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    そして愛だけが残るのさ

    不幸になるばかりだった。この人といると。特別に頭がいい兄たちと比べるとそうでもなかった僕はそれなりに努力をして、飛び級で院を終了した後機密情報部に入った。サーカスにいた長兄の後ろ盾が全くなかったといえば嘘になるが、出来るだけ自分の力でやってきたつもりだ。長兄から逃げ回る方法は次兄から叩き込まれていたし。そうしてQ課に配属された後、今度は正真正銘僕だけの力で昇進した。自分で生活をして、家を持って、猫と一緒に暮らす、それなりに安定した幸せな日々が始まるはずだった。のに。


    思えば次兄も金髪と出会ったお陰で人生が一変したようだった。だからとは言わないけど、僕を不幸にしたのも金髪だった。色は抜けかけているけど、たしかに金髪であることがわかる金色をした、大きな犬かライオンのような男だった。そんなきらきらは、僕は体のどこにも持っていない。
    その金色の犬は随分と躾がなっていなくて、やれ首輪を引きちぎったとかオモチャをなくしたとか、トカゲにやってしまったとか、そういうことばかり僕のところに持ち込んでくる。ことごとく巻き込まれた僕は首相に内緒で口に出せないようなことを何度かやって、不本意ながらその犬と秘密を共有している。

    シルヴァ向けのパンくずを撒いたことはタナーもマロリーも知っているが、ボンドと僕だけが共有している秘密は結構ある。深刻なものからくだらないものまで。一番最初に共有した秘密は、ボンドがグリーンピースを食べられないということだった。今でもよく覚えている。パブでチップスを頼んだ時に、魚につけられたペースト状のグリーンピースが出てきた時に発覚したことだった。その次は、僕がある日朝寝坊をして靴下を履かずに出勤したこと。僕たちは互いのことをよく知っている。秘密が両手の数では足りなくなる頃、僕は自分がどうやらボンドに対して自分が知らない感情を持っているらしいことを自覚した。

    ボンドと秘密を共有すればするほど、僕は不幸になっていくような気がした。自分が全く知らない場所に連れて行かれるような、目の前にいる金色の男が実体をなくして消えてしまうような、心細い気持ちになった。またどこかへ行ってそのまま消えてしまわないだろうか、僕の前から光のように消えてしまわないだろうか。手を触ってもいいですかと断って、彼の手を握ったのはそういうわけだった。顔を近づけてよく見ると産毛まで金色なのがわかった。やっぱり、こんなきらきらは僕は持っていない。

    ボンドはいつも僕に手を触らせてくれた。触るたびに僕は、自分の中にこんなにも複雑な感情があることを思い知らされてすこし怖くなった。この夥しい数の感情を、なんと呼べば適切なのかわからなくて、僕はそれを辿りたくて何度も彼の手を握った。いつも二人きりの時に握った。自分の感情に怖くなったり不安になったりするのはわかっていたのに、僕はこの接触を僕たちの秘密として計上したいと思っているらしかった。

    ボンドは散らかし屋だ。ものを散らかすという意味ではないーーーそれは少なくとも僕の方だーーーー僕の感情という感情をこんなにも散らしていけるような人は彼しかいない。いくつも秘密を共有した後、メキシコでの一件を知って肝が冷えた。ロンドンになどいないことは知っていたがオーストリアにいると知って、パニックになりながら飛行機に乗った。割れたガラスを浴びたりヘリコプターが墜落するのを見たりして、気づいたらボンドは僕の前から去ろうとしていた。僕はそれまで暴れていた無数の感情を抑え込み、愛のようなものとはっきりとした不幸は同居するのだということを知って、銀色にきらりと光るアストン・マーチンの鍵を渡した。渡した拍子に手がほんの少しだけ触れて、それから彼が何でもないような顔をして戻ってくるまでの間、会うことはなかった。



    ほらね、不幸でしょう。




    手に握ったスニッカーズがやわらかくなっている。包装紙は飛行機に乗ってきたときの冷や汗で濡れていた。狙撃されてスペインの川に落ちたと聞いて、無事だと知らされていても、僕はどうしてもじっとしていることができなかった。空港に着いて私物のモバイルをネットに繋げて、それはもういろんなメールや着信を無視すると、ボンドから短いテキストが一通届いていた。「なんと、装備は無傷だ」。うれしくない。


