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    スレドニ・ヴァシュターの帰還


     晩鐘は惜しむように長く響き、夕日に掃かれた影は遠くなった。夜の気配が足許にすり寄ってきていた。
     山姥切国広は山の向こうに日の落ちたのを見届け、本丸の門を潜った。今日の仕事はこれでしまいだった。
     部隊長であった自分だけ報告のために主のいる執務室へ向かう。玄関を抜けるわずかな間に、門前にいたときよりずっと暗くなっていた。中庭は室内の明かりを受ける手前だけが夕闇から浮き上がって見える。
     自分の足運びに合わせて小さく軋む廊下の先、執務室の戸を開けて誰かが出てきた。先に戻っていた遠征部隊が報告を終えたのだろう。
     その刀は静かに戸を閉めると、淀みのない足取りで居住棟の方へと歩いていった。歩くのに合わせ揺れた外套の、目の冴えるほど青い裏地をわずかに覗かせて。
     同じように冴えた、しかし深い色の瞳が去り際に国広を捉えていったが、彼は一瞥をくれたのみでなんの一言も、普段浮かべているという微笑もなかった。
     国広は本科である山姥切長義と、最初に顔を合わせて以来一言も口をきいていない。

     おそらくは主の気遣いなのだろうと国広は考えている。自分の報告を聞きながら頷く審神者は、人の好さそうな笑みの向こうに柔らかな感受性が透けている。国広が修行から戻ってきたときも、顔を合わせるとしばし呆然としたあと、堪えきれなかったように一筋、涙をこぼしていた。
     人の泣く姿を見るとき、いつも器用なものだと感心してしまう。様々な場面で、それぞれ違う泣き方をする。自分たち刀にはとてもできない芸当だった。
     それでも、一筋の涙の後にもたらされた労いの言葉に、自分も安堵したらしかった。こうして戻ってきたのは間違いではなかったと、自分でも気付かないうちに、そう確かめて安心したかったらしい。我ながら、随分と人間臭くなったものだ。
     身体を得てからの時間と自分の変化に照れくさい感慨を覚えてみれば、主が自分を見て呆然としたのも納得できた。自分では手紙を三通認める間にどれだけの時を過ごしてきたのか――しかし本丸では九六時間でしかない。
     急激な変化に人間はついていけない。例え変化を覚悟していたとしても、実際にそれを受け入れるにはどうしても時間がかかるのだ。だから、国広が本科と口をきくどころか、同じ部隊にも内番にもなっていないのは、おそらくそういうことなのである。
     主を責める気はない。実際、本科が本丸に配属されてきたとき、もう迷わないと決めた自分の心にも、確かに波立つものがあった。物の心もそうならば生きて血の通った人間の柔らかい心は如何程か、想像に難くない。
     いつか話をするときがくる。確信に近い覚悟を決めていながら、国広は自分の心に波立つものがあったことに、実を言うと驚いている。
     迷わない、というのは結果ではなく覚悟だった。旅に出たのは帰るためだったと、そう確信を得てもう一度本丸の門を潜った。
     決めてしまえばあとは楽なものだ。周りにどう見られるかより、自分の在り方に専心すればいい。それ以外のすべては些事、雑念は振り払っていくより他ない。そうすれば自分を煩わせるものはなく、世界は自ずと静かに回る。元々国広が嘆いて恨んで過ごしていた時間も変わらず冷徹に巡っていたのだ。
     変わったのは世界ではなく自分だ。国広の心は静かだった。かつてが嘘のように凪ぎ、日々は粛々と過ぎた。
     そうだ、覚悟を決めても雑念は湧くのだ。それをすべて切り捨てていくことを選んだはずだ。煩わすものは切ればいい。すべては些事、一切は雑念――しかし。
     果たして今、夜の青さに自分を一瞥していった瞳を想うのは、些事なのか、どうか。
     この疑問を未だに国広は振り払えずにいる。

     国広は本科と話したことがなかったが、本科の話は周りがよく国広にしてくれた。
     曰く、何をするにもそつがないと。
     曰く、優しいが懐は見せてくれないと。
     曰く、判断が早く合理的で無駄がないと。
     曰く、戦場では苛烈だと。
     お前も大変だな、と溜め息を吐くように漏らしたのは南泉一文字だった。彼が戦場で本科と何やら話し込んでいたのを、その日一緒の部隊だったという者から聞いてはいたのだが、南泉は本科について国広に何も語らなかった。だから国広は、何が大変なのかを訊き損ねてしまった。
     本丸の刀たちから聞く本科の話が積み重なり、国広の中でその言葉たちが「山姥切長義」という形を取ろうとしている。これはよくない、と国広は耳を塞ぎたくなる。ただ逸話ばかりが積み重なって大きくなり、元のものに成り代わる――かつて自分が恐れていたものであり、自分の中の“山姥切”がそうだった。影を見て本物を見たと思い込むのは愚かしく虚しい。本物は確かにいるのに。
     それでも、ただの伝え聞きに耳を塞がずにいたのは、今自分が本科について知り得る方法がそれだけだったからかもしれない。本物はこの本丸に確かにいるのだ。本科の実体はただの影ではない。ただの影は夕闇の中に鋭くこちらを睨んだりしない。
     あの目を想う度に、やはり心は波打った。鉄であったはずの自分に柔らかいところがあるのを何度も思い知った。自分に波打つものがあることは懐かしいような、新鮮なような、不思議な気分を国広に覚えさせた。

     そうしてあの痛いほど冴えた青い瞳を折に触れて思い起こしながらどれほど経ったのか――主としてはやっとの思いだっただろうその日は、国広にとっては唐突にやって来た。
     その日はよく晴れていて、空気が乾いていた。帰還し門を潜る頃には、晩鐘はいつになく長く響くだろう。夜の星はおそらく、瞬きすぎて眩しいくらいになるはずだ。
     門の下で国広はそんなとりとめもないことを思い、空中にほどける自分の息をぼんやり見送りながら部隊の他の者を待っていた。白く濁る空気の向こうに掃き集められた落葉と、それに差す自分の影が見える。
     その影に、もうひとつの影が近寄った。
     顔を上げ振り向くと、刺すような視線とぶつかった。一瞬己の顔が見えたと思ったが、相手の口許が美しく弧を描くと、その考えはすぐ取り払われた。
    「やあ、偽物くん」
     本科と写しといえど似ていないのだ、と初めて知ったように息を飲んだ。自分はこのようには笑わない。このように高慢さを張りつけた顔のまま、柔らくは笑えない。
    「写しは、偽物とは違う」
     声は震えることなく、淀みなく自分の喉から流れ出た。一方で、かつて瞼の裏に青い瞳を映して覚えていた妙な感慨が、今急速に自分を浸しつつあった。
     冴えきっていると思っていた瞳は冷たいどころか、確かな熱をもって国広を射止めている。その熱から国広は目を放せずにいる。すべては些事などではなかったと思い知りながら。
     荒ぶるもの、胸の中で脈打ち、たぎる血を巡らせ、自分が自分として生きていることをどうしようもなく思い起こさせる。一切の虚飾を取り払い、在るべき場所、在るべき形へと引き戻すそれ。
     今、還ってきた。
    真白/ジンバライド Link Message Mute
    2023/05/29 7:54:41

    スレドニ・ヴァシュターの帰還

    くにちょぎ、少し審神者が出ます
    支部から移していなかったことに最近気付きました
    くにちょぎも短篇まとめて再録本出したいです

    #くにちょぎ ##くにちょぎ

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