光太朗少年御手柄記「こうちゃん、小さいときに図鑑の間違い見つけて新聞に載ったことあったね」
菅波の叔父が突然そんなことを言い出し、雑煮に口を着けていた菅波は、危うくそれを吹き出すところだった。隣の百音が慌てて祝箸を置き、ハンカチを差し出すと、菅波は大丈夫、と仕草だけで応え、チノパンから自分のハンカチをひっぱりだして口許を拭った。
4月からノルウェーに渡航するという年の正月。隣国のスウェーデンにバイオプラント技術者として駐在していた菅波の叔父が帰国の挨拶を兼ねて菅波の実家に来るというので、一関の二人にも声がかかったのだった。三が日を過ぎた次の週末に菅波の実家を訪い、遅ればせながらとふるまわれた雑煮に和やかに舌鼓を打っていたところに、親族あるあるな唐突な思い出話が飛び出したのである。
「ああ、ありましたねぇ」
「大人たちも半信半疑でねぇ」
菅波の両親が相槌を打つのに、もう、その話いいでしょう、と早速に菅波はチベスナ顔である。百音はと言えば、菅波がチベスナっていることを分かりつつも、話題に乗らないのも失礼だし、そもそも、その話は是非掘り下げて聞きたいところであり、菅波のチベスナをスルーして会話に混ざる。
「それはもちろん、サメの図鑑ですか?」
「ちょ、百音さん、もう、いいから…」
菅波が止めようとするも、多勢に無勢。菅波の叔父が、もちろんです、と話を続け、菅波は我関せずという顔で、改めて雑煮椀を取り上げて口をつけて逃げに入る。
「サメの図鑑で、ホホジロザメだと書いてある写真がメジロザメだって、言い出したんですよ」
「何歳の時ですか?」
「小学校に上がる前だったかな」
「5歳の時ですね。年長さんでした」
菅波の叔父と母の話に、百音はすごいですねぇ!と目をきらきらさせて話を聞いていて、あぁ、この百音さんはとてもかわいいけど、でももう今更三十年以上前の話しなくていいから…と菅波はこの手の集まりの子供ポジションの人間にありがちな奇妙な居心地に尻の座りが悪い。
「他のサメの図鑑も持ってきて、ほらお父さん、メジロザメでしょ?って言うんだけど、私にも分からなくて」
「それで、出版社にお手紙書くんだ、って言ってね。頑張って自分で書いてましたよ」
「その手紙のコピーがありますよ」
「え!見たいです!」
なるよね、当時の証跡があるよって言いだして、それを百音さんが見たいって、なるよね、と菅波は遠い目をしている。そして、菅波がそうなることも両親や叔父にはいつものことで、父親が書斎から早速、何やらファイルと図鑑を2冊持ってくる。実家っていうのはコレだから…という顔をしている菅波も、亀島の永浦家に行けば、耕治が嬉々として出してくる百音の昔の写真やビデオを一緒に見ているわけで、人のことはとやかく言えないものである。
菅波の父がまず百音に見せたのが、当時の光太朗少年が出版社に向けて書いたお手紙のコピーである。幼い字だが、丁寧に書いているのが分かる。
『すごいサメのずかんのかかりのかた へ
こんにちは。ぼくは、すがなみこうたろうです。サメがだいすきです。
すごいサメのずかんを、まいにちよんでいます。
ずかんで、サメのことをたくさんしることができてたのしいです。
とくに、サメのでんじかんちのおはなしがおもしろいです。
ひとつ、きづいたことがあるので、おしらせします。
79ぺーじに、ホホジロザメについてのおはなしのところです。
ホホジロザメのおはなしのところにあるしゃしんは
メジロザメだとおもいます。
なぜなら、からだのよこにはんてんがあって、おびれもほそながいからです。
ジロザメかなともおもいましたが、あおいろがこいので、やっぱり
メジロザメだとおもいます。
まちがっていたら、ごめんなさい。
もし、やっぱりホホジロザメだったら、ぼくの、めずらしいサメリストにいれたいので
おしえてください。
すがなみ こうたろう』
サメ模様の便箋に一生懸命丁寧に書かれたほほえましい手紙のコピーを、百音が慈しむように読む様子を、当の菅波はもじもじと膝に手を置いてじっと見ている。9の字が鏡文字になっているのも、背伸びした文章を書こうとしている中の年相応さが見えるようでかわいらしく、手紙を読み終えた百音は、笑顔で隣の菅波を見上げた。
「とっても素敵なお手紙ですね!」
