東京駅 7:45百音は悩んでいた。
土曜の朝、登米の菅波の元を訪れるべく辿り着いた東京駅。なんだか、目覚ましのアラームより40分早く目が醒めたし、さっさと朝ごはんを食べたら、もう汐見湯の自分の部屋にいてても仕方がないし、という気がして、気づけば切符を買っていた新幹線の30分前に着いてしまっている。
もう一便、早いものに振り替えたいところ、今回は明日美が教えてくれた振替不可の代わりに安く買えるチケットというものを試しに買ってみていていてそうもいかない。
別段、こういう待ち時間がある時のために読むものというのは、本の形でも電子でも持ち歩いているので、待ち時間を潰すことそのものは大して問題ではない。
すっかりお馴染みになった東北新幹線の改札内左手に待合室があるので、そこの端に陣取る。そして、リュックを背負ったままボストンバッグを膝に置いて一呼吸したところで、目の前に、待合室の隣にあるカフェスタンドのポスターが目に入ったのだった。
『季節限定 ずんだラテ』
ポスターには、艶やかな緑色を品よく主張するラテがホットとアイスと両方描かれていて、特徴的な前立物の兜を被ったおにぎりのゆるキャラがどっちも美味しい、などと主張している。
その文字が目に入った瞬間、百音は自分がどうにも『ずんだの口』になってしまったのである。朝ごはんもちゃんと食べてきているので別にお腹が空いているというわけではない。それに、むしろこれから『ずんだの国』に行こうとしているようなもので、今回は登米夢想に行く予定はないが、そうすれば絶対にみよ子が菅波に、ふたりで食べてけらいん、と、持ち重りのするずんだ餅みっしりの保存容器を昨日に押し付けているはずなのである。
みよ子さんのずんだが待ってるのに、ここでずんだを摂取してもね…。と、首を軽く一振りして、持ってきた本を開く。何度もドラマ化されている盗賊改の時代小説を、菅波が学生時代の息抜きに好んで読んでいたことを聞いて、菜津の祖父から順繰りに文庫本を借りていて、かれこれ3冊目。すっかり世界観にも馴染んで、読切の形で話が積み重なるのも読みやすい。
ぐっと本にフォーカスを当てて、あと10ページほどになっていた話を読み切る。安易なハッピーエンドではないが、とある町人の若夫婦の事情に寄り添った良い落とし所の話に心が和む。よかった、と余韻を味わいながら次の話…とページを捲りかけたところで、膝の上でズレかけたボストンバッグの位置を直そうとして、またずんだラテポスターが目に入った。
いやいやいや、と改めて首を振ったところで、ピコン、とポケットのスマホがメッセージの着信を知らせた。
『おはようございます。予定の時間どおりに迎えに行きます』
菅波からのメッセージに頬を緩ませて、返信を打つ。
『おはようございます。予定どおり、よろしくお願いします』
その一往復で終わるかなと思ったところで、ピコンともう一つメッセージが届いた。
『さっきみよ子さんが、おはぎ届けに来たよ。あんこをたくさん炊いたからって』
それに続いて、矢羽板の弁当箱に入った小豆餡のおはぎの写真が送られてきた。
『楽しみです!』
短文の返事と、傘イルカくんがワクワクしているスタンプを送って、そこで百音の手が止まった。
今回のみよ子さんのおやつはあずき餡のおはぎ。
…ということは、ずんだラテを今飲んでもいいのでは…?
新幹線発車時刻まであと10分。
程よい頃合いでもある。
ずんだラテが季節限定だったから東京で買った、というたあいない話を菅波としたいという気持ちもある。
そうよね、飲みたいなら、飲めばいいのよね。
うん、と自分自身に頷いた百音は、座っていた席にボストンバッグと文庫本を置いて立ち上がった。
他に並んでいる客もなく、ずんだラテはあっさりと買えてしまう。席に戻った百音は一口飲んで、『ずんだの口』が満たされたことに満足の笑みを浮かべた。もちろん量産品で登米マダムの手作りとは異なる趣向だが、それでも適度に豆の口触りが残った潰し具合といい、風味といい、きちんと宮城っこの『ずんだの口』を一定程度満足させるに十分である。
ホクホクとずんだラテを飲む百音は知らない。
みよ子から、今回はずんだを届けなかったと聞いた千代子と文子が、それぞれ急ピッチでずんだ餡を(それぞれどんぶりにいっぱいずつ)作り、それを、菅波が百音を迎えに家をでた後にドアの前にごんぎつねよろしく置いて行くことを。