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    百音と呼びたい100の逡巡【百音さんと呼びたい100の逡巡】

    永浦さん、という名前をきちんと呼んだのも、顔見知りになってからかなり経ってからだったと思う。そして、そのころはいつも作業服に木でできた名札をつけていて、『百音』と書いて『モネ』と読むのだと思っていた。サヤカや椎の実の常連のご婦人方がそう呼んでいたからだ。

    それが『モネ』ではなく『ももね』だ、と知ったのはくしくも本人からではなく、まさかの父親からの『ももねを、よろしく頼みます』という、まだ蕎麦屋にしか行っていない男に言うにはいささか先走った発言からだった。まぁ、その前に、まだ蕎麦屋にしか行っていないわりに、『永浦さんにもし何かあれば、僕にできることはするつもりです』という発言もいささか先走っているものでもあったが。

    あぁ、ももねさんという名前だったのか。うん、とても素敵だ、と、ひとつこの人のことを知れた喜びで、『永浦さんって、ももねさんって言うんですね。モネさんかと思ってました』と、脳と口が直結した言葉を漏らしてその場の全員がポカンとなってしまったわけで。

    あの一瞬を逃さなかった奇跡のような抱擁の後も、ずっと『永浦さん』と呼んでいて、それでかれこれ1年以上経っている。とてもゆっくり時間をかけたけど、肌を合わせることもようやっと二人のいつもの過ごし方の一つに馴染んできたようなこの頃。『永浦さん』じゃなくて、もっと親密な呼び方にできれば、とは、最近の僕の思いなのだけど。

    永浦さんは、『モネ』って呼んでくれればいい、って言ってくれるけど、うーん。なんだか、永浦さんと僕の関係においては、その、まるで公称のような『モネ』という響きがしっくりこない気がする。『モネ』は、あくまでご実家や地元や、あの、幼馴染さんたちや、登米夢想での彼女の顔であって、僕といるときの顔とはまるで違う。いや、断じて肌を合わせたからそう思うんじゃなくて、そのずっと前から、なんならあの抱擁の前から、僕しか知らない永浦さんの顔がある。

    椎の実で、誰にも言えなかった痛みを話してくれたあの時も、4か月ぶりにコインランドリーで再会して『もう、大丈夫です』と笑った顔も、『先生も少しは寝てください』って心配してくれる顔も。

    せめて『モネさん』って呼ぶか?でもなぁ、結局『モネ』なことには変わりないわけで、それじゃないんだよなぁ。うん、そりゃ、初めてほんとうの読み方を知った時には『モネさん』って呼んだけど、それは名前と名前に準じる呼び名を呼びすてにしないというだけの社会儀礼なわけで。

    じゃあ、『ももねさん』か『ももね』…。いやいや、少なくともやっぱり呼び捨てはないだろう。ただでさえ一定の年齢差はあるのに、そこで呼び捨てにするのはなんていうか、勾配が過ぎるというかなんというか。あ、あれか、永浦さんにも僕の名前を呼び捨てにしてもらえばいいのか。相変わらず僕が永浦さんを『永浦さん』って呼ぶように、永浦さんは僕のこと『せんせい』って呼ぶもんな。

    いや、なんていうか、うん、永浦さんに『せんせい』って呼ばれるのは、なんていうか、それはそれで気に入ってはいる…いや、それはいまは置いておくとして、じゃあ永浦さんに、僕のことを『光太朗』と呼んでくれ、と言って、呼んでくれるかというと、うーん、多分ないな。せめてさんづけにさせてくれ、って永浦さんなら言うだろうし、それなら僕が『ももねさん』と呼ぶのもイーブンになる…。

    けど、いやいや、待て待て、そうなったら、永浦さんに『光太朗さん』って呼ばれるわけだろ。母親がそう呼んでくる呼び名で永浦さんに呼ばれるってのは、ちょっとできれば限りなくとめどなく遠慮したい。それに、僕は『せんせい』と呼ばれることに特に違和感はないわけで、うん。あ、いや、『先生』という音に、自分が職業上呼ばれる肩書めいた公的性質がある事は百二十分に承知なのだけど、永浦さんが僕のことを呼ぶ『せんせい』には、全くそれに類さない響きがこもっていることも百三十分に確かで、だからこそ僕も気に入っているわけで…。

    いや、しかし、待てよ。そもそも、永浦さんが『永浦さん』と呼ばれ続けていることについて、永浦さん本人がどう思っているか、直接聞いたことはないな。ちょっと前に、『すーちゃんが、ふたりとも、まだ『永浦さん』『せんせい』って呼び合ってるの、なんていうんですよ』なんて笑って言ってたけど、その時は、まぁ、すっかりそれで馴染んじゃってますもんね~、で永浦さんもスルー気味に出した話題だったから、僕もそうですねぇ、なんてそれ以上話を深堀しなかったんだった。

    あぁ、あの時に深堀しときゃよかったのかな…。でも、それで『モネ』に流れで定着するようなことになってたら悔やむに悔やみきれないし、それはそれでその時の空気なんだから、振り返りすぎもよくない。うん。起きた事象は変えられないんだから、次に自分がどうするかしかない。

    でもなぁ、やっぱり、それなら『ももねさん』って呼びたいよなぁ。とても素敵な名前だし、それを誰もきちんと呼ばないっていうのもすこぶるもったいない。それなら僕が呼ぶ。僕だけが呼ぶ名前で。彼女をまるっとまるごと大切にするって、ずっと前からそれだけは変わらないんだから。

    うーん、いきなり呼んだらびっくりされるかなぁ。でも、面と向かって、改めて聞くのも変な気がするし、まずは呼んでみて、それで永浦さんがどうしても嫌がったら、その時に考えよう。別に彼女に嫌がらせをしたいわけじゃないんだし。『ももねさん』って呼ばれて嫌な思いにならないように、どうすればいいか、考えて、考えて、答えを見つけていければ。うん、そうしよう。

    そして、永浦さんが、じゃあ『光太朗さん』って呼びます、って言って来たら、それは謹んで辞退しよう。うん。なんなら、僕は永浦さんに名前を呼び捨てにされても全然、全っ然構わないわけで、なんならむしろ永浦さんがそれぐらい踏み込んでくれるならそれはそれでウェルカムというか、なんというか。

    <<ピンポーン>>

    菅波が滞在するホテルの居室のベルが鳴り、百音の来訪を告げる。

    「いらっしゃい、『ももねさん』」

    と意を決した菅波が、そう言って、百音に盛大なチベスナ顔をされるまで、あと5秒。
    ねじねじ Link Message Mute
    2023/08/27 23:52:38

    百音と呼びたい100の逡巡

    #sgmn

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