木になる審神者と鶯丸 主が木になるらしい。
近侍の鶯丸はある朝そう聞かされた。それに対しては「そうか」と答えた。
数日前から、彼女の体に異変は起きていた。何故だか指先が酷く硬く、白かったそれは乾いた色に変わり始めていたのだ。最初は「肌荒れかな」なんて言っていた彼女だったけれど、段々とその変化は指から腕へと広がり始めたので政府で検査を受けていた。
その結果、彼女は木になるらしいことがわかったのだ。
「木と言うのは、あれか」
鶯丸は外の庭を指した。すると鶯丸の指の動きに従って中庭を見たこんのすけはその小さな頭を縦に振る。
「そうです、あの木です」
「何故だ?」
木になるのはわかったが、理由がわからない。問えばこんのすけは今度はくるりと首を傾げて答える。まるで梟のような動きだなと鶯丸は思った。これは管狐ではなかったか。
「ここは現世ではなく、数多の付喪神の集う場所ですから。ただのヒトの子である主様の体に何がどう作用するかはこちらとしても予想しかねます」
「では俺たちのせいなのか」
「いいえ、それは違いますね。それは主様の心の問題ですから」
はて、と今度は鶯丸は首を傾げた。その言いようでは、彼女が好きで木になっているような言い方だが。そのまま聞けば、こんのすけはそうですよと頷く。
「主様は望んで、木になられるのですよ」
なるほどそうか、と鶯丸は返事をした。彼女自身が望んでいるなら、仕方がない。
どのくらいで完全に木になってしまうのかと鶯丸が尋ねると、こんのすけは大体一週間くらいでしょうと答えた。案外早いなと思っていたら、それも彼女の心持しだいだとこんのすけは言った。
風がそよそよと庭の木の葉を揺らしていく。主の手指もあんな葉になるのだろうか。鶯丸は青々として綺麗なものだなと思った。
鶯丸の主は、普通のヒトの女だ。今は木になりかけているけれど。
そして鶯丸はたまたま早い段階で本丸に顕現した太刀である。彼女は「なんだか落ち着くから」という理由で鶯丸を近侍にしていた。鶯丸も特に近侍の仕事が嫌だと思ったことはない。休み休みやるし、彼女もそれにとやかくは言わない。ただ彼女はただのヒトの子だから、何かを失わないように横から忠言をするだけだ。
ただのヒトの子に、戦ごとはわからないだろう。刀じゃあるまいし。
「本当に木になるんだなあ」
だいぶ硬くなった手のひらに触れて、鶯丸はそう言った。もうそこはもうすっかり茶色くなって、なんなら木目が見える。一応曲がりはするらしい。枝に近づいてきた五本のそれが、ちゃんと鶯丸の手を握る。特に大事はないと言うものの、彼女は今寝巻きを着て布団にいた。病ではないのにと彼女は笑う。
「そうみたい」
「不便はあるのか?」
「今のところはただ硬いだけ」
「そうか」
腕の付け根の辺りくらいまで、もう枝になりかけているらしい。寝巻きの浴衣を着た彼女の首もとや顔なんかはまだヒトの子のそれだったが、徐々に変わっていくのだろう。
「では足は根になるのか」
「そうなんじゃないかな」
「では君に握り飯を上げるときは根に埋めるのがいいのか」
茶は普通に、根元に撒いてやればいいとして。鶯丸は真面目に聞いたのだけれど、彼女は目をぱちくりとさせた後に声を上げて笑う。
「嫌だな、木はおにぎり食べないから」
あははと彼女は笑う。こんのすけの言うように、彼女は自分が木になることについて何も悲観的には捉えていないようだった。その証拠に特に対処を頼んだ様子もない。最初は何かの怪異の仕業だと思った石切丸やにっかり青江や、あやかしに関わる刀剣たちが原因を探ったりお祓いをしたりした。だが効果は得られず、彼女は日に日に木になっていく。
「足が動かなくなってきたらあの辺りに植わろうと思うの」
彼女は自室の窓から日の辺りのいい中庭を指差す。鶯丸もそちらを見た。確かにそこは南向きで、木が枝を伸ばすにはちょうどいい場所だ。よく育つだろう。
鶯丸は頷いていい場所だなと言う。
「木が育つには十分な場所だ」
「そうでしょう?」
ふふ、と彼女が笑う。それは嬉しそうな顔だった。
彼女が木になってしまったとしても、本丸は特に問題がないのだという。不思議と樹木と化した部分であっても、彼女の体はきちんと生体反応を返しており、刀剣男士たちを顕現させておくに足る霊力は供給されているのだとか。だからこれまでどおり出陣も遠征もできる。
随分便利な木になるのだなと鶯丸は思った。それでは彼女は口を利かなくなるだけではないか。まあ、彼女が望んでそうなるわけだが。
