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    白露「葬式に出たことがない」
     何を思い出したのか、鉢屋は唐突に呟いた。
     夏を徐々に忘れいく季節。秋の気配を漂わせた空は青く、目に滲みる。よく乾き、爽やかさを感じさせる微風は二人の存在を気に留めることなく悠然と流れていく。降り注ぐ日差しだけが夏の名残のように鮮鋭で、久々知は黙ったまま瞳を眇めた。
     葬式に出たことがない。
     その言葉が指すところを久々知は捉えられなかった。葬式というものに巡り合ったことがないという意味であるのか、機会があったものの何らかの理由によって出ないことを決めたのか、判断することは難しい。
     彼らの歩く道、人の手によって作られたのであろう、堤の上を往く者は二人の他に誰もいなかった。代わりに一羽の小鳥が長く伸びた尾を上下に振りながら懸命に歩いていた。白と黒の羽根を備えているにも関わらず地面を跳ねるように進んでいる。足は水車のように機敏。小鳥に先導され、彼らは人間には緩慢すぎる速度で道を進んだ。
    「良い風だな」彼は先に呟いた言葉を覆い隠すつもりか、微笑みながら久々知の方へ顔を向けた。
    「そうだね」久々知は答えた。「夏も終わりだ」
    「秋は好きだな。夏と冬よりも過ごしやすい」
    「春は?」
    「春は賑やかすぎる」鉢屋が微笑んだまま言った。「花も草木も美しいが、色彩が溢れてまとまりがない。氾濫した水のように溢れかえって、頭の中に納まらない」
    「つまり、混乱する」
    「繊細だからな」
    「三郎が?」冗談めいた口調で久々知が笑う。
    「風景が」大仰に眉を顰め、鉢屋は彼の言葉を訂正した。「絵にした時、華やか過ぎて私の手に余る」
    「秋だって華やかじゃない、ほら、紅葉とか」
    「秋は春に比べて色の境界が鮮明だから。青は青。赤は赤。はっきりとしている、と言っていい。混ざり合わないから対比させることができるし、それは一つの陰影のような均衡になる」
    「確かに春は淡いね。花も、空気も」
     風に揺れる草むらを見やり、久々知は波に可視化された風の姿を目で追った。堤から河原にかけて広がった草原は緑に塗られながら、所々に茶色が混ざり始めている。冬の枯野に移り変わる予兆。季節が移ろいでいく兆し。川の流れが止まることのないように、時間は絶えず進む。秋という瞬間は夏と冬の間にある変化の呼び名だ。そして夏や冬もまた、次の季節へ向かうための現象にすぎない。
     風を追って川へ向けられた視界が眩み、久々知は一瞬足を止めた。水面に反射した陽光の一片が網膜を射したのだろう。光から逃れるように視線を逃がせば、河原の隅に立ち上る煙が目に入る。
     煙を取り囲むように人影が群れを成していた。
     その隙間に炎の片鱗。
     草木の爆ぜる、軽妙な破裂音。
     炭のくぐもった香り。
     嗚咽。
     焦げた肉の香り。
     断片的な読経の声。
    「村のお偉いさんあたりだろうか」堤の正面を向いたまま、鉢屋は言った。既に気が付いていたのか、平坦な口調だった。
     葬式。
     鉢屋の言葉を思い出し、ようやく久々知は目の前の光景が死んだ人間を弔っている場面であるのだと理解した。彼の知る限り、死んだ人間は大抵そのまま土へ還される。火葬を行うことは珍しい。人影から覗く炎の曲線をなぞりながら、そういう宗教だろうか、と彼は思考した。
    「珍しいね」
    「人が死ぬことが?」
     返された言葉に久々知は唇だけで笑みを返した。横顔を窺えば鉢屋も笑っているのが見えた。冗談が通じ合った瞬間ほど、心地の良いものはないと思わせる笑みだ。
     堤の上へあがって来るものがあったために、久々知は冗談を重ねることなく、足音の方へ静かに視線を伸ばした。緩慢とした足音が二つ、草を踏みつけて近づいてくる。先まで炎の周りを取り囲んでいたのだろう、息を鋭く吸い込むような響きが話し声に混ざっていた。
