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    先生の右手が疲れた日のお話テーブルの上に置いた菅波のスマートフォンが短く振動して何かの着信を告げる。向かいに座った百音に、ちょっとごめんね、と言いながらその着信を確認した菅波が、ふむ、と考えこむ顔になった。何やら悩む様子に、マグを両手で持った百音が、どうしました?と小首をかしげると、菅波はうん、と口を開いた。

    「明日、インフルエンザワクチンの職域接種に行く予定だった先生が、子供からノロウイルスもらっちゃって出勤できなくなったから助っ人に来てくれないか、という相談でした」
    「それは大変ですね。ノロウイルスってすごくしんどいって」
    「ですね。家庭内感染の対策を徹底するのも難しいですし」
    「会社の人から大変だった話聞いたことがあります」

    うん、と百音の話に頷きつつ、菅波の思案顔がそのままで、百音は菅波の次の話を待つ。菅波も、百音が待っていることを分かっていて、少しの間を置いて口を開いた。

    「で、行ってきていいでしょうか。明日、せっかく休みがそろう日で永浦さんがこっちに来てくれているのに」
    「もちろんです。明日の事で先方もお困りでしょうし」
    むしろ、自分がいることで菅波の判断が鈍ったことが申し訳ない、と百音が言うので、いえ、それは違います、と、それはキッパリと言い切った菅波が、ありがとうございます、と頭をさげた。

    「多分、15時ぐらいには帰ってこれると思います」
    「分かりました。じゃあ、私は明日、図書館に行こうかな」
    「図書館?」
    「はい。最近、河川の災害史をきちんと知りたいなと思って、東京の荒川とか隅田川を調べてたんです。で、北上川と鳴瀬川もたびたびの水害を起こしてるのを思い出して、機会を作りたいって思ってたんです。郷土史の事ならやっぱり土地の図書館かなと思って」
    「なるほど」

    時間を作って会いに来てくれているのに、という思いは菅波にももちろんあるが、とはいえ代替できる人間が限られる仕事で助力を求められて断ることもできず。一緒に過ごせないのは残念だが、すぐに切り替えて見せる様子に、菅波は改めて、百音の菅波の仕事への理解に頭が下がる。

    「そうしたら、朝、僕が出る時に永浦さんを図書館に送っていきますよ。方向が同じだ」
    「そうなんですか?」
    「ええ。あの最近拡張した工業団地知ってるでしょ?あそこなんです」
    「あ、なるほど」

    という算段がついて、翌朝。百音は図書館へ郷土史を調査に、菅波は工業団地にインフルエンザワクチン集団接種に向かったのだった。開館と同時に入館した百音は、図書館司書にこまごま相談して閉架の資料も順次目を通し、ノートに書付をし、と、夢中で時間を過ごし、気づけば昼時を逃している。14時を過ぎた時計の盤面に、一度外に出るか、という考えもよぎるが、借り出している閉架の本でまだ気になる箇所もある。先生、15時ぐらいに終わるって言ってたし、キリのいいとこまでやっちゃおう、と百音が心の中で改めて腕まくりをしたところでバッグの中でスマホが振動する。

    そっと画面を見れば菅波からで、予定より早く終わったのでこれからこちらに向かうという。わかりました、と簡潔に返事を送って、じゃあそれまでに平成27年豪雨の鳴瀬川出水地域の避難記には目を通しきりたい、と、百音はまた目の前のローカル紙の縮刷版に向き合った。30分ほどして、百音の使っている机の向かい側の席に人が座る気配がする。もしかして、と顔をあげると、そこには柔らかな笑顔の菅波の姿が。

    - せんせい、ごめんなさい、あとこれだけ読んでいい?
    - もちろん。全然急ぎません

    小声で短い会話を交わし、百音は残った縮刷版半ページに戻る。その様子をあたたかく見守りつつ、菅波は百音の前に積まれたハードカバーの1冊を手に取り、目次をざっと眺めてみるのだった。

    - お待たせしました
    縮刷版の分厚い冊子をよいしょと閉じた百音が菅波に声をかけ、菅波も手元の本から顔をあげた。

    - もう大丈夫?僕は構わないけど
    - うん、区切りは着いたので

    百音のきっぱりした返事に、菅波も頷く。机の上の本や縮刷版の冊子をまとめ出す百音に、菅波が手にしていた本を指さした。
    - これ、返却する?
    - はい。一通りは目を通したので
    - じゃあ、これは僕が借りることにします

    百音がまとめた本や縮刷版の冊子を自分の方に引き寄せた菅波は、その本を一番上に置いて持ちあげた。百音が慌ててノートや筆記具をバッグにしまって立ち上がる。

    - 新聞は閉架なんです
    - りょうかい

    菅波は、借りるといった本以外を返却棚に置いて、足をカウンターに向ける。百音もバッグを肩にかけて菅波に並んで歩く。縮刷版の返却と貸し出しの手続きを手早く済ませ、借り出した本を左手に持った菅波が、すかさず百音と右手を繋ぐので、百音の頬はうっすらと朱に染まり。

