちの年齢も考えつつ、いつかきちんと百音の考えを聞かないとな、と今頃、呼ばれた先で仕事にまい進しているであろう百音のことを考える。百音の考えがどうであっても、それを尊重したい、と口許を緩める菅波をサメ太朗が紙袋から見上げていた。

    船舶が係留された港の岸壁をぶらぶらと歩いて内湾をぐるりと回る。岸壁のコンクリートにはまだ新しさもあるが、隙間には雑草も茂る場所もあり、この地に過ぎる時間を感じさせた。海沿いに岸壁をたどりたどり、大小の漁船を興味深く見ながら30分も歩けばシャークタウンにたどり着く。以前は青い外壁だったという大きな赤い建造物を見上げて、初めてここを訪れたときの高揚感を思い出す。国内唯一のサメ専門の博物館がある施設にはずっと来たいと思っていたが気仙沼は遠すぎる、と、同じ宮城県北部の登米に通うようになるまで足が向いていなかった。まさか、その気仙沼に『帰る』ことになるなんてつゆほども想像していなかったな、とゆっくり階段をのぼりながら、今日何度目かの感慨にふける。

    館内に足を踏み入れると、左手に博物館の受付があり、右手にホヤぼーやの顔出しパネルがあった。おどけて百音がやっていたな、と思い出して、ふと手に提げたサメ太朗に気づく。紙袋からサメ太朗を取り出して顔出しパネルの穴に入れてみると、思いのほか寸法がちょうどで、サメ太朗が楽しそうにホヤぼーやと合体した。百音に見せよう、と写真を撮る。通りすがった職員に、最強のコラボですね、と笑いかけられ、会釈を返した。

    サメ太朗をまた紙袋に収めて、博物館の受付でチケットを購入して中に入る。普段は、百音が菅波の手を引いてシャークゾーンに直行しがちでなかなかゆっくり見る機会をもてていなかったが、今日は一人と一匹なこともあり、シャークゾーンの手前にある復興をテーマにしたエリアに足を止めた。最初に訪問した時はまだ未整備だったエリアでもある。地域の人々が寄せたメッセージが展示されているゾーンでは、様々な立場の人の言葉にあの時への想いや土地に対する想いがつづられている。まだまだ気仙沼では限られた人間関係しかない菅波にとって、どのような人たちも暮らす場所なのかということを教えてもらいながら、ひとつひとつの言葉をかみしめながら読む。

    メッセージエリアを一巡したところで、発災当時の被害状況と復興の今、そして未来を語る映像を上映するシアターエリアに入る。リュックとサメ太朗を膝に置いて椅子に座って映像を見れば、当時はテレビ越しのニュースに感じられていた被災の姿が心に迫る。国試の結果待ちと言うとても宙ぶらりんな身分だった当時、いずれの被災地に駆けつけることもできずに東京で後方支援のまねごとをするだけだった無力感を思い出す。と同時に、その無力感も今から振り返れば自分を何者と思っていたのか、という気持ちになる。土地に縁ができるというのはこういうことか、と今では見知った場所が受けていた被害の映像にそくそくとしたものを感じながら、それでも自分は知識として知るしかできないのだ、と言うことも真摯に受け止める。

    紙袋から覗くサメ太朗の鼻先をぽんぽんと撫でながら気仙沼の未来を語る最後まで映像を見届けた菅波は、漁業の復興に焦点を当てたエリアに移動する。以前、永浦の家で酔っ払った亮が延々と菅波に語った気仙沼で使われる漁法の説明に、これが亮くんの言っていた漁法か、と改めて説明をふむふむと読む。その時になにくれとなく亮の世話を焼いていた未知が、気仙沼港における生鮮カツオの水揚げ量日本一記録の話に及んだとたん、亮のことをそっちのけの勢いでそれについて水産試験場職員だった立場からあれこれ語りだしたことを思い出し、好きなことに全力なのは姉妹で同じだな、と思い出し笑いも漏れる。気仙沼で代表的なタイプの漁船の模型も展示されていて、船酔いを恐れてずっと誘いを辞退していたが今度亮くんの船に乗せてもらってみるかな、など考えるのだった。

