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    キャンディ・マンキャンディ・マン


     例えばこの前野暮用でやってきたワグナー君は、彼のことを「ワトソンさん」と呼んだ。その時は何も言わなかったが、実は彼に「お好きなように呼んでください」と言われた人間は大抵彼のことを「ワトソンさん」と呼ぶ。理由は言うまでもないことなので言わない。
     言うまでもないことなので言わないが、一応言っておくべき事はある。僕は彼のことを「ワトソン」だとはこれっぽっちも思っていない———少なくとも昔ながらの、探偵の引き立て役でしかない「ワトソン」ではない。確かに僕がいる限りどうしても文脈上「ワトソン」になってしまうし、彼が執筆活動をしていることも知っているが、しかし彼はどう考えても「ワトソン」ではない。

     細身の白人の男を想像してみてほしい。今イメージしているよりももうひとわまりかふたまわりぐらい細くしたほうがいい。髪は襟足が少し長いブルネットで、かなりの癖毛。目は灰色がかった緑色をしている。いつも眉が少しだけハの字になっているのに、なぜか全く弱そうに見えない。たまに髭をうっすら生やしている時がある。彼はイギリス人で、どこが出身なのかは知らないが、品のいいRPで話しているところを見るに、それなりの家の人間か、もしくはそれなりの教育を受けたということがわかる。特徴的な声をしている。男性的な低さがあるのにどこか柔らかく、語尾の切れ方が狐の尾のように豊かで美しい。いつも色のない服を着ていて、彼自身も色がかなり白いので、青い鞄以外は彼がいる場所だけ古典映画のようだ。背筋を正して大きなデスクに座り、パソコンで帳簿を付けたり万年筆で書類にサインをしたりしている。彼は僕の現場についてくる時もあればそうでない時もある。ついてくる時は関係者に名刺を渡したり、僕が推理中に投げたジャケットを必ず持っていてくれる。

     パッと見たところはこんな感じだ。タブロイド紙やネット記事が取り上げるのはこの辺までだろう。この手の記事も皆彼のことを「ワトソン」と呼んでいる。つまり、僕の助手の最も重要な特徴はパッと見ただけでは分かり得ないものだということだ。なんだと思う?

     匂いだ。それも、チョコレートの匂い。僕の助手はチョコレートの匂いがする。チョコレートの香りがする香水をつけているというわけではない。正真正銘のチョコレートの匂いだ。

     仕事が来ずに3日事務所に籠もっていたら、たぶん僕からもチョコレートの匂いがするだろう。なぜかというと、僕らの事務所には「滝」がるからだ————チョコレートの滝が。少なくとも僕らは「滝」と呼んでいる。本当はチョコレート・ファウンテンと言うんだけれど。
     さっきイメージした僕の助手の見た目を思い出してほしい。彼は、そう、それぐらい細い彼は、一体どこにそんなスペースがあるのかというほどの食事を毎日毎日食べ続けている。彼が空腹を訴えてくる事はままあれど、満腹を僕に訴えてきた事と食事を残した事はただの一度もない。もう何年も一緒に仕事をしているのに、本当に一度もない。見たことがない。なんでも食べる。どんな食べ物の名前も知っている。その知識が事件を解決に導いたことも一度や二度ではなかった。彼は、そう、ちょうどそのくらい細い彼は、僕はもう慣れたが、見ている側が少々不可解になる程の食欲の持ち主なのだ。
     鶏を一羽食べてもピンピンしている。ドーナツ一箱なんて朝飯前だ。これは文字通りドーナツを一箱食べた後に朝食のシリアルを食べるという意味だ。アメリカのいいところは食べ物が大きいところだと言っていた。ちなみに僕も彼も年に一回健康診断を受けているが、アメリカ国民が生活習慣病に悩まされている中で彼は身体のどのパーツの数値もすこぶる良い。僕より全然良い。年齢のせいだけではないと思う。その辺のミステリー小説より面白いと思わないか?
     どんな食べ物の名前も知っている彼がとりわけ好きなのがチョコレートだった。引き出しの中にはイギリスから持って帰ってきたキャドバリー・デイリー・ミルクとハーシーズのチョコレートが何枚も入っているのを僕は知っているし、事務所の奥の方にはそれと同じものがダンボールであるのも、まあどこにあるのかは知らないが絶対にどこかにあるのを知っている。極め付けは「滝」だ。これも一体どこで用意してどう処理しているのか知らないが、気付いたら彼は「滝」の後ろに隠れて、マシュマロやクラッカーをチョコレートに浸して食べている。ごくたまに、ハーシーズをさらにチョコレートに浸している時もある。どうだろう、少しは彼の規模が伝わるといいのだが。

     僕は長年、彼のチョコレート好きには特に意味がないのだと思っていた。砂糖やチョコレートに中毒性があることはよく知られている。チョコレートが好きな理由は、チョコレートが好きだからだ。
     


