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    しおり
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    しおり
    きみに百八の薔薇を

    「結婚してくれ」
     自分でも驚くほどに、すんなりとその言葉は口から出てきた。だから彼女には一度確認を取られた。
    「なんですって?」
    「俺と結婚してくれと言った」
     正座をして、背筋を伸ばした鶴丸国永は繰り返す。彼女は一呼吸の間じっとその姿を怪訝そうな瞳で見つめて、それからこくりと一度頷く。
    「いいですよ」
     言葉自体は迷いなく出たけれど、あっさりと了承されるとは思っていなかった。だから鶴丸は僅かに拍子抜けして、それから念のため確認する。こういうのは食い違いがあっては良くない。
    「……本当か?」
    「いいですけど、署名捺印できる書類と戸籍謄本その他諸々を持ってきてください」
    「は?」
     傍にあった付箋を一枚取って、つらつらとそこに必要書類一覧を書いていく。まずは婚姻届、それから本籍地でない場所での提出だから、戸籍謄本。一通り書いてから、彼女はそれをペッと鶴丸の額に張りつける。
    「これらを準備で来たら、あなたと結婚しますよ。鶴丸」
     鶴丸はそれを上から下まで見て、若干顔を引き攣らせながら確認した。
    「おいおい、正気か」
    「勿論です」
    「刀の俺にどうやって戸籍謄本を用意しろって言うんだ!」
    「まあ頑張ってください」
     そんなのが無理なのは、彼女とて百も承知のはずである。



     鶴丸国永は、本丸の中ではまあ中堅くらいの立場にいる太刀だ。美しい白と金の拵えの優美な刀とはあまりにギャップの大きすぎる刃格。彼は本丸のいいムードメイカーだった。何しろ刃生経験が豊富なので、大変気の付く性格をしている。人見知りもしないから、新入りの面倒見もいい。
     そういう性格が幸いして、鶴丸は「超」が付くほど真面目な審神者とも結構うまくやれていた。少なくとも鶴丸はうまくやれているつもりだ。適度に休憩させるのもうまかったし、根が詰まった頃には必ず外に連れ出して気分転換させる。だからまあ、彼女と鶴丸が特別親しくなるのもおかしな話ではなかったのだと思う。
    「きみ、思い直してくれないか。どう考えたって、流石にこれら全部を用意するのは無理だ。婚姻届に記入だけならできるが」
    「じゃあ結婚はなしですね」
    「いやいや待ってくれ、それはなしだ。きみの方で少しでいいから妥協してくれないか」
    「それもなしです」
     鶴丸の提案をあっさり棄却して、彼女はすたすたと歩く。鶴丸は例の付箋とにらめっこしながらそのあとを続いた。ちゃりちゃりと衣服についている金の鎖が音を立てている。
    「きみ、俺が刀なのはわかっているだろう。戸籍謄本だとか身分を証明できるものだとか、俺は出せないんだ。それともなんだ? 今の所蔵場所ってことなら、現世の役所にでも言って証文でも出せばいいのか?」
    「それはそれで面白そうですね」
    「真面目に聞いてくれ! 俺はふざけているわけじゃないんだぞ!」
     後ろでわあわあ鳴き続ける鶴丸に肩を竦めながら、彼女は息を吐いた。くるりと背後の鶴丸を振り返って、口を開く。何を言われるものかと、鶴丸は一瞬身構えた。
    「じゃあ一応言っておきますが、私はこれでもあなたのことが好きですよ、鶴丸」
     いきなり彼女に振り向かれてそんなことを言われた鶴丸は、ウッと息をつまらせて若干顔を赤くする。襟足をがしがしとかき乱しながら、目を逸らした。そう来るとは思わなかったのだ。
    「改めて言われると照れるな……」
    「それだけじゃ、何故いけないんです? 今更わざわざ結婚する必要がありますか。別にいいじゃないですか」
    「よくない!」
     照れている場合ではない。がばりと鶴丸は彼女の両肩を掴んだ。今度は彼女が驚く番である。
    「好き合った男女は結婚するものだろう。俺は墓まできみについていくつもりだ。なら結婚するべきだろう」