    1時間以上かけて3つのエリアの展示を丁寧に見終わり、さて、となじみになったシャークエリアに足を踏み入れる。入口すぐにあるホホジロザメのスーパーリアルオブジェに対峙すると、サメの機能美に見惚れてしまう。壁一面のサメの分類学の掲示には8目34科107属の分類における全属が網羅されていて、いつ見ても見ごたえがある。気仙沼地方独特のサメの名称もあわせて紹介されており、『まおなが』というニタリの別名を初めて聞いた時にさっぱり見当がつかなかったことも思い出す。

    ホホジロザメと共に設置されているジンベエザメのスーパーリアルオブジェの両方を尾びれから眺められるポイントも菅波のお気に入りで、最近読んだ研究論文でジンベエザメの目のうろこが体表の鱗と形が異なり、眼を怪我から守ることに特化していることと、それによりジンベエザメの視覚に関する定説に疑義が呈されたことを思い出しながら、その美しいフォルムを愛でる。展示内容そのものは既知の情報ばかりだが、サメづくしのこの空間がなにしろ心地よい。ダイブトークシアターも3周ほど見て、シャークエリアを離れたのは2時間ばかり経ってからであった。

    博物館を出て、階下の物販を覗くか、と足を向けたところで紙袋から顔を出すサメ太朗に気づく。辛抱強く菅波がシャークエリアで過ごすのに付き合っていたサメ太朗だが、物販エリアで顔を出していては少々ややこしい。ポケットから出したストライプのハンカチを広げてサメ太朗の顔にかけて外からは見えないようにして、これでよし、と博物館出口からほど近い階段を降りる。

    物販エリアを冷やかすと、新商品と謳う棚に『SHARK FACES』と銘打った各種サメの正面顔のイラストが描かれたTシャツがかかっていて、そのユニークさに手が伸びた。以前はこの手の衣類を買うことはなかったが、百音が面白がるのと、百音が菅波と兼用でそれらを部屋着に着るようになり、百音には少し大きめのサメTシャツを着るそのかわいさに、じわじわと買うことが増えている。Tシャツの会計を済ませて物販エリアを離れると、よい匂いが鼻腔をくすぐった。合計3時間ほども博物館で過ごしているので昼時は少し過ぎている。

    少しなにか腹に入れるか、と思案して、ここはやはり、と『フカカツサンド』なるサメ肉のサンドイッチをチョイスする。サメ太朗にはハンカチを被せたまま、注文した品を受け取って休憩エリアにあるテーブルでそれにかぶりつく。気仙沼で水揚げされたフカ肉は臭みもなくソースとよく絡んで味わい深く、一緒に挟まれた気仙沼産のトマトの酸味との相性も良い。国内のサメ水揚げの90%を誇る気仙沼ならではだな、と東京では食べられない味に目を細め、今度は百音さんとも食べたいな、と、また仕事中の百音に想いを馳せるのだった。

    空腹を落ち着かせたところで、サメ太朗を連れてシャークタウンの外にでる。心地よい秋風に身を包まれてハンカチをポケットに仕舞ったところで、さてどうするか、と思案する。タクシーを呼んで帰宅してもいいが、なんとなくもう少し散歩したい気がする。内湾地区にあるサメ革・サメグッズ専門店を覗くか、と以前百音に連れられた店を思い出し、歩いてきた岸壁を逆にたどって歩く。岸壁を歩いている人影は他になく、並走する車道は車が途切れない。東京で街中歩くのに慣れちゃったけど、こっちに戻って、そんなに歩くの?ってびっくりされちゃいました、と百音が話していたことを思い出す。

    東京での通勤や移動ももっぱら徒歩という菅波は、苦も無く歩いて内湾地区まで戻り、サメ革・サメグッズの専門店にたどり着いた。カフェの奥にしつらえられたショップは丁寧に加工されたサメ革製品とサメグッズがあふれていて、博物館とはまた異なるサメパラダイスの様相である。菅波が現在愛用している財布は、一昨年の誕生日に百音から東京に届いたここのサメ革製で、その使いやすさと丈夫さがすっかり気に入っている。さほど広くはない店内だが、あれこれと見分するものは多く、以前に百音が購入を悩んでいたサメの洗濯ネットを購入することにする。洗濯ネットは数があればあったで便利だしな、となにやら心中で理由をつけつつ精算すると、レジにいた店主から隣のカフェで『サメ焼き』なるものがあることを教えられた。