    ***



    「何言ってるんですか。理由ぐらいちゃんとありますよ」
    「本当に? 甘くておいしい以外に?」
    「ええ」
     彼はホットドッグにケチャップをたっぷりかけながら言った。僕らは昼食を食べにダイナーに来ていた。
    「僕、奨学金でロンドン大に行ったんですけど、家がすごく貧乏で。本当に、明日食べるものに困るぐらいの」
     僕は口をつけようとしたコーヒーカップを思わず置いた。
    「……そうだったのか」
    「はい。いつもお菓子を持ってた周りの子たちが羨ましくて。一緒に住んでたおじいちゃんがいたんですけど、たまに僕にヘソクリをくれて、それでチョコレートを買いに行ってた。あとチョコレートが貰えるのは、誕生日。その年に一回か二回だけ」
     彼はそう言ってホットドッグにがぶりと噛み付いて、こちらを伺うように見た。
    「君の食欲はその時の反動ってわけか」
    「たぶんね」
    「……家族は他にもいたのか?」
    「いましたよ。父方と母方の両方と一緒に住んでました。家に部屋が2つしかなくて、屋根裏で寝てた」
    「そもそも君はどこの出身だっけ?」
     ホットドッグはもう残りわずかだ。彼は肩を竦めた。
    「言っても分かりませんよ。すごく小さなところで、住宅街の外れに家があったんです。木造ですごく古くて……傾いてた。父は歯磨き粉の工場で働いてました。食べるものがジャガイモとキャベツのスープぐらいしかなくて———」
    「通学路にチョコレート工場があって行き帰りに匂いを嗅いでた?」
     
     彼はホットドッグの最後の一口を食べようとした手を一瞬止めて、とぼけた目で僕を見て、そのままホットドッグを食べた。
     彼が何かを咀嚼して飲み込むのを待つのももう慣れっこだ。ホットドッグをアイスココアで飲み込んだ彼がようやく口を開いた。

    「なあんだ」
    「あのね、イギリス人じゃなくてもダールぐらいみんな知ってるよ」
    「最近は知らない人もいますよ。ま、あなたは別か」
    「さっきの話のダールじゃない部分は本当か?」
    「ロンドン大には行ってませんね」
    「だろうなあ」
     僕はついにコーヒーを飲むことを諦めて、ぐっと身を前に乗り出した。
    「君はなぜそんなにたくさん食べるんだ?」
    「どういうこと?」
    「医学的なことを聞いてるんじゃない。なんで自分はそんなに食べるんだと思う?」
     彼は2個目のホットドッグに視線を落とした。
    「……食べるのが好きなんです」
    「どうして?」
     彼は僕を見て、ホットドッグを見て、もう一度僕を見た。


    「気持ちいいから」


     2つ目のホットドッグにはケチャップに加えてマスタードが載せられた。
     ずっとこんな調子だ。ずっとって、彼を雇った時からずっと。僕らの事務所までやってきた記者や関係者は何人もいるが、不思議なことに、今まで誰もなぜ彼を雇ったのかを僕に聞いたことがなかった。なので誰にも話したことがない。本当に誰にも、今までに一度も。
     ワグナー君もタブロイド紙もネット記事もみんな彼の名前を知らないが、僕は知っている。そんなわけないのに、彼の名前を知っているのは世界中で僕一人なんじゃないかという気がしてくる。しかし、逆に言えば、僕は彼の名前以外のことをほとんど知らない。どうしてアメリカにいて、どうやって育って、どんな人生を歩んできたのか。何も知らなかった。そして、それこそが僕が彼を雇った理由だった。今でも解けないクロスワードが出題された新聞紙を持ち歩く人がいるように、わからないものは手元に置いておきたくなる性分なのだ。
     

    ***


     その次の週、彼が非番の日に書類棚を整理していたらボロボロになった本が一冊出てきた。見覚えのないものだったので初めは首を傾げたが、表紙を見た僕は一人で声を上げて笑った。それから街に出て行って、文房具屋で金色のプレゼント包装紙を買ってきた。彼の引き出しからキャドバリー・デイリー・ミルクを一つ取ってきて、ちょうど1枚分の大きさになるように紙を切ると丁寧に文字を書いて、チョコレートと本——ロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』———と一緒に、彼のデスクの上に置いてきた。先週聞いた話は、まああながち全部全くの嘘というわけでもないのかもしれない。ページが取れそうになる程読み込んでいるんだ、何か思い入れがあるに違いない。何かはわからないけど。
     翌日、わざと遅い時間に事務所に行くと、扉のすぐ前に彼が立っていた。ニコニコ笑った顔を隠すように金のチケットを顔の前に持ってきて、彼はあの声で歌うように言った——”I’ve got a goalden ticket!” さて、子供は一人しかいない。工場ごとチョコレートをあげる他ないだろう。
     













    Zero_poptato Link Message Mute
    2022/12/24 0:20:30

    キャンディ・マン

    ナイブズアウト、ブランさんと架空の助手。

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