    「墓ですか」
    「墓だ」
     はっきりと断言した鶴丸に、彼女ははあと息を吐く。嫌そうにしないでほしい、こっちは真剣なのだぞ。大体この自分が墓までついていくと言っている意味の重さがわからない彼女ではあるまい。勤勉な審神者である彼女は、刀の来歴なんかは完璧に頭に入っているはずだ。
    「あなた退屈は嫌いでしょう。一緒に墓なんて入ってどうするんです」
    「きみと一緒なら暇なんてないさ」
     大真面目だ。鶴丸は本当にそのくらいの気持ちでいるのだ。だのに提示された条件があまりにも無茶すぎる。
    「……だったら尚更頑張ってくださいよ。生半可な覚悟でするモノじゃないですよ、結婚」
     ひらっと鶴丸の腕を交わして、彼女は再び歩きはじめる。どうやら彼女のほうに折れる気はなさそうである。あんまりな態度に、鶴丸は思わず声を上げた。
    「きみは俺と結婚したいのか? したくないのか? どっちなんだ!」
     もし彼女が嫌なのなら、それならそれで鶴丸も考える。彼女は嘘を吐く人間ではない。だから先ほど鶴丸に言ったように、彼女は自分のことを好いていてくれるのだろう。だが何らかの理由で結婚を避けたいのかもしれない。
     だが彼女は今度はこちらを振り向くことなく、ただ一息だけを吐く。
    「言ったでしょう。それらが全部用意できたら、しますよ」
     取りつく島もない様子に、鶴丸は肩を落とす。しかしその一方で鶴丸は納得もしていた。彼女はそういう性格である。
     鶴丸国永の主は、ものすごく生真面目な質なのだ。何事にも規則や前例に則った行動をとる。鶴丸からしてみれば、少し窮屈そうだなあと思うくらいには、かなりそういうものに縛られがちなヒトの子だった。
     勿論それは悪いことではない。むしろ彼女は勉強熱心な方だった。若い女性が審神者なんかになって、戦事など初めてだっただろうに。彼女はかなり無理をして兵書やら何やらを読み漁り、隊を指揮できるよう努めてきた。たった一度の出陣でも、陣形や地理の有利、また本丸の刀剣男士たちにまつわる逸話や歴史なんかも一つ一つ丁寧に調べる。そんな彼女の姿勢を、鶴丸は素直に好ましいと思えたのだ。
     慣れない場所に来てめげてしまうことよりも、刀剣男士に頼りきりになるよりも、出来るだけのことを自分で務めることを選んだ。おなごながらに一本気の通ったそんなところが気に入ったのだ。だからどうにかこうにか口説き落とし、振り向いてもらい、やっとこさその関係性を固めようとしたのに。まさか現世で必要な書類一式を要求されるとは驚きである。確かに日々驚きを求めてはいるけれど、今ではない。そうじゃない。
     鶴丸はもう何度目かの溜息を吐いて、付箋を眺める。とりあえず用意できそうなものだけでもなんとかしよう。鶴丸は通信端末を使って、婚姻届なるものを取り寄せた。現世の技術ですぐさま手元にやってきたのは、ただの薄っぺらな紙である。なんだ、こんなものか。こんなものでヒトの子は一生の伴侶を決めるというのか。
    「氏名……まず俺の名字はなんだ。銘か? 五条になるやら鶴丸になるやら……そもそも国永というのは俺の名でいいのか? だめだな、さっぱりわからん」
     くるりと指先で鶴丸は細身の筆記具を回す。薄い用紙では墨はかなり滲みそうだったのでやめた。それでなんとか記入しようとしたものの、鶴丸はすぐにそれを諦めねばならなかった。わからないことが多すぎるのだ。
    「現住所ってのは今いる場所だろ……この本丸でいいのか? いや、それとも本体の置いてある場所か? 親の名前はなんだ、刀匠の名でも書けばいいのか。本籍地? ……そうか、本籍が本体のある場所になるのか?」
     鶴丸は暫く、その薄い紙とにらめっこする羽目になった。なんてことだ、馬鹿らし過ぎる。
    「鶴さん、どうしたの眉間に皺なんて寄せて。お茶でも飲む?」
     うんうん言いながら机に向かう鶴丸を見かねたのか、光忠が通りがかりに声をかけてきた。それから広げられた書類を見てぎょっとする。
    「婚姻届? えっ、鶴さんそれ誰に使うの?」
    「おいおい光坊、俺が主以外誰に使うんだ」
