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    Call me maybe

    「いいか、これがおれの番号だ。ここに貼っとく。おれに、その……連絡したいことがあったら、この番号にダイヤルを回せ。一回回したら完全に戻るまで待てよ。そうしたら、おれの電話に直接つながる」
    おれは自分の電話番号が書かれたメモを電話機が置かれた本に貼り付けた。続いて別の番号が書かれたメモをアジラフェルに見せる。アジラフェルは子犬のようにおれの手元を目で追った。
    「で、これがおまえの番号だ。おれのところの電話も新しくしたから、おれからも直接おまえに電話できる、天使さま」
    「交換手なしで?」
    「そう。第一、おまえもう何年も電話使ってないだろ。スピーカーとマイクが別々になってるやつはいまや骨董品だぞ」
    「骨董品」
    「そう、骨董品………ま、人間の感覚で言うとな」
    そう言って、おれは黒電話の上にポンと手を置いた。チン、と小気味よい音がする。
    「………あれのお礼だよ」
    アジラフェルは手渡されたメモから顔を上げて、しばらくおれの顔を見ると、納得したように頷いた。
    「ああ……あれね。それはまあ、いいんだ、別に。いいんだよ」
    「いいのか」
    「いいんだ」
    「……そうか。ありがとな」
    アジラフェルは少し驚いたような顔をした。おれは肩をすくめた。


    そういうわけで、アジラフェルの古書店の黒電話はおれが買ってきたやつだ。やつから聖水を受け取った1967年はちょうどダイヤル式の電話が出てきたころだったので、自分の電話を新しくするついでにもう1つ買って行ったのだ。聖水のお礼に。
    新しい電話機を導入してやった帰りがけに、アジラフェルはおれを呼び止めて、「君の番号のメモは随分と古い紙みたいだけど」と言った。おれは「そこらへんにあった紙に書いたから」と答えた。事も無げに。1941年から持ち歩いていたとは言えなかった。


    電話が発明され、世に普及していく過程をおれはまるまる寝過ごし、見逃してしまった。あと写真の誕生とか、万博とかも。聖水をくれとアジラフェルに頼んだらちょっとした喧嘩になって、セント・ジェームズ・パークであんな別れ方をしたのでふて寝していたのだ。もとからおれが19世紀は寝てばかりだったことに異論はない。でもそれだって、1893年にやつとクレープを食べたあと、書店が開店するお祝いに花とチョコレートを持って尋ねて、そのまま宴会になりメイフェアに帰って寝たらちょっと寝坊したのだ。なにもおればかりのせいじゃないと思うね。
    おれはどうしても聖水が欲しかった。それも、アジラフェルから欲しかったのだ。もし、万が一、やつとつるんでいるのがばれて消滅させられる段になったら、ニヤニヤした天使がわざわざ聖水を持ってくる前に「いや、自分のがある」と言った方がどう考えてもかっこいい。どうせ聖水で消滅させられるなら、ほかの天使よりアジラフェルから貰った聖水で消滅するほうが何倍もマシだと思った。
    ふて寝したおれは最初の大戦の騒ぎで目を覚まし、なにが起こっているのかを把握するうちに二度目の大戦が起こり、そうこうしているうちにアジラフェルが疑心ゼロなおかげで(肉体を)殺されそうになっている情報を耳に挟んで、あわてて教会まで飛んで行ったというわけだ。自分の電話番号を書いた「そこらへんの紙」をポケットに入れて。
    「そこらへんの紙」が古い紙だとアジラフェルが気づいたのは、まあ当然と言えば当然だろう。この世が誕生して以来(文字通り、この世が誕生して以来)の無類の本好きなのだ。ひょっとしたら1940年代のものだということもばれているかもしれない。あいつは本……予言書と紙、そしてインクに関してはシャーロック・ホームズ並みの知識を持っている。


    まあでもいいのだ。こういう感じで、おれたちの間には言葉にしていないがお互いが飲み込んで、承知して、体に染み付いているある種の匂いのようなものが、それはそれは強くある。おれたちは6000年間そうして過ごしてきた。決してineffableな(神聖過ぎて言葉にできない)ものではなく、なんていうかこう、もっとありきたりで、わりとどうしようもない感じのやつだ。わかってくれ。


    ***


    80年代までにおれは何回か電話を買い換えたが、アジラフェルは黒電話のままだった。留守電レコーダーが出た時はこれは便利だと思ってやつの家にもつけてやろうと思ったけど、アジラフェルは頑なに黒電話を手放したがらなかった。仕方がないのでおれの家にレコーダーがあることと、おれがいないときはメッセージを残すよう説明したが、アジラフェルはどうも「機械に向かって喋る」という感覚が掴めないらしい。21世紀も20年が過ぎようとしている今だって、やつは未だに自動音声案内に律儀に返事をするし、多分おれの家のルンバのことを生き物だと思っている。
    82年のある日、新しく買ったボウイのレコードを棚にしまうついでに掃除をしていたら、大きな映画のフィルム缶が出てきた。何の映画を入れていたのか忘れたが、多分フィルムが酸化してダメになってしまったんだろう。開けてみると中にはアイボリーの封筒が沢山入っていて、アジラフェルの字で「クロウリーへ」と書かれている。おれが眠っていた19世紀の30年ほどの間に送られてきた短い手紙だった。1832年に起きたついでにアジラフェルに便りを送ったところ、やつが律儀に送り返し、その後も近況を送ってくれていたのだ。
    おれは確か、「書店はどうだ? おれはもう少し寝る」というようなことを書いたはずだ。

