An orbital period【An orbial period】
「誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
夕方にかかってきた電話に出た百音は、開口一番の菅波のシンプルな言葉に、先生らしいなぁ、と思いながら、笑ってその言葉を受け取った。昨年の夏に婚姻届けを提出してから2度目の百音の誕生日。百音が気仙沼を、菅波が東京を離れられないタイミングで、会ってお祝いするのはまた日を改めてというのも、むしろ今までの二人にとっては通常運転である。
「先生も、もうおうちですか?」
「うん。中村先生に病棟から蹴りだされた」
「蹴りだされたって」
菅波の言い分に百音がくすくすと笑い、それを菅波が楽しむ気配が電話口からこぼれる。百音も気仙沼本土に構えた一人(といっぴき)暮らしの家に帰宅していて、電話をするに気兼ねなく。部屋着に着替えた百音は、リビングの椅子に座ってスマホをスピーカモードにしている。百音の前には、菅波から届いていたプレゼントの箱があった。
「先生からのプレゼント、届いてます」
「うん」
「実は、まだ開けてなくて」
「そうなの?」
「電話しながら開けたいなと思って」
百音の言葉に、菅波がはにかむ。
「気に入ってもらえるかどうか、緊張するなぁ」
「光太朗さんからのプレゼント、どれも好きですよ」
「ありがと」
話しながら百音がラッピングをほどく音が菅波の耳元にも届く。菅波も部屋着に着替えていて、リビングの椅子に座ってテーブルに肘をついて電話をしているのは、気仙沼の百音とほぼ同じ格好で、そうなっていることを二人は知ってか知らずか。しばし紙とビニールがこすれる音を聞いている菅波は、多少の緊張感を持って百音の言葉を待つ。
「わぁ!スカーフ!」
百音の華やいだ声に、菅波は少しほっとして、大きな左手で自分の顔をつるりと撫でた。
「この間東京で、どこかのお店の前通った時に話してたでしょう。スーツの時のスカーフ探さなきゃなぁ、って」
「覚えててくれたんですね」
菅波の言葉に百音がほほ笑む。毎日スーツを着る様な仕事ではないが、折々にスーツないしはジャケット着用がふさわしいような場面が増えて、ワンパターンにならないコーディネートを明日美に相談したところ、スカーフの利用を勧められていたのだった。それから、スカーフを何となく探していたものの、これと言って買おうというものに出会わず、買わずじまいになっていたのである。
百音がスカーフを取り出して広げると、大判のそれには星や天体それに何やら曲線が優美にデザインされていて、深い青から柔らかな黄金色にグラデーションする地の色も美しいものだった。
「わぁ!すごくきれい!うれしいです!」
百音の華やいだ声に、電話口の菅波は明らかにほっとした息をはき、先生、緊張しすぎ、と百音が笑う。
「店の人にあれこれ相談はしましたが、最終的にこれ、と決めるのはやはり自分なので…」
「買い物に関して先生はほんとに自分のことを信用してませんよね」
くすくすと笑う百音に、菅波は、『百音がすっかり菅波のことを知っている』という口調がかわいくてたまらない。
「あなたが一緒に買い物してくれるようになってからは、もう、あなたを頼る、って自分の中で決めてしまっているフシがあります」
菅波が開き直ってみせると、それで、私へのプレゼントは緊張しちゃう、と、と百音がまた楽しそうで、楽しそうなことがうれしい。
「これ、折り方で色んな印象になりそうだから、すーちゃんが言ってたアレンジにものすごく使えそうです」
「ああ、店の人も言ってました、それ。実演してもらってやっと理解できた程度だけど」
「すーちゃんに教えてもらった動画サイトで私も勉強してみます」
あれこれ試してみるのが楽しみ、という百音の様子を、菅波も電話越しに楽しむ。
「星の柄なの、なんだか去年の天文台誕生日デート思い出します」
「うん」
去年の百音の誕生日は婚姻届けをだしたての秋で、同僚のはからいで5年ぶりに当日の誕生日を一緒に過ごし、仙台で天文台に行っている。2年半の会えなかった時間を経て、一緒に過ごした天文台デートは思い出深く、天文台の望遠鏡で観測した青と黄の二重星のアルビレオの美しさは二人の心に残り続けている。
「そのスカーフにアルビレオもあしらわれているらしいです」
「ほんとに?…あ、この青色と黄色の星かな。サファイアとトパーズのふたつ星、9月生まれだからうれしい」
「うん、それもいいな、と思った理由のひとつ」
「ひとつ、ってことは、他にも理由が?」
百音が首をかしげると、菅波が頷いた気配がする。
「百音さん、28歳になったでしょ」
「うん」
「僕も最近知ったのだけど、28歳って必ず生まれた時と同じ曜日なんだって」
「あ、日曜日」
「うん。だからどう、ということもないのだけど、去年一緒に天文台に行ったし、時間の巡りにつながるような柄がいいかなと思って」
「あぁ、それでこの天体の軌道の」
百音がそっと指でスカーフの上の繊細な線をなぞり、『一緒に』過ごしてきた時間に思いを馳せる。菅波も、百音のその静かな気配に、口許を緩めて耳元の電話に寄り添った。
「ありがとうございます。大事に使います」
「うん。百音さんの仕事の役に立てばうれしい」
「たちます、立ちます。先生が見立ててくれたスカーフと仕事できたら百人力です」
よかった、と菅波が笑う声に、百音も笑って、うん、と返す。
「それにしても、28歳は必ず、って不思議ですね」
「ちょっと考えて気づいたんだけど、1週間は7日あって、365日の平年と366日の閏年があるでしょ。4年で曜日が5個ずれるから、元に戻るには4と7の最小公倍数である28だ、ってだけと言えばだけなんだよね」
プレゼントのコンセプトのひとつに百音が言及したところで、情緒もへったくれもない菅波の言葉が返ってきて、もう、先生ほんとそーゆーとこ、と百音は笑わざるを得ない。
「先生、言い方」
「ごめん」
菅波も笑って、百音の諫言を受け止める。
「でも、やっぱり、同じ曜日、ってなんだか記念的だなと思って」
「だったら言わなきゃいいのに」
「つい、ね」
「まぁ、だからこそ先生、ですけど」
「ほめられてる?」
「多分」
くつくつと二人で笑い合う頃には、百音の歳が登米夢想で二人が出会った時の菅波の歳に追いついた日の夕暮れは静かに夜空へとその様子を変えているのだった。