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    新しい『またね』の過ごし方玄関で別れがたい思いをめいっぱい込めた抱擁を交わすのはいつも通り。でも、その日の抱擁の熱と離れがたさはいつもの比ではないことを、百音も菅波も感じていた。過ぎるを惜しんだ春の日に離した『いつか』の夜を迎え、あまつさえその翌日にも肌を合わせるなど、百音がここに来たその時には想像もしていなかった。百音にとって初めて尽くしの経験ながら、菅波がそれまでに百音に必要な時間と経験の蓄積を待った結果、思わぬ度胸を発揮した百音が菅波を押し切って二日目の夜も迎えるという顛末など、本当に想像を軽々と超える出来事で。

    昨夜も、オンデンザメか、少しマシにエポレットシャークが海底を歩く速度かという慎重さで事を成し遂げた菅波の腕の中で、百音が「これで、東京に戻っても、新しい先生の事ずっと覚えてられる」とあまりに嬉しそうに言うもので、それでもってその夜の二回目をぐっとこらえた菅波の理性は称賛に値するものだろう。その後、先にシャワーを浴びて戻った菅波に、百音が両腕を伸ばしてお姫様だっこをねだる事態に、菅波は成長スピードが速すぎる、と心中で崩れ落ちたものの、それも一重に菅波が時間をかけて待ったからこそ百音に生まれた安心感や余裕でもあり。

    結局、着衣でベッドに戻った後も、二人で気怠く他愛もない話をしていれば夜更かしになって、いつもの二人では考えられない寝坊で迎えた朝は、トーストと目玉焼きとカフェオレという極めて簡単なご飯を二人で作ることになったのだった。朝食の後片付けをして、百音が荷物をまとめれば、もうじきに家を出なければならない時間になり、玄関先での抱擁に至っている。

    「いつもそうなんだけど」
    抱擁の力を全くゆるめず、百音の肩口に額をうずめた菅波が話すと、そのくすぐったさに心地よさを感じながら、百音がうん、と頷いて次の言葉を待つ。
    「今日は、いつもに増して、帰したくない」
    その言葉と共に抱擁の力を強める菅波に、自分も腕の力を強めて百音も頷く。
    「私も、帰りたくないです」
    普段の玄関先での抱擁では言わないようにしている『帰る』という言葉も思わず口をついてでるのは二人共で。

    ぎゅうぎゅうと交わす抱擁の力を少し緩めた百音が上目遣いにキスをねだれば、菅波もためらいなくそれに応える。今が昼間であるという節度と温度をギリギリ保ったキスに、百音がふっと息をつけば、菅波にはそれもまたたまらなくかわいく。嬉しそうに額を眼前の白Tシャツに寄せる百音の髪を撫でながら、キスはすっかりうまくなりましたね、と菅波が呟くと、背中に回した手できゅっとチェックシャツを握った百音が、それは先生が…と耳元を赤らめて抗弁するのもまたかわいらしく。

    また抱擁をぎゅっと交わしたところで、近隣の施設から流れる正午の時報が耳に届く。

    不承不承と言う言葉がこれ以上に適切な使いどころがないというぐらい不承不承、二人の抱擁が解ける。まだ大急ぎで駅に向かう時間ではないが、今日の見送りをあまりに慌ただしいものにしたくない以上、もう出なければいけない時間である。足元の百音のボストンバッグを取り上げて、菅波が、送ります、と言えば、百音もこくり、と頷いた。

    百音が帰る日に菅波の家を出る時には、そのドアを施錠するのは百音、と何となく決まっている通りに、百音が木のサメのキーホルダーに着けた鍵で「また来ます」と言いながらかちゃりと施錠する。鍵をリュックのポケットに丁寧に仕舞った百音が、その手を菅波とつなぐ。二人でゆるりと駐車場端の車を目指して歩きだすと、百音が菅波を見上げた。

    「先生が次に東京に来るのが、来月?」
    「そう。三週間後。診療所の四半期報告と、研修会の参加とで水曜から3日間。日曜の午前中まで東京にいられる算段です」
    「日曜の午前中まで…」