    「あ、そうか、そうだよね。えっ、でもそれ、僕ら書けるの?」
     ど直球な光忠の疑問に、鶴丸は笑って首を振った。だよね、と光忠も苦笑する。
    「まず名前がわからないだろう? 銘を書けばいいのか? それに住所もない。埋められる箇所のほうが少ないぜ」
    「はは、確かにそうだね。でも何だってそんなもの書いてるの?」
     斯く斯く云々、こんな事情で。鶴丸はとりあえずざっと光忠に話した。すると光忠は首を竦めて困ったように笑う。
    「あはは、それはまあ、主らしいけど僕たちには困った話だね」
    「だろう? 俺も妥協してくれと頼みはしたんだぜ。だがだめだと言われてしまった。とりあえず書けば済みそうなものだけ用意はしたものの、如何せんいざ目の前にするとろくすっぽ書けもしない。これには俺もお手上げだ」
     ぺらっとした紙を光忠も手に取って、しげしげと見つめる。
    「へえー、それにしても薄いね。こんなので結婚って成立しちゃうんだ」
    「だよなあ、それにこんなもの書いたって何になるって言うんだ。大体、出せもしないのに」
     そうなのだ。仮に鶴丸が現世の役所なりなんなりに申請して証文だのなんだのを用意し戸籍謄本の代わりにしようと、必要書類をすべて集めようと、結局は出す先がない。そんなのあたりまえだ、鶴丸は刀なのだから。
    「それに俺は曲がりなりにも神なんだぜ。それが口に出して求婚し、嫁にもらいたいって言ってるんだがなあ。俺は自分の誓約を破るつもりなんか欠片もない」
     そのくらいの、覚悟なのだ。鶴丸はやや不貞腐れた気持ちでぼやいた。確かにあっさりと伝えてしまったから、彼女から見れば気まぐれに見えたかもしれないが、こっちは本気だ。別に血迷ったわけじゃない。
    「まあね、僕たち末席でも神だから。一度縁を結んじゃえば、滅多なことがないと切れないのなんか主もわかってると思うけど」
     はあーっと息を吐いて、鶴丸は両腕を伸ばし後ろに倒れ込む。主との結婚を諦めるつもりは毛頭ないが、こんなに面倒なこともない。何せ妥協案もないし、解決策も今のところ見つからないし。手詰まりと言ったところだ。
     天井の染みを数えながら、鶴丸は考え込む。ここはもう何とか彼女を言いくるめて納得させるしかないのだ。何せ向こうからも一度、口に出して「これらを集めない限りは結婚しない」と言い切られてしまっている。真面目な彼女はよっぽどのことがないとそれを撤回はしないだろう。あーなんて声を上げながら、鶴丸はごろりと転がった。
    「俺は早く結婚したいんだ……」
    「すっごいかっこ悪いね、鶴さん」
    「うるさいぞ」
     くすくすと笑いを零しながら、光忠がお茶の準備を始めた。どうやら見かねて甘いものでも出してくれるらしい。
    「鶴さん頑張ったもんね、主に振り向いてもらうのに」
    「ああ、そりゃあな。必死で口説き落としたさ」
     彼女に気持ちを伝えるのに、鶴丸は最初生まれた時代の作法に則った。
     花に手紙を結んで、それを部屋の襖に挟んで。曲がりなりにも恋文を送ったわけだから、鶴丸はそわそわとしながら彼女の返事を待った。しかし一向にそれはなかったので、最初は袖にされたのかと思った。歌の返事がないというのは、つまりお断りという意味である。けれど諦めきれずに何度も何度も繰り返して、やっと彼女が来たかと思えばたったの一言、「読むのが大変なので、差し支えなければ口で言っていただけませんか」である。
     それで鶴丸は一応読んでくれていたことには安堵し、内容が伝わっていたこともわかったからよかったと思ったものの、ならなぜ返事やわかりやすい所作の一つもなかったのだと文句を言った。こっちは袖にされたと思ったのだ、もう少しで自棄酒でも煽るところだった。それくらいいいだろう。
     けれどきょとんとして彼女はこうのたまった。
    「返事を必要としている内容だと、思わなかったので」
     そこで鶴丸は自分の彼女に対する行動が随分時代遅れだと悟ったのだ。確かに平安の世に則って直接的な内容は避けたし、想いを告げるだけの内容だったし。だがそうか、そう取ったかと言わざるを得ない。
