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    ブルーアイズとチョコレート

    ヒースロー空港からヴォクソールまで戻ったら、着陸時に土砂降りだった雨が鳴りを潜めていた。晴れまであと一歩というところか。ハンブルクの土産物屋で買物袋にビニールをかけてもらっておいてよかった。この期に及んでチョコレートを濡らしたりしたら、小言だけでは済まないだろう。日曜日だというのに本部には出勤している職員が大勢いて、久しぶりに見る顔何人かに挨拶をした。立ち話をしてちょっとした近況を報告しあう仲の知り合いもいたが、皆揃って右手に持ったチョコレートの袋を見ると話を早々に切り上げる。「悪い、急いでるんだったな」。ああ、こちらこそ。「一年ぶりくらいじゃないか?」。そうだったか?「早く行ってあげて、あれで心配してるんだから」。全くもってその通りである。


    チョコレートが常套手段になったのはもう随分前の話で、スニッカーズばかり食べているQに「チョコレートが好きなのか」と聞いたら「はい」と素っ気ない返事が返ってきた。そこで「次の任務はベルギーだから、チョコレートを買ってくる」と言ってみたら、なんと「やめてください」ときた。首を傾げていたら彼は、「どうせすごい高い本当においしいやつ買ってくるでしょ。だめです、装備を壊したのと引き換えにそんなもの買ってこられたら、負けます僕」と続けたのだった。僕が装備を壊すことが前提になっている点と「負けます」と謎の勝敗が設定されている点が気になったが、これはこれでいい情報を得た。Qはチョコレートが好きだ。しかしこの話の山はこの後で、なんとこのベルギーの任務では受け取った装備を無傷で持って帰ったのである(我ながらなかなか無いことだ)。もちろん空港でじっくり選んだチョコレートと一緒に。本部に戻ってMへの報告もそこそこにQ課へ行くと、補給士官の大将の姿がない。Qのデスクに装備品の入ったケースと綺麗にラッピングされたチョコレートを置くとちょうど本人が戻ってきて、「やっぱり買ってきた!」とぷりぷりしながらケースを開けた時の顔と言ったら。
    それ以来、チョコレートはごく稀にある「無傷」のサインだ。全滅した時は潔くお説教を受け入れ、もっと他のところで埋め合わせをすることにしている。


    Q課へ行くとやはりある程度の注目を浴びた。なにせチョコレートがあるのだから。「ボスならさっき給湯室に行きましたよ」。ありがとう、丁度いいな。「おめでとうございます!」。ズレてる気がしなくもないが言いたいことは分かった。「20ポンド賭けてたんですよ、チョコレートに!」。そりゃよかったな。Qには言わない方がいいぞ。
    そういえば、任務に出る前に「職場に置いてあるアールグレイが切れそう」と言っていた。「あなたのコーヒーを飲む羽目になるかも」とも。エージェントが任務に出る時は必然的にサポート役の職員も家にほとんど帰れなくなる。彼らは本部で待っているのではない、本部で戦っているのだ。任務が終わったのは3日前だから、僕がこっちに帰ってくるまでにQは報告書を上げて後始末をし、一旦家に戻って泥のように眠り今日なんとか出勤してきたというところだろう。週末は2人で昼まで寝てから買い物だな。


    装備が無傷でも僕が無傷ではないことが一度だけあった。かなりひどい怪我をして、スペインの病院で一週間ほど入院した。Qには謝罪の言葉とともに装備が返せることをメールしたが、珍しく変事がなかった。後始末で忙しいのだろうと放っておいて、一眠りして起きたら枕元に本人がいたのには驚いた。キュウ、と呼びかけたら彼ははっとこちらを見て、大きな溜め息とともに緑色の眼から大粒の宝石のような涙を流し始めた。包帯だらけの手でブルネットの髪を梳いて、チョコレートを忘れた、と呟くと、彼は「ばかじゃないですか」と震える声で言って、手に握っていたなにかを僕に力いっぱい投げつけた。スニッカーズだった。



    ***


    給湯室に行くと、奥の方に見慣れた癖毛があった。くたびれた茶色いカーディガンは一体いつ買ったものなのか僕も知らない。誰もいないと思っているのか、Qは小さな声でなにか口ずさみながらコーヒーを淹れていた。


    Baby baby blue eyes
    Stay with me by my side
    Til the mornin’, through the night
    Well baby stand here, holdin’ my side
    Cause you baby blue eyes
    Every moment feels right