    要するにサメの形をしたたい焼き様のものらしく、興味が惹かれる。カフェで聞けば、まだあると言うことでコーヒーと共に注文する。天気も良いし外で食べるか、とテイクアウトにして、『サメ焼き』とコーヒーを持って内湾を臨む広場に出た。観光客が思い思いに座る広場の一角に菅波も腰を下ろし、サメ太朗の入った紙袋を傍らに置いてコーヒーに口をつける。秋の陽に、コーヒーの芳香が心地よい。さて、と『サメ焼き』を取り出すと、ヨシキリザメを模したと思しき形が現れた。表面にKESENNUMAとも書かれていて、なるほど、確かに気仙沼だとその主張に笑みが漏れる。しばしそのフォルムを眺めて、ふと悩む。どこから食べたものか。

    たい焼きならば半分に割ってから食べるほうだが、何となくサメのフォルムをいきなり崩すのは気が進まない。頭から食べてもよいが、なかなか迫力に表現されているサメの顔をすぐ食べるのももったいない気がする。しばし『サメ焼き』と対峙して固まる菅波を、紙袋の中からサメ太朗がややこしいやっちゃな、と見守っているようだ。

    しばしの逡巡の後、ここはサメの解体手順に倣うか、とまず背ビレをちぎって口に入れる。生地の甘さがちょうどよく、目許が緩む。次に胸ビレをちぎり、次に頭からがぶり、と。この手の菓子を食べるのも久しぶりで、コーヒーともよく合う。『サメ焼き』を食べながら、サメ太朗と海を見ながら、休日の午後はのんびりと過ぎた。

    眼前の海は穏やかで、自分が腰を下ろした場所もきれいに整備されている。人々が和やかに集うこの場所は百音が気仙沼に戻った時にラジオの天気予報を始めた場所でもある。景色をよく見れば、威圧感がないように工夫もされながら、可動式の防波堤や無動力の起伏ゲートが張り巡らされている。その様子にそのシャークミュージアムで見た『海と生きる』という言葉が自然と想起される。それでも海と生きる、と言う土地の覚悟がにじむその景色に身を置いて、菅波は、分からない、けれど分かりたいと思い続けるしかない、と自分の膝を抱えるのだった。

    『サメ焼き』を食べ終わった後も、しばらく海を眺めていた菅波は、ふと傍らのサメ太朗に目を落とす。もう10年程も前にサメ太朗をシャークタウンから連れ帰った時、そういえば気仙沼駅前のサメのオブジェを見に行ったのだった。最近、気仙沼に帰る時には仙台からの高速バスを使うことが多く、気仙沼駅を経由しないことが多い。久しぶりに気仙沼駅前まで行くか、とコーヒーを飲み干して立ち上がった。

    これまた、地元民は歩かないと言われた駅までの道程を、菅波は意に介さず歩きはじめる。歩いていると、市街のそこかしこに津波の最高到達点を示す線が掲示されている。多くのそれは頭上遥かで。景色の一部のようにもなっていて普段それを意識する人は少ないのかもしれないが、これは『分かる』ではなくて『知る』で自分にもできることだ、とふとそれを見上げたりもする。

    初めて気仙沼を訪れたときにその掲示があったか思い出すこともできず、自分の意識が土地とリンクしない知識だけだったことにも改めて気づかされる。だからこそ、BRTで百音と会った時に、気仙沼で実家が営んでいるという養殖業の牡蠣がどういう意味を持つものなのかを全く気付かずに、持論だけ述べて話を打ち切っていたわけで。そのころの自分を思うとひっぱたきたい気もするが、それも未来から神の視点を持った自分の傲慢にも思える。考え続けるしかないんだな、と考えながら、菅波は信号を渡った。

    被災後、復元されて登録文化財にもなっている酒屋の横を過ぎると、緩やかな上り坂になる。歩行者のほぼいない道を、それでも秋風が気持ちよくてくてくと歩けば、地元の商店の少し色あせたポスターや地域の催しの案内の掲示なども読めて面白い。市役所の前を通り過ぎて駅に向かう道を右に曲がってしばし、『北野神社』という案内が目に付いた。勉強・試験というものが学生時代から今までずっと切り離せない身、学問の神様である『北野神社』は折々に近親者がお守りをくれたりして神社の中でもなじみが深い。参ってみるか、とその矢印の方向を見てうっと言葉に詰まる。