     だから鶴丸は次の策に移った。もっと積極的に距離を縮めようと思ったのだ。率先して彼女の傍に行って、仕事をして、隙あらば個人的な話をして。そうすればおのずと自分も彼女の視界に入るはず。すると次に言われたのは無下もない一言。
    「鶴丸、最近ちょっと距離が近いです」
     それも若干迷惑そうだった。流石に心が折れかけた。しかしここでめげては意味がない。鶴丸は頑張った。かなり頑張った。そうしてやっと、傍にいるとなんとなしに彼女が頬を染めるようになってくれて、少しくらいは手に触れさせてくれるようになって、ここまで漕ぎ着けたのだ。もう我ながら涙ぐましいほど健気な努力だ。
    「いっそ主に言ってみたらいいんじゃないかな? 自分は形式なんてどうだっていいから、主の傍にいたいだけだって。鶴さんは一緒にいる約束が欲しいだけでしょう?」
     光忠の淹れる、珈琲の匂いが鼻を擽る。砂糖はいるかと聞かれたので、鶴丸は首を振った。今は頭を冴えたままでいさせたいのだ。
    「……それには違いないが、だが俺は俺で、主の希望は出来るだけ叶えてやりたいとも思うんだ。俺は、ヒトじゃないからな」
     つまるところは、それだけだ。
     鶴丸はヒトではない。だからもしも彼女と一緒になれたところで、彼女に人並みの幸せはやれないのである。
    「俺はいつ折れるともしれん戦場にいる。それが俺の本分だ、それをやめるわけにはいかないだろう? それに主だってそうだ。俺達は戦争をしているんだから、彼女もいつ死ぬかわかったものじゃないんだぜ」
    「……そうだね」
    「それに、俺は仮に身を固めたとして、おそらくあの子を母にはしてやれないんだ。命を継がせてはやれない」
     それがどれほどヒトにとって酷なことか、鶴丸は知っているつもりだった。
     ヒトの子は、結婚して子を儲けて、その命を後世に繋げながら生きていく生き物。鶴丸は彼女からそれを奪うことになる。一人の女性としての喜びを、取り上げてしまうことになる。鶴丸と彼女は刀とヒトの子。子どもは難しいだろう。
     聡い彼女のことだから、きっとそれはわかっている。そしてそれを理由にこんな難癖をつけていないのだろうなということも、鶴丸はわかる。だったら何とかして、それ以外の彼女の希望は全て叶えてやりたいと思うのだ。
    「……名前、鶴丸国永でいいんじゃないかなあ」
     光忠が静かに囁いた。鶴丸はまだ横になったまま、その声を聞く。
    「刀の鶴丸国永の銘がどうとかいうより、ここで主と結婚する鶴さんの名前を書いた方がいいと、僕は思うけど。だってそうじゃないか。主のことを愛していて、結婚しようと思ってるのは、ここにいる鶴さんなんだから」
     御物で、現世で丁重に保管されている本体ではなく。ここに、彼女の刀剣男士として呼ばれた「鶴丸国永」として。
    「それなら、あの子に名乗った名前は『鶴丸国永』で間違いないんじゃない?」
     がばりと勢いをつけて起き上がる。それから放り投げていた筆記具を手に取り、鶴丸は氏名を記入した。それから住所の欄に、この本丸の識別番号を記入する。本籍地は……もう本体の所蔵している場所でいい。両親、は困る。鶴丸はこの本丸で鍛刀されたのだ。父、はあの鍛刀場にいる精霊なのだろうか。資材を決めたのは審神者だから、母は彼女になるのか? いやそれは困る。母親とは結婚できない。鶴丸は父の欄に鍛刀の精霊とだけ書き、母の欄には仕方なしに当時近侍をしていた光忠の名前を書いた。古い馴染みのよしみで許してくれ。カリカリとそれを埋め始めた鶴丸に、光忠は笑って珈琲を差し出す。
    「受け取ってくれるといいね、主」
    「そうだな」
    「でも僕のことはお母さんって呼ばないでね」
    「……静かに怒るのはやめてくれ、光坊。謝るから」



     懐を押えて、鶴丸は走る。折れたりしてしまってはいけないので、そっと。だが落としてしまわないようにしっかり。廊下を駆け足で渡っていると、どこからか長谷部の声が聞こえたが今は無視をする。今日は見逃してくれ。
     いくつかの角を曲がったとき、やっと見つけた。ほっと息を吐き、鶴丸は口を開く。
    「主! ちょっと待ってくれ、主!」
    「……鶴丸?」