「私、何の木になるのかしら」
窓の向こうを見ながら彼女はポツリと言った。
「何のって?」
「ほら、木にだって種類はあるじゃない」
そう言えば、そうだなと鶯丸は思った。特に花でも何でも、気にしたことがなかった。だが言われてみればそうだ。
「ああ、そういうことか。何かなりたい花があるのか?」
彼女はやや視線を下げて考える。それから小さな声で答えた。
「……梅、梅がいい」
なんでまた、とは思ったけれど特に聞きはしない。鶯丸は梅かと繰り返す。赤か白か、彼女はどちらの花を咲かすだろう。
「梅か。実がなればうまい」
「そうでしょう?」
彼女はまた笑った
彼女は段々と木に近づき、足が硬く根になったので言ったとおり南の日当たりのいい位置に植わった。心配した短刀たちや初期刀や他が毎日彼女の元にやってきて代わる代わる話をするのを、鶯丸はただ見ていた。
彼女の腕は随分と真っ直ぐになり、そしていよいよ曲がることもなくなって遂には完全な枝になった。なかなか立派な枝である。ぽんぽんと鶯丸は彼女の腕を叩いた。
「頑丈そうだなあ」
「そうなの、案外平気よ。最初は腕をあげっぱなしにするのは疲れるかと思ったけど」
「これなら俺が登っても平気そうだ」
「やだ、登らないでね。流石に今は折れちゃう」
くすくすと彼女は笑った。腕と足が木になってしまっても、彼女はまだ笑うし話もした。感覚はあるのかと聞けば曖昧に笑う。どうやら鈍ってきたらしい。
「足が根で、腕が枝ということはこの辺りは幹になるな」
「鶯丸?」
ぺたりと鶯丸は彼女の腹の辺りに触れた。暖かい腹だ。腕を上に伸ばし、ちょうど万歳をしたような格好の彼女にぺたぺたと触る。胴の辺り、脇の辺り、この辺りがちょうど木の幹になるはず。鶯丸はそれにもたれてみた。
「うっ、ぐいすまる! 重い! くすぐったい!」
「なんだ、まだ俺を支えられはしないのか」
「当たり前じゃない」
「ふふ、そうか。では太く暖かい幹になれ」
まだ細く柔らかい、女の体だ。
鶯丸は持ってきた盆から湯呑みを取る、一応二つ持ってきたのだが、彼女の分はどうしたらいいだろうか。
と言うのも、彼女はこうして植わってしまってから食事を一切摂らなくなったのだ。何でもこの硬くなった根っこから必要なものは吸収しているらしい。効率のいいことだが、ではあの彼女の口は何のためにあるのか。
「今日の菓子は饅頭なんだが」
「美味しそうね」
ふわふわとしたそれを彼女に見せれば、にこりとして笑う。鶯丸はちょっと靴の先で土を蹴ってみた。
「埋めるか?」
「勿体無いよ」
「そうだな」
ならせめてと鶯丸は手にした湯呑みを逆さにした。茶はびしゃりと彼女の根元に吸われていく。彼女はびくりと枝を振るわせた。がさがさと葉が音を立てる。
「あつっ」
「わかるのか?」
「なんとなくだけど。何するのいきなり」
彼女はびっくりしたような、困ったような怒ったような顔をしてこちらを見る。鶯丸は自分も湯呑みに手をつけると、とりあえず彼女の根元に座ってそれを飲んだ。
「飲みたいだろうと思ってな」
「いつも突拍子がないわね、鶯丸」
「そうか?」
「私は鶴丸よりずっと、いつも鶯丸のほうにびっくりしてたの」
「俺が? どうして」
彼女を見上げれば、彼女はくすくすと笑って葉を揺らす。
「だって、何を考えているのかさっぱりわからないんだから。かと思えば私の考えてることはわかるみたいにして声を掛けてくるし」
「俺も君の考えていることなんかわからないぞ」
「本当に? その割にはいつも、言ってほしいこと言ってくれてたなあ。疲れたときとか、すぐお茶にしようって」
鶯丸はくつくつと笑うと、彼女の根元の辺りに横になる。ちょうどここらは膝になるのではあるまいか。手ごろな寝を枕にして、鶯丸は目を閉じた。日当たりのいい場所だったこともあって、うまくそこには芝が生えている。
そよそよと彼女の葉を風が渡っていく音がした。昼寝をするにはちょうどいい。
「……鶯丸」
「ん?」
「私が木になっちゃったら、寂しい?」
目を開けてみれば、僅かに茂った葉があるといえど日光が眩しかった。
「主が木になったらか」
「うん」
「そうだな。……茶の相手が減ってしまうな」
鶯丸と彼女とは、近侍の仕事の合間によく茶を飲んだ。菓子を食べ、のんびりしてから続きをすることにしていた。もしも彼女が木になってしまったら、鶯丸は彼女と茶を飲むことはなくなるのだろう。
