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    IN or OUT訪問診療から戻った菅波が車から道具を提げて準備室に入ろうとすると、中庭越しにカフェ椎の実から百音が声をかけてきた。

    「先生、おかえりなさい!おつかれさまでした」
    「おつかれさまです」
    簡素に挨拶をかえし、普通にただの挨拶だろうとそのまま準備室に入ろうとすると、その背中にさらに声が届く。

    「この後、お仕事合間よかったらちょっとこっぢ覗いてください」

    その言葉に、はぁ、分かりました、と頷いて、菅波はひとまず準備室に入る。看護師の吉川に次回の訪問に備えた指示を出し、訪問先で吉川が入力したカルテに目を通して…と帰院後の対応をしていれば、小一時間はすぐに経過する。吉川の作業も一段落がついて退勤する姿を見送り、菅波も仕事を一区切りにすることにする。

    まだ残務はあるが、先ほど百音に声をかけられていたことは覚えていて、勉強会前に一度顔を出した方が良いのだろう、と椅子から立ち上がって白衣を脱ぎ、作業室から中庭に出る。

    森林組合の事務所でなにやらデスクワークをしていた百音が、菅波の姿を視界の端に拾ってガラス張りのドアから顔を出した。作業着姿でトコトコと椎の実に向かい、先生、こごで待っててください、と中庭のテラス席を菅波に指し示して、自身は、りのさーん、と声をかけてキッチンに向かっていく。

    なにがなにやら、と思いながら、まぁ、言われた通りに座って待っていると、店じまいに着手している気配の店内から何やら芳香が漂ってくる。その香りに、自分の腹がくうとなったような気がして、菅波はそこで自分の腹具合に初めて気づいた。登米勤務の週は比較的規則正しく勤務も食事もとるので、夕刻近くになるときちんと腹が減っている。

    じきに、百音がグラスと皿が載った盆を持ってこちらに向かってきた。

    「どうぞ!」
    百音がテーブルに盆を置くと、その全容が明らかになる。

    しっとりと『雨』を纏ったアイスコーヒーのグラスと、粒あんとバターが載ったトーストふた切れである。

    「これは?」
    「サヤカさんの名古屋のお土産です!小倉トースト用のあんこで、先生にも食べてもらって、って。あ、吉川さんの分はさっき里乃さんからおうちでどうぞって渡してもらってます」
    「あぁ、今日お戻りでしたね」

    数日不在にしていた登米夢想の主の顔を思い浮かべて菅波が頷く。

    「話には聞いたことがありましたが、初めて見ました」
    しげしげと小倉トーストを眺める菅波に、私も食べたけど美味しかったですよ、とテーブルの横に立ったまま百音がうんうんと言う。

    「なんだか、見慣れないですね。トーストに載っているのがジャムでもチーズとかでもなくあんこというのが」
    フム…と両手を膝に置いて手を出さない菅波に、百音があったかいうちにどうぞ、とすすめる。恐る恐るという形容詞が似合う動作でトーストを取り上げてひと口かじると、厚めのトーストにあんこの甘さと豆粒の食感、バターの塩気が混じって、何とも空腹に染みる。

    「うまい」
    菅波の目じりにうっすら皺が寄り、百音がですよね、と笑う。
    もぐもぐと数口かじった菅波が、アイスコーヒーで口中を洗って、得心した顔になる。

    「トーストにあんこがのってるって、奇怪だなって最初思ったんですが、食べれば納得しました。要するにあんぱんと同じですよね」

    パンとあんこの取り合わせは150年前からあるもので、それが中か上かの違いだけと言えばそういうことか、と何やら得心しながら菅波がまた小倉トーストをかじって咀嚼していると、何やら百音が首をかしげている。ひと切れを口中に納め切った菅波が、頬を膨らませてもぐもぐとしなが顔をあげて、やっと百音のその様子に気づく。菅波がどうしました?と目で聞くと、口を尖らせた百音がぼそりという。

    「同じと言ってしまっていいのかなって」
    「へ?」
    「あんぱんと小倉トースト。確かに、パンであんこだけど、あんこが上か中か以外にもそれぞれの特徴があるんだと思います」

    何やら真摯に頷く百音に、まぁ、そりゃ、それぞれに作り手の工夫もあるでしょうし、自分も完全一致だと言いたいわけではなく、ただ、パンとあんこという組み合わせがすでに馴染みのあるものだったと言いたかっただけで…と菅波は思いながら、まだ口中にものがあってまとまった言葉が発せない。

    菅波が飲み下そうとしているうちに、じゃあ、先生、食べ終わったらキッチンに運んどいてください、と百音は森林組合に踵を返していく。まだ口を動かしながら、なにか気分を害してしまっただろうか…と椅子に座ったままの菅波はその後ろ姿を見送るしかない。ひとまずこれを食べきって、残務整理したら勉強会だから、そこで話をするか、と菅波はもう一切れの小倉トーストに手を付けた。

    その後、残務整理が少し押して勉強会に遅れて椎の実に顔を出した菅波が見たのは、百音がホワイトボードにまとめた、『あんぱんと小倉トーストのそれぞれの歴史と、パンの製法の違い』である。

    え、あの後調べてまとめたんですか、という菅波に、百音は、やっぱり違うものだと思ったので!と力強くうなずく。じゃあ、説明しますね、と腕まくりの百音に、これは止めたところで、気象の勉強に身が入らないことだ、と、定位置に座った菅波は、百音のあんぱんと小倉トーストについての違いの発表を聞く体勢になる。

    結局その日は、百音の発表に15分、それを聞いた菅波が百音に思わず質問して二人でスマホで調べ物をしてしまう時間に15分を費やしてしまう。あんぱんと小倉トーストには二人ともとても詳しくなったが、その日勉強するつもりだったエマグラムについては、百音が『乾燥断熱減率』を理解するにとどまり、『湿潤断熱減率』はタイムアップになって、菅波はスケジュールの見直しを迫られることになったのだった。


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    2023/09/10 22:58:01

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