    「なんて、こんな……」「おかわいそうに」「仲が……寂しゅう……」「お優しい方で……」「連れ添われて……長く……」「せめて……」「仲の良いご夫婦で……だったのに」
     農民風の装いをした二人組が、彼らのすぐ後ろを横切り、堤の反対側へ降りて行く。村へ帰っていくのだろう。言葉の断片を拾い上げながら、久々知はそっと視線を川へと戻した。
     高く上った煙が薄膜を宙へ広げ、水中のように曖昧な蒼を見る。
    「随分慕われていたらしい」鼻白んだ様子で鉢屋が呟いた。「きっと、」集団の中央、僧侶と思しき人間の傍らに立った女性に目をやった。「あれが家族だ」
    「家族」久々知が繰り返した。その意味を吟味するかのような、丁寧な発音だった。「どうしてそう思う?」
    「泣いていない」
    「よく見えるな」
    「観察眼には自信があるんだ」
    「三郎にしては珍しい言い回しだね」
    「自信過剰だと笑っても構わないが」
    「適切な言い方、という意味」表情を変えずに久々知は言った。「三郎は謙虚な言い回しをするから」
    「尊大の間違いだろう」
    「ほら、そういうところが……」
     最後まで言い切らず、久々知は鉢屋の鼻先を見据えた。級友の一人と寸分違わない輪郭を描きながら、目に映る印象は全く異なっている。今この瞬間に隣を歩いている人物が、全くの別人であることをよく知っているためか。目に映るものは常に自己の認識によって影響され、制御される。この瞬間に見えている横顔が誰のものであれ、久々知の視界では鉢屋三郎自身の顔に他ならないと言えるだろう。今、共に歩いている人物が鉢屋であってほしいと願う限り。
    「泣いていないのが家族だと、どうして思う?」久々知は再び唇を開き、静かに訊ねた。
    「他人は泣くことで共感を示す。影響があろうとなかろうと、泣いて見せること、感情を外部へ出力することで、悲しんでいるのだと知らしめる必要がある」
    「家族は悲しんで当然だと思われるから、その必要がない?」
    「自分で示さなくても、周りが勝手に解釈してくれる」
    「無駄がなくていいね」
    「礼儀としての哀悼は無駄だと思う?」
    「だって、三郎はそう思っている」違うかと、久々知が首を傾げた。断定的でありながら、それを責める響きはない。単純な事実確認に近い口調だった。
    「兵助は?」
    「無駄ではないと思うよ。少なくとも、生きている者同士の関係においては」
    「死んだ人に対しては何をしたって無駄だろう」鉢屋が両目を瞬かせる。「こちらとの関りが更新されなくなること、それが死だ」
    「死後を信じていない?」
    「兵助は?」再び鉢屋が問いかける。
    「神や仏に縋るのと同じくらいには信じているかな」
    「つまり、都合次第」
    「あればいいと願いたい時と、ないだろうと諦観する時、揺らぎがあることは自然だから。どちらかに決めてしまうよりも、ずっと」
    「その素直さは真似できそうもない」鉢屋が肩を揺らす。頬が緩み、唇が弧を描いた。「兵助の美徳だ」
    「悪癖だと言われたけれど」
    「誰に」
    「勘右衛門に」
    「あれは素直の対局にいる人間だから、そう言うしかないんだろうさ」
    「その言い分だと、三郎は素直な人間ということになるね」
    「素直だろう、私は」
     久々知は言葉の代わりに微笑みで肯定を示した。日々変装し続けていようと、悪戯好きの悪名を翳していようと、捻じれて見えるのは表面だけのこと。その性根がいたく真面目なことを、彼は決して隠してはいない。
    「実のところ死後があるかないか、ということに私の関心はない」鉢屋が話を戻す。「それが在ろうと無かろうと互いに干渉が不可能である限り、どちらかに存在が置かれている状態では他方について思考する価値がない」
    「結局、死んでいない者の世界で起きていることは、死んでいない者のためにある、ということになる」確かめるように久々知が言う。「それが三郎の許容できる範囲ってことか」
