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    葡萄百遍葡萄百遍


     ホビットと日々の食事、ドワーフと宝石、もしくはガンダルフとその杖のように、あまりにも関わりが深いためになかなか真面目な話題に登らない事柄がある。一度ではとても語り尽くせず、また当人たちにしかわからない特別な価値があり、それぞれが特別な関係を結んでいるからだ。
     エルフと時間は、そういった意味で特別な関係だった。特別とはなにも良いことだけを表すのではない。エルフにとって時間とは、陳腐に言えば特権であり呪いであり、いつまでも側に纏わりつく家族のようなものでもあった。有限の命を持つ種族の口からは、エルフは時間から解放された自由な種族だと語られることもある。そんな口はさっさと閉じてしまえばいいとスランドゥイルは思っているし、実際少し待てば口はひとりでに閉じられた。
     エルフの子供が生まれることは滅多にない。彼らには寿命がないが、その分同族を増やすことについては慎重であるからだ。森の中に国を築いて以来、スランドゥイルは長い間宮殿で何人ものエルフの赤ん坊が生まれるのを見てきた。全員の顔は覚えていないが、生まれるたびに贈り物として贈った宝石のことはよく覚えていたので、人数ならかなり正確に記憶している自信があった。
     トルコ石の髪留めやメノウの首飾り、銀の腕輪、エメラルドの指輪、などなど。この世から逃げることが許されない永遠の生に生まれついてしまった赤ん坊の目に、なにか少しでも綺麗なものが入ればいいという慰みの気持ちをひと匙と、あとはまあ普通に慣習に従う気持ちを込めていた。
     緑葉と名前をつけた息子が生まれた時も方々から出産祝いが送られてきて、それなりに上等なものばかりだったが、絹で出来た小さな服を送ってきたエルロンドを除けば宝飾品の類のものばかりだった。それはどちらかというと息子にではなくエルフ王と王妃に向けたものである。宝石が増えるのは嬉しいが、身を挺して子供を産んだ妻や生を受けた息子を労わるようなものを贈って来ればいいものを。
     今はいない闇の森の王妃について、スランドゥイルは長いこと口にしておらず、また同じ場所で暮らすエルフたちも口を閉じていた。彼女のために作られた歌はひっそりと歌われ、物語はひっそりと語られたが、どれも王の耳に入ったことはない。終わりのない時を生きているエルフにとって、起こった出来事を語らずに忘れるということは何よりも恐ろしいことだからである。闇の森のエルフたちは王妃を忘れることを恐れて言葉を紡いだが、スランドゥイルが口を閉じているのは自分の言葉を王妃と一緒に逝かせているからだとみんなが知っていた。

    **

     寝台の上で風に吹かれながら葡萄酒を煽っていると、出入り口の方からことりと小さな音がした。
     ドアがひとりでに開いている———ように見える。ここからだと。スランドゥイルはグラスをサイドテーブルに置くと身をかがめ、調度品の隙間を縫うようにして侵入者に声をかけた。
    「緑葉」
     身長の三分の一ほどありそうな本を抱えた息子だった。白い夜着を着たレゴラスは転がるようにこちらに駆け寄ると、抱えていた本をほとんど投げるようにして父親の寝台の上に置いた。
    「よんで」
    「読んで『ください』」
    「よんでください」
    「世話係はどうした」
     最後の一言は独り言のつもりだったが、サイドテーブルに当たらないようにしながら息子を抱き上げると、当の世話係が早足で半開きのドアの前を通りかかり、あっと声を上げた。
    「ここにいらしたんですね!」
    「大の大人のエルフが三人ついてこれか」
    「申し訳ございません、王子は何せ速くて……」
     2年前から世話係となった若いエルフはため息をつくと、膝をついてレゴラスに目線を合わせた。
    「ベッドに戻りますよ、レゴラス様」
    「や」
     父親の膝の上に乗ったレゴラスはブンブンと首を振る。
    「陛下ももうねんねしますから、ね」
     ねんね。寝酒を煽っていたのでまああながち間違いではない。
    「や」
     あれこれ床に就く誘い文句を並べても、レゴラスは同じ一言しか発さなかった。およそ千歳と2歳が繰り広げる問答を遠い目で眺めていたスランドゥイルはグラスを取り上げて空にすると、終止符を打つことにした。
    「今日はダメだな。もう下がれ」
    「申し訳ございません」
    「気にするな。もののわからん歳だ」
     世話係のエルフは一礼すると、「明日起こしにきますからね」とレゴラスに言って去っていった。今日はダメ、というより今日「も」であることや、小さな息子が抱えた本がここ最近のお気に入りで周りの大人が死ぬほど(to death(死ぬほど〜)という表現は正真正銘ものの例えである)読まされているということはスランドゥイルを含めた宮殿のエルフたちの間で暗黙の了解だった。
     自分の意思が通ったことがわかったのか、レゴラスは満足げな顔で「ん」と一音発すると、本を持ち上げる。
    「緑葉はこれが好きじゃの」
    「ん」
    「星が好きか」
    「ん」
    「もう一万回くらい読んだと思うが」
    「ん」
    「もう良いのではないか」
    「や」
    「…………そうか」
     スランドゥイルはこっそりため息をつくと、息子の後ろから腕を伸ばして青い表紙を開いた。