    随分と長い間ボンドの枕元に座って、自分の不幸について考えながら彼の手を眺めていた。僕は「手を触ってもいいですか」と必ず断ってから彼の手に触れていた。ボンドはいつも肩をすくめたり、うなずいたり、「どうぞ」と言って僕に手を差し出した。でも、今目の前にいるボンドの手を触っていいのかどうか、僕にはわからない。彼が肩をすくめたり、頷いたり、「どうぞ」と言えないから。鼻の奥がつんと痛くなった。


    「キュウ」


    はっと顔を上げたら、水色をした虹彩が僕を見ていた。顔を上げた拍子に涙が何粒か転がり落ちて、そこからもう止めることができなかった。彼の手を握ろうと思って、邪魔なスニッカーズは当人に投げつけて、僕は初めて許可を得ずにボンドの手に触った。今まで僕に触られるだけだった手が握り返してきたのも、そんな形で許可を得たのも初めてだった。手を握られると、心が痛む側から癒されて、癒される側から痛めつけられるような気持ちになった。やっぱり、愛と不幸は同居するのだ。


    スペインからロンドンまで飛行機で帰った。冷や汗でぐっしょり濡れた僕の手を、ボンドは3時間近く1秒たりとも離さなかった。手を握っていない方の手でゆっくり頭を撫でられて、僕は生まれて初めて飛行機の中で少しだけ眠った。子供の頃次兄とスクラブルで存在しない単語を作る遊びをしたときの夢を見て、目が覚めたときにはすっかり忘れていた。


    Mは僕の顔色を見てお説教を後回しにしようと考えたらしく、今週は来るなと困った顔をして言った。その言葉を飲み込む前に僕はボンドに手を引かれて、テムズ川沿いにゆっくり僕のフラットまで歩いて帰った。


    何分か無言で歩いて、突然ボンドが言った。君は僕の手が好きなのか。そんなことを聞かれると思いもしなかった僕は驚いて、しばらく考えて、自分の中にある語彙力を精一杯使って説明した。
    「自分があなたのことをどう思っているのかわからなくて、……確かめたくて手を握っていたんです」
    「…そうだったのか」
    「はい」
    「それで? わかったのか?」
    僕はまたしばらく黙って、慎重に口を開いた。
    「……おそらく、」
    言葉にするたびに、これまで自分が感じてきた夥しい数の感情を少しずつ削ぎ落としていった。果物の皮を剥くように、中心にある種と蜜を取り出すように。おそらく。そう、絶対にはっきりしないものだ。
    「もっと適当な語があってしかるべきだとは思うんですけど」
    「うん」
    僕は自分の足元を見ていたが、ボンドは僕のことを見ていた。
    「便宜上ですけど」
    「うん」
    「一番近いものを挙げるとしたら、多分……恋愛のそれ、ではないかと」

    繋いでいるボンドの左手の人差し指がぴくりと動いた。僕は気づかないふりをしてもう2、3語喋った。感情の種の部分にもう少しで手が届くところだった。


    「…あなたの手が好きかどうかは、わからないんですけど。あなたの手を握りたいから、握るんです」
    種に触れた気がして、僕はボンドの手を握る手に少しだけ力を込めた。
    「大事なものだから。…どれだけ考えても、それ以上でも、それ以下でもなくて」


    中心にたどり着いても、痛みや悲しみや不安は、つまり僕の不幸は消えなかった。ここが中心だった。たぶん愛だ。たぶん愛だけど、これを伝える言葉はまだなかった。代わりに、僕はボンドに手を握り返されて驚いたことと、そのことへのお礼を言った。もはや言葉で許可を取ることをしなくなってしまったけど、生きているから僕の手に彼の体温がやってくるのだから。僕よりずっと暖かい体温が。そう言うと、ボンドは金色のまつげを揺らして水色の目を細めて、今までで見たこともないような穏やかな優しい顔をして、ゆっくりと僕のことを抱きしめた。短い髪がこめかみにちくちくと当たって、視界が金色に光った。ほら、やっぱりこのきらきらはこの人のもので、やっぱりこれはたぶん愛なのだ。





    Zero_poptato Link Message Mute
    2022/11/23 1:00:03

    そして愛だけが残るのさ

    #00Q

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