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    しおり
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    しおり
    私の好きな刀 多分、待っていたら一生言ってくれないと思ったので自分から口にした。勿論勇気が必要だった。
    「水心子が好きだよ」
     水心子はびくりと肩を震わせて、おろおろと視線だけ左右に動かす。どんな顔をしているのかは服の襟で口元が隠れていたせいでよくわからなかった。ただ二度三度睫毛を震わせた後に、顔をこちらに向けて答える。
    「我が、主が、私を選んでくれるというのなら。私もこの誇りにかけて、応えよう」
     そんな仰々しい言い方をしなくても。思わずふふと少し笑えば、水心子は再びびくっとしてどこか焦ったように言う。
    「な、にかおかしなことを言っただろうか」
    「ふふ、ううん、何でもない、嬉しかっただけ」
     安堵したのもあって、私はしばらく笑いが止まらなかった。それに水心子はややぽかんとしたようだったけれど、咳ばらいを一度だけしてふいと余所を向いて呟く。耳が赤かった。
    「……嬉しいなら、構わないんだ」
     その晩はとても綺麗な月夜だったのを覚えている。



     私の好きな刀は、真面目で、かつ色々気負いがちなようでなかなか素を見せてくれない、水心子正秀という新々刀の祖である。打刀の中でも一見すればかなり年若く見える青年の容姿で、本刃もそれはかなり気にしているらしく余計にかなり頑張って「新々刀の祖」をしている。
     それが私には微笑ましくも、また好ましくも思えるけれど本刃にはかなり重要な問題のようだ。
    「水心子? 部屋にいると思うけど」
     近侍の水心子に用があって探していたとき、廊下で行き会った清麿に尋ねれば清麿は首を傾げてそう教えてくれた。手にはお盆とお菓子を持っている。
    「そう? ちょっと見当たらなくて」
    「用だった? 丁度僕も時間ができたから休憩がてらお茶にしようと思ってて。主も来る?」
    「本当? じゃあせっかくだからご一緒させてもらおうかな」
    「うん、水心子も喜ぶからね」
    じゃあ持つねとお盆に手を伸ばせば、清麿は平気とそのまま進む。しかし私は数歩歩いてから、反射で返事をしたもののこれはまずかったかもしれないと気づいた。水心子は私が部屋に行くことを知らないのだ。どうしよう、清麿に先に行って伝えてもらった方がと思ったが既に清麿は襖を開けている。
     少しだけ中を覗き込むと、二つ折りにした座布団を枕にしてゴロンと横になっている背中が見える。あの、と清麿の服の裾を引いたが時すでに遅し。
    「水心子、お菓子を持ってきたよ」
    「……え、もうそんな時間だっけ。主が僕のこと探してるかも」
    「主なら一緒に来てるから大丈夫だよ」
    「えっ」
     ガバっと起き上がった水心子が目を丸くしてこちらを見た。私は曖昧に笑って手を振っておく。
    「水心子を探してたんだけど、そこで清麿に会って、おやつに誘ってもらったから」
    「な、んっ、す、すまなかった、私の方から向かえばよかったのだがっ」
     ああ、祖モードに入ってしまった。そうだと思ったので、できれば清麿に事前に水心子に伝えてあげてと言いたかったのだが、私も気づくのが遅かった。まあそれは、水心子が寛いだりしているのをこちらがさほど気にしていなかったからなのだが……。
     清麿は何でもない風でお盆をちゃぶ台の上に置くと、お湯を沸かすらしいポットを手に取る。中身は空だったようで、あれと蓋を開けて中を覗き込んだ。
    「水心子、湯飲みを主の分もだから、三つ出してくれる? 僕水を汲んでくるよ」
    「あ、ああ……」
    「ごめんね主、少し待ってて」
    「平気、準備させちゃってごめんね、ありがとう」
     清麿が出て行ったので、水心子はそろそろと動いて戸棚を開いた。湯呑を三つと、急須を取り出す。茶葉の在処は私も知っていたので、取り出している分だけ測った。
    「私の前でくらいもう寛いでくれていいのになあ」
     ぼそっと呟いて急須の中に茶葉を入れる。蓋を開けてくれた水心子はびくっと肩を揺らした。
    「そ、そう言うわけにはいかない、我が主」
    「今更そんなに気にしなくていいのになあ」
    「私が気にするんだ。か、貸してくれ。お茶は私が用意するから」
