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    小暑 宙から落下した塊は一瞬の間静止し、それから猛烈な勢いで身体を捩じり始めた。裏返った虫が正しい形に戻ろうとするかのように。
    眼前にあるものは虫と呼ぶには大きく、斑に染めた羽を持っていた。黒、焦げ茶、茶、灰、白。濃淡を異にする無数の色彩が織り交ざった羽根をしきりに蠢かせ、空間に抵抗する。その周囲には数枚の羽と土埃が微細に舞い上がり、小さな嵐を思わせた。
     鉢屋は三歩ほど距離を取り、蠢く塊を見つめていた。初めは毛の生えた何か、つまり、生き物であるというだけの認識であったが、三秒後にはその正体が一羽の鳥であるということが分かった。雛というには大きく、成鳥と呼ぶには小さな身体。均衡を取ることに慣れていないのか、頭を振って倒れた姿勢を戻そうとしている。しかし、一向に起き上がることはない。彼は蠢く鳥を暫く眺め、それから、助けてやろうと足を踏み出した。
    「三郎……!」
     自身の名を叫ばれ、鉢屋は弾かれたように背後を振り返った。遠くから駆け寄ってくる人間の影が一つ、視界に映る。踵を元の通り地面につけると、彼は影が近づくのを待ち、緩慢に手を上げた。
    「やあ、八左ヱ門」彼は手を軽く振りながら言った。「よく私が鉢屋三郎だと分かったねぇ」
    「雷蔵ならもうちょい迷うと思ったから油断した」竹谷が汗を拭いながら言った。「まさか、三郎の方だったとは」
    「私と雷蔵を、迷うか迷わないかで判断しようとするのはよくないぞ」
    「雷蔵に失礼だから?」
    「私だって迷う時があるってこと」
    「ま、それもそうだな」竹谷は軽く肩を竦め、それから数歩先にいる鳥へ視線を向けた。「よし、ちゃんと無事だな」
     鳥はいつの間にか身体を起こし、二本の足で軽快に地面を歩いていた。高所から落下したにも関わらず、怪我をした様子もない。後に残された砂ぼこりと小さな羽が吹き付けた風に流されていった。
    「あれ、」鉢屋が鳥を指さした。「生物委員会の鳥だろう」
    「春前に保護したんだ。草むらに落ちていた雛を一年生たちが見つけて、拾ってきた」
    「珍しい。野生動物にはあまり手を出さないじゃないか」
    「巣から落ちて怪我をしていんだが、運悪く、見つけたのが一年は組だったのでな」
    「なるほど、それは、運が悪い」鉢屋は口先だけで笑みを作った。後輩と鳥、どちらの運が悪かったのか。彼は言葉を続けることはなかった。
    「怪我を放っておくことができないのは美徳だが、野生動物に関してはなあ……親鳥の元に帰してやることもできないし、仕方がないからうちで面倒を見ることにしたわけだ」
    「直接関わっちゃいないのに、律儀な奴」
    「後輩が関わった時点で責任を負う義理はあるさ」
    「それで、あの鳥の面倒を?」
    「とりあえず飛び方と、狩りの仕方を教えてやらないと生きていけないからな」
    「飼うつもりはないのか」
    「予算がない」竹谷が眉を顰めた。「それに、鷹は長く生きるから」
    「鷹?」
    「枯れ枝の山にでも見えたか?」
    「遠目から種別を判断できるほど、鳥に詳しくはない」
    「まあ、大人の鷹と比べるとまだ可愛らしいか」
     話の間に、鳥は竹谷の足元まで近づき、藍色の裾を嘴に咥えた。低い声で鳴きながら、しきりに布を引いている。よく見れば同じような高さに無数の破れ目が生じているのが見えた。一々補修をしていないのは、すぐに破れてしまうからだろう。
     竹谷は地面に屈み込み、斑模様の塊を両手で持ち上げた。慣れた手つきで抱え、手近な木へ近寄る。つま先立ちで届く、一番高い枝の上にそっと鳥を下ろし、彼は元の位置へと戻った。
    「あれだけで飛べるのか?」鉢屋はその場から一歩も動かずに尋ねた。
    「鷹が飛んでいる姿は何度か見せているし、あとはコツをつかんでもらうしかない」竹谷は平淡な口調で答えた。「人間は飛べないからな」