    百音がその予定を復唱すると、隣を歩く菅波が百音の顔を覗き込む。
    「週末もそうだけど…よければ平日も僕のところに泊りに来ませんか?」
    「えっ?」
    「あぁ、その、変な意味でなく、いや何も変なことはそもそもないのだけど、その、平日の間も、やっぱり顔見れるといいなぁって思うし…」

    ふわりと笑う菅波にあたたかいものを感じつつ、百音が即答しかねるのは自分の勤務スケジュールの特殊さが頭をかすめるためで。
    「でも、私、深夜2時起きですよ?先生の睡眠を邪魔しちゃうのが…」
    今まで菅波が東京に出てきて一緒に泊るのも金曜から日曜にかけてだったため、それが問題になっていなかった。
    「見送った後また寝るから大丈夫ですよ。それでも大学病院で当直してるよりよっぽど寝られる。永浦さんが良ければ、僕は大丈夫」

    話すうちに車に着いて、菅波が後部座席に百音のボストンバッグを置き、それぞれ車に乗り込む。
    「来月の事だし、もう少し日が近くなったらでもちろんいいから、仕事の都合も踏まえて無理のない範囲で考えてみてください」
    エンジンをかけながら言う菅波の言葉はどこまでもニュートラルで、百音も、考えときマス、とこくりと頷くのだった。

    道中の車内は言葉少なに新幹線駅に到着する。まず新幹線の切符を購入すれば、定刻まであと30分ほど。普段は駅舎にある観光案内とコミュニティスペースを兼ねた談話エリアで話をして過ごしたりするが、今日は何となく離れがたく、手を繋いだままの二人は、ふらりと足を西口の公園へと向けた。

    入口に今は動いていない直径10メートルの水車があり、奥には小高い箇所があって小さな散歩道エリアになっている。あの水車動いてるの見たことある?私はないです、先生は?僕もない、というなんとも無難な会話を交わしつつ、ショートカットも可能な散歩道を丹念にたどって。まだ夏の日差しが残る頃合いだが、この時間は適度な曇天がその日差しを和らげていて、公園の緑も心なしか穏やかな彩りに見えた。

    散歩道の奥に、樹を模してつくられたとおぼしきコンクリートオブジェがあった。そこに伸びる低い階段の手前には『カリヨンの樹』と書いてある。カリヨンを聴こう・樹の中のヒモを下に引いてね、ともあり、どうやらオブジェに鐘が備わっているようである。まぁ、行って見るか、と足を向けると、樹の上部に鐘が見える四角い穴と、大人と子供それぞれの胸の高さほどの位置に丸い穴が切り欠いてある。

    ここから手を入れてみるんですかね、と百音が低い方の丸い穴から手を入れると、何も手に触れない。疑問顔の百音を見て、菅波が高い方の穴から腕を入れて上に探ると、どうやらいつかの昔にちぎれたと思われる古い綱が手に当たった。その綱を握って下に引くと、カリヨンがガラーンと大きな響きを立てた。心地よい余韻ある響きに、二人はほう、とその樹を見上げる。菅波が立ち位置を変わると、百音も高い方の穴に腕を入れて、よっと綱を掴んで下に引くと、先ほどよりは少し控えめなカリヨンの音が周囲に響いた。

    「先生、めちゃくちゃ強く引っ張りましたね」
    その音の違いに百音が笑うと、菅波が頭をかく。
    「どれぐらいの力で引いたらいいのか分からなくて」
    「いい音でした」
    くすくすと笑う百音に、菅波も笑顔になる。
    「永浦さんもいい音させてましたよ」
    「そうかな」

    百音が高い方の穴から中を覗くと、綱のちぎれた様子がよく見える。菅波も顔を寄せて同じ穴から覗き込むと、その顔の近さにふと百音が頬を赤らめてさりげなく体を引いた。それに気づいた菅波が、口許を緩めて上体を起こす。