     とはいってもあとはお湯を入れるだけだと思う。けれど水心子はひょいと急須を取り上げ……やはりやることがなく硬直した。私はついそれにふふふと笑ってしまう。
     水心子はいつもこうなのだ。何が悪いだとか、それが嫌だとかではない。ただ「新々刀の祖として在るべき姿を保たねばならぬ」という意識がものすごく強いようで、一人でいるときか、よくて清麿の前でなければ気を抜いたりしない。一応「恋人」の私の前でも、そうそう素は見せてくれることはない。
     私はそれなりに早い段階で水心子が本当は一人称が「僕」で、肩の力を抜いてぼーっとしているときはややゆるゆるとしていることを知った。けれどそれで水心子にがっかりすることなんてなかったし、最初は厳しい性格の刀なのかと思っていたのでむしろ親近感が湧いたくらいだった。スイッチを常にオンにしているのは疲れるだろう。誰にだってオフモードはある。それだけのことだと思う。
    「それでもきちんとしていたいんだろうね。君が気を抜いていていいよって口に出して水心子に言ってくれるのはありがたいよ」
    「でも疲れないのかな、いつもいつもちゃんとしてなきゃって思うの」
     お茶とお菓子を食べてしまうと、水心子はそそくさと「本丸内の見回りに行ってくるから」と部屋を出て行った。私は清麿と並んで厨に立ちながら、使った湯飲みと急須を洗っている。
    「疲れるって思うことも、いけないと思ってるんだと思うよ」
     湯呑を水ですすぎながら清麿が言う。私の手からもお菓子を載せていたお皿を取った。
    「そうしていて当たり前だから、疲れたり、もう嫌だって思ったりすることはいけないことなんだ。水心子には当然のことだから」
    「……ずっと頑張ってるんだね」
     私がそう言えば、清麿はにっこりと笑う。
    「ね。水心子はすごいやつなんだ」
     清麿が嬉しそうだったので、私も同じように笑って洗い終わった皿や湯呑を拭いた。いつも清麿が水心子をそう褒める気持ちがわかる。
     ただ、少しも気がかりがないと言えば嘘になってしまうけれど。
    「……でもやっぱり、ずっと頑張ってるのって大変なんじゃないかな」
     私がそう言えば、清麿はうーんと優しい瞳を伏せながら拭いたお皿を手に取った。戸棚に仕舞ってくれるのだろう。
    「水心子はそう思っていないと思うけど」
    「うん、ごめん、それが悪いって言ってるわけじゃないの。ただ私ならばてちゃうから、心配だなあと思って」
     努力し続けることは、素晴らしいことだ。それだけの高い志があることも、折れない心を持つことも。そのために自分を叱咤し続けなければならないのだ。立派なことだと思う。並大抵のことではない。
     けれど、それでもやはり傍から見ている分にはとても心配だ。
    「……うん、そうだね」
     清麿は静かに言うと、私に綺麗になった湯呑を差し出した。ポンと丸いそれを清麿は私の手のひらに載せる。
    「それじゃあ、主が水心子の息抜きをしてあげられないかな」
    「え、私が?」
    「うん。たぶん僕より、主の方が適任のような気がするんだ」
     そんなことあるだろうか。当然ながら私は清麿ほど水心子と付き合いがあるわけではなく、水心子のことを理解できているわけではない。
    「でも、水心子のことを大事に思ってくれているよね」
    「そりゃあ、そう、だけど……清麿もそうでしょう?」
    「もちろん。でも僕は、どうしても水心子のことを応援してしまうから。君には僕と役割を分担してほしい。僕は親友として水心子のことを応援する、君は主として、恋人として水心子のことを休ませるっていう風に」
     なるほど、それは理に適っている。私は少し納得した。清麿と水心子は戦場に共に立つ仲間であり、旧来の親友なのだ。それなら私には理解しがたい刀としての分野は清麿に任せて、私生活に近い方を私がということだろう。
     自分の役割が明確になると、これまでどうしたらいいかわからないと思っていたことが不思議となんだかやれそうな気がしてきて、私の気持ちは自然と前を向いた。具体的なことはこれから考えなくてはならないが、方針が決まると少し展望が開けたような気がしてくる。
    「やれそうかな」
    「う、ん、頑張ってみるよ。ありがとう清麿」
    「ううん、僕の方こそ。よろしくね」
     片手で湯呑を握ったまま、もう片方の手で清麿と握手する。清麿の手はほっそりとしているけれどやはり刀剣男士の手だった。