    ベイビー、青い眼のベイビー
    僕のそばにいて
    朝から晩までずっと
    ベイビー、僕の横にいて
    ベイビー、青い眼の君がいると
    全ての瞬間が正しいんだ

    And I may feel like a fool
    But I’m the only one, dancin’ with you

    馬鹿みたいかもしれないけど
    でも君とダンスするのは僕だけ



    任務中でも電話でも肉声でも、四六時中彼と話している僕が保証するが、Qの声は美しい。男性的な低さがあるはずなのに、なぜか中性的な印象をもたせる、手触りが良くて弾みのある声をしている。想像してみてほしい、その声が「ベイビー・ブルー・アイズ」と歌っているのだ。コーヒーを淹れながら。


    永久に聞いていたかったが、残念ながらQはふとこちらに気づくと効果音が出そうな勢いで顔を真っ赤にした。


    「………………………………ノックしてくださいよ………………………………」
    僕はすまん、と言って開けっ放しのドアをノックした。こんこん、と給湯室に気の抜けた音が響く。
    「遅い!」
    「ドアが開いてるんだ、仕方ないだろう」
    「仕方なくないですよあなた不法侵入に慣れすぎです」
    「局内の大体の場所は僕にとって不法じゃない」
    「……………………誰もいないと思ってたのに……………………」
    「なんだ、君は踊ってるところを見られても平気なのに歌はダメなのか」
    「あっ、あれはだってラジオで勝手に流れてきたやつだから、……」
    「でも? 今のは?」

    Qは真っ赤になった顔を隠すように両手で覆うと呻き声を上げた。ちょっといじめすぎたか。


    「やっぱり紅茶は切れてたか」
    「はい?」
    「職場に置いた紅茶が無くなりそうだって言ってただろう。チョコレートと一緒に買ってくれば良かったな」
    「あ、いやこれは……え? チョコ……え?」

    ぽかんとするQに装備品のケースとチョコレートの袋を持ち上げてみせる。切れ長の目がきょろりと丸くなった。

    「…………! よく持って帰ってこれましたね!」
    「運が良かっただけとも言えるが、でもまあ運が良かったんだ」
    「最後にヘリから落としたとばかり」
    「そのヘリに掴まってた残党を最後に処理したんだ。礼を言うならそいつに」
    「ああ、やっとデータが取れる……」

    装備品のケースを渡すと、Qはまるでケースが我が子であるかのようにぎゅっと両手で抱きしめた。

    「ああ今日はいい日だ……チョコレートどこのですか?」
    「ハンブルク空港で買った。10粒で約40ポンド」
    「高価い………お祝いだ……」
    「開けるか?」
    今にも溶けそうな緩んだ顔に更に誘惑をかけてみたが、Qはケースに頰を押し当てたまま猫のような唸り声を上げる。
    「悔しいですけど仕事があるので、家にしましょう。コーヒー飲んでいきます?」
    「是非そうするが自分で淹れるよ。さっき淹れてたのは自分用だろ?」
    「はい?」

    ほら、とまだ湯気の立つマグを指差しかけて手が止まった。マグに描かれているアルファベットはJだった。


    「………ほう」
    じり、とQが一歩後退する。
    「…………あの、ご存知の通り紅茶切らしてて、で、僕も忙しかったんで自分のマグ洗えてなくて……ちょっと面倒臭くなっちゃって………その…………仕方なく」
    ボソボソと話しながらQの顔がまたもどんどんと赤くなっていく。全く見ていて飽きない。自分の顔までどんどん緩んでいくのが分かった。
    「仕方なく?」
    一歩距離を詰めた。
    「………………べつに、いいでしょ、寂しがるくらい」
    「……Q、やっぱりコーヒーはいい」
    「は?」
    「君が、僕のマグで、僕のコーヒーを飲んでいるところを見ていくことにする」
    「……………………………好きにしてください」


    結局、コーヒーが苦かったお陰でチョコレートはその場で一粒だけ消費され、残ったコーヒーは僕が飲んだ。それから近くの店に紅茶を買いに行って、その日は一日Q課に篭って彼のマグが空になるたびに紅茶を淹れてやった。寂しいと漏らされたのだからこれぐらいはしなければ。僕がチョコレートを持っていった四回目のことだ。
    Zero_poptato Link Message Mute
    2022/09/10 15:12:59

    ブルーアイズとチョコレート

    Qくんとボンドさんとチョコレートの話

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