イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    たびするアヒル出張予定が一泊伸びた菅波が帰宅した翌々日、仕事先の平泉から帰宅した百音はポストに少し厚みのある封筒が届いているのを見つけた。取り込んでみてみると、宛先は『菅波光太朗様』で、差出人は菅波が出張で泊まっていたホテルである。

    せんせい、何か部屋に忘れ物でもしたのかな、と思いながら、ダイニングテーブルにその封筒を置いて、サメ棚のサメ太朗たちと最近増えたアヒルたちに、ただいまを言う。アヒルたちはサメ太朗の前に一列縦隊で整列していて、先頭の1羽はサメ太朗の口の中にいる。百音が出勤した時にはアヒルはジンベエザメのおはなしを聞いていたはずで、出勤が遅かった菅波の仕業だろう。

    菅波の2回の出張で合計10羽に増えたアヒルたちは、毎日楽しくサメ棚で過ごせているようだ。くすりと笑った百音が、さて、晩ご飯の支度しちゃおう、と台所に足を向けかけたところで、スマホがピコンとメッセージの着信を知らせた。見れば、菅波から『これから帰ります』の一報。傘イルカくんの『待ってます』のスタンプを返したところで、そうだ、と気づいて、テーブルの上に置いた封筒の写真を撮り、『こないだのホテルから何か封筒が届いてましたよ』というメッセージと共に送る。

    『なんだろ、忘れ物かな。構わないので、中を開けてみておいてください』

    菅波の返事を受けて、開けてみるか、と百音は書斎エリアのカッターを手にとった。

    ++

    その日の勤務交代申し送り会はいつも通りの雰囲気で、おおよそいつも通りの内容が話されていたが、ハウスキーピング部門のある報告が、そのホテルマンの耳を引いた。

    新人のハウスキーパーが、一昨日のハウスキーピングの際、担当したすべての部屋で、セッティングを終えたバスルームにアヒルをセットするのを忘れていたことが判明した、というのである。ホテルサービスの根幹に関わるクリティカルなものではないが、当ホテルの隠れた名物的サービスでもあり、それを期待して予約する家族連れもあるので、改めて注意するように、と、その報告は締めくくられている。

    フロント担当としては、問合せ・クレーム対応を想定する連絡事項だが、同時にある宿泊客が頭に浮かんだ。長身で猫背の男性で、アヒルについてフロントに立ち寄っている。もともと2泊のところ、仕事の予定が変わったとのことで延泊の相談を受けて処理したのも自分だ。そして、その延泊した部屋は、新人のハウスキーパーが担当している。

    さすがに、またアヒルがなかったんだけど、とは言いだしづらかったか…、と、大切そうに3羽のアヒルを手のひらにのせてエレベータに向かっていた、くせ毛の後姿を思い出す。妻が楽しみにしていたので…と、わざわざフロントに申し出て来たが、さすがに2回目は、と躊躇させてしまったのだろう。

    気づいたからには挽回したい、とホテルマンは、アヒルが備蓄されているリネン室に足を向けた。数匹のアヒルを手に取って、その中でも顔の整ったアヒルを2羽選び、フロントデスクで宿泊客の名前と住所を控えた後、事務室に戻ったホテルマンは、便箋を手に取って、時候の挨拶を書き始めたのだった。

    ++

    「ただいま」
    「おかえりなさい」

    今から帰る連絡からきっちり20分後に菅波が帰宅すると、百音が出迎えた。見ると台所仕事の途中だったようでエプロンをつけたままである。なにやらニコニコしていて、ただ菅波が帰ったからだけではない何かがある様子である。

    「せんせ、手を出してください」
    言われるがままに、右手を出すと、その手を百音の左手が取って手のひらを上に向かせる。そして、その手のひらの上に、エプロンのポケットから取り出したラバーダックを1羽、また1羽と、合計2羽載せた。

    オレンジのクチバシも鮮やかに菅波をキラキラと見上げる2羽のアヒルに、菅波が首を傾げる。

    「百音さん、あの、このアヒルは…?」
    「届きました!」
    「届いた?へ?どこから?」
    「こないだのホテルからです」

    とりあえずおうち入ってください、と、アヒルを持たせたまま、百音は、あぁ、お鍋が、などといいながら、パタパタと台所に戻っていく。菅波は事態を把握できず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、右手のひらにアヒルを載せたまま、手を使わずにスニーカーを脱いで上がりがまちに足をかけるのだった。