    「主、見回りが終わった。特に変わったところはなかった」
    「あ、ありがとう水心子」
    「丁度片付けも終わったところだよ」
     私と清麿が握手をしたまま笑顔で振り返ったのを見て、水心子はややきょとんとして首を傾げる。さて明日からどうしようと私は考えた。



     とにもかくにも、水心子に定期的に息抜きをさせればいいのである。こういうことはシンプルに考えるのがいい。
     私は顔を上げて、執務室の壁に掛けられている時計を見た。作業を始めてから大体二時間くらい経っている。ちらりと隣を見れば、水心子は先ほどからずっと悩みながら本丸増築のカタログを捲っていた。
    「水心子」
    「うー、ん」
    「水心子」
    「ん、んっ? なに、んっ、いや、なんだ、主」
     ややびくっとしてから水心子がこちらを見る。相当真剣に考えていたらしい。近頃、刀剣男士共用の浴場が狭くなってきたと各方面から聞いていて、増築しようと相談していたのだが、水心子がどういう風にするか先に草案を自分で考えると言っていたのだ。それで今日もカタログとにらめっこしているのだろう。
    「ううん、大体二時間くらい作業してるから、休憩にしよう」
    「わ、私は平気だ。まだ二時間くらいだし」
    「まあまあそう言わず、普段から全然水心子は休憩とかしないんだし。付箋挟んでおくね」
     水心子が開いていた頁の上の方に付箋を貼って、私は半強制的にカタログを閉じた。なんならカタログなんて一緒に見てもいいのだけれど、水心子自身が「私がまとめる」と自分で言っていたことだと、私はそれを端に寄せるだけにした。かなり強引なのはわかっている、気を悪くしていないといいけれど。
     普段あまり休憩をする習慣のない水心子は手を中途半端に宙に持ち上げながら、おろ……と手持ち無沙汰にきょろきょろする。今は仕事中で祖モードだから、なかなか気が抜けないのだろう。
    「一人で休むのも味気ないから、ちょっとだけ付き合ってほしいな」
     念押しで私が言えば、水心子は観念したのか両手を下げる。それでも正座した膝の上にそれを置いたので、かなりかしこまった姿勢ではあった。
    「……う、まあ、貴方がそう言うなら」
    「うん、お茶出すね」
     ホッと安堵して私が腰を浮かせると、水心子は慌てた様子でサッと立ち上がった。着ている重たそうな外套が揺れた。
    「あっ、待って、ぼ、いや、私が用意する!」
    「え? お茶セット執務室にあるよ」
    「わ、わかっている。主はお湯だけ沸かしてくれ!」
     水心子は焦った調子で言うと、足早に執務室を出て行ってしまった。そうは言っても、あの戸棚に急須も湯呑も入っているのに。なんならお湯も、今日は最初から休憩するつもりだったので既に沸かしてポットで保温されている。
     どうしようかと私が考えていると、水心子がもう戻ってきた。お盆の上に木の器と個包装のお菓子が載っている。どうやらそれを取りに行っていたらしい。
    「それどうしたの?」
    「い、いや、部屋にあったのを思い出しただけだから。棚の急須を借りる」
     若干バタバタと忙しなく、水心子が戸棚を開いて急須やら湯呑やらを出す。きちんと糊付けでもされているのか、パリッとした水心子の外套がバサバサとやたら音を立てた。なんだかそれがおかしくて、私はふふと少し笑う。急須に茶葉を入れていた水心子はびくっと肩を震わせた。
    「なっ、何か」
    「ううん、水心子、服の手入れちゃんとしてるんだね」
    「当、たり前だ。新々刀の祖たるもの、身だしなみは整えねば」
     緊張しているのかやや焦った手つきで水心子はお茶を淹れ、湯呑をこちらに差し出す。
    「まだ熱いから、気を付けて」
    「うん、ありがとう」
    「お菓子もあるから」
     ずいと水心子は器をこちらに押し出した。わざわざ何を持って来てくれたのだろうかと覗き込めば、少し前に清麿と三人でお茶を飲んだときに部屋で出してくれたチョコ最中だった。美味しかったのでよく覚えている。
    「これ買い置いてるの?」
    「い、や、この間たまたま、また売っているのを見たから」
     明後日の方を見ながら水心子が言う。万屋や和菓子屋がある辺りには私もたまに出るけれど、見た記憶がない。見たら恐らく買っているはずだ。
    「どこで? 美味しくて好きだったから、私も買いたい」