     鷹は枝の上を器用に歩き、先端まで近づくと躊躇うことなく細い脚で枝を蹴り上げた。爪の先端に抉られた表皮が微かに舞い上がる。その浮遊に合わせて一瞬宙へ踊り出た身体は、しかし、羽根を羽ばたかせる暇もなくあっけなく地面へ落下した。
    「……難しそうだ」三郎が鼻先で息を吐いた。呆れというよりも、感嘆に近い。自然に飛んでいる姿からは想像もつかない光景を目にしたためか。
    「まだ練習を始めたばかりだ。じき、飛べるようになるさ」身体を起こそうと藻掻く姿を眺めながら竹谷は言った。
     鷹は羽根を俄かに舞い上がらせながら、それでも先よりも早く身を起こすと、体中に付着した砂を払い落すかのように一度大きく身を震わせた。砂と羽が零れ落ち、薄い幕が彼の周りを包む。
     薄煙。
     その向こう側に、鳥の輪郭がぼやけたまま映る。
    「似ている」
    「何に?」竹谷が問う。
    「何にだろう……」
     斑模様が砂埃に滲む。
     黒、茶、白。
     黄金。
    「…………」
     曖昧な砂埃の向こうで宙を仰ぐ視線が一つ。
     金色の瞳。
     その輝きだけが奇妙なほど、砂埃に隠された世界の向こうで判然と浮かんでいた。



     夜は重く立ち込めていた。草原の上には遮るものもなく、星明かりが銀色の光だけが導のように輝きを放つ。風に影を靡かせる草の群。まだ青い表面は白銀を受けて、時折、星空を真似るように光を跳ね返している。浮かんでは消える白光が泡沫に似た儚さで明滅を繰り返す。空よりも海を連想させる光景。草原を歩く者は、すなわち、大海に迷う小舟か。
    「夜は涼しいな」久々知が風に紛れ込ませながら呟いた。
     くせのある黒髪が、背の高い草に紛れて宙に靡く。風に踊る毛先を気にすることなく鼻先で夜風を吸い込み、彼は微笑んだ。
    「風がだいぶ暖かくなったとは言え、まだ夏の入り口だからな」鉢屋は浮遊する黒髪を目で追った。「じきに夜も汗ばむ季節が来る」
    「随分と嫌そうに言う」
    「兵助には分からないだろうが、面も髢も熱が籠るんだ。堪ったものじゃない」
    「今年は倒れないでね」久々知が笑った。「毎年、大変なんだ。三郎の面を外した方がいいか、本人の許可なく外すのはまずいか、雷蔵が悩んでしまうから」
    「それが雷蔵のいいところだろうさ」
    「それに乗じて三郎の素顔を見ようとする奴もいるし……」
    「兵助は?」鉢屋が尋ねた。「私の顔が気にならない?」
    「気になる、けど、人が死にそうになっている時に自分の興味を優先させることはしない」
     久々知の答えに、鉢屋は面から覗く双眸を二度瞬かせた。それから口の端を片方だけ持ち上げ、小さな微笑みを作り上げる。
    「興味ではなく、本当に外さないと危ない状況だったら?」
    「それを判断するのは俺じゃないよ」久々知はことも無く答えた。「だから、外さない」
    「雷蔵の迷い癖の方がまだ可愛げがあるな」
    「迷わず見殺しにする方が、たちが悪い?」
    「さすがに暑さで死にたくはないから、」鉢屋が冗談めかした声音で笑った。「もし危なそうだったら、気兼ねなく外してくれよ。兵助だったらかまわないから」
     久々知は笑わなかった。
     水気を纏った風が鼻先をくすぐり、駆けていった。夜のうちに下りた露の間を通り抜けたためだろう。夏を思わせる暖かな風が冷ややかに変わるのも、夜の闇と露のためか。足元から舞い上がった一粒が、前髪の先を濡らした。
    「それで、」話を打ち切るように、久々知は顔を東の宙へ向けた。「夜明けには間に合う?」
    「十分。この草原を抜けた先だ」
    「あまり来ない道だ」久々知が辺りを見渡し、それから空の星を目で数えた。北辰の位置、見えている光の形。自分たちの立っている場所と時間を同時に把握する。
    「学園へ帰る道からは外れているし、町に向かう道でもないからなぁ」
     学園へ向かうには南南東の森を抜けた先、裏山に通じる道を進まなければならない。しかし、彼らの足は北東へ向けられている。