    **

     本だけではない。緑葉の君は一旦何か一つのことに興味を持つとなかなかそれから離れようとしなかった。星座の本や歌、木登り、砂遊び、地上三メートルほどになる父の「高い高い」などなど、数ヶ月ごとに何かの一大ブームが到来する。寝る前の本は星座から植物へ変わり、スランドゥイルはほとんど目を瞑りながらそれを読み、先月は侍女から教わったらしい三つ編みを父親の髪で試すのに嵌まり込んでしまい、今やスランドゥイルの後ろ髪の右側あたりにはなんとなくウェーブがかかっていた。
     宮殿のエルフたちはこのことには常々驚いていた———小さなレゴラスが元気に遊びまわることにではなく、明らかに苦労を被っているだろう自分達の君主が、金糸のような髪を引っ張られ、ヘラジカの角にぶら下がられても「好きにせい」と言っていることにである。
     レゴラスはなかなか口数の少ない子供だったが、生まれてから三年目が近くなるとよく喋るようになった。喃語の中に段々とはっきりした単語が混じるようになり、本を読みきかせる父親の真似事をしたり、食卓の上にある食べ物の名前を延々指差して喋ったりした。スランドゥイルはもう二万回くらい「りんご!」に「りんごだな」と返している。
     そんな健やかな発達と短期間でののめり込みやすさが重なった結果、空前の「ぶどうブーム」が三歳のレゴラスに到来していた。隣国から仕入れられた葡萄がその年はかなり出来が良く、葡萄酒も申し分ないものが出来た。酒好きのエルフ王は葡萄をただ食べるより潰して発酵させたほうが断然美味いと数千年思ってきたので、息子が果物の葡萄をこんなに気に入るとは思ってもみないことだった。
     なぜかわからないが、いつからかわからないが、やたらと葡萄を食べたがる。林檎より桃よりブルーベリーよりも「ぶどう」である。それまで好きな食べ物不動の一位の座にあった苺<ぶどうだった。レゴラスにあまり食べ物の好き嫌いはなかったが、食卓に葡萄があると苺の比にならないくらい欲しがってしまうので、最近は父王から「レゴラスに葡萄を見せるな」とお達しが出ているほどだ。
     
     ある宵の口、スランドゥイルが窓際で風に吹かれながら葡萄酒を煽っていると、例によって廊下を真っ直ぐこちらに駆けてくる小さな音がした。何がやってくるのかは考えなくともわかる。緑葉でなかったらなんなのだろう。猫? 遠くの方を見つめながらそんなことを考えているうちにまた扉が(見たところ)ひとりでに開き、例によって本を抱えたレゴラスがころころと駆け寄ってきた。最近は動物の本がお気に入りだった。
    「来たか、緑葉」
     扉の方に目をやると、人影が二つほどゆっくりと去っていった。これも世話係との暗黙の了解である。
     レゴラスは背伸びをして赤い表紙の本を父に渡すと、弾みをつけて膝に飛び乗った。
    「ちちうえ、よんでください」
    「…………よろしい」
     この一年でこう言うと本を読んでくれることを学習したのか、かなりしっかりした発音になってきている。そうなるともうこちらは立つ瀬がない。スランドゥイルはもう暗唱できそうなほど読んだ赤い表紙の本を開こうとしたが、息子の視線が本とは別の場所に注がれていることに気づいて首を捻った。
    「緑葉、どうした。お前の好きな鹿………あ」
     星を散らしたようなレゴラスの視線はサイドテーブルに向かっていた。サイドテーブルの、葡萄酒の瓶の傍らに従者が置いていった大きな三粒の葡萄と、三つのよく熟れた苺に。
     しまった、と、思ったスランドゥイルは咄嗟に息子に手で目隠しをしたがもう遅く、膝の上のレゴラスは足をばたつかせながら「ぶどう!」と口にしていたのだった。

    「…………なぜ葡萄なんだろうな」
     本は寝台のうえに投げ出され、代わりに父親の手に乗った葡萄を頬張る息子を見ながら、スランドゥイルは呟いた。
     血? 自分の葡萄酒好きが移ったのか。しかし三歳が葡萄酒の味を知っているわけでもあるまい。丸が連なった形が面白いのだろうか。じゃあブルーベリーは?
     謎は深まるばかりである。レゴラスはとっくに葡萄を食べ終え、最後の一粒の苺のへたを取ると体をこちらに向けてスランドゥイルにそれを差し出してきた。
    「くれるのか」
    「あ」
    「…………あ」
     レゴラスは半分ほど齧られた苺を頬張る。すっかり食べ尽くしてしまった。
    「…………美味いか」
    「うん」
    「……葡萄ほどではないのだな」
    「ぶどう!」
    「は、さっき全部食べたろう。………緑葉、今日のことは世話係には内緒じゃ」
     苺を手ずから食べさせてくれたのは、多分葡萄ほど好きではなくそこまで食べたくなかったからではないかと、スランドゥイルは思っている。