     くるりと審神者は振り返った。鶴丸は腰元の鎖をチャリチャリと揺らしながら、傍へと急ぐ。内番をしていたら目当ての品が届けられたものだから、そのまま来たのだ。
    「約束のものを持ってきたぜ」
    「……約束? 何かお願いしていましたか」
    「忘れてもらっちゃ困る。きみがいるって言ったんだぜ」
     かなり頑張って用意したので、これで許してほしいところだが……どうだろうか。鶴丸はどきどきしながら懐から封筒を取り出し、それを彼女に手渡した。
     ピッと封を切った彼女は、中から数枚の書類を取り出す。それから目を丸くした。
    「……きみもまあ、わかると思うが、流石に俺の今の所有者から何か書状をもらうのは無理でな。代わりのものを集めた。これで許しちゃくれないか? これでも頑張ったんだ」
     光忠と大倶利伽羅を手伝わせ、色々なところを当たった。そうしてかき集めたのが、今彼女に手渡した書類である。
     現存する『鶴丸国永』の資料で、手に入るもののコピー。どこからどこへ渡り、今はどこにあるのか。また古い名物帳を漁って、自分の記載を探して。戸籍謄本代わりになるかは微妙だけれど、これらも立派な鶴丸の身元証明である。真面目な彼女だからこそ、通用する方法だった。史料は明白なもの。ルールやらなにやらには厳しい彼女なら、この意味が分かるはずである。
     彼女はじっと、それらに目を通していた。丁寧に一枚ずつ紙を捲って、確認しているようだ。それからふうと息を吐いて、カサコソと書類を封筒に戻した。
    「こう来るとは思いませんでした」
    「ははは、驚いただろう? だがどうだい? これも立派な証明にはなるはずだ。俺がどんな刀で、どんなふうにここまで来たか」
    「……そうですね」
     彼女の返答に、鶴丸は顔を明るくする。今の言葉を了承したということは、必要書類の提出はクリアしたはずだ。つまり、約束通り彼女は鶴丸と結婚してくれるということである。
     けれど彼女は浮かない顔で首を振っただけだった。とてもではないが、これから結婚する女性の顔ではない。
    「鶴丸、本当に結婚しなくてはいけませんか」
    「おいきみ、約束は約束だぞ」
    「わかってます。わかってますけど……本当に結婚する必要性が、ありますか」
     手にしている封筒を見つめたまま、彼女は言う。鶴丸は焦って両手を振った。
    「書類を揃えたら結婚すると言ったじゃないか、きみ」
    「ええ、言いました。言いましたよ。でも結婚に何の意味があるんです。別にそんなものしなくても、私が鶴丸を好きなことも、鶴丸が私を好きなことも、変わりないでしょう」
    「おいおい、今更それはないぜ」
     好きだと口に出されたことは嬉しいが、それとこれとは別だ。鶴丸は彼女と結婚したくて、こんな面倒な手順を踏んだのだ。それなのに、まさか言いだしっぺがこんなことを言いだすとは。
    「俺はきみと繋がりが欲しいんだ。ヒト同士ならまだしも、俺はモノだからな。余計に名前の付く繋がりが欲しい。恋人じゃ、少しあやふやすぎる。それに別れられる名前の関係じゃ癪だ。俺はきみと夫婦になりたいんだ。きみが死んだら墓に一緒に入れてほしい。そういう名前が欲しいんだ」
    「あなたの言うことがわからないわけじゃありません。でもその名前は手順に沿って与えられるものです。私と鶴丸は、その手順が踏めません。それなのに、おままごとですよ、これじゃあ」
     彼女の言うことも一理あるが、それではにっちもさっちもいかない。そんなこと言っていたら、彼女と鶴丸はいつまで経っても結婚できないではないか。
     鶴丸は痺れを切らし、襟足を掻いた。面倒くさいわけではないが、壁に行きあたるのは二回目だ。流石に今度は遠回しな言いくるめをしようとしても意味がないだろう。もうこうなれば直球で彼女の不安を突くしかない。
    「きみは、形にこだわっているだけだろう」
     鶴丸は遂に口に出した。するとぴくりと彼女の眉が震える。
    「それの何がいけないんです」
    「そんなものにこだわっても何にもならないぜ。仮に俺が書類を揃えて、役所に提出したって何になるんだ」