    「つまり、寄り道」
    「優等生は真っ直ぐ学園に帰りたかったか?」
    「優等生?」久々知が再び、わざとらしくあたりを見渡した。「ここに俺たち以外がいるとは知らなかった」
    「……自覚はあるのか」
    「別に、規則や言いつけを好んで破ろうとはしないってだけ」
    「周りが勝手に評価している、と?」
    「俺が正しいと思うことが、今のところ周りとずれていないから、そう見えるらしい」
    「それを真面目と言うんだ」
    「三郎の方が真面目だと思うけれど」
    「真面目な奴が実習帰りに寄り道に誘うと思うか?」
    「誘いを受けた俺も同じだし、」久々知は笑みを隠さずに続けた。「そのために早く実習を片付けた俺たちに差はないんじゃない?」
     鉢屋は顔の横で両手を広げた。「俺たちは共犯ってことか」
    「結局同じ場所を目指しているんだから、そういうこと」
     久々知は頬を緩めたまま、大きく一歩を踏み出した。足元に丸まっていた蛙が、頭上を飛び越えた影に慄き草むらへ逃げ隠れる。細い闇が織り成す空間の奥から低い鳴き声が、威嚇のつもりか、微かに鼓膜を震わせた。
    「それなら、これは二人の秘密だな」鉢屋は二歩かけて久々知の隣に並びなおした。
    「秘密」久々知が繰り返す。
    「秘密は嫌い?」
    「二人で秘密を共有し続けるために必要なことを知っている?」
    「一人がいなくなること」鉢屋は間を空けずに言った。「困ったな。私は常に一人ではないし、しかし、鉢屋三郎という人間は私一人でしかあり得ない」
    「つまり、この秘密を知っている者が、お前」
    「隠すのではなく、明かすための秘密ということか」
     鉢屋は言いながら頷き、それから徐に天上の白銀を仰いだ。無秩序に瞬きながら地上を見下ろす星は二人のことを見つめることもなく、しかし、明瞭にその姿を映し出す。鋭利な輝きから逃れるように斜め後ろへ視線を向ければ、山際に一筋、紫の淡い光が滲んでいるのが見えた。
     夜明けが近い。
     或いは、始まっている。
     草原はもう半分以上が背後に送られ、目の前には林が見えている。頃合いとしても、丁度いいだろうと鉢屋は一人頷いた。
    「三郎?」岐路に立ち、久々知が鉢屋の名を呼んだ。曖昧に分かれた道はこのまま草原を進むか、林の中に向かうのか、彼に問うている。
    「真っ直ぐ。この林の奥にある」
    「もうすぐか……思っていたよりも遠かった」
    「学園から行くには、一晩では足りないからな」
    「夜の散歩には向かないね」
    「だから、きっと、誰もいない」
     鉢屋は林の、草むらと異なり土の露出した、硬い地面へ足を踏み出した。乾いた土の上を歩き、初めてつま先が露に濡れていたと知る。きっと久々知も同じだろうと隣を見やれば、彼も鉢屋の方を向いていた。
    「どうした?」
    「どうかした?」
     二人同時に口を開く。
     空白。
     二人は揃って頬を緩めた。
    「同じことを考えていたみたいだ」鉢屋が言う。
     その言葉さえ、久々知が頭に浮かべていたものと同じ。だから口にするまでもないと、彼はただ微笑みを返した。不必要なものを敢えて言葉にして伝えようとするところが鉢屋の美点だろうと、思考の一つが分析する。或いは、それが彼らの違いか。
     頭上で鳥の羽ばたきが響いた。
     殆ど獣道と形容すべき細い道で、久々知は自然、鉢屋の背を追って進んだ。木々の影に塗りこめられた空間は暗く、微かな光の粒子が淡く視界を彩るばかり。目の前には藍色の背が壁のように空間を遮り、先を見ることはできない。久々知は歩きながら踵を持ち上げ、肩越しに前を覗いた。正面には青を滲ませた闇。一本だけの道は大きく弧を描き、その先は僅かに明るさを湛えている。光の方から流れ込んだ風が、鼻腔に柔らかな水の香りを運んだ。