     包装紙を開けながら尋ねると、水心子はあちらこちらに視線をうろうろとさせ始めた。本丸にいて、お菓子を買える場所なんて限られているはずだが、思い出せないのだろうか。まあ一か所ではないから仕方ない。
    「でも忘れちゃったなら別に」
    「っ通販で、買ったから! 今度また買い貯めておく!」
     勢いに任せて水心子が言った。驚いて思わず私は最中を噛む。サクッと小気味よい音がした。
     通販。確かに刀剣男士にはそれぞれ通信端末を持たせているので、各々が発注して取り寄せることは可能だろう。だが、それは水心子が自発的にこの最中を探して、注文したということに他ならない。
    「……もしかして、この間一緒に食べたから買っておいてくれた?」
     う、と言葉を詰まらせ水心子は高い襟のうちで俯く。そうされると私からはどうしても表情が見づらくなってしまうのだが、それでも水心子が照れているということはわかった。唯一しっかりと見えている耳が真っ赤だった。
    「ありがとう、水心子」
     私が最中を食べつつ言うと、碧の瞳がゆっくりこちらを見た。まだ顔はそっぽを向いたままだったけれど、小さく小さく水心子は呟く。
    「我が主の、好きなものだから。当然だ」
     やはりこれが好きだと気づいていてくれたのだ。嬉しくてふふふとどうしても笑ってしまったので、私は最中の欠片が落ちないように口を押えた。水心子は両手で湯呑を持ちながら、むうと唸る。けれどそれも照れ隠しなのだろう。
    「貴方はすぐ、笑うのだから」
    「うん、嬉しくて」
    「……知ってる」
     ほんの少しだけ、温かく緩んだ声で水心子が言った。僅かに微笑んでいるのが目元だけでもわかる。
     思い返してみれば、私と水心子は恋人同士ではあるものの、今までこうして二人きりで仕事以外の何かをするということは殆どなかった。出掛けたりすることも殆どなく、大抵はこの執務室で一緒に作業をしていたり、よくて清麿を交えて三人で休憩したりなのだ。清麿といると水心子は私と二人のときよりずっとリラックスしてくれるので、私はそれでも嫌ではないのだけれど。
    「たまに一緒に休憩するのも楽しいね」
     私がそう言うと、んんっと一つ咳払いをして水心子が答える。
    「たまにでいい、私は休憩などなくとも」
    「楽しくない?」
    「あ、いや、違う、主と休憩するのが嫌なわけじゃ、おかわり淹れるから待って、一杯茶は験が悪いから」
     まだ残っていたお湯を水心子が急須に注ぐ。三十分くらいでいいかなと思っていたけれど、結局私と水心子は一時間と少し、そうして一緒に過ごした。



    「首尾はどう?」
     泡だらけの洗い桶に手を突っ込み、かちゃかちゃと小さく音を立てながら食器を洗う清麿が言う。もう日が落ちて暫く経っているせいか、厨の窓の外からは山鳩の声が聞こえていた。
    「うーん、どうだろう。最近は一緒に休憩してくれてるけど、あんまり毎日言うのもどうかなあと思って」
     私は私で流したお皿を片付けながら首を傾げた。こうして厨で清麿が食器を洗っているときが、なんとなく私と清麿の作戦会議の時間になっている。
    「ふふ、そうだね。水心子は勘がいいから、急に君がそういう風に言い出したら何かおかしいって思うだろうね」
    「やっぱりそうかな」
     どうして、と水心子に突っ込まれてしまうのは些か具合が悪い気がしていた。休んでほしかったからと言うのは簡単だけれど、なんだか少々説明がしづらい。しかし洗い桶の水を捨てて、手を流しながら清麿は首を振った。
    「でも、いいんじゃないかな。それでもきっと息抜きにはなっているはずだよ。水心子と主と、二人でいる時間はあまりないだろう?」
    「……やっぱり清麿もそう思ってた?」
     私がそう尋ねると、清麿はほんの少しだけ苦笑いしながら食器棚の扉を閉じる。
    「ごめんね。君と水心子は恋人同士なんだし、本当は僕の方から遠慮したほうがいいのはわかっているんだけど。なんとなく、いたほうがいいのかなって気がして」
    「あっ、うん、それはいいの。私も実は、そのほうがいいかなってずっと思ってて」
    「……どうして?」
     厨の椅子を清麿が引いてくれたので、私は大人しくそこに座った。隣の椅子に清麿も腰掛ける。
    「私と二人だと、どうしても水心子は緊張しちゃうから。清麿と一緒のほうがどっちかっていうとのんびりできるだろうし」
    「僕は水心子も君といるのは好きだと思うよ」
    「……それも、わかってるつもりなんだけど」