     受理なんか、されない。鶴丸国永は刀なのだ。ヒトの子の儀礼的な何やかにやに、無理矢理割り込むことはできない。本来なら、その社会の中に存在すらしないのだから。
    「きみの性格上、そういう枠組みの中に関係を落としこんでしまいたいのはわかるさ。だが割り切ってはくれないか? 確かに俺はきみが好きで、きみも俺が好きで、それだけでもう話は帰着している。それ以外ない。俺は刀だから、結婚なんてものは名前があるだけだ。それでも俺としちゃくれないか。名前だけでいいから、俺はほしいんだ」
    「……」
     いつかは死んでしまうヒトの子だから、一緒に在った関係の名前だけでもきみのものがほしい。彼女は自分の妻で、自分は彼女の夫でと。ただ思いを通い合わせた恋人同士というものではなく、そういう風に思いたいのだ。
    「そもそも俺の時代じゃ、あんな薄い紙すらなかったぜ。三日きみの部屋に通えば結婚だぞ? そうだ、いっそそうしないか? 平安の世の結婚なら俺も手順が踏めるし、あんな紙も要らない。それじゃあだめか?」
     封筒を手に立ち尽くす彼女の体に手を伸ばす。ぎゅっとその手が封筒を握り締めた。
    「なあ、頼むから俺と結婚すると言ってくれ。俺はただきみと一緒にいたいんだ。俺の言葉ひとつでいい、信じてくれないか。きっと幸せにしてみせるさ。だから」
    「っ不安、なんですよっ!」
     薄い胸を拳で叩かれた。鈍い音と衝撃が体に響く。鶴丸はそれに驚いた。
    「私はヒトで、あなたは刀で神様でっ、こんな薄っぺらな書類一枚でもないと、私が不安なんですっ!」
    「……」
    「一緒にいるって言ったって、同じ墓に入るって言ったって、この先何十年あると思ってるんです? 私がこれから老いていくのを本当に理解していますか? 何十年の間に、どんどん色んなものが変化していくことを、わかっていってるんですかっ?」
     鶴丸は何も言えずにじっと彼女を見つめた。涙のたまった瞳が震えている。
    「鶴丸がずっとその姿の間も、私は変わっていくんです。老いるし、きっとできないことも増えていくし、姿かたちだって変わる。それでも、ただあなたの口約束ひとつを信じて何十年も生きるなんて私にはできませんっ! あなたにはたったの何十年でも、私には違う。不安でたまらない、いつか鶴丸が離れていくかもしれないなんて、そんなこと考えるだけで悲しいのに」
     ほろ、と一粒だけ彼女の瞳から涙が零れていった。それでやっと、彼女はハッとして首を振る。深いため息をつき、手のひらで顔を押さえて俯いた。
    「ごめんなさい、違うんです、鶴丸が、心の底からそう言ってくれていること、わかっているんです。軽い口約束だなんて思いません、だって、あなたはあんなにも諦めが悪かったから」
    「……そうだな」
     鶴丸はポツリと相槌を打った。
     諦めることなんて、できなかったさ。心のうちで一人ごちる。だって鶴丸が諦めてしまったら、いつか彼女は独りで死んでゆく。
     人生に驚きは大切だ。彼女はその驚きとは正反対の位置にいた。規律、秩序、前例。そんなものがないと安心できない。だが彼女は石橋を叩きすぎて壊すタイプなのだ。
     この子はひどく臆病なのだと鶴丸は思った。何振もの刀の命を背負う。仮にもヒトの姿をした彼らの人生に責任を持つ。それらが不安だから、できるだけのことをしているのだと。しかしそんなことばかりでは、彼女はただの「審神者」になってしまう。一人のヒトの子ではなく、審神者というただの歯車になってしまう。それが、鶴丸は嫌だった。彼女の心が先に死にゆく前に、鶴丸の手で息を吹き返させたかった。
    「……面倒くさいでしょう? 私、そういう融通の利かない面倒な女なんですよ。だからもう放っておいてください。今のままで、私構わないですから。あなたが私を好きでいてくれるということは、理解しています。それだけで十分です」
     強く押し返されて、鶴丸は彼女の体を離すほかなかった。けれど踵を返したその腕を掴んで、引き止める。このまま行かせるなんて到底できない。
    「すまん、先に謝っておく。実はきみの文箱を見た」
    「え……?」
