追加のジャファケーキ　£1追加のジャファケーキ　£１


　前に一度、確か僕がQが持っている「Q」のマグを褒めたときのことだったと思うが、「ダブルオーに昇格したばかりの頃は、スーパーの値札に７があった時とか、７が際立って見えた」というようなことを言ったことがあった。まだそれほど互いのことをよく知らない頃だったので、Qは僕とスーパーマーケットがどうしても繋がらなかったのか、かなり怪訝な顔をしていた。よく覚えている。
　今やあのフラットの中で一番近所のスーパーの場所に詳しいのは僕だし、いつ何が安いのか一番詳しいのも僕だ。休日に一緒に買い出しに行くとき、一番効率的なルートで車を回すと、Qは「まさかエージェントの記憶力でアイスを買う順番を指定されるとは思ってなかった」と感想を漏らしていた。
　一番近いセインズベリーでパプリカが安かった。そういえばパプリカがここのところ高くて、随分食べていない気がする。Qに夕飯のリクエストを聞いたら「赤いもの」というお題で返ってきた日があって、そのときにドルマを作って食べた以来だ。とりあえず籠に入れて、その隣の棚にあるリンゴも二つ入れた。
　一緒に暮らし始めた頃、テスコの袋を下げて返ってきたらQは随分驚いていたっけ。「あなたはどうせウェイトローズとかに行くんだと思ってた」と。行かないこともないが、わざわざ高級スーパーを選んで行くことはない。その辺にテスコがあったらテスコを取るだけで……僕が言い訳しているうちに、Qは「テスコの袋を持ったジェームズ・ボンド」の写真を２〜３枚は撮っておもしろがっていた。人のことをなんだと思ってるんだか。
　ドルマを久々に作ろうかと思ったが、挽肉が思ったような値段じゃない。パプリカはサラダにでもしよう。生野菜がいくらか残っていたから全部消費して、トマトでも買い足せばいい。トマト。生のトマトが買えるということは、僕が地に足をつけて生活しているということでもある。先月南米から戻ってきて以来僕は内勤続きだったが、ダブルオーの内勤業務などたかが知れているから、セインズベリーで生野菜を買い込んでいるというわけだ。
　Qはロンドンから南米の僕に迫るありとあらゆる危険を遠隔で排除し、後始末をし、１週間休暇を取った後おとといからまた武器開発に戻っていた。詳細は僕も知らされていないが、今度こそ００９に火炎放射器付きの車を作ってあげるのだそうだ。
　チリから帰国して本部に戻った僕を、Qはまるで身体検査をするようにスーツの上からあちこちぱしぱしと叩いて、最後に僕の顔を両手でギュッと挟んで「ちょっと焼けました？」と言った。あと、「おかえりなさい」とも。僕は「そうかも」と、あと「ただいま」とも返した。
　挽肉の二つ隣の棚にある鶏肉が随分安かった。胸肉ともも肉のパックを１つずつカートに放り込んだところで大体のメニューを決めた僕は、缶詰の棚に足を運んだ。
　Qは僕の作ったものを大抵なんでもよく食べるが、中でもお気に入りなのは冷蔵庫の残り物を全部入れたグラタン（「何が入ってるのかまるでわからないのにおいしい」）、オムレツ（「どちらかというと手元を見たくて」）、アボカドとサーモンのパスタ（「夏はこれをずっと口に入れてたい」）、そしてトマトチキンスープだ。なぜか分からないがQの味覚に合ったらしく、必ず次の日にスープジャーに入れて職場に持って行っている。白状するが、Qの機嫌を取るためにこのスープを作ったことも一度や二度ではない。それくらいトマトチキンスープは彼に有効なのだ。
　僕は今回チリで装備の半分を吹っ飛ばしてきたが、改良に一番必要な銃は目当てのデータと一緒に持ち帰ってきた。なので、今回はトマトチキンスープとアイスクリームが相場だろう。タイミングよくモバイルが鳴って、見てみたらQからの「何か買って帰るものあります？」というテキストだった。僕はホールトマトと鶏肉の写真を送って「特に」とだけ添えることにした。
　あとはミルク、食パン、玉ねぎ、キャットフード。猫用のクッキーの袋を手に取りながら、僕は外に留めてあるアストンマーチンのことを考えた。まさか後部座席に食料品とキャットフードを乗せることになるとは思いもよらなったが、そもそもあれをハンドルから復活させたのはQなのだ。文句は言えまい。クッキーはひょっとしたらQに怒られるかもしれないが、あのフラットで円滑に生活するなら必要だ。トマトチキンスープはどこまで僕の味方になってくれるだろう？