     水心子は、優しい。だから私が休憩したいと言えば、多少もう少し仕事をしたい気持ちがあったとしてもそうしてくれるだろう。
    「私はそれも、すごく嬉しいけど。でもやっぱり無理させてるような気持ちになるのはなんか自分勝手だなって、ちょっと思って」
     そもそも本当は、いつもなんだか無理をしているような気のする水心子を休ませたかったのだ。それがなんだか、一緒に二人で過ごす時間が楽しいと目的を挿げ替えてしまったような心地になる。
     ……なんだかんだ私は、水心子との時間が欲しいだけなのではないだろうか。心配だとか体のいい理由付けをして、本当は水心子の邪魔をしているのではないだろうか。
    「僕からしてみれば、主も十分頑張っているし、そのくらいは気にしないで二人で休むのがちょうどいいと思うけどね」
     清麿はこちらに体を向けて静かにそう言ったが、私は首を振った。
    「でも、よく考えたら最初から水心子は頑張ろうって自分で決めて努力してるんだし。それを純粋な心配じゃなくて、一緒にいたくてそうさせるのは」
    「……そっか、やっぱり君は水心子と一緒にいたいんだね」
     穏やかな清麿の言葉に、ぎょっとして口を押える。私は今何を言った。
    「そう思うのは、悪いことじゃないんだよ。水心子だって嬉しいと思う」
     落ち着いた調子で清麿はそう言ったけれど、私は首を左右に振る。
    「君は何を、我慢しているの?」
     それは違う。我慢も、無理も努力も、私は何も、できていない。
     初めて水心子正秀という刀に出会ったとき、抱いた印象は「ちょっととっつきにくそうだな」だった。一緒にいた清麿が柔和で親しみやすい風だったから、余計にそう見えたのかもしれない。とにかく厳しく、ちょっとの休みも許してくれないような、そんな堅い言動や行動が苦手だった。
     だから最初、水心子が中傷になって部隊を撤退させるときも判断が悪いと叱られるだろうと思っていた。
     けれど返ってきたのは鋭いしゃんとした声だった。
    「まだやれる!」
     諦めようとしていた私に、水心子ははっきりそう言った。
    「私がいる、まだ終わっていない!」
     痩せ我慢や、変な意地ではない。負傷した自分を自分で叱咤している。
     そのとき私には、他の打刀よりも小柄で若いその背中が一番大きく見えたのだ。
    「頑張ってる、水心子を好きになったの」
     口を押さえていた指の隙間から、ぽつりと呟く。
     ひたむきに自身の務めに励む後姿が眩しかった。誰よりも自分に厳しく、刀の時代の終わりに生まれた新々刀の祖としての「誇り」にかけて。水心子はただ努力する。脇目も振らずに、自分を鍛え上げていく。
    だから自分もそうなりたいと思った。水心子正秀という刀は最初から真面目で、立派な刀だった。でもそれに甘んじていることなんて一秒たりともなかった。そんな水心子に憧れて、好きになったのだ。同じだけ一緒に頑張れる審神者になりたかった。
     水心子正秀という刀が、誇ってくれる主になりたかった。
     最初はそのはずだったのに。
    「だから本当は寂しかったなんて理由で、水心子の邪魔をしたくなかったのに」
     水心子よりも細い指が私の手首を掴んで、ゆっくりと下げさせる。溜息のような、それでいて微かに笑っているような吐息が聞こえた。
    「……確かに、主は悪い子だな」
    「……」
    「だってそれは僕じゃなくて、水心子に言うべきだよ。ねえ水心子」
     ハッと顔を上げた。椅子から立ち上がった清麿がすたすたと歩いて行って、厨の暖簾を捲り上げる。青いようなそれでいて赤いような忙しい色合いの顔をした水心子がそこにいた。手に、付箋のついたカタログと数枚の書類を持っている。あの外套は部屋に置いてきたのか、身にまとっていなかった。
    「き、清麿」
    「黙っていた僕も悪いんだけど」
    「いつから……?」
     私が震える声で聞けば、清麿は苦笑しながら肩を竦めた。あれではほぼ最初からいたと思うしかない。私と似たような上ずった声音で水心子が答える。
    「ぬ、盗み聞きするつもりは」
    「何度か入ってこようとしていたものね。暖簾から頭が出たり入ったりしていた」
     そんなの私からはちっとも見えなかった。見る余裕もなかった。
    「清麿! 気付いてたならなんで」
    「そろそろちゃんと話したほうがいいと思っていたから。きっかけにちょうどいいかなと思ったんだ。ごめんね主」
