緑のとばりをあなたと百音がそこでふと足を止めたのは、そろそろ陽射しの雰囲気に初夏の兆しが訪れる頃だった。一緒にいた菅波も足を止めて百音の視線の先を見ると、植木鉢や支柱、ネットに土など、園芸用品一式のコーナーで、『今から準備しよう グリーンカーテン』 という謳い文句が掲示されていた。
「グリーンカーテン?」
菅波が百音に聞くと、百音が菅波を振り仰いだ。
「ほら、今の家、日当たりいいじゃないですか。ベランダのみぎっかわが去年の夏、陽射しきついなーって思ったこともあって、そっち半分にグリーンカーテン育ててもいいかなぁって。そしたらカーテン閉めっぱなしにしなくてもよさそうでしょ?」
百音の言葉に、菅波もなるほど?と頷く。日中あまり家にいないなりに、窓の方角やわずかな記憶を勘案すれば百音の言い分もよく分かる。
「じゃあ、育ててみる?」
「みたい!」
百音がなんだか楽しそうにこくこくと頷けば、菅波に反対する要素はなく。
何を育てればいいんでしょうねぇ、とその特集エリアに足を踏み入れてみると、様々な苗が並べられている。基本的にはつる植物なんですね、と百音が周囲を見渡し、趣旨を踏まえるとやっぱりそうなるんですね、と菅波も頷く。
いわゆるゴーヤやキュウリだけでなく、キョウチクトウ科のクライアミングサンパラソルやゴマノハグサ科のロフォスという花を咲かせる植物や、ヒルガオ科のテラスライムといった葉の大きな植物まで色々である。
うーむ、と二人で見渡していると、その様子をみた店員が二人に声をかけた。
「グリーンカーテンをご検討ですか?」
「はい、ベランダで。どの植物がいいのかな、とか思いまして」
百音が言うと、ここに並べているのはどれもグリーンカーテンには向いている種類なので、結構どなたもお好みで選ばれますよ、と店員は如才ない。
「好み、だとどういう風に選ばれるんですか?」
菅波の問いに、店員はそうですねぇ、と口を開く。
「大きく分けると、お花も楽しみたいか、実も楽しみたいか、そういうのを全く求めないか、ですかね」
店員の答えに、なるほど!と百音がポンと手を打つ。
「光太朗さんは?」
百音が菅波を見上げると、菅波は一瞬考えるそぶりで「花…ですかね」と言う。
「百音さんは?」
という問いには、百音は「実ですね!」と即答である。
店員が、花でしたらロフォスが葉色も爽やかでいいかもしれません。こちらが花の写真で。実だと、やはりゴーヤがキュウリより実りやすいし収量もとれるのでおすすめです。いずれも、ベランダでしたら、プランターと短い支柱からネットに這わせれば楽に育てられますよ、と勧めてくれる。ふむ、と二人が思案顔になったところで、反対側のエリアから呼ばれた店員が、失礼します、ごゆっくり、と去っていく。
「先生は、お花がいいんですか?」
「百音さんも楽しめるかなと思って。百音さんは実がなるのがいいの?」
「なんか、夏の間収穫してお料理できるかなと思ったら楽しそうで」
「そっか。じゃあ、キュウリにする?」
菅波が指さす先には『強健豊作 本気野菜キュウリ・とにかく病気に強い!』という苗。
「まぁ、それか、さっきオススメしてもらった、ロフォスって花は確かにかわいいな、とも」
菅波の言葉に、うーん、と首をひねりつつ、百音の視線の先は、キュウリの隣の本気野菜シリーズの『しろくまゴーヤ』である。
「ゴーヤも捨てがたいですよねぇ」
「キュウリを味噌つけて食べると美味しいですよ」
そこまでの会話で、何かを察した百音がもの言いたげな目で菅波を見上げると、菅波はすすっとさりげなく目線をそらす。菅波が目線をそらしたことで、百音の推察が確信に変わる。
「せんせ?」
「…はい」
「ゴーヤ、苦手でしたっけ?」