その笑顔に、菅波ははにかむしかなく、そんな様子の二人を年長者三人はほほえましく見守っている。
「そうしたらこの返事が来たんですよ」
と菅波の母親が見せるのは、A4の用紙である。出版社の担当者から、手紙をくれたことへの礼と、確かめた結果、確かに指摘の写真がメジロザメである事を確認し、次に図鑑を新しくするときには写真を入れ替えることを約束するものだった。末尾には、『しょうらい、サメはかせになれるように、これからもたくさんべんきょうしてください』と励ましが添えられている。
「りっぱな『サメ博士』になってて、出版社の人もうれしいでしょうね」
「サメの学位は持ってませんよ」
「いえいえ、せ…光太朗さんは立派にサメ博士ですよ。いつも、サメのこと、とっても分かりやすく教えてくれます」
「それは百音さんがよく話をきてくれるから、なだけですよ」
「光太朗さんの教え方が面白くなかったら聞いてません」
百音と菅波が、息をするようにナチュラルに二人の世界に入っているなか、それはそれで、というように菅波の父親が、それがこの図鑑ですよ、と、それぞれに付箋がついた2冊の図鑑を百音の前に置いた。同じタイトルで表紙違いのそれはどうやら版が異なるようだった。観念したように菅波がその中の片方を手に取って、付箋のページを開くと、見開きのページの右上のミニコーナーを指さした。
『ホホジロザメは怖いサメ?』
というポップアップに、サメの写真と、ホホジロザメの一般的なイメージに対する誤解ポイントが短い文章でまとめられている。
「あ、確かに言われてみればメジロザメですね」
菅波が指さした箇所を見て、百音がフムフムと頷き、それで、改訂された版がこれです、と菅波がもう一冊の図鑑を開くと、ほぼ同じレイアウトの見開き。ポップアップのコーナーも同じだが、中のサメの写真が異なっている。ね、ホホジロザメに差し変わってるでしょ、という菅波に、確かに、と百音が相槌を打つ。百音さんへの光太朗君のサメ薫陶が過ぎる、と叔父は笑いをかみ殺し、もう、すっかり百音さんも光太朗さんのサメ好きに慣れてくれて、ほんとありがたい話、と両親は顔を見合わせる。
「まぁ、得てして先入観のない子供の方が気づくこともあった、という話です」
と図鑑を閉じながら話も畳もうと菅波がまとめたところで、そうはさせじ、というように母親が百音にクリアファイルを差し出した。それを見た菅波が盛大にチベスナ顔になるのをみて、百音は、これは見逃してはいけないものだ、と身を乗り出す。透明なクリアファイルに挟まれているのは、古い新聞の切り抜きである。
両手で体の前に図鑑を持って生真面目な顔で直立不動で写っている少年は、もちろん幼いころの菅波で、『ちいさなサメ博士 図鑑のサメの間違いを発見』という見出し。どうやら、新聞の地方欄で取材されたもののようだ。かーわーいーいー!と百音が歓声をあげるもので、菅波も無下に取り上げることができない。
30年以上も前の記憶もおぼろげな自分の写真と記事を、目の前で9歳も年下の配偶者にさらされるという事態に、菅波は右手で口許を覆って、できる限り気配を殺そうとしていて、その様子がまた両親にはおかしい。
「大きくなったらサメの研究者になりたいですか?という問いに、『まだ分からないです。いろんなことをべんきょうして、なにになりたいか、ちゃんと決めたいです。でも、サメはずっと好きだと思います』と答えてくれた光太朗君。きっとサメが光太朗君のよき学びのパートナーになってくれるだろう、ですって」
いや、なんで音読しますか…と突っ込む気力もない菅波は、百音が記事の末尾を読み上げるのに耳を赤くする。
「光太朗さんは昔から、光太朗さんなんですねぇ~」
としみじみ言う百音が、しみじみ嬉しそうなもので、菅波ももじもじするしかないし、菅波の両親と叔父は、菅波がこんなに恵まれた配偶者を得ていることに喜びしかなく。
「そういえば、百音さん。昔、光太朗君が、確か小学校2年生の時にね…」
叔父が別の話を開陳しはじめ、菅波が慌てるが、聞きたい百音に懐かしがる両親の前には多勢に無勢。今日はスウェーデンの話を聞きに来たのでは…?!と心中で叫ぶ菅波をよそに、いかにも正月の親戚の集まり、といった思い出話に花が咲く時間はもうしばらく続くのだった。