    「クロウリーへ。手紙をありがとう。書店は順調だよ。ガブリエルがやってきたけど、本と本屋が何のことなのかわかっていないみたいだった。起きたら君の居場所を教えてくれると嬉しいよ。」

    「クロウリーへ。わたしは世間の新しいものには疎いけど、今度からこの辺りで電信というものが使えるらしい。文章は限られるが、手紙より早く、遠くの場所にも便りを送ることができるそうだ。君が起きていたらもうとっくに使いこなしているんだろうね。」

    「クロウリーへ。近所に新しいパブができたんだけど、どうもチップスの味が好ましくなくて、自分でなんとかしてしまったよ。もっとも、ガブリエルは食べものに興味がないので、ばれてないとは思うんだけど。」


    おれはその日1日かけてアジラフェルからの手紙を全て読んで、日付の順番通りに並べ、フィルム缶に入れて棚に仕舞ったのだった。アジラフェルの羽とか、綺麗に洗った牡蠣の殻なんかが入っているのと同じ場所に。
    たぶんあいつは今後も留守電テープについて完璧に理解しないだろうし、おれの家のルンバにアヒルの餌をあげるのをやめないだろう。おれは82年のその日以来、何年かごとにアジラフェルの手紙を読み返すようになった。留守電レコーダーに残ったメッセージを繰り返し聴くように、30年の間、おれの住所も教えていなかったのに奇跡的に一月に一度必ず届いていた手紙を、今でも何度も読み返している。

    留守電レコーダーとともにおれの家の電話はプッシュボタン式になった。サッチャーが首相をやめる頃にはおれはポケベルを買っていたが、黒電話とポケベルはどう頑張っても繋がり得ないのでアジラフェルとの連絡にはほとんど使わず、ただの仕事用になってしまった。おれがポケベルをあまり好きじゃないのはそういう理由だ。ベントレーに車載電話をつけた時も、アジラフェルは「運転中に電話なんか取らないでくれ!」と言ってほとんどかけてこなかった。つまんないやつ。



    ***


    「……やけに長くないかい?」
    「そりゃ、今この世にある電話番号と区別しないといけないからな。いいか、これがおれの新しい番号だ。今度はおれが家にいようがいまいが関係ない。おれがこいつを持ってる限り、どこにいても繋がる」
    おれはそう言って、携帯電話の番号が書かれたメモを電話機の右側に貼り付けた。反対側には古ぼけた紙に書かれたおれの固定電話の番号が貼ってある。今回は正真正銘、アジラフェルのデスクにあった「そこらへんの紙」に書いたやつだった。
    「どこでも?」
    「まあ、だいたいどこでも」
    アジラフェルはへえ、と声を漏らすと、おれの携帯電話を手にとってまじまじと観察した。
    「きみは、最近私に新しいものを買えと言わなくなったよね」
    「え?」
    「ほら、電話とかラジオとか、なにか新しいものが出るたびに私にも勧めていただろ? でも、いつのまにか言わなくなったなと思って」
    「ああ、まあ……だって、……なんていうか、おまえはそうだろ、天使さま」
    アジラフェルはあははと声を上げて笑った。
    「そうだね、そうなんだ。私は“最初の一回”にこだわりがあるんだ。だからこんなに物が増えてしまうんだろうね」


    その日の帰りがけ、おれは本屋の奥に見覚えのあるドライフラワーが下げられているのを見つけて仰天した。初めてこのソーホーの本屋に来た時に、おれがチョコレートと一緒に持ってきたドライフラワーだったからだ。手紙を除いて、おれがアジラフェルに初めて物をあげたのはそれが最初だった。おれたちにとって、生花は瞬きをしている間に枯れてしまう。ドライフラワーなら少しは持つかと思ってそうしたのだが、天使さまよ、服のシミは人に消させるくせに。



    それから、アジラフェルの電話の右側にあるおれのモバイルの番号は何度か更新され、幾枚かのメモが重ねられていった。おれの携帯が二つ折り式からスライド式になり、スマートフォンになっても、やつの電話は1967年から変わらない、ダイヤル式の黒電話のままだ。サウスタウンズにコテージを借りる段になって、おれはメイフェアのマンションを引き払うか迷ったが、アジラフェルがソーホーから動くつもりはないと強く主張したのでそのままにすることにした。たしかに、あそこにはやつがくれた手紙とか、教会から持ってきた像とか、『ベルリン・天使の詩』のVHSとかいろいろあるし、今更引っ越すにはちょっと気恥ずかしいぐらいのある種の“匂い”がついてしまっている。あいつの古書店だって、ドライフラワーとか、電話とか、おれの帽子とか、きっとほかにもいろいろあるんだろう。
    そういういろいろを飲み込んで、きっとおれたちはこれからも公園を散歩して、リッツで食事をして、ワインを呑んだくれて、酒を抜くのを忘れてソファで折り重なって寝る、奇跡のような日々を送り続けるのだ。またハルマゲドン級の厄介ごとが起こらない限りは。
    今日は日曜日だし、珍しくロンドンは晴れている。アジラフェルか、アダムか、どっちの仕業かはわからない。おれはベントレーを走らせながらアジラフェルに電話した。おれのモバイルの画面にはチョコバー付きのアイスクリームの写真が映っている。まったく平和になったもんだ。





    Zero_poptato Link Message Mute
    2022/09/25 1:01:12

    Call me maybe

    グッドオーメンズ、アジラフェルとクロウリー。電話の歴史と共に追うアジクロです。

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