    「部屋の、机のすぐ側の棚にしまってあったものだ。中身を見た」
     棚の奥にしまわれていたもの。本当に隠すようにしてあったから、見つけるのに苦労した。けれど漆塗りの立派なそれは、押し込めてあったというよりは、大切に、壊してしまわないようにその場所に置かれているように見えた。
     鶴丸の選んだ薄様が丁寧に畳まれていて、その下には少し膨らんだ手帖はあった。開くときにカサコソ音を立てるくらい、ページが歪んでいた。それは中身の大量の書き込みのせい。
     中央に鶴丸が贈った和歌が書きとめられていて、その周りはびっしりと文字で埋めてあった。枕詞、古語の意味合い、全て調べたものらしい。
     他にも色々しまわれていた。遠征の途中で摘んだ花、拾った紅葉が押し花にされていたり、贈り物はほぼ取ってある。彼女の部屋で手慰みに書き付けた、落書きまで。
     今ならばわかる、彼女が「口で言ってください」と言った意味。あれは読むのが大変だったのではない。「口に出してほしかった」のだ。
     鶴丸がほしがったのが「約束」ならば、彼女がほしいのは「形式や形」。それはすべて、不安だから。文や贈り物全てを大切にとっていても、それが壊れないようにするので必死なのだ。
    「俺はきみの心を疑いやしない」
    「……」
    「あんな風に俺の文を大切に読んでくれた、細やかなおなごの心を疑おうなんて、これっぽっちも思いやしない。俺はきみの、そういう不器用な優しさがとても好きなんだ。きみの言う面倒な真面目さが、とても愛おしいんだ。きみのそういう弱さが、俺は一番好きだ」
     ヒトの子は弱いものだ。そしてとても脆いものだ。体はもちろん、心だってそうだ。けれど鶴丸はそれがひどく、愛おしい。弱いくせに、脆いくせに、ヒトの子は進むことをやめない。怯えながらも蹲らずに、前に足を踏み出す。そしてそれは、彼の今の主も同じだ。
    「俺はきみが好きだ。そしてきみが弱いことも、臆病なことも知っている。その上で一緒にいたいと思う。きみが不安になる年月、ずっと一緒にいたい」
    「……鶴丸」
    「俺を置いて老いていくって言うんなら、体が辛くなったときちょうどいいじゃあないか。俺の腕を貸そう。できないことばっかりじゃない、できることも増えるぜ。老夫婦二人で縁側で茶を飲むのも乙なもんだと思わないか? おばあちゃんになったきみも見てみたいな。俺の見かけが気になるなら、顔に落描きでもしてくれ」
     夫婦というのは、そうやって共に在るものだろう?
     こちらに背を向けている彼女の背中が震えていた。泣いているんだろうなと鶴丸は思う。
    「主」
    「……あなたが好きです、鶴丸」
     微かな声が答える。けれどとても苦しそうだった。
    「とても、とても好きです。鶴丸とそんな風に年を取れたら、ずっと一緒にいられたらいいと思う」
    「……じゃあ」
    「でも、ごめんなさい。私はやっぱり、それと同じくらい、怖い」
     するりと鶴丸の手から、彼女の腕が滑り抜けていった。そのまま彼女は私室に飛び込み、ぴしゃりと襖が閉まる。鶴丸はただ、じっと廊下に滴った涙を見つめていた。
     鶴丸は踵を返し、刀剣男士皆が共用で使うようにと審神者が置いている通信端末を手に取った。それからひとつ、調べ始める。
     壁にぶち当たったら、もう一度何か始めればいい。鶴丸は新しいことをするのは嫌いではない。だから考え、考えて鶴丸は端末を操作した。
     形にできる、何かを探して。



    「それで、諦めちゃうの?」
     厨で料理をしている光忠が、面白そうな声音で聞く。鶴丸は憮然とした表情で頬杖を突いた。
    「光坊、きみ俺のこの決めきった出で立ちを見てそう言ってるのか?」
    「はは、だよね」
     彼のできたてのから揚げでも摘んでやりたいところだが、服が汚れては困るのでやめておく。一応覚悟は決めてきたつもりだが、なんとなく弾みを付けたくて鶴丸は光忠のところへきたのだ。
     ことことと音を立てて煮られている汁物、しゃきしゃきと響く葉物の音、暖かなにおいのする厨。今そこに立っているのは光忠だけれど、鶴丸はそこにいるのが彼女だったらいいのになあと思った。彼女が毎日、そうして鶴丸のために食事を作っていてくれたら、そんなに嬉しいことはない。とりあえず、言質を取ったら一番にそれを頼もう。