     二人は沈黙の中を歩いた。鉢屋は時折視線だけで背後を振り返り、久々知の輪郭を捉えるとすぐに前を向いた。久々知はもう先を覗き見ようとはしなかった。言葉が必要ないように、知っていることを確かめる必要は無い。太い木々の列に沿って作られた曲線を行き過ぎ、やがて二人は足を止めた。久々知は鉢屋よりも一歩多く歩き、彼の隣に並び立った。
    「ついた」
     林は背後に去り、眼前に湖が現れた。
     満たされた水が香りたち、
     湿潤の気配が肌を冷やす。
     水面には真新しい緑が這い、茂り、
     その中心に、淡い紅。
     遠く対岸まで広がった、蓮の群れ。
    「未だ、咲いていないね」久々知が言った。
    「咲くのを見るために来たんだ」蓮の蕾から目を逸らさず、鉢屋が言った。
    「眩しい」
     東の空から薄朱い光が差し込んだ。
     空の端に薄紫の雲が滲み、
     名残の星が最後の炎を燃え滾らせる。
     無数の光は絹糸のように織り合わさり、降り注ぐ。
     風は葉の下に小波を立てる。
     静謐。
     水面の上に広がる青緑の葉が擦れ合う。
     静寂。
     光は音も無くゆっくりと流れた。
     薄紅の蕾が少しずつ膨張している。
     ふくらみ、張り詰め、
     一瞬の緊張。
     花は解けた。
    「………………」
     二人はどちらともなく息をのんだ。
     一つ目の開花を皮切りに、湖の上で次々に花が開きはじめた。つぼみを止めていたねじが外れるように、薄紅の花びらが広がっていく。花の軋む音があちらこちらで囁かれ、秘密めいた合唱が鼓膜を揺らす。その上に朝陽のもたらした赤光が降り注ぎ、湖全体を俄かに赤く染め上げた。
    「綺麗だな」
     泉から瞳を逸らすことなく、久々知は鉢屋の囁きを聞いた。細やかな声音は風に紛れ、すぐにかき消えた。後には小波を思わせる柔らかな喧噪が空白を埋めるように沈んでいく。久々知は返事をする代わりに、輪郭へかかった前髪を指先で軽く払った。元より、返事は求められていなかった。
     二人は目に見える全ての蓮が開くのを見届けると、網膜に焼き付いた薄い花びらを宙へ送るように、揃って空を見上げた。東から流れ込んだ赤はいつの間にか熱を潜め、真新しい青を映し出している。透き通る蒼穹に自ずと呼吸が零れだし、久々知は初めて己が息をひそめていたのだと気が付いた。
    「蓮は咲くときに音を立てると言うけれど、」久々知は隣へ視線を向けた。「聞いていたよりも、地味だったね」
    「螺子を捻るような音だっただろう」
    「絡繰り仕掛けみたいだった」
    「でも、自然だ」
    「自然であることに、意味がある?」
    「価値はないな」
    「この景色が美しかったこと。それだけが価値だよ」
    「美しかったか?」鉢屋が訊ねた。
     久々知は淡い光に透けた蓮の台を数えながら頷いた。「美しいよ、今も」
    「それは良かった」鉢屋が頬を緩める。「夜通し歩いた甲斐があった」
    「夜の散歩は嫌いじゃないよ」
    「目的のある行進は散歩とは言わない」
    「三郎と歩くのも」
    「それは、私も嫌いじゃない」
    「自分と歩くのが好き?」
    「自分を見つめ直すことは重要だ」鉢屋が笑いながら言う。「私のような生き方は、殊更」
     久々知の黒目が一瞬、隣に並ぶ男の横顔を睨んだ。面と素肌の境目に生まれた空白、間隙を正確に捉え、しかしすぐに目を逸らした。
    「……三郎は、どうして俺をここに連れてきたの?」
    「兵助と一緒に来たかった。それだけじゃあ、だめなのか」
    「だめ、ということは、他に理由があるということだけれど」
    鉢屋は表情を変えずにゆっくりと唇を閉ざし、同じ速度で再び口を開いた。「……見つめ直すことは重要だから、だな」
    「何を?」
    「私自身が見ているものを」
    「蓮の池に、何が見える?」久々知は訊ねた。