    図書館の外に出たところで、百音が菅波を見上げてにこりと笑う。
    「せんせい、お迎えありがとうございます。お仕事お疲れさまでした」
    「百音さんも、調べ物お疲れさまでした。はかどった?」
    「司書さんが郷土史に詳しい方でとっても助けてもらいました」
    「さすがプロの仕事でしたね」

    うんうん、と百音が頷いたところで、百音のおなかが、かすかな、しかし確かに空腹を訴える音を立てた。その音を聞き逃さなかった菅波が百音の顔をのぞきこむと、百音は頬の朱をさらに深めた。

    「お昼食べそびれました?」
    「はい。一回本を返すのもおっくうで」
    「分かります。実は僕も食べそびれてて」

    ぶらりと駐車場を歩きながら、じゃあどこかで食べていきます?という話をしていると菅波の車にたどり着く。何食べたいですかねぇ、と言いながら車を出すと、少し走ったところでドライブスルー併設のファストフードの看板が見えた。

    「先生、ドライブスルーって使ったことあります?」
    「たまに使いますよ。車降りなくて便利だし」
    「私、ないです、使ったこと」
    「じゃあ、いってみますか」

    百音の諾の仕草を受けて、菅波がウインカーを出す。注文レーンに入ると、前に2台並んでいて、車社会ならではですかね、と百音が前の車の注文の様子を首を伸ばしている。そこのマイクスピーカーに注文を伝えるんですよ、と菅波が教え、ふむふむ、と百音が頷く。何がいいですかねぇ、と話しながらゆるりと車を進めて掲出されたメニューとにらめっこして、結局、腹ペコな二人はハンバーガーのセットにさらにアップルパイも。注文した先の受取口で温かい袋を菅波経由で受け取った助手席の百音はその香りに、途端にお腹がすきますね、と笑い、全くだ、早く帰りましょう、と菅波も笑った。

    帰宅した百音と菅波は、手洗いうがいのち、さっそく食べましょうとダイニングテーブルに座った。買ってきたものをひろげて、二人そろって手を合わせて。
    「いただきます」
    「いただきます」

    両手でハンバーガーを持ってかぶりつくと、疲れた体に油分と塩分が染みる。なんか普段よりうまい気がする、と菅波が笑い、一緒に食べてるからですよ、きっと、と百音が頷く。しばしもくもくとハンバーガーを食べ、ポテトをつまみ。お腹が人心地ついたところで、アップルパイをかじると、程よく冷めたフィリングの甘さがまたうれしい。

    「これ食べたのいつぶりかなってぐらい久しぶり」
    子供の頃は気仙沼にもお店があったんですけど、という百音の言葉に、そうなんですね、と菅波があいづちを打つ。アップルパイをかじりかじり、お互いの今日の話をぽつりぽつりと。そういえば先生、あの本借りてたのはどうして?という問いには、最近、訪問診療の地域が増えたんですが、色々土地の事が知れそうだなと思って、とその土地で年齢を重ねた人を診る姿勢を大切にする答えが返ってきて、菅波の登米での奮戦に百音も励まされる。

    百音が嬉しそうな様子に、菅波は鼻先をこすりつつ、それも永浦さんが図書館で郷土史を調べてたからです、と照れる。
    「急な出勤で永浦さんには申し訳なかったけど、時間を有効活用してもらえてよかった」
    菅波がそういうと、そりゃ、先生のお仕事は大切ですから、と百音が首を縦に振る。
    「先生の今日のお仕事はどうだったんですか?」

    言えないことも多いでしょうけど、と慮りつつ聞く百音に、まぁ、大したこともないですよ、と菅波が笑う。
    「ひたすら問診して注射するだけですからね。ただただ右手が疲れた」
    ぷらぷらと右手を振ってみせ、その様子に百音もくすりと笑う。
    「今日は工業団地に入っている会社数社が共同で集団接種を実施したもので、比較的若い方が多かったので、流れもスムーズでしたしね」
    「若めの人が多いとスムーズなんですか?」
    「脱ぎ着が素早いですからね。無駄話もないし」
    「予防接種で無駄話あります?」

    それがあるんですよ、と、菅波が例に出すのが登米夢想での職域接種で、あぁ、と百音が笑う。ウェザーエキスパーツ社の職域接種の雰囲気で考えてしまっている自分に、私もその一員だったのにな、と一抹の寂しさと面白さと。

    「天気の話に飼牛の健康相談に晩ご飯のおかずの予定の報告までありますからね」
    「予防接種なのに」
    「なのに、ねぇ」

    これがもうちょっと時期が遅くなると、もう高齢者の方はたまねぎですよ、たまねぎ。たくさん着こんでるから、接種しようにも、脱いでも脱いでも服で。菅波のたとえ文句に、たまねぎって、と百音がころころ笑い、その様子に菅波が目を細める。

    アップルパイも食べ終わって、ゴミを始末した二人は、さて、今日の残り時間は何しましょうかね、とダイニングテーブルの上で手を繋いでのんびりと食後の時間を過ごすのだった。
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    2024/02/16 2:31:35

    先生の右手が疲れた日のお話

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