    「そう……」
     一瞬、鉢屋が河原へと視線を向けた。長く火を燃しているためか辺り一帯が煙に包まれ、作り物めいた陰影を映し出す。奇妙なほど判然と浮き上がる炎の輪郭から逃れるように、彼は宙へと視線を逸らした。
    「だから、葬式に出たいとは思わない」
     目の前を歩く小鳥が足を止めたので、二人は示し合わせることもなく、同時に足を止めた。
     小鳥は尾だけを変わらず上下に振りながら、チュ、チチチチ、と鳴き声を上げる。小さな身体ではさえずり一つでも全身の支えが必要となるのか、甲高い声に併せて集密した羽根が波を打つ。三度目の繰り返しを始めた時、白地の羽に混ざった黒の羽が一枚、風に乗って川へ舞い落ちていった。己から抜け落ちた物に気が付かず、小鳥が再び歩き出した。
    「セキレイは、雌雄の仲が睦まじい様子から相思鳥とも言うらしい」小鳥の尾羽を目で追いながら鉢屋が言った。己を導いていたものの正体にたった今気が付いたというような、唐突さのある言葉だった。
    「物知りだね」
    「雷蔵が前に教えてくれた」
    「八左ヱ門じゃないんだ」
    「あいつが詳しいのは生物そのものについてであって、人間が見出した物語じゃないからなあ」
    「確かにその意味では雷蔵の方が造詣は深そうだ」
    「時々、なぜそんなことを知っているのかと問いたくなることまで平然と口にする程度には物知りだな」
    「変装はともかく、雷蔵の人となりまで真似するのは大変そうだなぁ」
    「知らないことでも、さも本当であるかのように話すことはできる」
    「……そういうところは三郎の悪癖だね」
    「何が?」
    「虚実にこだわりがない」
    「あるとも。嘘を嘘だと知っているから使える手は多い」
    「だけど、その嘘が本当に嘘であるか、実際のところ本当であるかに興味はない。嘘として機能させるか、真実として機能させるか、重要なのはそちらだ。だから嘘であろう話を自在に想像することができる」
    「随分と詳しいな」
    「想像だよ、全部」
    「悪癖と言ったが、思うに、兵助も私と同じだろう」言葉を否定することなく、鉢屋が続けた。「豆腐が縁起の良い食べ物ではないと知った後も、縁起の良い食べ物ではないという事実がないから縁起は良いと信じ続けているじゃないか」
    「頑なに信じているわけじゃないよ」
    「信じていないわけでもないってことだろう」
    「確証はないことだから、そう言える」久々知は鼻先で笑みを零した。「だけどそれは、結局、どちらでもないということじゃないだろうか」
    「どちらでもないから、嘘と真実を決める意味はない?」
    「意味というより、価値かな」
    「私たちが自分で決められるのは、いつだってそうだ」鉢屋が徐に首を回し、空を掠め見た。「私にとって雷蔵の変装が楽なのはそれもあるのかもしれない」
    「雷蔵は決めないから?」
    「その点で言えば勘右衛門は難しいな」
    「雷蔵よりは三郎に近いと思うけれど」
    「近いということは、その分微細な差が多いということだ。細かく詰めて、詰めて、それでも他人をそっくり映すことにはならない」
    「それなら、」久々知が無表情に訊ねる。「俺は?」
     セキレイが尾を振るのを止めた。忙しなく動いていた小鳥の足は、しかし、数間も進んではいない。乾いた地面に続く細い足跡を機敏に振り返り、二、三度首を左右へ傾ける。後ろを歩いていた二人の姿を認識していたのか、白い羽毛に穿たれた小さな瞳と目が合った。脈を数える間もなく、正しく一瞬の交錯。
     次の瞬間、小鳥は羽根を震わせて地面を飛び立った。
     空気を裂く、軽妙。
     羽ばたき。
     小さな体は直線に上昇し、
     一枚の羽根が曲線を描き落下。
     腕を伸ばし、その羽根を掴む。
     空気ごと掬い上げる。
     或いは、地へ引きずり落とす。
     一体誰の腕?