    先が見えないほど長い階段が細い参道の先に延びている。それなりに日中うろついた後にはなかなかのハードルの高さで、今度、今度百音さんも誘って来てみよう、そうしよう、と自分に言い聞かせ、いま立っているところから小さく神社があるであろう方向に手を合わせて、駅に向かう道に歩を戻した。

    灯台を模した時計塔が見えれば、そこが気仙沼駅前である。こじんまりとした駅前ターミナルの中央の花壇はきれいに整えられてベゴニアが赤や黄色の彩を見せている。その上に、気仙沼市場の水揚げ日本一の三役揃い踏みと称して、カツオとカジキマグロ、そしてサメのオブジェが設置されている。歩道からアーティスティックなその形を見ていると、全く顔見知らなかった中央漁協の組合長に声をかけられて写真を撮られたことを思い出す。まわりまわって百音の目にそれが触れたのも今となっては笑い話だ。

    今改めて写真撮らなくてもいいな、と踵を返し、さて駅前からはタクるか、と1台だけ止まっているタクシーに足を向けたところで、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると、今まさに思い出していた組合長の太田である。
    「なんだや、モネちゃんどこのまごぼいせんせいでねの。タクシー?いえさけるならおくってけっから、のってがいん」
    登米での経験を経て宮城方面の方言にも慣れてきた菅波だが、太田がリミッターを解除して話す気仙沼の言葉にはほぼついていけていない。
    「あ、こんにちは…」
    と挨拶するだけして、返事あぐねている菅波の様子をみて、太田が言葉を重ねる。
    「家、けるの?」
    「ける…あ、はい。タクシーで帰ろうかと」
    「車あるから、送る。乗ってがいん」           
    太田が軽トラを指さし、やっと菅波も声掛けの意図を察する。これを固辞してタクシーを使うことはおそらく百音の仕事にもゆくゆく差し障ると言うことは菅波にも分かり、では、お言葉に甘えます、と頭を下げた。

    軽トラの助手席に体を押し込み、曲げた膝の上にリュックとサメ太朗を乗せる。運転席に乗り込んだ太田が車を発進させながら、サメ太朗に目を止めた。
    「先生、相変わらずサメ好きだねえや」
    「えぇ、はい」
    「今日、モネちゃんは仕事?」
    「はい、陸前高田の方に日帰りで。それで一人で散歩していました」
    「そうがい」

    ぽつぽつと会話をしながら、菅波の道案内で家にたどり着く。軽トラを降りて礼を言っているところに、見覚えのある空色の車が走ってきた。駐車場に入るそれを見れば、運転席には百音がいる。百音も、組合長の軽トラが停まっていて、その傍らに菅波がいることに気づいたようで、運転席から手を振ってきた。車を駐車場に止めて、こちらに軽やかに駆けてきた。

    「組合長!こんにちは!先生と、どうしたんですか?」
    「駅でみがけてね」
    「送っていただきました」
    「そうだったんですね、ありがとうございました」

    百音と菅波がそろって頭をさげるのに、なんのなんの、と太田は手を振り、んじゃね、と軽トラで走り去った。それを見送った二人は、太田の軽トラが角を曲がって見えなくなったところで顔を見合わせた。

    「百音さん、お帰り」
    「光太朗さん、ただいま」
    二人が笑ったところで、百音が菅波の提げるサメ太朗に気づいた。
    「先生、サメ太朗連れてお出かけしてたんですか?」
    「あぁ、うん。久しぶりにサメ太朗もシャークタウン行きたいかなと思って」
    「シャークタウン行ってたんですね」
    「3時間ぐらいいた」
    「さすが」

    百音がくすくす笑いながら車に向かい、菅波もそれに追従する。助手席に置いた荷物を百音が取り出し、仕事鞄以外の買い物袋を菅波が受け取った。

    「お仕事はどうだった?」
    「おかげさまでばっちり。で、陸前高田に行ったのでくまホル買ってきました」
    「くまホル?」
    「陸前高田の名物のホルモンです。今日はモツ鍋ですよ」
    「へぇ。家でモツ鍋って食べたことないな」
    「腕によりをかけますよ」
    「それは楽しみだ」

    家に入るまでも、百音の今日の仕事の話、菅波の今日の休みの話と話題は尽きず、百音も菅波もはじけるようなの笑顔でお互いの話を聞き、サメ太朗は、ばくはつしろ!とでも言いたげな顔で紙袋の中で揺れているのだった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2022/11/27 8:30:46

    菅波光太朗とサメ太朗の休日

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