     まあ、もっとよく考えればよかった。鶴丸の主は「超」が付くほど真面目で、形式だとか手続きだとかそういうものの処理が一番得意で、逆に自由にやれとか言われてしまうと困る性格なのだ。そんなの鶴丸が一番わかっていたはずだった。だったら手順というやつを踏んでやろうじゃないか。冷静になれば、婚姻届より先に渡すものがある。
    「じゃあ俺は行ってくるぜ」
    「うん、頑張ってね、鶴さん。今の鶴さん最高にかっこいいよ、唐揚げは取っておくね」
     優しい笑顔で光忠が言うのに、鶴丸は振り返りながら返した。
    「はは、当たり前だろう。ここで格好をつけずに、いつつける」
     ばっちり戦装束を着込んで廊下を歩く。一応左手に下駄も持っている。これだけめかしこんで足元は足袋一枚というのも、なんだか情けない。だから面倒でも一度中庭に降りよう。
     とんとん、と彼女の私室を叩いた。中から「はい」と返事がある。
    「鶴丸国永だ」
    「……何でしょう」
    「ちょっと話があるんだ。悪いが襖を開けてくれるか。ついでに廊下まで出てきてくれ」
     するすると衣擦れの音がして、鶴丸は縁側から下駄を履いて中庭に降りる。襖が少しずつ開いて、やや瞼の腫れた彼女が顔を出した。やれやれ、ずっと泣いていたのか。鶴丸は少し笑い出しそうになってしまったが、そうすると彼女は拗ねそうだなと思ってやめた。
    「……なんです?」
    「俺は鶴丸国永、平安時代に山城の刀工、五条国永によって打たれた太刀。今はしまい込まれた御物だが、俺はたった一人、きみの刀だ。きみが呼んだ刀だ」
    「……」
    「俺はきみ一人の刀だ。他の鶴丸国永や本霊様がどうだかは知らないが、ここにいる俺だけは、きみのものだ。それは約束できる。だがただ信じてくれというのでは、きみは不安だろう? だからこれから態度と形で示そう」
     彼女はじっと、鶴丸の金の瞳を見ていた。知っている、本当は信じようとしていること。不安でも、鶴丸の傍にいたいと思っていてくれていること。そうでなければ、あんなふうに泣いたりはしない。
    「思えば俺はいきなり婚姻届なんてものを渡してしまったからな、ひとつ手順を飛ばしてしまった。それにあのときは身なりも適当だったしなあ。やあすまん、だからこれからそれをしようと思う」
     白い着物が汚れるのも気にしないで、鶴丸は地面に膝をついた。それから懐に手を突っ込み、後ろ手に隠していたものと一緒に小箱を取り出す。彼女が目を見開いて、口元を押えた。
    「俺はヒトじゃない。だから悪いが、きみが欲しがる書類は用意してやれない。だが代わりに、精一杯だが他のヒトの子が準備するものは全て用意した! これでも納得できないなら、何度だって別なものを用意するさ!」
     給料三か月分の、金剛石の付いた指輪。それから真っ赤な薔薇の花百八本の花束。
     このくらい用意しないと、伊達男の名が廃る。
     形式はあげられない。鶴丸にあるのはこの身一つ。だからその分嫌というほど傍にいてやる。不安になるというなら、鶴丸の言葉も行動も死ぬほどくれてやる。真っ暗な土の中でも、きみがいれば退屈しない。夫婦になって、これから一緒に季節を渡ろう。
     鶴丸はとびっきりの笑顔で、彼女にそれを差し出した。
    「さあ! 俺と結婚してくれ!」
    micm1ckey Link Message Mute
    2023/01/31 17:00:00

    きみに百八の薔薇を

    人気作品アーカイブ入り (2023/01/31)

    #鶴さに #刀剣乱夢 #女審神者
    どうにかして審神者と結婚したい鶴丸国永の話。

    2017年1月に発行した刀さにプロポーズ短編集から鶴さにの再録です。
    多少修正加筆してあります。
    お手に取ってくださった皆様、まことにありがとうございました。

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