     隣を見る。
     そこに、鏡があった。
    「似ている?」彼が悪戯気な笑みを浮かべた。
    「分からない」久々知は素直に答える。「自分の顔をすぐに思い浮かべるのは難しいから」
    「私の目に映る兵助がこれだよ」
    「ならば似ているのかどうかは、俺じゃない人間に尋ねるべきだね」
    「強いて言うなら」
     おどけたように手を広げながら食い下がる彼の言葉に、久々知は小さく吹き出した。らしくない、と頭の中で誰もが言った。彼自身の言動としても、或いは、久々知自身としても。
    「似てないんじゃあないかな」
    「それは残念だな」
    軽く肩を竦めただけで、彼は素早く面を入れ替えた。見慣れた級友の姿に戻る。結局それもまた彼自身の生まれ持った顔ではなく、その意味では戻ったのではなく再び顔を変えたと言う方が正しいのだろう。
    「仲の良い者同士が長く側にいると、表情が似てくるらしい」
    「同じ表情を返すことは原初の、古典的な意思疎通を図る行為だからね」
    「赤子と同じか」
    「そう。生まれたばかりの子供は楽しいから笑うんじゃない。笑うという意味自体も理解していない。単純に相手の表情を真似ているだけ。それによって返される反応で、笑うことの価値を覚え、表現方法の一つとして笑うようになる」
    「それをずっと繰り返している」
    「表す感情が複雑になっていくだけで、やっていることは同じ」久々知が頷いた。「或いは、それが親密という言葉の意味かもしれない」
     鉢屋は唇の片方だけを上げながら、ゆっくりと首を振った。何を否定しているのだろうか、と久々知は考える。考えるということ自体、思考を走らせるだけの距離が二人の間にはあるということの証だ。想像し、理解することはできても、反射的に同じ表情を返すことはできない。即ち、親密さの否定。彼の行動はその意味か。或いは、単に小さな虫が顔の前に近付いて、それを避けただけのことかもしれないが。
    「兵助、」
     鉢屋が久々知の名前を呼ぶ。久々知は思考から抜け出し、隣へ顔を向けた。先導者の鳥がいなくなったにも関わらず、歩調がそのままであることに気が付く。しかし、声には出さなかった。
    「同じように寄り添うだけが親密さじゃない」鉢屋が滑らかに言った。思考の末に組み上げられた、呪文のような響きがあった。
    「相思。相愛。美しい関係のように思われたとて、それは見知らぬ者同士が今後数十年を共に暮らすための、謂わば、油だ」
    「油がないより、あった方が安全じゃないかな」
    「安全」鉢屋が言葉をなぞる。
    「他の者を傷つけにくい、ということ」
    「摩擦は他者を傷つける。同時に自分も傷つくかもしれないことを恐れて?」
    「摩擦が全て悪いわけではないけれど。傷によって何かを得るとすれば子供時代の教訓、自分の身体能力の幅。そういったものだけで十分だ」
    「だけど、それでは熱が起きない」
    「熱って?」久々知が問いかけた。
     揶揄のない声音は冴えわたる青へ溶け込み、すぐに消えていく。陽炎のように曖昧。彼の耳に届いただろうかと面の奥に潜む双眸を覗き込めば、彼独特の陰影を含んだ黒目が静かに瞬く刹那を見た。彼は二度瞬きを繰り返す。言葉が返されることはない。
     二人は堤をゆっくりと進む。人の群れは背後に消え、振り返ることはない。煙の霧散した空が二人の頭上を覆う。
     目に滲みるほど青く、高い。
    「それならば三郎は、他にどんな形で、他人を想う?」
    「葬式に出たいと思うことかな」鉢屋が笑う。
     死体を燃やすための炎を思い出す。
     それは、確かな熱だろう。
    417_Utou Link Message Mute
    2022/09/11 0:29:46

    白露

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