     素顔を晒さない相手に対して、いくらも踏み込んだ問。しかし、ここに己を連れてきた時点で、彼はこの問いを予見していたはずだ。久々知にはその確信があった。
    「足元を泥に埋めながら、ただ一瞬、朝の最も澄んだ時刻にだけ花が咲く。だから、初めは似ていると思ったんだ。蓮は、兵助に似ていると」
    「……俺が?」
    「だけど、悠長すぎる。一枚の絵になってしまうくらい。複雑で、美しいけれど」
    「美しいものを見た、それではいけない?」
    「景色としては、五指に入る素晴らしさだったさ」鉢屋が眉を寄せた。「だけど、」
     鉢屋は一度口を閉じ、次の言葉を探しているのか、面の奥に覗いた黒目を泳がせた。久々知は黙ったまま、彼の言葉を待つ。言葉を口に出さないことは、彼の優しさだろう。
     やがて、右上に向けられた目がはっきりと正面を捉えた。意思を持った唇が薄く開かれる。
     次の瞬間、言葉よりも早く、大きな羽ばたきが頭上を覆った。
    「…………!」
     同時に空を仰ぎ、音の方向へ首を向ける。
     大きな影が一つ。
     青空へ向かう、翼。
    「鷹だ」
     眩さに、鉢屋は目を眇めた。久々知も同じ方角を見上げ、よく見えたな、と呟いた。
    「この前八左ヱ門のところで見た」
    「それなら俺も見たよ。もう立派に飛んでいた」
    「私が見た時はまだ全く飛べなかったのに」
    「もしかしたら、今の鷹があの鷹だったかも」
    「あんなに力強く、羽ばたくようになった?」
    「さあ?」
     一瞬にして空気を裂く。羽ばたきの残響だけが鼓膜を揺らす。
     不意に、鉢屋は金色の目を思い出した。
    「ああ、そうか」
    「本当に、生物委員の鷹だった?」
    「そうじゃない」鉢屋は緩く首を振った。「蓮じゃあ、ない」
    「……何が?」
    「鷹の、一瞬にして捉えるべきものを定める目と、翼が似ているんだ」
    「何に?」
    「お前に」
    「蓮の次は鷹?」
    「鷹を見て、何かに似ていると思った。兵助を見て、何かに似ていると思った。それぞれに答えを探していたのだから、次ではないさ」
    「結ぶ線を間違えただけ?」
    「そうとも」鉢屋は静かに口の端を持ち上げた。「それだけのこと」
    「それなら、」久々知は笑わない。「俺も、三郎が似ているものを知っているよ」
    「私に?」
     久々知は表情を動かすことなく、微小な点にまで遠ざかった鳥の影を仰いだ。鳥は地上を振り返ることなく飛び去って行く。その羽ばたきにさえも乱されることのない、凪いだ青へ、久々知は指を突き付けた。
    「空」
    「空?」
    「形を変え、見た目を変え、それでも本質は変わらない。複雑に変容しながら、一貫して空は空であることを変えられない。ほら、似ている」
     鉢屋は言葉を返さず、しかし、はっきりと眉を顰めた。
    「買いかぶりだ」
    「そうでもない。少なくとも、俺の目に映る三郎なら」
    「鷹は空を見ない」
    「だけど、飛ぶには空がなければ」
    「孤独に?」
    「空も孤独だろう?」
    「連動しない。交わらない。二つの孤独があるだけだ」
    「だから、ずっと飛んで行ける」久々知が小さく微笑んだ。「知らなくても、理解しているから」
     久々知の鼻先に落ちた白光が跳ね返り、微かに光を反射させる。
    「兵助、」
    「何?」
     陽の光に暖められた風が吹き付け、二人の間を駆け抜けていく。
    「兵助にとって、私は空?」
    「三郎が俺を鷹と呼ぶのなら」
     目に見えない鷹は、未だ青空の中を飛んでいる。
    417_Utou Link Message Mute
    2022/09/11 0:02:46

    小暑

    #鉢くく
    別サイトからの移転です。
    初出:2022-07-09

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