    洗面所に直行して手洗いうがいを済ませ、またアヒルを手に載せて菅波がリビングに戻ると、夕食の支度もちょうど終わるところだったと見えて百音が配膳の準備をしようとしているところだった。2羽のアヒルをテーブルの上におき、菅波も食事の準備に加わる。

    今日の夕食は油麩丼とめかぶ汁、それに小松菜の煮浸し。百音が油麩の卵とじを半熟に仕上げている間に、菅波がめかぶ汁と煮浸しを装って、炊飯器の炊き立てご飯をさっくりと切って支度をする。めいめいの好みの量のご飯を深皿に装い、出来立ての油麩の卵とじをのせると、ほぼ同時に二人の腹がぐぅと音を立てて、思わず笑みがこぼれた。

    「「いただきます」」
    と声を揃えて手を合わせて、特に凝ったところはどこもない普段通りの夕食である。

    うまい、と菅波は箸をつかいながらも、やはり聞きたいことは、届いたというアヒルのこと。振り返ってサメ棚を見れば、アヒルは10羽、全員がサメ太朗の背中に一列にのっていて、先ほどの2羽が、菅波が連れ帰ったアヒルでないことは明らかだ。菅波がアヒルの数を確認していることに気づいた百音が、笑いを噛み殺している。

    「せんせ、アヒルちゃんがお部屋にいない、ってわざわざフロントに聞いてくれたんですね」

    出張から帰った時に、アヒル待ち顔で出迎えた百音に、特になにも言わずに百音の手のひらにアヒルをのせた菅波が目を丸くする。

    「そのアヒルちゃんたちが届いた封筒に、お手紙が同封されてました。先生にフロントでアヒルちゃんを渡してくれた方から」
    「あぁ…」

    箸をもったまま、菅波が右手で口許を覆ってうつむく。せんせ、おはし、と百音の指摘に箸を置きつつ、両手を膝にそわそわとのせた菅波は何かを言いあぐね、百音がにこにことその顔を覗き込んだ。

    「1羽しかいなくって、聞いてくれたんですね」
    「…はい」
    「1羽なら1羽でもよかったのに」

    百音のその言葉もほんとうだと知りつつ、菅波は口をとがらせた。

    「だって、百音さんが4羽お迎えだ、って楽しみにしてたから…。1羽だとがっかりするかなと思って」
    それに、と右手で首元をかく。
    「なにかの場合分けがあるのか気になったし、アヒルも1羽だと寂しそうだったし…」
    「アヒルちゃんの気持ちにも寄り添ってあげたんですね」

    百音がうんうん、と頷いてみせると、菅波はちょっとほっとした様子で、また箸を手に取って油麩丼を口に運ぼうとして、次の百音の言葉に動きが止まった。

    「フロントに、私がアヒルちゃん楽しみにしてるから、ってちゃんと言ってくれたんですよね」
    「あ…。あぁ…」

    照れ隠しのように油麩丼をくちいっぱいに詰めこんだ菅波が、もごもごといいつつ、百音が嬉しそうに手をのばして、テーブルの上のアヒルをつついた。

    「先生が延泊した日に担当したハウスキーパーの方が新人さんで、アヒルをお部屋に置くのを忘れていたんですって。それで、『奥様』が楽しみにしてくださっていたのにお連れいただけなかったアヒルをお届けします、ってお手紙が入ってました」

    おくさま、ですって、となんだかおもしろそうな百音に、もぐもぐと油麩丼を飲み下し、めかぶ汁で口を整えた菅波が、唇を尖らせた。

    「僕は『家内』だの『嫁』だの言ってませんからね」
    「分かってますよ」

    菅波らしい言い草に、百音がもちろんです、と頷く。社会通念上、第三者が標準的に払うべき敬意の記号としての『ご主人』『奥様』は仕方がないとしつつも、自分たちごととしては使いたくない、というのは菅波が常々言っていることで、こんな時でも律儀だな、と百音は菅波の菅波らしさをかみしめた。

    「で、なんてフロントには聞いたんですか?」
    「そりゃ、だから、その…、つ、妻が楽しみにしていたのですが…、って言うしかないじゃないですか」
    「ですね~」

    もぅいいでしょう、と目許を赤らめた菅波が、小松菜の煮びたしをよそった蕎麦猪口を、大きな左手で持って食べ始め、百音もそれ以上の追及はせずに、改めて箸をとった。自分の深皿に目を落とすと、三つ葉と紅ショウガに彩られた、ひときわ大きな油麩が目に留まる。

    その油麩を、ひょいっと菅波の皿に移すと、菅波がくしゃりと笑って「ありがと」と礼を言ったのだった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2023/07/24 14:24:03

    たびするアヒル

    #sgmn

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品