百音の問いに、うっと言葉につまりつつ、百音に嘘をつけない菅波はぐぎぎと音がするようなぎこちなさでうなずきつつ、「得意ではない…です」と言葉をひねり出した。
「あれ、でも夏にゴーヤ料理作った時、食べてましたよね?」
「たまにだったらいいんです。百音さんは下処理もおいしくしてくれるし。でも、家で育てたら、夏中、毎食ゴーヤになりかねないでしょう。それは…うーん、どうかなぁ…と思って…」
両手指を体の前で合わせつつ、長身をかがめてぼそぼそ言う様に、百音はじわじわとおかしさを隠せない。なんとかキュウリに誘導しようとしていた様子含めて、振り返るとかわいさしかなく、口許をむぎゅむぎゅとさせていると、その様子に菅波がチベスナ顔である。
「楽しんでますね」
「楽しいですね」
百音がニコニコすれば、菅波は降参するしかなく。
「じゃあ、ゴーヤはやめます?」
「うーん。まぁ、百音さんがやっぱりゴーヤがいいなら、がんばる」
「そんな風にがんばる、って言わせちゃうのも」
「でも収穫してみたいんでしょ?」
「お花も捨てがたいは捨てがたいし、キュウリだと葉っぱの密度が気になるし…」
二人して、うーむ、と苗の前で腕組みしてしばし。
「じゃあ!」
と突破口を見出すのは、いつだって百音である。
「3つ、植えましょう。1鉢ずつ。ロフォスとキュウリとゴーヤと」
「からまない?」
「グリーンカーテンしたいんだし、絡んでもいいんじゃないですか?1鉢ずつなら、ゴーヤもそんな量にはならないだろし」
まぁ、そもそもダメ元なわけで。じゃあ、そうしてみますか。ロフォスの色は何色がいい?うーん、やっぱり白かなぁ、白だねぇ。ゴーヤも、この白ゴーヤって苦み少な目なのにしてみましょうね、などなど話をして、苗を3つと植木鉢と支柱数本、土やネットを購入する。
帰宅して早速ベランダで植木鉢に苗を植えかえて支柱を立ててる。もう、先の作業もやってしまおう、とベランダのてっぺんからネットを吊るすのは菅波がその上背を活用して悠々と。ゆったりとネットを手すりまで張れば、グリーンカーテンの支度がすっかり整う。
二人で手を洗って、リビングでコーヒーを飲みながらベランダの小さな緑を眺めると、それぞれの葉が初夏の風にそよりと揺れている。
「どんな風になるかな~」
百音が楽しそうに言うので、菅波も楽しみですねぇ、と笑う。
「キュウリはお味噌つけて食べる?」
「ですねぇ。後は酢の物が好きかな。百音さんは?」
「茹でキュウリの醤油漬け、おいしいんですよ」
「え、キュウリをゆでるの?」
「パリッとしますよ」
そーなんだ、という顔をしつつ、菅波が右端に植えた苗をじっと見つめ、百音がその視線に笑いをかみ殺す。
「ゴーヤ、そこそこ採れたら、あんまり採れすぎないといいですね」
その言葉に、採れたらちゃんと食べますよ、と不服顔の菅波が百音にはかわいくてたまらない。
ほんとそういう意地っ張りなとこ、と笑いつつ、そのふくれっ面をつんつんとつつく。
「苦みの少ないレシピ、あれこれ探しときます」
百音が言うと、お願いします、と近年見たことないレベルで深々と頭を下げるので、あ、ほんとに探そう、と百音は心に誓う。
「別に、嫌いだ、とか食べれないってわけじゃないんですよ」
まだ抗弁する菅波を、はいはい、分かりました、と百音はいなしつつ、みそ炒めとか味濃い系がやっぱりいいんだろうなぁ、などなど考え事に意識を飛ばすのだった。
その後、ゴーヤの収量は週に3回食卓に上る程度には確保されるが、採れたてのゴーヤを百音が上手く調理してなんだかんだ菅波も飽きずに食べきれたのは僥倖で、その代わりに、採れすぎたキュウリに百音がうんざりして、菅波がキュウリ4本分の酢のものを自分で作って一人で食べることになり、ゴーヤよりキュウリに疲れたと笑う夏になることを、この時の二人はまだ知らない