    ***


     夏の終わりの冷たい風がやってきた。食糧庫の減りをそろそろ気にし始め、冬に向けて準備が始まる時期だ。谷間の国にも実りの季節がやってくる。エルフの王が愛してやまない葡萄酒の交易が始まる時期でもあった。
     宵の口に吹かれる風の匂いからそんなことを感じていると、スランドゥイルの寝室の扉が控えめにノックされる。
    「父上、ただいま戻りました」
    「緑葉か。入れ」
    「はい」
     扉が開き、服をあちこち泥で汚した息子が入ってきた。南方に現れたオークを狩りに行っていたレゴラスが数週間ぶりに戻ってきたのだった。
    「無事で何よりじゃ」
    「ありがとうございます。大したことありませんでしたよ。ほんの四、五十匹で」
     レゴラスは土埃に塗れた顔をにっこりと笑わせて言った。連れていった部下は確か三人か四人だったが、一体そのうち何匹をひとりでやったのやら。
    「そなたの格好は大したことになっておる。早う湯浴みをして休め。詳しい話はまた明日だ」
     冒険譚を聞かせたかったのか、レゴラスは「えー」と口を尖らせる。
    「えーじゃない」
    「僕が一気に四匹狩った話聞きたくありません?」
    「………明日聞くと言っておろう」
     聞きたくないとは言っていないのが伝わったのか、レゴラスは「ま、そうですね」と言って大きく伸びをした。ほれみろ、疲れているではないか。
    「じゃあ明日朝食のときに………あっ」
     レゴラスは立ち去りかけたが、何かに気づいて立ち止まり父の後ろに視線を送った。
    「何じゃ…………あ」
     スランドゥイルの後ろにはサイドテーブルがあった。サイドテーブルの上には葡萄酒の瓶と、その傍らには従者が置いていった葡萄が一房あったのである。
     千年ほど前の記憶が頭の中を占め始めたスランドゥイルの背後で、「ぶどうだ」というレゴラスの小さな声がして、ころころ転がって父親の耳に入ってきた。
    「………持っていけ」
    「えっ、いいんですか」
    「いいも何も、持っていくつもりだったろう。小さい頃から葡萄を見るとこれだからな」
     そう言って皿ごと差し出すと、息子はなぜか驚いたような顔をして受け取る。
    「よくご存知ですね」
    「よく………ご存知………?」
     なんと、あれだけ父の膝の上で葡萄を食べたというのに、レゴラスはほとんど記憶にないらしい。スランドゥイルは目を白くさせながら呟いた。
    「………覚えてないようなら言うがの、千年ばかり前はこの宮殿では『ぶどう』は禁句じゃったぞ」
    「………禁句」
    「そなたの耳に入ったら最後、葡萄を食べるまで付き纏われるからの。わしは『葡萄を見せるな』とさえいったものよ。そうしたらそうしたで厨房まで行って葡萄を強請っておったわ」
     やたら明瞭な発音で「ぶどうください」と言って料理番を驚かせていたのを、スランドゥイルはよく覚えていた。
     スランドゥイルは遠い目をして昔を思い出していたが、ふと目の前にいる息子を見ると、レゴラスは驚いたような、珍しがるような、面白がるような、何となく嬉しそうな顔で父を見つめていた。
    「何じゃ」
    「………いいえ。葡萄が禁句だった話も厨房に強請りに行った話も、それこそ世話係から一万回ぐらいは聞かされましたけど、父上から聞くのは初めてだったので」
     親の心子知らずとはこのことだ。何か言い返す気もなくなり、スランドゥイルはスーッと近づくとレゴラスの泥だらけの頬をぐいと抓ってやった。
    「なにするんですか!」
    「これくらいはさせろ。言っておくがな、葡萄の前は苺じゃった。その辺は明日の朝たっぷり聞かせてやるわ。オーク狩りよりよっぽど面白かろうよ」

     レゴラスは葡萄を一皿持って、あと抓られて赤くなった頬を押さえながら、でもいくらか嬉しそうに寝室を後にした。眠気が覚めたスランドゥイルは葡萄酒をもう一本開けて、寝室の隅の書棚にある擦り切れた赤い表紙の動物の本を手に取ってしばらく眺め、それから床に着いた。
     翌朝の朝食の席で、当時の世話係や従者、料理番の証言、それからレゴラス自身の記憶や意見を繋ぎ合わせて、スランドゥイルが千年ほど前に抱えた謎の答えをみんなで捻り出した。小さい頃の緑葉があんなにも葡萄好きだったのは、多分皮をむくと宝石に似ているからではないのかというのが、今のところ最も有力な説である。
     夏がそろそろ終わろうとしていた。葡萄の季節がやってくる。


     
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    2022/10/26 10:40:16

    葡萄百遍

    束、闇の森親子。レゴラス3歳に空前の葡萄ブームが到来する話

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