     焦って腰を上げると、ガタガタと喧しく椅子の足が鳴った。信じられない。どこから聞かれていたとしても気まずい。何か言おうにも喉が掠れて、私はそのまま水心子の隣を通り過ぎ厨を飛び出した。
    「あっ、待て、待って主!」
     水心子の声が聞こえる。どうしよう、いや本丸の中に逃げ場などどこにもない。焦って縁側から適当な外履きをつっかけて母屋を出る。
     最悪も最悪だ、全部水心子に聞かれていたなんて。がっかりしたに違いない。それだけではなく、どうしようもない主だと思ったかも。
     結局、努力することを苦しいと思ったのは私の方なのだ。
     水心子と同じようになりたくて、審神者の仕事を頑張ろうと思っても、自分に厳しくし続けることは難しい。いつもいつも、ひたむきでいることはしんどい。自分がそうだったから水心子もそうじゃないかと思った。でも違った。苦しかったのは私だけだ。水心子は何も言わなかったじゃないか。
     挙句、一緒にいたいからなんて理由で無理に休ませようとして。
    「待って!」
     どこに行くかも決めず、ただ母屋から離れようと走っていた私が庭の外れまで来たとき、追いついた水心子に腕を掴まれた。振り払うこともできずに足を止めると、ゼイゼイと思ったより荒い息が聞こえる。自分も弾む呼吸を整えながら恐る恐るそちらを見ると、膝に手を突いた水心子が肩を揺らしていた。どこから持ってきたのか、懐中電灯も手にしている。
    「あ、案外、足が速いのだな、我が主は……」
     久方ぶりの全力疾走だったので、私の足もいい加減限界が来ていた。少しぐらぐらする。
    「……水心子」
    「ちょ、ちょっと待て、今、別に疲れたわけじゃない」
     はあーと大きく息を吐いて、水心子は体を起こした。上から下まで、あの碧の目がこちらを見る。口元を覆う外套がないせいでいつもよりはっきり顔が見えた。
    「どこかで転んだり、怪我は」
    「……してない」
    「……座って。あ、いや、汚れてないといいけど」
     手近な場所にあった庭石を指し、その表面を軽く手で払って水心子が言った。観念して言われた通りにする。水心子も同じように傍に腰かけた。
    「……最近、妙に休みたがると思っていた」
     足元を照らすように地面に懐中電灯を置きながら、ぽつりと水心子が呟く。やっぱり、気づいていたのか。そりゃあそうだ。
    「ごめんなさい」
    「こっちこそごめ、いや、すまない、違うんだ、私を気遣ってくれたのは、わかっている、本当なんだ。それが嫌なわけじゃない」
     反射で謝ると、焦って水心子が返す。それに私は首を振った。
    「……聞いてたなら、わかったよね。心配したのも、もちろんあるけど。それ以上に私の我儘の気持ちのほうが大きいよ」
     ここまで来たら、正直に話す他ない。それで振られたとしても、どうしようもないことだ。結局私は水心子と同じだけの努力することができなかった。
    「……欲張っただけ。水心子はいつも、本当によく頑張ってたから。だからたまに、私にくらい素を見せてくれたらいいのになあって思っただけ。それで水心子の邪魔してたら、本末転倒だよ」
     せめて「水心子が好き」だという気持ちを、理由にして我儘を通すことだけは避けたい。好きだからと言って、これ以上努力している相手の妨げをしていたくない。
     じっとこちらを見ていた水心子が、一つ息を吐いた。呆れられても仕方がない。もう一度謝って終わりにしようと思ったとき、水心子のほうが先に口を開いた。
    「私は貴方のことを、立派な、主だと思っている」
    「え?」
     急に話が飛んだような気がして、水心子の方を見る。すると水心子はやや口をもごもごとさせたが、一拍間を置いて、それからはっきり前を向いた。
    「貴方は、いつだって、やるべきことを投げ出さなかった。自分のすべきことを、きちんと果たしていた。それはとても大事なことなんだ」
    「……当たり前のことでしょ?」
     少なくとも、それは水心子や清麿がいつも繰り返していることだ。ひたむきに、自分の務めを果たす。手を抜かずに納得がいくまで、ただ。
     けれど水心子は唇を引き絞ると、左右に首を振った。
    「それは違う」
     やや苦しそうな、初めて見る水心子の表情だった。
    「自分のやるべきことを、きちんと果たすっていうのは……とても難しい、ことなんだ」
     一言一言、噛み締めるように水心子は私に告げる。
