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    その自転車を漕ぐのは私「とにかく…私はこの島を離れたい」
    3月頭の卒業式が終わり、大学入試の後期日程もすべて結果が出たその日、百音は家族にぼそりと話した。

    それから祖父の龍己の紹介で登米市の米麻町森林組合職員として縁故採用を受け、サヤカ邸に下宿する段取りが決まり、サヤカの元に行ったのは2014年3月29日のことだった。事前に身の回りのものは送っていて、下宿故に何か家具をそろえるでもなく、百音はリュックとボストンバッグ一つでBRTの桃津駅に降り立った。

    来るまで迎えに来たサヤカは、よく来たね、とねぎらう。サヤカが走らせる車の中、助手席に座った百音は、膝に置いたリュックをぎゅっと抱き、窓から山のまちの様子をじっと見つめていて、サヤカは口数少なにその様子を見守る。着いたよ、とサヤカ邸の庭に車が停まると、百音はその見晴らしに目を見張った。

    小高い山の中腹に白い家と東屋があるそこからは、北上川の流れが一望でき、豊かな山の懐に抱かれているような空気である。車を降りた百音はすうっと大きく空気を肺にとりこむ。そして大きく吐き出すと、なんだか体内で凝っていた空気がほんのわずかでも緩んだような気がする。邸内を一通り案内され、ここから今日がアンタの部屋だよ、と通された部屋も木の香が気持ちよく、陽の光が山のフィルターを通したように感じられ、うん、ここで私は今日から暮らすんだ、と気持ちを引き締めるのだった。

    翌日、隣町に用事で出るというサヤカの車に片道乗せてもらい、百音が向かったのは市内のサイクリングショップである。サヤカの家は勤務先から徒歩圏ではないし、そもそも車なり自転車がないと生活が成り立ちづらい地域である。高校卒業後の時間に運転免許を取ることをしなかった百音は自転車利用一択で、それを買い求めるのである。帰り道は自分で自転車に乗って帰る予定だ。

    それまで気仙沼で主に通学のために本土で使っていた自転車は、次に入学してくる新1年生へのお下がりに生徒会のリユース委員会に寄贈してきた。もとより、それそのものが、そのリユースで得たもので、なにか能動的に手に入れたものでもなく、特に心を動かすことなく過ごした高校3年間を象徴するようにくすんだグレーにゆがんだワイヤーカゴの自転車だった。

    自分で自転車を選ぶのはいつぶりだろう、と遥か昔に父に連れられて行った自転車屋を思い出す。その時は妹の未知と色違いのお揃いにしようと盛り上がり、じゃあお父さんもおなじのにしようかな、などと耕治が言い出して、二人してやめてよお父さん、などと本気で嫌な顔をしたものだ。ふと脳裏をよぎった遥か昔の楽しい思い出が、しかしまだ心に重い。

    店内に足を入れると、スポーツタイプからいわゆるママチャリとも呼ばれるシティサイクルまで一通りのラインアップが目に入った。店員が百音の来店に気づいて、いらっしゃいませと声をかける。何かお探しですか?と聞かれて、百音は、はい、あの…とどぎまぎしながら、こちらに引っ越してきたので新しい自転車が必要なんです、と告げた。

    店員があれこれとヒアリングをしつつ、百音がどんな自転車を探しているかを詳らかにしていく。一定の距離の通勤に使うが、同時に生活の足でもあり買い物をすることも踏まえるとスポーツタイプではなくシティサイクルを。家が山の中腹だが、電動アシストをつけると車体そのものが重くなるので良し悪しでもある、ならない方が充電を気にしなくてよい、などなど。

    これか、これなどどうでしょうか、と店員が見せてくれた自転車は、どれも過不足なく思えた。そうだなぁと見渡した百音が、ふと目をとめたのは、前カゴが藤籠風になってる緑色の自転車である。鮮やかな緑ではないが、自転車の曲線のフレームに雰囲気が合った深みのある緑は、これから自分が住む森のまちにしっくりくるような気がする。

    これにします、と値段もおりあうそれを指さすと、店員がかしこまりました、と購入手続きの準備を始める。乗って帰られますか?という質問に頷きで答えて、百音は手続きのために店内のカウンターに向かうのだった。ワイヤーロックなど必要な備品も含めて購入して、すべての手続きを終えた百音は、店員の見送りを受けながら真新しい自転車を押して店を出た。

    自転車にまたがり、ひとこぎすると気持ちよい春の風が頬を撫でる。往路でサヤカに教わった目印を探しながら、下宿先への帰路を辿る。道を間違えてはいけない、とあれこれ周りを見ながら走っていると、ずっと目線は上を向いて。高校の通学ではずっと俯いて乗っていた自転車だが、今は前を、上を見ないと前に進めない。

    目印をたどりたどり、下宿先のふもとまでたどり着けば、そこからは山道の上りである。よし、と気合を入れて登れば、すぐに息が切れる。立ち漕ぎで、それでも自転車からは降りないで、百音はわっせわっせと山を登る。息を切らしながら、ハンドルに上体を預けて、百音の顔がだんだんとほころぶ。

    これからこの自転車で自分は山に登る。どこかに行く。どこまでも行ける。あそこにいなくていい。

    ひと漕ぎごとに、目の前が拓ける気がする。
    サヤカ邸に続く小径につながる広場に着いた百音は、一度自転車から降りて、空を振り仰いだ。
    遥か上空の飛行機が、一筋の雲を描いている。
    それはまるでこれから百音の日々を矢印で導くように。

    そう、これから。もう島をでたのだから。
    百音はそう一つ頷いて、サヤカ邸への小道に向けて、再び自転車にまたがるのだった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2023/05/17 19:57:35

    その自転車を漕ぐのは私

    #sgmn

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