だから盆はそのまま彼女の根元に置いてあった。そろそろ湯が冷えたころだろう。
「それだけ?」
「思い当たるのはそうだな」
「そう」
彼女は上から鶯丸を見下ろしていたけれど、仕舞いには顔を上げて目を閉じたようだった。最近、彼女はそうしていることが多い。やっぱり木には起きているだとか寝ているだとか、関係ないのだろうか。
「……でも鶯丸、お茶は私以外とでも飲めるのよ」
ポツリとした呟きが聞こえる。
枕にしている根が硬い。ここはきっと膝の辺りのはずなのだが、鶯丸は彼女の膝の柔らかさを知らなかった。
もうすぐこんのすけの言った一週間が経つ。
ほうほうと鳴く鳥の声がして、鶯丸は縁側から庭を眺めた。月明かりに見えるぽつんとした小さな木、あれが彼女である。昨日、彼女はずっと目を閉じたままだった。彼女の初めての短刀が泣きながら「主が目を覚まさなくなってしまった」と言い、初期刀も何ともいえない顔でその木を見ていた。
からころと下駄の音を立てて、鶯丸は中庭に降り彼女に近づく。ポンポンと叩けば幹はだいぶ硬くなっていた。今ならば寄りかかってもきっと、彼女が文句を言うことはないだろう。
「主」
まだ顔の位置はわかる。頬に指先で触ってみると、まだそこは硬くなっていなかった。ふに、と肌に鶯丸の指先が沈む。
「主、寝ているか」
「……うぐいすまる」
ぼんやりとした目が鶯丸を見る。
「起きているんだな」
「鶯丸が起こしたのよ」
彼女の輪郭をなぞってみる。前に触れたときはくすぐったがったけれど、今の彼女はただその動きを目で追うだけだった。
「随分静かになってしまって」
「そりゃあ、私、木だもの」
ふふ、と彼女は笑った。
そうだな、と答えてから鶯丸は彼女を見上げた。さらさらと鳴る葉の音。ああでもこれは彼女の髪が揺れるものにも似ているなと鶯丸は思った。
「君が木になってしまうと、俺は誰と茶を飲んだらいいかわからなくなる」
そう言えば、彼女はゆっくりと瞬きをした。
「……言ったじゃない、お茶なら私以外とでも飲めるのよ。例えばほら、平野くんとか」
いつもよりずっと静かで穏やかな声音で、彼女は答えた。
「そうだな、茶は平野とでも飲める」
「そうで、しょう?」
「だが平野は君じゃあない」
平野の茶はうまい。鶯丸が何も言わずとも好みの温度で淹れてくれるし、菓子までつけてくれる。鶯丸が何も言わずとも会話を強要してこないし、その空気感はとても心地いいものだ。側仕えに慣れているだけある。
だが平野は、平野なのだ。それ以上でも以下でもなく、それ以外でもない。
彼女ではない。
「話すなら、大包平だって」
「俺は君に馬鹿をやってほしいわけじゃない」
「他にも、刀はいるよ」
「でも君じゃない」
乾いていた木目の唇が僅かだが人体の瑞々しさを取り戻した。薄く開いたそこが、震えるように息をする。
そうだ、呼吸をするんだ。人は木じゃない。葉からの栄養なんかじゃ生きていけない。
「君が木になって随分と茶がまずい。それで困ってるんだ」
「うぐいすまる」
「俺は鶯だが君の腕には留まれそうにない。折れても困る」
はくはくと彼女は口を動かした。
乾くのを、きっと彼女は待っていたのだ。色んなものが乾ききり、硬くなり、仕舞いには鈍るのを。
だって木は、戦なんかしなくていい。なにも恐れなくたっていい。悲しくてと寂しくても、何もかも閉ざしてただ葉を広げて。
「だがそうじゃないんだろう?」
そうじゃないから、帰るんでもなくこんな家でもない広い庭に君は植わることを選んだんだろう?
それこそ木になんかなったら、ここから去れないのに。
「どうだ、昨日いい茶が手に入った。君も飲まないか。根に掛けられるのは、嫌なんだろう?」
ほろ、ほろと彼女の瞳から涙が雨粒のように零れ落ちる。それは頬を伝って、乾ききった首を伝って、胸を滴り最後には爪先に至った。
「飲みたい、なあ……鶯丸と、お茶。また」
「そうか、なら木になるのはやめにするといい。そんなのにはいつでもなれる、今はやめておけ」
パリパリと乾いた葉が音を立てた。ひらりと落ちてきた腕を抱き止めて、鶯丸は彼女を捕まえる。やはり揺れる髪はさらさらと音がしていた。
「まるで蛹から孵る虫のようだなあ」
くつくつと鶯丸が笑うと、彼女は不服げに腕を叩いてきた。痛い痛い。
「虫だなんて言わないでよ」
「ふふ、いいじゃものじゃないか」
柔らかい肌に頬を寄せて、鶯丸はそのまま鼻を擦り付けた。
「ちゃんと花だ」
ははは、と彼女は笑った。
実はこれからつければいい。