    「だから何かを目指して行動して、苦しいと貴方が思ったのなら、それは努力した証拠だ。間違いない」
    「……」
    「例えばえっと、ほら、風呂場のことだって、すぐに改善しようとしていた。私が仕事をしている間は、貴方だって同じようにしていた。休んだ方がいいと思っていたのは、私だって同じだ。貴方は、普通の人間なのだから。私とは違う。無理をすれば、体に響く。違う存在なのだと何度も言ったぞ」
     こちらが黙っていると、水心子は矢継ぎ早にそう話した。
     確かに、思い出してみると水心子は何度も仕事中にそんなことを言っていたような気がする。
    「違う存在だってやたら繰り返すなとは思ってた」
    「き、気づいてほしかったんだ、無理をしないでほしいと。その調子だと、伝わっていなかったようだが」
     ふうとまた一つ水心子は息を吐く。ザリ、と水心子の履いている突っ掛けが地面を擦った。どうやら私と同じように縁側にあった適当なものを引っ掛けてきたらしい。
     何と言ったらいいのかも、何を話したらいいのかもわからずに、私と水心子はしばらく一緒にただそこに座っていた。雑談ならまだしも、こんな風に二人きりで話をするのも初めてだったのだ。ちらりと視線をやると、何かもの言いたげに水心子は下唇を噛んでいる。どんな一言も聞き漏らしたくなかったので、遠くの山鳩が鳴き止まないかと私は思った。それからたっぷり五分、本当はそれほどではなかったのかもしれないが、時間をおいてから水心子は口を開いた。
    「……わ、たしは、清麿ほど、器用じゃないんだ」
     貴方も知っていると思うけど、と水心子は小さく付け足す。
    「本当は……貴方を励ましたり、悩んでいることがあれば、もっとうまく聞いたりできたらいいのだが。そういうことは、清麿のほうがうまい。だが信頼しているから、それは清麿に託せる。ならば……私は私のできることを、するしかない。そうしたい」
     指同士を組んでいる手を、ぎゅっと水心子が握り締めたのがわかった。爪の先が白くなる。
    「貴方が立派に、この本丸の主を務めようとしているのだから、私も、それに応えたいと思った。応えるだけの努力を重ねるべきだと思った。貴方が役目を果たしているのに、私がそれを疎かにしていいはずがないんだ。私は貴方が、近侍に選んでくれた刀なのだから」
     碧の瞳と視線がかち合う。私が自分の方を見ているのに気づいていなかったらしい水心子は、一瞬だけ動揺して肩を震わせたものの、ぐっと唇を真一文字に絞ると真っ直ぐに私を見つめて言った。
    「ただ……それで、貴方に、心配をかけたのは、本当に申し訳なく思っている。……寂しくさせたのも」
     ああ、本当に、いつでもひたむきなのだ。
     そういう水心子が、私は好きなのだ。
     込み上げたなにかが胸に詰まって、僅かに視界が滲む。ほんの少しだけ俯いて、私は鼻のあたりを手の甲で押さえた。すると今度こそ慌てた水心子が、庭石から腰を浮かせてわたわたと両手を動かす。
    「い、いや、本当にすまなかったと思っているんだ。もっとちゃんと話す時間は取りたいといつも思っていたし、ただ機を掴めなくて」
     だめだ、堪えきれない。両手で口元を覆った私は、くつくつと体を揺らせた。
    「え?」
    「ふ、ふふ、ごめん、ふふ」
     あははと笑いを漏らせば、水心子は拍子抜けした丸い目でこちらを見ていた。ぽかんと口も開いてしまっている。何度か瞬きを繰り返して水心子は私を見つめると、それでもホッと安堵した様子で庭石に座り直した。
    「……また笑うのだから」
    「ん、っふふ、ごめん」
     ひとしきり私の笑いが落ち着くまで、水心子は黙って夜空を見つめていた。今日は月が明るく、雲の切れ間からそれが顔を出せば、水心子の懐中電灯がいらないくらいだ。
     そういえば、私が告白した夜もこんな風に綺麗な月夜だった。水心子は覚えているだろうか。
     けれどそれは聞くまでもない気がして、私も黙って空を見た。母屋に帰ろうと言い出すのが惜しかった。
    「……貴方は、きっと何年経っても変わらないだろう」
     不意にぽつりと、水心子が呟いた。月から視線を水心子に移す。碧の目に黄色い月が浮かんでいた。
    「え?」
    「考えてみたことがあるんだ。私は、この本丸の近侍だし、新々刀の祖だし、その……これから、貴方と、どうしていくのがいいのか、考えたことがあって」
     今後のこと、未来のこと。責任感の強い、水心子らしい。