    「たくさん引っ張られて綱が切れて、でもそこから取り替えたりしてないんだなぁ」
    「まぁ、かろうじて引けるし?」
    「そうですねぇ」
    「音はいいからもったいない」

    百音が、かすかに残る響きの余韻に耳を傾けると、菅波もそうだねぇ、とその余韻に頭上の鐘に目を向けた。

    「もう滅多に鳴らされないのかな」
    「あまりたくさん人が来るところではなさそう」
    周囲を見渡しても、公園の中はおろか外の歩道も特に歩行者が目に付くわけでもなく。

    「でも、今日、先生と鳴らせてよかったな」
    百音がくすりと笑って菅波を見上げると、菅波もうん、と目を合わせて頷いた。
    「僕も、そう思う」
    くすん、と右手で鼻をこすった菅波が、右手を百音に差し出す。百音が自分の左手を重ねると、菅波はその手を取って、ゆるりと足を散歩道に戻る階段に向けた。どれだけ近いとはいえ、そろそろ駅に戻らなければいけない。

    とはいえ普段より歩く速度が遅くなるのは致し方なく。公園の出口で、ふと二人そろってカリヨンの樹を振り返る。今まで、なんとなく存在を認識しつつ来たことがなかった場所に、今回ふと立ち寄って、二人で小さな発見と演奏をしたことが何となく楽しい。また、寄ってみましょう、とどちらともなく言って、駅舎を目指す。

    移動がひる時にかかる時の常で、それぞれ車中と家でつかう同じ弁当を駅構内の売店で即決で購入して改札口へ。ずっと菅波が左肩に提げていた百音のボストンバッグを降ろして百音に渡せば、出立の準備はすべて整う。名残惜しくボストンバッグから手を離して、菅波が「じゃあ」と言えば、百音も「はい」と頷いて。

    「また、東京で」
    菅波が万感の思いを込めて言うと、百音もしっかりとそれを受け止める。
    「東京で、待ってます」
    「うん」

    百音が改札を通ってエスカレータに乗るのを、菅波が見送る。
    『またね』の時には改札までというお約束が、今日はまた一段とつらいが、これで菅波が入場券を買ったとて、どこまでも離れがたいことはもう二人とも分かっていて。

    上下線ホームを繋ぐ踊り場フロアまでの、さして長くないエスカレータを降りた百音が、名残惜しく手を一振りするのに菅波も手を振ってこたえ、百音が上り線ホームにつながる階段に足を向けると、もう二人はお互いが見えなくなる。

    百音はホームに上がった数分後には滑り込んできた新幹線に乗り込み、荷物を片して座席に座れば新幹線は動き出して。窓から流れていく駅を振り返り、百音はきゅっと両手を寄せて今回の滞在の思いがけず訪れた新しい時間の過ごし方に思いを馳せる。

    百音を見送った菅波は、足早に駐車場に足を向け。駐車場の入り口で駅舎を振り返れば、新幹線が東京に向かって滑り出していく。その車両の最後尾が見えなくなるまでその場で見送り、レールの音も聞こえなくなったところで踵を返す。ふと自分の左手を見下ろして、さっきまで繋いでいたその柔らかく小さな手を思い出す。右手で左手をさすれば、わずかに残った熱が手のひらに馴染むような。

    約した再会の時までしばし。またそれぞれの地で研鑽を積む時間が始まる。
    その研鑽の先にあるものに一歩近づいたような、二晩の出来事は、それぞれの胸に深く刻まれて。

    その後の時間。

    帰宅した菅波は、いつもの洗濯にとりかかろうとしてシーツを剥いだ折にふと鼻先をかすめた残り香に、洗濯遂行の可否をしばし脳内会議するはめになり(結局、洗濯はした)、汐見湯に帰還した百音は、わずかな変化を気取っためざとい明日美にあれこれ追及を受けるはめになり(結局、"何"があったかは白状させられた)、めいめい、いつもと似て非なる『またね』の日のプロローグを飾ったのだった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2023/05/05 2:07:22

    新しい『またね』の過ごし方

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