    「……すごいね、私はその日一日どうするのかでも手一杯なんだけど」
     私がそう返せば、水心子はちょっとだけ得意そうに、眉をきりりとさせる。
    「何があるか、わからないからな。色々考えた。この本丸に何かあった場合、仲間がまた増えた場合、この戦況がどう変わっていくか……でも何度考えても、貴方はきっと今のまま変わらないだろうと思った」
     若々しく、けれどはっきりとした水心子の声が明るい夜に響く。いつの間にか、私の耳には山鳩の鳴き声は聞こえなくなっていた。
    「貴方はいつも、私の主でいてくれた。特命調査のときも、ここに来てからも。私が努力しようとすれば、応えてくれた。これまでずっと。私は器用でなかったけれど、一緒に考えてくれた。私と一緒に悩んで、考えて、ずっとずっと、それは変わらなかった。貴方は私の努力を褒めてくれたが、それは私だって、同じように思っていた」
     きっと、私が好きだと言った夜もこんな風に笑っていてくれたのではないだろうか。外套を着ていない水心子の口元は、柔らかく微笑んでいる。それから水心子はこちらを向いた。
    「一緒に悩んで、嬉しいことがあると笑って、貴方はずっと、そのままだ。だから、貴方はいつまでも変わらず、きっと、美しい……僕、の主のままだと思う」
     おずおずと伸びてきた水心子の手が私の手を握った。
    「これからどれだけ時が流れても、何年経っても、変わらずに。きっとそうだぞ」
     多分、待っていたら一生言ってくれないと思ったから、私は自分から水心子に好きだと伝えた。実はそれから一度も同じことを返してもらったことがないし、これから先もそう言ってくれるかどうか、わからないけれど。
     けれどきっと、これより誇らしい愛の言葉も他にないだろう。
    「……嬉しいけど、あんまり想像しないでほしいな、何年も経っておばあちゃんになったところは」
     水心子の手を握り返しながら私がそう言えば、水心子はハッとした表情を浮かべて焦っって首を左右に振る。
    「なっ、いや、これは、ものの喩えであって別に」
    「ふふ、うん、わかってる。……ありがとう、水心子」
     瞳を和ませて水心子が笑う。外套で口元を隠そうとするような所作を取って、それから今はそれを着ていないことに気づいたのか慌てて立ち上がる。
    「わ、私はついでだから本丸内を見回ってしまうから! 懐中電灯は、貴方が使って母屋へ帰ってくれ」
    「いいの?」
     繋いでいた手を水心子が引いてくれて、私は立ち上がった。地面に置いていた懐中電灯を拾い、水心子は私に持たせる。打刀の中ではかなり若く見えると本刃は気にしている体躯でも、水心子は私より背が高く、手だってしっかりしていた。
    「夜目が利くからいい。敷地内だから、平気だとは思うが気を付けて戻ってくれ」
    「うん、大丈夫。じゃああとでね」
    「あ、あとで。本当に気を付けるんだぞ。あの一番近い勝手口から母屋に入って」
     勝手口を指さし、水心子が先に歩き始めるよう促したので、私は月で明るい庭を戻る。懐中電灯はいらないくらいだったが、持たせてくれたそれを消したくもなかった。
     いくらか進んで、ふと振り返ると水心子はこちらを見つめてじっと立っていた。どうやら私が母屋に入るまで見送ってくれるつもりだったらしい。まだたぶん、声は届くはず。私は息を深く吸った。
    「水心子ー」
    「な、なにっ!」
     負けじと同じくらいの声が返ってくる。口元に手を当て、絶対に聞こえるように言った。
    「大好きだよー」
     遠く離れていてもわかるくらい、水心子は真っ赤になった。そうだろうと思ったので私はやっぱり笑ってしまった。別に返事はいらない。だからただ手を振る。
     しかし、水心子は同じように大きく手を振り返しながら言った。
    「ありがとう、僕も大好きだ!」
     私の好きな刀は、真面目で、かつ色々気負いがちであまり素を見せてくれない刀である。ひたむきで真っ直ぐな、新々刀の祖で、水心子正秀という立派な刀だ。
    micm1ckey Link Message Mute
    2022/11/12 10:29:53

    私の好きな刀

    休憩しない水心子正秀と水心子を休ませたい審神者の話。

    #水さに #刀剣乱夢 #女審神者

    pixivからの再掲です。

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